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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

責任は我々自身にある

2007-10-31 | 風屋日記
中央教育審議会が次期指導要領の骨子を固めたとのこと。
授業時間を増やし、なおかつ学習内容量も増加。
一方で総合学習は時間を減らしながらも継続が決定。
中学校では武道の時間も必修になる。
日本の伝統文化を学べということらしい。

「ゆとり教育が学力低下を招いた」とか
「道徳教育の不足がモラル低下につながっている」とか
「教員の質の低下が問題だ」とか
これまでにいろいろと問題視されたことが
すべて文科省や教育委員会や教員個人のせいにされてきた。
果ては「日教組が悪い」などというトンチンカンな話もある。
これらすべての問題の根源に
「詰め込み知識教育で育った親世代」があると私は思うのだが。

何のために勉強するのか、
何のために受験し、進学するのか、
今の子ども達は明確な目的意識を持っているのだろうか。
いい大学へ入っていい仕事につけば将来はバラ色・・・
なーんてことは我々が小さかった高度経済成長時代の神話。
あの頃は確かに今日より明日が豊かになる実感があり
努力すればそれだけ夢を掴むこともできたのだろう。
しかしその結果が詰め込み教育と受験戦争だった。

そんな時代を経て親になった世代は
あの頃の幻想をまだ胸に抱きつつ
「勉強しろ」「ムダを省け」「いらんことはするな」
と子ども達に言い続けてきたのではないか?
「受験に必要のない科目は放っておけ」という考え方が
例えば私立文系においては数学・理科の科目の学力低下を招き、
おまけに体育や技術家庭科、音楽、美術などをないがしろにしてきた。
そうでしょ?
じゃなかったら昨年の未履修問題なんかが出てくるわけがない。
「成績」「偏差値」といった単一のモノサシが
子ども達においては世界を狭め
異質なものの排除やイジメにつながっている。

また、バブル期を境に金儲けが重要な社会の価値になってしまった。
金を持っていれば勝ち組、なければ負け組。
そんな社会を見ていれば
子ども達だって金にならないことはやらなくなる。
「将来の夢は金持ちになることです」を
子どもらしくないと眉を寄せる資格は今の大人達にはない。
モラル低下もそこからきていると思うよ。
自分に都合のいいことには飛びつくが、他人のことは知らん振り。
子ども達にだけ「他人に思いやりを」と言ったって
「大人だって口ばっかで、みんなジコチューじゃねーか」
と言われるのが関の山だ。

もうひとつ重要な問題は、
子ども達自身に目的、目標、夢などがないことじゃないか。
「末は博士か大臣か」と出世コースの究極であった学者や政治家は
学長や大臣の椅子をめぐって醜い争いをしている。
有名大学の教授が痴漢で捕まり、政治家は私腹を肥やすばかり。
最高学府の東大を出て中央官庁に入ったエリートキャリアが
役所の失態について言い訳が効かない弁解を繰り返し、
果ては業者へのタカリが発覚。
一流企業といわれる会社は不況になればリストラで首斬りを行い、
朝から晩まで働き詰めのオトーサン達は疲れ切ってしまっている。
そんな大人に誰がなりたい?
子ども達は敏感にそんな社会の歪みを感じ取り
将来に希望が持てなくなっている。
どこの誰がそんな将来に向けて目を輝かせて自らを成長させるだろうか。

馬を水辺に連れてくることはできても
水を飲ませることまではできない。
授業時間を増やしたり、徳育の時間を新設したりという
プロセスをいくら考えたって状況は変わるわけがない。
まずわれわれ大人が自らを律し、社会の価値を変えなければ。
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時間

