風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

振り返る

2024-05-24 | 風屋日記
きれいなことだけの人生じゃなかった。
迷惑をかけた人たちもたくさんいた。
正しいと思ったことしかしてこなかったわけじゃない。
思い出すと、自分が嫌になってしまうこともある。
それでもなんとか生きてきた63年。

男性の平均寿命まであと18年。
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あれから1年

2024-03-23 | 風屋日記
去年の今日、自分の人生の終焉を真面目に考えた。


2本の冠動脈の1本が99%詰まっていた由。
ただそれは影響が少ない方だったらしく、
「もう片方だったら死んでましたよ」
と医師に言われた。
退院してからもしばらくは気持ちが戻らず
数ヶ月は何となくどこか上の空で過ごした気がする。
一番はやっぱり人生の終わりを具体的に意識したこと。
「もう充分楽しかったからいつでもOK」
という以前からの気持ちは今も変わらないけれど
ある日突然は嫌だなぁ・・・と思うようにはなった。
周囲の人たちにちゃんとお別れしたいなぁ。

ということで、
少なくとも「突然」を避けるべく
おっかなびっくりこの1年を過ごしてきました。
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組み合わせ

2024-03-21 | 風屋日記

旅と本
ブランデーとチョコレート
Tシャツにはスニーカー
ツイードジャケットに垂れる前髪
Bluesとバーボン
ミニクーパーと革のトランク
コーヒーと木のカウンター
蕎麦には着流し
野球と太陽
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親父の誕生日

2024-03-13 | 風屋日記

生きていれば今日で101歳。
おめでとう。

まもなく我が家のルーツを調べた本ができ上がる。
親父のこともいろいろ調べた。
戸籍の記録や、ぽつりぽつりと判明した人生を見ると
その時々の当人の心情などが窺われる。
写真は昭和16年、旧制高等学校を目指して
東京で浪人生活をしていた時のもの。
隣は東京に住んでいた叔母(親父の義姉)。
この年の12月に対米英戦争が始まり、
結局戦況悪化により受験を諦めて帰郷することになる。
辛い15年がここから始まった。
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10年ひと昔

2024-03-04 | 風屋日記

10年ひと昔と言うけれど、
これまで6昔を過ごしてきたんだなぁ。

写真は2014年3月に撮ったもの。
10年前は東京(押上)での最後の日々を過ごしていた。
東京で知り合った今も大切な仲間たちと
別れを惜しんだ日が懐かしい。

そのさらに10年前の2004年は、
このブログを始めた年で、息子たちは高校生と中学生。
毎週末息子たちの野球の追っかけをした日々。
長男はこの年の夏休みを使ってタイへの短期留学を行った。

さらに10年前の1994年は仕事に追われる日々で
自分のことでは、あまりこれといった印象や思い出はない。
アパルトヘイトが終わり、松本サリン事件があった。
翌年早々に阪神淡路大震災があった。
その日の事はよく覚えている。

さらに10年前の1984年3月に大学を卒業。
諸般の事情があり、卒業は1年遅れた。
知っている同級生が誰もいない卒業式に出席し、
当然謝恩会などにも縁がなく、夢破れて帰郷した。

その10年前は1974年、中学2年生の頃だ。
中学校はつまらなかった。
みんな同じ価値観を持っていないと疎外感を味わう。
遅れまいとお調子者を演じたりしながらも
そんなことに疲れたり、自己嫌悪を陥ったり。
学校でも横並びを強要されていて、
どこか諦めの気持ちで毎日を過ごしていた。
かといって、
自分のアイデンティティを持っていたわけではない。
焦燥感を感じる日々。

1964年はまだ保育園。
放飼の犬に追いかけられて逃げたジャングルジム、
森の中の近道で蛇を見かけて引き返した通園、
昼寝の布団をふざけて崩して叱られ、
保育園を抜け出して追いかけられ・・・。
かすかながら記憶がある。

こうやって思い出してみると
60年も前のこととは思えないほどあっという間。
これからあと何年思い出を積み重ねられるだろうか。
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訃報

2024-01-19 | 風屋日記
訃報のたびに、1時代が終わったと思うのだが
今回いただいたお知らせもその大きな転換点となる。
いつも優しい眼差しで、とてもお世話になった方。
お元気だった頃の微笑みが今もくっきり瞼に浮かぶ。
21日に葬儀。
合掌。
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大学入試共通試験

