韓国に住む友人がいる。
以前東京に単身赴任していたときに
留学していた彼と知り合ったのだった。
私も東京時代お世話になった天ぷら屋ご夫妻を
「お父さん」「お母さん」と呼び
私にとっても弟(あるいは甥?)みたいな存在だった。
facebookでも繋がっているが、
最近は記事upも無くて、
どうしているかなと思っている。
15年ほど前に英会話教室に通っていた時
中国四川省出身の人と知り合った。
とても聡明な女性で、会話が楽しかった。
天安門事件も経験していたと言っていたが
詳細は「また今度ね」と言ったまま
それっきりになってしまった。
私がもう少し英語に堪能なら、
もっといろいろ話せたろう。
あの頭に良さにリスペクトを感じていた。
その英会話教室ではニュージーランドやアメリカの人たち、
今も会員になっているNGOではオーストラリアやタイの人たち、
そのNGOのイベントではベトナムの人とも交流できた。
私の従姉妹たちの中にはアメリカやイギリスに住み
その地の人と結婚している者も数人いる。
マチココでは27号からイラストを
アメリカ生まれに人に依頼している。
中学時代には、いわゆる在日といわれる同級生たちもいて
みんな同じ同級生として付き合った。
もっともっといろんな国の人たちと交流したい。
南米や西欧や東欧、ロシアはもちろんのこと
特にアフリカや中東、中央アジアの人たちと知り合いたい。
もちろん中国や韓国、なんなら北朝鮮の人たちとも。
そうやって、個人対個人ではすぐに仲良くなって話せるのに
どうして国と国になると面倒な話になるのか。
もちろん他国出身の友人たちとも結構深い話もするのだが
相手の話を聞けば聞くほど、立場や価値観の違いがわかって面白い。
なるほどそういう考え方ならそうなるよねという理解もある。
もしも国同士では面倒な話しかできないのなら
もう「国」という概念は要らない。
個人ベースでの交流があればそれでいい。
そんなことまで考える。