風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「煮る」「炊く」「茹でる」

2022-01-31 | 文化
またまた言語学的考察。

「煮る」「炊く」「茹でる」は
どれも水(湯)を使った調理法だが、ニュアンスが若干違う。
「煮る」は食材を味のついたスープの中に入れて火にかけ、
スープの味を浸み込ませながら熱することだが、
出来上がりは水分(スープ)がまだある。
「炊く」は水だったり、味のついたスープだったりで食材を熱し、
調理後は水分が食材にすべて染み込んだ状態のイメージ。
「茹でる」は単純に水で食材を熱することという感じだと思う。
うまく状態を言葉にできないけれど。

東日本全体のことなのか、当地だけなのかわからないけど
「炊く」は今はほぼご飯にしか使わない表現だ。
一方で、これは西日本全般の印象が強いが、
芋や豆など、当地では「煮る」と表現する行為を「炊く」という。
確かに考えてみれば、芋や豆は火にかけて水分を浸み込ませる。
(シチューやカレーなどスープものに近い調理は「炊く」と言わない?)
だからご飯と同様「炊く」という表現も分からなくはないが
「煮る」文化が染み付いた地域の人間にとって新鮮に思う表現だ。
細かく考えてみれば、水分そのまま残すのと浸み込ませるのとでは
調理の目指すところが違うのだから、表現も違って当然。
元来日本語では、熱して浸み込ませ流調理を「炊く」というのかも。
・・・と西日本の人たちの表現を聞いてふと思う。

ちなみに、もう知る人も少なくなったかもしれないが
当地では昔、
なかなか寝ないこどものことを「古小豆(ふるあずき)」と言った。
古い小豆はなかなか「煮えない」→「にぇない」→「寝ない」。
うまいこと言うものだ。
私がこどもの頃、よく親から言われた(笑)
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「プカプカー西岡恭蔵伝」

2022-01-30 | 読書

西岡恭蔵の名を知ったのはいつだったろうか。
いつにまにかザ・ディランやディランⅡの名とともに
「プカプカ」や「サーカスにはピエロが」などの代表曲を
知り、歌っていたような気がする。
もしかしたら中学校の頃だったかな?

複雑なコードを使ったりするような高度な音楽性を感じることなく
荒削りに、悪く言えばテキトーに歌っているように聴こえるが
自分で歌ってみると、深い所にそこはかとなく
哀しみのようなものを感じる不思議な歌ばかりだった。
コードも歌も覚えやすいので譜面が要らない。
いろんな場面で歌った。

そのうち大人になってから
A showさんのアルバムでカバーされている「アフリカの月」が
妙に心に残るようになった。
古き良き時代を感じさせる歌詞と、哀愁に満ちたメロディー。
A showさんはウッドベースとブラシによるドラムだけをバックに
淡々とブルージーに歌っているが、
カルメン・マキさんのジャジーなアレンジが好きだった。

それにしても、「プカプカ」にしても「サーカス・・・」にしても
これだけたくさんの人にカバーされる歌を作ったゾウさん。
大ヒット曲はないけれど、すごい人だなと改めて思う。
相棒の作詞家で奥様だったKUROさんが癌で亡くなってから
三回忌の日に自ら命を絶ったのは知っていたが
KUROさんが亡くなる前から鬱に悩んでいたことを初めて知った。
本書に書かれている最期の数カ月の姿が苦しい。
少年時代の姿、学生時代の初恋などのエピソードを読んでいると
その大きな体躯やヒゲ面、のほほんとした歌声とは裏腹に
頭が良く繊細で真面目な本性が垣間見える。

「プカプカ」で歌ったのは安田南のことばかりじゃなかったんだなぁ。
その話も、今となってはなんだか微笑ましく哀しい。

「プカプカー西岡恭蔵伝」中部博:著 小学館
コメント (2)
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行きたい

2022-01-29 | 
旅に行けない。
腰が重くて、そんなにマメに行く方でもなかったけど
以前仕事で九州から北海道まであちこち出かけ、
知らないまちを訪れる面白さを知ってからは
割に出かけるようになっていた。
でも、コロナで今はどこにも行けない感じになっている。
そうなるとますます行きたい(笑)

