風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

バンカラ

2006-03-31 | 風屋日記
今朝の風景。
桜が満開ってのはどこの国の話?(笑)
だいたい一昨日のニュースだって
「強い寒気で東京と大阪は10度を下回る寒さ」って、
こっちじゃ雪積もって3度だったんすけど。
なんぼ雪国だって、この季節の積雪はニュースだぜ。
経済格差のみならず、情報格差もあったんじゃ、
我々としては救われまへん。

    ◇      ◇      ◇

さて、私の親父~私と家内~私の長男の母校であり、
次男が現在在籍している岩手県立花巻北高は、
旧制中学から引き続くバンカラが校風。
バンカラといえば青森では八戸高、宮城では仙台一高と二高、
そして岩手県内では、ご存知軍艦マーチが校歌の盛岡一高、
一昨年の選抜に出場し、応援で甲子園を沸せた一関一高、
そしてお隣北上市の黒沢尻北高とわが校あたりが有名。
伝統校である水沢高、福岡高、遠野高などは
時代の流れによりバンカラがなくなってしまったという
悲しいニュースが聞こえてきたりしたけど、
それでもまだまだバンカラは健在だ。

かくいう私も、高校時代は無精髭を生やし、破れ帽を被り、
足駄を履き、そして腰には手ぬぐいを下げて歩いていた。
若い人たちや東北地区以外の人たちに
バンカラのニュアンスを伝えるのが難しいことを最近知った。
「硬派」とか「番長」というイメージらしい。
ちと違うかな。少なくともフィジカルな文化ではない。
華美を排し、質素を旨とし、
自ら信ずるところの哲学や理念を追い求め、学問する、
旧制高校生の気風を良しとし、真似たものだ。

具体的なイメージをネットで探してみたけど
なかなかコレといったものがない。
例えばスタイルは「こんな感じ」だし、
野球応援時の盛岡一高は「こんな感じ」。
黒沢尻北高のサイトには「いろんな写真」があった。
バンカラはなくなっても理念は生きていて、
福岡高校には旧制高校のノリの「こんなイベント」もある。
なんか仲間意識を持ててうれしいね。

今日はバンカラな校風を紹介いたしました。


※「水沢高校のサイト」にバンカラの説明がありました。
 左上の「バンカラ」をクリックして下さいまし。
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身の回りの品々 vol.2

2006-03-30 | 風屋日記
皮表紙のシステム手帳。
仕事もプライベートも、これがないと困る。
私にとっちゃ大切なハードディスク。
何の変哲もない手帳だけど、実は20年も前のもの。
思い入れもあるよ。

私が東京の大学を卒業し、地元に帰ったのは22年前。
一応新卒採用ということでとある販売会社に就職した。
新卒・・・とはいいながら、これまで何度か書いてきたように、
メディアの世界を経験し、採用内定→取り消しを経験し、
その後ダークな世界も含めたいろんな世界に足を突っ込み、
人より1年余計に大学に在籍し、
食うや食わずの生活をしてきた挙げ句の都落ち。
一緒に入社した13名の新人達のような初々しさはなかったと思う。

販売会社だけに、最初は体育会系の厳しさがあった。
新人達はどんどん脱落し辞めていった。
でもどん底を経験してきた私にとっては、
1日50軒の飛び込みも、30枚の名刺獲得も別に屁でもなかった。
だって日曜は確実に休めたし、月末にはちゃんと給料もらえたし、
それまで経験してきた仕事から見れば天国だったから。
コワイもの知らずだった私は
たまたま知らずに飛び込みで行ったヤーさん系の会社とも仲良くなり、
そこの社長に初オーダーをもらったりもした。
新人の中で売上を上げたのは私が初めてだった。

そんなフテブテしい新人が逞しく見えたのだろうか。
入社半年で私だけ異動になり、新しく立ち上がった部署に配属された。
そこは大手企業や官公庁などを専門に担当する部署で
私以外は知識もノウハウも兼ね備えたベテランの先輩達ばかり。
ま、この通りの性格なので臆することもなく楽しく仕事したけどね。
さんざんイタズラしたりして、課長は手を焼いたと思うけど、
ベテランの先輩達はとても可愛がってくれた。

