風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「黄昏のビギン」

2013-08-31 | 音楽
雨に濡れてた たそがれの街
あなたと逢った 初めての夜
ふたりの肩に 銀色の雨
あなたの唇 濡れていたっけ
傘もささずに 僕達は
歩きつづけた 雨の中
あのネオンが ぼやけてた
雨がやんでた たそがれの街
あなたの瞳うるむ星影

夕空晴れた たそがれの街
あなたの瞳 夜にうるんで
濡れたブラウス 胸元に
雨のしずくか ネックレス
こきざみに ふるえてた

ふたりだけの たそがれの街
並木の陰の初めてのキス 初めてのキス

(作詞:永六輔 作曲:中村八大)


実は、初めてこの歌を知ったのは
小野リサさんの日本語カバーアルバム「Japao」にある
ボサノバアレンジのものだった。
歌そのものを気に入って、いろいろ聴いてみた。
元歌は水原弘さんの歌が最初らしいけど
個人的にはちあきなおみさんの歌が心に染み入ってくる。
しっとりとした大人の情感。
あからさまではない、ふとした仕草で心を描く表現。
古き良き時代の情景・・・。
いい歌だなぁ。
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関内にて

2013-08-30 | 生活の風景


横浜という街には
スーツは似合わない気がするんだ。
特に昨日のような爽やかな晴れの日には。

写真の通りで見かけた紳士。
モノトーンのチェックの半袖シャツに
コットンのハーフパンツ、裸足にデッキシューズを履き
新聞を小脇に挟んで颯爽と歩いていた。
そんなスタイルが似合うね。
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ぽえむ

2013-08-29 | 読書
大学受験で上京した際、試験がひと通り済んだあとで、
花巻へ帰る前に参宮橋の受験生村から阿佐ヶ谷へ向かった。
そこにある喫茶店ぽえむへ行くためだった。
ほんの30分、1杯のコーヒーで満足したワタシは
後ろ髪引かれるように上野へ向かった。
大学に入学し、東京に住むようになってから
大学がある街の駅前にも、
そしてアパートに近い国電(今のJR)の駅前にも
喫茶店ぽえむがあることを発見し苦笑いすることになる。
そしてそれらの店は
あれから30数年経った今もそこにあり続けている。
当時の思い出の中にあるたくさんの店の中で、
今も唯一残っているチェーン2店舗。



なぜ喫茶ぽえむにそれほど行きたかったのかといえば、
高校時代にハマっていた故永島慎二氏の漫画による。
戦争で焼け出され、まだ小学生時分に浮浪者になるなど苦労をし、
中学校も中退してローティーンの頃から漫画家を目指した氏は
手塚治虫氏やさいとうたかお氏などと切磋琢磨しながら
ようやく独り立ち。
そんな20代前半のころに苦しむ時代を迎える。
どう表現するか。漫画は子ども向けだけでよいのか。
仕事が手につかず、夜の新宿へと出掛けていく日々が続く。
その頃描いていたのが「漫画家残酷物語」。
短編ひとつひとつのタッチも違い、
実験的な表現を試しながらも哲学的な悩みを描き、
苦しむ様が無防備で感じられる。
後にその頃のことを描いたのが「フーテン」。



その悩み、苦しみ、それでいてデカダンに陥る様に
まだ高校生だったワタシははまった。
そんな氏が通っていたのがポエムだったのだ。

氏の、ある意味鬼気迫る作品はテレビドラマにもなり
(「若者たち」・・・ドラマ名は「黄色い涙」)



晩年は寂し気な顔のピエロのイラストをよく描いたり



すべてを受け入れ、達観した「風の吹く街」という
シンプルながら哲学的な作品を残したりもしている。



苦悩を描きつつも独特のセンチメンタリーを持った永島作品。
それらそのものが「ぽえむ」だった。

しかしこれほどまで苦しみ、考え、陥り、のたうつ人生が
現代社会にあるだろうか。
「青年期に悩むとはこういうこと」という様を見せつけられ
これから独り家を出ようとしていたワタシは瞠目した。
「独りで生きるのだ」「のたうちながら自分の道を探す」
そんな思いとともに都会に出て行く決意をした。

さて、今のワタシは
晩年の永島氏のような悟りを得ているのだろうか。
もう一度振り返ってみるために
久しぶりに頁をめくってみようと思っている。
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「小さいおうち」

