風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

東京

2004-09-30 | 風屋日記
出張で東京に来ている。
家を出てくるときは台風の真っ只中だったのに、
こっちは多少風があるものの、暑い。
昨夜、自宅で布団を被って寝ていたのが嘘みたい(^^;
それにしても、片道3時間半は速い。
だからこそ今回の様に日帰り出張が可能になるわけだが、
ちょっと味気ないかな。
かつてのような駅弁が懐かしい。

東京は日々新しくなっているというが、
それでもよくみると歴史を刻んだ家やビルがある。
そういうものを眺めてみるのも楽しいものだ。
戦前から残っているんじゃないかと思えるようなビルもあり、
趣きがある。

それにしても、電車内で立っているとき、
どうしてみんな窓の外を向くんだろう。
出入り口付近に建っているときは特に。
せっかくの社内吊広告が見向きもされていないのではないかと
ちょっと心配(笑)
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農業

2004-09-29 | 風屋日記
今朝のNHKニュース「新閣僚に聞く」はS農林水産大臣。
開口一番

  「私はね、これまでの生産者の立場からの農政から、
   消費者の立場からの農政に変えようと思うんですよ。
   都会の人間が農業のあり方を考える・・・面白いでしょ?」

面白い・・・か?
消費の方ばかり睨んで、生産を考えなかった挙げ句が森林破壊じゃなかったの?
古くは公害問題から環境問題へ。
すべて消費者(ってか販売者)の利便性、利益性ばかりを考え、
生産現場やその周囲を顧みなかった結果じゃなかったの?

  「BSE問題に絡むアメリカ産牛肉の輸入禁止も早く解禁しなければ。
   なんたって消費者が食べたいって言うんだから・・・」

そういう問題か?
食の安全も、あなた方の言う「国家の安全」のひとつじゃないの?
都合の良い時だけ「自己責任」を押し付け、都合が悪くなると「自己責任」と批判する。
「国家」と「個人」を都合良く使い分けているような気がするなぁ。
例えば年金問題にしても、将来年金がもらえなくなるのは「自己責任」なのかなぁ。
ちなみにこの人は、以前文部大臣も経験している人だ。

農業問題はこれまでの国の干渉(おせっかい)が今の事態を招いているような気がする。
食料確保が国の一大事だった頃は「米の標準価格」が必要だったに違いない。
しかし、減反は余計だ。
米価が下がるなら、農家自身が生産調整をかけるだろう。
自由主義経済とはそういうものじゃなかったの?
まして計画通り減反した農家には補助金をつけるというのは、
「作るのを止めればお金がもらえる」ということであり、
生産に対するモチベーションの低下は避けられない。
今の農家に必要なのはお金じゃない。
「良い食べ物を作り、それで自分も生活できる」という「将来への夢」だ。

農協も元凶のひとつだ。
今の農協は農家に金を貸し、それで農業機械や肥料を買わせて農家相手の商売をしている。
果ては、農協ストアで売れ残った商品を組合員である農家に無理矢理買わせたりする。
違うだろ。
農業がひとつの産業だとすれば、農家はファクトリーだ。
農協は資金調達の総務部門であり、生産技術開発の研究部門であり、
そしてなによりも営業部門であるはずだ。
総務部門や研究部門の経費は消費者への営業で捻出すべきだ。
農家相手の営業を行っているうちは、一般会社で考えると、社内だけで金が回り、
タコが時分の足を食っていることにしかならない。
営業がきっちり市場をリサーチ、開拓し、
市場のニーズに合ったいいものを工場が作る。
農業においてもそうあるべきだと思うが・・・。
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仲間

2004-09-28 | 風屋日記
小学校の頃の班替えの時、一般的にはどんな方法が取られていたのだろうか。
私が小学生だった頃は班長・副班長を先に決めて、
それらの人達が話し合って、それぞれの班員を決めたり、
出席番号順に機械的に割り振っていったり、
あるいは確か、くじを引いたこともあったような覚えがある。
どんな風に決めてもそれぞれ文句が出(笑)、
でもそれぞれが段々それなりに仲のいい班になったものだ。

