風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

高円寺

2022-11-30 | 風屋日記
駅前のラーメン屋
1杯のコーヒー飲みながら文庫本を読む喫茶店
お婆さんが店番のたばこ屋
住宅街にひっそり掲げられる赤提灯
いつも混んでいる安い定食屋
誰かがスティック持ってドラムの練習をする夜中の公園
「コンビニエンス」と看板に書かれた個人商店
道路にまで売り物のカラーボックスが置かれた家具屋
銭湯まで歩いて5分

傾いたファンシーケース
中古屋で買ってきた油だらけのカラーテレビ
同じく中古屋で買った古いベッド
上からぶら下がる鎖を引く方式の和式トイレ
押入れのシミのついた襖
ところどころ凹む畳
サッシではなく木の窓枠
真鍮色のずしりと重い玄関の鍵
いつの間にか姿を消した関西出身の隣の兄ちゃん
窓を開けると1m先に隣家のモルタル壁

青春のまち 高円寺
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100年目の命日

2022-11-29 | 文化

日曜日の夜は、茶寮かだんさんにて
5回続いた「宮澤トシ没後100年記念イベント」の最終回。
「トシが息吹く、イーハトーブの音風景」セミナーが行われた。
茶寮かだんさんには賢治さんの妹クニさん愛用だったオルガンがある。
講師の太田代政男先生が、時折そのオルガンを弾きながら
小学校時代〜花巻高女時代〜日本女子大時代の音風景を語り、
そのあとで石原黎子先生による、賢治さんの詩「無声慟哭」三部作と
生前トシさんが書いた「自省録」の一部朗読があった。



まずは太田代先生からの「音風景」の話に得心。
「サウンドスケープ」と言い表していたが
確かに音楽にはそれを聴いた時の周囲の情景や心象風景がともにある。
我々より少し上の世代にはグループサウンズが音風景だったろうし、
私と同世代の人たちにとってはフォークやニューミュージック。
ちょっと下はシティポップスのように
青春時代に流行り、想いを込めて聴いた音楽が音風景に繋がる。
私が「名曲」と思う曲が、今の若者にも刺さるわけではない。
聴いていた当時の風景が音楽に乗せて心に届くのだ。
トシさんには花巻高女の校歌だったり、日本女子大の愛唱歌だったり。

そしてその中で興味深い話がふたつ。
ひとつめは「君が代」に関することだった。
明治24年に、時の政府は「小学校祝日大祭日儀式用唱歌」を制定。
その中で「君が代」は「唱歌(!)」として
「天皇の治世を奉祝する歌」と定められたのだという。
詞はもちろん古今和歌集の読み人知らずの歌だが
それにメロディーがつけられたのは明治13年とのこと。
つまり「新政府による天皇親政を図るための歌」だったということ。
昭和初期にはそれが国歌と定められ、平成11年には法制化された。
靖国神社同様「明治政府による意図的に作られたもの」だったわけだ。
それにしても「唱歌」だったとは。
そういえば私が小学校の頃の音楽の教科書には
「国歌」や「唱歌」の記述もなく
唐突に「君が代」の歌詞が載っていて不思議に感じた記憶がある。

もうひとつ。
トシさんが女学校時代、
東京音楽学校を出たばかりの新進気鋭の若手男性教諭をめぐり
ほかの女生徒との三角関係を新聞に書かれた事件があった。
もちろん貞操が倫理とされた時代、具体的なことは何もなかった。
単に「エリート音楽教師への憧れ」だったろう。
狭い花巻のまちなので、当然まち中にその噂は広がる。
トシさんは深く傷つき、家族も胸を痛めて
とうとう卒業後は一旦花巻を離れるべく日本女子大に進学したらしい。
大学卒業後、まだ噂話が燻っていた花巻に
体を壊したりしていたトシさんは帰省せざるを得ず、
しかも辛い思い出がある母校の花巻高女の教員になることとなる。
そのタイミングで書かれたのが「自省録」だ。
忌まわしい過去を自分の責任と感じ、
それを昇華すべく信仰に生きようとした。
結局1年でまた体を壊し、教職を辞してしまい
その数ヶ月後に亡くなってしまうのだが
元凶となった新聞記事は政争によるものだというのだ。
旧花巻町と旧花巻川口町は、2大政党それぞれの強力な地盤。
当時県内にあった2大新聞もそれぞれの政党に付いていた。
宮澤家は花巻川口町の実力者。
旧花巻町の立憲同志会および支持する岩手民報が
政友会の支持母体だった旧花巻川口町の実力者を腐すために
あえてスキャンダルを掲載したというのだ。

