風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

ボーカル

2007-01-31 | 風屋日記
歌うことが好きだ。
うまいと自分では思わないけど
バンドで歌う時も、カラオケの時も気持ちを込める。

理想的なボーカリストは、
女性なら何と言ってもロバータ・フラック。
優しく、ふくよかで、そして厚い声、表現力。
テクニックらしいことをあまり感じさせず、
心のまま、感じるままを声で表現している感じ。
ボリュームはあるがキツさは感じない。
日本人ならかつての八神純子かな。
ちょっとキツさが残るけどね。

男性ならもんたよしのり。
ハスキーでいて音域が広い。
あれは自分で作った声らしいけど、
ソフトでいてどこか寂し気な声だ。
同じ意味で佐々木幸男の声もいい。
あるいはBEGINの比嘉くん。
ボーカルとしては悪声の部類なのかも知れないが、
これまた心のまま表現している歌。
あの声も個性としてすっかり定着している。

いい声とか、うまい表現とかを超越したところでは
ルイ・アームストロングの歌も大好きだなぁ。
すごくハートウォームな感じがするよね。

きれいに通る声よりも
個性的で深みのある声だったり、
かっこいいテクニックよりも
心のままストレートに前へ出す表現が好きなんだ。
上に挙げた彼らのように歌えるようになりたいんだけど・・・。
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いろんな親

2007-01-30 | 風屋日記
●PTA役員を長いこと務めてきて見聞きしたこと。

地区懇談会に先生方と一緒に出席。
「学校への要望は?」の問いに、とあるお母さんから
「学校では夕方6時には帰宅しなさいと指導しているらしいのですが、
 うちの子は遊びに夢中になっていて6時過ぎても帰りません。
 もっときちんと指導して下さい」
・・・オイオイ (^^; そりゃあんたの責任だろ。

給食費未払い問題が話題になっている。
岩手県では経済的理由により支払えない家庭が多いとの報道に
県が対応をいろいろ検討中とのこと。
・・・少なくとも10年以上PTA役員をやっていて、
給食費未払い問題はずーっと話し合われていたけれど、
経済的理由で給食費を払っていない家庭を私は知らない。
「えー?義務教育って全部タダじゃないんですかぁ?」
「給食食べさせてくれと頼んてはいませんので」
という「目がテン」意見を堂々と言う親もいれば
「すみませーん、今仕事探していてお金がなくて・・・」
と言いながら、平日真っ昼間から夫婦2人揃って
パチンコ屋やゲーセンに入り浸る親もいた。
学年会費も給食費も部費も3年間全く払わないのに
部活で使う道具だけ高価なものを買い与えている親もいたよ。


●幼稚園教諭の母ちゃんから聞いた話

幼稚園で使う用具を買いに行った時のこと。
必要なものを買い終え、ふとその隣にあるゲームコーナーを見たら
上の子を乗せたベビーカーを自分の脇に置き、
下の子におっぱいをふくませながらゲームに興じる若い母親が。
「おっぱいあげる時に目を見てないもんねぇ。
 あれじゃキレる子が育つわけだよ」

母親が別な男性と家を出ていき、父親は上の子を連れて遠くに働きに。
1人おばあちゃんのところに取り残された園児がいたとのこと。
相手の目を見て話をすることができず、辛抱もきかないその子は
幼稚園でもいろいろと問題になる子だったらしい。
ところが年末年始に父親とお兄ちゃんが帰ってきて一緒に過ごした後、
冬休み明けの幼稚園ではまるで別人だったとのこと。
落ち着いて、きちんと目を見て話もできるようになっていた。
親や家族に捨てられたという気持ちになっていたんだねぇ。
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ルーツ

2007-01-29 | 風屋日記
ここいらではあまりない名字を持つ私。
私の父方の祖父が山口県山口市の出身だからだ。
南部衆にとっちゃ、いわば敵方の長州人。
まぁ、それはいいとして・・・。

