風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

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2005-03-31 | 風屋日記
アンコール・ワット。

以前から訪れてみたいところではあったが、
カンボジア内戦時に犠牲となったカメラマン一ノ瀬泰造の評伝「地雷を踏んだらサヨウナラ」
の本を読み、映画を見て以来訪問を切望する場所となった。
バッタンバン、シアムリアプなどの周辺の町の名もなじみとなっている。
できることならシアムリアプからアンコール・ワットまでゆっくり歩いてみたい。
一ノ瀬泰造が、その生涯の最後にそうしたように。
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体験・交流

2005-03-30 | 風屋日記
我が家では、高校入学が決まった春休みにひとり旅をすることが恒例行事。
(恒例といっても2人しかいないけど)
かくいう私もウン十年前、いとこと九州へ行ってきた。
一応、当時北九州に住んでいた親戚の家をベースキャンプにしたものの、
同じく高校に合格が決まったばかりの同い歳のいとこと2人だけで
阿蘇を回ったあと佐賀の駅で夜を明かし、長崎の町を見てきた。
今でも鮮明に記憶に残る思い出であるため、うちの子ども達にも勧めてきた。
一昨年は長男。
小学校4年の時に姉妹都市交流でホームステイさせていただいた平塚のお宅にお世話になり、
帰りに東京に寄って、将来自分が目指したい大学を見てきたとのこと。

そして今回は次男の番。
ただし次男は昨年「アジア子ども文化祭(ACCF)」のボランティアを務め、
その準備や交流キャンプ中など、すでにひとりで何度か上京しているので慣れたもの。
今回もACCFで一緒だったボランティアのお兄さん、お姉さん方にお世話になってきた。
たくさんのボランティアだった人達が次男を迎えてくれたらしく、
ACCFに日本チームとして出演した千葉の「のさか太鼓」の子達に会いに行ったり、
やはり兄を真似て、自分が将来目指したい大学を見てきたり、
充実した3日間だったようだ。

それにしてもACCFでボランティアを務めた人達はすごい。
ACCF後、この5ヶ月間だけでも
スマトラ沖地震津波のボランティアにスリランカへ出掛けた人、
ラオスでのボランティアインターンを体験してきた人、
アメリカへ留学にいった人、フィリピンに滞在している人、
中越地震や三宅島民の帰島支援ボランティアへもたくさん参加している。
皆若いとはいいながら、この行動力!!
不肖ウチの次男もいろいろ影響を受けてきたようだ。

次男が持ち帰ったお土産はACCF時のビデオ。
主催が日本テレビ放送網文化事業団だった関係で、
日テレのスタッフが交流キャンプからACCF終了後のさよならパーティーまで
密着で取材し、編集したものだった。
私が実際に見たACCF本番とさよならパーティーばかりではなく、
成田に着いたばかりの各国の子ども達の不安げな顔から、
ウエルカムパーティーでの早くもうちとけた顔、
泊まった部屋での子どもらしいのびのびとした表情などが記録されていた。
スラムに住んでいたり、ストリートチルドレンだった子達が多かったが、
ああいう場になるとどんな環境に育ち、どんなところに住んでいるのかなんて関係ない。
みんな底抜けに明るく、かわいい子ども達だ。
彼らを取り巻く環境に思いをはせ、健気に頑張ってACCFを成功に導き、
さよならパーティーで別れを惜しんで抱き合い泣いている姿を見ながら、
私も涙が止まらず、泣き笑いしながら見た。

  ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

フジTV、今週月曜10時からの「スマップスマップ」はスペシャル。
草薙剛がタイを訪問し、
チェンマイにあるNGO施設「希望の家」に3日間滞在するドキュメンタリーだった。
HIVなどで親を亡くしたり、親に育ててもらえない子達が共同生活しているところだ。
そこの子ども達もみな明るく人なつこいが、その心の中には深い傷を抱えている。
それを見た草薙の、簡単に安易な感想を言わず
「まだ僕の心の中が整理できていません」という言葉に、彼の誠実さを見た気がする。
知識としてそういう子達がいることを知るのではなく、
触れあうことによって感じた正直な言葉だろう。