2024-01-13 | 風屋日記
若い頃に戻りたいとは普段思っていない私が
唯一、少々後悔していることがある。
それは大学入試の時にあまりにも視野が狭かったことだ。
志望先選択も、志望先について親に行ったプレゼンも。
自らどんどんそこからの道を狭めていった気がする。
勝手に「こうだろう」と決めつけてたんだな。
当時の自分に一言声をかけたい。
「どこに入るかじゃない。何をするかだ」

今日から大学入試共通試験。
受験生諸君への
経験に基づくささやかなアドバイスになれば幸い。
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「雪が降っている……」

2024-01-09 | 風屋日記
雪が降っている、
とおくを。
雪が降っている、
とおくを。
捨てられた羊かなんぞのように
とおくを、
雪が降っている、
とおくを。
たかい空から、
とおくを、
とおくを
とおくを、
お寺の屋根にも、
それから、
お寺の森にも、
それから、
たえまもなしに。
空から、
雪が降っている
それから、
兵営にゆく道にも、
それから、
日が暮れかかる、
それから、
喇叭がきこえる。
それから、
雪が降っている、
なおも。
   (中原中也)
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荷物

2023-12-23 | 風屋日記
人間誰しも、
生まれた瞬間は無限の可能性を持っている。
そこから自分で選択しながら成長していくことになる。
選択した今があり、選択しなかった別の今がある。
選ぶたびに道は細くなり、
たくさんのもの、さまざまなものを
ひとつ、またひとつ捨てながら歳を重ねてきた。
もちろん持ち続けているものもあるけれど、
それを選んだ責任は自分にあるよね。

最近聴いて印象的だった言葉がある。
「止めるから失敗になる。続けているうちは失敗ではない」
でもさ、自分の意思とは関係なく
続けられなくなるものだってたくさんあると思うんだ。
取捨選択した結果として持ち続けていたものも
持ち続けられなくなる日が来るさ。
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風屋的今年の漢字

2023-12-18 | 風屋日記
人生で一番いろんなことがあった1年。
この1字に尽きる。
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ゆっくり

2023-11-13 | 風屋日記
時折若いころを思い出すことがある。
特に学生時代が多い。
でもさ、年々その日々は遠くなるんだよね。
かれこれ45年前。
来年、再来年と、さらに遠い歴史になるなぁ。
そんな思い出を抱きながら
これからもゆっくりゆっくり歩んでいく。

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高井戸

2023-10-22 | 風屋日記
部屋を整理していて、懐かしい写真を見つけた。
1982年の暮れから1984年年明けまで
約1年と少し暮らした東京杉並区高井戸のアパートの部屋。
googleMAPで見てみたら、
驚くことにまだそのアパート残っているようだ。
40年前(当時も新築ではなかったので築50年ぐらい?)の
アパートの名前を地図上に見て、ちょっとした感慨。


一応大学生ではあったものの、
テレビ局でのADの仕事から
紆余曲折を経て映像プロダクションへ。
「TVの仕事なら新しいもの買わないと」と
親に買ってもらった赤いTVが目立つ。
結婚後もしばらくはこのTVを使っていた懐かしいもの。
棚にしていたファングルは解体して今も家の小屋の中にある。
テニスラケットもまだどこかにあると思うな。


当時お気に入りだったミニコンポ。
のちにHi-Fiビデオを買って、このコンポとも繋いだ。
コンポの前になぜ耳かきがあるのかは謎😅




なんでこれらの写真を撮ったのか、
今となってはまったく覚えていないが、
40年経って、まさか懐かしく見ることになろうとは
当時は思ってもいなかった。

ちなみに、写真には写っていないけれど
この暖色系、伸び縮みする照明は今も実家の自分の部屋にある。
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セルフチェック

2023-10-15 | 風屋日記
ネット社会とは便利なもので
例えば発達障害やうつ病、適応障害、不安障害など
(もちろん正式な診断では無いにせよ)
思い切って病院に行って診断を受けなくても
ある程度セルフチェックできるサイトがいくつかある。
中には「病院で診断を受ける際はこの結果をご持参ください」
とまで書いてあるサイトもあるので、
あながち信頼できないサイトというわけでもなさそうだ。
(運営者はクリニックだったり製薬会社だったり)

家人は長いこと幼児教育に携わっていて
発達障害や適応障害についてもいろいろと学んでいるから
自然に私もその方面についての簡単な知識は身につく。
(元々医学的なことへの興味もあった)
そんな、ごく基本的な知識に照らし合わせてみて
実は私自身が子どもの頃から発達障害だったんじゃないかと
知識を得た20代、30代の頃からずーっと考えていた。
ということで、
ふと目に止まったいくつかの診断サイトを開いてみた。

