風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

春よ、来い

2005-02-28 | 風屋日記
今朝も起きてみたら一面の雪。
昨日の日曜は、降ったもののかなり解けてたのに・・・。
なぜか毎週、日曜の夜から月曜の朝にかけて積もっている。
月曜の朝は早いのに・・・。
カンベンして。
(写真は昨日時点の私の実家@花巻市街地)

なにが頭に来るかというと、
家のある花巻と勤務先の盛岡で降雪量が違うことだ。
今年は特にそれが顕著。
花巻では例年よりも雪が多く、市の除雪費も予算オーバーだそうだが、
盛岡では例年よりかなり雪が少ない。
毎年恒例の会社構内の氷割作業も今年は必要ない程だ。
今朝だって家を出る時にはゆうに15cmはあった積雪だが、
盛岡についたら「パラっと粉っこを振りまいた」程度。
ふざけんな・・・と言いたくなる。
どうせ解けてしまうものをへとへとになりながらどける作業「雪かき」、
これほど不条理で非生産的な力仕事はないと思ってしまう。

自家用車による遠距離通勤さえなければ、
雪はそんなに嫌いじゃないし(新雪を踏みしめて歩くのが好き)、
12月~1月頃は「降るのが当たり前」的なノリでいられるが、
さすがにこの時期になると先が見え、待ち遠しく思うせいか、
はたまたいい加減飽きてくるせいか、
ウンザリしてくる。
春が待ち遠しい。

当地の春はある日突然やってくる。
毎年だいたい3月の10日~20日頃のことだ。
「あ、今日から春だ」という日が必ずある。
雪と氷に被われていたはずの道路がいつの間にか乾いていて、
柔らかい日射しを受けて、路肩を雪解けの透明な水が流れている。
土に近い底から雪が解けるため、脇に積もった雪の縁が浮いている。
長靴やスノトレがブカブカしているのを感じる。
私が1年で一番好きな季節だ。

それから暫くすると林の中や草地から地面が顔を出し始める。
中に新しい命を抱いた場所からだ。
顔を出したばかりの地面を踏みしめてみるとふわふわする。
たっぷり水を含み、暖かい陽にほぐされて、
新しい命の胎盤になっている。

突然春が来る3月から、ぐんぐん力強く命が育つ6月頃まで。
私も周囲から生命力をもらう季節だ。
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今日の書評欄より

2005-02-27 | 風屋日記
朝日新聞の書評欄より。
考古学者佐原真が書いた「戦争の考古学」をコラムニストの栗田亘が紹介。

「初め戦争はなかった。
 人間は、農耕や定住がもたらす富や不動産によって後天的に戦争を始めた。
 ゆえに戦争は人間の意志ひとつで廃絶しうる。」

佐原真が繰り返し説いたことばだという。
至極明解にして単純、そりゃそーだ。

「本書冒頭の『ヒトはいつ戦い始めたか』と題した文章で彼は、
 450万年の人類の歴史のうち戦いの歴史は最近の8千年に過ぎないと書く。
 『それは、翻訳すると4.5メートルの中の8ミリである』」

この時間感覚を前にしてボーゼンとしてしまった。
それにしても、文部省唱歌「村の鍛冶屋」の3番というのは初耳だった。
佐原真が「ねぇ、ねぇ、知ってた?」と目を輝かせて周囲に教えたという。

~刀は打たねど 大鎌小鎌 馬鍬に作鍬 鋤よ鉈よ
 平和のうち物 休まず打ちて 日毎に戦う 懶惰の敵と~

いいなぁ・・・。
寡黙な職人が、自分の仕事の理念に厳格に徹する姿が思い浮かぶ。
「頼まれたって武器なんざ作るもんか」みたいな。

「戦争の考古学」は岩波書店刊行、金関 恕・春成秀爾 編。
「佐原真の仕事」(全6巻)シリーズのうちの1冊、2,940円。
 
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「つまらなさ」の恐さ

2005-02-26 | 風屋日記
さて、宮台真司氏。
昨日の朝日新聞をご覧になった方は読まないで下さい。
私なんぞの稚拙な意見が恥ずかしいから(笑)

