ひびレビ

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ネオ・ウルトラQ 第5話「言葉のない街」

2013-02-09 22:18:28 | ネオ・ウルトラQ
ネオ・ウルトラQ 第5話「言葉のない街」

やっぱりdf寄りな雰囲気。

さて第5話は人造人間エピゴノイドが登場。心を読み取る事が出来る彼らは田所博士によって作られ、富裕層などに販売されたものの、自分の意思で田所博士のところに帰還。そして田所博士は彼らを用いて完全なる愛の研究に没頭するも、どうやっても愛は生まれず・・・

仁曰く、男女の恋愛は「分からない」という事を前提としているそうな。自分はあの子を好きだが、相手はどう思っているのだろうか。こういった行動をしてくるという事は、自分を好きなのではないか。しかしこの間はあんな事を言われたし、やはり自分は嫌われているのか・・・などといったモヤモヤも、「分からない」からこそ生まれてくるものですね。もし相手の感情を完璧に理解できたとしたら、「あの子は自分を好きだと思っているから付き合おう」や「あの子は自分が嫌いだから告白しても無駄だ」となってしまうと。

思いが通じ合うのは便利にも思えますが、人間の心は相手への清い心だけでは無い。あいつが憎い、あいつが妬ましい、どうして自分だけ。そんな暗い感情までも読み取った上で、果たして愛情を保ち続けられるのかどうか。愛情でないにしろ、一緒に暮らす上では苦痛でしょうね。街を歩けば、すれ違った人の数だけ悪意を聞く事にもなりかねないのですから。

思いが完全に伝わると、思いやる気持ちは生まれても愛情は生まれない。言葉にしなくても伝わる仲、というのには愛情を感じますが、それはこれまでに様々な意思を伝えてきたからこそ生まれるものでしょう。メリとハシオのキスには、どこか機械的なものが感じられました。おそらくは「博士が自分達がキスをする事を望んでいる」と読み取った上での行動だったのではないかと。
愛情は自ら与え、そして誰かから与えられるものだと思います。「あなたが愛して欲しいと思っていたので愛しました」というのは愛情ではないでしょう。


コミュニケーションで重要なのは身振り手振り。確かに言葉が通じなくても、自分が焦っている、どこに行きたいというのは身振り手振りで現せますしね。言葉の重要性は僅か7%。それでも、口調や身振り手振り以上に声や手話などの言葉を信じたくなるのは何故なのか。

ようやく言葉を口にしたメリとハシオ。しかし彼らの口から出たのは、人間への諦めの言葉でした。何を言っても人間は自分の都合の良いように解釈してしまう。「殺していない」と言われても、心のどこかではそれを疑ってしまう。信じる心も持ち合わせているのでしょうけども、エピゴノイドたちにはその全てが伝わってしまうと。

今回、ハルヒコは自分でエピゴノイドたちの元へ1度は向かったのでしょう。しかしそこで、エピゴノイドたちに自分の心を見抜かれてしまったために、仁に依頼したのではないかと思います。「もしエピゴノイドたちが田所博士を手にかけたのでなければ~」という台詞からも、そんな雰囲気が感じ取れました。

ハルヒコは仁に「復讐に人生を捧げたりはしない」と語りました。最初見た時には「それなら大丈夫か」と思い、ラストでエピゴノイドたちが止まっていたシーンの後、ハルヒコが直してくれると信じました。しかし見直してみると、自分が都合の良いほうを選んでいたんだなと思わされました。おそらくハルヒコはエピゴノイドが父を手にかけたと思う気持ちがあり、だからこそエピゴノイドたちはハルヒコの元に行かなかったのではないかと。

ハルヒコが復讐をしないと信じるのも、疑うのも、不完全だからこその感情。仁はメリとハシオに心を読んでもらう際、ハルヒコを信じて欲しいと思ったのかな。ハルヒコは復讐するかもしれない。けれども復讐はしないといった「言葉」を信じたい。例え都合のいい解釈になってしまうとしても。
「Aさんの言葉を信じる」「Aさんがこういう口調で話していたから信じる」「Aさんがこういう身振り手振りをしていたから信じる」。コミュニケーションの上での重要性が低いとはいえ、それでも私は言葉も信じたい。


不完全であるからこそ成り立つ愛情。例え相手の心が分からなくても愛情を育んできたからこそ、今があるのでしょう。分からないから理解しようと努力する。分からないけど好きな相手の事は信じていたい。目の前に答えが置いてあると、そういった感情も生まれないのでしょうね。

ラスト、電池が切れて動かなくなったエピゴノイドたち。不完全になりたいと願っていたメリとハシオにとっては、動き出すのが幸せなのでしょう。静かすぎるあの街から声が聞こえるのは、そう遠く無い日かもしれません。私はそう信じたいです。