賢治さんがトシさんの死を悼んで読んだ詩「無性慟哭」三部作は
巷間「1番の理解者だった妹を失った悲しみ」と言われるが
それだけではなく、その苦しみに満ちた22年の人生を
不憫に思って詠んだものではなかろうか。
そう思いながらオルガンの音を聞いていると
「賢治の妹」と取り上げられることが多い「宮澤トシ」という人が
この時代を苦しみながら生きたひとりの女性として
リアルに感じられてくる。
そんな悔いの残る短い人生を送ったトシさん。
このセミナーが行われた11月27日は
そのトシさんが亡くなって100年目の命日だった。

ほかにも数々の歌とともに興味深い話の数々。
本記念事業の最終課にふさわしいものとなったのは
事務局を仰せつかった者として、とても有意義だった。

セミナー後の会食も、ひっつみが美味😊
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きたかみスナップまち巡り1127

2022-11-28 | 散歩

先月に続き、第2回目にも参加。
北上のまちを歩くのは滅多に無いので
とても新鮮で面白い。

今回は詩歌文学館集合で詩歌の森やまち歩き。
各々カメラを持って気に入ったシーンを撮影し
最後に撮った写真を見せ合う。
紅葉も終わり、
なかなか撮影シチュエーションが難しい季節だが
それでもそれなりに雰囲気を出せる。
皆さん写真上手いなぁ。
特に子どもを撮ったものがなかなか良い。
風は強かったけど、天気が良いいので、
光と影の使い方が今回参考になった。
来春花巻でも実施したい。



詩歌の森は今回が2度目だけれど、
詩歌文学館には初めて入った。
今度ゆっくり行ってみよう。
かなり以前、当時のI北上市長と話した時
「花巻はコンテンツがたくさんあっていいですね。
 それをもっと活かせれば。
 北上は無いので作るしかないんですよ」
と詩歌文学館のことを話していたことを思い出す。

タイトル「出番待ち」

タイトル「ワニ」😁
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コーヒー

2022-11-27 | 文化

初めてコーヒーを飲んだのは小学生の頃。
休日の朝、親とともにインスタントコーヒーを飲んだ。
氷砂糖を入れ、ミルクも少し。
そのスタイルは中学生の頃まで続いたかな。
親たちはたまに気に入った喫茶店でも楽しんでいたらしい。
カップルで喫茶店に入ると「お砂糖おいくつ?」と聞かれる時代。

高校に入ると、自分なりの気に入った喫茶店ができ
コーヒーをブラックで飲むことを覚える。
甘いコーヒーも悪くないけれど
甘く口に残る後味が好きじゃなかったので
すぐにブラックコーヒー党になった。
熱いブラックコーヒーを飲みながら文庫本を開く毎日だった。

大学に入ってからは憧れていた喫茶店に。
(写真はその店「ぽえむ」にて)
またコーヒー専門店でアルバイトしたこともあって
ミルとペーパーフィルターで淹れるセットをアパートに揃え
自分でも毎日淹れるようになった。
コーヒー専門店で教わった淹れ方は今も実践している。

勤めている頃は、気合入れるためにカフェイン摂取に努めた。
コーヒーを味わうどころじゃなかった。
ガンガン飲んで睡眠不足をごまかしごまかし仕事をした。
たまに外出時、ちょっとカフェに寄って深呼吸したけどね。
あの頃は1日に何杯飲んでいたんだろう。
中毒気味だったのではないかと思う。

今はせいぜい1日3杯ぐらい。
毎日朝食後と夕食後(夜飲んでも眠れないなんてことはない)。
昼間はミーティングや用事のついでに1杯か2杯。
勤めている頃同様、外出ついでにふらりとカフェに入ることもある。

本とコーヒーが好きなときに好きなだけ手に入るなら
禁固10年ぐらい食らっても平気・・・などと
以前は言っていたけれど(+タバコも😅)
いろんなカフェや喫茶店のコーヒーを飲み歩くのもいいよね。
そういう意味では自由の身がいいな😁

