徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

高崎線の希硝酸と液化アンモニアコンテナのこと

2020-05-03 21:14:59 | JRの高崎・上信越、宇都宮方面


今回は今から51年前の黄金週間に中洲の市場脇で撮ったものです。機関車の向こうは県庁の旧庁舎、鉄橋脇に停められてるのは大川バスの高徳特急バス、そして三河家洋館。この中で昔のままなんは洋館と鉄橋でしょうね。ハチロク牽引だった423レも土讃・予讃の無煙化で追い出されてきたC58に替わっていました。小松島の転車台はC58には短いので、逆行で回送して徳島で転向していたそうです。写真の様に時々出区回送機が付いて逆行重連になってました。


大方の予想通り、緊急事態は延長決定。伸びは鈍化してる?のが救いか。


こら、今年は篠野洲は諦めんとアカンなあ・・・田植えは来年もあります、今年は辛抱せななぁ。去年、鷲栗で会った地元の方が、田植えは人手が集まる連休中に気温に関係無くまとめてやってしまうと言ってました。いっぺん帰省して色々準備したいんですけどね。

撮り鉄の新規ネタが遂に枯渇。なんで、小話をひとつ。

事の起こりは以前の記事に少し書きましたが、倉賀野で4074レを撮った写真を見ていた時のこと。


4074レと言えば色鮮やかなメタノールのコンテナが載ってることと、返空とは言えタキとコンテナが併結されている事で有名ですが、機関車次位には日産化学の希硝酸と液化アンモニアのコンテナも繋がっています。


撮った時には気付かなかったんですが、同じ日に撮った2071レの写真を見てみると同じ様なコンテナが繋がってる。


この時は倉賀野で撮った4074レで番号が確認出来なかったので、並びが似とうけんひょっとしたら熊タか新座で折り返して来たんとちゃうか?と思っていました。倉賀野では通過列車に対する解結はせず、下り向きの始発列車も無いんで下り方に発送するにはどっかでスイッチバックさせるしか無いのが分かっていたんで。


ちょっとハナシが逸れますが、2071レには同じく日産化学の濃硝酸も繋がってました。表記されてる運用区間は速星-川崎貨物と富山貨物-盛岡貨物の二区間。2071レに載ってるのは前者に相当すると思いますが、富山-盛岡の継送はどういう経路か興味が沸きます。小生の様なジジイには日産化学と言うと、須賀線のEB10が牽く列車に繋がってる写真で見た米軍機のマークみたいな社標で社名を覚えました。


2071レからもう一枚。静脈輸送用のW18Fの車標は「ポリ塩化ビフェニール類(廃棄物)」。2071レは隅田川発金沢タ行きですが、どこまで行くのかちょっと気になります。


さて、本題に戻って疑問を確認するため以前に撮った写真を確認。これは改正前ですが、倉賀野発車前の4074レでコキ200-152にUT14Cの8025と8030が載っています。


続くコキ106-197にはUT10Cの10・8・4が載っています。


こちらは同じ日の約4時間後に撮った2071レ。


機関車次位にコキ106-197とコキ200-152が繋がっていて、コキ200後位にはUT14C-8025が載ってるが読み取れます。


この日も濃硝酸あり。前回と同じく8007番でした。それはさておき、これで4074レで倉賀野を発った希硝酸と液化アンモニアはその日の2071レで折り返して来て金沢方向に向かうと言うのが確認出来たんです。


まあそれならハナシはここでお終いですが、浜川崎で撮った4074レでも見た事ある、


と思って確認すると、付いてました。


別の日も。


倉賀野から上って来たコンテナがどこかで2071レに付け替えられたとすると、浜川崎で繋がってるのはおかしい。


こちらは熊行で撮った2071レ。熊タ手前では繋がって無いと言うことは、2071レには熊タで増結されてるのは間違いない様です。
こうして熊タ前後で確認作業を敢行・・・


先ずは籠原通過中の4074レで倉賀野発車状態のままのハズ。コキ200-114にUT14C-8021と他一基。続く液化アンモニア三基はコキ106-360に載ってるのが確認出来ました。


直ぐの上り電車で熊谷へ移動する車内から熊タ入換中の様子。見づらいですが、留置されたコキ200-6と続くコキにはUT10C-16が読み取れます。


まさに入換中のコキ。UT10C-13ですね。


液化アンモニアが載ってるのはコキ106-360でした。


もう一基の液化アンモニアはUT10C-6、コキ200の高崎方はUT14C-8009。


コキ200は114番だと判明。


さて今度は熊谷で熊タ入換後の4074レの確認です。機関車次位はコキ200-6。


コキ200に載ってるのはUT14C-8010ともう一基は8020?、後ろのコキにはUT10C-16。


この写真ではコキ106の車番がイマイチ読めない、




一連の写真でコキ106にはUT10C-16・17・18の連番が載ってるのが分かりました。


更にもう一両、コキ104-1957にUT10C-5・7ともう一基載ってます。明らかに籠原で撮ったユニットとは熊タで差し替えられて、コキ104が追加されているのが判明。


再び籠原に戻る途中で熊タを見れば、コキ200-114にUT14C-8009と8021,コキ106-360にUT10C-13・12・6が載ってます。そう、今朝籠原で見た4074レに繋がっていたコンビです。


最後は熊タ-籠原間で2071レを確認します。


コキ106-360にUT10C-13・12・6、


コキ200-114にUT14C-8009と8021。さっき熊タに留置してあった、つまり4071レで倉賀野から運ばれて来たヤツです。


時系列に並べるとこんなカンジですが見えませんね・・・
今回の調べで、倉賀野から4074レで来た組は熊タで外されて2071レで下って行く。熊タでは入れ替わりに前から置いてあった組とコキ104に載った液化アンモニアを4074レに付けて川崎貨物に向かう、と言う事が判明。
4074レ→2071レの動きは松井田の信越化学から日産化学への返空だと思うんです。倉賀野は下り列車に増結しようとすると上り本線を跨いでの入換が必要ですし、入換作業は集約させた方が合理的ですから。
残りは熊タに置いてあって、4074レが川崎に運んで行ったコキ三両がどこからどこへ運用されてるのかと言う事です。例えば
4074レは川崎行きですが、北陸から上って来る2070レは隅田川行きですから速星あるいは富山貨物からの積車を熊タで切り離して4074レに継送させる、と言うのが考えられます。じゃあ、川崎から熊タへはどやって来たんか・・・更にコキ104のことも分かりません。一日だけでは分からない事も多いし、2070レを見るなら日の出が早いこれからの一ヶ月くらいが良いんで、解禁次第でまた観察したいと思います。






 

 

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