父方の祖母は生っ粋の南部人。
祖母の母親(私の曾祖母)は代々続く南部士族だったらしい。
盛岡へ移り不来方城を築く前に南部氏が本拠としていた
青森県三戸周辺の地名にもある祖母の旧姓がそれを物語っている。
そして明治の始め頃に生まれた曾祖母の実家があったのは盛岡市上田。
今でこそ広大な敷地の岩手大学や盛岡一高がある文教地区だが、
藩政時代は不来方城の北側を守る要衝として、
上田組町という足軽達の住む地域だったという。
上田組の足軽の中には高橋克彦氏の小説やその映画化で話題になった
「壬生義士伝」の主人公貫一郎の家もあった。
(・・・らしい。小説や映画ではそうなっている)
吉村家と私の祖先が同じ足軽として近所づきあいをしていた可能性もある。
不思議な縁だなぁ・・・。

さて、どうして私が曾祖母の実家のことまで知っているかというと、
実は私の本籍がいまだにそこにあるからだ。
曾祖母は一度嫁に行ったが離縁し実家に3人の子を連れて戻っている。
その後また縁があって別な人と再婚したのだが、
私の祖母を含む3人の子は曾祖母の旧姓のまま実家と婚家を行き来した。
祖母が職業軍人として盛岡の連隊へ赴任していた祖父と結婚した時、
それまでの祖母の育ち方を不憫に思ったのか、
曾祖母の実家では新婚夫妻の新居を敷地内に提供したのだろう。
明治30年代に祖父と祖母が新婚家庭を持ったその地が、
今でも私たち一家(私の両親、そして私の家族たち)の本籍。
一度も住んだことのないその場所のまま100年以上が経過したことになる。

正直いうと不便だ。
住民票は花巻市、戸籍謄本は盛岡市という面倒臭さ。
たまたま私の勤務先が盛岡だからまだいいものの、
縁も所縁もないうちの母ちゃんなどは早く転籍したがっている。
でもね、私が顔も知らない親戚達が同じ本籍を書いていたことや
この100年間に私の一族の上に降り掛かったたくさんのできごとなど、
これだけの長い歴史を考えると、
不便だからといってすぐに本籍を変える気にはなれない。
それどころか、大きな通りにも面していないために見たことがない、
住宅街のまっただ中にあるその場所を
いつかぶらりと歩いてみたらどうだろうと思ってもいる。

今でも盛岡市の住宅地図で上田辺りを見ると、
アバウトな番地表示なのでやたら広い本籍の場所には
曾祖母の(一時祖母も名乗った)名字のお宅が何件か残っている。
今では全くつきあいがなくなってしまった親戚なのであろう、
実際にどこかで血のつながっている可能性のあるその方達にも、
できたらお会いしてみたいとすら思うのだ。

曾祖母が最初の結婚後に、夫婦で別な家へ養子に入ったため、
4度も名字が変わった曾祖母や3度変わった祖母をはじめ、
どうやらデラシネの系譜を持つ私のこれまでの家系。
ヘタな小説よりも面白い風屋家のルーツを詳しく知る人間は
昨年の伯父の死で、もう私しかいなくなってしまった。
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出合い

2007-01-28 | 風屋日記
昨夜は会社の歳祝いの後、
時々コメントを下さる白堊スポーツサイト主催者の平舘さんと
連絡を取り合って初めての出合いがあった。
1年ほど前からネット上では言葉を交わしあっていたものの
直接お会いするのは初めて。
でもね、全然初めてのような気がしない。
顔を合わせた瞬間だって「やぁどうも」ってな感じだったし(笑)
しょっちゅうお会いしてお話させていただいているような
そんな近しい関係を感じた。

