風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

大晦日

2007-12-31 | 風屋日記

今年も終わろうとしています。
こんな地味なブログにおいで下さる方々、
コメントを下さる方々のおかげで、
今年もほぼ毎日の更新ができました。
ブログを始めて約3年半。
感謝です。

今年、プライベートでは
12年続いた息子たちの野球の追っかけが終わり、
また長男のアメフトチームが1部昇格という
大きな節目がありました。
そして実は、私も母ちゃんも
仕事の上でも大きな節目の年でした。
いろんな意味で結構ハードな日々でした。
様々な思いがこもった年が暮れます。

明日、元旦は暗いうちから元旦祭と
その後神楽の奉納を行います。
今日その打ち合わせのために
帰省してきた大学生たちや高校生が集合。
久し振りに会ってハイテンションのみんなで
早速明日の練習を9時半から2時まで(^_^;
(写真はその様子)
さぞかし楽しかったんでしょう。
夜は志戸平で権現舞を舞います。
お近くの方は朝8時に花巻上根子熊野神社か
夜6時半頃に志戸平温泉へぜひどうぞ(^-^)

ということで、
来年もよろしくお願いします。
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マニュアル

2007-12-30 | 風屋日記
昨日はnanaponさんのエントリーを読み、
みんなが右向きゃ自分も・・・という社会を憂いた。

さっきはNHK教育で女性の時代特集と題した
松田聖子の生き方についての再放送を見、
「一般的な“男性の”価値観に逆らってバッシングを受けながら
 自分の生き方を貫いている松田聖子」
に対する女性達の共感について考えてみた。

そしてその後、今日の日経のコラムには
評論家の山下七平氏が70年代にはもう指摘している
「日本人の行動を決めさせてきた“空気”」
が今の「KY」という言葉に繋がっていると書かれていた。
コラムでは続いて
「人と人との関係は『粗野だが暖かいもの』から
 『互いに過敏に牽制しあう神経質なものに変質した』と
 社会学社の宮台真司氏」
と続いている。

これら一連のことには関連性があるような気がする。
もちろん色んな要素を含んだ3つの事柄だけれど
私が感じたのは
「自分の価値観(モノサシ)から外れたものを容認できない大衆」
の存在だ。
そしてその各自のモノサシも、自分自身で考え得たものではなく
どこかにマニユアルを求めているのではないか?

自分で考えることをせず、
どこからか仕入れて来たモノサシを持ち、
そのモノサシで測れないもの
あるいはちょっとでもハズレたものを攻撃・排除するという
異質さをまったく受け入れられない社会。
言い換えれば「マニュアル通りでなければいけない社会」に
私はとても危惧を覚えるのだ。
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2007-12-29 | 風屋日記
「旗」  城山三郎

旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため

社旗も 校旗も
国々の旗も
国策なる旗も
運動という名の旗も

ひとみなひとり
ひとりには
ひとつの命

走る雲
冴える月
こぼれる星
奏でる虫
みなひとり
ひとつの輝き

花の白さ
杉の青さ
肚の黒さ
愛の軽さ
みなひとり
ひとつの光

狂い
狂え
狂わん
狂わず
みなひとり
ひとつの世界
さまざまに
果てなき世界

山ねぼけ
湖しらけ
森かげり
人は老いゆ

生きるには
旗要らず

旗振るな
旗振らすな
旗伏せよ
旗たため

限りある命のために


同氏の詩集「支店長の曲り角」より


※今朝6時前のNHKの番組で知った詩。
 城山三郎氏が詩集を出していたことすら知らなかった。
 それにしても、この「旗」に感銘。
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事件

2007-12-28 | 風屋日記
なぜか年末になると
大きな事件や災害のニュースが飛び込んでくる。
イラク、アフガニスタン、パキスタン、ミャンマー、
そしてナイジェリアやソマリアなどなど
世界中にはまだまだ哀しい状況の場所は多いけれど
今年ももう終わりに近づき、
これ以上悲惨な事件や事故がなければいいと思ってたけど。
・・・パキスタンのブット元首相が暗殺された。