一度だけ、これははっきり覚えているが、
班替えによってクラスの雰囲気が悪くなったことがある。
その時の班の決め方は(先生がなぜそんなやり方をしたのかわからないが)
互選で班長を決め、班長が1人づつ自分の好きな人を指名する・・・というものだった。
後にも先にもそんな決め方をしたのはその時だけだ。
班長は、いきおい声の大きな人がなりがち。
ある班はクラスの親分と、それに従う子分達の班になった。
女子のボスとその仲良しグループが集まった班もあった。

その結果・・・
親分・子分班と女子ボス仲良し班がクラスの足を引っ張ることになったのだ。
どちらも班長の言うことに班員は逆らえないし、班長ができないことは班としてもできない。
班長の意見が多少変でも、それがそのまま班の意見になってしまう。
活発だった班活動が一気に白けたものになってしまった。
それぞれの班が、同じ班の者同士だけでくっつきあい、
他の班員と交わることが無くなってしまった。
特別仲がいいわけではない。
他の班の者と交わると同じ班員からの批難やボスからのシカトが待っている。
この班編成は、結果としてひとつの学期持たなかった。

この班編成の仕方と今回の内閣改造が、私の中でかぶって見える。
ボスが、自分の考えに尻尾を振る者だけを閣僚に取り立てている。
今回入閣したある議員は、
選挙の時には特定郵便局の利益を守る発言をし、山間部の郵便事情を憂慮する考えを述べ、
数カ月前の、郵政民営化に関する大手新聞社のアンケートには自分の意見を保留し、
そして今回入閣時には「もちろん小泉首相の郵政民営化には大賛成」とやらかした。
見事なまでの、いけしゃあしゃあとした変わり身だ。
これならお伽話のコウモリや、自由党から民主党へ移った議員達の方がまだ正直だ。

そしてそれよりも、
踏み絵を踏んで尻尾を振った者たちだけによる国政はこれからどうなるのか。
ボスがどんなに変なことを言い出しても尻尾を振り続けるのだろうか。
たった1人の考えの通りに日本は動いてしまうのだろうか。
ことは郵政だけに限らない。
社会保険も、教育も、防衛も、外交も・・・。
自分と異質のものを受け入れ、多様な考えを調整することの重要性をつくづく感じる。

ところで例の班編成時、私は親分子分班には当然指名されず、
非同盟、無所属、アウトロー班に寄せ集められた(笑)
それでも結構居心地は良かったけど。
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仙台のプロ野球チーム

2004-09-27 | 風屋日記
時間軸に沿って、これまでの経緯を簡単に追ってみようか。

近鉄がオリックスとの合併計画を発表したのが6月。
数日中にライブドアが近鉄の買収について名乗りを挙げた・・・A
7月、オーナー会議にてライブドアのこきおろし大会があり、
やれ「金がありゃいいってもんじゃない」だの「そんな奴知らない」だのという発言の後、
近鉄とオリックスの合併が引き金となって1リーグ制への動きが一気に加速。・・・B
阪神の星野SDが野崎社長と会談、
野崎氏は一転2リーグ制維持を転回して巨人以外のセリーグをまとめる。
ライブドアからは買収を断念し、新規参入に切り替える旨の発言あり。
選手会が反発を強める・・・C

この後はご存じの通り、
「合併を凍結して12球団2リーグ維持」を要求する選手会側と、
「球団を減らし、将来的な1リーグ制を模索」する球団側との交渉が行われ、
ストを挟んで「合併実施ながら、新規参入による12球団2リーグ維持」という方向で妥結した。
この中で、特に一般人にわからないのはAの部分。
球団経営が赤字で近鉄が手を引くというのなら、なぜライブドアに売れないのか。
合併以前に、はじめから1リーグ制移行ありきだったんじゃないのか!?
そして一番頭に来たのはBの時の某オーナーの発言、
「野球ファンのパイは限られている。球団を減らして分け合おう」というもの。
世の中には純粋な野球ファン以上に「チームのファン」がいることを忘れている。
好きな車が生産中止となったからといって、同じメーカーの車を買うかどうかはわからない。
スポーツカーが好きな人は、別のメーカーのスポーツカーを買うだろう。
野球に当てはめると大阪の近鉄を応援していたファンは、
近鉄が無くなった後、神戸のチームのファンになるだろうか。
大阪のサッカーチームのファンになるのではないだろうか。
野球ファンの数はオーナー達の既得権ではない。