そして更に驚きの出合いが。
平舘さんと一緒にいらしたのは県立O高校野球部のT監督。
次男の野球部のY監督の大学野球部の先輩であり、
確かそのT大学が優勝した時の主将。
学年的には私よりも1級上の盛岡一高野球部出身だから
私の同級生で盛岡一高野球部のM前監督の先輩でもある。
もちろんお名前はよく存じ上げていた。
そのTさんが、何と私のことを知っていると言う。
「試合見に来る時、よく49ersのジャンバー着てますよね」
と言われて「はぁ!? どうしてご存じ?」ってな感じ。
よくよく聞いてみると、ココも読んでいただいているとのこと。
「コメント入れたこともあるんですよ」の一言に
いやー、恐れ入りました(^^;

Tさんは音楽にも大変興味がおありらしく、
昔話、野球のこと、音楽のことから
果ては私の次男の将来の相談(^^; など
いろいろ親しくお話させていただいた。
(お陰で余計なことまで話しちゃった気が・・・忘れて下さい ^^;)
帰りの電車があるため、ほんの1時間程度だったけど
平舘さん、Tさん、そして盛岡一高野球部OBのお店のマスターとの
とても楽しい時間を過ごすことができた。
というより時間が短過ぎたよー(T_T)
平舘さん、またご一緒させていただく機会をお願いします。
そしてT監督、春からは対戦の機会もありますので
お手柔らかにお願いします(笑)

    ◇      ◇      ◇

今日は貴重な1日だけの週末の休日。
さっき母ちゃんがレンタルで借りてきたDVDを見た。

「星になった少年」

以前から興味がありつつまだ見ていなかったんだけど、
泣けた。泣けて泣けて仕方なかった。
本当にいい映画に出合った。

長男が高校2年の時に1ヶ月間短期留学した
タイ北部の町チェンマイの近くが舞台の1部だったから、
見終わってから「いい映画だったよ」と長男にメールしたら
もう2・3度見たとの返事。
さすが。

それにしても、
また無性にタイに行きたくなっちゃったよ。
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コンタクト・ゾーン

2007-01-27 | 風屋日記
今日は会社の歳祝い。
満40歳になった私の部署の男性係長と
満31歳になった、同じく私の部署の女性副主任と別な部署のIちゃん。
そっかー、Iちゃんももうそんな歳になったんだね。
高卒で入社した時のホッペが赤いニコニコ笑顔を思い出すよ。

歳祝いに関しては当地独特のこんなイベント
岩手ではごく一般的だよ。
忘年会もやらない我が部署では久々の飲み会。
なにせ歳祝い対象者3名のうち2名が我が部署だからね。
出席しないわけにはいかない。
盛岡で飲むのも久しぶり、終電(といっても23時)で帰ろう。

    ◇      ◇      ◇

「コンタクト・ゾーン」篠田節子:文春文庫

電車通勤になってから本が読めて嬉しい。
今回は上・下分冊もの。
30代独身女性3人(セレブ、中央官庁ノンキャリ、OL)が
東南アジアのビーチリゾートに出掛けて内戦に巻き込まれ、
サバイバルの中生き抜く物語。
多少ご都合主義もあったけど、なかなか面白かった。

この本を読んで感じたことも多々あった。
人間と人間との間の敵意や争いは相手への無理解による。
持つものと持たざるもの、価値観や常識やルールの違い、
そして歴史と記憶。
特に歴史に関しては、事実はひとつだと思いがちだが、
実は立場によって全く違った意味になる。
それを征服者と被征服者の双方が共有できていない。

相手を知らないから、もちろん相手を尊重し認めることもできない。
いきおい自分の価値観や常識やルールを相手に押し付ける。
特に声が大きかったり、腕力があったりするものは
相手の声に耳を傾けることすらしない。
ただ自分の妥当性、正当性を強引に主張し、
自分達だけの正義を押し付ける。
押し付けられた方は抑圧された力を溜め込んでいく。
それが爆発した時・・・戦争は起こる。