同じ頃別な場所で
ブット女史と並ぶ野党指導者シャリフ氏も
演説会の最中に発砲事件があり、数名犠牲者が出たとのこと。
両方の事件の犯人が同じ組織かどうかはわからないが、
少なくとも同じ方向性の目的をもっていたことだけは確かだ。
この報を受けたムシャラフ大統領は
「公正・安全に選挙が行われる状況ではない」と
急遽総選挙の中止を宣言したが、
今回の総選挙はリベラルな野党の優勢が伝えられていて、
民主化を求める民衆の声が反映されそうだったので、
確かに選挙を強行できる状態ではないにせよ
選挙そのものが中止となるのも懸念される事態だ。
そしてこれはパキスタン1国のことだけでは済まない。
何せパキスタンは核保有国。
いまだタリバン勢力が力をもつアフガニスタンや
カシミール地方をめぐる紛争の火種をもつ隣国インドなど
周辺地域全体の今後がとても心配だ。

それにしても、
ブット元首相といえばイスラム国初の女性首相だった。
ミャンマーのアウン・サン・スー・チー女史とともに
強権的な現政府に対峙するリベラルな女性反体制指導者の代表。
両女史ともに国民からの支持も大きい。
何ものかに暗殺されたブット女史、
相変わらず自宅で軟禁状態におかれているスー・チー女史。
指導者という方向舵を失った(失っている)
両国の反体制民衆のパワーはどんどん膨れ上がりつつある。
団結し大きな力になる予定だった民主化を求める国民の声は
今後一体どんな力になって、どんな形で噴出するのだろう。

いずれにせよ、ブット女史の命を奪った暗殺者達は
早晩、自分達が行ったことを心から後悔するに違いない。
指導者の1人を失ったからといって、
民衆のパワーをコントロールできると思ったら大間違いだ。
いや逆に、冷静な判断力をもつ指揮者を失ったパワーは
これまで以上に歯止めなく吹き出すに違いない。
その鉾先は暗殺者達、国の指導者達に向けられる。
民衆の力を見くびるべきではない。
しばらくパキスタン国内は大変な状況に陥ることになる。
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教育改革

2007-12-27 | 風屋日記
教育再生会議は
「戦後レジームからの脱却」を目指す安倍前首相が
その旗印のひとつとして諮問機関として立ち上げたもの。
元からある文科省の中央教育審議会とは別物だ。
専門家が揃う中教審と違い、会議メンバーには財界人が多い。
福田首相も会議を引き継いで運営させているが
教育専門家の意見じゃないところに机上の空論というか
財界理論の押し付けというか、
文科省とはどうも相容れない意見が多いようだ。
・・・が、これまでの経緯を見ていると
会議が決めた方向性の具体化論を中教審が行っている。
本末転倒。
以下、私の意見を述べる。

教育バウチャー制度
これは机上の空論の最たるもの。
親や子はよりよい(と勝手に思う)教育を受けるべく
あちこちの学校を右往左往することになる。
学校側では児童・生徒の人気取りにばかり血道を挙げ、
本来行うべき教育がどこかへ行ってしまう可能性もある。
第一、学校数が多い都会ならば選択肢もあるだろうが
物理的、地理的に選択しようのない地方はどうするのか。
教育機会の均等というの考えがここにはなく、
あるのは教育格差だけ。
教育に競争原理はそぐわない。

社会人による非常勤教員の採用
この目的は雇用じゃないよね。
ってことはここでいう「社会人」は皆仕事を持ってる。
自分の仕事を投げ捨てて非常勤になるかね。
会社からの派遣だったらアリかもしれないけど、
それじゃ経済界の都合のいい教育になっちゃうんじゃない?
もうひとつ。
こういう人達がたくさん教員になるってことは
教員免許ってのは一体何なの?
教免取るために学ぶ教育原理や教育心理なんて学問は
そんなに重要じゃないってことかい?
だったら卒業単位に加えて取らなきゃいけない
教職科目なんて必要なくなるんじゃん。

教員の質の向上
教職免許の更新制はすでに中教審が答申しているね。
これはいいと思うよ。
教職大学院の設置も、とてもいいことだと思う。
でもさ、「質の向上」のために何を測るの?
免許更新時には何をもって可とするの?
その辺のモノサシがはっきりしないまま導入すると
文科省や教委、校長の意にそぐわない教員を排除することに
直接結びついてくると思うんだ。
強権発動。
長いものに巻かれるYES MANの教員こそ
教育現場からまっ先に排除されるべきだと思うんだけど。
戦時中の教員たちの、教え子を戦場に送ったという
悲痛な後悔がまったく生きない制度になりそうな気がする。

