風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

教育について思うこと

2006-09-30 | 風屋日記
先日、子どもの就寝時間(睡眠時間)と成績との関係が
密接に関係があるとの調査結果が新聞に載っていた。
家族みんなで夕食をとり、
就寝時間も平均して早かった子ども達は
その後の学校での成績も概して良いとの結果だったと思う。
かなり前だが、
3世代同居や親世代が地域活動等を積極的に行っている家庭の子の
コミュニケーション能力が高いという調査結果もあったと思う。

「ゆとり教育の結果が学力低下を招いた」
なーんて言っているのがどんな立場の方々か詳しく知らないけれど
ゆとり教育まっただ中で過ごした子どもを持つ親としては
「なんだそりゃ、なーんにもわかってないんじゃない?」てな気持ち。
学力低下は
学問に対する興味もへったくれも持たせることのない押し付けと
少子化時代に何とか学生を集めようと入試科目を減らしたり
入試問題も簡単にしてきた大学経営の影響だろう。
効率化を追い求め、成長に必要なことを「無駄」と決めつけ
「入試のための勉強」だけを押し付けると
勉強をテクニックとして捉えることとなり、その目的を見誤る。
そしたら誰も「入試科目じゃない勉強は無駄」と思うわなぁ。

学力低下やコミュニケーション能力不足や倫理感の欠如を
教育改革や、まして教育基本法改正で解決しようというのは本末転倒。
それよりも仕事に誇りを持ち、社会をかいま見せてくれる父親、
深い愛情を持ち、それでも口出しをせずに見守ってくれる母親、
然るべき時には叱ってくれる祖父母や周囲の大人達が必要だろう。
そして家族揃って朝食をとり、夕食の食卓を囲み、
会話が交わされる家庭が
学力もコミュニケーション能力も倫理感も育ててくれる。

「美しい日本」の未来を担う「子ども達」に必要なのは
効率、利益、勝ち負けばかりを追い求める企業倫理の見直しと
高給でなくてもいいから仕事をシェアしあい
拘束時間の短い労働条件の確保という
「現代経済界の常識」といわれるものの改革。
どんな政策を弄するよりも、それが一番だと思うんだ。
あとは地域コミュニティーの復活かな。
おバカな親達の教育もね(笑)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お葬式

2006-09-29 | 風屋日記
5年前に8歳で亡くなった
私の姪が眠る時宗常楽寺。
今日は彼女のおじいちゃんのお葬式。
もうひとりじゃないから
寂しくないね。
おじいちゃんといっぱい遊んでね。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

童話

2006-09-28 | 風屋日記
たまにはこんな話もいいだろう。

昔から絵本や童話が好きだった。
絶対に自分では書けないジャンルの文芸作品。
だからこそ、そのイメージ豊かな、直接心に触れてくる
絵本や童話に惹かれるのかも知れない。

「はらぺこあおむし」のような
現代のスタンダードももちろん好きだし、
五味太郎さんのシュールな世界も大好きだ。
「グリとグラ」は、
世界各国のことばで朗読されたCDが面白い。
でもね、
私が絵本や童話に触れた原点となった作家たちは
今でも色褪せることなく心の中に生きている。

浜田広介さんは友情や家族愛を描きながら
心の芯ともいうべき根底から揺さぶってくる。
今でも読後には鼻の奥がツーンとする。
「泣いた赤おに」はもちろん
「りゅうの目のなみだ」も印象に残る作品だ。

斉藤隆介さんは、実は私が最も敬愛した作家。
恐らくほとんどの作品を読んでいる。
ラストシーンで背中に戦慄が走った「ベロ出しチョンマ」
幕末から明治にかけて、貧農に生まれた男の子の
生涯をたどる話がおもしろい「ちょうちん屋のままっこ」
スケールが大きく、ハートウォームな「三コ」「八郎」
それらの他「モチモチの木」や「半日村」も
滝平二郎さんの切り絵が印象的だ。
「ゆき」だけはいわさきちひろさんだったかな。