実際に触れあい体験する、交流することの大切さを感じたここ数日だった。
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アジア

2005-03-29 | 風屋日記
旅行作家の下川裕治さんの本「週末アジアに行ってきます」(講談社文庫)に

 アジアの片隅で肩ひじつきながら、スコールを眺めている極楽とんぼ

という一節がある。
ご自分を自嘲気味に書かれた1文だが、私も根はそんな感じ。
基本的に私という人間を構成しているマテリアルは
ここのところのように、朝からバタバタ走り回り、
いくつもの仕事のことを同時に考えるようにテキパキできていない。
やはりアジアの片隅で肩ひじついてコーヒーを飲むようにできている。

今日も朝から缶詰めだなぁ・・・。
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コンプレックス

2005-03-28 | 風屋日記
ひとそれぞれにコンプレックスはあろう。
どんなに周囲から完璧な人間に見えても、
あるいは「自分は完璧だ」と口で言っても、
心の底にはどこかしらコンプレックスがあるはずだ。
(もし本当に完璧な人がいたら、とんでもなく嫌なヤツに違いない)
キムタクや竹内結子や、あるいはハリウッドの大スター達でさえ、
例えばどこかしら容姿上のコンプレックスを抱えているらしい。
私が多数のコンプレックス持ってるのは当たり前だよね。

容姿上では、それこそ数えきれない程のコンプレックスがある。
首から上だけでも歯並びが悪いとか、唇が薄いとか、
鼻が大きいとか、耳たぶがでかいとか、眉が太いとか・・・
一定年齢以上の男性に共通する悩みである、心細い毛髪ってのもあるし、
顔がでかくなって(太って、顎も2重3重になって)きたのももちろん。
ほーら、ざっと挙げてもこんだけある。
ヤレヤレ・・・

ま、若い頃に比べて、この歳になるとあまり容姿は気にしなくなり、
「これがオレだ」的な開き直りは当然ある(そこがオヤジ)が、
首から下のコンプレックスも(ヘソから下はもちろん)推して知るべし。
身体能力的にも、神楽以外の踊りが下手とか体が固いとか
これまたすべては挙げられない程あるなぁ。
書いているうちに段々凹んできた(笑)

気を取り直して・・・
自分で一番コンプレックスに感じているのは性格。
それも「背骨」とも言うべき芯の強さに欠けるところだ。
「君が代は国歌と認めない」といいつつ、国歌斉唱になると起立して歌う自分。
「イラクへの自衛隊派遣反対」とか言いながら、
反対集会へメッセージだけ(しかも匿名)を寄せ、後は家でぬくぬくしている自分。
閣僚の発言や他国の言い分に頭にきていながら、
自分の名前や姿を堂々と晒して文句を言うことができない自分。
それらのことをコンプレックスに思いながらも
「自分のできることをする」とか何とか、自分すら誤魔化している自分。
自分の考えの元に、堂々と行動できる人達を眩しく思う。

そういうことを考え出すと、段々自分が卑屈になる。
そして、他人に対して余計に気を使ったりしてしまう。
誰かと会うのに「こんなオレと会ってもしゃーないよな」とか
「オレなんかから誘われたって迷惑だよな」とか。
自分に自信が持てず、すべて歳のせいにしたりして・・・。
ま、年齢と、加齢に伴う色んな変化も
ここんとこ充分にコンプレックスのひとつなんだけど。
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日曜

2005-03-27 | 風屋日記
今日は日曜・・・ながらあっちこっち走り回り、
気がついたらこんな時間。

ということで、今日はお休み、もう寝ます
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生きている言葉

2005-03-26 | 風屋日記
「貴様」という言葉にどういうイメージを持っているだろうか。
台湾生まれの方が、字面から敬語と判断し失敗したとのこと。
確かに「貴い様」なので、よく見ると最高級の表現だ。
旧日本軍では仲間同士の呼び名に使ったと聞いたことはあるものの、
でもやっぱり、私的には罵倒する時の2人称だ。

