風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

11月が終わる

2019-11-30 | 風屋日記
季節的にはこの時期が一番辛いのかもしれない。
寒さに体がまだ慣れておらず、
これからやってくる本格的な冬を想像したり、
日に日に日照時間も短くなってきたりして、気が滅入る。
今年ももうあと1ヶ月と思うと焦る気持ちもある。
12月に入ってしまえば、
冬至を境に少しずつ日が長くなってくるし、
クリスマスや大晦日、正月は特別何をしなくても気持ちが上がる。
1〜2月は寒いながらも、新年から早春にかけてのイベントもあり、
春を待つ気分になってちょっと嬉しい。

今年は独立して初めてエポックメイキング的仕事がなかった。
もちろんたくさんの方々のおかげで仕事に恵まれたし、
楽しい仕事ももちろんあったけど、
正直言って、いろんなことに振り回された1年でもあった。
自分がなすべきことは何か、やりたいことは何なのか、
ちゃんと考えるべき時に来ているのかもしれない。
特に今年後半期はけっこうしんどい時期が続いている。
一時期はもうこの仕事は続けられないかなと思ったこともある。
まるで季節とリンクしているようで、気が滅入る。

いろいろ抱えすぎてやりたいことまで手が回らず、
「多方面への仕掛け」について、「待ち」の状態も続いている。
プライベートでも深刻な心配事がある。
公私ともに今が冬至の時期か。
どれかひとつでも動き始めれば、状況がわかってくれば、
忙しさとともにたぶん気持ちも前向きになるだろう。
それまでは寒さに耐える。
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霜の朝

2019-11-29 | 生活の風景
    霜   
地はうつくしい気持ちをはりきって耐(こ)らえていた
その気持を草にも花にも吐けなかった
とうとう肉をみせるようにはげしい霜をだした
                <八木重吉>






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グリップ装着

2019-11-28 | 生活の風景


OLYNPUS OM-D EM10 MarkⅡは
コンパクトなサイズでそこそこ品質の写真が撮れるから
とても重宝しているのだけれど、
コンパクト過ぎておっさんの大きな手では扱いにくい。
ってことで、ネットで専用グリップ(非純正)を購入して装着。
いいねぇ。しっくりくる。
少々重くはなったけど、それが逆に安定感につながっている。

問題は素材。
アルミ製なので、この季節以降はとにかく冷たい。
握った瞬間に体がブルっとなるほど。
できればウッドグリップが欲しいんだけどなー。
この機種には作られてないのかなー。
自家製で作れないかなー。
このままでも、何か巻けばいいのかな?
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森のシナプス

2019-11-27 | 生活の風景
すごい話を聞いた。

森のブナの木は根が浅く、脆い。
大風で簡単に倒れてしまう。
倒れたブナの木には
すぐにキノコがたくさん出てくるという。
どうやら森の張り巡らされたキノコの菌糸網が
「あそこの木が倒れた」と情報を伝え
菌糸たちがそこに集まってくるのだそうだ。
まるで脳内のシナプスが繋がるように。

アメリカの研究で
同じDNAを持つキノコが
9キロ平米、推定総重量600tで発見されたという。
それだけ広く、大きく菌糸が広がった証拠。
地球上最大の生命体とも言えるという。

自然をコントロールしようというのは人間の欺瞞。
その規模や力は人知の遥か上をいく。
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視点

2019-11-26 | 世界・平和
日本は島国だ。
たくさんの島が海に浮かんで日本を形成している。
ユーラシア大陸だって、アメリカ大陸だって巨大な島だ。
地球は大海原の上に
大小たくさんの島が浮かんでいる星だということができる。

一方で、島と島とは海底でつながっている。
日本と大陸だって、水の中を行けるなら歩いてでもいける。
地球は大きな土の星で、
そのくぼみに大きな水溜りがあるのだと考えることもできる。
太平洋も、大西洋も巨大な水溜り。