それに、私的にははずすことのできない宮沢賢治さん。
彼の作品も、詩や短歌を含めほとんど読んでいる。
有名な作品はもちろんのこと
「祭の晩」や「なめとこ山の熊」、「烏の北斗七星」など
印象的なイメージと心の中の柔らかいところに直接響く
悲哀が感じられる作品が好きだ。
中には「カイロ団長」のように
イタズラっぽい目で権威をからかう作品もある。

これらの作品に共通しているのは
「国を愛する心」や「道徳心」を強要していないこと。
そんなうさん臭いものは子ども達は敏感に嗅ぎとってしまう。
心を揺さぶり、弱いところをつかれ、
泣き笑いして読んでいくうちに
自然に豊かな感情や心が育っていくだろう。
それこそが今も子ども達に必要なこと。
「国を愛せ」なんて直截的なことばは誰も見向きもしないよ。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和35(1960)年生まれ

2006-09-27 | 風屋日記
昭和35年 出生
前年の浩宮誕生を受け、同級生には浩の字がつく名前が多い。

昭和39年 東京オリンピック開幕
ファンファーレのメロディーは何となく覚えている。
御多分にもれず風屋家でもこれを機会にTVを購入し、
NHK「お母さんといっしょ」のブーフーウーに夢中だった。

昭和42年 小学校入学
1年だけ花巻小へ通い、2年からは新設の若葉小へ。

昭和43年 十勝沖地震
小学校2年生で新しくできたばかりの校舎にひびが入る。

昭和45年 大阪万博開幕
遠いために行けなかったが、特集雑誌を買い漁った。
岩手国体が行われ、テニス会場になった隣の中学校に
学校を挙げて花のプランターを整備。

昭和46年 父親の母校である花巻北高が夏の甲子園出場
5年後私も入学、後に息子達がその野球部に入部することになる。
グループサウンズは下火になったものの、
ピンキーとキラーズが一世を風靡。

昭和48年 中学校入学
世はフォークブーム。やまがたすみこと岡林信康のレコード購入。
グリーンスタンプで引き換えたガットギターにスチール弦を張り
拓郎や陽水、かぐや姫などのコピーを始める。
その後はっぴいえんどやポプコンの面々に出会う。
3年の時にEric Claptonの「安息の地を求めて」「EC was here」
を買い、Bluesに目覚める。
特に「Singin' the blues」「Can't find my way home」がお気に入り。

昭和51年 高校入学
有名なアマチュアフォークグループのメンバーだった先輩のSさんに憧れ
まったくそれまで門外漢だったが声楽部(現合唱部)に入部。
相変わらずのBlues好きでECやAllman Brothers BandのLPを購入。
一方でJAZZ好きの友人の影響でModern Jazzも聴きはじめる。
大きな影響を受けたカミュ、ランボー、永島慎二と出会う。

昭和54年 大学入学
家を離れた。
Southern All Starsの「いとしのエリー」に感動。以来SASファンに。
今でも最も運命的な出合いと思っているYと恋に落ちる。
その後の2年半はYとともにあった。
2年後の9月にYとの衝撃的な別れ。この後の生活は苦い思い出。

昭和57年 東北新幹線開業
この年の1月から某TV局の契約社員となり情報番組のADを務めていた。
新幹線開業の日を暫定始発駅だった大宮駅の中継クルーとして迎える。
六本木で遊び呆ける日々。

昭和58年 東京ディズニーランド開園
勤めていたTV局の子会社から就職内定取り消しに遭う
円高不況による就職難の世相もあって留年・就職浪人することに。
家賃以外の仕送りがストップ、アルバイトの日々で食うや食わず。
結局、メシを食うために帰郷を決意。

特に後半は波乱万丈だったけど、
同世代の人達も同じような青春時代を過ごしたんじゃないかな。
私が育ったのはこんな時代の中でした。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経験