質問に対して、4つほどの選択肢から当てはまることを答える形。
自分だけだと恣意的に答えることができるので
ホントは自己診断するのではなく、第三者が行うべきなのかな?
まぁでもとりあえずできるだけ真摯に答えてみる。

適応障害と不安障害はどうやらあまり問題はなさそうだ。
うつ病チェックに関しては、
答えている段階ではそれほど身に覚えがあるわけではなく
「これも大丈夫かなー」
と思っていたら、豈図らんや
「中程度〜重度のうつ状態の可能性があります」
「かなりストレスが溜まっており、つらい状態にある様です」と。
あれ?どこでそういうことになったんだっけ?
自分的には(勤めていた頃に比べ)ストレスを抱えている自覚はない。
まぁ気には留めておこう。

問題は発達障害についてだ。
「軽度のADHD・発達障害のお恐れがあります」
「ADHD・発達障害の可能性があります」
なんとなくざっくりしている。
もう少し詳しい別のサイトを覗いてみる。
こちらはADHDとASDの2つの発達障害のチェックができる。
ADHDの診断結果は
「ADHDの特性を持っている可能性は低いと考えられます。
設問は最初のサイトとほぼ同じだから、
たぶんちゃんと統一化された基準があるんだろうな。
そしてASDの診断結果は・・・
「なんらかの発達特性を持っている可能性が考えられます」
そっちだったか。
子ども時代はとにかく落ち着きがないと言われたり
何かに集中できなかったりする自分が情けなく思ってたから
なんとなくADHDの方のような気がしていたけれど

まぁ返答の選び方次第で結果が変わるので、
最初に書いたように、これが正式な診断じゃないし、
歳も歳なので今さら病院に診察を受けに行くつもりもない。
でもなんとなくの傾向はわかるわけで
それを知ると、これまでのトラブル原因がわかる気がして
私としては安心できる。
そしてそういう傾向があるということを自覚すれば
今後は余計なトラブルを避けることもできるのではなかろうか。
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惑い

2023-10-05 | 風屋日記
謙虚でいたいとずーっと思っている。
先輩や同輩たち、ご教示いただく師のみならず
若い人たちに教わることも多く、
勉強になるしリスペクトしたりももちろん。
でもおもねることや忖度し過ぎるのも意思に反するから
どこかで自分の考えや意見を主張することも大事だ。
そのバランスがとても難しい。

時折、謙虚さを忘れて声高になることがある。
すぐに気づき、軌道修正を図ろうとは思うのだが
表現だけの問題で、主張すべきことは変わらないから
結局はしこりを残すこともままある。
そのたびに自己嫌悪に陥ったりもするのだ。
この歳になってもまだ惑いばかり。

昔と違って、生身の議論ができない社会風潮もある。
みんな傷つくことを恐れ、当たり障りない付き合いばかりで
おっかなびっくりの人間関係に見えることもある。
たまに議論になると相手を論破しなければ済まなくなって
マウントし合いになってしまいがち。
相手を尊重しながら異論をぶつけ合い
間に着地点を見つけるという発展的な議論ができない。
自分の惑いを社会変化のせいにするつもりはないが
居心地の悪さを感じているのも確かなのだ。
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昔のことを調査

2023-09-30 | 風屋日記
昔、花巻には花陽館という映画館があった。
大正時代後半ごろに開館して昭和初期に閉館・・・という
全国の映画館をオーソライズしているサイトで知った。
他の資料では、大正9(1920)年の古地図には載っていたが
昭和5(1930)年の「映画名簿」には載っていないらしい。
当時の大工町、現在の双葉町のあたりだった由。

なんでこんなことを調べているかというと
昭和20(1945)年8月10日の花巻の空襲で焼けた我が家が
どうやら大きな建物のすぐ隣だったようだから。


これが唯一残っている我が家の写真。
(というか、祖父の家で親父が育ったところ)
隣の大きな建物は、ちょっと酒蔵みたいにも見えるが
当時この辺りに酒蔵はあったのだろうか。
少ない資料で調べてみてもわからない。
唯一この辺りの大きな建物として見つけたのが花陽館。
もしかしたらこの写真当時、もう営業していないかも知れないが
この大きな建物が花陽館である可能性が高まる。

家の庭は普通南側にある。
ということはこの写真は南から北に向かって撮られている。
花陽館の位置からいって、家の横の板塀の向こうが大工町の通りだ。
昔親父から聞いた
「我が家は賢治さんの家と庭続きだった」
という話がこれらの方法と推理によって証明された感じ。
当時祖父母は宮沢家の方々と近所付き合いをしていたそうだ。
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