当時私が使っていた手帳は会社のロゴ入りのダイアリー。
本当はお客さまに配るべきものだったけど
総務の係長が「手帳持ってないのか?コレ使えよ」とくれたものだった。
1~2ヶ月それを使っていたら、隣の席の先輩が
「ソレいいなぁ。オレのと取り替えてくれない?」と言い出した。
先輩の手帳は、そのころ流行りはじめたシステム手帳。
まだ新人の私にとっては垂涎ものだったから
「え!? いいんですか? 喜んで!!」とすぐに応じた私だった。
それがこの手帳。

今思えば、ベテラン達の間にひとり紛れ込んだヘンな新人だった私。
いかにフテブテしいヤツだろうと、
同年代の同僚もいない中であちこち走り回っていて
ベテランの先輩から見たらかわいそうに見えたに違いない。
ロゴ入りのもので手に入りにくいものではあったにせよ、
あのダイアリーとこの手帳では値段が違い過ぎる。
照れ隠しにひと工夫したプレゼントだったのだろう。

30歳になる頃、私は転職した。
その後は小さな手帳があれば事足りる仕事だったので、
このシステム手帳は15年もの間、引き出しの中に眠っていた。
昨年から仕事が大きく変わり、やたらと会議が多くなった。
昨年暮れに、ふと思い出してこの手帳を取り出してみた。
かつてはただひたすらメモを取るノートのようにしか使えなかったのに
今は自分でリフィルを作り結構便利に使えるようになった。
その分だけ、少しは私も成長したのかも知れないな。

それ以来、この手帳は常に私の脇に鎮座している。
実稼動は5~6年、まだまだ新しい。
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七言絶句

2006-03-29 | 風屋日記
今 亦 我 胸 中 鬱 々

而 人 不 知 独 仰 空

噫 浴 風 遊 紫 煙 身

如 白 鳥 群 飛 空 也

       風屋






      オソマツ・・・
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食べ物にまつわる、とっておきの話

2006-03-28 | 風屋日記
昨夜ふと目についたNHKの番組を最後まで見てしまった。
21:15からの「泣いてもいい夜~とっておきの話とどけます」
視聴者からなのかな、食べ物にまつわる思い出を
涙と暖かい心とともにドラマ仕立で語る番組だった。

懐かしくて心にしみる話、家族の暖かさが伝わる話。
私にもいくつかあるよ、そういう話。

    ◇      ◇      ◇

あれはうちの子ども達がまだ幼稚園か小学校低学年の頃。
母ちゃんが出張だったか、大学時代の友人に会いに八戸へ行った時だったか。
いずれ金曜から土曜まで私と子ども達だけで過ごした2日間があった。
それまで母ちゃんが出張時には、まだ小さかったこともあり、
子ども達はどちらかの実家に預かってもらっていた。
でもその時は自分のこと位はできる程少し大きくなり、
私も翌日は休みだったこともあって、初めて3人で過ごした2日間だった。

金曜の夕食は私の実家でごちそうになり、
私が勤め帰りに迎えに行って、夜遅く我が家へ。
3人でワイワイ風呂に入り、
もうすでに、普段は自分達の部屋でひとりで寝ていた子ども達に
「よし、今日は父さんと寝るか」と声をかけると大歓声!!
またワイワイ布団運んだり、並べて敷いたりして、仲良く眠りについた。

翌朝、私にはひとつの計画があった。
なにせ他の家事は一通りこなす私だが、料理だけは全くダメ。
大学時代に別れ話が持ち上がっていた彼女との気まずい雰囲気を和ませようと
麻婆豆腐を作ったはいいけど、大失敗をして逆効果になったことが
まだ私はトラウマとして引きずっていた。
でも今の私は父親、子ども達の食べるもの位作れなくてどうする。
・・・ということで、むかし喫茶店でアルバイトした経験に基づき
子ども達にとっては初体験のピザトーストを作ることにしていた。

冷蔵庫に何があるか分からなかったので、
必要な食材はすべて前夜帰りがけに買ってきていた。
ベーコン、ピーマン、厚切りトースト、そして溶けるチップチーズ。
朝食予定の1時間前には目覚ましで起き、
そそくさとベーコン、ピーマンを切りはじめた。
具を乗せてトーストをオーブントースターに突っ込んだ後はサラダ作り。
火にかけていたカップスープ用のお湯が湧き、子ども達に声をかけた。

「おー!! すげー!!」と飛び起きてきた子ども達。
何となく、何かが足りないような気もしていたが、完璧のつもりだった。
「コレ何ぃ?」「ピザトーストだぜ。初めてだろ?」
「いただきまーす」の声で一斉にかぶりつく・・・
その瞬間何が足りないかわかった。
ピザソースだ。