もっと気になるのは、その後のライブドアと楽天の対立だ。
A・Cの通り、ライブドアは球界再編の動きの間中手を挙げ続けた。
9月に入ると早々と仙台拠点を打ち出し、「東北のチーム」を掲げた。
その論旨は終始一貫しているし、アイデアも全て自分達で考えたものだ。
一方の楽天はというと、正式に声を挙げたのは9月に入ってから。
はじめは大阪へ声をかけ、長野に声をかけ、正式申請の際にはいきなり仙台になった。
それも「仙台と長野のダブル拠点化」から、浅野宮城県知事の発言により「東北拠点」へ方向転換。
対話を求めるライブドアに対しては完全無視を決め込んでいる。

単純にこれまでの経緯を並べると、「新仙台チーム」からライブドアを排除する理由はない。
一方の楽天は流れに棹さすような動きの後は主旨が2転3転、
今後もどんなふうに変わっていくのかわからないので信用できない。
それでも「楽天が有利」と報道される理由がある。
振興企業で経済界における足場がまだ固まっていないライブドアに対し、
楽天の社長は西武・オリックスなどの各オーナーとは懇意の中。
バックにはウシオ電器や大手都市銀行がついている。
つまり後追いのゴリ押しは、引退を表明した某大手新聞社社長と同じ手法なのだ。
これが通るなら、野球界は何ら変わることができないと思う。
声が大きく、力のある人が全てを動かすという、今の世の中そのものだ。
せめて野球界だけはそうならないよう、ファンもストを支持したはずだが、
何らそれが生かされていないように感じるのは私だけ!?

堤、宮内、渡辺という、力任せの経済人達が描いたシナリオは崩せた。
しかし形を変えた楽天を認めれば、結局は彼らの思うままじゃないのか。
ライブドアに対抗して楽天を引っぱりだしたのは彼らなんじゃないかと
私は密かに睨んでいる。
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今日の書評欄

2004-09-26 | 風屋日記
今日の朝刊(朝日)書評欄から、心に残った言葉を記録しておく。

なぜみんなそんなに自己変革したいのか。
    ~ベストセラー快読「キッパリ!」についての香山リカさん(精神科医)のことば~

戦争は戦闘ではない。
未来への展望を禁じられた、痛ましい現在の果てしない持続である。
    ~「外人部隊」についての中条省平さん(学習院大教授)のことば~

「戦争中は誠心誠意働いて、真剣に戦って、そのことにいささかの悔いもありませんが、
 一生懸命やってきたことが戦後、馬鹿みたいに言われてきて。つまらん人生だったですね。」
    ~「戦士の肖像」の中で書かれている元海軍軍人のことば~

同じ時代を体験しても、人それぞれに感慨は異なる。
当たり前のそのことが、戦争を語る段になると必ずしも当たり前ではなくなって、
あれは暗黒期だったとか、いや正義に満ちていたとか、とかく一色に染めたがる人達が出てくる。
    ~「戦士の肖像」「むかし、みんな軍国少年だった」についての
                 栗田亘さん(コラムニスト)のことば~

日本中に広がる、ロードサイドの大型店鋪に象徴される画一的消費空間。
地方文化の多様性や土地の記憶の重曹性を失った「ファスト風土」の病理。
    ~文庫・新書欄「ファスト風土化する日本」についての書評~

わが子に「希望」を持たせたいと願うのは、どの親だって同じだ。
だが、僕たちは「希望」の対義語を「絶望」ではなく「失望」だと思い込んでいるのではないか。
小さな「失望」の芽を大人がいちいち摘んでいったすえに、
子どもは「希望」を探す力を育む機会を失い、ふと気がつけば、もっと大きな「絶望」の淵にいる。
「運動会のかけっこに順位はつけません」「子どもは皆、無限の可能性を持っています」
という言説を見聞きするたびに、そう思ってしまう。
    ~「正しい大人化計画」についての重松清さん(作家)のことば~

その他に「夜のピクニック」(恩田陸)、「ひとりひとりの人」(大西暢夫写真集)など
紹介されているいくつかの本に興味を持った。
今日の書評欄は大収穫。
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めっちゃ限定的な映画の話