私が教育再生会議や中教審のメンバーなら
・地域コミュニティーの再生と地域の教育力の育成、
 その上で学校、家庭、地域の三位一体教育の確立
・全国規模での30人学級実施による
 ひとりひとりに目の届く指導と教育の環境整備
・どんな道を歩もうとも夢が持てる進路指導
の3つの実施をまっ先に答申するんだけどなぁ。
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カント

2007-12-26 | 風屋日記

「永遠平和のために」
        イマヌエル・カント:著 池内紀:訳
            綜合社:発行 集英社:発売

高校時代、二ーチェやサルトルなどとともに
乱読の本の山にカント「純粋理性批判」もあったが
この本の存在は知らなかった。
カント71歳の時に出版されたものだという。
原典も薄っぺらい小冊子らしいけど
有名写真家のイメージ写真とともに編集されたこの本は
とても読みやすく、言葉がじんわり沁みてくる。
「この小さな本から国連や憲法9条の理念が生まれた」
というのが帯のコピー。
世界中の政治家や各界のリーダー達はもちろんのこと、
できるだけたくさんの若い人達にこそ読んで欲しいと思う。

“平和というのは、
 すべての敵意が終わった状態をさしている”

“戦争状態とは、
 武力によって正義を主張するという
 悲しむべき非常手段にすぎない”

“国家は所有物でも財産でもない。
 国家はひとつの人間社会であって、
 みずからで支配し、
 みずからで運営する。
 みずからが幹であり、
 みずからが根をもっている”

“殺したり、殺されたりするための用に
 人をあてるのは、人間を単なる
 機械あるいは道具として他人(国家)の
 手にゆだねることであって、
 人格にもとづく
 人間性の権利と一致しない”

           (以上、同書より)
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Merry Christmas

2007-12-25 | 風屋日記

今日はクリスマス。
世間ではイブばかりがクローズアップされてるけど、
本当は今日がクリスマス。

男の子しかおらず、
しかも家に残る息子ももう18歳で
まして受験生とあらば、特別なことは何もない。
密かに母ちゃんが玄関先に飾った
母ちゃん手作りのクリスマス・リースだけが
我が家でクリスマスらしい唯一のもの。
かくいう母ちゃん自身が
「クリスマスを忘れてて
 『なんであちこちでケーキ売ってんの?』
 と思っちゃった(^^;」
という状況だ(笑)
次男に「何か欲しいか?」と尋ねたって、
どうせ先日の誕生日の時のように
「成績」という返事が返ってきそうだから聞かない(^^;
合格したら何だかんだと買うことになるしね。
というわけで昨夜はささやかに
鶏料理とショートケーキでMerry Christmas。

とはいえクリスマス。
仏教徒だろうが、神社所属の神楽衆だろうが
(実は私は幼児洗礼を受け、20歳までクリスチャンでもあった)
何となくワクワクし、純粋な気持ちになる日ではある。
この業界は今が一番忙しいので昨日は出勤日だったけど
昨日の夕方はいつもの年同様
会社で同じ部署の女性社員たちにアイスケーキをプレゼント。
みんなで分けて食べたよ。
急いで帰らなきゃって人達もいたみたいだったけどね(^-^)

パレスチナではベツレヘムの教会でのミサに
アッバス議長が参列したとのこと。
イラクでは国内にいる数%のキリスト教徒達のミサがあり、
神父様が
「イスラム教徒もキリスト教徒も平和に暮らせるように」
というメッセージを読み上げたとのこと。
この日だけの特別なことじゃなく、いつもそうであるように、
私からも心からそれを願おう。

クリスマスが終われば、あと1週間で今年も終わる。
来年こそ、もっとたくさんの人達の笑顔が見られるよう
天の主にも、そして元旦に神社でも
世界中のどんな神様にも願いを託したい。
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古代史についての一考察

2007-12-24 | 風屋日記
大学時代に古事記を学んだ影響を受け、
一時期古代史にめっちゃハマっていたことがある。
朝から晩まで古代史関係の本を読み、歴代天皇の名も覚えた。
アレは何であんなにハマるんだろうね(^^;