声高で腕力にものをいわせた価値観や常識やルールの押し付けは
今、世界的にどこででも起きている。
共産主義、イスラム原理主義、アメリカ覇権主義、
そして身近なところでは日本国内での全体主義的愛国主義。
それがまた新たな争いの種を生む。

私たちひとりひとりが望んでいることは
ただ平和に、笑顔で、ささやかな幸福の中で暮すこと。
これはすべての人々に言えることだろう。
それは各々の文化や環境や生活習慣の中でのこと。
それを(自分の身を守るためという名目などで)他に押し付け、
そして強要することがすべての争いの元なのだ。

例えば韓国のことをとやかくいう人達がいるけれど
かつて彼の国の人達の名前や言葉を奪い、
自分達のそれを押し付けたのは私たち。
同じ歴史でもそれぞれ認識が違うのは当たり前だろう。
中国にしても同じことだ。

相手を知ろう。
そして相手の文化や価値観を尊重しよう。
相手に押し付けることがあるとすればそういう考え方。
お互いがそういう考え方を持てば、世界に武器はいらなくなる。
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ダイエット&トレーニング

2007-01-26 | 風屋日記
次男が中三だった2年半前までは中学校野球部のコーチをし、
部員達と一緒に走ったり、ノックしたり、
バッピー(バッティングピッチャー)などもしていた。
次男の引退とともに小学校で6年間、中学校で5年間続けたコーチを引退。
それ以来運動らしい運動をしていない。

同じ頃、仕事上の立場が変わった。
帰宅時間が遅くなったり、ストレスが溜まったりしたせいか、
会社帰りにコンビニでパンなど買って食べながら帰宅するようになった。
もちろん帰宅後には運動部の息子達と同じものを普通に夕食で摂る。
当然の結果ながら、ここ2年間で2kg体重が増え、
健康診断では肝臓値、中性脂肪、高血圧などが引っ掛かるようになった。

最初のきっかけは中学・高校の同級生である主治医の一言。
「この歳にしちゃ血圧が高過ぎ。お前の母ちゃんに保険勧めとこうかな」
そして体力低下に関しては、
昨年12月に寒い中アメフトの試合を見ていて両足がつったこと。
いくら冷たい雨の中を経っていたにせよ、こんなことは初めてだった。
そして暮、これまた初めて腕相撲で次男に負けた・・・。

12月下旬から電車通勤に切り替えたのは経済的理由の方が大きかったが、
結構歩いたために最初の3日間は足がパンパンになった。
これだ。
年明けには今年の目標を「健康診断オールA」と掲げ、
ダイエット&トレーニングを開始することにした。

まずは足。
駅ではエスカレータを使わず、いくら空いている電車でも座らない。
最寄り駅から会社までの7分間はできるだけ早足で歩く。
万歩計をつけているが、1日だいたい8~9千歩平均。

次に朝食・夕食。
普通より少し大振りの茶碗で夕食では2杯は食べていた食事に手をつけた。
今までの2/3ぐらいの小さい茶碗に変え、朝晩ともに1杯限定とした。
その上でアゴが疲れるぐらいよく噛む。
これは咀嚼によって満腹中枢を刺激するためもあるが
アゴ周りについた脂肪を取るためのエクササイズでもある。
ちなみに通勤時の電車の中では、同じ理由でガムを噛んでいる。
ガムは「アゴのエキスパンダー」と言われるのだそうだ。

そして昼食。
思い切ってカロリーメイトとSOYJOYだけにしてみた。
基本は昼に1本、足りなければ2本。
3~4時頃空腹を感じたらそこでまたもう1本。
満腹感を得るための昼食から、空腹感を消すための昼食に変えた。
これが結構それなりにもつ。
腹がいっぱいになると、その後その反動で腹が減るということを学んだ。
おまけにカロリーメイトは1箱4本入り210円だから経済的でもある。

以前はおざなりだった毎朝の会社でのラジオ体操は、
両手に1kgずつのダンベルを持ってきっちり行うことにした。
夜は夕食後に腹筋、背筋、腕立て伏せ。
・・・だんだん姿勢が良くなってきたのがわかる。

ここ2年ぐらいで増加した2kgは、最初の10日であっさり減った。
次の10日で1kg減り、年明けをスタートとすると現在3kg減。
ワイシャツの首周りが楽になってきた。
スーツのウエストもゆるゆるになってきつつある。
取りあえずのコミットメント目標である大台割れまではあと1kg。
そしてチャレンジ目標(大学時代の体重)まではあと3kg。
最終的な夢である高校時代の体重まではあと6kg。
頑張る。

【今日の格言】
気をつけろ その一口が リバウンド  by 風屋
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盲信

2007-01-25 | 風屋日記
「あるある大辞典」が話題になっている。
まぁ、私も時々眺めていた番組ではあったけど、
正直言って「なんでそんなに騒ぐのかなぁ」という感じ。

TVの画面というのはリアル過ぎて
その裏側にあるものに想像を働かせることがあまりない。
イラク戦争でも画面に映るのは上空からの爆撃シーン。
そのまっただ中で吹き飛ばされた人達が
兵士達なのか、一般の人達なのかはTVだけではわからない。
ニュースの報道画面にしても
そこに映っているものが総てであるかのように思ってしまう。
その裏側に果たして何があるのかの想像がないままに。

例えば自衛隊が初めてイラクに派遣される時の映像。
正門から出ていく大型バスに向かって
その両側でたくさんの人々がバンザイを叫んでいた。
確かこれがニュース映像。
ところがそれと同じ角度からズームアウトした絵を見ると、
バンザイを叫んでいるのはほんの数十人。
そこから数十m離れたところで
警備員たちに押しとどめられた数百人の人達が
口々に自衛隊の海外派遣反対を叫んでいた。
こういう場合、ニュース映像は確かに間違ってはいない。
・・・が、かなり意図された映像と言わざるを得ない。

また、最近流行りのスピリチュアル云々・・・。
真剣にそれを信じてしまう人達がいる。
確かにエバラ某などはちゃんと相手の話を聞き、
相手の悩みを真正面から受け止めた上で、
辛い気持ちを楽にしてあげる手法を持っている
優秀なカウンセラーだと私は思う。
でもそういう見方ではなく、
純粋に霊的なものを盲信している人達がいることも確か。
TV画面上のことをすべてまともに受け止めちゃってるんだね。

「あるある大辞典」も同じこと。
ひとつの説がある・・・的な話をまともに受け止め、
まるでそれが総てであるかのように信じ込む。
寒天しかり、納豆しかり・・・。
亀田興毅の昨日の発言がホントだと思うよ。
「今度のことで罪もない納豆まで悪者にされてかわいそうや。
 俺もあることないこと言われて悪者にされたからな。
 減量している立場から言わせてもらうと
 納豆でやせるわけないやろ。
 逆に納豆食うてると筋肉がつくでぇ」
そりゃそうだ。
プロテインの原料は大豆なんだから。

人の手を経て、あるいは媒体を通じて
目に映ったもの、耳に聴こえたものを盲信するのは止めよう。
でないとマスコミを悪用する為政者がいたら思うつぼだ。
「日本は神の国」というプロパガンダに国民全員が踊らされ、
暗黒の歴史を刻んだことを忘れてはいけない。
「○○国が攻めてくる」という、
最後の「かも」を省略した言葉に踊らされて
「大変だ」と大騒ぎしてはいけない。

想像してみよう。
自分の頭で考えてみよう。
そして物事の本質をしっかりと捕らえよう。
そうすれば納豆ごときで大騒ぎすることもない。

ちなみに私は毎朝のように納豆を食べるけれど、
ダイエットにはまったくなってはいない(^^;
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思い出話

2007-01-24 | 風屋日記
花巻駅前から見た市街地(いわゆる「向ごうはなまぎ」)。
今朝の気温はプラスの0.2度。
平年より6.7度も高い気温とのこと。
とても1月も下旬の風景ではなく、まるで春のようだ。