「おいしー!!」「父さんの作るピザトーストはサイコーだね!!」
という子ども達の言葉を涙が出る程嬉しく感じつつ、
(ホントのピザトーストはこんなものじゃないんだよ)
と心の中で呟いては自分の失敗に哀しい気持ちでいっぱいだった。
その時、ピザソースを忘れたことを子ども達には言えなかった。

その後、子ども達は何度もピザトーストを食べている。
その時の味ももう忘れただろう。
でも私にとっては苦い後悔の味が今でも舌に残っている。
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暮らし

2006-03-27 | 風屋日記
タバコの煙とほんのり冷たい風

マグカップからはコーヒーの香り

ささやかなギターの音

鍋から吹き出す熱い湯気

洗ったばかりのゴワゴワした綿の肌触り

穏やかな人の声 誰かの微笑ましい仕種

私のアナログな生活


この星のあちこちへ馳せる思い

それぞれの日常に感じる感傷

人と人とのつながりに感じる暖かさ

そして興味

人の想いの哀しさ

考え、感じることしかできない無力感

私のアナログな生活
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身の回りの品々 vol.1

2006-03-26 | 風屋日記
最近愛用しはじめた携帯用マグ。
カフェイン中毒の私にとって、
片道45kmの自家用車通勤のお供に欠かせなくなった。
たくさん入るし、オシャレだし、
しっとりした素材で手触りもGOOD。
平日の出勤日はもちろんのこと、休日も持ち歩いている。

うちの母ちゃんは「哺乳びん?」って言うけどね(笑)
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不定期連載 (久々)風屋の「正しい岩手弁講座」

2006-03-25 | 風屋日記
その前に、
昨日のYAHOOトピックスに「こんなニュース」が・・・(呆
モグとの散歩に携帯する熊除け用ラジオを買い替えようかしらん。

    ◇      ◇      ◇

●『わがね』(形容詞だが、たまに副詞的使い方も)
「だめ」という意味。比較的日常的に使われる。
当地の言葉を知らない人は「分からない」と受け取ることが多いが、
そういう意味は全く含んでいない。
結構キツめの言い方として使われる場面もある。

《例文》
「そったでわがねっ!!」
(そんなことじゃいけない!!)

「うぢのかがァ、やがましくてわがねー」
(うちの奥さんは口うるさくてダメだー)


●『ほでくてね』(形容詞)
「よくわからない」とか「ワケわかんない」のように使われる。
たまに略して『ほでね』とも。
否定的な言葉だが、キツい響きではない。
「しょーがねーなー」というニュアンスで苦笑混じりに使われる。

《例文》
「あったがぐなったり、雪降ってみだり、
 春なんだが、そでねんだが、さっぱどほでくてねじゃ」
(暖かくなったり雪が降ったり、春なのかどうかさっぱりわからないねぇ)

「バソコンのちょし方、本コ読んでもほでくてねー」
(パソコンのさわり方-操作方法-は本を読んでもわからないねー)


●『ごんぼほる』(動詞)
名詞は『ごんぼほり』。
「癇癪を起こす」あるいは「怒る」という感じの意味だが、
これまたあまりキツい響きではない。
前項と同様、「しょーがねーなー」というニュアンスで苦笑混じりに使われる。
確かな語源は不明だが、風屋的無根拠勝手流推測では
土の中深くまで根を張っているゴボウを掘りながら
いらだって癇癪を起こしている状態を言っているのではないか・・・と(笑)

《例文》
「夕べナ、赤ンぼ目エ覚ましてサ、ごんぼほらいで目にあったよー」
(夕べ赤ちゃんが目を覚まして、大泣きされて大変だったよ)

「あの人ァまンずごんぼほりだがら、さっぱどほでくてねくてわがねー」
(あの人はとにかく怒りんぼだから、わけわかんなくなって困るー)


最後の例文は、今日の3つの単語をすべて使っておさらいしてみた。
ハイ、今日のレッスンはこれでおしまい。また次回を乞う御期待。
なお次回がいつになるか、さっぱどほでくてねくてわがねー。
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愛する(自)

2006-03-24 | 風屋日記
「愛する」という言葉は、いわば自動詞。
それもかなり強く意志が込められた主体的な言葉だ。
こんなオヤジは恥ずかしくて口にできない程、
熱い感情がそこには込められている。
だからこそ「愛される」という受け身構文として使われても
「愛させる」という使役構文で使われることはない。
まして「愛せ」という命令形に至っては何をか況んやだ。
だいたい「愛させる」「愛せ」なんてチョー欺瞞な言い方は
どんなにツラの皮が厚い人間でも言えねーだろう。

ところが近頃、この国の為政者達はヘーキでそういうことを言う。
「愛国心を持たせる教育」「国を愛する気持ちを持て」ナドナド・・・。
基本的に愛すべき「国」って何だ?

