風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

積雪

2015-01-31 | 生活の風景


20cmまでは無いかな。
せっかく昨日まで
イイ感じで融けてたんだけど。
やれやれ、と近所総出の雪かき。
暖かい朝で重い雪だから
まだ治って無い腰がきつい(^_^;)

雪の影はなぜか青いんだなぁ。
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お稽古はじめ

2015-01-30 | 生活の風景


先日の日曜日はお稽古はじめ。
例年のような初釜を兼ねた家族茶会が
いろいろあってできなかったので
今年は50歳以上の「大人 笑」だけで。
総勢7名で「先生」の点てた濃茶をいただき、
不肖ワタクシは半東初体験を。
気配りが足りずに、個人的には赤点(笑)
前日まで行っていた東京で仕入れてきたお菓子が
まぁまぁ合格点だったかな。
濃茶のあとはワタシも点てた薄茶でワイワイ。

お茶をいただいた後は
通常のお茶会とは順番が逆だけど、
無ら里へ移動しての食事会。
年末年始続いたお祝い事のご苦労さん会も兼ねて。





美味しく、ゆっくりいただいた。



春らしいドルチェもしっかり(^^)

これで昨秋から続いた一連のイベントは全て終了。
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友人

2015-01-29 | 風屋日記
葬儀に参列した時にいつも思うこと。
受付や段取りなど、
葬儀を手伝ってくれる友人たちが
自分にはいるのだろうか。
弔辞を読んでくれるような
友人代表って誰かいるだろうか。
いつも気遣ってもらい感謝している友人たちや仲間は
ありがたいことに周囲にたくさんいるけれど、
遺った家族が「この人にいろいろ相談」という
親友ってのは自分にいるのだろうか。
いるような気もするけど
それは自分が思ってるだけなんじゃなかろうか。
今親しくしてもらっている友人たちとの交流を
もっと親密にしていかなきゃなと
まだまだ友人たちにできることをしなきゃなと
改めて考えたりするのだ。
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「古地図で謎解き 江戸東京『まち』の歴史」

2015-01-28 | 読書
明治初期~昭和にかけての古い地図をベースに
現代の地図と重ね合わせて読み解く歴史。
日比谷が縁結びのパワースポットだった?
都庁の裏に滝があった?
青山の地図にある8の字線路とは?
ターミナルは池袋ではなく巣鴨の予定だった?
お岩さんが駆け抜けた路地が残ってる?
目黒にあった崖と滝とは?
東陽町で海水浴!!
吉祥寺には吉祥寺という寺は存在しない?
八高線と横浜線は人が乗るための路線じゃなかった?
目からウロコの話ばかりで文句なく面白い。
東京23区の中にある自然の山で最も高いのが愛宕山。
でも標高は杉並区の平均の方が高い・・・なんて
そんなこと初めて知ったよ(笑)

お陰で鹿鳴館も、蒲田撮影所も、陸軍中野学校も
今のどこにあったのか知ることができたし
都内に張り巡らされた鉄道網がどんな経緯で形成されたか
興味深く読むことができた。
街ができる過程は様々な要因があるんだねぇ。
そして時代とともに栄枯盛衰がある生き物だということも
改めて知ることができた。
江戸時代の深川や両国、向島、品川あたり、
明治初期の頃の錦糸町や池袋、赤坂に立川あたりなんて
本当に面白い。
実際に見てみたかったな。

今度は現代地図を脇に置き、見比べながら
もう一度読み返してみようか。
もちろんその後は現地を歩いて見てみたい。

「古地図で謎解き 江戸東京『まち』の歴史」跡部蛮:著 双葉新書
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後藤さんの無事帰国を願う

2015-01-27 | 世界・平和
暴力は絶対にいけない。
まして人が人を殺めるというのは
人間として最大の罪であり、理屈抜きで犯してはいけないことだ。
今回の事件も、宗教やイデオロギーの違いを問うまでもなく
絶対に許すべからざることだと糾弾したい。
これ以上の犠牲を出すこと無く、後藤さんの無事帰国を願う。