自由に行き来できそうな社会情勢になったら
まずは沖縄に行きたい。
友人、知人たちがSNSで発信しているのをみると
いてもたってもいられなくなる😅
石垣島にも何日か滞在したい。
長崎に住む山神の師匠に所にも行かなくちゃ。
行ったことないところでは、愛媛にとても興味がある。
愛媛出身の知人が意外に多く、どんなところか知りたいな。
四国にはまだ上陸したことないしね。

外国なら、昔からアルジェリアやモロッコ、トルコに興味がある。
文明発祥の地イラクや、イランのペルシャ文化にも。
西欧とアジア、アフリカの融合地点。
ベトナムやラオス、カンボジアも心惹かれるなぁ。
インドネシアの文化も興味がある。
特にサンスクリット文化が残るバリはいつか行きたい。
チェコやセルビアなどの東欧諸国も。
キューバも行ってみたいなぁ。
ただし、観光地巡りをしようとは思わない。
市場や路地を歩き回り、現地の人々と触れ合いたい。
そしてその土地ならではの文化に触れたい。
人々の暮らしを垣間見てみたい。
そんな旅。
でももうこの歳なので無茶はできないよなぁ。
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2022-01-28 | 風屋日記
形は旧型のTOYOTA bBやカローラルミオンのような箱型。
それほど大きくなくてもいいので、車高は高めで4WD。
1500〜1600ccクラスのクリーンディーゼルエンジン。
前席はベンチシートでコラムAT。

そんな車があったら欲しいな。
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レッグウォーマー

2022-01-27 | 世界・平和

若い頃は、暑さには滅法弱かったが寒いのは割に平気だった。
「服を脱いでも暑いけど、寒いのは着ればいい」と思っていた。
しかし歳を重ねるごとに
夏の暑さに平気になってきたのと反比例するように
寒さがかなり堪えるようになってきた。
代謝が落ちてきたのか、筋肉量が減ってきたためか
50代初めぐらいからめっきり冬の寒さを辛く感じ始めた。
東京赴任時には、冬は帰省したくなかったほど。
特に事務所仕事の最中など足元が寒い。

ということで、今冬から
妻が使わなくなったレッグウォーマーを借りて
常に身につけるようになった。
2種類あったのだが、暖かいのは短くて足首しか隠れない。
長いものは膝まで覆ってくれるが、だんだん落ちてくる。
しかもそれは薄くて効果が薄い。
両方重ねて使ったりしていたのだが、先日良いものを見つけた。

ネパリバザーロ(https://www.verda.bz)というNGOから、
花巻の雑貨店「おいものせなか(https://oimonosenaka.com)」が
仕入れて販売しているネパールの女性たちの経済援助のための商品。
すべてネパール女性によって手作りで作られているものの中に
手編みのレッグウォーマーがあったのだ。
デザインが目を引く。カラーリングが素敵だ。
早速買って履いてみると、程よい締め付けで足が浮腫まない。
しかも、もちろん暖かい。
足が長いわけではない😅私なら膝から足首までカバーしてくれる。
これ、いいわぁ。

冬はパンツの下にヒートテックや
これまでのレッグウォーマーが必要だったので、
ストレートタイプのパンツしか履けなかったけれど
このデザインならパンツの外側に身につけて見せても良い。
それにはスリムタイプのパンツが必要。
冬には出番がなかったパンツにも日の目が当たる(笑)
これから冬はこれを愛用(^^)
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言語

2022-01-26 | 文化
ちょっと前の記事なので
本当はいけないんだろうけど
新聞の宣伝も兼ねて、写真UPさせていただきます。
すみません(^^;



