風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

花巻みらいチケット

2020-05-31 | マチココ


全国的に緊急事態宣言が解除され
あちらこちらで社会が動き始めています。
とはいえ、この約2ヶ月間の経済の停滞は
日本の産業に大きな傷を残しました。
廃業や倒産に至ってしまった企業や店舗、
職を失ったたくさんの人々・・・。

1地方都市である花巻の、
しかも民間ベースのささやかな取り組みではあるけれど
いったいどれだけの支援につながるのかわからないけれど、
黙って見ていられず動き出した私たちの花巻みらいチケット事業は
少しずつ、少しずつ、お金を参加企業に渡せています。
私たちの取り組みは焼け石に水かもしれません。
でも私たちは手を拱いて見ていることはしたくない。
私たちができることをほんの少しでもしようと思いました。
6月に入ると、これまで閉まっていた観光施設も、公共施設も
だんだん自粛が解除されて行くと思いますが
だからといって、すぐ一朝一夕に元に戻るわけじゃない。
それどころか、この2ヶ月に抱えた負担がこれから重くのしかかり
逆にこれからの方が厳しい状況になりそうです。
だからこそ、
「いま私たちができること」の支援をますますよろしくお願いします。
花巻みらいチケットは6月いっぱいまで販売を続けます。
お問い合わせはFBイベントページから。


参加店舗は以下の通りです。
チケットをご購入希望の方は各参加店舗か
どの店舗の分も購入できるご協力店様
(ゲストハウスmeinn、Litworkplace、茶寮かだん)
にてお買い求めください。
遠方の方は下記購入申込書を記入し、写真でもpdfでも
直接メッセンジャーかメールにてお送りください。

mail:kazeya.kitayama★gmail.com(★を@に)


よろしくお願いします。
(machi R&E 一同)
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人として

2020-05-30 | 文化
海援隊の歌の話ではない(笑)

さすがにこの歳になるとそんな話題にもならなくなったが
以前時々「どんな異性に惹かれますか?」と聞かれたことが何度かある。
もちろんそれは私の好みの女性に興味があるのではなく(^^;
異性愛者の男性一般論として「どんな女性に魅力を感じるのか」という
女性サイドからの興味によって尋ねられたのだ。

「どんな人に魅力を感じると思いますか?」と逆に尋ねると
「若い人」「かわいい人」「女性らしい人」「料理が上手な人」みたいな
いかにもステレオタイプな返答が大体返ってくる。
あるいは「髪が長い人」とか「スタイルがいい人」とか「小柄な人」とか
主に容姿のことについての返答が来ることもある。
でもね、たぶんそれは女性自身がなりたい姿。
男性といっても好みはいろいろだから一概には言えないけれど
そういう人に魅力を感じる人は決して大多数じゃない。

私に言わせると、年齢や容姿や体型などどうでもいい。
こんな年齢の私だが、同年代や年上でも全く気にならない。
(女性にはいくつになっても美しい人がいる)
まず惹かれるのは凛としている人。
あるいは凛としていようと努めている人。
また自分の弱さは弱さとして自覚し、それも自分と納得している人。
自分を実態以上に飾らない人。
よく笑う人にも惹かれる(私は笑顔フェチ)。
フットワークがいい人。
自分で考え、自分の言葉で語れる人。
それらはすべて兼ね備えている必要はない。
どれかひとつでも目に止まると、注目して見てしまう。
重ねて言うが、そのどれかでも感じる人がいたら
私よりはるかに歳上だろうが歳下だろうが、
髪が長かろうが短かろうが、背がたかろうが低かろうが、
料理が上手だろうが苦手だろうが、
まったく問題にはならない。

女性の方々にはここで考えて欲しい。
そういう人って女性から見ても魅力的じゃない?
おそらく感じる魅力ってのは同じなんだよね。
表層的なことよりも、大事なのは本質。
表だけ飾っても、中身がなければ魅力にはならない。
もちろんそれは男性も同じだと思うんだよね。
というか、人としての魅力の話かな。
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一服