一方で、元々アルカイダもイスラム国も
その成り立ちを考えれば欧米各国が作りだしたもの。
植民地だった中東諸国が独立した際
あちこちに適当な約束をして紛争を招いたイギリス、フランス。
アフガンでのソ連侵攻に対抗して現地武装勢力に手を貸し
ソ連撤退後は彼らを放り出したばかりか圧力すらかけたアメリカ。
そこから反アメリカのアルカイダは生まれた。
そしてそのアルカイダによる9.11テロの後
ありもしない大量破壊兵器所持の罪を着せて
アメリカがイラク戦争に踏み切りフセインを倒した結果
掃討されたスンニ派が鬱屈を溜め、アルカイダ勢力と結びついた。
シリアではアサド独裁政権打倒を目指す反政府勢力に対し
自国の利益にはならないと手を貸さなかったアメリカ。
その反政府勢力とスンニ派が結びついたのがイスラム国の母体となった。
自国の利益しか考えずに嘘ついたり、暴力を振るったり、無視したり
そんな欧米大国に翻弄された人々が怒りを爆発させた
その気持ちもわからないではない。
イスラム国の指導者や自爆テロ犯には
イラク戦争において家族や友人をアメリカの空爆により亡くした人々が
たくさんいるという話も耳にした。
彼らの気持ちもわかるだけに、これ以上彼らに罪を重ねて欲しくもない。
そういう意味からも、後藤さんの無事帰国を心から願う。

もうひとつ。
ネット上の自己責任論もおかしい。
かつては沢田教一さんや一ノ瀬泰造さん、最近では橋田信介さんなど
戦場に倒れるジャーナリストはたくさんいる。
彼らの犠牲により、私たちはより正しい、たくさんのことを知った。
同じ地球上に住むもの同士、どうすれば悲惨な事態を回避できるのか。
人の幸福とは、人として大切なことは何なのか、
少なくともワタシは彼らの報道によって学んできた。
彼らの行動はそういう使命感から生まれるのであって
私達は彼らを見捨てては絶対にいけないと思う。
自分だけ良ければ・・・という考え方はまた新たなアルカイダを生む。

ところで今回の事件が、日本の為政者達の
「やっぱり武力は必要だ」の言い訳にされることを危惧する。
それは「日本が良ければ」に繋がる。
そしてこれまでと同じように、暴力がまた新たな暴力を生む。
日本人のことだけ考えるのは
結果として「国を愛せ」に繋がっていく危険があると思うのだ。
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ちゃんと負ける

2015-01-26 | 風屋日記
これまでの54年間の人生、結果として全く後悔はない。
総じて平凡ながら楽しい人生だったし、
もう一度繰り返してもいいと思っているぐらいだ。
それでも小さなことでいくつか、
「あの時こうしていればどうだったろう」
「こうしたかったなー」
と今も時々思っていることはある。

そのうち最も思い返すことが多いのは大学受験。
高校時代に行きたい大学、学部が2つあった。
しかし結局どちらも受験することすら許されなかった。
私が通うところとは別な高校教員で進路指導担当だった
親父の猛反対にあってのことだ。
「そんなとこ出て何をする気だ?」
「どんな仕事に就けるというのだ?」
「(親父が望んでいた)教員になれなくなるぞ」
「受験勉強から逃げてるんじゃないのか?」
(当時の成績はその2校とも射程内だった)
現役の進路指導の先生にそう突っ込まれると
社会経験の無い高校生は反論の言葉を持たない。
おまけに親父はワタシの説得に伯父まで引っ張り出した。
「そこ出て何をしたいのだ?と面接で疑問に思うなぁ」
と大手企業に勤める伯父は苦笑いで言ったものだ。

親父が望む教員になるための、
地元国立大教育学部合格を諦めて逃げてるだけ・・・
と親父は思っていたらしい。
代わりに教員を多く排出している私立大を薦めてきた。
ワタシとしては首都圏郊外の
教員養成ガチガチのそんな大学には行きたくない。
東京(しかも中心部)に出、文章修行をしたかったから。
何度か抵抗を試みたが無駄。
結局希望するところは受験すら認めてもらえず
折衷案だった東京の国立大教育学部も
中途半端な勉強の結果(当時の)共通一次で失敗した。

その後のワタシの作戦は浪人。
当時岩手には大学受験のための予備校が無かったから
仙台か東京で浪人しつつ、密かに志望校を受けちゃおうと
現役での大学進学を諦めた。
親父の手前、一応現役でも国立、私立を受験したが
親父の薦める私立大で受けたのは3校のうち1校だけ。
あとは「今合格は厳しいだろう」ところだけ受けた。
結果は・・・
親父が薦めた大学だけに引っかかってしまった(笑)
そして、結局教員にもならず現在に至る。

今、当時の親父の年齢に近くなって、
あのときの親父の気持ちが少しわかるような気になっている。
とはいえあの受験は未だに心残り。
卒業後の人生が今と全く同じであったとしても
やはりあの2校のどちらかに入りたかったなと今も思う。
もし仮に受験していて合格できなかったなら
今こんな気持ちになることは無かったのだろう。
挑むことすらできなかったことが今も心の引っかかりになっている。

昨日書いた「アゲイン~28年目の甲子園~」にあった
「ちゃんと負けろ」という言葉に
ふと、また当時のことを思い出してしまった。
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「アゲイン~28年目の甲子園~」

2015-01-25 | 読書
映画のノベライズ。
元々の原作というか構想は重松清さんだが、
本作は映画の大森監督の執筆とのこと。
野球が題材ではあるものの父親と娘との話だ。
離婚で別れた父と娘。
いい話だ。映画も観たくなる。

ストーリーもさることながら
何度か出てくるセリフが引っかかった。
「負ける時はちゃんと負けろ」
ちゃんと負けてから前を向けという。
なるほどねぇ。得心。そして気付くんだよ、
「お父さん。悲しいという気持ちは、
大事にしている気持ちから生まれるものなんだね」

ところで本書には3人の娘たちが出てくる。
大学生が2人と中学生がひとり。
でもねぇ、彼女たちがまたホントに大人なんだ。
正直言って、あの年頃であんな大人いないよ(笑
中学生はもちろんだけど、
20歳ぐらいでももっと戸惑ってるんじゃないかな。
あんな風に空気で物事を理解するなんてのは
50超えたってなかなかできないよねぇ(^_^;)

「アゲイン~28年目の甲子園~」
大森寿美男:著 原作:重松清 集英社文庫
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「違い」は楽しい

2015-01-24 | 文化

昨夜、静岡出身で東京在住の知人と
東京出身で沖縄在住の知人に
岩手の冬の話をした。
スノーダンプやプッシャー知らなかったり
北国ではごく当たり前のことを
「まぁた、まさか。ウソでしょ?」
と信じてもらえなかったり。
そりゃそうだよね。
ワタシだって他の土地のことは知らないし。

でもこうやって知らないことを知るのは楽しい。
というか、違いそのものが面白い。
生まれた地、住んでる地の違いばかりじゃ無い。
仕事やキャリア、経験、環境の違いも、
また男と女、性癖、人種、宗教の違いも面白い。
考えてみれば人間ひとりひとり違うわけだし
それを認め合わないとコミュニケーションが成り立たない。
だったら違いをストレスと思わずに楽しんじゃった方が
絶対に人生楽しくなると思うんだ。

実際、違う国の人たちの文化や慣習の違い、
価値観や歴史の捉え方など、
その人の立場になって考えてみるのは面白い。
なるほどなぁと思うことばかりだよ。
みんながそれを楽しめれば
差別もヘイトも暴力も、そして無駄な争いも起こらない。
片側が認めなければ、もう片方も反発して
結果いがみ合いの原因になっていく。
違いを楽しんじゃえる社会になって欲しいなぁ。

ところで先週の今日、
雪かきをしていて我が身を襲ったギックリ腰。
なかなか治らないなぁと暗くなってたけど、
考えてみれば全く動けなかった先週末、
立ったり座ったりが大変だった今週初めに比べて
今は足を引きずりながらも歩けるようになっている。
(腰からふくらはぎまで痺れて痛いけど)
先週末からの症状の違いも喜ぼう(笑)
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神保町すずらん通り

2015-01-23 | 


ヤバいよねぇ、この街。
一旦迷い込んだが最後、
建ち並ぶ専門書店や古書店などに
いちいち引っかかる。
他にもカバン屋や靴屋や文具屋、
老舗喫茶店や洋食屋がある。
誘惑いっぱい(笑)



で、昨夜はロシア料理。







美味しゅうございました。
夕方取組を見たばかりの臥牙丸関がいたりして
さすが老舗で本場の味のお店ではありました。
(臥牙丸関とは握手していただきました ^^)

それにしても、腰が痛い(^_^;)
ギックリ腰恐るべし。
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計算尺

2015-01-22 | 生活の風景
最近の雑誌の見出しや
出版された人気の本のタイトルを見ていると
実家の片付けが社会的問題になっているらしい。
ワタシの実家も例に漏れず物だらけで
割合広い家にも関わらず人のいるところが無い。
ほとんど使わないものばかりだけど、
お袋に言わせるとひとつひとつ思い出があり、
捨てられないし、捨てて欲しくも無いとのこと。
「いつか使うだろう」と
取っておいた物ばかりとのことだ。
とはいえ当の本人も何を取っておいてるか
すべてを把握しているわけではない。

先日お袋が
「文房具入れた棚の中にこんなものがあった」と
ニコニコ出してきたのがコレ。





計算尺だ(^_^;)
「使うことあるかも知れないし、捨てられないよねぇ」
いやいや使わないでしょ(ー ー;)
ってか、ここは博物館か(笑)

とはいえ、これを使って家計簿をつけていたであろう
若い頃のお袋を想像すると、
簡単にポイする気になれないのも事実だ。
積まれた山で見ると全部一気に捨てたくなるが、
こうやってひとつひとつみせられ思い出を語られると
なんかこっちまで思い入れを持ってしまいそうになる。
ま、捨てるのはいつでもできる。
80年以上も一緒に暮らし苦楽をともにしてきた物たち、
しばらくはお袋の好きなようにするさ。
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おしるこ

2015-01-21 | 食べ物・お店

ほっと一息。
ミリオン@花巻駅前 にて。
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お稽古はじめの準備開始

2015-01-20 | 生活の風景
この年末年始は
イベント続きで毎日何かしら忙しかったので
毎年好例の家族での初釜はお休み。
その代わりとなるお稽古初めを今週末に開催することにした。



大先生であるお袋は嬉々として準備中(笑)
今回はワタシのリクエストにより「喫茶去」のお軸。
熨斗も用意されたけど、花はどうするのかな?



書院のような棚には
これまたワタシの道具(といっても頂き物 ^^;)の香合を飾る。
沖縄の名工金城次郎さんの娘である宮城須美子さんの作品。
簡単な電気の置き炉を使うことにしたので
炭手前も無く飾るだけだが、
手作りの出袱紗に載せるとなにげにイイ感じ(^^)

釜は真形、茶入は文林、棗は独楽の平棗、水差は染付、
茶碗はお袋の古稀祝いに我々兄弟が
臺焼に頼んで作ってもらったオーダーメイド。
さぁてお菓子はどうしようか。
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信ちゃんたい焼

2015-01-19 | 食べ物・お店


この前新聞に折り込まれて来たフリーペーパーに
実家近所のたい焼き屋さんが載っていた。
俗称「信ちゃんたい焼き」(あるいはもっと縮めて「しんたい」)
で知られるこの店の本当の名は吉田商店というが
たぶんそれを知っている人は少ない(笑)
でも、特にすぐそばの若葉小学校に通った人たちは総じて
ここのたい焼き、たこ焼き、かき氷を食べたことがあるだろう。
小学校の名札を売っていたり、
昔懐かしい駄菓子やおもちゃも売っているから
みんな1度は行ってるよねぇ。
・・・で、その記事を見たら食べたくなってきた(笑)





さっそく行ってたい焼き購入。
たまたまあんこのものが無くなり焼いてる最中だったので
クリームと黒豆を選択。



黒豆たい焼きは珍しいと思うが、
とても柔らかく煮てあり、素朴な甘さがとても美味しい。
他にゴマとチョコレートがあるけれど、ワタシ的には黒豆がBest。
久しぶりで美味しいよ(^^)

ちなみにこの店
夏の定番かき氷も、細やかなシャリシャリ氷で美味しい。
ワタシの定番シロップはコーラ。
これまた美味(^^)
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直木賞

2015-01-18 | 読書
ここでこれまで取り上げてきた
きいろいゾウ」「さくら」「白いしるし」の作者
西加奈子さんの直木賞受賞の報が先週飛び込んできた。
好きな作家だけにとても嬉しい。

彼女の作品に一貫して書かれているのは
人と人との出会いや繋がり。(時には動物との繋がり)
殺伐とした社会の中でこういう作品に出会うと
とても暖かく、優しい気持ちになれる。
人はひとりではなにもできないし
他との繋がりを持たないでいると争いになる。
この社会・・・というか世界、
自分以外の人を知り、認め、繋がることこそ
最も大事なことだと思うのだ。

西さん自身は否定するかもしれないが
彼女のこの作風は
やはり中東で生まれ育った中から生まれてきたものだと
つくづく思うのだ。

写真は西さんのOfficial Siteから借用。
ワタシも好きなタッチのイラスト。
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20年 70年

2015-01-17 | 世界・平和

あの日から今日で20年。
冬の長距離マイカー通勤だったワタシは
あの日も朝5時過ぎに布団から抜け出して
居間のストーブの前で着替えをしていた。
TVではNHKのニュース。
・・・とその時
「近畿地方で大きな地震が発生した模様です」
の緊急ニュースが流れた。
「各地の震度は・・・」
の言葉の後に近畿地方の地図が映ったものの
新婚旅行で行ってから親近感を持っていた神戸だけは
なかなか震度が出てこない。
映像は確か揺れている大阪放送局の内部。
ずーっとTVを注目していたもののなかなか神戸が映らない。
「おかしいな」と言いながら朝食を摂り
気になりながらも会社に向かうべく雪道へ車で飛び出した。
被害の詳細を知ったのは昼食時。
会社近くの食堂のTVでニュースを見た時だった。
高速道路の高架が倒れ、新婚旅行で泊まったホテルも崩れていた。
箸が止まり、言葉も出てこなかった。

20年経ったが、
身近な方を亡くしたり、家が倒壊したり、
被害に遭われた方々は心の傷が癒されることはなかろう。
(実家の向かいの方は神戸出身。
 20年前も4年前も両方経験したとのこと)
思い出したくもないかも知れない。
しかし、報道でしか知らない私たちは
せめて節目節目にきちんと思い出すことが大事だと思う。
検証し、心の中で追悼する。
犠牲になった方々を忘れることのないように。


そして今年は戦後70年。
これまた節目の年だ。
戦死された方々、犠牲になった方々をやはり思い出す時。
ワタシの年代は体験してはいないけれども、
体験した方々の話を聞き、体験談を読み、
その記憶を風化させないようにしなければならない。
いつか来た道をまた辿ることが無いように。
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