2007-10-30 | 風屋日記
若い時代には

この時間がいつまでも続くような錯覚を抱いていたけど

それは意外にあっという間であることを

この歳になってつくづく感じる

・・・と昨夜学生時代の夢を見て思った。

たぶん60歳、70歳になった時にも

今この時を思い出して

同じことを思うんだろうなぁ。
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秋点描

2007-10-29 | 風屋日記
紅葉の赤ちゃん

紅葉の赤ちゃん


空と紅葉

空と紅葉
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ちょいとドライブ

2007-10-28 | 風屋日記
風邪もまだ直りきらず、しかも月末で昨日も仕事だったから、
今日の日曜はのんびり寝て過ごそうと思ってたんだけど、
天気もいいし、母ちゃんに誘われるままちょいとドライブ。

風景

まずは円万寺。
ここは我ら上根子神楽と同流の円万寺神楽の地元。
小高い丘の上にあり、とても景色がいい。
西側からの花巻が一望できる。

寺と神社

円万寺はもともと神仏混淆の修験の寺。
明治はじめの廃仏希釈によって神社と寺に分かれた。
その名残りで、寺(左)と神社(右)が一緒に建っている。
並んでいるってのは珍しいでしょ?

ウルシ

境内で見つけた漆の紅葉。
グラデーションがきれいだ。

    ◇     ◇     ◇     ◇

葛丸ダム

その後石鳥谷町へと北上し、
葛丸川渓流を農業用水ダムまでさかのぼってみた。
周囲の山々の紅葉は今が盛り。

1本紅葉

こんなモミジも見つけたよ。

母ちゃん

さっそく葛のツルを拾ってリースのベースを作り始めた母ちゃん。
枯れてドライ状態のいろんな枝や穂、そしてドングリなども
リースの飾り用として拾ってきたよ。
母ちゃんの幼稚園は山や林で拾ったものを使うことが得意。
もちろんこのリースも幼稚園のクリスマス用。
行ってみてよかったね(^-^)
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「真夜中の5分前」

2007-10-27 | 風屋日記
 本多孝好 著 新潮文庫 Side A・Side B 2分冊

書店で時間が許す限り本を漁るのは意外に面白い。
まったく存在すら知らなかった本との出合いがそこにはある。
しかも同じ本を前回は全く興味が湧かず手にすら取らなかったのに
今回は読みたくなって購入することもあるということが不思議。
たまさかそれが衝撃的な出合いとなることもある。

今週、ちょいと仙台へ日帰り出張をした時のこと。
たまたま仙台駅で20分ほど時間が空いたので
帰りの新幹線ででも読めそうな本を物色に駅構内の書店に入った。
この本はまるで私を待っていたかのように目の前に平積みになっていた。
実は前回の仙台出張時、同じ本屋で同じ本を目に止めている。
しかしその時は表紙を一瞥しただけで通り過ぎてしまっていた。
2分冊ながら「上・下」でも「1・2」でもなく「Side A・Side B」であり
そんな風に洒落た辺りがちょっと鼻についた感じがしたからだ。
しかし今回は手に取りパラパラめくってみた挙げ句、ふと買ってみたのだった。

書店で選んだ本には「買って失敗」ということが私にはあまりない。
たまに「なんじゃ、こりゃ」ということもないわけではないが
大概はかなり吟味して買うから。
読み終えた後、その本は以下の3つのどこかにカテゴライズされる。
 1 まぁ毒にも薬にもならず、時間潰しにはなったもの
 2 かなりのインパクトを感じつつも時間とともに忘れるもの
 3 いつまでも心に残り、時には詳細なディテールすら覚えていたり
  時にはあとでまた読み返してみるもの。
この本は1程度の感覚で買っのだが、実は3になりそうだ。
というより、かなりの衝撃的な出合い。