2013-08-28 | 読書


静かな感動。
これこそワタシがやってみたいことだ。
知識として知っている歴史を
現代の視点で遡り、俯瞰で見るのではなく
(あるいは昭和○○年の××が
 △年後の□□につながる・・・みたいな
 教科書通りの時系列で辿るのではなく)
当時市井の人々がその時々にどう思い、どう感じ、
どのように生きたのか。
次の瞬間何があるかわからないまま
今起きていることが何を意味するのかについて
どう考えていたのか、
そういうことをとても知りたいと思うのだ。
例えば昭和20年7月に応召した人は
翌月終戦を向かえることなど当然知りはしない。
そんな状況の中でどんな思いで入営していったのか。
そういうことをその人の目線で追いかけたいのだ。
例えばウチの祖父、例えば親父、例えば親父の兄弟たち。

以前書いた浅田次郎さんの「終わらざる夏」も
ある意味そういうストーリーだった。
本書は更に、もっと戦争から遠いところで
日常生活を営んでいた一家とその女中の話だ。
今この時代から当時を想像してみると
昭和の初めの治安維持法施行、大政翼賛体制成立、
国家総動員法の布告などを経て
日本中がカーキ色になっていったようなイメージがある。
でもね、ある日を境にそうなったわけではない。
毎日の日常があり、ささやかな団欒があり、
人々は笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら
それまでと変わらない生活を行っていたのだと思う。
そんな中、いつの間にか、知らず知らずのうちに
黒い雲は音もなく世の中を覆っていったのだ。

そういうことを知るのはとても大切なこと。
だって現代も当時と何ら変わらないじゃないか。
「昔のこと」と決めつけるのが一番危険だ。
日本人に限らず、
人類はすべからく歴史から学ばなくてはならない。

それともうひとつ。
歴史はひとつひとつが独立してあるわけじゃない。
ゆっくりと、時間は絶えず流れ続けている。
年寄りにも、青春時代があり、壮年時代があり
そして今がある。
もちろん老年に片足を突っ込みつつある我々にも。
そんなことを改めて感じさせてくれる作品だ。

「小さなおうち」中島京子:著 文春文庫
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恐ろしいことは静かに近づいて来る

2013-08-27 | 世界・平和
「普通の人間は戦争を望まない。
 しかし、国民を戦争に参加させるのは、
 つねに簡単だ。とても単純だ。
 国民には攻撃されつつあると言い、
 平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、
 国を危険にさらしていると主張する以外には、
 何もする必要がない。
 この方法はどんな国でも有効だ」

ナチスNo.2だった
ヘルマン・ゲーリングの言葉とのこと。
まるで今の日本じゃないか。
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旅の終わり

2013-08-26 | 音楽


両親とともに東北~北海道を転々とし、
中学までは成績優秀だったらしいが
経済的理由から高校進学も諦めて
母とともに盛り場で歌ってきたという育ち。
東京の場末で歌っていたところをスカウトされてからは
知的で端正なルックスと鬼気迫るハスキーボイスで
一世を風靡した怨歌の歌い手だった10代~20代。
圭子の夢は夜ひらく」の歌詞の通り
昭和の時代の不幸を一身に背負ったような経歴もまた
彼女のイメージを形作ったのだろう。

でもね。
自我が確立するかしないかの年齢で
親や大人の都合や戦略で自分を形作られた結果、
不幸の影を常に背負わなければいけないと
自らを縛り付けたような人生だった気がしてならない。
ようやく落ち着いた家庭をもち、
娘も生まれてささやかな幸せを築けたのだろうが、
その愛する娘が天才と言われ
徐々に自分の手を離れて独り立ちしていった中、
空の巣症候群も併せて
自分の存在意義がまた揺らぎ始めたのではないか。
まして夫は音楽プロデューサー。
娘の音楽活動について、自分だけ仲間外れと感じ
より孤独感を増していったのではないかと想像する。

いま各種報道から彼女の一生を鑑みてみると
亡くなるまで自分探しの旅だったように感じている。
何とか必死に自分自身の人生を模索し
掴み取ろうとした結果の結婚と離婚、引退と復帰の繰り返し。
そう想像してみると、
両親とともに流浪の旅をしていた頃の方が
まだ幸せだったのではなかろうかという気がしないでもない。
彼女の安住の地はどこだったのだろう。



