徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

スキャンした昔の写真

2021-09-19 22:22:10 | 蒸機を撮んりょった頃に徳島でな


台風一過の晴天を期待したのに雲多し。でもまあ、徳島を通過したわりには雨戸も閉めずに凌げましから良かった。


ネタ不足で食べ物のハナシも載せます。


徳島で有名な系統の蕎麦屋。いつも行ってる新町橋袂と、この前初めて行った西新町以外にも富田町にあるのを偶然発見、先日散髪の帰りに予定していたはなや食堂がコロナで臨時休業だったんで、足を延ばして寄ってみました。


格子戸と観音竹や棕櫚竹は蕎麦屋の必須アイテム。


ここはセットもあって、今回は親子丼と温い蕎麦のセットにしてみました。蕎麦はやはりこちらの系統で美味しいし、親子丼も丁寧な造りで久々に良い店に出会った気がしました。今度は愚妻も連れて来ましょう。


もともと夏らしい晴れが無いまま9月に入り、今度は迷走してきた台風が来て二週間撮り鉄してません。なんで最近続けてる昔のネガからのスキャンで非鉄のヤツを少々。


最初は小松島。1967(昭和42)年の夏、当時新型だったくも級護衛艦が小松島に来たと言うので行ってきたときのモノです。確か同型二隻で来て、乗船は出来んかったと思います。対潜重視の艦で、自衛艦で初めてアスロックを積んだクラスです。上の写真は自衛艦じゃなくて材木運んできた貨物船ですよ。


これはその時撮った巡視船。あさちどりで検索しましたが該当無し。300トン前後のタイプに当てはまりそうですが、巡視船は時々名前変えるんで分かりませんね。


巡視船は後檣が高くて昔の巡洋艦みたいで格好いいです。左の倉庫の裏手に小松島機関区からの貨物線が来ていたハズ。なんで撮っとかんかったか悔やまれます。


阿摂航路の客船。外見はまさに関西汽船らしいスタイル。ピントが甘いんで船尾の名前が読めません。1967年10月号の時刻表では、小松島-阪神航路は阿波国共同汽船との運航で太平丸とあかつき丸と言う千トン級の船が就航してる様です。これも検索するとあかね丸がよく似てる気がします。


これは南海汽船の鳴門丸でしょう。当初南海丸と言い、海難事故で沈んだ船を引き上げて改名しています。真冬の時化の夜に三角波にやられて大勢の犠牲者が出ました。
この船は五百トン弱で、関西汽船の半分で揺れるんですが和歌山は大阪に比べて海上の時間が短いと言う理由で、子供の頃に何度か大阪の親戚に行ったときにはいつも南海汽船でした。二等船室は桟敷席で丸窓は海面に近くて波が目の前なんは怖かったです。それでも、生まれて初めて乗った「電車」は南海電車、初めて乗ったエスカレーターは難波高島屋等、楽しい思い出の方が多いです。


船が続きます。ここは新町川河口で深日からのフェリーが発着する岸壁です。遠方右手は津田の海岸で、この頃既に海水浴場としてはダメになっていたと思います。中央は浚渫船で、その右手の小船に注目。


今だとこんなカンジ。二年前くらいに撮った写真で、現在は橋が完成してますね。末広に在ったフェリーの岸壁は沖洲川の向こうに移転しました。


今は元フェリー岸壁はファーストフードの店舗になってますね。


さっきの船が真横に来ました。阿波国共同汽船のあき丸、あきは安芸ではなく阿波と紀伊の頭文字をとってると思います。4百トン弱の客貨船ですが、ちゃんと一等船室もありました。小松島航路の船は純粋な客船でしたが、こっちは貨客船です。


当時の時刻表を見ると、大阪-徳島の一等は660円。大阪を12時に出て17時半に徳島に着く便があるんで、たぶんそれだと思います。


今はこの辺だと思うんですが、背景の山並みも特徴がなくて特定出来ません。


新町川を遡上してかちどき橋袂にあった岸壁に向かいます。当時はこの辺でも材木の筏が見えます。


上の写真で眉山の手前に石油タンクが写ってますが、今でも錆びた状態で残ってるこれだろうと思います。


これは少し前に万代埠頭の先の方に進んで見たときに撮ったヤツ。直ぐ先は結婚式場になってます。


この頃、向こう岸の中央付近は水産埠頭で漁船が多く泊まってました。今なら遠洋漁船は大概あき丸より大きいですが、当時は39トン型でマリアナ近海まで行ってたそうです。


眉山のカンジから今ならこの辺かなと思います。この辺も川の両岸ともマンションが増えて来ました。


次は寺島川。今回のスキャンで楽しみにしていたのがここと、小松島駅の奥。小松島駅の奥で撮った記憶のあるキニ04は出て来ませんでした。
さて、まだ水があった頃の寺島川。立体交差は既に完成してるんで、お城のお濠とは寸断されています。杭がたくさん打ってありますが、以前は材木が筏で運ばれて貯木されてました。向こう側の建物は左から順に、自治会館・市役所旧庁舎・徳新本社、跨線橋を挟んで文化センター・旧東警察署です。


今だとだいたいこの辺かと思います。寺島川は主に新町川を浚渫した土で埋め立てられ公園や東署(これも中央署に移転して現在解体中)が建ちました。木立の向こうは左端が千秋閣(旧・自治会館)とその隣が市役所です。


市役所前の旧徳島橋の所にある跨線橋から駅方向を見たところ。右端の文化センター自転車置き場からよく撮りました。


現在。夾竹桃は昔から在ったようですが、ワシントン椰子は無かったんですよ。文化センター跡地も新施設建設の準備が始まった様です。


写真が少ないので追加。寺島川沿い通りから東に抜ける通りで、右手は今東消防署がある辺りだと思います。左端のブルーバードが出ようとしてる通りが現在の11号線。あの頃は板塀で囲まれた家が多かったです。


市役所前を通過した521レが新町川の鉄橋に向かっています。線路の向こう側が寺島川。この左後ろの池添蒲鉾店を含め、この辺はあんまり変わってないと思います。昔はこの線路沿いに魚が干してあって蠅が多いところでした。


上の写真の場所から富田橋の方を見たところ。富田橋の向こうで建設会館のネオンが目立ってます。

列車が写った写真はまた別にまとめます。











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