大学入学直後に軽薄な「生殖目的の」サークルに嫌気をさし、
同時に同じ気持ちを抱いて飛び出した女の子との2人の世界が
大して期待してもいなかった不毛な大学生活の中心となり、
そしてある日、突然その関係が断ち切られる。
そのショックで部屋に隠っていたところを友人に発見・連れ出され、
後はお決まりの遊び呆け、
相手を取っ替え引っ替え、女性関係に周囲から眉を顰められる日々。
その過去を踏まえて物語は始まる。
どこかで聞いた話じゃないか。
あの頃の私と物語が始まるまでのこの主人公「僕」との違いは
「僕」と彼女の関係が突然断ち切られたのは彼女の死であることと
その後「僕」が相手の女性達とフィジカルな関係を持てなかったことぐらい。
この物語は心に鎧を纏ったそんな「僕」の喪失と再生を描いている。
(もしかしたらもうひとりの主人公の女性の喪失と再生も)

「僕」が大学時代に彼女を失った場面を読み、
ふと柴田翔の「されどわれらが日々」の1場面を思い出した。
やはり主人公「私」が、恋人の突然の自殺を知らされた場面だ。
(以下、その部分を抜粋)

 そこで私は待っていた。
 優子の死が私の中へ激しい衝撃として拡がることを。
 (中略)
 だが、それはなかなかやってこなかった。
 真夏の中を日々は空しく過ぎていった。
 (中略)
 陸沿いに砂浜に戻った時、
 海と白浜は白昼の光の下に色を失って白々と果てしなく拡がり
 私は自分の中に決して悔恨が訪れないだろうこと、
 私の中で自己嫌悪が、罪の意識が、そしてそれとの闘いが・・・(略)

物語上のニュアンスは少し異なるものの、
彼女の死により鎧を纏った「僕」も「白々と拡がる海岸」を感じていた。
そしてそれが「僕」をフィジカルな女性との実感を拒否させたのだ。
私もあの頃「白々と拡がる海岸」を感じていた。
私の場合は誰彼をそこに引っ張り込み、甘え、身を委ねただけの
ただの意気地なしだったのだけれど。

「私」は婚約者に去られながらも自分の足元を踏み締める。
(というより、婚約者「節子」が再生していく)
「僕」はいろいろあって鎧を脱ぐことができ、
しかし今度はその生身の体にキズを負うこととなるが、
キズを負いつつ・・・いつの間にか彼は逞しくなっていく。
私はあの「白々とした海岸」からこれまで、どうやって生きてきたのだ?

それにしても、「されどわれらが日々」もそうだし
今までに何度も読み返したもう1冊「ノルウエイの森」(村上春樹)もだが、
なぜ私は「喪失と再生」の物語に惹かれるのだろうか。



[追記]
この作品を検索してみたら、直木賞候補だったんだねぇ。
どうりですっかり引き込まれた私は
記憶の押し入れの奥底にしまい込んでしまった
あまり日にも当たらないから色褪せてもいない思い出を
ぐいぐい引っぱり出しながら読んじゃったよ。
あえて名付けるなら「現代の『されどわれらが日々』」、
あるいは「自分で立てるようになる『ノルウエイの森』」かな。
この作家、初めて読んだけど、今後注目してみようか。
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絵、そして夢

2007-10-26 | 風屋日記
お袋と姪がイギリスから今日帰る。
留守中の実家には私が時々様子を見に、会社の帰りに寄っていた。
昨夜は最後の様子見訪問。

普段お袋がひとりで暮す家は家主不在で真っ暗だが
何しろ物心ついてから、大学時代を除き
結婚するまでずーっと住んでいた家だから勝手はわかる。
照明をつけ、郵便物や新聞を揃えて食卓の上に置き、
ぐるっと回って歩いて何も異常のないことを確認してから
ふと思いついて仏壇の前に座った。
私が生まれる前に亡くなった祖父母の写真、
親父の写真、そして亡くなった姪の写真を眺め、
不用心なので線香はつけずにチンとだけ鳴らした。