専門家によると、
中世~江戸初期は書き言葉として敬語のひとつだったらしい。
それが江戸中期に至り、話し言葉として使われているうちに
だんだん敬語という性格が薄れ、その意味する立場が下がっていったらしい。
同様の言葉に「御前」→「おまえ」、「貴方」→「あなた」→「あんた」がある。
(以上、今朝の朝日新聞より)

なるほど、言葉は生きている。
英語でも、中学時代は初対面時「How do you do?」と言うよう教わったが、
今は「Nice to meet you!」が一般的らしい。
時代とともに、使い方とともに、言葉は変化し続ける。
それはいい。
ただ、その言語が持つ独特の表現だけは残して欲しいなぁ。
日本語の、意味を含ませる省略表現は
俳句という定型詩を代表例として、特有の美しさを持っているから。
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外交への憂慮

2005-03-25 | 風屋日記
これまでの当blogの統計(分析してるわけじゃ無いけど)上、
コメントがつきにくい話題をここらで一発。

そりゃね、よその国の顔色ばかり見てなくともいいと思う。
いちいち他の国の言うことに従っていたらきりがない。
大体そんなことばかりしていると矛盾も生じてくるし。
でもね、他人の気持ちを慮ることは必要だと思うよ。
特に過去傷ついた経験のある人達に対しては。

太平洋戦争、第二次世界大戦、大東亜戦争・・・
彼の戦争については色々呼び方はあるけれど、
どんなに大義名分があったとしても
たくさんの人達が亡くなり、心身共に傷ついた事実は変わらない。
私達の国でも、他の国でも・・・。
その傷を加害側から逆なでされたら、そりゃ誰だって頭にくる。
日本国民だって、アメリカ首脳から当時の原爆や他の空襲について
大っぴらに正当化されれば頭にくるでしょ?


無名の兵卒達の死は無駄では無かったと私は思う。
でもそれは「命をかけて国(というシステム)を守った」からではなく、
為政者や軍の指導者の間違いや愚かしさが、
これだけの犠牲を生み出すのだという証しとして・・・だ。
私自身も彼らの御霊を鎮めたいと思うし、それが自然な感情だろう。
ただし、そう思うのは一般国民の犠牲者達についても同じだ。
そして、心ならずも他国のために命を落とさざるを得なかった
朝鮮半島、台湾出身者をはじめとする、アジアの国々の人達についても。

保守政党の方々に、いくつか質問したい。
戦没者慰霊や平和を誓うのに、
どうして兵士と一般国民の犠牲者では慰霊の場所が違うのだろう。
どうして慰霊の対象は現日本国民だけなのだろう。
どうして愚かしかった軍指導者とその犠牲になった兵卒達が合祀されているのだろう。
そして、
兵士達の慰霊の場所が特定の宗教施設なのはなぜ?

日本の文化である神道そのものについては、
私も少なからずかかわりがあるし、悪いものだとは思わないが、
意図的に利用されてしまった歴史があり、
何となく現代においてもそうなりつつあるように感じるのだが。
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1日の終わりに

2005-03-24 | 風屋日記
今日は忙しい日だった。
とうとうこんな時間になってしまった。
明日は、
長男は野球部の関東遠征 & センバツ見学へ、
次男は我が家恒例、高校入学前のひとり旅で東京へ
それぞれ出発だ。
え!? 夫婦水入らずの週末?
ハイ、お陰さまでわたしゃ明日飲み会だし(笑)
結局4人バラバラに過ごす運命かな。
土曜も仕事で、日曜になると次男が帰ってくる。

ひさしぶりで連続ドラマを見た。
フジTV、木曜10時からの「優しい時間」は今日が最終回。
父と息子、そして夫婦の物語だった。
とても静かで、ゆっくりと優しい気持ちになれるドラマだったなぁ。
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ミーハーな再読

2005-03-23 | 風屋日記
今朝の新聞に、
日本イラストレーター・アソシエーションの会長が
和田誠氏から安西水丸氏に交代したニュースがあった。
私はかねてより安西氏のイラスト&小説のファン。
ここのところちょっとご無沙汰だが、
以前は数少ない氏の小説を探して買ったものだ。
氏の自伝的なそれらの作品は今でも全部持っている。
若い頃の苦悶や葛藤、そして恋愛などを淡々と綴る語り口が
私の感性には割と合っていた。
また読みたくなってきたなぁ・・・。

氏のイラストも、まるで俳句のように不要な部分を極力カットし、
NYでのデザインの仕事の経験で培った表現力で、
とてもクールな作品ばかり。
村上春樹氏の著作への挿画で有名だ。

何となく安西氏はクールな一匹狼的イメージを持っていたが、
やっぱりこういう組織の長もやるんだねー。
それなりのステイタスを持っている人なので当たり前だけど。
それにしても、安西氏の前が和田誠氏だったというのもおもしろい。

  ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

同じく今日の新聞に、作家&童謡詩人の阪田寛夫氏の訃報もあった。
あの「さっちゃん」の作詞をした方だ。
まどみちお氏(「ぞうさん」「ふたつでしょ」の作詞者)と並び、
私の好きな童謡作詞家のひとりだった。
もともとは「土の器」で芥川賞をとった作家。
訃報を聞いたからというわけでもないが、
また阪田さんの本も開きたくなった。

ドラマに影響されて「青春の門」も再読したくなってるし(笑)
これも全巻まだ持っている。
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昔話

2005-03-22 | 風屋日記
むかーしむかし、
まだ日本語のロックが市民権を得ていない頃の話じゃ。
ワシは吉田拓郎やら岡林信康なんぞを聴いていたんじゃが、
突如として「はっぴいえんど」というバンドが
日本のロックシーンを席巻したんじゃ。

サウンド的にはバッファロースプリングフィールド(後のCSN&Y)や
ポコなどのウエストコーストサウンドやカントリーロックじゃったが、
何よりドラマーの松本隆が書く現代詩のような歌詞が妙な雰囲気で、
ただのアメリカ風ロックバンドという感じでは無かったんじゃ。
歌詞のメロディーへの載せ方も一風変わっていて、
ただ漠然と歌を聴いているだけじゃ、どんな歌詞なのか分からん程じゃった。

ベースの細野晴臣の、地の底から響くようなネイティブな声も良かったが、
ワシが好きじゃったのはリードボーカルの大瀧詠一の粘るような歌い方じゃった。
飄々としたメロディーと摩訶不思議な歌詞と、粘りながらもクールな声。
ワシゃすっかりファンになってしまったものよ。
当代一のロックミュージシャン内田裕也との
「日本語ロック vs 英語ロック」論争も今は昔の話、懐かしいのぉ。

ところでワシは大瀧詠一のファンではあったが、
彼の人が岩手県人だなんてついぞ知らなんだ。
後から聞いたが、ワシの高校の先輩だったというのは本当かのぅ?

はっぴいえんどを知った後、
その一派といわれたムーンライダースやあがた森魚もよく聴いたもんじゃ。
はっぴいえんど解散後にできたティン・パン・アレーもよかった。
何しろ無名時代の南佳高、山下達郎、大貫妙子なんぞも参加していたし、
高中正義、後藤次利、桑名正博などという名人達も演奏していた。
松任谷正隆と荒井由実の共演もこの「キャラメル・ママ」じゃった。
いま考えてみると皆若かったんじゃろう。
まるで当時のニューミュージックの梁山泊のようだったんじゃから。

遠い昔の思い出、ワシの中学~高校時代の話じゃ。
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息子たち

2005-03-21 | 風屋日記
昔、君たちとのキャッチボールは
ほんの1mほどの間をころがしあっただけのものだった。
コロコロ転がった玉すら掴み損ねた君たちは、
それでも楽しそうにケラケラ笑っていた。

私の投げたボールを
君たちが初めて直接キャッチできたのはそれぞれいつのことだったろう。
私は君たちの差し出すグローブを狙って軽く投げたのだったが、
掴みとった君たちはその事実が信じられないように
でもその顔はまるで世界を掴み取った英雄だった。

それから私と君たちとのキャッチボールの距離は段々離れ、
君たちが受け取るボールも私からのものだけではなくなってきた。
私が君たちへの気持ちをこめて大きく振りかぶってみても、
いつの間にか私のボールを受け取るべき君たちは
私の前にはいなくなっているのだろう。

そんな日がきたら、
どこかへ無闇にボールは投げず
そっとボールを置こうと思う。
キャッチボールの相手がどんどん増えていく
君たちを遠くから眺めながら。
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バッケ

2005-03-20 | 風屋日記
バッケ、めっけだ。
いっつもの土手の斜面。

何日か前にゆぎ渡りしたどこサ行ってみだれば、
なんともう土ッコ出でで、犬もちゃーんと分がって土の上ばり歩ぐ。
雪解けの水いっぺ含んだ土は、柔くてフカフカづい。
そごをのっこらのっこら歩ってったのサ。
したっけば斜面のどごサ、黄緑色のぺっこな丸っこい頭ッコ見えだ。
そごらをよーぐ見だれば、まわりサもいっぺ出できてる。
なんだがめんこい童しゃどァ、
みんなしてフカフカづい蒲団サ寝でるみでだ。
それ見でだら、なんだが嬉しぐなってきたのサ。
春だじゃなぁ・・・。

寝でるひとりの童の頭サ、
おら家の犬ッコァしょんべんシャッとかげだっけなぁ(笑)

 ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

※ バッケ ・・・ふきのとう
※ ばり  ・・・ばかり
※ ぺっこな・・・小さな
※ 童しゃど・・・童(わらし 子ども)の複数形
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パソコン

2005-03-19 | 風屋日記
我が家では唯一新品で買ったウチの母ちゃんのWin機が壊れた。
リカバリしても、○'s電器を通してメーカーで調べてもらってもダメ。
今日は別のパソコン専門店で見てもらったが、
「メーカーでもわかんないものはウチでもちょっと・・・」
とのことで、買い替えようかな-と思っているようだ>母ちゃん
何しろ99%仕事で使っているヤツなので、すぐにでも欲しいらしい。
ま、Win meだし、5年ほど使ったものなので仕方ないのかもしれず、
「SOTECやDELLあたりなら新品でも安いかも」なーんてアドバイスしておいた。
マジで買うのか・・・いいなぁ(笑)

私の使っているMacは2台とも2~3年落ちを中古で買って早3~4年。
まったく問題なくタフに動いてくれている。
思いきって壊れてくれれば新しいモノを買う動機付けができるのになー。
新しいG4のiBOOKいいよなー・・・。
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ツッコミどころ・ボケどころ

2005-03-18 | 風屋日記
アメリカのライスさんが日本にいらっしゃるとのこと。
ラ「Oh, Mr.小泉。アメリカ産牛肉の輸入解禁時期を決めて下さいな」
小「Ms.ライス、そうは言っても国民が安全性をきにするんですよ。
  何かあったら私の責任になって選挙に負けちゃうし・・・」
ラ「Don't be afraid!! BSEの影響が出てくるのは20年後だからダイジョーブ!!」
・・・てな会話が交わされるんだろうか。

竹島問題に教科諸問題が絡みあって、韓国で反日デモ。
小泉さんの話に失笑してしまった。
「未来思考でお互いの友好を深められれば・・・」
いやいや、そりゃ被害者側のセリフでしょ。
加害者が言ってどーすんの。
イジメを行ったヤツがセンセにこっぴどく叱られた後、
「よう、これから仲良くしようぜ」と言っているようなもんでしょ!?
イジメられた方はヤだと思うなぁ・・・。

ライブドアに責められまくりのニッポン放送&フジTV。
素人にはよくわかんないけど、売ってる株を買って何が悪いんだろう。
まるで黒船来襲に驚く江戸幕府みたいでちと面白い。
果てにはかなわないと思ったのか、
ニッポン放送の価値を下げるためにポニーキャニオンを売っ払うんだとか。
あわてぶり、どたばたぶりが可笑しくて哀しい。
TVというメディアができた時、我先に飛びついたのは新聞社。
今やネットは新聞を凌駕する程のメディアだもの、
歴史が繰り返されているだけだと思うけど・・・。

憲法改正に精一杯青春をかけている某元首相。
確か「全国民が国を愛する心を持て」とか
「日本人としての誇りが大事」とか
「国があってこそ国民がある」とか言ってるらしいけど、
逆じゃないかと思うんですけど。
全国民に愛される国になって欲しいなぁ。
私は陸奥人として、蝦夷の後裔として、アジア人として、地球人としての
誇りは充分に持っている積もりですが、
残念ながら国(県や市も)という「システム」には誇りは持てません。
だって、国旗掲揚に起立しなかったからといって先生が処分される国だもの。
強制的に「好きだと言え!!」と言っても両思いにはなれないわなぁ。
だいたい国は国民のことが好きなんだろうか。
なんとなく「国が国民を守ってくれる」んじゃなく
「国民が国を守れ」と言われてる気がするのは私だけ?
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雪渡り

2005-03-17 | 風屋日記
当地もこの時期になるとさすがに春めいて、
昼間のあたたかさで積もった雪がザクザクになる。
今朝はことのほか冷え込み(外に置いた車の窓が凍結)、
ザクザク雪の表面が固まっていた。

6時前に犬を連れて家を出る。
ふと思いついて、冬の間のコースだった舗装路をやめ、
人跡未踏のあぜ道に足を向けてみた。
数メートル横の足跡は50cm近い深さの穴になっている。
・・・が、今朝は表面が固く、積雪の上を歩けた。
これが宮沢賢治の作品で知られる「雪渡り」。

  固雪かんこ 凍み雪しんこ
     きっくきっく とんとん
     きっくきっく とんとん

もちろん地面の上のように、普通にスタスタ歩けるわけではない。
踵に体重を乗せないよう、というより踵から着地しないよう、
足の裏全体をそっと雪の上に乗せ、
そのまま腰を前に押し出して、後ろの足も蹴らずにそっと持ち上げる感じ。
この歩き方は、確かネイティブ・アメリカンが
疲れを溜めずに長距離を歩く方法と同じだ。
昔それを本で読むか、人に聞いて試してみたことがある。

時々は踵から踏み出してしまい、膝あたりまで雪に埋まって、
長靴の中まで冷たくなったりもするが、
それでも新雪を踏み付け、ラッセルして歩くよりはるかに楽だ。
なんだか水面でも歩いているような、不思議な感じがする。
犬はさも当然のように、私の斜め前をトコトコ歩いていく。

ほぼ全行程で雪渡りができた。
楽しかった。
明日以降もできるとは限らない。
なんだか今朝は得した気分。

゜・*:.。. ゜・*:.。. ゜・*:.。. ゜・*:.。. ゜・*:.。. .。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜

昨日は皆さんからお祝いのコメントをたくさんいただきました。
本当にありがとうございました。
私の母校の野球部は、これで
3年に長男、2年に甥(妹の息子)、1年に次男が揃います。
私もネット通販で「野球親父」のTシャツを買い(笑)、
これからしばらくは高校野球の応援を楽しみたいと思ってます。
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