子どもの頃は演歌にはまったく興味無かったが
なぜか藤圭子さんだけはとても気になる存在だった。
ルックス的に従姉妹と似ていたこともあろうが、
地の底から響いてくるようなあの歌が
暗く絶望的でありながら
どこかBluesだったせいなのかも知れない。
考えてみれば
アメリカ南部の元奴隷たちが絶望的な貧困人生の中で
その生活を歌った初期のBluesと藤圭子さんの歌は
spiritsが同根だったといえるのではないか。
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ぶらり下町散歩

2013-08-25 | 散歩
岩手と東京行ったり来たりと暑さで
さっぱり疲れが取れず、
昼過ぎまで家でダラダラ。
午後からぶらりと散歩に出掛けた。

十間橋商店街からキラキラ橘商店街へ。
面白そうな店を冷やかし、
路地を覗き込みながら、
昭和な下町の風情を楽しんだ。

橘商店街から曳舟駅前に向かい、
「誕生日にケーキ食べて無かったなー」と
前から気になっていた駅前の昭和な喫茶店へ。



アルミマグカップのアイスコーヒーが懐かしい(^^)
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蒸し暑い夜

2013-08-24 | 生活の風景


幻想的。
昨日の東京は
バスタブに熱い湯を張った風呂場に
スーツでいるような天気だった。
会社からの帰り道、買い物の後
スーパーから外に出た途端に
メガネが曇った。
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「終わらざる夏」

2013-08-23 | 読書
  

浅田次郎さんの小説は胸を熱くさせる。
それは彼の手練手管にまんまとひっかかったからだと、
今まではちょっと悔しい気持ちになったりしていた。
でもね。この作品を読んでよくわかった。
浅田さんの作品はものすごくリアルで描写も細かい。
当時のことをよく調べ、
その状況の中で登場人物たちはどう感じ、考えるかを想像し、
そしてそれを表現する筆力を持っている。
読者は各人の想像力の有無に関わらず
容易にその状況の中に身を置き、登場人物のの気持ちを体感できる。
だから場面によってその人物の心情を慮り、涙が出るのだ。

どんな人だって殺し合いなど望まない。
兵隊にもすべからく親や兄弟、家族や友人たちがいる。
人は誰しも平和に幸せに暮らしたいと思うはずだ。
ではなぜ「戦争」という名の殺し合いが起きるのだろう。
それは、決して自らは戦いの中に身を置くことが無い人たちが
戦争開始の是非を決めるからだ。
国家とは「国民の生命と財産を守る」と言われるが、嘘だ。
国民がその生命と財産をもってして国=為政者を守る。
それが戦争の実態であり、国家のホンネだろう。
異論があるって?
じゃあなぜ福島第一原発の汚染水漏れを隠してきたのか。
国民の生命を盾に為政者たちが自分の立場を守ろうとするのは
戦争に限ったことじゃない。
日本という国のリーダーたちは戦前と何ら変わっていない。

「まことのお国の宝は、国民であんす」
本作中に出てくる登場人物の言葉こそ真理だ。

   ☆      ☆      ☆      ☆

「私は軍医になりますが、戦争を憎みます。
 たがいの国民の命を奪い合う戦に、正義はありません。
 たとえ1億が聖戦完遂を叫んでも、私は聖戦という虚言は信じません」

 兵隊の大多数は農民である。
 平時の編成ならばそれも自然の姿だが、
 戦時動員をいつまでも賄えるほど、農民が無尽蔵にいるはずはなかった。
 いきおい、軍隊は農家の唯一の働き手まで奪ってゆく。
 田畑が老人と女子供だけで回ると考えるのは、明らかに幻想である。
 その証拠に、今や国民の食うものがなくなってしまったではないか。
 新聞はこぞって『未曾有の凶作』と書きたてるが、
 それはけっして気候のせいではない。

「どこが非国民なものですか。
 そもそも滅私奉公なんていう考えが、こんな事態をまねいたんですよ。
 それは家族を軍隊に取られている国民すべての本心です。
 誰も本心を口にできず、
 言ったとたんに国民ではないと非難されるような国は、
 もはや国家ではありません。」