住宅街で幹線道路からも奥まっているために、
家の回りも、そしてもちろん家の中も異様なほど静か。
時計が時を刻むコチコチいう音だけが響く。
お袋はいつもこんな静かなところに、
たったひとりで亡くなった人達の写真とともに生きている。
確かに、たまにはどこかへ出掛けたくなるよな。
最後に居間をもう一度眺め回し、玄関で靴を履いた。

玄関の正面の壁に親父が描いたアジサイの油絵が飾ってある。
靴を履いたまましばらくその絵も眺める。
若い頃に結核を患い、何年も入院して手術で片肺を取った親父。
その後退院して教員に復帰してからも、家族を持った後も
病気や手術の後遺症でからだが弱く、
タバコも酒も、もちろん運動もやらなかった(できなかった)親父。
楽しみといえば本を読むことと、音楽を聴くことと、
そして絵を描くことぐらいだったろう。
青春時代も戦争に奪われ、自由な時代は病気に蝕まれ、
それでも人並みに仕事をし、家族を持つことができた親父。

親父の声が聞こえた。
「どうだ?仕事はうまくやってるか?」
「子ども達も大きくなっただろう。元気か?」
「幸せに生きているか?」
うん。とりあえず何の不満も不自由もない生活ができてる。
とりたてて名を挙げたり、金持ちになったりはしていないけれど
子ども達も自分の道を見つけようとしてくれているし、
3度の食事にはこと欠かない程度の収入も得ているし、
まぁささやかに幸せだよ。

私は静かに玄関を出、扉を閉めて鍵をかけた。

    ◇      ◇      ◇

ここのところ、もうこれは睡眠障害と言える状態が続いている。
妙な夢を見て1時間おきに目が覚める。
寝汗をかいているせいか布団も毛布も脇に退け
そのせいで体中が冷えてしまい、それで余計に目が冴える。
朝は時計で起きられず、
せっかく前日少し良くなった喉の痛みも鼻のグスグスもぶり返している。
昨夜の夢には親父が出てきた。
どんな展開だったのかは忘れたが、妙に懐かしい夢だった。

今朝の食卓で「寝汗をかいてて1時間おきに目が覚める」と言ったら
朝からモリモリ食っていた次男が
「あ、オレも暑くて寝汗かくからTシャツだけで寝てる」と・・・。
いやいや、暑くてかくのは寝汗とは言わないんだよ(笑)
屈託のない次男のボケのお陰で気持ちが楽になったな(^-^)

    ◇      ◇      ◇

さてお袋と姪は楽しい思い出をいっぱい抱えて帰ってきたかな?
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差別

2007-10-25 | 風屋日記
今日は色んなところからの検索がかけられそうな単語が
いくつか出てくる話題になるので、
ちょっと緊張しながらの記事のUPになる。

花巻市西部にある私が住む地域のことを
これまで私はあえて「地区(地域・コミュニティー)」と書いてきた。
が、ここに住む人達は自分達が住む地域を通常「」と言う。
ごく普通に、さも当たり前のことのように。
それは「集落」と同義語として扱われているだけであり、
別にこの地域が何かしら特別な地域なのではない。
いやそれどころか、花巻市郊外に拡がる田園地帯に住む人達はみな
同じような感覚で自分の地域を「おらほの」と言う。

正直言って
「」という言葉が地方によっては特別な意味を持つことを
恥ずかしいことに私はほんの10年ほど前まで知らなかった。
少なくとも私が知る限りにおいて
花巻市内、いや岩手県全体を見回しても、
そういう特殊な意味の「」ということばを使うところはない。
被差別や差別される人達がいないのだ。
だからいまだに何で差別されているのか理解することは大変難しい。
まぁ蝦夷の時代や戌辰戦争の頃の南部版の時代から
岩手の人全員が差別されてきた歴史を持っているとも言えるので
ここ全体が被差別なのかも知れないが。