2004-09-25 | 風屋日記
なんかここのところ表現が雑だ。
始めのうちは吟味して書き込んでいたが、
慣れてくるに従ってだんだん雑になり、話があちこち飛んでいく。
鬱・・・。

さて、映画の話をしようか。
といっても何しろ映画館のない町に住んでいる哀しさ、
最近の新しい映画の話題にはなかなかついて行けなくなってしまった。
仕方がないので昔の映画の話でも・・・かなり限定されますが。

かなり昔の(戦前の)映画については以前書いた。
「カサブランカ」「モロッコ」「望郷」「外人部隊」など。
アメリカ映画もフランス映画もごっちゃになっているが、全て北アフリカが舞台だ。
特に「カサブランカ」は、今でもMy favorite No.1だ。
ここには男の友情も、男女の機微も、平和への祈りもあった。
他にも親父の影響で「ミモザ館」や「パリの屋根の下」「舞踏会の手帳」など
かなりの数の古い映画を小学生の頃(!)から見てきた。
そんな小学生、他にはいなかったんだろうな(笑)
「外人部隊」のゲイリー・クーパーの挨拶の仕方がカッコよくて真似てみたり、
大人になり、タバコを吸うようになってからは、
両手をポケットに入れてくわえタバコのハンフリー・ボガードを気取ってみたり。
結構影響されてきていたりする(笑)

「サウンド・オブ・ミュージック」は、TVも合わせて都合20回程見ている。
最初は、これまた親父に連れられてロードショーで見たのかな!?
この映画でナチスのことを初めて知った小学校中学年だった。
オープニングの丘の上から町を見下ろすシーンが今でも大好き。
この映画の影響で20代半ば~後半にかけてミュージカルをひたすら見た。

「レナードの朝」のストーリーは「アルジャーノンに花束を」そのもの。
もしかしたら脚本の下敷きになっているのかも知れない。
ロバート・デ・ニーロの大熱演とロビン・ウイリアムスの哀し気な顔が印象的。
子供達が河原で遊んでいるシーンがまぶたに残っている。
「スティング」も好きで、その後しばらく
ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの映画を片っ端から見た程。
ラグタイムピアノのテーマ曲が大好きで、その曲のピアノ練習を始めてみたものだ。
初めて鍵盤に触る人間には難しすぎたが・・・(^^;
「シンドラーのリスト」と「戦場のピアニスト」も心に残った作品。
誰が悪く、誰がいいということではなく、人間の弱さを哀しく感じた。
涙なしでは見られない「ワンダフル・ライフ」の方に人間の強さを感じたりもする。

世界中、想像もできないことが現実におきている。
小説は生き残れるのか、詩は世界や人間を表現できるのか。
映画はまだまだたくさんの可能性を秘めているような気がする。
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2004-09-24 | 風屋日記
まだちょっと頭の中がまとまっていない。
どう表現したら良いのかわからないが、とりあえず思ったまま書いてみよう。

ひょんなことから風俗嬢をしている女性のBLOGを覗いた。
さっきまで読んでいた。
かなり色んな感情が湧いてきて、哀しくなった。
私は風俗店というものに足を向けたことがない。
それどころか、女の子が相手をしてくれる飲み屋さんすら苦手だ。
何か話題を見つけなきゃ・・・と、こっちが気を使って疲れてしまう。
しかし、風俗を職業としている女性を避けているわけではない。
「興味」というと下劣な表現になってしまうが、
どんなことを感じているのか、どんなことを考えているのか、
同じ人間としてゆっくり話を聞きたいとは思っていた。
でもそんなのは野次馬根性みたいなものであると思うし、
だいたい身近にそういう人がいるわけでもない。
ただ、女性自身が自らそういう職業を選ぶということがあるのだろうか
という素朴な疑問は昔から持っていた。
風俗だろうが、ただの飲み屋さんだろうが、
女性を商品として扱う男達に対して怒りも持っていたが、
そういう男達をどう思っているのだろうかとも考えていた。
そういう意味での「興味」はあった。