とりあえず、コーヒー党ではある。
今はの際に1杯のコーヒー・・・いいね。
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モノサシ

2022-11-26 | 社会
スポーツが得意で、おおらかで細かいことは気にせず
時折馬鹿馬鹿しいことに懸命になる、子どものような無邪気さを持ち
仕事となるとバリバリこなし、頼り甲斐もある、
気は優しくて力持ち。
そんな人は「男らしい」と称される。

料理や裁縫が得意で、細かいところによく気が付き、
愛嬌があって明るい性格。
目立たないところでそっとサポートすることができて
子どもや弱い人たちに優しい。
そんな人は「女子力が高い」と称される。

私は得意ではないけれどスポーツが好きで、
馬鹿馬鹿しいことに血道を上げることもよくあるけれど、
裁縫や手芸が好きで、大して力持ちでもない。
それは果たして男らしいのか、女子力を持っているのか。

「かくあるべし」「男らしく、女らしく」「歳相応に」
そんなことで自らを縛るから生きにくさを感じると思うんだけど。
ジェンダーギャップは性別を狭い範囲に閉じこめる。
単一のモノサシは、それに当てはまらない人たちを弾き出す。
トランスジェンダーやXジェンダーの人たちはもちろん、
体と性自認が一致する人たちもそこに自分を当てはめようと
悩み、傷つき、自分を変えるべく苦労する。
性の問題だけじゃない。
国籍も、人種も、宗教も、年齢も、育ちも、生活環境も、
そして心身の障がいも。

モノサシって欲しい?
他国やかつての日本では
たぶん倫理がモノサシだったのだと思うし
例えば「殺すな」「盗むな」「騙すな」ぐらいの
ごく基本的な教えだったと思うけど
現代の日本においては儒教的な倫理観が無くなった結果
周囲の目が物差しになってしまったのではないかと思っている。
本家だ、分家だ、昔からのしきたりだとか
そんなものから現代社会は自由になったはずなのに、
隣組や集落自治の社会も昔に比べて薄まったはずなのに、
世間体や周囲の目も気にしなくなってきたはずなのに、
自らを縛る新しいモノサシを自ら持ってしまって
苦しむ現代人たちをかわいそうに思うんだ。
自分で自分を縛るだけなら、本人の問題で済むけれど、
自分なりのモノサシで
他人を差別したり非難したりすることは犯罪とも言える。

そろそろ自由にならないか?

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ガリ版

2022-11-25 | 文化

私の両親は教員だったので
テスト問題作ったり、課題や資料作ったりするために
自宅にはガリ版のヤスリや鉄筆があった。
ガリ版とは正式名称が謄写版印刷(孔版印刷とも)といい
蝋が塗られた原紙をヤスリ板の上に置いて
鉄筆で字を書いて蝋を削り、
写真左の印刷板に原紙を貼り付けて下に紙を置く。
上からローラーでインキを塗ると、
蝋が削られたところにだけインキが乗るという印刷方法。

・・・という説明しないと、今じゃわかる人少なくなったよね😅
でも、いわゆるワードプロセッサーという画期的な機械が
普及してきた1980年代後半以前は
これが一般的には身近な印刷方法だった。
私が高校時代に友人たちと作った文芸同人誌も
大学の頃に、やはり友人たちと作ったミニコミ誌も
すべてガリ版で作ったものだ。


この写真は大学1年の頃に作ったミニコミ誌。
袋綴じで、30数ページあったかな。
すべて(ほぼ徹夜で)私が書いた(描いた)ものだ。
なにしろ鉄筆持っていたのは私だけだったし。
そして大学の印刷室を借りて、確か50部ほど印刷した。

ガリ版の原紙はのちに鉄筆を使わなくてもいい
ボールペン原紙が発売されてさらに一般的なものとなり、
「プリントごっこ」と名付けられて商品化。
年賀状需要で爆発的に売れたものだった。
それも90年代ぐらいまでかなぁ。
まだ姿形すらなかったスマホはもちろん、
PCですらまだ持っている人は少なかったけれど、
ポータブルWPがカラー印刷できるようになってからは
一気に時代はデジタル化した。