2006-09-26 | 風屋日記
先日の東京出張の帰りがけ、長男とともに
シャンティ国際ボランティア会(SVA)の事務所を訪ねた。

SVAは上根子神楽の子ども達が2度参加している
アジア子ども文化祭(Asian Children's Cultural Festival - ACCF)
を企画・実施している団体。
本来の活動はタイ・ラオス・カンボジア・アフガニスタンの
山岳少数民族の子達、スラムの子達、紛争難民の子達など
教育機会に恵まれない子ども達への教育支援だ。
移動図書館を運営し、日本から絵本や謄写版の機械(!)を送り、
学校へ行きにくい子ども達のための学生寮を運営し、
そして民族文化を大切にすべく、歌や踊りを教える施設を提供している。

その活動の中でも、
各々の国の子ども達が出会い、仲良くなり、
そして精一杯自分達の文化を知ってもらうべく
伝統芸能の歌や踊りを発表する場がACCFというイベントだ。
私もこれまでこんなことこんなことを書いて紹介してきたつもり。
子ども達の笑顔と感動に出会える素晴らしいイベントだと思う。

今年のACCFの会場はカンボジア。
それにうちの長男が、国際政治を学んでいる高校時代の友人とともに
ボランティアスタッフとして参加することが決まった。
今回SVAを訪問したのは、
私自身が会員になってから一度も訪問したことがなく、行ってみたかった
ということと、長男の打ち合わせを兼ねたものだった。
2度参加したタイでのACCFでお世話になったrwwaさんに案内いただき、
事務所内をいろいろと見せていただいた。
スタッフの方々はみんな真直ぐな目を持っている。
私も一応人事などを仕事で担当しているが
こんなにキラキラした人達がたくさんいる組織はそんなにないだろう。
改めて、心から応援したくなった。

2年前に日本で行われたACCFでは
当時中学校3年生だった次男がボランティアスタッフとして参加した
そのころ高校球児だった長男がどんなに羨ましがったことか。
今回、まだケガも完治していない長男が
それでも行きたいと言うのはそんなことがあったから。
なにせ受験生の頃から言ってたしね。

以前書いたように、SVAをはじめとしたNGOで活動する人達に
私の若い頃を重ねると後ろめたい気持ちになる。
当時の私は何も考えず、何もしていなかった。
今、だからこそ、自分ができないことを、できなかったことを
息子達が飛び込んで行ってくれるのがうれしいのだ。
私が今、長男や次男の年頃であったならば
私も間違いなく参加している。
本当なら自分がやりたいんだよね(笑)

色んなことを頭で考えるのではなく、
体で感じてくればいい。
多分仕事はキツイけど(次男の時は寝る暇がなかったらしい)
絶対にいい経験ができる。
特に初めて体験することになる友人のK。
考え方や価値観が変わると思うよ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治家

2006-09-25 | 風屋日記
今回、自民党総裁になった安倍晋三氏は東京出身だけど
選挙区は父親の晋太郎氏の後を継いで山口県。
ところが、実は岩手県は衣川を本拠とし、
後に前九年の役で源頼義・義家親子に破れた安倍貞任の一族、
安倍宗任が祖先であるとの説がある。

安倍氏は、奥の陸奥国、蝦夷の英雄とうたわれ、
9世紀の昔、坂上田村麻呂の率いる朝廷郡に破れた
同じ岩手は胆沢を本拠とする阿弖流為(アテルイ)の子孫。
朝廷から遠く離れた北の国で山河を駆け巡り
平和な民の生活を守った古代のリーダーだ。

勇猛果敢、豪放磊落にして自然を愛する繊細な目。
阿弖流為や安倍氏に憧れる岩手県人達のイメージはこんな感じ。
大物政治家の祖父や叔父、父達に囲まれ
東京の私立で小学校から大学まで通して学んだ晋三さんは
ちょっとばかしイメージとは違うかな(^^;
小泉改革で歪みが大きくなった格差社会を是正すべく
色んなことを言っているけど、いまいちピントがずれている。
安倍氏を出自として誇るなら
「美しい日本」を愛する心を強要するより
岩手の、地方の山河や生活を愛して欲しいものだ。

