「1日で・・・」とありますが、実質3時間で全部が廻れるという何とも横着者向けの企画に愚妻が参加して来ました。天候不順、日曜の朝一番の組ということで空いていたか、前売りは簡単に取れました。
あっけなく結願してますが・・・ムチャクチャ混んどった、そうです。
同じ建物の中で売っていたそうです。米粉に和三盆使用であっさりして美味しかったです。ただ、蓋を止めてる要冷シールが剥がれなくて、薄い紙で指を切りそうになりました。
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本題は30年近く前の4月に撮った小松島の写真です。今年のこの日は帰省していてたぶん撮り鉄する予定です。例年、連休だとそろそろ半袖かなぁという頃ですが、今年は今日の天気見てるととんでもないという気がしますが一週間先はどうなってるでしょうか。
帰省した時に小松島線が無くなると言うんで子供を連れて行って来ました。当時はすっかり鉄道から離れて写真は子供撮影用のオートフォーカスコンパクトカメラです(確かペンタックスかキャノンだった)。
「こまっしま」、一見無人駅のようですが駅員さんが居ました。スレート葺きのようですが、昔からこうやったんかいな?。
本駅は一面一線。10両くらい停められそうな長さがあります。
上の写真から反対方向を見たところ。旅客ホームの海寄りがそのまま元・貨物ホームになっています。だいぶボロボロになった貨物上屋が残っています。その右側は神田瀬川の河口です。
元々貨物扱い用の線路が敷かれていたと思われるところに照明灯の柱が建ち、もう随分前からここでの貨物扱いは行われていないのでしょう。
貨物上屋を過ぎ、ホームの端まで来た所。左側は客貨車区、総ての建物が木造です。留置されている客車は既に休車で、この頃客車は50系化されていました。
更に海側に進んだ所。留置編成の端の車両はオハユニ61を救援車にしたオエ61ですね。直ぐ隣に神田瀬川河口に停泊する船が写っています。昔々は阿摂航路の客船もこの右奥に入り本駅で船車連絡が行われていたようです。中二の撮り鉄を始めた頃は駅の広場を挟んだ反対側に船会社の建物が未だありました。
その頃といえば、上の客車が留置されてる所にはキハ04(当時はガソリンカーと呼んでいました)が休車で置かれていたのを今でも憶えています。撮ったはずなんですがネガ紛失。
写真の順番が前後してるかもしれません。撮り鉄していた頃、徳島の客車は61系ばかりでしたが50系化前にはだいぶ上等な客車が来ていたようですね。オエ61の隣の客車は窓が11個で台車の形状もTR47の様なので43系ではないかと思います。
オエ61です。徳島駅のターンテーブルの所に長く留置されていたのと同じ車両でしょうか。
この写真では既に貨車は全然写っていません。小松島線の貨物扱い廃止と同時に貨車の検修機能も無くなったようです。
小生が撮っていた頃には貨車の検修も盛んに行われたいたようで、この付近にも貨車が一杯居ました。ところで、上の写真で左の有蓋車は額縁と呼ばれる側面構造のワム60000初期型のようです。
この写真を探していた時、並びにオエ61が写っていました。やはり15年近く前から小松島常駐だったようです。
長いホームの貨物扱い部分。ホーム側の線路は照明灯の柱で途切れ、既に朽ちかけています。右の50系は今夜の徳島線列車に使われる編成だと思います。
客留線の最奥付近。クレーンは貨車検収用だと思います。人の姿はありません。撮り鉄していた頃は活気があって、とてもこんな所まで入って来れませんでした。
既に紹介済みの写真です。物置に利用されているキハニ(ガソニ?)の車体で、ファンには有名なものだそうです(「思いでの小松島線」というサイトを参考にさせて頂きました)。
続きますよ。
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駅舎ももう少ししっかりしていたと思いますがこの写真の様子ではもう廃線の予定なのでだいぶ以前から補修等はしていなっかたのでしょうね
この辺が遊び場だったんですか、
羨ましい。当時は部外者が入って行っても
あんまりやかましく言われませんでしたね。
おおらかなエエ時代やったと懐かしいです。
今月末の連休を利用して帰省予定です。
今回も土讃線で撮り鉄予定ですが、
雨だったら30年振りに小松島に行ってみようかと思っています。