でもね、ガリ版の暖かみある印刷風味は
なかなか悪くないんだよね。
活版印刷の文字のくぼみやシャープな線と同様
ひとつの文化じゃないかと思うんだ。


この写真は戦時中に花巻で発行された文芸同人誌。
「漂泊の教師」と言われた白樺派自由主義の教師赤羽王郎氏が
当時の花巻の青年たちとともに作ったものだ。
同人には宮沢賢治の弟清六氏や
新俳句で知られた俳人加賀谷灰人氏などとともに
私の父もいた。
この同人誌全体がなんとガリ版作りなのだ。
表紙のカラーイラストも❗️
赤羽氏はガリ版の高度技術者としても知られていて
こんな技を持っていた。
ガリ版を極めるとこんなこともできる。
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花巻市青少年郷土芸能フェスティバル2022

2022-11-24 | 神楽・芸能


午前中は地元神社で新穀感謝祭があったり
午後会場入りしてからも自分たちの準備があったり
すべての団体演舞を見たわけじゃないけれど
大仕掛けの山田町の虎舞の大迫力や
二子鬼剣舞の小学1年のちびっこの本格的な舞、
(ホントに上手かった。庭元の孫との由)
著名な大償神楽佐々木隆代表の孫による艶やかな女舞など
若い世代のポテンシャルを見せつけられた。
素晴らしい。

鬼剣舞の小学1年は2歳から始めたとのこと。
もちろん庭元のおじいちゃんも一緒だったろうが
周囲の大人たちとも触れ合いながらの伝承。
地域のコミュニティや教育力が
いかに子育てに大事かを改めて感じた。
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勤労感謝の日

2022-11-23 | 神楽・芸能
本来は新穀感謝祭。
皇居内でも新嘗祭が行われるはずだ。
午前中は地元上根子熊野神社での祭式のお手伝い。
そして午後からは↓これ。


今回は中学生がひとりで三番叟を舞う。
ほかにも興味深い出演団体が揃っているね。
ぜひ会場にお越しください。
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惜別

2022-11-22 | スポーツ

岩手県営野球場は1970年に開場してから52年。
その役割を来年開場のきたぎんボールパークに譲り、
今年で閉場となる。
先日はお別れイベントで一般に開放したニュースを見た。
1970年、小学4年生だった私は
この新球場オープンを記念して行われた
ヤクルトアトムズvs大洋ホエールズの
プロ野球公式戦に父に連れられて観に来ていた。
私にとって初めてのプロ野球生観戦だった。

自分の高校時代、野球部の応援では何度も来た。
1年の夏の水沢商業戦は、試合前の校歌斉唱が周囲の山にこだまし
その雰囲気だけで勝ったと確信したものだった。
1点ビハインドの最終回2死3塁からの
伝説のセーフティスクイズがあった宮古高校戦は
残念ながら学校行事の関係でTV観戦だったが
準決勝の福岡高校戦の悔しい敗戦シーンも思い出だ。
2年の時も、3年の時もここに来た。
高校を卒業してからも母校の試合を見に何度も通った。

都市対抗東北予選を見に来た時は
岩手銀行チームの応援団リーダーをしていた同級生に会った。
その後常務取締役になった彼は数年前病気で急逝してしまった。
のちにプロ野球阪急→阪神で活躍した電電東北の古溝投手も
確かその時生で見た。

小学生の頃にここで行われたオリックス戦で
間近にイチローを見た息子たちは小中高と野球を継続。
息子たちが高校野球で現役だった時代は
もちろんここで行われた開会式を含め、全試合を観た。
長男が3年夏の時はここで試合をすることはなかったが
次男の夏は私が高校1年の時と同じ福岡高校に
ここで惜敗したのを見届けた。

次男は地元北東北大学リーグで硬式野球を継続。
この球場でも何度も試合を行った。
そんないろんな思い出がある岩手県営野球場で
先日の日曜日、岩手大学硬式野球部OB会が行われた。
いつもなら「孫を頼む」だけの依頼が
今回は「一緒にこない?」とのお誘いが次男からあった。
娘をかつての監督や仲間たちに見せたかったこともあろうが
もしかしたら私にこの球場の最後を見せたかったのかも。







広い天然芝の外野を関係者の子どもたちが走り回る。
見渡せば360度懐かしい景色。
グラウンドの土の匂い、芝の匂いを思い切り嗅いだ。
私自身は、会社の草野球で1度ここでプレーしただけだが
スタンドは何度も行き来している。

球場内の会議室で行われていたOB会総会が終わると
OBたちは三々五々ダッグアウトにやってくる。
3塁側のダッグアウトには現役の選手たち。
午後からOBvs現役の試合が行われるのだ。



ここから試合を見るのはレアだね。
次男と大学野球部同期で、
プロ野球ソフトバンクに一時在籍していた三浦くんとは
次男の結婚式に来てくれて以来久しぶり。
当人同士は昨年の三浦くんの結婚式で会っているようだが
一緒に野球するのは久しぶりじゃないかな?
試合前に外野でキャッチボールする2人がとても楽しそうだ。
なんかその姿を見てウルッときてしまった。
試合前のシートノックも楽しそう。
次男はセカンド、三浦くんは先発ではファーストに。


途中から三浦くんがマウンドに立った。
「この何年も全然投げたりしていないので、マジ無理」
と苦笑いしてたが、変わらぬ美しいアンダースロー。
元プロ選手ということで
現役の選手たちが一斉にマウンドを注目していた。




私自身はまったくの部外者なのでおかしな話だが
なんかこっちまで仲間のような気すらしてくる。

試合の合間に、普通は入ることができない場所へ。
選手控え室に入って見つけた。


今年行われた、ここで最後のプロ野球公式戦楽天vs日ハム戦で
この控え室を使った楽天の選手たちがサインを残していた。
岩手出身で、この球場に思い入れがあるという銀次選手はじめ
(銀次選手は、学校は違うがうちの長男と同期)
則本選手、松井選手などのほか、
やはりここで何度も試合をしてきた
北東北大学リーグの富士大出身の鈴木翔天選手のサインもある。
またまたウルッときてしまった。
たくさんの選手たちの汗を含んだフロア、
たくさんの高校球児の涙を染み込ませたグラウンド、
たくさんの人たちの思い出がある場所。
たくさんの人たちの青春の地。

誘ってくれてありがとうと次男に言いたい。
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温泉のはしご

2022-11-21 | 食べ物・お店
昨日は昼から渡り温泉で行われた
温泉と郷土芸能のイベントに上根子神楽で出演。
三番叟の小学生たち、岩戸開きの勇壮な舞、
そして定番の鐘巻の会場内阿鼻叫喚と、
私たちもそれなりに手応えあるご披露となった。
終了〜片付けのあとはもちろん温泉。
このイベントで外来入浴は受け入れておらず、
昨日はほぼウチらの神楽団体貸切状態。
ゆっくりと入っていられた。

一旦神社の社務所まで戻り、
衣装や道具を片付けたあとはもちろん直会。
さて・・・とみんなが飲む準備できたあたりで
私だけが「お先に」と。
夜会う予定の人がいたので、今度は大沢温泉へ。
大沢は夜も絵になるねぇ。


「温泉はしご」とは言いつつ、
大沢でも入浴したというわけじゃない。
中にある食堂「やはぎ」での待ち合わせ。
もちろん帰りが車だから飲むわけじゃないけど、
なんかこういうのもいいねぇ。
それなりにまったり。


水車で挽いたという「水車田舎そば」が絶品。
大根おろし汁はもう少し量欲しかったなー。
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「さまざまなわたし vol.8」

2022-11-20 | 仕事

今回は若い人。
Xジェンダーで性的指向がクエスチョニングという方。
これまで取り上げてきた性的マイノリティの方々は
生きにくさを感じていたり、
自分のアイデンティティに悩んだりしていて
密かに苦悩を抱えている人たちが多かった。
しかし今回のFさんは声高にこそカミングアウトしていないが
実に自然体でしなやかに生きている。
他の当事者の相談相手になったり、コミュニティ作ったり
地に足をつけながら、アクティブだ。
こういう若い人たちが次の社会を作っていく。
期待。

全国の書店でも販売されていますが
下記リンクからAMAZONでも買えます。

 
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「温泉と郷土芸能フェスタ2022」

2022-11-19 | 神楽・芸能


コロナ禍で、一昨年〜昨年の2年間は
神楽の出番が極端に少なかった。
我々上根子神楽は一昨年が150周年だったのだが、
その周年事業も無期限延期のままだ。
ところが今年に入ってから(正確にいうと今春から)
突然出番が一気に増えた。
行動制限がなくなったためだと思われる。
特に6月からこれまで、月2回〜4回の出番が続く。
なかなか忙しいが、ありがたいことだ。