今日はごく簡単に、その頃考えていたことを書いてみる。
古代史家でも考古学者でも国史学者でもないので、あくまで
「たいして知識もない、見識もない1個人の勝手な考え」
でしかないんだけど。

邪馬臺国。
中国の歴史書「三国志」の中の
「魏書」東夷伝の倭人の条に書かれていた日本古代の国家だ。
いろんな歴史学者や作家などがその場所について推理している。
それ関係の本を読み過ぎてしまい、
私などは何がなんだかわからなくなっているんだけど(^^;
少なくとも誰かが言うような「ヤマダイ国」じゃないだろう。
ましてわざわざ「邪馬壱国の誤記」なんてひねた読み方をしなくていい。
私の考え方は「どう考えたら自然か」と「ことばの音」が基本。
「邪馬臺国」は「ヤマト国」だろう。
3世紀に大和朝廷の初期形があったというのは考古学上も不自然じゃない。
それが九州から畿内に東遷したかどうかまではよくわからないが、
奈良の三輪山麓にの纏向遺跡に3世紀頃の初期古墳があることを見れば
やっぱその辺りだったんじゃないかなぁ。

卑弥呼。
ご存知古代史のヒロイン、邪馬臺国の女王だ。
彼女が古事記や日本書紀に登場する人物の誰に当たるのかというのも
邪馬臺国の場所をめぐる論争と同じぐらい白熱している。
古くは仲哀天皇の后で応神天皇の母親である神功皇后説が一般的。
最近になって孝霊天皇の娘で大物主命の妻となった
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメ)説が有力になった。
いわゆるシャーマンで、箸墓古墳に葬られているという。

で、私の考えは・・・卑弥呼って実在してないっしょ。
あえて誰のことかと答えれば天照大神(アマテラスオオミカミ)。
だって人前には出なかったというし、
普段は弟が政ごとにあたっていたというし(スサノオのこと?)、
絶対的な存在って神様しかいないと思うんだ。
もちろん歴代天皇の平均在位期間を計算すると、
ちょうどアマテラスと卑弥呼の時代が重なるって説もあるけど
それ以上に超大国「魏」に精一杯の虚勢を張るには
実在の人間より「我等の王は神」にした方がいい。

じゃあなぜアマテラスだと私が思うのか・・・
中国語ってのは外国語も漢字で当て字にしちゃう。
コカ・コーラが「可口可楽」と書かれるように。
卑弥呼は?・・・「日御子」じゃないかな。
つまり太陽神「アマテラス」としか私には考えられない。
卑弥呼=日御子と考えたのはもうひとつ理由がある。
卑弥呼が死んだ後国中は大いに乱れたという。
それはいわば天の岩戸にアマテラスが隠れたことだと思うんだ。
気象学的には皆既日食があったんじゃないかとも言われている。
アマテラスが岩戸から姿を現すと世の中が光に包まれたとのこと。
卑弥呼死後の乱れも、
後継者「臺与(トヨ、『壱与』と書いてイヨとも言われる)」が立ち
世の乱れが収まったとのこと。
臺与?   ・・・「タイヨ」じゃないの? 「太陽」じゃん。

ってな考えはこじつけだろうな(^^;
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モグ

2007-12-23 | 風屋日記

何見てんの?
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西郷隆盛

2007-12-22 | 風屋日記
 あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり
         同じ御国の 人と思えば

今朝の朝日新聞土曜版BEに載っていた和歌。
江戸城総攻撃に向かう新政府軍の指揮官であった西郷隆盛に
78歳の大田垣蓮月尼が届けたものだという。
西郷はこの和歌を見てたくさんの無駄な死を避けるべく
「ご安心下さい」と返事を送って
江戸城無血開城に尽力したのだとか。

どんな争い、戦いでも、
どちらに正義があり、非があったとしても
人と人とが殺し合うのは無為であり哀れなこと。
ささやかな幸せを願う同じ人間じゃないか。
ということで
このコラムを書いた茨城大学准教授は

 あだ味方 勝つも負くるも 哀れなり
         同じ地球の 人と思えば

と書いた短冊を各国語に訳して
世界の指導者達に送りつけたいと締めくくっていた。

今をときめく新政府軍の指揮官に突然和歌を送りつけた
無名の蓮月尼もなかなかの人物だが、
それを見て、軍の指揮官であるにも関わらず
武力行使を思いとどまり、和平に動いた西郷もまた傑物。
こんな人が現代には現れないものだろうか。
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大人