何を隠そう、私の伯父も政治家だった。
長州人の祖父と南部藩士の娘である祖母との間に生まれ、
自分では
「総理大臣が一番多く出ている県と、2番目に出ている県の
 オレは合いの子だからな。政治をやるのさ」
と生前うそぶいていた。
その割には政治家としてちやほやされるのが大嫌い。
黒塗りの車はもちろんのこと、
代議士に交付される公共交通機関のフリーパスすら使わなかった。
清貧を旨とし、選挙で帰郷の際には
選挙カーに乗る合間を縫ってはキノコ取りに興じていた。
「200歳まで生きる積りだったが、やっぱり少し衰えた。
 どうやら130歳ぐらいまでしか生きられそうもない」
と言っては、秘書だった娘から「ご勝手に」と言われていた。
実際には4年前に97歳で大往生を遂げている。

身内を持ち上げるようで恐縮だけど、
どっちかといえば伯父の方が安倍氏にイメージは近いな。
残念ながら野党の議員だったので
政治の表舞台で手腕を振るう場面は少なかったけれど
「老人ホームに場外馬券場を作るってのはどうだ?
 ヒマつぶしになるし、何より頭を使うからボケ対策にもなる。
 地方競馬は早晩やっていけなくなると思うから
 その対策のためにもいいんじゃないか?」
といったような、突拍子もないことをよく口にしていた。
今考えてみると、確かに慧眼だわなぁ。

話はそれたけど(^^;
選挙の時だけ策を弄して票を稼ぐようなことはせず、
あるいは長いものに自ら巻かれることなく
自らの信ずるところに忠実に、信念を持ち続ける
野武士のような政治家はもう現れないものか。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パワーハラスメント

2006-09-24 | 風屋日記
コスモス

今朝は道路の一斉清掃。
6時からみんなで道路の掃き掃除や雑草取り。
手を動かしながら、にぎやかに口も動く。

「もハ稲刈り始まってらっけなー」
「あぁ、おらダも今日がらだナ」
「ンだっか、おらでハ明日がらだ」
「だ~れ、まだ青いどごあるっけがらす」
「ほにナ、あそごらハまだビンビンど青いじゃ」
「じゃじゃ、あんまス早ぐがら稼ぐずど
 熊出ハってくるんだねのが?(笑)」
「ほだほだ、こごらサも熊出ハったっけもな」

いつも塵ひとつない道路はますますきれいになり、
空は澄んで、コスモスが揺れていた。

★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜

そりゃね、国旗や国歌を尊重すべきなのは基本的マナー。
特に他国の方々に対しては
相手の誇りを傷つけることにもなるので
気を使うべきことではある。

日本の国旗と国歌は、つい数年前に法律で制定された。
決まったものには従うよ。
いかに歌詞が現代社会とマッチしていなくても、
過去の暗い歴史を背負ったデザインでも。
(心はどうあれ)法律で決まった国旗と国歌だから。

でもさ、強制するべきものじゃない。
法律が制定された時にも「強制じゃない」って言ってたし、
だからこそ国民からも目立った反対が起きなかったのだと思う。
それがいつの間にか「指導要領にあるから」と
各教委が、従わない教員を処分したり
あるいは人事面で意図的な異動を盛り込んだり。
これは立派なパワーハラスメントだ。
私のMacでは「きょうい」と打って変換すると
「教委」の前に「脅威」と出るよ(^^;

「強制しない」と言った、当時の自民党幹事長から
法律を管轄する法務省へ、
そしてそれを受けて指導要領を作った文科省へ、
指導要領に基づいて指針や通達を出した各教委へ、
情報が下流に流れるにつれ、水質がどんどん変わってくる。
それぞれの担当者が理解する能力を欠いているのか、
それとも確信犯なのか・・・。

