子どもの頃、親父の友人に「まさすけさん」がいた。
親父よりも少し年上、身なりに気遣っているようには見えない。
一体何をやっている人かわからない感じの人だった。
時々ふらりと家にやって来て、
しばしお茶を飲みながら親父と語り合って帰ってゆく。
ある時などは、呼び鈴を鳴るので出てみても誰もおらず、
小1時間ほど経ってから「ちょっと散歩していた」と
改めてやって来たりもする自由な人だった。
母のことも、私たち子どものことも目に入っていない感じで
親父との話もなんだか禅問答のように聞こえたものだ。
高校生ぐらいの頃だったか
「まさすけさんは童話作家なのだ」と親父に聞いた。
「『ロシアパン』という物語が代表作」だと。
その時は「不思議な題名だ」と思い、記憶していた。
親父の文学仲間に高橋知足さんという、
障害児教育に力を注いだ教員だった方がいて、
親父が死んだ後作った親父の遺稿集にも寄稿してもらったが
どうやら「まさすけさん」は知足先生のお兄さんとのことだった。
変わり者で知られていたらしい。
先日、ふと「まさすけさん」のことを思い出した。
知足先生の兄弟なら名字は「高橋」だろうと
ネットで「たかはしまさすけ ロシアパン 」で検索してみた。
そこで見つけたのが写真の本。
なんと国語の教科書に、
高橋正亮(せいりょう):著「ロシアパン 」が載っているという。
(本書は2006年発行の本なので、現在も掲載されているか不明)
古本だったが、さっそく買って読んでみた。
舞台は「まさすけさん」が子どもの頃の花巻(と思われる小さな町)。
恐らく大正半ばごろが舞台なのだろう。
ロシア革命で祖国を追われたらしいロシア人一家が
主人公の家の近所に引っ越してきて
「オイシイ オイシイ ロシアパン カイマセンカ」
と売り歩いていた。
主人公がロシア人の子どもたちとも仲良くなって来たころ
まちの中で「あいつらはスパイだ」という噂が。
結局彼らはパンも売れなくなり、どこかへまた移って行ってしまった。
そんな思い出を、大人になった主人公は思い出す。
「あのロシア人たちがおそろしい大きな戦争のあらしをとおりぬけて
いまも世界のどこかで、生きているだろうかとおもうのである」
「アパートへかえってきてパンをたべながら
あのロシアパン はこの日本のパンより、
もっともっとおいしかったような気がするのであった」
「ロシアパン」が発表されたのは
1972年、童心社の「月見草と電話兵」という本だったらしい。
ということは、私が親父から「ロシアパン 」のことを聞いたのは
本になって世に出たすぐの頃だったのだろう。
そしてこのお話は「まさすけさん」が
子どもの頃に実際に体験したことじゃないか?
戦前や戦後のことを覚えている人たちがいなくなった現代こそ
リアルなこんなお話がより貴重だと思えるのだ。
本書にはほかに、宮沢賢治さんの「やまなし」をはじめ、
いぬいとみこさん、星新一さん、立松和平さん、小川未明さんなど
有名な方々の作品も掲載されているが
「ロシアパン 」とともに心に響いたのは
今西祐行さんという方の「ヒロシマの歌」だった。
たぶんこれも実話じゃないだろうか。
涙が出てくるお話だったのだが
現代の小学校6年生がこのお話を読み、どう感じるのだろう,
「教科書に出てくるお話 6年生」西本鶏介:監修 ポプラ社
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