2007-12-21 | 風屋日記
これからについて夢を語ると若いと言われる。
守るべきことをきちんと守ろうとすると青いと言われる。
PTA、同窓会、NGOなどの仕事に関係のない活動や
音楽、スポーツなどの趣味・遊びについては元気と言われる。
そしてそんなことが重なると、口の悪い人からはガキと言われる。

「大人」ってのは何だ? と問うと
無駄なことをしないこと。
効率良く(ソツなく)行動すること。
清濁合わせ飲むこと。
そして周囲の空気を読めることなどと言われる。
その上で
「もうイイ歳なんだから大人しくしてればいい」
と有り難い忠告まで受けることがある。
色んな意味があるとは思うが、良く解釈して
「大人」ってのは公私ともに新しいことにチャレンジなどせず、
常に一歩引いていろということらしい。

違うと思うな。
本当の「大人」ってのは
「してはいけないことは理解して守り、
 しなければならないことをきちんとやる人」
だと思うんだ。
「捨てるなんてムダなことをせず、
 多少消費期限を改竄しても売ってしまおう」とか
「選挙なんだから多少は誇張もしますよ。
 あくまで気持ちを言っただけ。わかるでしょ?」
という屁理屈を理解するのが大人なのではなく
自分を律し、社会の構成員としてやるべきことをやる人を大人と言い、
その上で夢を語り、様々な活動に顔を出し、
趣味や遊びにも一生懸命になれるのは大人の魅力なのだと思う。

私も含め、社会全体が幼稚化してきている気がしてならない。
社会という基本的集団のルールすら守れず
やらなければならないことよりやりたいことが優先されている。
加えてTVやインターネットなどの刹那的な情報だけが溢れ、
本を読んでじっくり考えることがなくなっている。
それらは学校でどんなに道徳教育や倫理教育をしようと学べない。
もちろん社会から隔絶された家庭では学べるわけもない。

「してはいけないことを、なぜしてはいけないのか」
「しなければならないことを、なぜしなければならないのか」
これは哲学だ。
道徳も倫理も、そしてルールも土台に哲学があるからこそ意味がある。
・・・と考えると、哲学を持つ人が「大人」ということになるか。
ここまで考えて、私自身はどうだろうと省みてみる。
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徒然鍋

2007-12-20 | 風屋日記
冬は鍋もの。
やうやう熱く吹きたる土鍋の蓋を取り去り
湯気立ちたる汁を少し味見したる

ダシは鶏
タラバガニはさらなり
魚もなほ、種類多く入れ込まれたり
また、ただひとつふたつなど、サケやタラが浮きしづみするもをかし

味は塩味
醤油をさして、味覚いと香ばしくなりたるに
たくさん野菜が入っているとて、
三つ四つ、二つ三つなど、牡蠣が煮えていくもをかし
舞茸、白滝などのワキ役がところどころに見ゆるは、いとをかし
煮込まれてグツグツいう音など、はたいうべきにあらず

鍋もいろいろ
しゃぶしゃぶやすき焼きはいふべきにもあらず
霜降りの牛肉でも、またさらでも
水炊きやチャンコ、石狩鍋など
煮立ちゆくさまをビールなど飲みつつ待つもまた奥ゆかし
湯豆腐のあと、残りたるタレを使ひて
翌朝の納豆にかけるも二重に楽しめいとをかしけれ
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バングラディシュ

2007-12-19 | 風屋日記
私が会員になっている
国際教育支援NGOシャンティ国際ボランティア会(SVA)から
バングラディシュのサイクロン被害への支援を求めるメールが来た。
SVAはタイ、カンボジア、ラオス、アフガニスタンの国々の
スラムや少数民族の子ども達に教育支援を行うNGOだが、
阪神・淡路大震災への支援をはじめ、
インド洋津波や中越沖地震への支援活動など
今日的な被害へのボランティア活動も行っている。

バングラデシュへの支援を求めるwebサイトはコチラ

バングラ人々

この写真は仮設の家(とも呼べない掘建て小屋)に暮す家族。

バングラ船

こちらは倒壊・全壊した家と座礁した船。
(以上の写真はSVAからのメールより転載)