まぁどっちかだろうね。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心地いい空間

2006-09-23 | 風屋日記
熊

わが家のすぐ前のリンゴ畑に
とうとうこんな看板が出た。
畑にいた近所のおじさんに聞いたら
数日前の夜、
どうやら1頭ならずいたらしい。
かなりの数のリンゴを食っていったとのこと。
「川近ぐの畑にぁ夏ごろがら来てだみでぇだったけど、
 とうとうこっつまンで出張してきたんだべ、やンや」
とのこと。

東京から帰ってみると
空は限りなく高く、空気はどこまでも透明で
最低気温は1桁台の冷たさが気持ちいいほど。
たっぷり露に濡れた草や木々やリンゴの実が
宝石のようにキラキラ輝いている。

今日は20回目の結婚記念日。
何も特別な予定もものもないけれど、
お彼岸での親父の墓参りやお昼のパスタなど
何となく2人で過ごした休日だった。
20年も一緒にいると
大切に着続けているお気に入りの服みたいに
2人でいることが当たり前で心地いい。
夫婦なんてそんなもんでいいんだろうな。

★。、::。.::・'゜☆。.::・'゜★。、::。.::・'゜

昨日エントリーした
高田馬場のミャンマー、シャン族料理店
「ノング・インレイ」は
シャン族の兄弟が営む小さなお店。
客は満員だったが、私と息子以外はみんなミャンマー人。
どうやら東京における
シャン族のコミュニティーのようだ。
お店のご主人がとても優しくメニューを説明してくれた。

何度かここで話題にしている
盛岡のタイ・アカ族料理の店「サロン・アーチ」の
アカ族出身のアチさんに
「仕事で東京に行く」と言ったら
「ぜひ友達のお店に行ってみて。おいしいよ」
と教えてもらったのがノング・インレイ。
「すみません、盛岡のアチさんから聞いて来ました」
と言ったら、店内で料理を運んでいた女性が
「あ、私がアチさんの友達のメイです。
 遠いところから来てもらってありがとう」
と達者な日本語で笑顔を見せてくれた。

シャン料理もとても美味しかったが
何よりもそのアット・ホームな雰囲気がいい。
日曜の夜にはご主人のボランティアにより
無量でシャン語教室が開かれているとのこと。
言語オタクの息子は、さっそく興味津々のようだ(笑)
次回、上京の際にはまた行ってみたいな。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モ-ニンチンタミンジョ-

2006-09-22 | 風屋日記
同じく同店にて。
いわば高菜チャ-ハン。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミシェ

2006-09-22 | 風屋日記
高田馬場にある
ミャンマ-シャン料理店
「ノング・インレイ」にて魚ベ-スの汁そば。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

象徴

2006-09-21 | 風屋日記
六本木から見た東京タワー。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夕暮れの六本木

2006-09-21 | 風屋日記
懐かしいロアビル前にて。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

応援

2006-09-20 | 風屋日記
ヘッドスライディングで三塁打、
センターへ抜けそうな当たりをダイビングキャッチ、
負けが込んで風当たりが強くなっても
「みんなも悔しいでしょうが、僕達はもっと悔しい」
と訴える涙目。
「負けても負けても、トカゲの尻尾のように再生する」
と周年をあらわにするベテランの主砲。

残り14試合ながら、
そして先日の直接対決で無安打無得点をされながら
またまた首位と4ゲーム差に追い詰めてきた
阪神タイガース。

最近「高校野球や大学野球の方がおもしろいな」
と言っていた私が間違っていた。
プロはプロでおもしろい。タイガースナインはすごいよ。
考えてみれば、ほんの数年前までは
「今年こそAクラス」と言っていたチーム。
それがここ3年で2度のリーグ優勝に輝き、
今年も優勝争いのまっただ中にいる。

日本ハムファイターズも大活躍だね。
東京が本拠だった頃からファンサービスには熱心だったけど
北海道に移り、新庄を獲得してからの人気と実力は
目を見張るものがある。
新庄は引退してしまうらしいけど、
森本や田中、ダルビッシュ、八木などの若手が元気だ。

