浅田次郎さんの小説は胸を熱くさせる。
それは彼の手練手管にまんまとひっかかったからだと、
今まではちょっと悔しい気持ちになったりしていた。
でもね。この作品を読んでよくわかった。
浅田さんの作品はものすごくリアルで描写も細かい。
当時のことをよく調べ、
その状況の中で登場人物たちはどう感じ、考えるかを想像し、
そしてそれを表現する筆力を持っている。
読者は各人の想像力の有無に関わらず
容易にその状況の中に身を置き、登場人物のの気持ちを体感できる。
だから場面によってその人物の心情を慮り、涙が出るのだ。
どんな人だって殺し合いなど望まない。
兵隊にもすべからく親や兄弟、家族や友人たちがいる。
人は誰しも平和に幸せに暮らしたいと思うはずだ。
ではなぜ「戦争」という名の殺し合いが起きるのだろう。
それは、決して自らは戦いの中に身を置くことが無い人たちが
戦争開始の是非を決めるからだ。
国家とは「国民の生命と財産を守る」と言われるが、嘘だ。
国民がその生命と財産をもってして国=為政者を守る。
それが戦争の実態であり、国家のホンネだろう。
異論があるって?
じゃあなぜ福島第一原発の汚染水漏れを隠してきたのか。
国民の生命を盾に為政者たちが自分の立場を守ろうとするのは
戦争に限ったことじゃない。
日本という国のリーダーたちは戦前と何ら変わっていない。
「まことのお国の宝は、国民であんす」
本作中に出てくる登場人物の言葉こそ真理だ。
☆ ☆ ☆ ☆
「私は軍医になりますが、戦争を憎みます。
たがいの国民の命を奪い合う戦に、正義はありません。
たとえ1億が聖戦完遂を叫んでも、私は聖戦という虚言は信じません」
兵隊の大多数は農民である。
平時の編成ならばそれも自然の姿だが、
戦時動員をいつまでも賄えるほど、農民が無尽蔵にいるはずはなかった。
いきおい、軍隊は農家の唯一の働き手まで奪ってゆく。
田畑が老人と女子供だけで回ると考えるのは、明らかに幻想である。
その証拠に、今や国民の食うものがなくなってしまったではないか。
新聞はこぞって『未曾有の凶作』と書きたてるが、
それはけっして気候のせいではない。
「どこが非国民なものですか。
そもそも滅私奉公なんていう考えが、こんな事態をまねいたんですよ。
それは家族を軍隊に取られている国民すべての本心です。
誰も本心を口にできず、
言ったとたんに国民ではないと非難されるような国は、
もはや国家ではありません。」
かくして世界有数の科学的実力を誇る軍隊は『皇軍』と称して
あたかも神武東征踏み跡をたどるように軍旗を押し進め、
とどまるところを知らなかった。
『聖戦』であるのだから、一億玉砕もやむなしという論理が生まれ、
ついには爆弾を抱いて敵艦に体当たりすることが、
最も神の意志に添う行為となった。
「考えてもごらんなさい。
たとえばお国が一億玉砕の意気ごみで、
めでたく聖戦完遂をしたとする。
そのときたったひとりの日本人が生き残ったとしたら、
そんな不幸はあるまい。
玉砕と絶滅が同じ意味だと、なぜ気付かない。
きれいな言葉を使えば意味まで変わるのか?」
神武天皇の御戦も戦争にはちがいないのだから、
大勢の兵隊さんが死んだと思う。
その兵隊さんたちには、親も子もいたのではないかと考えれば、
神話の美しさも勇ましさもたちまち燻んでしまった。
尊い人の命をないがしろにする戦争には、
良いも悪いもないと思う。
戦争そのものが悪いことにちがいないのに、
神武天皇のなさった戦だから
すばらしいことのように言われているのが、
静代には理解できなかった。
「ねぇレーノチカ。いったいこの戦争は、
どれくらいの人の命が捧げられれば終わるのでしょうか。
何千万人もの罪なき人が死に、
親も家も失った子供らが何千万人も曠野をさまよっても、
この戦が正義なのだと、大祖国戦争なのだと、
胸を張って言い切ることができるでしょうか。」
「戦争に勝ったも敗けたもねぇからだよ。
そんなものはお国の理屈で、人間には生き死にがあるだけだ。
アメ公だつてそれは同じさ。
勝ったところで親兄弟がくたばったんじゃ、
嬉しくも何ともあるめぇ。
だから敗けたところでくやしいはずはねぇんだ。」
浅井先生がおっしゃっていた。
ラジオがそう言っていたって、新聞にそう書いてあったって、
鬼畜米英なんて言葉は使うもんじゃありません。
なぜならば、アメリカやイギリスの子供たちだって
同じ苦労をしているからです。
だったら、戦争て何だろう。
アメリカやイギリスの子供らを、
大人たちはやはりやさしくかばっているはずだ。
そのいい人ばかりの国どうしがなぜ戦争をするのか、
静代にはまるでわからなかった。
「中尉殿。なめたことを言っちゃならねえよ。
日本が不様に敗けたのは、
物がなかったからでもへたな戦をしたからでもねぇさ。
赤紙一枚でしょっぴかれた兵隊に、
覚悟ができていなかっただけだ。
やる気のねえ兵隊に戦をさせて、勝ち目なんざあるものかよ。」
☆ ☆ ☆ ☆
そして登場人物が書いた手紙の一節。
これは現代の私たちに向けた当時の人々のメッセージだ。
私たちは今、試されているのではないか?
「その戦争が遂に終はりました。
これだけ尊い人命が喪われれば、
もう二度と戦争は起こりますまい。
仮に戦ふ事が動物の本能だとしても、
萬物の霊長たる人類は行為の愚かしさに気付いて、
永遠に戦争と云ふ悪行に封印すると僕は確信します。
明日からは多分、世界中の軍隊が兵器の放棄を考えるでせう。
戦争の結果の平和はかくも虚しく、
勝たうが敗けやうが喪われた命は帰って来ないのだと悟るでせう。
やがて軍隊そのものが地球上から消滅し、
戦争とは無縁の社会からも全暴力が排斥され、
人類は寛容と対話の新しい時代の幕開けを迎へるはずです。
そうならねば嘘です。」
「終わらざる夏」浅田次郎:著 集英社文庫