徳島鉄道風景(新)

昔の徳島の蒸機が尽きて関東中心にしてましたが
戻って来たんで、これからは徳島起点でやってきます。

小松島のキハ45

2009-10-11 22:46:52 | 蒸機時代の徳島で撮ったん

半期に一度の忙し週間で疲れ切っていましたが下総基地祭に行ってきました。秋晴れのすばらしい天気でした。

秋と言えばもう10月も半ばになろうとしています。最近徳島ネタが絶えていたので何かないかと探して、たった2枚ですが1967(昭和42)年10月に小松島客貨車支区で撮ったこの写真を↓

S196710xx15

ひどい写真ですが確か小生2回目のカラーフィルム。ハーフサイズ(ペンD)です。

たぶん、回着したばかりと思われるキハ45です。この日はもちろん蒸機を撮りに行ったんですが、客留の奥にディーゼルがいるので撮ったものです。

既に本年2月の「1967年の写真」の中で記していますが、

徳島にキハ45が配属されたのはまさに1967年10月改正(ヨンニートォ)でした。名目は鳴門線・鍜治屋原線客車列車置き換え用。

とはいえ今と同じようにこれは名目だけで両線に運用されることはなかったようですね。この改正での置き換えが前もってわかっていれば鍜治屋原線のC12牽引列車や鳴門線のC11牽引の客車列車も撮っただろうにと悔やまれます。特に鍜治屋原線列車は徳島-板野間を高徳線列車に併結という珍しい運用であっただけに残念です。

もっともハーフで撮ったネガはカラー以外残ってないんですが・・・

S196710xx10

私がキハ45を初めてしったのは鉄道ファン誌’66年12月号の「新車インタビュー」の記事でした。手元に残っている鉄道ファンでも3番目の古さで同号の新車ガイドはもうDE10が出ています。そうかと思えば投稿欄「さろんかー」には木次線にキハ52が投入されて急坂に喘ぐキハ07を置き換えた、なんて記事が出ている時代です。

キハ45はキハ20・25の改良型として足回りはほぼそのまま(同型機関を横置き架装)に両開き扉を採用して地方の通勤輸送に対応させたものですが、好きではありませんでした。

理由のその①は一枚目の写真の通り、バランスの悪い顔つき。

確か153系電車の後期型に始まった高運転台・貫通路付きの正面デザインを気動車で初めて採用したんですが電車と違って車体幅が従来通りで一般型としては初めて2灯になった前照灯の位置が良くないせいかとぼけた顔に見えます。加えて一般型気動車として初めて採用されたスカートと従来通りの塗り分けもデザイン的にはマイナスのように思います。

そういえばキハ47系は登場時から首都圏色(タラコ)だったので塗り分け塗装最後の新製車ということになります。

理由その②は座席の狭さです。キハ20・25より45センチも広い両開き扉を採用しながら座席定員は逆に増えています。車体長が連結面間で21.3mと当時の新製車と同じになったことや車内中央にあった排気管がなくなったこともありますが、シートピッチはキハ20・25より70ミリ狭い1400ミリとなっています。

この数字は悪名高い60系鋼改客車の1335ミリよりは広いんですが(現代人があれに4人座ったら拷問です)、高崎線でずいぶん窮屈な思いをした115系初期車でも1420ミリだったようです。キハ45はさらに115系に比べ車体幅も狭かったので「座席を提供することがサービス」ということを優先させたんだろうと思います。

そういう訳でキハ20・25の1470ミリというピッチは当時の急行用車両と同じだったので立派です。そのせいかキハ20系は急行増結用によく使われていましたがキハ45が使われたのは見たことがありません。

機関の横置き・高運転台・スカート・両開き扉・ユニットサッシの窓・2個ずつとなった前照灯とタイフォン等、一般型気動車としては「初めて」がいっぱいるんですが両数が少ないこともあって(徳島は6両)影の薄い存在でした。

※平成23年10月23日に改訂版記事を載せました。

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4 コメント

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おぉぉぉ~キハ45~デビューしたての写真なんで... (金長狸)
2009-10-12 22:05:54
おぉぉぉ~キハ45~デビューしたての写真なんですね~徳島では最初少なかったのですか~
しかも小松島に・・・勉強になります~
・・・・産まれてない・・・
国鉄末期の頃から、JR直後では、45・47の組合せがあったような気がします・・・うる覚えなのであやふやですが・・・
鉄模型では4両持っていて、1両は四国色に塗り替えてます~w
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金長狸様、こんばんわ。 (南東風)
2009-10-12 23:55:14
金長狸様、こんばんわ。
三連休はいかがお過ごしでしたか?
説明不足でしたが、小松島にいたのは回着車両の留置場所が徳島駅に無かったからだと思います。配置は徳島区です。
私は逆に徳島時代にキハ47を見たことなくて。
1両が四国色ということは残り3両はタラコなんでしょうね。タラコのキハ45は帰省時に一度だけ池田で撮ったことがあります。
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小学生の頃は、 (ごっさん)
2009-10-13 21:32:36
小学生の頃は、
45と47の区別が付かなかったので、
いつのまにか45が四国から消えて「あれ?」と思ったものです。
数両が四国色になりましたが、
それも打ち止められ、アッと言う間に消えました。
朱色のままで消えたものもいたかと思います。
あの頃は、センス無いと思った四国色、
今となっては遠き故郷の思い出の色です。
ウェルかめに出てくるとついホロリと・・・
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ごっさん様、こちらにもありがとうございます。 (南東風)
2009-10-14 00:21:10
ごっさん様、こちらにもありがとうございます。
ウェルかめにちらちら出てるそうですね、牟岐線。
ところで、もう一昨日になりますが天気が良かったので早速試し撮りをしてみました。
晴天・順光で50~100mくらい先に照準してオート・風景モード・マニュアルF8で撮り比べて見ました。
オートと風景モードはほぼ同じデータ(いずれもF4で露光時間だけが若干違う)でしが写りは風景モードの方が良いような気がします。
マニュアルF8はコンデジにとって想定外だったようで、
モニターの隅でISOを替えているのがわかりましたが結果は見られたものではありませんでした。
ほんとうに良い勉強になりました、ありがとうゴザイマス。
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