視点を変えることで、物の見方は大きく変わる。
私の親父は死ぬまで若い頃からの病気を苦にしていたが
その病気がなければおそらく兵隊に取られて戦死していただろう。
私は大学受験の際、希望する大学にことごとく落ちたが
その結果入った大学で得難い友人たちを得ることができた。

禍福は糾える縄の如しと言うけれど
視点を変えるだけで、受け取り方も考え方も大きく変わる。
アメリカや韓国、ロシアの大統領も、
日本やイギリス、イスラエルの首相も、
中国や北朝鮮の主席も、そしてたくさんの日本人たちも、
固定化した視点でしかものを見ていないのではないか?と
自らを振り返ってみる必要があると思うのだ。
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スポーツ中継

2019-11-25 | スポーツ

東スポ(笑)とはいえ、こんな記事が載っていて同意。
以前も↓こんなブログ書いたけど


スポーツ中継に芸能人は必要なのだろうか。
そうでなくとも最近のTV番組は出演者がどこも同じ。
多数の芸人に数人のアイドルや若手役者が出てきて
クイズやったり、くっちゃべったり、
果てはどうでもいいことに体張って笑いをとったり。
出演者でスポンサーが取れれば内容なんてどうでもいい感じだ。
たまに骨太の番組もあるからTVは見てるけど
ことスポーツ中継に限って言えばそんな演出は邪魔なだけ。

ラグビー日本代表選手たちも
毎日のようにあちこちの番組に出ていてタレント扱い。
彼らにしてみれば、ラグビー人気を確固たるものにするために
人身御供になってる感じなのだろうけど
正直言ってここまでくると痛々しくて見ていられない。
本の世界もだけど、売れりゃなんでもまかり通る風潮は
日本人の思考力を奪ってるとしか思えない。

ラグビーにも、バレーボールにも、野球にも
そしてフィギュアスケートにも芸能人はいらない。
私たちは人並みはずれた能力を持つアスリートたちの
全身全霊をかけたパフォーマンスが見たいのだから。
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新穀感謝祭

2019-11-24 | 神楽・芸能


昨日は毎年恒例の新穀感謝祭。
英語で言うところのThanks giving Dayだ。
もともと「勤労感謝の日」とは、単なる労働への感謝ではなく
労働の対価として神様からいただいた収穫に感謝する日。
特に今年は大嘗祭が行われたということで
全国の神社で「大嘗祭奉祝新穀感謝祭」が行われたとのこと。
自然神に、具体的には豊穣をもたらして山へ帰っていく
「山の神」への感謝を捧げる行事となる。
我々神楽衆も、式のお手伝いと権現舞を奉納。

上根子熊野神社では昨年から神田でもち米を作ってきた。
昨日は直会でさっそくそのもち米でつくった餅をいただいた。



神様からの恵み・・・美味しい(^^)
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花巻シニア大学創立50周年

2019-11-23 | 生活の風景


昨日はこの記念式典と祝賀会に参加。
学生になれるのは60歳からだから、学生としてじゃないよ。
60周年記念誌の編集をお手伝いさせていただいたので。
ほとんど本を作ったことのない編集委員の方々は
本当に大変だったと思う。
私もほぼ1年かけてのお手伝いは結構しんどかった。
昨日ようやく完成本見て、
思い通りにならなかった部分や反省点もたくさんあるけど
とりあえず間に合い、皆さん喜んでくれて良かったな。

シニア大学の学生の方々はとてもパワフル。
歳を重ねてもポジティブに、アクティブに生きている。
高齢化社会と言われるけど
ネガティブなことばかり考えても仕方ない。
「学ぶ=生きる」を実践しながら日々新たに生きること、
それが生涯学習じゃないかな。
記念講演会で東洋大学名誉教授もそういう話。

場所は花巻温泉。
紅葉がとてもきれいだったので、
会場に使う前にあちこちでパチリ。





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ギター遍歴

2019-11-22 | 音楽
中学の頃はフォークが大流行り。
みんな1万円〜1万5千円ぐらいの
ヤマハやモーリスのフォークギターを買っていた。
当然自分も欲しくなる。
ってことで親父と一緒に買ったのは当時破格の3万円した
K・CountryのD-300というギター。


  • ポジションマークがみんなのギターのようなドットではなく
スノーフレークってとこと白いバインディングが気に入っただけで、
音なんざ当然わからなかったけど、今弾いてみると結構鳴るギターだ。
死んでしまった親父に買ってもらったというだけで手放せず
事務所の一角にかけてある。

しばらくブランクがあり、
30も超えてからエレアコという楽器を知ってまた目覚めた。
東京出張時、ふと立ち寄った御茶ノ水の楽器屋で
中古のOVATION N868-7Qを見つけてしまったのだ。



メイプルの美しいバーズアイ。
アコギとは思えないほど薄いスーパーシャロウボディ。
木が埋め込んであるポジションマーク。
何種類かの木材で飾られた、ピックガードを兼ねたエポーレット。
握りやすい太さと薄さのネック。
いまだに最も美しいギターだと思っているのだが
使う場面があまりなくなり、数年前に売ってしまった。

「バンド演ろうぜ」という話が持ち上がり
エレキギターを買わなければならないと選んだのは
Fender JapanのTL52NA


なんかね、ナチュラルカラーが好きなんだ。
これもネックが自分好み。
回路がシンプルで、使いやすかった。
↓のギターを買わなければずーっと持っていたと思うけど
唯一、3連のブリッジが気に入らなかったんだよなー。

テレキャスターを売っぱらったのは
Eric Claptonが使っていたGIBSONのバードランドの
ファットでメロウな音に憧れを抱いたから。
ってことで、試奏もしないでネットで買ったのがGIBSON ES135。


買ったとほぼ同時にテリー売っちゃったんだけど、すぐに後悔した。
とにかく重くネックが極太、バードランドとは似ても似つかぬ音。
こりゃ自分が使うギターじゃないと
一度ライブで使ったきりお蔵入りし、数年で売っぱらった。
それ以来、エレキギターは持っていない。

今使っているのはTAKAMINE PYU431K N。



ボディシェイプやルックスと、ハワイコナボディの音と、
手にしっくりくるネックが気に入った。
フィンガーピッキングの場面が増えたので
OVATIONじゃないと思ったんだよね。
小ぶりなサイズで持ち運びも楽だし、
ヘッドとペグの形状が独特で軽く、バランス抜群だし
これが今のところお気に入り。
アコギはしばらくこれ1本で良い。

現状エレキも使う予定がないから物色してないけど
もし必要な場面が来たら、たぶんまたテリーだね。
理由はTAKAMINE同様、取り回しの良さと細いネック。
一応、今度はちゃんと触ってみて選ぶけどね。
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写真

2019-11-21 | 文化



そこにあるものを、あるがままに写すなら
もしかしたらスマホが一番きれいに撮れるかも知れない。
しかし、天候や時間帯により様々に変化する画質を考えたり
被写体に生命を吹き込むように仕事で撮りたい時は
私はやはりちゃんとカメラを使う。
ミラーレス一眼は小さくて持ち運びも楽だし取り回しも良い。
なによりも、ファインダーで写る通りに確認できるのが
素人にはとても助かるのだ。
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「春と修羅」より

2019-11-20 | 文化


宮沢賢治さんの弟、清六さんがお元気の頃に
私が書いてもらった色紙。
仲が良かったウチの親父は確かもう亡くなっていた。
亡き文芸仲間の息子にも目をかけてくれていた
優しい清六さんだった。
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艦砲ぬ喰ぇー残さー

2019-11-19 | 音楽

「艦砲の喰ぇ残さ」とは艦砲射撃に食い残しという意味。
生き残った人たちは自分もあなたも
艦砲射撃に食い残された身と自虐的に哀しく歌う歌だ。
メロディーそのものはメジャーコードで
淡々と歌うからこそますますその哀しみが聴く者の胸を打つ。

独立国家だった琉球王国は日本に併合され、
太平洋戦争が始まると日本国から捨て石とされ、
壮絶な沖縄戦を辛くも生き残った人々は、
棄民ともいうべきアメリカの占領下で基地として土地を取られ
家族を探しつつ、食べるものもない必死の暮らし。
ようやく25年経って日本に「復帰」したものの
基地は無くならず、いまだに占領下のような立場だ。
明治の頃の扱いとなんら変わっていない。
それでもウチナーたちは、自分たちの文化を大切にしながら
たくましく生きている。

今回焼けた首里城はそんなウチナーたちの心の拠りどころ。
単なる歴史遺跡の復刻でもなければ、観光施設でもない。
いはばウチナーたちのアイデンティティだ。
しかし、モノは焼けても肝心までは焼け落ちていない。
沖縄の文化に敬意を持ちながら
そんな人々に私は寄り添っていきたいと思う。

この曲、風音★楽団でできないかな。
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集中と安寧

2019-11-18 | 風屋日記

たぶん私はADHDなのだと思っている。
子どもの頃の集中力のなさや自分勝手な行動、衝動的な失敗など
思いつくことは全てその症状にそのまま当てはまる。
もういい歳になっているが、
それでもまだ確固たる精神の安定を保つことができず
感情の揺らぎは(昔ほどではないものの)ある。

小学校の頃はあまり覚えていないが
中学校から大学に至るまで(受験勉強も含む)
集中力が続かずまともに勉強らしいことはできなかった。
ただ(これはある意味コンプレックスなのだが)
勉強でも仕事でも、パッと見て全体像を把握すれば
ある程度のことは理解でき、考えれば解決できる問題は解けた。
(暗記や特別な知識が必要なことは絶望的に苦手だった)
だからまぁそこそこのことはできてしまっていたし
それはたぶん今も変わらない。
学生時代と違って、決まったレールに乗っかった授業がなく
もともと興味の範囲が広かったので、
今は逆にそれが大いに仕事に役立っているなぁとは思っている。

中学時代から今に至るまで
唯一集中力が無理なく続き没頭することができるのは
本を読むときと、何か文章を書いているとき。
時間を忘れて読むこと、書くことに集中できるし、
その間だけは心の安寧も得ることができる。
集中力と安寧は、もしかしたらセットになっているのかも知れない。

こんな集中力と安寧が学生時代(せめて高校時代)にあったら
と思うこともあるけれど(笑)
自分の脳の特性というか、個性として受け入れるしかない。
どんなに長くても、もう20〜30年しかない人生。
「自分」を自分で受け入れ、生かしていこうと思っている。
だから今さらADHDかどうかの診断も受けるつもりはない。
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紅葉の年代

2019-11-17 | 生活の風景



かつて、紅葉には興味がなかった。
葉が赤や黄色に染まっているのを見ても
「たかが枯れかけの葉っぱだろう」
と歯牙にもかけていなかった。
それはたぶん、今思えばだけれど
当時の私は、人生の中で花や若葉、緑葉の季節を
生き生きと過ごしていたからだったのだろう。
春から夏へ、木々の風景に
自分のエネルギーを投影していたのかもしれない。

今この歳になるともう人生も紅葉の季節。
散り際の潔さと美学を自分ごととして捉え、
自然の錦が美しいと足を止め、愛でることができている。
私の紅葉は今が盛りなのかもしれない。
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ブログ

2019-11-16 | 風屋日記
ここを始めたのは2004年8月。
それ以来、時々諸般の事情で休んだものの、
基本的には毎日更新を続けている。

始めて以来の累計で、のべ約390万pv、のべ90万アカウント。
毎日だいたい平均して2000pv、400アカウントを数える。
これ、本だったら大ベストセラーだなぁ(笑)
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