私が聞きたい話がそのBLOGにはあった。
本当に生の声だった。
そして少しほっとしている。
正直いうと、男達を商品として見ているのではないか、
「男なんてみんな同じだ」なんてことを感じているのではないかと思っていた。
心の底を見すかされているようで、ちょっとこわかった。
でも彼女達も同じ人間。
心もあるし、感情も豊かにある。
だからこそそういう職業で心を病む人達も多数いるという。
そりゃそうだろう。

こんなオヤジになってから初めて分かったこと。
風俗は体だけの関係だと思っていたが、
(皆じゃないにせよ)客も恐らく心を求めている。
もちろん彼女達も。
人間って捨てたもんじゃないよな。
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アインシュタインの靴屋

2004-09-23 | 風屋日記
神楽については、もっともっと書きたいことがあったものの、
1~3を読み返してみると文章が支離滅裂。
伝えたいことのみ先走ってしまい、言わんとしていることが表現できていない。
改めて自分の文章表現力の欠如を認識するとともに、
長く続くものは事前の組み立てが大事だと反省。
またそのうちにランダムに話題にすることにしよう。

さて、今朝の朝日新聞朝刊に載っていた加藤周一の「夕陽妄語」が秀逸。
広島の原爆投下を知って激怒したアインシュタインのひとこと
「彼らがこんな事をするのをあらかじめ知っていたら、私は靴屋になっていたかった」
を取り上げていた。
アインシュタインが科学者達の中でも際立って見えるのは、その倫理性であると。
この台詞にまずはガツンときた。
そしてアインシュタインの他、バードランド・ラッセルやトマス・マンも例にあげ、
「正しい戦争と正しくない戦争を分ける基準」について書いてある。
これは「正義とテロ」とを分けるの基準にも繋がる。
アメリカの正義はイスラム原理主義者たちにとってはテロであり、
彼らの正義はアメリカにとってテロである。

当代一流の評論家の文章について私ごときが何だかんだ書くわけにもいかない。
ぜひ今朝の朝日朝刊22面を一読願いたい。
ついでに23面のアメリカ映画「モンスター」についての批評もいい。
ぜひこの映画は見てみたい。
音楽ドキュメンタリー映画「ソウル・オブ・マン」もよろしく。
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神楽 3

2004-09-22 | 風屋日記
早池峰神楽と一口に言われるが、実は岳神楽と大償神楽の2系統がある。
岳神楽の系譜は岩手県内に広く分布しているが、大償系統の数はあまり多くない。
岳神楽の本拠は、高山植物で有名な早池峰山を祀る早池峰神社。
登山口も近く、山あいにある。
当然米がなかなかとれないし、手に入りにくい。
岳の神楽衆は里へ出ていって祈祷を行い、
希望する地域では神楽の手ほどきをしたりする代わりに
米を手に入れていたのではないだろうか。
大償神楽は早池峰山の山裾の里にある。
周囲は田に囲まれ、そこから出ていかなくても米には困らなかったのだろう。
それでも依頼を受ければあちこちへ出かけていっては祈祷の舞を披露してきた。
それが布教となり、この地域に山伏神楽が信仰とともに拡がっていった。

○番札所・・・というとお遍路さんの四国で有名だが、
私の住む地方にもあちらこちらに札所がある。
それらはお寺と神社が隣り合っていたり、小さなお社だったりするのだが、
恐らく真言・天台のお寺だった所だと思われる。
山伏神楽はそういう場所を中心に、大切に伝承されてきた。
一昨日書いたように、修験宗は神仏混淆だった。
修験の僧は仏を祀り、神に祈祷し、山伏神楽の舞も修験の業を取り入れていた。
面をつけ、幕を潜って出てきた舞手は神様であり、権現は神の使いだ。
印を結び、弊を振り、舞手は祈祷を行っていく。

明治政府による廃仏稀釈、神仏混淆禁止令は
修験宗の人々や山伏神楽にとっては大激震だった。
真言・天台の多くの寺はご本尊をどこかの寺へ預けたり、小さなお堂に納めたりして、
自らは神社に変わっていった。
山伏神楽が神道の芸能になっていったのはそれがきっかけだった。
地域の神楽を氏子達が代々守り、祭礼と一体化させていった。
よく考えてみると、修験宗は檀家を持たない寺なので、
氏子が中心となって鎮守を祀る形になったことにより神楽が今に残れたのかも知れない。
しかし、山伏神楽が神道にそったものであるというのは形の上でのことだ。
代表的な演目「山の神舞」の山の神は冬の間山に隠り、春から秋は田畑を守る神様。
そこには仏教も神道も越えた、土着の神がいる。

さて、今日のウンチクは「鐘巻」である。
能にも山伏神楽にもある演目で、
一般的には歌舞伎の「娘道成寺」の元になった話と言えばわかるかも知れない。
ただし、修行僧安珍と庄屋の娘清姫との悲恋物語というのは歌舞伎の脚色。
実際には女人禁制の修験の寺を、禁を犯して詣でた娘が蛇に変身してしまい、
修行中の旅の僧がその呪縛を解いてやる・・・という、実に素朴なストーリーだ。
・・・が、江戸期に成立した歌舞伎が悲恋物語担っていることを考えると、
それ以前からこの物語があり、能や神楽になっていたことがわかる。
猿楽から各地の神楽が分かれ、その一派が能になっていき、
それらを下地に、娯楽性の高い歌舞伎ができてきたという歴史を証明しているようだ。
もちろん能や神楽、歌舞伎がそれぞれお互いに影響しあっていた面はある。
実際、南部藩は宗教色の強い神楽を弾圧したため、
現在残る盛岡周辺の神楽は娯楽性が高く、かなり芝居の影響があると思われる。
それでも芯になって残っている部分はきちんと歴史を伝えている。

長い歴史の積み重ねや土着の人々の信仰を内包しながら、
現代社会の中でも神楽は生き続けている。
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神楽 2

2004-09-21 | 風屋日記
奈良時代~平安前期頃、中国から散楽という芸能が伝わった。
道教や儒教を元にしていたらしいその芸能は徐々に猿楽と呼ばれるようになり、
古来からある民衆芸能の田楽とともに、世に知られるようになった。
この猿楽が能や神楽の原形といわれている。

猿楽に長けた集団は、人が集まる場所を探して芸能を披露し、
それを目当てに更に人が集まってきたらしい。
当時人が集まる代表的な催事は祭だ。
猿楽と祭は切っても切れない縁となり、祭を司る寺社ともつながりを持つようになる。
というより、布教のため、人を集めるために、
寺や神社が猿楽集団を抱え始めたという方が正しいかも知れない。
猿楽はそれぞれの寺社の庇護の元に、その技を磨いていった。

平安初期に遠く奥羽の地に伝わり、平泉文化の中で継承されていったのが、
今も重要無形民族文化財に指定されている「毛越寺延年の舞」と思われる。
その後、修験宗の寺に抱えられ、
修験色を強めた芸能に変化しながら山に隠っていったのが山伏神楽であるようだ。
修験僧達による修行の業が、その力強い動きの中に残っている。

一方、鎌倉から室町時代にかけて、技にも長け、政治力を持つ集団が、
各地の有力者達の庇護を受けるようになってくる。
彼らはいつの間にか「技能に長けたもの=能ある者」と言われるようになった。
さらにその芸術性を高め、新たな技や演目を加えていった結果、
それは単に「能」と呼ばれるようになっていく。

ここまでが成立期のお話だが、この説を裏付けるウンチク話がある。
能の演目の中で最も古く、猿楽の時代から舞われているものに「翁」がある。
式三番と呼ばれる「千歳(せんざい)」「翁」「三番叟(さんばそう)」がそれだ。
一方、山伏神楽には式六番と呼ばれる定番の6つの演目があり、
その2番目が「翁舞」、3番目が「三番叟」となっている。
特に私の所属する神楽では、「翁」の前に「千歳」を舞う。
我々の「翁舞」の幕出し(登場の際の謡)も、能の「翁」の謡も
「~鳴るや瀧の水~」という文句が共通している。
同じように神楽の「八幡舞(はちまんまい)」と能の「弓八幡(ゆみやわた)」の謡、
「~曇らぬ御代は久方の 月の蔓の男山~」が共通だ。