ところで岩手を代表する食べ物のひとつに盛岡冷麺がある。
これは終戦直後に盛岡に住んでいた在日朝鮮の方々が
生活のために飲食店を経営し、そこで名物となったことが始まり。
盛岡の人達、その後岩手県全体の人達が冷麺を好み、
みんなでそういう店に食べに行ったことが今につながっている。
そこには在日の方々への差別の意識は一切ない(と思う)。
今思い返してみると、私が小学校、中学校時代も
学年には何人か、すぐわかる在日の同級生達がいた。
だからといって(これまた少なくとも私が知る限りにおいては)、
彼らをスポイルするような言動も事件もまったくなかったと思う。
そういう意味では無神経だったとも言えるのかも知れないが、
でも私は友人たちの中にそういう同級生達がいても
今思い返さなければ気がつかないほどに
別に気にもしなければ、気を使うことも全くなかった。
今もそうだけど。

「国境のハーモニカ」池永陽 角川文庫 539円 を読んだ。
実はこれは以前単行本で読んだ
「アンクルトムズ・ケビンの幽霊」(角川書店 1,365円)
を改題した文庫版だったことにすぐに気づいてがっかりしたのだが、
それでも以前と同じように最後まで夢中で読んだ。
在日女性に対する痛い思い出を持つ冴えない中年男の話。
私は差別する側も、される側も経験したことがないので
そういうものなのか・・・と前回は読み流しただけだったけれど、
今回は「もしかしたら気づかないうちに差別してたのかもしれない」と
ふと背筋が寒くなるような感覚を抱いた。
それって、もしかしたら一番残酷な仕打ちだよね。
これまでの人生で一度もなかったらいいと願うしかないのだが。

昔読んだ遠藤周作の「白い人」の中に
「フランス人は人種差別はしない。『区別』する。
 差別はまだ相手を人間として認めているが・・・」
という一節があったように思う。
遠藤周作が留学した当時のフランスがどんなだったのか
本当のところはわからないけれども、
同じ人間を差別するというのは自分のコンプレックスの裏返し。
する方もされる方も、とても哀しいと私は思うのだ。
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風屋の「正しい岩手弁講座」省略語編

2007-10-24 | 風屋日記
半年に一度のペース(?)で続いているこのシリーズ。
本シリーズの過去ログは、左の検索欄を使い
「岩手弁」のワードで検索をかけるとすべて出てくる。
今日は省略した使い方のおベンキョー。

●「どサ」「えサ」
ある意味、東北弁のスタンダード。
「どこに?(行くの?)」「家に(帰るところ)」という会話。
でもこれは誇張表現でも何でもなく日常的なデフォルト。
特に「どサ?」は挨拶代わりによく使われる。
挨拶代わりだから「いやちょっと市役所に行って・・・」などと
真剣に答える必要はない。
ま、せいぜい「ぺっこ用足しサ」ぐらいでOK。
相手もあなたの行動をそんなに逐一知りたいとは思っていない(笑)
例題としては「家サ」Ver.と「湯サ(温泉に)」Ver.がある。
ちなみに一番短い会話例は「け」「く」。
「食え」「食う」であることは言うまでもない。

●そんで
意味は「Good bye」。
「そんで、まんつ(それでは、まず)」と言うこともある。
直訳すると「それでは」になるが、言い方を変えると「左様なら」。
そのままズバリ「さようなら」だ。
「そんで」の後に「元気で」と続くとすれば
もしかしたら「Good bye」より「Good luck」の方がピッタリ?
タイ語で言うところの「チョークディ(幸運を)」という感じかな。
ちなみにこの言葉、私が高校の頃なぜかやたらと流行った。

●なんも
実は今日この話題にしようと思ったのは、
「なんも」が朝日新聞の声の欄に載っていたのを読んだからだ。
例えば一人暮らしのお年寄りの家の雪かきをしてあげると
「あんやー、どもありがどがんしたー」とお礼を言われる。
返す言葉は「なんも」あるいは「なんもね」。
「何ともない」とか「たいしたことじゃない」とでも訳そうか。
こればかりは英語の「You're welcome」とは意味が違う。
やっぱりタイ語の「マイ・ペン・ライ(気にすんな)」がぴったり。
声の欄に投書していた岩手出身の看護士さんも書いてたけど
本当にいい言葉だと思うよ。

●番外編
 ・「ありがどあんした」
  なんとこれが「こんにちは」代わりに使われる。
  「いつもありがとう」を略したものだと思われるが、
  朝バッタリ出会った近所のお婆さんに「あヤ、ありがどがんしたー」と
  突然言われると「え!?何かしたっけ?」と戸惑うこともしばしば。
 ・「いだっか?」
  これまた挨拶だが、こっちはよその家を訪ねた時のかけ声。
  「誰かいますか?」ではなく、よく知っている人、例えば
  「とぉさん(ご主人)いだっか?(いますか?)」みたいなニュアンス。
  何しろ「外出時には鍵をかけようキャンペーン」が行われる土地柄(笑)
  「こんにちは」でもなく「お邪魔します」でもなく
  ひとこと「いだっか?」で済むコミュニティーは心地いい。

さて岩手では今「芋の子汁(イモノゴズル)」の季節真っ最中。
(「芋の子」とは里芋のこと)
北上市二子地区で取れる粘り気の強い里芋(二子芋)と
ささがき牛蒡と銀杏切り人参にネギが入り、
ボリ(ナラタケ)またはアミノメ(アミタケ)でダシを取る。
鶏肉に醤油味もよし。豚汁のように豚肉に味噌味もよし。
芋の子もさることながらキノコの季節でもあるからこそなのだが、
キノコ取りに行く時は「どサ?」と問われても
「キノゴ取りサ」なーんて答える人はまずいない。
取りに行く場所は人それぞれ穴場を持っているからね(^-^)
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秋の色 vol.4

2007-10-23 | 風屋日記
秋の朝日

朝6時過ぎ、秋色の朝日が登る。
実際にはもっとオレンジがかっていて、
「柿の実色した火曜日」
(このフレーズはわかる人にはわかる 笑)

植木紅葉

ここはいつもモグと歩く朝の散歩コース。
いつになく暑い夏のあと急に冷え込みが来たためか
例年よりも紅葉の色が鮮やかに見える。

    ◇      ◇      ◇

風邪がますますひどく、思考力が落ちているみたい。
本当は
「業者にタカリの防衛省元キャリア組幹部」だとか
「あんも餅もリサイクルの老舗お菓子屋さん」だとか
「そこいらの鶏に勝手に名前をつけてた秋田の鶏肉屋さん」だとかは
すべて「理念・哲学」が欠けた方々が巻き起こしたことであり、
遠因には「他人を押し退ける」知識偏重の詰め込み教育があると思われ、
考える力を育てるための「総合学習」「ゆとり教育」「ゆとり時間」と
何よりも読書の習慣を身につける必要があろう・・・
なーんてことを書こうと思ってたけど、
頭がうまいこと回んないから、今日は写真で誤魔化すことにした(笑)

あーぁ。ゲホゲホ・・・。
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風邪

2007-10-22 | 風屋日記
冷たく寒い雨の月曜日。
久しぶりにかかった風邪がひどい。
体が重く、ボーっとして熱がありそう。
今日は会議デーなんだけどなー。
明日は仙台へ出張なんだけどなー。

写真は会社近くの新幹線の高架。
朱に染まったツタの造形。
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日曜雑記

2007-10-21 | 風屋日記
小選挙区実施により二大政党制が進んでいるけれど、
自民党は海の上でガソリンスタンドをやりたいらしいし、
民主党は兵隊さん達をアフガニスタンに送りたいらしい。
どっちもどっちって時はどーすりゃいいの?
YES or NOじゃないと選びようがないよ。
だから二大政党制には反対。
・・・と朝の関口宏さんの番組を見て思った。

昼間は六大学の試合をスカパーで見ようと思ったら、
なーんだ東大-立教は放送してたのに
肝心の第二試合の明治-法政の中継はないのかよ。
仕方なくしばし昼寝を決め込む。

ドーミレドシラシドーソ ドーミーソー ファミレドシドミーレ・・・
覚えてるもんだね、コールユーブンゲン。
久々で歌ったな、母ちゃんのピアノに合わせて。
あ、別に仲良く音楽会をしたわけじゃないよ。
母ちゃんが仕事絡みで久々にピアノの練習していて、
「あー久しぶりだと指が動かない」と言うもんだから
ちょいと練習につきあってのさ。

と書いているところへrinrinさんからメール(@o@)
え!?今いらっしゃるの? あらー、玄関先片付けなきゃ(^^;

・・・という間においでになり、お米もらっちゃった。
実はお米をいただくのはわが家では一番ありがたいのでした。
これで年末年始に長男が帰ってきても大丈夫(^-^)
本当にありがとうございました。
初めてお会いしたrinrinさんとご主人は
とても真面目そうで素敵なご夫妻だったなー。
おちゃらけわが家とはちと違う感じ。
私も母ちゃんもボチボチいい歳、かくありたいものだ。


久しぶりに風邪をひき、体調イマイチだったけど
最後にとてもうれしい出合いがあった日曜日。
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ツタ

2007-10-20 | 風屋日記

街も色っぽく秋化粧。
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プロ野球考

2007-10-19 | 風屋日記
昨夜はプロ野球のクライマックスシリーズを楽しんだ。
帰ったらもう試合の後半だったから
ダルビッシュと成瀬のガチンコ勝負は見られなかったけど、
それでも1球1球面白かったよ。

昨日は日ハム-ロッテのパ・リーグと巨人-中日のセ・リーグの
両方ともテレビ中継があったけれども
私も、そして勉強そっちのけで早く帰って来た次男も
興味を持ったのは9:1ぐらいの割合でパ・リーグの方だった。
阪神が出られなかったからだけじゃないよ。
もしセ・リーグが巨人-阪神だったとしても6:4でパ・リーグだったな(笑)

我が家ではスカパーのプロ野球セットを契約しているので
普段やってるプロ野球全6試合ともどこかのchで見ることができる。
今年はあまり見ていないけれども、見る時はいつもパ・リーグだった。
それほど最近のパ・リーグは面白い。
主力が抜けても結果を出した日ハムの明るさと積極性。
若い選手が伸び伸び野球を楽しんでいる印象のロッテや西武、
高校を卒業したばかりの若いスターがチームを引っ張って成果を出した楽天、
若い投手陣が踏ん張り、重量打線が火を拭いたソフトバンク。
私的にはオリックスの印象が薄いけど、
でも即レギュラーを取った六大学から入った新人の大引のプレーは見たい。

一方セ・リーグは、若い選手も出てきているけれど
やはり中心はよく知った顔のスター選手たちという印象を受ける。
確かに高橋由伸や、赤星、谷繁、ラミレス、嶋、藤川など
お客を呼べる束らしい選手たちはたくさんいるし、
金本、前田、工藤のようなベテランや、青木、鳥谷などの若手もいい。
でもパ・リーグに比べて色褪せて見えるのはなぜ?