タイガースもファイターズも
ファンを大切にし、ファンもチームそのものを愛している。
だからこそチームとファンが一緒になって
同じ目標を追い掛けることができるのだろう。
もちろん去年のマリーンズもそうだったし
今年のドラゴンズもね。

某在京人気球団のファンの皆さん。
例えば試合の敗戦色が濃くなった終盤だろうと
席を立っちゃだめだよ。
勝とうが、負けようが、最後まで信じて応援しないと。
「勝ちゃいい」ってのは野球好きとは言えないな。
チームそのものを、選手そのものを愛して欲しいな。
それが次の結果に結びついていくのだから。

高校野球で母校を応援する皆さんも同じこと。
選手達は自分なりに賢明の努力をしている。
「今年は強い」「弱い」ではなく
「精一杯頑張れ」と選手達を信じて応援しようよ。
それが後から力となってくるような気がするな。
私は応援する。
花巻北高も、阪神タイガースも。

  ★    ☆    ★    ☆    ★

さて、今日から金曜日まで2泊3日の東京出張となります。
記事の更新は携帯からできるけど、
コメントへのレスは遅くなりますのでご了承下さいませ。
留守中よろしく(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代と言葉

2006-09-19 | 風屋日記
最近、私の部署では「死語」が大流行り。
普段の会話の中にも出てくるよ。

相手「例の件ですけど、○○は××でして」
風屋「なるへそ」
相手「・・・(細い目でこちらを数秒眺める)、
   でですね~△△が・・・」

要は相手にされていないわけだが(^^;
これは他部門の人間と話した時のことであり
自部門内では

風屋「いやー、昨日の風呂上がりにマジマジと鏡を見て
   久しぶりに『百貫デブ』という言葉を思い出したよ」
一同「ひゃ・ひゃっかんでぶ・・・(涙を流しながら爆笑)」
女性「(涙を拭きながら)自分で思っただけならまだいいですよ。
   私なんかこの前のお盆に帰省して親戚が集まった時、
   叔父に『オールドミス』って言われましたよ」
風屋「オ・オールドミス!?・・・(爆笑)
   いや失敬、失敬・・・オールドミス・・・(また爆笑)
   や・やめでけろ、ハラ痛でー(涙と爆笑)」

ということが日常茶飯事。
それ以来、そういう言葉を日常会話で使うことになる。

「あー大丈夫、その荷物は重いからヤングが担ぐよ」

「その図案、ナウな感じがいいねー」

「そりゃーすげーや、インド人もびっくり!!」

「今日の服はいいねー、バックシャンだな」

「社会の窓が空いてるとクルクルパーだと思われるから
 ズボンのチャック閉まってるかちゃんと確かめとけよ」

「寒い時はトックリのセーターとチョッキだべ」

まだまだあるけど書ききれない(^^;
さてこの中で、死語と感じる言葉はどれどれでしょう?
あ、言っとくけど、これらがすべて私のセリフじゃないからね(笑)


でもね、確かにこういう言葉達はもうほとんど使われないけど
意味や使い方を改めて考えてみると、
意外に味のある言葉だったりもするんだよなー。
ということを「Always 三丁目の夕日」を見て思った次第。
言葉達も「時代とともに喪失」したもののひとつだね。
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨の休日

2006-09-18 | 風屋日記
栗

シトシト細い雨が降る中
たわわに実り、口を開けつつある栗。
秋は来ぬ。

今日は次男も、
ようやく他の生徒たち同様、部活が試験休みとなり
家族揃って何も予定のない休日を
久しぶりにのんびり過ごした。

夕方からレンタルDVDで
映画館では見逃した「Always 三丁目の夕日」を鑑賞。
泣けた、泣けた。

以前から思っていたことだけど
あの時代の東京に暮らしてみたかった。
いい時代だったなぁ・・・。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする