風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

青い月のバラード

2007-10-08 | 風屋日記
上記タイトルの小学館文庫を読んだ。
著者は歌手の加藤登紀子さん。
説明するまでもないが、東大を出て歌手となり、
「ひとり寝の子守唄」「知床旅情」「百万本のバラ」
などのヒット曲を持つ、いわば異色の歌手だ。
元学生運動指導者藤本敏夫氏が獄中結婚した相手としても知られる。

あまり意識して加藤さんの歌を聴いたり、言葉に耳を傾けたり
今まで私はして来なかった。
私がリアルタイムで聴いた音楽のひとつ前の世代だったこともある。
フォークやロック、ニューミュージックなどの
売れ線ではないもののサブカルチャーの王道だったジャンルとは
またちょっと違った路線だったこともある。
それより何より、その経歴から
「頭もよく、きっちりとしたイデオロギーを持ち、
 自分のライフスタイルを変えずに自分の道を生きている人」
という、何だか近寄り難いイメージを私が勝手に持っていたからだ。

この本は藤本氏との出合いから生活、そして死による別れまで
ひと組の夫婦、ひとりの女性が生きた記録になっている。
自分の歌を探して試行錯誤した頃、
獄中結婚を選ばざるを得なかった時の決断、
ひとりですべてを賄わなければならなかった子育てと
歌手の仕事との両立に倒れそうになる日々。
夫婦の哀しいぶつかり合い。
彼の夢だった仕事もようやく軌道に乗り、
彼女の仕事の方向性と重ね合うことができると手ごたえを感じた時、
突然襲い掛かった彼の病気。
私がこれまで抱いていた加藤登紀子のイメージとは
まるで180度正反対の、あえて言わせてもらえば、
みっともなく右往左往し、悩み、泣き、そしてまた立ち上がる
ひとりの女性がそこにはいた。

「知床旅情」のヒットにより歌手として手ごたえを感じながらも、
まだ結婚前だった彼の収監に怯えつつ2人の将来を案じていた1971年、
彼女はひとりでヨーロッパから中東への旅に出る。
特にイラン、レバノン、シリア、パレスチナで感じたものが
それから先の彼女の人生を方向付けた。

 空に向かって放たれる、胸を突くようなコーランの詠唱。
 電気も水もない砂漠のなかでテントを張り、羊を追って暮らす人々。
 私の鳴らすギターで歌い、踊り続けたパレスチナ難民キャンプの人々。
 彼らは何千年も続く歴史の軸に身を浸していた。
 なんて世界は広くて、私たちのいる場所は狭いんだろう。
 行けども行けども続く砂漠のなかで生きている人々の誇らしい姿は、
 人間が懸命に生きている生き物であることを私に気づかせてくれた。
 「何のために」「どのようにして」そんなことを考える以前に
 人は人として生きている。
 男は男として、女は女として、抱き合いたければ抱き合って、
 子どもができれば育てて、歳を取って死んでいく。
 人間は地上に現れてからそんなふうに生きてきた。
 (中略)
 私は何にこだわっているんだろう。

そして彼女は帰国後、人知れず小さな命をお腹に宿しながら
下獄した藤本氏との婚姻届を出したという。

本のタイトル「青い月のバラード」は
死を目前にした夫への思いを込めたオリジナル曲のタイトル。

 夜の底に光る青い月のように
 ひとり歩いていくあなたの後ろ姿
 孤独の中へ出て行く人のために
 何ができるの? ただ見送るだけ

これは歌の最初の一節だが、
この歌詞は最初から最後まで通して始めて深い意味を持つ。
この夫婦の31年間がこの歌の中に込められている。
そしてその夫は壮絶な癌との戦いを続け、
最後に外れた酸素マスクの隙間から
「もういいだろう」とひとこと言って旅立って行ったという。

本を読み終え、ふと思い立って加藤登紀子のCDを借りてきた。
BEST盤だったので、
ひとつひとつの曲が出た年がライナーノーツに書いてある。
実際に聴いてみると・・・
なるほどシャンソンコンクールでの優勝により歌手になった人。
語りかけるような、低い声の歌い方で
自らの人生のその時、その時を切り取って歌にしている。
こんなにも人生と歌が符合しているとは思わなかった。
この人に取っては歌とは人生の表現そのものなのだろう。

それにしても、
中森明菜が歌ったヒットした「難破船」が
こんな意味を持たせて加藤登紀子が作ったものだとは。
それを歌い込んだ中森明菜の表現力もすごい。
コメント (7)
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