個人的な印象だけどね。
テレビ中継の影響なのかわからないけど、
セ・リーグってのは「勝ってナンボ」の印象がある。
選手のプレーに驚嘆したり、野球そのものを楽しむよりも
勝たなきゃ意味が無い・・・みたいな。
それにもうひとつ。
どうしても親会社や関連会社などの企業が目についてしまう。
日テレによる中継は思いきり関連会社の巨人よりだし。
それに比べてパ・リーグは地域に密着していて、
その人達による熱狂的な応援もまた楽しかったりするのだ。
チームの名前に地域名がついて無いのは西武とオリックスだけ。
あとは北海道、東北、千葉、福岡と全国各地の地域名がついている。
その辺がメジャーリーグみたいだよね。
そういうところがとても好ましく感じるのだ。

日ハムのダルビッシュや森本、ロッテの今江やTSUYOSHI、大松、
ソフトバンクの和田や川崎、西武のおかわり君、中島、銀二朗、
楽天のマーくん、嶋などなど、
若い選手たちが活き活き、伸び伸びプレーしているのを見ると
何だかこちらまで嬉しくなってしまう。
これは私がおじさんになったからだけでは無いと思うよ。
だってうちの次男坊も、
セ・リーグの選手達より彼らを身近に感じ、とても憧れているから。
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2007-10-18 | 風屋日記
栗駒1

栗駒2

この前の日曜日に母ちゃんが撮ってきた写真。
岩手、秋田、宮城の3県にまたがる栗駒山だ。
(岩手での呼び名は須川岳)
昭和池を望んで、辺りは紅葉真っ盛り。
この写真が「5時間歩いたぜ!!」の成果だな(笑)

今朝の花巻は初霜が降りていた。
3日前の月曜には岩手山が初冠雪。
毎日少しずつ秋は深まる。
もう1カ月もすれば初雪の季節だ。
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いわての厳選食材パーティー

2007-10-17 | 風屋日記

以前話題にした「厳選食材図鑑~岩手~」が大好評だったらしく、
今度はこの本を下敷きにしたディナーパーティーが開かれる。
題して「~食の宝庫~いわての厳選食材パーティー」。
チラシのボティーコピーには

 全国の料理人をうならせた岩手の厳選食材に
 “食の本場”大阪のイタリアン、フレンチの
 超人気シェフ8名が腕をふるいます。
 今宵限りの極上の料理をご堪能ください。

と書いてある。・・・なるほど。

腕をふるうというカリスマシェフを抜き書きしてみると
(何せ食に疎い私は知っている店・人がなかった ^^;)

 萬谷浩一氏 仏料理「ラ・トォルドトゥーガ」オーナーシェフ
 高島朋樹氏 伊料理「イル・チプレッソ」オーナーシェフ
 中  博氏 仏料理「ラ・フュージョン」オーナーシェフ
 古田 剛氏 伊料理「アバッキオ」オーナーシェフ
 大垣裕康氏 仏料理「ヴレ・ド・ヴレ シェ・ヒロ」オーナーシェフ
 新屋信幸氏 直島ベネッセハウス「テラスレストラン」総料理長
 水口一義氏 ハウスウェディング「(株)エスクリ」調理部門統括
 楠田裕彦氏 自家製ハム・ソーセージ専門店「メツゲライ クスダ」オーナーシェフ

という名前が並んでいる。見るからにお歴々(^^;
チラシの裏には当日のメニューも並んでいて
これもここに写そうと思ったんだけど、
何せ横文字ばかりでどんな料理か想像もつかず(笑)諦めた。
だって「短角牛のアラモード」なんて想像つく?
「エテュヴェ」だとか「ビアンコマンジャーレ」なんて
単語の意味すらわかんないし(^^;
ま、興味をそそられる方はぜひ参加してみて下さいまし。
料理はわかんないけど、
白金豚や短角牛、ホロホロ鳥、舞茸などが食べられるらしいよ。

 期日 10月29日(月)18:30開場 19:00開演
 会場 ホテルメトロポリタン盛岡NEW WING 4F
 ビュッフェスタイル(白・赤ワイン、ビール付き)
 会費 12,000円/人
 主催 山口北州印刷株式会社(食材図鑑版元)

※問合せ先:山口北州印刷 食材図鑑編集部
      Tel 019-641-0585(代表)
      E-mail plan アットマーク hokushu.com
コメント (2)
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