出番は増えたが、大抵1〜2演目。
多数の演目ご披露の場はこれでなかなかまだない。
そんな中でこの話がやってきた。
このイベントも3年ぶりの開催とのこと。
温泉に入って神楽を鑑賞するという、花巻満喫イベントだ。
今回は3演目のご披露でメンバーも張り切っている。
ということで、ご都合がつく方はぜひ足をお運びください。
明日です。
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リアル「釣り人万歳」

2022-11-18 | 

釜石モニターツアー2日目は釣り!
NHK BSの「釣り人万歳」をいつも観ていながら、
実は釣り経験のない私には、
これまたかねて念願の海釣り初体験となった。


いざ出発。


沖に出ると、なんと目の前を
豪華客席サンフラワー号が横切っていく。
デカいなぁ。

釣りが始まったらもう写真を撮れず😅


参加者みなさんで釣果はこんな感じ。
初心者が多かったにもかかわらず
狙っていたカレイもそこそこ。
他にイイダコ数匹など。
私はカレイ4枚とタコ1匹の初体験だった。
楽しいね😊


帰りは釜石大観音を眺めながら。


下船した後、去っていく船の姿がカッコいい。

そして最後は朝食。
なんと前日のドンコ尽くし😁




フライにたたきにあら汁。
フライは歯がなくても食べられそうなほどフワフワだ。

さて、さんざん楽しんでおいて言うのもなんだけど、
今回はあくまで仕事のスタンス。
このツアーをどういう形で、
どのように、いくらで売っていくか。
なんでもありの大満足だけど、
もちろんそれなりの値段になる。
1度経験すれば素晴らしさがわかるけど、
その前のプロモーション段階で
それなりの価値を感じてもらえるかどうか。
それをちょっと考えてみたいなぁ。

また、こういうイベント関係に参加するメリットだが
面白い方々に会って人脈ができる。
今回も何人かの方々といろんな話ができて
新しい発想や企画が出てきそう。
それはそれで楽しみ😊
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漁船初体験

2022-11-17 | 
昨日は、主催者からお招きいただいた
釜石体験モニターツアー初日。
実は私は昔から船が好きで、
特に漁船乗船に憧れがあった。
今回籠漁を体験できるということで、
楽しみに釜石へ向かった。


参加者は大学生たち合わせて6名。
主催者側から3名の全部で9名。
ゴム引きの上下やライフジャケットを身につけ
いざ乗船。
昨日は比較的波が穏やかだと言うけれど
それでも外海に出ると立ってはいられない。
それが楽しいんだけどね😊


ポイントに到着して籠を引き上げる。


なんと最初の籠には大ダコが❗️
デカい。


主に狙うのはドンコ。


おこぼれを期待して
海鳥たちも船と並走している。


タコやドンコやソイのほか、
ナメタガレイやナマコ、ツブもたくさん。
帰りの船上でさっそくツブを剥く船長さんたち。


帰りは向かい風になって波をかぶる😅


今回お世話になった尾崎白浜漁港へ。


船酔いは全くないまま帰着。


漁業って面白いな。
もちろんこれが仕事となると
大変な仕事というのはわかるけど、
同じ第1次産業でも農業とはまったく違う。
水揚げした後の1杯が旨いという気持ち
今回の体験でよくわかる気がした。


そして夜は昼間獲れた魚を。
このドンコ、アイナメ、ソイの
ど迫力のお造りを見よ!
この中でも、特にドンコは足が早く、
獲ってすぐのここでしか食べられないもの。
しかも肝酢との相性バツグンで
思わず顔が綻んだ。
他にもアイナメの煮付け、ツブの炊き込みご飯など
まぁ人生初ってほどのご馳走だった。
三陸の食はすごい。

今日も漁船クルーズ。
天気はどうだろう。
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バースデーディナー

2022-11-16 | 生活の風景

昨夜、誕生日の夜は火鍋。
花巻の人気店シスターに私の母も一緒に3人で。
いつもは白湯とトマトだったりするけど、
昨日は誕生日当人のリクエストにより
初体験の麻辣と海鮮スープ。
スパイスたっぷり、ダシが効いたスープに
バラ肉や春雨、最後はラーメンを。
お腹いっぱいなのに、変にもたれることがない。
さすがは薬膳鍋。
でもやっぱり私は白湯が一番好きかも😅
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