上記は同じ日の岩手日報に掲載された記事。
かたや世界で絶滅を危惧されている言語について
こなた岩手の方言についての記事だ。
どちらも大変興味深く読んだ。

世界のマイナーな言語に興味がある。
ほんとうならちゃんとその言語を学ぶ必要があるが
そこまではちょっと難しい(^^; ものの
言語の成り立ちや社会での使われ方など
その言語を使う人たちの文化が垣間見えて面白い。
信仰に深く基づく言語、伝統的生活慣習に基づく言語、
馬とともに生きてきた民族には馬に関する表現が豊富だったり
(山羊、羊、牛や主食となる米、小麦なども)
人間関係に関する表現が細やかな言語などもある。
接続詞や活用がない言語もあれば
文字を持たずに、目での伝達は絵や刺繍だったりという言語も。
言葉はそれを使う人々の文化そのもの。

もちろんそれは、もっと世界社会においても同じで
それは方言という形になって残っている。
ひとくちに方言と言っても、その切り口は様々で
表現方法の地域性、古語から残る方言単語、
そして発音に至るまで、興味は尽きない。
発音に関して、例えば典型的な東北弁とされる
「キ(「き」と「ち」の間の擦過音)や「シとスの混同」、
「ハ行のパ行化、ファ行化」などは
実は沖縄石垣島などで歌われる八重山民謡にもある。
もしかしたら「原日本語発音」なのではなかろうかとも
最近考えたりしている。
江戸弁の「ヒとシの混同」もそのひとつだ。

古語から残る方言単語は、上げ始めるとキリがない。
例えば岩手で話されている「うるがす(うるかす)」は
「潤う」という言葉の使役同士。
古語どころか戦前まで全国的に使われていた言葉らしい。
「おどげ(標準語では顎)」も、
森鴎外の小説に「おとがい」という表現が使われている。
漢字変換でも「おとがい」で「顎」とすぐ出てくる。
「髪をけずる(標準語ではとかす)」はスマホなどで
「髪を梳る」と漢字変換されるが、これも古語だ。
「んだっけ(標準語でそうですよの意)」の「け」は
古文で出てくる助動詞「けり」の音便形であると本で知った。
つまり現代に生きる私たちが
「そうでありけり」と言っているわけだ。

柳田國男の「蝸牛考」を大学で学び、方言周圏論を知った。
当時の日本の中心である京都で新しい言葉が生まれ、
それが徐々に地方に浸透していく。
その間にまた新しい言葉が京都で生まれてくる。
単語表現が大きな輪になって方言として残るという説だ。
前述の発音にも当てはまる考え方だ。

ところで「蝸牛考」をテキストとして使ったのは
言語地理学という大学時代のゼミ。
「蝸牛考」の「かたつむり」のように
特定のモノを示す単語の表現方法を記号化し
それを地図上に落とし込んでいくフィールドワークが中心だった。
まさにこの新聞記事のフェリスの先生の手法。
私も「1980年ごろの花巻地方の方言地図」を作るため
夏休みにフィールドワークした思い出がある。
とある古老に蛙の絵を見せて「これをなんと言いますか」と尋ねたら
「けづぁ『フルダビッキ』だえ?見だ人ぁ石になるズもなす」
と言われて唖然としたり、
つららの絵を見せて「なんと言いますか?まぁ普通はつららですが」
という問いに「ほ?けづぁ『タロス』だえ?つららって初めで聞いだ」
との返答に驚いたりしたのもいい思い出だ。

ちなみに蛙は「ビッキ」、その化け物が「フルダビッキ」だし
「タロス」は「垂る氷(たるひ=古語)」の音便形。
コメント (4)
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冬の朝

2022-01-25 | 生活の風景



宮沢賢治さんみたいに
いろんな物語が生まれ出てきそうな風景。
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メガネ

2022-01-24 | 生活の風景

数日前、メガネを無くした。
自宅駐車場でカーポートにぶつかり脳震盪気味に。
その後外したはずのメガネが無い。
「まぁそのうち出てくるだろう」と
以前かけていた安いメガネを出してきてかけてみた。
一昨日、仕事で盛岡に行こうと思い、メガネをかけた途端
ツルが途中でポッキリ折れてしまった。
慌ててアロンアルファでくっつけようと思ったけどダメ。
仕方なく、その日は度付きサングラスでごまかし、
とりあえず当面スマホやPC見るために
100均で老眼鏡だけ買ってきたのが写真の下のもの。