2020-05-29 | 生活の風景

動きたくなくなるぐらい
居心地の良い陽だまりのスタジオ。
(ここはスタジオでいいですよね?)
葉桜の木陰になっている外のデッキを眺めながら
アナログレコードでマイルスデイビス。
「マイファニーバレンタイン」を聴きながら
ゆったりといただくコーヒーの旨さ。
カップも良い。
日曜日の至福の時間。
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神崎みゆき

2020-05-28 | 音楽

1970年代前半
世の中はフォーク全盛期で、拓郎やかぐや姫が流行っていた。
そんな中、リリカルな詞とポップで優しいメロディ、
中性的な声とビジュアルでひっそり歌っていた神崎みゆきを
知っている人はどれだけいるだろうか。
まだまだ男は男らしく、女は女らしくという前時代的な風潮の中
その存在はそれほどメジャーに知られることはなかった。
「ゆう子のグライダー」が印象に残っている程度か。

そんな彼の「公園通りの情景」が
いまだに耳に残っていて、ふとこのCDを買う気になった。
そこそこ知られたフォークグループとんぼちゃんがカバーしていて
どちらかというとそっちの方が知られているかも知れないが
私自身は神崎さん本人の歌の方が印象に残っている。
TVで、おそらく数回しか見たことがなかったと思うのに
いまだに歌詞を見ないでフルで歌えるほど印象的だった。
アルバムを聴くと、他にもいい歌がたくさんあるなぁ。

ちょっと調べてみたら、高校生の時にデビューし。
「ゆうこのグライダー」がヒットした後、
20歳ごろにはもうメジャーなステージからは身を引いていたようだ。
2015年に亡くなっているとネットに出ていた。
今の私と同じ年齢。
亡くなるまでは「みゆき楽団」というバンドを率いて
宮沢賢治さんの作品にメロディをつけて演奏したりしていたらしい。
本業は何だったのかわからないけど、
最後まで歌っていたことを知り、なんだか嬉しくなった。
もちろんその嬉しさの中に少し哀しさもある。

70年代前半に作られた彼の詞とメロディーは
2020年の私の耳にもノスタルジーとともに届いている。
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わらび餅

2020-05-27 | 食べ物・お店

先日のプチ旅のお土産はこれ。
湯本温泉内にある名店のひと品とのこと。
本わらび粉を使ったわらび餅は
びっくりするぐらい滑らかでおいしい(^^)
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公共交通機関の提案

2020-05-26 | 世界・平和
花巻市は空港があり、新幹線の駅があり、
高速道路のインターチェンジに至っては4ヶ所もある。
全国的にも交通機関に恵まれた、行き来しやすいまちだと思う。
しかし花巻に到着した観光客にとって
市内の移動の足となるべき二次交通機関は貧弱だ。
市内を循環する100円バスはあるけれど観光地までは行かない。
温泉や他市町村行きの路線バスは本数が少ないし
なにより市内の観光地が郊外に散らばっているので
レンタカーでもないとなかなか回りきれない。

かつては東北最古の路面電車である花巻電鉄が走っていた。
これが残っていたら大人気の観光資源になっただろうが
残念ながら昭和40年代にすべて廃止されてしまった。



今から鉄道敷設は難しいだろうな。
花巻温泉線の跡はサイクリングロードになっているから
できなくはないけど、路面電車だった鉛線は無理。
第一初期投資をなかなか回収できないだろう。
線路さえ敷設できれば、電線を張ることなく
ソーラーも使ったハイブリッド車両が使えそうだけど。

ところで、関係各所の許可さえ得られれば
すぐにでもできそうな案がある。


地図の赤丸地点、
東北本線と釜石線のこの場所に「本舘駅」を作るのだ。
松園〜本舘地区は今じゃ花巻指折りの住宅街。
盛岡への通勤も、新幹線駅へのアクセスもとても便利になる。
何よりも、花巻北高生が大勢利用するに違いない。
間違いなく乗降客を見込める。
なんなら鍛冶町駅は無理でも、諏訪駅が東北線にできると
さらに利便性が高まると思う。
通学しやすくて花巻北高を志望する生徒も増えるよ(笑)