私は日本の山や川などの風景や文化が大好きだ。
文化っつーても「ニッポン人としての美徳」や「道徳」じゃないよ。
もっとささやかに普通の人々の生活の中にある文化。
ご飯を食べ、祭を楽しみ、四季を感じる文化だ。
そういうものなら愛していると言ってもいい。
けっしてこの国のシステムや為政者や国家の価値観をじゃない。
まして明治維新から終戦までの、実は高々100年に満たない間だけ
声高に強制された、一部の方々が言う「伝統的なニッポン」も
私から見れは愛する対象ではない。
そういう人って本当は多いんじゃないかな?
いろんな表現にダマされて、誤解している人もいると思うけど。

にもかかわらず彼の方々は「国を愛せ」という。
愛されるためには、愛してもらえる努力をしなければならないのは
男女の間でも、親子の間でも、友人関係でも同じこと。
相手のことを真摯に考えてあげなければ愛されることはない。
「国」はどうなの?
一般の国民も為政者達も行政も一緒になって
「愛される国」を作ることに真剣に取り組むことが
真の議会制民主主義の神髄だと思うんだけど、
今は国民の代表たる代議士が、
自分のことや自分の属する政党のことしか考えていない。
それでいて「国民なんだから国を愛せ」
あるいは「国のために尽くせ」と言われてもねぇ・・・。

愛されようと努力もせずに「愛せ」と言うのは
まるで、
家の中で何もせず好きなことばかりしているぐーたらオヤジが
「夫婦なんだからオレを愛せ」「オレに尽くせ」
と言っているのと全く構図は同じだよね。

え!? それはお前じゃないのかって?








そうかも・・・(反省
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歴史に学ぶ

2006-03-23 | 風屋日記
これは今朝の風景。雪だよ・・・(溜め息

    ◇      ◇      ◇

私は一応、「本読み」であるとの自負を持つ。
本読みである以上、流行りものには手を出さないというのが矜持。
逆に自分が読んだ後に流行るとプライドがくすぐられるという、
割に懐の狭い、心のちっちぇー本読みだ(笑)

さて、そろそろ話題も下火になったかと思い、
司馬遼太郎「坂の上の雲」を読み始めた。
なかなか読む時間をとれずまだ2巻の途中だが。
司馬作品は、実は初めて。
テーマが大仰に感じられて今までは敬遠していた。

作品の根底にある舞台はmkさんの故郷(笑)
そういう意味でもとっかかりとしては興味があった。
時代背景は明治も初期。
志ある人間達がハイテンションだった頃だねぇ。
主人公のひとりである秋山好古は陸軍騎馬部隊の指揮官だが、
実は私の祖父も長州の出で近衛兵出身の職業軍人。
歳はちと違うとはいえ、同じ時代に生きていた。

物語は秋山好古・真之兄弟と
真之の親友である正岡子規が主人公となり、
明治初期の青年達の考え方や生き方が生き生きと描かれた、
いわば青春物語として始まる。
おもしろい。
これまで歴史上のこととして捕らえていたことが
とても身近に感じられる。
そして、つくづく感じたのは、
身の回りや社会の中にある「モノ」が変わっただけで、
そこに生きるヒトや社会そのものは変わってないということ。
歴史で習うと勘違いしがちだけど、
どんな時代だって人間そのものは変わらないんだね。
彼らの受験の話など、とても身につまされて読んだよ(笑)