以下はメールで来た内容を転載する。
ご支援方よろしくお願いします。


■■SVAの支援活動■■
当会は、現地パートナーのダッカ・アーサニア・ミッション(DAM)と連携
しながら、被害の大きかったボルグナ県アムタリ郡にて、2008年1月から半年
の予定で、下記の支援活動を実施します。

□支援活動? 地域の集会所「ゴノケンドラ」の再建
ゴノケンドラは、竹や草葺き屋根など地域の資源をつかって地域の人たちによ
り建てられた集会所です。コミュニティースクールの役割も果たしており、公
立学校に通えない子どもたちが勉強したり、大人が識字教室や職業訓練を受け
る学習の場ともなっており、地域にとっては重要な場所です
。アムタリ郡アムタリ地区ほか、6地区のゴノケンドラ20軒のうち全壊した18
軒の再建を支援します。

□支援活動? サイクロン・シェルター(避難所)の建設
 被災地には地域住民数にみあったシェルターが無く、あっても遠くて利用す
るには不便であったり、老朽化して安全上の問題があるため、新たな建設が望
まれています。また、同シェルターは防災拠点としてだけでなく、平時におい
ては地域のためのイベント(予防接種など)や図書館活動といった子どもたち
のための教育センターとしても役割を果たしています。SVAは5棟の建設を支援
していく予定です。

□支援活動? 貧困家庭に対する生活再建支援
生活再建が困難な1,000世帯の貧困家庭に対して、暮らしを立て直す第一歩へ
とつながるような物資の提供を行います。提供する物資内容は、ゴノケンドラ
の運営委員会や地域住民組織で協議され、決められた金額内で決定されます。
支援物資は、農家向け(種、苗、肥料、灌漑用機械など)、漁師向け(魚網や
船など)などが想定されます。

□支援活動? 子どもたちへの教材・学用品の配布
生活再建が困難な家庭の子どもたち1,000人を対象に、教材・学用品の配布を
行います。

■■募金受付の郵便振替口座■■
加入者名:社団法人シャンティ国際ボランティア会
口座番号:00150-9-61724
※通信欄に「バングラ・サイクロン」とご記入ください。
※郵便局からの振り込み手数料は免除されます。 
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忘れられぬ友

2007-12-18 | 風屋日記
「で?お前の夢は何だよ」
Tはグラスの氷をカラカラいわせながら、
彼のアパートの部屋の暗い照明の下で聞いてきた。
「高校時代はモノ書きになりたかったけどな。
 『詩だけでメシが食える詩人になりたい』と
 今考えると随分青臭いことを言ってた気がするよ」
周囲を畑に囲まれた、駅からもかなり離れた東京都下。
幹線道路からも外れているため
首都圏とは思えないほど窓の外は静かだ。

「今は?」
とTは自分が吸うタバコの煙に顔をしかめる。
「今は・・・そうだなぁ。
 モノ書きも含めて、何かを表現したいなぁ。
 映像でも、文字でも、芝居でもいいや。
 だから大学1年では演劇やったし、TV局も経験した。
 具体的には・・・まだわからんな」
Tは鼻でフンと嘲い、
自分の空になったグラスにウイスキーを注いだ。

「オレは自転車で世界を回りたい。
 だから言葉を身につけようと英文科に入ったし、
 バイトしてひとつひとつパーツを買い揃えてきた。
 ここにある1台はせいぜい20万円ぐらいの実用車だが
 こっちのヤツには100万ぐらいかけて、まだ未完成だ」
交通の便が悪く古いため、安い家賃でも広い彼の部屋の片隅には
スポーツ型の自転車が2台壁に立て掛けてあった。
「オレの夢は中学時代から変わってない。
 金にはならないが具体的だぜ。
 ホントはそういうものを夢というんだ。
 お前のは夢じゃなくてただの憧れだろう」
私は黙って、居酒屋のバイトで覚えたという
彼が作ったツマミを箸でつついていた。

    ☆      ☆      ☆

あれは確か大学4年の頃だったかな。
町田の市街地からかなり奥まった、
高校時代一緒にワルいことばかりした同級生Tのアパートで
2人でボソボソ朝まで飲んでたことがある。
その後ヤツは六本木のディスコ(^^; の黒服のバイトから
賭博バーの雇われ店長などもしたらしい。