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5 コメント

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Unknown (ロンドン)
2013-02-10 13:56:08
今回もネオ・ウルトラQの感想をしていただいてありがとうございます。今回も怪獣が出てこない作品でしたか。自分が書物で見た内容によれば、元々ウルトラQは、「マンモスフラワー」や「悪魔っ子」といったSFやホラー物が多かったのを、当時のプロデューサーが放送する時間帯を考慮し、円谷英二氏の代名詞である「怪獣」路線に切り替えた為、ウルトラQがあのような作品になったそうです。でもお陰で次回作としてウルトラマンが誕生し、以降のウルトラシリーズが誕生したのですから、ある意味そのプロデューサーはもう一人のウルトラシリーズの生みの親なのかもしれませんね。今回の「言葉のない街」は「不完全であるからこそ成り立つ愛情」、「分からないから理解しようと努力する」という貴方様の発言はごもっともだと自分は考えられます。例え相手が自分の理解出来ない部分があっても、その人を信じようとする事は愛情以前に必要な事だと自分は考えられます。また時間がありましたら是非次回の感想も書いて下さい。といっても、自分は時間次第ではただ感想を見るだけでコメントしないかもしれませんが(汗)
ロンドンさんへ (アル)
2013-02-10 16:20:03
こんにちは。

>自分が書物で見た内容によれば、元々ウルトラQは、「マンモスフラワー」や「悪魔っ子」といったSFやホラー物が多かったのを、当時のプロデューサーが放送する時間帯を考慮し、円谷英二氏の代名詞である「怪獣」路線に切り替えた為、ウルトラQがあのような作品になったそうです。でもお陰で次回作としてウルトラマンが誕生し、以降のウルトラシリーズが誕生したのですから、ある意味そのプロデューサーはもう一人のウルトラシリーズの生みの親なのかもしれませんね。
その方がいなかったら、ウルトラマンもベムラーとして活躍していたのかなと思いました。ネオは放送時間や番組の枠などを考えると、SF・ホラー物としての毛色が強いウルトラQとも捉えられますね。ガンガン怪獣を出せば良いというわけでもありませんし、こういった路線も良いと思います。

>例え相手が自分の理解出来ない部分があっても、その人を信じようとする事は愛情以前に必要な事だと自分は考えられます。
人それぞれに個性がありますし、自分と違うというだけで拒絶するのは間違っていると感じました。自分が完全に理解できる人というのは、ごく僅かだと思います。確かに、愛情以前に人として持たなくてはならない感情ですね。

>また時間がありましたら是非次回の感想も書いて下さい。といっても、自分は時間次第ではただ感想を見るだけでコメントしないかもしれませんが(汗)
もちろん書くつもりでいます。無理に時間を作ってコメントしていただくわけにもいきませんので、コメントに関してはご自由にどうぞ。
Unknown (神谷)
2013-02-17 06:34:09
見逃したので録画で見ました。
エピゴノイドは喋れなかったのではなく、喋らなかった。
それは、エピゴノイ度同士は互いの気持ちを感じ取り察することができるから。
人間と言葉を交わさないのはそこに疑いが生まれるから。
なんでしょうね。
最後の「不完全になりたい。」それはもしかすると、仁が博士に語った。「エピゴノイドの研究を続ける」という言葉から既に不完全になれないことを知っていたからこそ、機能停止といった方法で不完全な存在になったのかもしれませんね。

しっかし、この手の作品には「田所博士」という名前はつくづくよく出て来ますね。
訂正 (神谷)
2013-02-17 06:36:06
仁が博士に語った。

ではなく

田所博士の息子が仁に語った。

でした。失礼しました。
神谷さんへ (アル)
2013-02-17 18:03:57
こんばんは。

>エピゴノイドは喋れなかったのではなく、喋らなかった。それは、エピゴノイ度同士は互いの気持ちを感じ取り察することができるから。人間と言葉を交わさないのはそこに疑いが生まれるから。なんでしょうね。
どれほど真実を話しても、人間は疑い、時には都合のいいように解釈してしまいますから、話すことが無駄だと感じたのでしょう。

>最後の「不完全になりたい。」それはもしかすると、田所博士の息子が仁に語った。「エピゴノイドの研究を続ける」という言葉から既に不完全になれないことを知っていたからこそ、機能停止といった方法で不完全な存在になったのかもしれませんね。
エピゴノイドの研究を続けているということは、エピゴノイドは今以上に完全であり続けるかもしれませんしね。不完全である事を望むエピゴノイドを、果たして修理してくれるのかどうか・・・人間と同じく、限りある命を全うして止まったままの方が幸せなのかもしれません。

>しっかし、この手の作品には「田所博士」という名前はつくづくよく出て来ますね。
「日本沈没」という作品でも田所博士が出てきたようですね。博士にしっくりくる名前だと思います。

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