国を代表する芸術芸能と民衆芸能の共通点。
なかなか面白い話・・・と思っていただけたら幸いだ。
この後は、さらなる歴史の他、山伏神楽と能との関係について語ろうと思う。
つづく。
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神楽 1

2004-09-20 | 風屋日記
神楽について語ろうと思う。
さぁ、何回連続まで行くか?・・・語ろうと思えばいくらでも語れるが(笑)

私が所属している神楽は、いわゆる山伏神楽だ。
北日本(特に青森・秋田・岩手・山形)にしか分布していないと言われる。
神楽と名のつく芸能は通常神道系であり、神社で舞われることが多い。
もちろん我々の神楽も基本的には神社が活動の場所だ。
がしかし、その源は出羽三山とも、奥羽山系の修験者毎に進化したとも言われる。
山伏神楽という名の通り、修験道にその基本を置く。
修験道とは、元々は天台宗系の修験宗だ。
つまり仏教である。
ただし、真言宗、天台宗ともに神仏混淆の系譜がある。
舞の中には印相を結ぶ所作があり、また弊も持つ。
神道と仏教の渾然一体となった姿がそこにはある。

日本初の重要無形文化財となった早池峰神楽は山伏神楽を代表して知られる。
その起原は不明ながら、鎌倉時代の記録が残る。
昨年は東京国立劇場での公演があり、6千円の前売券が即日完売だったとか。
毎年夏の早池峰神社例大祭にも大型バスが大挙してやってくる。
何がそこまで人を引き付けるのか。
見せるための芸能や表現とは違う何か、
何代も続く土地の人々の生活や祈りが積み重なって澱のように沈み、
動きや面の表情に滲み出ているのかも知れない。

私の所属する神楽も山伏神楽ながら早池峰系とは一線を画する。
違う系統の山伏神楽といわれる。
その源を、ある人は三戸南部の神楽に比し、ある人は岩手沿岸の神楽に見る。
本当の所は分からないものの、ずーっと元を辿っていけば、
我々の神楽も早池峰系も同根・・・というより、
実は他の神楽や、あの「能」までもが同根なのだ。

さぁ、面白くなってきた(笑)
この続きは明日書くことになる。
乞ご期待(笑)
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コオロギ

2004-09-19 | 風屋日記
バケツに溜った水の上を1匹のコオロギが泳いでいた。
溺れていたのかも知れない。
しかし、その悠長な動きが泳いでいるだけのように見え、
しばらく観察しようという気にさせられた。
コオロギは水から上がれるヘリを探してあちらこちらとゆっくり泳いでいた。

すぐそばに別のコオロギの遺骸があった。
体の中身がからっぽで、蜘蛛か何かの食べ残しと思われた。
泳ぐコオロギは、段々死んだコオロギに近付いていく。
ヘリすれすれまで溜った水の上なので、
死んだコオロギの上にあがれば外に出られそうだった。
私は「泳ぐコオロギはどうするか」ということに興味を集中させていたので、
コオロギの遺骸を「物」としてしか捕らえていなかった。
泳ぐコオロギが遺骸に取り付いた。
「それ行け」と心の中で叫んだ。

ところがコオロギは遺骸に取り付いた途端動かなくなった。
慌てた私は、絡まった2匹のコオロギを水から出したが、
2匹は絡み合ったままで(というより生きていたコオロギが遺骸に抱きついたままで)
もう2度と動き出さなかった。
自分のこの先の姿を想像し絶望したのだろうか。
それとも、朋友の体を踏み台にして生きることを拒絶したのだろうか。
私は「踏み台に」と思ってしまった自分を深く恥じ、
2匹を一緒に埋めてやった。

一昨日の事だった。
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日常

2004-09-18 | 風屋日記
透き通った川が 静かに流れている

流れに乗るのはうまかったはずだ
若い頃は 足下をよく確かめもせず
流れを縫って泳いでいた

近ごろは
時おり底の方へ沈んでいく
何やら重そうなものが やたら気になり
水をかき分け
ひとつひとつ覗き込んでみるけれど
何かが見つかったためしはない

そんな私を残して
川は変わらず 静かに流れ続けている
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徒然3題