私が大学を卒業して帰省した後、
彼が突然750ccのバイクで故郷の町に現れた。
「飲むべ」と誘われ、
私は当時つき合っていた母ちゃんと一緒に店に出向いた。
母ちゃんも同級生だが、Tとは話したことがないと言っていた。
「オレさ。今カナダから来ているモデルとつき合ってる。
 彼女が一緒に帰ろうと言うから、カナダに渡ることにした。
 親に伝えに帰って来たんだけど、やっぱり話せなかったな。
 明日東京へ帰って、今月中にはカナダに行くから
 まぁあっちから家に手紙でも書くワ」
「そうか」とだけ私は言い、3人とも言葉少なに飲んで帰った。

Tがカナダのどこかの湖で
彼女とともにボートでひっくり返って行方不明と聞いたのは
さてそれからどれぐらい経った後だったろう。
最後に花巻で会ってから1~2年だったような気がする。
彼の親父さんが家を売った金で大掛かりな捜索をしたが
結局見つからなかったと聞いた。

数年前、彼の葬儀があったと風のウワサで聞いた。
行方不明になってからもう20年。
老いた親父さんも、ようやくその気になったらしい。
今はTの妹さん家族とともに暮しているということだった。

Tを思い出す時、
私はいつもあの薄暗いTのアパートの部屋が目に浮かぶ。
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舞い納めと舞い初め

2007-12-17 | 風屋日記
昨日は花巻市青少年郷土芸能フェスティバルに
上根子神楽の子ども達が出演し、
その後で後援会の人達も含めて舞い納めの会があった。
何だかんだと忙しい振りをして
神楽からとんとご無沙汰だった私も参加、
仲間たちと顔を合わせたのは9月の花巻祭以来だった。

ワイワイ元気な小学生たちはお菓子とジュースで舞い納め。
彼らが三々五々帰った後は、鍋を囲んで大人の時間だ。
大人とはいえ、中学生~高校生たちはこちらへ参加。
あーでもねぇ、こーでもねぇと
とぐろを巻く大人達の相手をしてくれる。
その見返りでもないけれど、
鍋の中身の半分以上は彼らのお腹の中。
大人達は飲み物だけあれば充分みたいだからね(^-^)

模試のために学校へ行っていた次男も途中から参加。
「おー久しぶりだなぁ。受験勉強大変だべぇ。まず食え食え」
と大人達。
宮司さんからも「合格祈願やるか?」と尋ねられ
「あ、ぜひ、センター試験の前にお願いします」と次男。
小さい頃から神楽を奉納していた地元熊野神社の神様だから
もしかしたら天神さんより御利益あるかもね(^-^)
「元旦の朝、祈祷の後に神楽やるんども、お前ぇも来れるか?」
と神楽の代表から言われた次男は
「もちろん。神楽人は元旦だけは勉強休みっす(笑)」
よし、兄ちゃんも(ほとんど神楽のために)帰ってくるし
勉強を1日休んで神楽に出たってバチは当たるめぇ。

・・・ということで、
毎年恒例、上根子熊野神社の元旦の行事は今年もある。
朝6時からは元旦祭の祈祷。
それが終わり次第、7時頃から餅まきで、7時半頃から神楽奉納。
何演目するのかはその時次第。
遠くから帰ってくる大学生たち5人が張り切っているので
結構たくさんの演目になる可能性もアリ。
兄貴分達が帰ってくると、
中学生~高校生の弟分達もテンション上がるからね。
いつまでも終わらなかったりして(^^;

そして元日夜は志戸平温泉にお呼ばれしての権現舞。
正月を温泉で迎えるお客様に見せるのだそうだ。
参加するのは風屋家3人(私と息子達2人)、
H家2人(神楽衆仲間の親父さんと今年東北大に入った息子)、
そして若い神楽衆の親分、日体大水泳部のMの全部で6人。
(うちの長男とMは一緒に30日に帰省してくるそうだ)
神楽代表は行かないとのこと。
「元日は浴びるほど飲んでるからお前ぇらに任せる」んだって(笑)
久しぶりに顔を合わせる大学生3人と高校生の次男。
H家の親父さんは彼らが少年野球をしていた頃の監督だし
久しぶりのメンバー、夜は夜で楽しみだ。

温泉に入りがてら権現舞を鑑賞したい方は
ぜひ元日の夜に志戸平温泉へ。
コメント (4)
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