彼曰く、現代のテロは貧困や差別からの爆発ではないとのこと。
どんどんシステマティックになっていく現代社会の
「つまらなさ」がそういうものを生み出しているのじゃないか。
オウムの信者達にしても中流家庭に育ったインテリが多いが、
彼らも社会のシステムに乗っかった挙げ句自分の将来が見えてしまう。
夢が持てない時代だからこそ、現実逃避して別の世界に憧れを抱いたのでは?
・・・とのことだ。

「社会の安全」についても彼は言及する。
地域社会が崩壊し、想像もつかないシチュエーションの事件も頻発、
それを受けて我々は「客観的安全」より「主観的安心」を過剰に求めはじめた。
街角の監視カメラをはじめとする防犯システムのことだ。
私達は「つまらなさをやり過ごすために不安を消費している」というのだ。
「成熟社会のつまらなさを、より深刻に受け止める必要」を彼は訴える。


「主観的安心」といわれたこの両刃の剣により、
人々は自分自身のプライバシーを犠牲にし自らの首を絞めている。
4月から施行される個人情報保護法はお互いの個人情報を保護する法律ではあるが、
逆に、国家や公安からのプライバシー侵害はますます加速してきている。
いつのまにか現代社会は「成熟社会」という程カッコイイものではなく
「国家による管理社会」になりつつあると、私は肌で感じ始めている。
そしてそれは「安心」だけではなく「生き方」まで管理が進んできている・・・と。
憲法、法律、教育、福祉・・・様々な場面でそれを感じる。
国家が規定するモノサシに従って生きることの「つまらなさ」とともに。
でもそれは、私達自身が無意識のうちに選んできたことだよね。

本当に今の日本は「自由」なのだろうか。
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着道楽

2005-02-25 | 風屋日記
今朝の朝日新聞に載っていた、
サブカル評論の第一人者(というと怒るか?)宮台真司氏の文章が気になった。
・・・が、細かい部分の表現を間違うと、意味が変わってきてしまうので、
もう一度よく読みなおしてから、明日の話題としよう。

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さて、
こんな私だが、大学時代は「着道楽」といわれた。
アルバイトで稼いだ小遣いを服に注ぎ込み、ローンを組んだものもある。
基本的にはトラッド好きだったが、買うのはせいぜいBDシャツやコッパン。
流行のものを次々に買うようなことはしなかった・・・と思う。

当時はサーファー&プレッピー&ハマトラ全盛時代。
遊んでいるヤツらは、日に焼けた胸をはだけて裏プリントのシャツを着、
裾がフレアーに近いパンツとサンダルを常用していた。
茶色く日に焼けた(ように見える)サラサラの髪をなびかせて
VWのビートルにボードを積んで六本木を走りまわる(だけ?)連中だ。
もちろんヤツらとは全く縁がなかった。

プレッピーという言葉に反応するのは私と同世代?(笑)
「アメリカ東海岸有名校のお坊っちゃん大学生」というノリだったと思う。
パーカとジーンズに、仕立ての良い紺のブレザーを羽織る(もちろん金ボタン付き)。
ファッション雑誌の「Men's Club」が何度も特集を組んだファッションだ。
これはトラッド路線に近いので私にも抵抗はなく、
そんな格好をした友人がたくさんいた。
ただ、私的にはパーカとブレザー、裸足にローファーというのがイマイチで、
ブレザーの時にはBDシャツやセーター、革靴にはソックスをちゃんと着用したが。

ハマトラも一世を風靡した。
これは女の子達のファッションだったが、女性版プレッピーとかなり重なっていたと思う。
基本はトレーナーにチェックの巻スカート(裾をピンで留めていた)、
足元は紺のハイソックス(ボンボリ付き)にローファー。
プレッピーももちろんトラッドがベースだが、ハマトラも「横浜トラディショナル」だろう。
大概「クルーズ」やら「ボートハウス」やらのブランドトレーナーが必須。
なんかすごーくガチガチの決まり事のように、みんな着ていた。

閑話休題。
私がお金をかけたものはアウトドアものだった。
「バセットウォーカー」というアウトドアブランドのダウンジャケットは確か68,000円。
アメリカの一流ブランド「トニーラマ」のカウボーイブーツは80,000円程したと思う。
「ショット」のボマーつき皮ジャンも5・60,000円したかな!?
「バセットウォーカー」は、ブランド名が刻印された銀のジッポも持っていた。
着ているもののほとんどがコ○カやユニク○、し○むらの現在とは大違い(笑)
(息子の野球部仲間は「ファッションセンターし○むら」を「FCS」と呼ぶらしい。なんかカッコイイ)

でもね、上記のダウンとブーツはまだ持ってる。
着用する機会こそかなり少なくなったものの、まだまだ現役だ。
ベーシックなものはいつでも着られるし、いいものはちゃんと手入れさえすれば寿命も長い。
今でも決して高価な買い物だったとは思っていない。
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女性に期待

2005-02-24 | 風屋日記
今朝、出勤途上FMラジオを聴いてきた。
「私は生みたい」という直球タイトルの本で一躍有名になった、
国会議員の野田聖子さんがインタビューに応えていた。

「少子化は色んな原因があると思いますけど、
 結構大きなものに、男性の無理解がありますよね。
 産休をまるで厄介なもののように言うことがありますが、
 生めない立場の人にとやかく言われる筋合いはないです」

「私は立場上、大会社の社長さん方にもよく会うことがあって、
 『少子化に関して私達は何ができるのでしょうか?』と聞かれた時には
 『女性社員が産休を取る時には万歳三唱をしてあげて下さい』
 と言うことにしてます(笑)」

うめえこと言うなぁ(笑)

「日本は、子どもに関する福祉政策をフランスに学べばいいと思います。
 フランスでは国を挙げて取り組んできた結果、かなり成果も出ています。
 3人以上の子どもを持つ家庭には手当や所得税控除が手厚く、
 また未婚の女性が子どもを持った場合も差別はありません」

「迷っている方は子どもを作った方がいい。
 私も一時、体内に心臓を2つ持った経験がありますが、
 それは例えようがない程かけがえのない存在でした」

これは女性にしか分からない感覚だ。
子どもは、生まれてから徐々に周囲の人達と自分との関係を理解し、
母親の次に父親を認識しはじめる。
男が自分を父親として意識できる、つまり父親になれるのはそれからだ。
体内に命を宿した段階ですぐ母になれる女性をうらやましく感じたりもする。

このインタビューを聴いていてふと思った。
日本の国会議員や中央省庁の中枢がみんな女性になったら、
きっと人権や福祉、教育に関して最先端の国になれるんじゃないか。
そして子どもを戦争に送り込みたくないという母性の立場で、
平和憲法も堅持できるのではないか。
(憲法問題について野田さんの意見はどうなんだろう?)
地方から中央まで、政治・行政の世界での女性の躍進が進んでいる。
今後に期待したい。

高校時代の私の日記には「全ての女性はファシストだ」と書いてあるが、
それは思いっきり無下にフラれた直後だったからだ(笑)
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日本だからできる

2005-02-23 | 風屋日記
今度はイランで地震。
地核がどうにかなっているのか?
イランの場合は、3年前もそうだったが、
日干しレンガの家が多いために被害が大きくなる。
海に面していないので津波の心配はないものの、
建物の下敷きになる人達が多いと聞く。
どんな家に住むかというのもひとつの文化なのでなんとも言えないが、
災害に強い建物についての国際協力はできないものか。

農業指導、産業指導とともに、
防災対策指導協力も行っているのかも知れないが、
もしかしたら外交関係にもよるのかな?
力関係の強弱、外交関係や利害関係の良し悪しによって
国際協力の程度が違うのもどうかと思うのだが・・・。
少なくとも、どっか力の強い国に配慮して
憲法を拡大解釈してまで自衛隊を派遣したりするよりも、
本当に困っている人達に援助の手を差し伸べる方が理解しやすい。
「外交関係は微妙だけど、困っている人達は助けたい」
という姿勢の方が、国としてカッコ良くないか?
そういうコンセプトで税金が使われるのであれば、
1納税者としては、よろこんで税金を支払おう。
兵士を募集する(徴兵する)のではなく、
ボランティアを国として募集するならよろこんで行こう。
兵器を持たず、武器を持たず、戦争をせず、
困っている国ならどこへでも国を挙げて支援する。
日本がそんな国になったら、
どっか強い国に尻尾を振って頼らずとも、
それはそれで世界から高く評価されると思うのだが。

そして、平和憲法を持つこの国だからこそできると思うのだが。
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一番は好きじゃない

2005-02-22 | 風屋日記
こう見えても、割と昔から
No.2や中心ではない立場&人物が好きだったりするんだなぁ。
野球では阪神、それも田淵ではなく江夏。
打順でいうなら4番バッターよりトップバッター。
アメリカンフットボールのポジションならQBよりRB。
(ってかオフェンスよりディフェンス、それもDE)
かつては松田聖子より中森明菜だったし、
サザンオールスターズの陰で黙々とギターを弾く斉藤誠もイイ感じ。

Piano bluesで有名なリロイ・カーを後ろで支えるスクラッパー・ブラックウェル、
エリック・クラプトンのサポートメンバーなら、
自らが有名なベーシスト&ミュージシャンであるネイザン・イーストより
ひっそりベースを弾き、ひっそり死んでいったカール・レイドル。
竹内結子や松島奈々子より鶴田真由(他の女優さん、あまり知らないけど)。
東京より大阪、ニユーヨークよりロス。
読売新聞より朝日新聞。
トヨタよりマツダ。
自民党より社会党・・・(今の民主党は大政翼賛政党だな)
キムタクより草薙、ヒデキよりゴロー(古っ!!)
ストラトよりテリー、レスポールよりSG、ヤマハよりグレコ
(この1行は、分かる人には分かる 笑)
バンドならミスチルよりKW2Uだ。(これも分かる人には分かる・・・ローカルだけど)

結局、体制に迎合したり、人と同じというのがヤなんだね。
就職する時も、皆がJ.プレスのスーツ買っているのを見て、
私だけ(奮発して)ブルックス・ブラザースだったし。

だからといって「千万人と云えども我往かん」という程の強さもないが。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

写真は一昨日時点の我が家の前。
花巻の雪は、今こういう状態・・・筋肉痛が直らない(悲
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私の愛するものたち

2005-02-21 | 風屋日記
私の月曜の朝は早い。
今日も6時には家を出た(それでも降雪の朝よりはゆっくり)。
毎週月曜日の通勤途上で出会う、1人と2匹がいる。
頬かむりしたおじさんと、白・黒のレトリバー系の犬達だ。
私の車が近付くと、犬達は歩みを停めてきちんと座り、
私の車を見送ってくれる。
車とすれ違う度に追いかけようとする、どこかの犬とは大違いだ(笑)

゜・*:.。. ゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。..。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜

私の家の4男坊である犬は「モグ」という。
ハンドルネームではない。本名だ(笑)
8年前に我が家へやってきた時、モグモグごはんを食べていたので名付けられた。
誰ににたのか(笑)やたら人好きで、知らない人にも盛んに尻尾を振る。
少なくとも番犬にはならない。
が、利口な面もちらほら・・・。
私がスーツを着て玄関を出ると、ちゃんと座って見送ってくれる。
モコモコ着込んで玄関を出た時は、ちゃんと散歩だと分かって飛び上がる。
全身で喜びを表現されるとこっちまで嬉しくなってくる。
「よしよし、そんなに待っていたのか。散歩に連れてってやるぞ」
ってな気持ちでリードを握る。
散歩が終わると知らん顔なんだけどね(笑)

私のギターはGIBSONのセミアコ。
もちろん一番安いやつだ。
まるで木の枝のように、やたらとネックが太いのが特徴。
ハイフレットのあたりなどガットギターのようだ。
造りもがっちりしていてずっしり重い。
それでもハコギターらしくメロウな音を出してくれる。
もっとうまく弾いてやれればいいんだけど・・・へたっぴいでごめん。
その代わり、弾いた後はちゃんと拭いてあげるから。

車は2300CCのディーゼルエンジン。
車高も高くて、女性方には不評だ。
お袋が着物を着た時は踏み台まで用意した。
もう158,000km走り、あちこちサビが出たり塗装がはがれたりしている。
でもこいつに乗ってから、雪道で往生したことがない。
どんなに深く積もっても、どんなに凍っていても、
ノコノコほいほい走ってくれる。
近ごろは乗用車のディーゼルエンジンを見かけなくなった。
新型ディーゼルが開発されつつあるというが、
それが市販されるまでは元気に走ってもらわなくちゃ。
突然マフラーが落ちたり(昨年暮)、
途中までしか窓があかなかったり(現在)しても、
大事に乗るからね(笑)
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NHK特集を見て

2005-02-20 | 風屋日記
そりゃあね、確かにビジネスとしては正しい。
少ない経費で売上を伸ばすというのは経営の本質。
初年度から黒字を出すためには、イニシャルコストも押さえたいだろう。
先行投資だって、できれは最低限にしたいはずだ。
shopの直営化も球場の広告収入の球団売上化も、これまでになかった発想で、
他球団にしてみれば、そのベンチャー的考え方は目からウロコだろう。
TOP DOWNのスピードも、黒字化へ向けた執着も大したものだ。

でもね、なんか夢がないなぁ。
経営にばかり汲々として、Customer's satisfuctionを忘れてないかな?
企業経営に最も必要なものは「社会におけるMission」だと思うし、
それがその企業の哲学や理念になっていくのだと思う。
精神論をブツつもりはないけれど、企業の背骨ってそういうものだと思う。
数字がすべてじゃないんじゃない?
誤解を恐れずに言うと、
やっぱり元金融機関のエリートの考え方でしかないように思えてくる。
みんなもっと夢を追いたいんじゃないかなぁ・・・。

ライ楽戦争後、
「1度捨てられながら生き残った選手達のためにも
 あるいは東北地方全体のためにも応援しなきゃ」
と思ったし、これからもたぶん選手達の事は応援するつもりだけど、
NHK特集を見終わって「応援するってことは踊らされてるのかなぁ」
という気持ちになったのは確かですよ・・・三木谷さん。
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悲しい気持ち

2005-02-19 | 風屋日記
携帯電話にもパソコンにも、迷惑メールが後を断たない。
今パソコンを立ち上げてから10数分の間に発見 or 届いたものだけでも、
パソコンに3件、携帯に2件・・・。
別な話題にしようと思いつつ、急遽変更。

迷惑メール(架空請求メールも含む)が来る度に悲しい気持ちになる。
そういうことをしている人達はどんな顔して、どんな気持ちで送り続けているのだろうか。
自分がいかに儲けるかだけを考え、法を犯しても知ったこっちゃない、
あるいはシステマティックに淡々とコトを進めているのか。
その寒々しい心を思うと悲しい気持ちになってくる。
ポルノチックなメールもそうだ。
出合い系を装いながらリンクチェックを狙っているのだろうが、
それがゲーム感覚で行われているのだとしたら、もっと悲しい。
あまりにも自分の事だけしか考えず、世界のせまい人達だと思う。
それはとてもかわいそうだ。

毎日のようにそういうメールが来るということは、
それに引っ掛かったり、リンクを開いている人がいるということだ。
でなければ、そんな手間をかけて徒労に終わるようなことをするわけないし。
そういう被害者に対しても悲しい気持ちになる。
特に出合い系を装ったり、ポルノチックなやつに関しては、
何かしら期待しながら開いてしまうのだろうか。
そんな心が悲しい。
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イベント屋

2005-02-18 | 風屋日記
中学校の頃の体育祭はクラス対抗戦。
皆が並んだ後ろに大きなボードに描いたマスコットを背負っての応援だった。
昔から人とは違うことをしたい私のこと。
ただのマスコットを描くんじゃつまらない・・・ということで、
ボードにはアメリカ西部の風景画を絵の得意なやつに描いてもらい、
男子全員が上半身裸でネイティブアメリカンの格好をし、我々自身がマスコットになった。
来賓からは大顰蹙だった(^^;

高校時代の文化祭は3年間お化け屋敷に青春を賭けた。
学校近くの工事現場に話をつけ、同級生の家からリヤカーを借りて、
コンパネを何往復もして学校へ運んだ。
文化祭前日からの徹夜作業で教室に立体交差の迷路を作った。
電気屋の息子の協力でオーディオ用の大きなスピーカーを数台借り出し、
迷路の中に作ったコントロールセンターを中心に音響設備も整えた。
2年の時には、迷路のどこを客が歩いているかがわかる位置確認装置も作り、
インターフォンで受付とコントロールセンターとが連絡を取れるようにもした。
私の高校時代の情熱は、この3回のお化け屋敷にあったと言っても過言ではない(笑)

大学に入学して演劇部へ入った。
本当は物書きになりたくて同人誌系のサークルを探したものの適当なものがなく、
仕方なしに脚本を書く練習のつもりの演劇部だった。
・・・結局は舞台に立つ役割をやらされることになった(笑)
ところが舞台を前にした仕上げ練習やリハ、そして本番前の集中。
これが結構魅力的な体験だったことを否定しない。
演出の人間とも、喧々諤々かなりやり合い、私なりに表現を追求した。
もちろん、毎晩遅くまでかかっての仲間達との準備も楽しかった。
結局仲間割れ(真剣に表現したい人間と、お気楽サークルのノリのヤツらとの決別)により
数人の仲間とともに辞め、私自身はその世界から1年足らずで足を洗うことになったが、
一緒に辞めた連中がアングラ劇やったり、大手劇団の研究生になった気持ちはよくわかった。

大学4年の頃はTV局でADをやっていた。
朝の情報番組が中心だったが、時々他の番組の手伝いもした。
ただ、朝の生放送が中心だったせいか、録画撮りが好きではなかった。
もちろん録画の方が凝った造りにできるし、やり直しも効くが、
神経を使った準備の後の一発勝負の生放送の方が好きだった。
初めて生放送でADをやった時の足が震える緊張感は癖になりそうだった。

結局はイベント好きなのね、たぶん。
でも準備段階での自由な発想、仲間との真剣なやり取りや周到な段取、
実施直前の緊張感と集中力は、何ものにも変え難い充実感を感じることができる。

商売まちがったかな・・・。
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2005-02-17 | 風屋日記
昨日のpvが340。
これまでは200ちょっとが最高だったのに、何が起きた?
「オフ会?」の時のアクセスIPが113だったのにも驚いたが(いつもは50前後)
昨日のアクセスIP数はいつもの通りで、pvだけが突出した。
ここんとこのpvはアップダウンが激しい。
まるで高校時代の私の成績(笑)
・・・といっても、blog全体で見るとそんなに目立つ数字じゃないけど。

゜・*:.。. ゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*::*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜

「こんこん」とは、雪が盛んに降っている時の擬音(?)語。
誰が最初にそう表現したか知らないが、うまい表現だ。
実際には音はほとんどしないものの、やっぱりこんこん降る。

「しんしん」は、どちらかというと夜中に降る雪の印象だ。
月や星がなくても、家々の明かりが消えた後でも、
しんしん降る雪の中はボンヤリと明るい。
雪に関する詩の中で私が最も好きなのは、
~太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ
 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ~(三好達治)
夜中にしんしんと降る雪が目に浮かんでくる。

何を言いたいかというと(笑)
昨日昼頃から当地では、それこそこんこん、しんしん雪が降った。
今朝は雪明かりの薄暗い中で、全ての音が雪に吸われて籠って聞こえた。
雪がこんこん、しんしん降っている時は、
雪かきも、道を歩くのも黙々と・・・が似合う。

まだ夜が明け切らないうちに、ヘッドライトを点けて家を出た。
曇り空で朝日も射さないので、視界に入る全てのもののの陰影がなく、
どこがわだちで、どこが路肩か分からない。
除雪はしてあるものの、その境目が見えないので、
場所によっては道と田圃の区別がつかない。
その中を黙々と走る。

とある小さな川に架かる橋を渡ろうとした時、
川面から突然1羽の鷺が飛び立った。
首を伸ばして飛ぶ白鳥とは違い、
長い首を折り曲げ、長い足を伸ばして飛んでいった。
私は車を徐行から停止させて、
鷺が飛んでいった先をしばらく眺めていた。
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癒し

2005-02-16 | 風屋日記
「ナキムシのうた」という歌が最近気に入っている。
風味堂というバンドはピアノ、ベース、ドラムの3人という構成が面白い。
ラグタイムを基本にしている軽快なリズムの曲で、
「世界ウルルン滞在記」のラストテーマと聞けば思い当たる方も多いだろう。
~我慢しないで泣きたいだけ泣いて、
 その後で、笑顔で好きな歌を歌おうよ~
という意味の曲だ(著作権の問題により歌詞は省略)。
昔流行ったKANのような雰囲気も持ってはいるが、達者な演奏が心地いい。
ぜひご試聴を。

福山雅治の「泣いたりしないで」も好きな曲だが、
最近こういう癒し系の曲が多く出され、流行っているように思う。
それだけ傷つき、疲れ、殺伐とした毎日を送っている人が多いのだろう。
地震と津波で何万人もの人が亡くなったり、
学校で子ども達や教師が傷つけられたり、
昨日は小学生が挨拶をしたら「うるせー」と殴られたという事件もあった。
そういうニュースを聞く度に、私は悲しむことしかできない。
せめて「ゆとり教育」の中で心を育てて欲しいと思うのだが、
それも今後縮小されるとのこと。

ただここで言いたいのは、
「癒し」を求めているのは傷つけられた側だけではないということ。
傷つけた側も何らかの心の傷を抱えている場合がほとんどではないのか!?
そういう人達にもこういう歌をじっくりと聞いて欲しいと思う。
これらの歌が、乾いてひび割れた心に染み込む水であって欲しい。

ところで、傷つき、疲れているのは人間関係によるところも多い。
顔を合わせ、声による言葉を交わし、お互いを知り、認めあう。
そういう人間関係ができれば、ひび割れた心に染み込む水は歌だけではなくなる。
先週だけで、しゅんてゅけさん、はなまるさん、お色気さん、Mcatさん、bertさんにお会いした。
(これまでコメントを寄せて下さっている方々のみ掲載・・・笑)
私にとって、とても大切な「水」である方々ばかりだ。
普段仕事の中で会うのはそういう人ばかりではないので、
「水」の方々とお会いする時間は、
「ナキムシのうた」を聴くのと同じくらい、私にはとても貴重な時間だと感じている。
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バレンタイン

2005-02-15 | 風屋日記
昨日はバレンタイン。
チョコもらっちゃった~・・・保険屋のおねいさんから_| ̄|○

・・・ってのはネタで(笑)
会社の同僚やお色気さんからもいただいた。
気にかけていただいているということは、ホント嬉しい。
え!? 妻から!? ・・・ないない(笑)、貰ったこともない。

これまでの人生の中で、バレンタインというイベント(?)は
淡く、ほんのり甘い思い出の日だ。
つきあっている女性から「ハイ!! これ」と貰うのもうれしいもの。
ただ、残念ながらバレンタイン定番のシチュエーションである、

(思いもかけない人から)
「あの~、これ受け取ってもらえませんか?」
「え!?」(ドキドキ・・・)

というのはこれまでの長い人生の中で経験がない。
根本的に、女性の側から告白されたことがないのだ。
中学時代も、高校時代も、私にとってバレンタインデーというのは、
遅い時間まで意味もなく、1人で校舎内をウロウロする日だった。
「渡すなら今がチャンスだよー」みたいな・・・(笑)
結局はむなしく手ぶらで帰ることになる。
ま、モテない男というものは、往々にしてそんなものだが。
本当にモテる男は、気軽に「ハイハイ」ってな感じで受け取ってるし。
こればかりは仕方がない。

実はバレンタインデーには、
今でも思い出す度に胸が痛む、慚愧の思い出がある。
毎年この時期になると、激しい後悔とともに思い出す記憶。
その思い出については、また後日語ろうか。
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世界ウルルン滞在記

2005-02-14 | 風屋日記
私は普段あまりテレビを見ないが、
日曜日10:00からのTBS「世界ウルルン滞在記」だけは毎週欠かさず見ている。
特に舞台が途上国だったり、大国でも田舎だったりという、
その土地独特の文化が日常生活の中に色濃く残っているところや、
生身の人間同士の触れ合いがあるところの回が楽しみ。
そういうところだからこそ最後の別れを惜しむ涙は本物だ。
同じ涙を一昨年ACCF(アジア子ども文化祭)で経験したからよく分かる。

あの番組は世界中の文化の違いの体験(視聴者は疑似体験)と
そんな違いがあるからこその人間同士の触れ合いがコンセプトだが、
それ以上に、人間の心の暖かさや他人を気遣う懐の大きさも感じることができる。
昨日息子が市立図書館から「ウルルン」の本を借りてきたので、
それをパラパラ読んでみたが、
出演しているリポーターは我々の想像以上に大変な思いをしているようだ。
それでも「自分の人生の中でとても大きな体験」と書いている人が多い。
それはその「心の暖かさ」や「懐の大きさ」を肌で感じることができるからだろう。
相田翔子さんのように、川に入った途端に自分が解放されて
ついスッポンポンになってしまう人もいる。

できることなら私もリポーターのように
色んなところへ行って、それらを肌で感じ、体験してみたい。
基本的に民俗学・民族学的なものに興味があるので、
祭祀や歌、音楽、踊りなどをじっくりと見てみたい。
もちろん食文化も。
(リポーター経験者の中に「正直に言ってとても食べ物とは思えなかった」
 と書いている人もいたが、実際に体験したからこその本音だと思う)
ただし蜘蛛や虫の幼虫系だけは・・・かなりの勇気が必要かも(^^;
コメント
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