 かくして世界有数の科学的実力を誇る軍隊は『皇軍』と称して
 あたかも神武東征踏み跡をたどるように軍旗を押し進め、
 とどまるところを知らなかった。
 『聖戦』であるのだから、一億玉砕もやむなしという論理が生まれ、
 ついには爆弾を抱いて敵艦に体当たりすることが、
 最も神の意志に添う行為となった。

「考えてもごらんなさい。
 たとえばお国が一億玉砕の意気ごみで、
 めでたく聖戦完遂をしたとする。
 そのときたったひとりの日本人が生き残ったとしたら、
 そんな不幸はあるまい。
 玉砕と絶滅が同じ意味だと、なぜ気付かない。
 きれいな言葉を使えば意味まで変わるのか?」

 神武天皇の御戦も戦争にはちがいないのだから、
 大勢の兵隊さんが死んだと思う。
 その兵隊さんたちには、親も子もいたのではないかと考えれば、
 神話の美しさも勇ましさもたちまち燻んでしまった。
 尊い人の命をないがしろにする戦争には、
 良いも悪いもないと思う。
 戦争そのものが悪いことにちがいないのに、
 神武天皇のなさった戦だから
 すばらしいことのように言われているのが、
 静代には理解できなかった。

「ねぇレーノチカ。いったいこの戦争は、
 どれくらいの人の命が捧げられれば終わるのでしょうか。
 何千万人もの罪なき人が死に、
 親も家も失った子供らが何千万人も曠野をさまよっても、
 この戦が正義なのだと、大祖国戦争なのだと、
 胸を張って言い切ることができるでしょうか。」

「戦争に勝ったも敗けたもねぇからだよ。
 そんなものはお国の理屈で、人間には生き死にがあるだけだ。
 アメ公だつてそれは同じさ。
 勝ったところで親兄弟がくたばったんじゃ、
 嬉しくも何ともあるめぇ。
 だから敗けたところでくやしいはずはねぇんだ。」

 浅井先生がおっしゃっていた。
 ラジオがそう言っていたって、新聞にそう書いてあったって、
 鬼畜米英なんて言葉は使うもんじゃありません。
 なぜならば、アメリカやイギリスの子供たちだって
 同じ苦労をしているからです。
 だったら、戦争て何だろう。
 アメリカやイギリスの子供らを、
 大人たちはやはりやさしくかばっているはずだ。
 そのいい人ばかりの国どうしがなぜ戦争をするのか、
 静代にはまるでわからなかった。

「中尉殿。なめたことを言っちゃならねえよ。
 日本が不様に敗けたのは、
 物がなかったからでもへたな戦をしたからでもねぇさ。
 赤紙一枚でしょっぴかれた兵隊に、
 覚悟ができていなかっただけだ。
 やる気のねえ兵隊に戦をさせて、勝ち目なんざあるものかよ。」

   ☆      ☆      ☆      ☆

そして登場人物が書いた手紙の一節。
これは現代の私たちに向けた当時の人々のメッセージだ。
私たちは今、試されているのではないか?

「その戦争が遂に終はりました。
 これだけ尊い人命が喪われれば、
 もう二度と戦争は起こりますまい。
 仮に戦ふ事が動物の本能だとしても、
 萬物の霊長たる人類は行為の愚かしさに気付いて、
 永遠に戦争と云ふ悪行に封印すると僕は確信します。
 明日からは多分、世界中の軍隊が兵器の放棄を考えるでせう。
 戦争の結果の平和はかくも虚しく、
 勝たうが敗けやうが喪われた命は帰って来ないのだと悟るでせう。
 やがて軍隊そのものが地球上から消滅し、
 戦争とは無縁の社会からも全暴力が排斥され、
 人類は寛容と対話の新しい時代の幕開けを迎へるはずです。
 そうならねば嘘です。」

「終わらざる夏」浅田次郎:著 集英社文庫
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柔よく剛を制す