盛岡でも、IGRいわて銀河鉄道は
青山と巣子の2駅を新設して利便性が高まった。
加えて、田沢湖線に前潟駅、山田線に上田か山岸駅を作れば
普通に通勤などでも利用者が増えると思うんだ。
なんなら山田線〜田沢湖線直通電車を走らせるとか。
(電化している、していないの違いや軌道の幅の問題はあれど)

とにかくなんとか既存の交通機関を使って
市内の交通利便性をあげたい。
循環バスも、一律300円で、もっと大きく回る路線があってもいい。
車社会のままでは市街地活性化にもなかなか繋がらない。
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「CINE MARINE」支援

2020-05-25 | 文化


岩手県宮古市にあるミニシアターが
単独で支援Tシャツを売って存続に繋げる活動をしていて
微力ながら私も支援。



先日そのTシャツが送られてきた。
なかなかオシャレなデザインで、一発で気に入った。
こういうことでデザインってとても重要だと思う。
欲しくなる、着たくなるデザインは
より支援する人たちを集めるだろう。

何よりも、このTシャツの製作を
障害者支援施設に依頼したというのがいいじゃないか。



1度で両方の支援になり、
自分も気に入ったTシャツが手に入る。
これは手を上げなきゃでしょ。

全国的にもモーションギャラリーさんが手がけた
ミニシアターエイドが3億円を集めている。
映画の世界も捨てたもんじゃない。
この動きを見ているだけで嬉しくなってくる。
もちろん書店も、劇場も。
文化はこういう事態の時に忘れられがちだが、
とても大切な社会の潤滑油だと思うのだ。
少なくとも私は文化が廃れた世界に住みたくはない。
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プチローカル線の旅

2020-05-24 | 
ふと思いつき、日帰りローカル線の旅に。


出発の花巻駅は雨。
イヤホンからはユーミンの「雨のステイション」が流れていた。


北上で5年ぶりぐらいの北上線に乗り換える。
北上までの東北線は1車両に9人、北上線は6人。
三密になどならない(笑)


車窓風景は田園地帯から徐々に山の中へ。


森を抜けると錦秋湖が見えてきた。


新緑の水没林が美しい。
この新緑のグラデーションが好きなんだ。


ほどなくほっとゆだ駅に到着。
花巻からここまで約1時間、案外近い。
なんとここは晴れて日が射していた。
持ってきた傘が邪魔だなー😅


ほっとゆだは全国でも珍しい温泉付きの駅。
風呂の中に信号機があり、列車が来ると知らせてくれる。


駅前には足湯も。

今回の目的は、西和賀町の若きプレーヤーである
瀬川然くん夫妻がリノベーション中というカフェを見ること。
ぼちぼちオープン予定だったらしいが、
コロナ騒ぎでリノベーションはゆっくりとのことだ。


駅から徒歩2分の家の裏はこんな感じ。
デッキのすぐ下はもう錦秋湖になっている。
然くんはカヌーの体験ツアーもやっているのだが、
こんなシチュエーションで暮らすのは羨ましい。


お昼は然くんに連れられて、湯本温泉今日の食堂へ。
名物というごま味噌ぜんまい焼きそばが絶品。

そのあとはコーヒーを飲みに「忙中閑」という喫茶店。




なんとここではネルドリップのコーヒーが飲める。
思いがけなく美味しいコーヒーだった。



で、ここのマスターは書をやるとのことで
さっそく1枚書いてもらう。


いい味だなぁ(^^)
話していて面白いマスターだったが、
果たしてあの店で食えているのか余計な心配(^^;

たまにはいいねぇ、ローカル線の旅。
今度はどこに行ってみようか。
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高校野球選手権大会中止に思うこと

2020-05-23 | スポーツ
特に3年生は辛いだろう。
どんなに弱小チームでも、1回戦敗退が常のチームでも
高校球児ならひとり残らず真剣に甲子園を目指しているはず。
今日の練習の辛さも目標があるからであって
マラソン走ってきた結果ゴールがなくなったようなものだから。
もちろんそれは野球に限らず。