    ◇      ◇      ◇

この季節になると、毎年思い出すことがある。
いや、この季節だと遅すぎるので、
本当は12月頃のことだったかも知れないが、
外に雪がチラついていたのを覚えているから
ついこの季節に思い出すことになる。
もう37年が過ぎてしまった。

中学3年の冬。私はいろいろと迷った挙げ句、
地元の進学校である花巻北高受験をようやく決め、
一応ボーダーは余裕でクリアしていたために
のんびりとした受験生生活の毎日だった。

秋まではかなりいろいろと迷っていた。
地元の花巻北には中学時代の知り合いも多数進学する。
中学校時代の私はつまらなく鬱屈した3年間を送っていたので、
できることなら知らない人ばかりの学校へ行きたかった。
同じく旧制中学からの伝統がある進学校の
一関一高を受験し、下宿して通いたいと親父に言って
「何をバカなことを言ってる」と一括されたりしていた。

かといって県下最も古い伝統を誇り、成績もダントツの
盛岡一高だけはまったく考えていなかった。
私の中学からは毎年トップクラスの数人が進学していたが、
私から見れば、おしなべてイヤミや奴らに見えていたから、
私も同類になりたくないと、その時には思っていた。
でも今考えると、盛岡一高に合格するためには、
当時の私はボーダーぎりぎりでかなり努力が必要だった。
たぶん「努力」から逃げていたのだ。

結局私は安易な道を選び、
そんな結論を出した自分にがっかりしながら
何となくふらふらした毎日を送っていた。

当時親父は地元の高校の教員で進路指導を担当していた。
かつての親父の仲の良い同僚で
盛岡一高の教頭になっていたH先生の来訪はそんな頃。
いつもは親父と2人で茶飲み話をする場になぜか私が呼ばれた。
「Kくん、どうだ、盛岡一高に来て野球をしないか?
 勉強をする環境は整っているし、野球部も強い。
 野球部のみんなは3年の夏に引退すると
 倒れるまで勉強してたいてい国立大学に入っているぞ」
私は曖昧に笑みを浮かべながら弱く首を振り続け、
そして途中で話を無視し、中座して自分の部屋に隠った。

自分なりの結論を出したものの、毎日およそ受験生らしからぬ私に
親父がひとり業を煮やしていたのは知っていた。
H先生は親父に頼まれ、
私に新たな目標を持たせて喝を入れるためにやってきたのだ。
しかし当の私の心境は・・・
「ふざけるな。何を今さら。
 いろいろ悩んだ挙げ句ようやく結論を出し
 自分で自分を納得させたばかりじゃないか。
 それをなぜ今さら覆そうとするのか」
と、ベッドに体を投げ出し、涙すら滲んできた。

気持ちの切り替えができなく、負け犬のような気持ちで入ったが、
豈図らんや花巻北高での3年間は夢のように楽しかった。
私は今でも同校を母校としていることに誇りを持っているし
同校に入って本当に良かったと心から思っている。
高校で知り合い、今でもつき合う大切な友人達も多いし、
息子達が後輩として入学してくれたことも本当に嬉しい。
しかし、あの時のH先生の言葉や表情は忘れることができない。
結局高校で野球を続けることもなく、
また勉強にもまったく身が入らなかったのは
あの時の気持ちをいつまでも引きずったためもあるように思う。

「どうせ・・・」という気持ち。
そういう気持ちは自分で自分に損をさせることになる。
どんな道を選ぼうと、それは自分の道であり
充実してその道を歩むかどうかは自分次第なのだ。
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Positive thinking

2007-01-23 | 風屋日記
仕事でも何でも
うまくいかない時には運命、
うまくいった時には能力だと思うことにしている。

どちらかの選択を迫られ、
片方を選んだ結果「よかった」と思える人は
別の選択肢を選んでも「よかった」と思えるに違いない。
片方を選んだ結果「失敗した」と思ってしまう人は
別の選択肢を選んでも「失敗した」と思ってしまうに違いない。
・・・といつも考えている。