2004-09-17 | 風屋日記
今朝の朝日新聞に、アメリカの新聞が自己反省をしているという記事が載っていた。
イラク戦争開戦にあたり、政府発表の情報に追随したことを反省している。
「大量破壊兵器はイラク国内に本当にあるのか」という記者達の疑問は黙殺され、
開戦をあおる記事で1面を埋めてしまったことを「まちがいだった」と
編集主筆達が認めている。
素晴らしいことだ。
今巷間に溢れる情報のうち、メディアが占める割合はかなり大きい。
メディアによる報道内容が正しいことであり、それが情報の全てであると
大衆はつい思いがちだが、こういう自己反省が記事として載ることにより、
「メディア情報が全てではない」と認識できるのではないか。
アメリカの新聞以外のメディアもぜひ自分達の報道を振り返って欲しい。
(TV3大ネットワークはユダヤ系のため、反イスラエル的報道はされにくいらしい)
そして日本のメディアも。

企業経営には「哲学」が最も大切だ。
かのP・F・ドラッガーも「最も大切なのは利益ではなく使命だ」と言っている。
利益のみを求める企業には落とし穴が待っている。
○菱自動車しかり、○FJグループしかり・・・。
今のプロ野球の経営者達を見ていると「利益第一」に走っているように見える。
「ファンの人数は限られている。その人達を少ない球団で分ければ儲かる」という理論は
まったくファンを無視した考え方だ。
球団が減れば、当然減った球団のファンも減る。自明の理だろう。
喧々諤々やっている球団社長やオーナー達にはそれがわからないらしい。
また、新しく入りたい人達を認めず、赤字球団の合併による球団減のみ認める・・・
というのも、誰がどう見てもおかしな話だ。
企業経営の基本である「Customer's Satisfaction」に、もう一度立ち戻って欲しい。
ファンはCustomerだ。

新卒学生の就職難が続いている。
彼らを見ていると必死で、何とか内定を勝ち取ろうとあの手この手で努力している。
「頑張れよ」と応援したくなる。
・・・が、どうも「就職すること」にばかり捕われ、「何をするか」という視点に欠けがちだ。
組織はあくまでステージだ。
組織に所属することが彼らの目的であってはならず、
所属した組織において何ができ、何をしたいのかが最も大事なことだ。
その視点に欠けた人は、なかなか内定獲得は難しいだろう。
「何ができる」「何をしたい」という目的意識を持って欲しいと思う。
できれば中高生の頃から、そういう意識を育てたい。
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人の命

2004-09-16 | 風屋日記
アメリカのパウエル国防長官が、
イラクにおける大量破壊兵器が存在しなかった事を認めた。
「当時の情報では、大量破壊兵器を所持していると認識してもおかしくなかった」
「それでも危険な国家であることは間違いなかった」
過った情報により命を落とした人は数万人に上る。
しかもほとんどは通常兵器にすら縁のない一般人だという。
パウエル長官の話を聞いていると、
情報によってはは今後も同様の事態が起きることを示唆している。

大体「当時の情報では・・・認識してもおかしくない」と言うが、
IAEAの視察継続を唱える国連を無視したのはアメリカではなかったのか。
専門化団体であるIAEAや、平和協調が目的の国連の考えに背を向け、
単に1国の諜報機関であるCIAの情報を、
更に自分達の都合のいいように解釈したのではないか?
そのような行動の後に上記のような発言があっても、
言い訳にすらならない。
亡くなった人達の命は戻らない。
穏やかに生活する一般の人達、子供達を傷つけたことを
世界は決して忘れてはならない。

自らの意志により情報をご都合主義で解釈し、
沢山の人の命を奪ったアメリカの罪はナチスに比するほど大きいと思うが、
それではそのアメリカに盲従した日本はどうだろう。
罪の軽重に違いはないと思うのだが・・・。
直接人を殺したかどうかは、この際関係ない。
殺人現場に居合わせ、犯人による隠ぺいを手伝ったようなものだ。
その責任を誰がどのように取るのか、これからよく見ていたい。

今必要なことは、イラクから米軍、自衛隊などの単国軍隊を即座に撤退させ、
かわりに国連が指揮する多国籍軍を監視目的だけに派遣、
国連暫定統治下における選挙によってイラクの人達自身の国を作ることだ。
何度も書くが、暴力は暴力しか生まない。
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