できることなら各県の大会は実施してほしい。
このまま何もなく引退ということになれば
不完全燃焼で心の持って行き場所がないと思うから。
(もちろん高総体も同様)
感染者も多く、面積も広い北海道はどうかわからないが、
少なくとも県で一番広い面積の岩手でも
方法を工夫することでできなくはないと思うので
もっと面積が狭い他県はできるんじゃないかな。

一方で、達成感を感じることなく、完全燃焼できずに、
大学や社会人などで競技を続ける球児たちが
今までよりも多くなるのではないかと思う。
それはそれで期待したい。
従来から、高校での競技をその後も継続してほしいと考えていたので
もしそういう流れになったとしたら喜ばしい。
小学校で芽が出なかった選手が中学校で花開いたり
中学がダメでも高校で注目されるようになったりすることがある。
もちろん大学や社会人でも同様だろう。
上原浩治さんや平野佳寿さんは高校時代2桁背番号だったが
大学で活躍し、NPBやMLBで活躍した。
これまでは埋もれていた名選手が生まれるきっかけになれば
「2020年があったおかげ」と言えるのではないか?

普通の部活でスポーツしている子達もかわいそうだが
家を離れて強豪校へ進学し、全国を目指していた選手たちが
最後には達成感を感じられるような結果になるといいな。
人生は競技だけじゃない。
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「未来の世界」

2020-05-22 | 世界・平和


私が子どもの頃、昭和40年代前半の少年雑誌に載っていた
「21世紀 未来の世界」というイラスト付きの特集を時々読んだ。
時は高度経済成長時代、未来がバラ色だった頃だ。
カラーテレビが普及してきて、マイカーを持つ家も増えていた。
我が家の電話ははじめ隣家との共同電話で
受話器を耳に当てると時々隣家の会話が聞こえたものだ。
そんな時代から見ると、未来は夢の国に思えた。

自家用飛行機やチューブの中を通る高速道路、タイヤのない車は
(もちろん持っている人もいるかも知れないが)
2020年時点では一般化していない。
タイヤのない列車、リニアモーターカーもまだ工事中だ。
体にぴったりした宇宙人のような服も普及していない。
(ヒートテックのことなのかも知れないけど 笑)
・・・という意味では、あのイラストもまだまだSFの世界の話。

しかし、携帯電話(スマホ)はもう日本の人口以上の台数が使われ
(イラストでは肩から下げた箱に受話器がついていた)
「壁掛けテレビ」と表現されていた薄い液晶テレビも当たり前になり
「家の中に映画館」というのもホームシアターがある。
各家庭のコンピューターが電化製品をコントロールするのも
(今じゃコンピューターじゃなくスマホだが)
自動掃除機なんてのも現代では普通に使われている。
この辺のことは、おそらく当時から技術開発が進みつつあって
近い将来の実用化が見込まれていたから取り上げられていたのだろう。
そう考えると、テクノロジーというのはすごいものだ。

ところで、この中に「PC使ったオンラインでの授業」もあった。
確か会社での「オンライン会議」もあったはず。
以前から実用化はされていたけれど
この「予測」が一般化したのはコロナ禍のおかげかも知れない。
考えてみれば、
携帯電話はバブル時代に知られる存在となった。
液晶テレビ普及は地上波デジタル放送への切り替えがきっかけ。
ICTもスマートホン登場から一気に広がった。
そう考えると、今回のコロナ禍は一時の災禍ではなく
ある種のパラダイムシフトを促す歴史上の転換期なのではないか?
「今だけの応急措置」ではなく、今後を方向性づけるできごとなのかも。

写真は私が自分のために初めて買った新品のカラーテレビ。
大学時代に7千円の白黒テレビや
1万2千円の中古カラーテレビは大学近くの中古屋で買ったが、
このテレビは就職祝いに親からもらった3万円で買ったもの。
1982年製で、結婚後も2002年まで現役で使った。
息子たちはこのテレビでヒーローに憧れ、幼児番組を見て踊った。
22歳から42歳までの私を知っているアナログテレビ。
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早池峰の女神

