風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

責任は我々自身にある

2007-10-31 | 風屋日記
中央教育審議会が次期指導要領の骨子を固めたとのこと。
授業時間を増やし、なおかつ学習内容量も増加。
一方で総合学習は時間を減らしながらも継続が決定。
中学校では武道の時間も必修になる。
日本の伝統文化を学べということらしい。

「ゆとり教育が学力低下を招いた」とか
「道徳教育の不足がモラル低下につながっている」とか
「教員の質の低下が問題だ」とか
これまでにいろいろと問題視されたことが
すべて文科省や教育委員会や教員個人のせいにされてきた。
果ては「日教組が悪い」などというトンチンカンな話もある。
これらすべての問題の根源に
「詰め込み知識教育で育った親世代」があると私は思うのだが。

何のために勉強するのか、
何のために受験し、進学するのか、
今の子ども達は明確な目的意識を持っているのだろうか。
いい大学へ入っていい仕事につけば将来はバラ色・・・
なーんてことは我々が小さかった高度経済成長時代の神話。
あの頃は確かに今日より明日が豊かになる実感があり
努力すればそれだけ夢を掴むこともできたのだろう。
しかしその結果が詰め込み教育と受験戦争だった。

そんな時代を経て親になった世代は
あの頃の幻想をまだ胸に抱きつつ
「勉強しろ」「ムダを省け」「いらんことはするな」
と子ども達に言い続けてきたのではないか?
「受験に必要のない科目は放っておけ」という考え方が
例えば私立文系においては数学・理科の科目の学力低下を招き、
おまけに体育や技術家庭科、音楽、美術などをないがしろにしてきた。
そうでしょ?
じゃなかったら昨年の未履修問題なんかが出てくるわけがない。
「成績」「偏差値」といった単一のモノサシが
子ども達においては世界を狭め
異質なものの排除やイジメにつながっている。

また、バブル期を境に金儲けが重要な社会の価値になってしまった。
金を持っていれば勝ち組、なければ負け組。
そんな社会を見ていれば
子ども達だって金にならないことはやらなくなる。
「将来の夢は金持ちになることです」を
子どもらしくないと眉を寄せる資格は今の大人達にはない。
モラル低下もそこからきていると思うよ。
自分に都合のいいことには飛びつくが、他人のことは知らん振り。
子ども達にだけ「他人に思いやりを」と言ったって
「大人だって口ばっかで、みんなジコチューじゃねーか」
と言われるのが関の山だ。

もうひとつ重要な問題は、
子ども達自身に目的、目標、夢などがないことじゃないか。
「末は博士か大臣か」と出世コースの究極であった学者や政治家は
学長や大臣の椅子をめぐって醜い争いをしている。
有名大学の教授が痴漢で捕まり、政治家は私腹を肥やすばかり。
最高学府の東大を出て中央官庁に入ったエリートキャリアが
役所の失態について言い訳が効かない弁解を繰り返し、
果ては業者へのタカリが発覚。
一流企業といわれる会社は不況になればリストラで首斬りを行い、
朝から晩まで働き詰めのオトーサン達は疲れ切ってしまっている。
そんな大人に誰がなりたい?
子ども達は敏感にそんな社会の歪みを感じ取り
将来に希望が持てなくなっている。
どこの誰がそんな将来に向けて目を輝かせて自らを成長させるだろうか。

馬を水辺に連れてくることはできても
水を飲ませることまではできない。
授業時間を増やしたり、徳育の時間を新設したりという
プロセスをいくら考えたって状況は変わるわけがない。
まずわれわれ大人が自らを律し、社会の価値を変えなければ。
コメント (2)
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