2013-08-22 | スポーツ
花巻東の千葉、ルールに泣き“カット打法”できず

花巻東・千葉のプレースタイル 審判部の注意に批判の声も 夏の甲子園

「柔よく剛を制す」とは日本古来の戦いの真髄では無かったか。
小さい者、弱い者がより大きい者、強い者に勝つために
研究を重ね、されなりの努力をし、
他人に真似できない自分なりの武器を身につける。
それが、例えばオリンピックなどで日本が世界と戦う時の
昔からの作戦ではなかったか。
彼が3年間でこの技術を身につけるのにどれだけ努力したのか。
それを思うとやるせなくなる。
ルールを読んで、その上で彼の技術を改めて見ても、
抵触してるとは自分には全く思えない。
まして野球をする子たちは少年野球の頃から
「なんとかファールで粘って四球ででも出塁を」と指導を受ける。
今回だって春の大会、県予選~3回戦までは
まったく何も指摘を受けていないのだ。
突然今になって注意を受けても面食らうのは当たり前。
一方で対戦相手が盛んに内角球に足や腕を出し
デッドボールを狙う姿勢には全くノーチェックだった。
ニュートラルな目で見ても恣意的なものを感じる。

審判の言い分を聞くと
高校野球でもからだの大きな子がフルスイングする野球ばかり
推奨されているような気がしてならない。
いろんな体型やいろんな技術を持った子たちが活躍できる場は
だんだん狭められてくるのだろうか。
杓子定規に定型にはめようとする文科省の指導みたいに。
正直、初めて高校野球をつまらなく感じたな。
かなりショックを受けたし、ガッカリ。
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8月21日

2013-08-21 | 風屋日記
お盆明けとともに
やたらドタバタした日が続く中の誕生日。
昨日は昼メシ、晩メシともに
コンビニおにぎりを電車の中で食べた。
(晩メシは新幹線の中)
今日は今日とて盛岡で終日会議だから
昼は仕出し弁当、夜は新幹線の中で駅弁予定。
せめて前沢牛の弁当でも食べようか^_^;

メール、メッセージ、タイムラインでの
たくさんの皆さまからのお祝い、
とても嬉しく思います。
ありがとうございました(*^^*)
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まめぶ汁

2013-08-20 | 食べ物・お店


じぇじぇじぇ。
これがウワサのまめぶ汁。
県北沿岸の久慈市山形地区(旧山形村)の郷土料理で
内陸南部の人間にはあまり馴染みがなかったから
初めて食べた。
鰹ダシがよく利いた醤油汁の中に、
大根、人参、牛蒡、焼き豆腐や油揚、シメジ、
そして中に黒蜜とクルミ入りの団子(まめぶ)が
コロコロ一緒に煮込まれている。
汁は美味しい。具もけんちん汁みたいでgood。
そこにまめぶの甘い味が・・・。
不思議な味覚だけど、妙に癖になりそう^_^;
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「少年H」

2013-08-19 | 映画・芝居・TV


降旗監督独特の
余計な説明や感情表現を排した眈々とした語り口。
子ども目線から見た戦争と、
その中で生き抜こうとする大人たちの姿。
最新の映像技術を駆使して当時の空気を再現し
市井に生きる人々を描いている。

戦後生まれの私たちにとって
戦中・戦後は昔の話であり歴史上の出来事だが、
こうやってリアルに再現された当時を見てみると、
なんだ今と変わらないじゃないか。
いろんな意味で。
デマや社会の空気に左右される
一般の民衆の愚かしさも。

日本人は基本的に真面目なのだと思う。
だから本筋からだんだんズレていき、
理不尽なことがはびこる社会になっていっても
いつの間にかそれを盲目的に信じてしまう。
ある種の幼さがこの国を危うくすることもある。
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太田橋

2013-08-18 | 生活の風景






家の近所、上根子熊野神社のすぐそばに
幹線道路が豊沢川を渡る太田橋がある。
花巻市街地から太田、笹間地区へ路線バスが通り、
遠くは北上市、西和賀町~秋田の横手へ通じる
昔からの主要道路だ。

この橋の桁が落ちたとのことで、通行止め中。
原因は7月の集中豪雨とのことだが、
もちろん老朽化もあろう。
しかし遠因に震災があろうことは想像に難くない。

目に見えないところにも
震災の傷跡はたくさん遺されている。
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花巻・大迫 あんどんまつり

2013-08-17 | 文化




初めて見た。
青森ねぶたや弘前のねぷたなどの
もしかしたら原型なのかも知れない。
音頭上げも盛岡八幡宮の元となっている由。
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