2020-05-21 | 生活の風景
さて、先日「お山カフェ アスチルベ」さんでランチの後
せっかくのドライブだったので周辺を散策したり
さらに奥の登山口周辺までのドライブしたりしてみた。


岳集落の入り口、登山者のための駐車場そばにある
稗貫川に架かる橋からはみごとな渓流が見られる。
雪解け水の勢いがすごい。




早池峰神社は岳神楽の本拠地。
歴史の息吹がそちらこちらで感じられる。
今は神社だが、廃仏毀釈前は修験の道場であった由。
本殿は文化財指定。



早池峰神社から車でさらに登っていく。
途中いくつもの滝がある。
古の時代、修験の行者が駆け回ったのはこういうところか。
水がとにかくきれい。


最初の登山口である河原の坊には休憩所が。
そばには宮沢賢治の詩碑もあった。
このあたりからは道路脇に残雪が残っている。


もう一つの登山口である小田越えには駐車場がなく
車1台が分しかない道路幅で停車すらままならなかったが
途中のすれ違いコーナーで急ぎ女神の姿を撮影。
山肌に残る残雪が、早池峰の神様「瀬織津姫」の姿になっている。
その神々しさに思わず手を合わせた。

例年なら山開きは6月上旬なのだが
今年はコロナ禍により登山自粛ということらしい。
神の山は、今年は静かに鎮座してもらおう。
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machi R&E よりお知らせ

2020-05-20 | 世界・平和
有限責任事業組合 machi R&Eが
新たな取り組みを始めました(取り組みってほどじゃないけど)



国から全世帯へ支給されるマスクが届き始めていると思いますが、
すでに市販マスクも店頭に並び始めていたり、
手作りマスク、布マスクで対応している方も多いと思います。
一方で、介護施設や福祉施設などでは
まだマスクが不足しているという話も聞きます。
そこで、国から届いても不要と思う方から
未使用のままのマスクを回収し、
不足している施設へ届ける取り組みを始めます。
マルカンビル1階に未使用の不要マスク回収箱を設置しますので、
不要の場合は捨てたりせずに、そちらへご寄付ください。

(注意)あくまで「未開封」「未使用」のものだけです。
   1度でも使用したものは感染予防のため
   箱への投入はご遠慮ください。
   開封されたものは使用したかどうかわからないため
   あくまで「未開封のもの」に限らせていただきます。

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「お山カフェ アスチルベ」

2020-05-19 | 食べ物・お店



花巻市街地から車で30分の大迫の町。
そこからさらに30分、早池峰ダムも超えて山を登ると
早池峰岳神楽の里、かつては修験の宿坊(現在は民宿)が並んでいた
岳集落や早池峰神社に着く。
ここは独特の高山植物や百名山として有名な早池峰山登山口に近く
例年これからの季節は登山客で賑わう集落だ。
ここに「お山カフェ アスチルベ」はある。

地元の方々が経営する店は
稗貫川の渓流の音がする新緑の森を背景に
下界の初夏の雰囲気とは違い、心地よい晩春の風が通る
マイナスイオンいっぱいの場所。




中もおしゃれな空間だけれど
この日は曇り空でギラギラ暑くもなく、かといって寒くもなく、
心地よい風が吹いていたので、外のテーブルで森青眺めながら
山の幸満載のランチをいただいた。



天ぷらはコシアブラにギョウジャニンニク、
塩も少しかかっていたが、付け合せのバッケ味噌(フキ味噌)を
ほんのちょっと乗せて食べると春の香り。
古代米を混ぜたおこわもボリュームたっぷり。
ピザも具は山菜だ。
贅沢な時間。



