深く内在されているテーマは嫉妬。
人の心は複雑で、すべてが一言で説明できるわけはない。
そんな多層に重なり合う心の内の奥底を
少しずつ少しずつあぶり出す作品を書くのが本書の著者。
本作はひとりひとりの登場人物が内面に抱える嫉妬を
無垢な魂が媒介となってあからさまにしていく物語。
この著者の他の作品同様
舞台は北海道の片隅の辺境であり
(当地に住まわれる方々には申し訳ないが、
著者はあえてそう描いているので)
その町に漂う霧同様、全体の空気も暗く冷えて淀んでいる。
それでも読み手までどんよりして来ないのは
(これまたこの著者の作品に共通していることだが)
作品の底に流れる艶や色気ではないかと感じている。
そしてもうひとつ、
すべてを諦めているようなすべての登場人物たちの
実は内に秘めた生への執着と寂しさを紛らす甘えという
とても人間臭い感情。
それがこの著者の作品に共通する魅力でもあると思うのだ。
人は哀しい存在。
それは伶子でも、林原でも、里奈でも、秋津の母でも、
まして純香でもなく、私は秋津に感じた。
そして「母」という存在の怖さも。
「母の手はいつも、
息子を思う方へと導き、破滅させる。
母の愛情に名を借りた傲慢な思いは
栄養であって毒、
毒であってやはり愛情なのだろう」
それにしても、どうやら本作は直木賞受賞後第1作とのこと。
気負いも、期待に応えようという迷いや苦渋も、
少なくとも行間からはまったく感じない。
安定して自らのスタイルを貫くこの作家から目が離せない。
「無垢の領域」桜木紫乃:著 新潮文庫