昨日朝、駐車場で無くしたと思っていたメガネを発見。
それが写真の上のもの。
見事にひん曲がってしまっている。
どうやら柱にぶつかった時に外して落としたらしい。
脳震盪気味で全く記憶にない。
すぐにメガネ屋に持って行ったが直せないという。

ということで、
久しぶりに新品を買うこととあいなった。
調べてみると、遠視も乱視も進んでいたようだ。
仮レンズはとても良く見える。
これなら疲れなくて済みそうだ。
ってなことで、出来上がる2週間後にはイメチェンします😁
災い転じて福となす。
それまでは本読んだり、スマホ見たりする以外は
11年ぶりのメガネ無しとなる。

福にはなるけど、予定外の支出分稼がなきゃな😅
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市井の人たちの暮らしの営み

2022-01-23 | 社会
以前ここで紹介した写真集2冊。


60年前といえば私が生まれた頃だ。
もちろん記憶の中にその風景はないし、
大きくページを割いている東京のことも直接知らない。
にも関わらず、なぜかとても懐かしいのだ。



これは上野の近くで撮られた写真。
まだ着物姿の女性が多い。
他の写真では、渋谷宮益坂周辺に空き地が見える。
国電(JR)の窓は(エアコンが無いので)全開に開けられ、
駅ビルなどの写真はなく、素朴な駅があるだけ。
そういえば現在の都営浅草線開通前の押上駅の写真もあった。


こちらは昔の花巻電鉄の写真。
岩花線と呼ばれた中央花巻ー西花巻間、
現在の八森スポーツ裏手あたりを走っている。
この写真にも心を動かされた。
他には人々が電車に乗り込む西公園駅の風景など。

リアルで見た年代でも、まだ行ったこともない場所でも
なぜ懐かしく、胸がいっぱいになるのか。
なぜ高いお金を出して買ってまでこの写真集が見たかったのか。
(2冊合わせて3,100円)

この写真を撮ったアメリカ人は鉄道マニアで
ほとんどの写真に電車やSLが映っているのだが、
鉄道そのものよりも人に懐かしさを感じた。
それは恐らく、私が普通の、市井の人々の暮らしの営みに
強く心が揺さぶられるからなのだろう。
人の温もり、笑顔、家族、愛情、許容、慎ましい暮らし・・・
そんなものが当たり前だった時代だ。
昭和の後半、時代は高度経済成長が始まっていたものの
一般市民はまだ戦前からの価値観と生活慣習で暮らしていた時代。
そういうものに心惹かれる。
結局私は人と人との触れ合いが好きなんだろう。
時代とともに希薄になり、コロナで拍車がかかっているが。
「大衆の中に道理がある」は政治家だった伯父の言葉。
市民の中にこそ耳を傾けるべきことばがある。
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夢の公共交通機関

2022-01-22 | 社会
ある方が盛岡に欲しい地下鉄路線図を書いていた。
それに触発されて、花巻における鉄道交通を夢見てみた。


まぁ、これからこういう鉄道網を作るのは100%無理だけど
東北線と釜石線に新駅作るのは可能性ゼロじゃない。
少なくとも本館駅は花巻北高生がわんさか利用すると思うよ。
花巻空港絵のアクセス線も釜石線からの分岐で欲しいよね。
(東北線からだと花巻駅利用者が増えないからボツ😁)
花巻空港と花巻駅との往復を、一部釜石線を利用し
飛行機のフライトに合わせて走らせれば
それなりに乗客を見込めると思う。

それから釜石線を延長して花巻市内を走らせるのも
面白いんじゃないかと思うんだ。
鉛温泉までは無理にしても、
花巻南高まで走らせれば同校の生徒が便利。

花巻温泉へは、かつての花巻電鉄の線路跡が
今もサイクリングロードになって残っているから
電車は無理にしても、BRTならまだ現実味があるかな。
たぶん花巻東高生が多数利用するよ。

運転免許を取る前の高校生はもちろん、
今後、少子高齢化が進むと
ますます公共交通機関の必要性が高まる。
電車は保線や積雪対策などで難しいにしても
無人電気バスなどにより、
新しい交通機関のあり方を考えてもいいよね。
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週刊金曜日1/21号 「花巻の風」最終回