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菜の花畑

2020-05-18 | 生活の風景

自宅近くに発見。
ここに住み始めて34年になるけれど、
今まで気がつかなかったなーと思いながら
しばらく眺めていた。

昭和41年に出版された本をぱらぱらめくって見た。
「昭和11年といえば今からほんの30年前だが・・・」との記述。
この本が出たのは私が6歳、小学校に入学した頃で
おぼろげながら記憶もある。
一方、昭和11年といえば二・二六事件があった年で
こんな私にとっても教科書に出てくる大昔。
それでも「30年前」ってのはこの歳になるとそんなに昔じゃない。
時間は断片的に存在しているわけではなく
ちゃんと続いて流れているんだな。
なんだか昭和11年がこれまでより身近に感じた瞬間。
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病への差別についての思い出

2020-05-17 | 世界・平和
私の亡父は大正12年生まれで、男ばかり5人兄弟の末っ子。
4番目の兄とすら8歳違い、長兄とは20歳の差があった。
その長兄が結核により亡くなったのは親父が2歳の時。
2歳の親父は兄の病床の周りをうろちょろしていたらしい。

昔、結核は死の病だった。
正岡子規はその病のために晩年は起き上がることができなかった。
石川啄木は一家全員が数年のうちに結核で亡くなった。
堀辰雄は結核療養中の婚約者との思い出を小説「風立ちぬ」として書き
そのご自身も結核によって生涯を閉じた。
他にも中原中也や国木田独歩、梶井基次郎、長塚節など
文学者たちがこの病で命を落としているので
(「風立ちぬ」のイメージも相まって)文化人の病気のような印象があるが
実は名もなきたくさんの人々がこの病に倒れている。

22歳で亡くなった長兄に続き、
親父の三兄も30代前半にやはり結核でなくなっている。
同じ頃、応召された親父も結核罹病により即日帰郷となったらしい。
まぁ入隊予定だった弘前連隊の部隊は
その後南方で玉砕したらしいから、病のおかげで助かったとも言える。
その病がなければ私は今この世にいない。

結核の特効薬抗生剤ストレプトマイシンは
1944年にアメリカで開発された。
戦後その薬で助かった人たちも多かったろう。
親父の場合は重篤さで薬だけでは治癒することができなかったらしく、
戦後応用が始まった肺切除手術によって生死の境を乗り越えた。
まだ始まったばかりのその手術の体への負担は大きく、
私が小さかった頃も少し体を動かすと息切れを起こしていた。
結核は治癒してはいたが、
2歳の頃に長兄から感染したと信じていた親父は
子ども達をはじめとした家族への感染を恐れたのだろう。
我が家の洗面所にはいつもクレゾール希釈液が用意されていて
親父はいつもそれで手を洗っていた。
実はこの頃、両親から
「洗面所にクレゾールがあることを外の人たちに話してはダメ」
と言われていた。
この病に対する戦前の偏見や差別が身に沁みていたせいだろう。
学校で受ける私のツベルクリン(結核抗体検査)の結果も
かなり気にしていた思い出がある。

最終的に親父は1992年、69歳の時に肺炎でこの世を去った。
(肺切除していた親父に肺炎はとどめのようなものだった)
親父はさまざま詩やエッセイや油絵を遺していたので
一周忌に間に合わせて書籍にすべく、編集作業を進めたのだが
年譜を作る際に母から
「結核という病名や、喀血といった言葉はできるだけ使わないように」
との釘が刺された。
その頃もまだまだ病気への偏見や差別を気にしていたのだな。
かほど昔は差別が酷かったのだなと思う。

新型コロナウイルス感染者に対する偏見や差別がひどいらしい。
周囲の目を気にしていた当時の両親に、私は哀しさを感じていたのだが
かつての結核やハンセン病差別の頃から変わっていないんだなぁと
そういうニュースを見るたびにやはり哀しくなる。
病気は誰でも罹患する可能性があるし、その人のせいではない。
それでも差別し非難する人間の浅ましさを哀しく思うのだ。

なお、結核は決して過去の病気ではない。
ストマイが効かなくなった耐性菌による新たな結核が
最近は密かに増えていると聞いた。
コロナも怖いが、深刻な病はそれだけじゃない。
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