Positive thinking
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お疲れさま

2007-01-22 | 風屋日記
センター試験が昨日で終了。
受験生の方々、ご苦労さまでした。
とりあえず天気にも恵まれた2日間だった。
センター受験の私立単願を除いてまだ試験は続くけど、
まずはひと山越えてほっと一息だね。
さぁ次は私立の一般試験と国公立の2次試験だ。
ここまで来たら1ヶ月なんてあっという間。
気を緩めずに頑張れ!!

ところで昨夜、いつもの通り、
新聞に掲載された試験にチャレンジしてみた。
あまりにも掲載文字が小さくてよく読めず、
目が疲れちゃったのでとりあえず国語だけね(^^;
その結果・・・

いやー、今年の試験は(国語に限って言えば)難しい。
私自身は昨年よりも点数的に30点ほどダウン。
200点満点で143点しか取れなかったよ。
確か昨年は176点だったと思うから
点を取れなかった他の諸事由(目が疲れたとか)
を考慮に入れてもかなり難易度は上がったと思う。
特に現国の評論と古文。
小説も昨年は割に取っつき易い作品だったけど
今回はかなり読み込みが必要だったね。

一昨年は国語だけガチンコして、高2だった長男に圧勝(笑)
昨年は国語と英語(168点/200点満点)で競争してみたけど、
現役受験生だった長男にあっさり負けた。
今年も更に英語をやってみた上で
今日・明日学校でチャレンジいう現在高2の次男と勝負だ。
現役受験生となる来年ならともかく、
この時点ではまだ負けられない(笑)
日本史や現代社会にもチャレンジしてみようかな。



ところで、英語のリスニングにおいて
またICプレーヤーのトラブルがあったとの報道。
いやいや、何万、何十万台の中で10台ちょっとのトラブルでしょ?
すげー優秀な品質だと思うよ。
他の電気製品でこんなクレーム率の低いもの、あるかね。
1つでもトラブルがあると喧しく口を出し始めるのは
現代社会の悪い癖だ。
機械を取り替えてやり直せばいいじゃん。
鬼の首を取ったような報道の仕方もどうかと思うけどね。
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書評から

2007-01-21 | 風屋日記
日曜の楽しみは朝日新聞の書評欄。
今日はとても印象的なことばが2つあった。
「一人称(または主語)」と「ポピュリズム」。

「一人称(または主語)」については
・「屋上がえり」石田千(筑摩書房)
・「主語を抹殺した男~評伝 三上章」金谷武洋(講談社)
の2冊を紹介した書評。

「屋上がえり」について書いていた作家の重松清さんは
このエッセーが「『わたし』を消している」と評する。
普段目にする『わたし』の頻出するエッセーに、
「うっとうしさや押し付けがましさを感じ」ることが
ことさらこの作品の希有性を際立たせるとのこと。
まさに今の社会じゃないか。
「主語を抹殺した男」についてはそのタイトルがそのままズバリ。
「日本語に主語という概念はない」
という説を唱えた100年前の文法学者の評伝について、
詩人の小池昌代さんが書評を書いている。
なるほど、「私」よりも「公」の中の自分の位置取りが大切な
伝統的な日本の社会構造が文法に現れてもいるようだ。

そして「ポピュリズム」に関しては
・「キケロ~もうひとつのローマ史」アントニー・エヴェリット(白水社)
に関する、文芸評論家の野口武彦氏の評論と
コラム「たいせつな本」に外務省職員の佐藤優氏が取り上げている
・「歴史哲学講議」ヘーゲル(岩波文庫)
政治家が支配の武器として巧みに使うポピュリズムと
そこから押し出されたマイノリティたち。
どちらも歴史に言及しているものの、
これまた現代社会をそのままスケッチしているようだ。