2022-01-21 | 仕事

昨年2月から1年間連載させていただいた
週刊金曜日の「花巻の風」が、
今日発売の1/21号で最終回を迎えた。

スタート時から最初と最後に取り上げる方を決めていた。
最初はマルカンビル大食堂を復活させた上町家守舎小友康広社長。
最後は宮沢賢治の弟清六さんの孫である宮沢和樹さん。
良くも悪くも、花巻というまちと賢治さんは切り離せない。
「悪くも」と書いたのは、
何でもかんでも賢治さんをダシに使いがちという風潮があるからだ。
果たして泉下の賢治さんはそれを望んでいるのだろうか。
果たして賢治さんを「利用」する人たちは
賢治さんの想いや思想を理解しているのだろうか。
その風潮に、ひとり賢治さんや清六さんの思いを伝え続ける
和樹さんはどう感じているのだろうか。
そもそも賢治さんの想いや思想とは?ということを
改めて取り上げたかった。

実は和樹さんとは、和樹さんがイギリスから花巻に帰ってきて
林風舎をオープンさせた直後ぐらいから付き合いがある。
ほんのたまにだけど、会えば話が弾んで時間を忘れる。
なぜかというと、私の父と清六さんは
戦前から文芸を通じた仲間だったからだ。
私自身、子どもの頃から父に連れられて宮沢家を訪れ、
清六さんには可愛がってもらい、
大人になってからも大変お世話になった。
蔵書をいただいたり、自筆色紙をいただいたり、
仕事で賢治さんに絡むものがあれば忌憚のないご意見を聞きに
ひとりでお宅へ伺ったりもした。

父と清六さんとの思い出話や
自分なりの賢治さんについての思いや考えを
和樹さんと話すことはとても楽しい時間だ。
今回は取材ということもあり
これまでよりも、さらに突っ込んだお話ができた気がする。
私自身、賢治さんにはとても近しい感情を持つが
あまりそれを表に出すことはない。
賢治ファン同士の議論や、前述の「利用」から遠ざかり
ひっそりと賢治さんを思うようにしている。
思い切り賢治さんについて語れるのは和樹さんとだからこそ。

今回の記事は、そういう意味で楽しく書かせていただいたが
一方で、より深く賢治さんを知る仕事となった。
「花巻の風」は、地方で今吹いているリアルな風を
全国に伝えたいと思って始めた連載。
しかしその仕事を通じ、一番学べたのは私自身かもしれない。
1年を通じて取り上げた20名1団体の方々以外にも
まだまだたくさんの花巻のプレーヤーたちが
それぞれ自分なりの「求道すでに道」を実践している。
そんな人たちに勇気をもらい、リスペクトしつつ
今回の連載を閉じることにする。
連載のお声がけいただいた週刊金曜日編集委員の伊田さまに感謝。
お読みいただいた方々ありがとうございました。
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鍋焼きうどん+α

2022-01-20 | 食べ物・お店

昨日はランチミーティング。
喫茶きょうらくさんの奥の部屋を借りて
お昼を食べながら、結構濃い話ができたと思う。
私のチョイスは鍋焼きうどんと味噌焼きおにぎり。
ここのところ大雪だったり、冷え込んだり。
昨日の朝は今冬一番の-14.7度だったこともあって
こんな季節は鍋焼きうどんがご馳走だね。


話が弾んだ勢いで
この店ならではのヨーグルトプリンパフェ(ミニ)も。
クリームのパフェと違って爽やかな味わい。
これはオススメ😊
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夢でもし会えたら

2022-01-19 | 生活の風景
何かのパーティー。
どうやら私はその主催者の一員らしい。
山下達郎さんやユーミンさんなど
有名アーティストが多数参加している。
アトラクションでどなたかが演奏した後で
会場の皆さんから細野晴臣さんの登場を願う声が。
その時、大貫妙子さんが
「細野さん、風屋さんのために1曲どう?」と。
なんと!なぜ私のために?