さて司馬遼太郎。
私は彼を「時代がかった大河小説家」だと勘違いしていた。
実はすばらしい洞察力と分析力、
そして冷静な視点を持つ作家であるということを初めて知った。
明治から大正、昭和にいたる時代の流れがよくわかる。
なぜ日本が朝鮮併合に踏み切ったのか。
支那事変や満州事変はなぜ起こったのか。
そして戦前の軍部はなぜ暴走することになったのか。し得たのか。
明治期からの歴史の流れを追うとよくわかる。
必然から生まれたシステムが制度疲労し、
拡大解釈がどんどん拡がった結果が主な原因。
システムなんてのは所詮人間が考えることなので
完璧なんてのはあり得ない。
いかに本質が大切かということがよくわかるし、
常に本質に立ち返ることと、イノベーションの必要性を痛感する。
これは社会や政治に限ったことじゃないよ。
現代の我々の社会も、仕事も、そして生き方にも通じることだ。
歴史に学ぶって大切だねぇ。
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WBCこぼれ話

2006-03-22 | 風屋日記
予定変更(^^;

昨日のWBC決勝戦終了後、
イチローがインタビューされた。
いつになくアツく笑顔いっぱいで答えるイチロー。
その時、画面の左隅にインタビュアーの名前が出た。
「日本テレビ 上重 聡」・・・
おぉ、あの上重か。

怪物といわれた松坂大輔のためにあったようなあの夏の甲子園。
1998年8月20日の順々決勝 PL学園 vs 横浜高校。
延長17回の歴史に残る試合を制したのはもちろん横浜高校だったが、
相手のPL学園のエースピッチャーが上重だった。
力のあるストレートを持ち、制球のいい非凡なピッチャーで
松坂ともども、翌年プロに行っても不思議ではなかった。
その後立教大学へ進みエースに。
六大学でも華々しく活躍し、今度こそプロかと思ったが・・・
当人はあっさり野球を引退し、
「アナウンサーになりたい」と日本テレビに就職したと
野球関係の雑誌で知った。
「ウッソー、もったいねー」というのが私の正直な感想だった。

あれから3年が経つ。
アナウンサー上重の名を初めて見た。
会社の野球好きのヤツに聞くと、
日本代表チームの練習の取材中に、松坂から
「あれ!?お前ユニフォームは? 何スーツ着てるんだよ」
とからかわれていたとか。
アメリカでの取材中、そして優勝チームのインタビュー中、
彼の胸のうちにはどんな思いがあったのだろうか。
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イチローの笑顔

2006-03-21 | 風屋日記
やっぱ今日の話題はこれしかないっしょ。
ワールド・ベースボール・クラシックスにおける日本代表の優勝。
真剣に戦った後の選手達の笑顔がよかった。
特に、特別な思い入れを持って試合に臨んだイチロー。
あんなに純粋に野球に取り組むプロ選手を初めて見た気がする。
おめでとう。

運営の仕方、大会のシステム、審判のこと・・・
いろいろ問題はあったけど、
第1回目はこれでよかったと思うよ。
問題点ははっきりしている訳だし、
来年以降、徐々に改善を重ねながら続いていくでしょ。

出場するかどうかという選手達の選択はこのままでいい。
出るから偉いとか、出ないからダメだとか言うつもりはない。
そんなことを言いはじめると「出ないヤツは非国民」
なーんてことを言い出す人が出かねないからね。
それぞれの選手達がちゃんとそれぞれ考えていると思うし。
ただ、余計な一言を書くと、
今いちばん悔しい思いをしているのは
韓国やキューバの選手達ではなく、
出場を辞退した日本の選手達かもしれないね。

    ◇      ◇      ◇

さて、ベースボールを「野球」と訳したのは俳人であった正岡子規。
ワールド・ベースボール・クラシックスの決勝前に
今日の分のエントリーとして書きかけていた
正岡子規も関係する記事は明日のエントリーにするべーかね。
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縮図

2006-03-20 | 風屋日記
小学校時分を思い出してみよう。
教室の中に腕力の強い子がいるとしたら
その周囲で虎の威を借る腰ぎんちゃくは別として、
まぁ大概の人たちは無用なトラブルをさけるために
多少、許容範囲内のことであれば、眉をひそめながら従うだろう。
どうしても理不尽で従うことができない時には
HRなどの議題として取り上げ、人数で凌駕すればいい。
それが民主主義。

腕力の強いヤツらが複数人いる場合はどうか。
それぞれの腰ぎんちゃく達一派を含めた当事者同士は
意識しあい、反目しあい、牽制しあうだろうし、
周囲の人間はどちらにつくのか迫られて困ってしまう場合もあるが、
ほとんどの場合どちらとも距離を置くことになるのだろう。