うながされた細野さんは、
ノートの切れ端のようなものを持ってステージに上がった。
「どうもね、最近は歌詞も覚えられないし、
 第一小さい字は読めないよね」
と言うので、私はサッとステージに駆け寄り
歌詞が書いてあると思しきそのノートの切れ端を持って
マイクに向かう細野さんに向けた。
どこからともなく演奏が始まる。
それが大滝詠一さんの「君は天然色」だったからびっくり。
いつもはボソッとした低音で歌う細野さんが
結構きれいな高音で伸びやかに歌っているのを間近で見て
なにやら胸が熱くなった・・・ところで目が覚めた。

幸せな夢だったなぁ。
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「燃える波」

2022-01-18 | 読書

書き手である女性の目線を通して社会を垣間見る
いわば擬似体験として女性作家ものを読むことが多い。
自分にはない視点が新鮮だから。
ということをこれまでも何度か書いてきた。


中でも井上荒野さんや桜木紫乃さんとともに
作家買いするのが村山由佳さんの作品だ。
女性みんながみんな同じ価値観や考え方をするわけではないが
特に村山さんはその女性性を存分に表現していると思う。


「物書きは先生と言われるようですが、
 これほど社会の底辺にあるような仕事はないわけです。
 自分の中の汚い部分、心ある人なら隠しておくような事も、
 腹かっさばいて書いて、
 それを人に読めと強要するという仕事ですから。」
そんなことを言う村山さんだからこそ
その作品にホンネが書かれていると思うし、信用もできる。

本書は痛い。
読んでいて心がちりちり痛む。
それはおそらく私が男性だからなのだろう。
しかし、一方で主人公に肩入れしている自分にも気づく。
舞台が自分の仕事に近いこともあって
よりこの世界に深く入れ込んで読み進めていた。

こんな仕事をしたいなぁ。
でも女性誌は大変だから遠慮しておく(笑)

「燃える波」村山由佳:著 中公文庫
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あれから27年

2022-01-17 | 社会
当時は車で盛岡の勤務先に通勤していた。
冬の自家用車通勤は雪との戦いだ。
毎朝5時には起き、天気予報や外の様子を見て
家を出る時間を決める。
降雪だったり、道路が凍っていたりすると
へたすれば通常1時間20分ほどの通勤時間が
2倍近くかかることもあるし、
日によっては雪かきしてから出なければいけないからだ。

この日も5時に起き、ストーブの前で着替えしながら
天気予報に続くNHKニュースを見ていた。
いつもより早めの出るため朝食を摂ろうとしていた。
その時、TVのニュースが大地震発生の第一報を伝えた。
その9年前に新婚旅行で訪れた神戸周辺が大変らしいとのこと。
ところが大阪や京都、西宮、姫路などの震度は出るが
神戸だけ家を出るまで震度が出なかったことが気になっていた。

午前中仕事をし、昼休みに会社近くの食堂へ。
そこのTVに映し出されていた神戸の街並みの姿に言葉を失った。
高速道路が倒れている。
かつて泊まった三宮のホテルが倒壊している。
空撮では街中から煙が立ち上っている。
唖然とした。
神戸に住んでいる高校の同級生に連絡を取ろうと思ったが
もちろんなかなかつながらない。
1週間後、ようやく電話で話せた同級生は
いつもの軽口を叩くEくんではなかった。
「神様はどうしてこんなことするんだろう」
という彼の言葉を忘れることができない。
自宅周囲で倒壊した家々から何人か助け出しもしたが
一方で悲痛な体験もしたようだった。
11年前の東日本大震災と同様
あの時のことは絶対に忘れない。

ところで、阪神・淡路大震災の時、
もうひとつ忘れられないことがあった。
当時、著作の編集をお手伝いしたこともあり、
いろいろお付き合いのあった当時の東和町長小原秀夫さんが
(東和町は2006年の市町村合併により現花巻市)
地震発生の2日後には数人の職員と救援物資を積み
全国に先駆けて公用車を現地に派遣したことだ。
その判断力、決断力、素早さに舌を巻いた。
のちにそのことを伝えると
「困っている人がいれば手を差し伸べるのは当たり前。
 明日は我が身だしね」と微笑んでいた。
全国的にも話題となったこの人のことも忘れられない。

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