それじゃ教室内では
常にパワーケームが支配しているかといえば、それもまた違うなぁ。
腕力の強いヤツらが一目置き、手出しできない輩もいる。
そういう世界を超越し、その人間なりの価値観を持っているヤツや
腕力以外の別な資質を飛び抜けて持っているヤツらは
周囲のパワーゲームに冷ややかな目を向ける。
ちなみに
少女マンガの主人公達ってのはそういう輩が多いね(笑)


小学校の教室内は、リレーションやコミュニケーションの縮図。
人間社会も大なり小なり同じような図式だろう。

例えば日本は現在、
教室内でもっとも腕力の強いヤツの虎の威を借る腰ぎんちゃく。
力を持つ他の輩も苦々しく思いながら手出しできない。
もちろんその他のノンセクトたちは遠巻きにして見てるだけ。
でも、だからといって100%安泰でいられることはない。
オヤブンからは無理難題を押し付けられ、
それを拒否すると露骨に突き放される。
孤立した腰ぎんちゃくを待っているのは牙を向いた他の勢力。
イヤイヤながらもオヤブンの言うこと聞かなきゃならんわなぁ。

例えばホレ、オヤブンが勝手に戦闘機を岩国に持っていくことを
コブンといたしましては住民が何と言おうと支持しなきゃなんない。
オヤブンの基地がサイパンへ大規模に引っ越す時には
「兆」の単位のお金を負担しなくちゃなんない。
オヤブンがイラクへ出陣の際にはお供し、
オヤブンの軍が引き上げるまでいなくちゃなんない。
それでいて「金がない」と社会補償費を削り、
「半永久的に」と自ら言っていた減税措置を取り止める。
この国はいったい誰のもの?

いい加減、虎の威を借りなくてもいい国にしたいよね。
だからといって今から腕力を鍛えることがいいとは思わないけど。
パワーゲームのモノサシで計るのを止め、
自らの価値観を持った別な資質を身につけられられんもんかな。
腕力を持つ国々が一目置いてくれるような価値観と資質。
いわばジャイアンの腰ぎんちゃくであるスネ夫的存在から脱却して、
のび太にとってのドラエモンのような価値が欲しい。
憲法9条を持ってるだけでも充分いけると思うんだけどなぁ。
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春の散歩

2006-03-19 | 風屋日記
のんびりとした今朝のモグとの散歩の途中、
見つけたっ!! ちっちゃな初バッケ。
バッケとは当地の言葉でふきのとうのこと。

ばっけ

これから1日1日、あちこちにモリモリ出てくるぞ。

田圃の脇の用水路では、不思議な雪の穴を発見

雪の穴

覆いかぶさった雪が、
下を暖かく流れる水でまん中から融かされたのだろう。
でも何だかモグも不思議そう。

雪が融けたばかりの道端は
雪解け水をたっぷり含んで柔らかい。
そこにモグラだろうか、あちこちに穴が開き、
細い通路もできている。

モグラ

土が柔らかいから堀進みやすいよねぇ。

どこを見ても小さな春がいっぱい。

    ◇    ◇    ◇

当地の細い舗装路の路肩には長いポールが立っている。

道路標識

春から秋にかけては下半分だけの白く短いポールだが、
冬になると赤白の部分を伸ばして道路の位置を標すことになる。
それでも真冬には先端が見えなくなることも・・・。
すっかり雪が無くなってしまえば、
なんだか間抜けな存在だよねぇ(笑)
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お年寄りと苦者

2006-03-18 | 風屋日記
私のお気に入りサイトを紹介。

 「アジアに氾濫する怪しい日本語」

抱腹絶倒の癒し系サイト、ハマること間違いなし。
表題は「あきこ」のコーナーを参照。



それにしても、日本中で売られている
英語やフランス語などのTシャツ他さまざまなモノ。
それぞれのネイティブから見れば
やっぱりこんなふうに見えるんだろうなぁ・・・(^^;
ノーテンキに笑っていていいのかなぁ(笑)


※さっそくルーアさんから
 日本における英語版を紹介いただきました(^^;
 http://www.engrish.com/
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夕方

2006-03-17 | 風屋日記
今日の夕方の岩手山。
大気がちょっと薄ぼんやりなのは黄砂だろうか。



   ・   ・   ・   ・

諸処の事情により今日のエントリーを差し換えました。
コメントをいただいた方々申し訳ありませんでした。
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