うまく文章で表現できないけれど、
『私』と『ポピュリズム』
「今」を読み取るキーワードのような気もする。
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センター試験

2007-01-20 | 風屋日記
昨日の雪も消え、それほど冷え込みもなく、
全国的にも穏やかなセンター試験初日。
天気予報では明日も引き続き穏やかな天気のようだ。

いよいよこの日がやってきた。
受験生のみんなの調子はどうかな?
精一杯、悔いのない結果を出して欲しい。

高校2年の次男達は、今日と明日は学校で模擬試験。
月曜からはセンター試験問題に取り組んでみる
センターチャレンジがあるという。
彼らももう1年後だもんね。

センター試験が終わっても、
まだ2次試験もあるし、私立もあると思うけど
明日が終わればまずは一山越えることになるね。
わが家では長男が昨年、次男が来年だから
今年の試験は直接的には関係ないけど、
この1年間ずーっと私の心に引っ掛っていたことも
明日が終わってしまえば過去のことになる。
個人的にも
実は早く終わって欲しいんだ。
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全国方言地図

2007-01-19 | 風屋日記
ようやく冬らしい雪が降った。
まだせいぜい5cm程度だが、
これまでに何度か降った湿った雪とは違い、
雪玉が作れないサラサラの冷えたアスピリンスノー。
林を見れはそれがわかるよ。
湿った雪は木々にくっつくから白い林になるけど、
夕べのような雪は木々に積もってもすぐ落ちる。
今朝の犬の散歩の時は
久しぶりにキュッキュッと鳴る長靴の音を楽しんだ。

    ◇      ◇      ◇

さて、今朝の朝日新聞に全国方言地図の記事があった。
国立国語研究所が作成したものをネットに公開したのだとか。
イラストレータのデータだから誰でも見られるわけじゃないけど
ソフトさえ備えていれば誰でも検索できる。

かつて1巻あたり1万円、全5巻の「方言地図全集」を
買おうかどうしようかまよったことがある。
言語学的な切り口の民俗学、文化人類学に興味があるからだ。
特に方言は日々変わる。
その時に調べた結果はあくまでその時点のもの。
5年後、10年後には確実に変化しているのだ。
そういう意味で、その時お金をケチって購入を断念したことを
今でも後悔しているほどだ。

それが現代では、本を買わなくてもこうやって検索できる。
これはスゴイ。
TVやネットは日本語を変化させ、言葉を平準化の一因になっているが、
こういう使い方なら大歓迎だ。
仕事柄イラストレータは持っているし、
後でじっくり拝見してみようか。
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彼氏・彼女ができました!

2007-01-18 | 風屋日記
ballad-maniacというHNのSさんからのバトン。
なぜ「彼氏・彼女ができました!」というバトンなのか、
いまいちよくわからないけど(^^;
勝手に記事のネタにしたお詫びに受け取ることにした。

1 バトンを回す6人を選ぶ
すんません。
私がご指名するってのもおこがましいので、
誰か受け取って下さい。

2 名前
風屋

3 年齢
ははは・・・(^^; 40代も半ばを過ぎたおじさんです。

4 職業
会社員

5 好きな異性のタイプ
アハハと豪快に笑う笑顔の素敵な人。

6 特技
なんだろう・・・文章書くのは苦じゃないけど。

7 資格
普通自動車免許・第一種衛生管理者
それと資格じゃないけど個人情報保護管理者。

8 悩み事
諸般の事情が重なり、
ここ数カ月、小遣いの資金繰りに苦労してる。
・・・ぐらいかな?(笑)

9 好きな食べ物と嫌いな食べ物
好きな食べ物
スイカをはじめとした果物、蕎麦、エスニック料理

嫌いな食べ物。
とろろ、とろろ、とろろ・・・と辛子明太子
インゲンの味噌汁も歯がキュッと鳴るとこがちょっと(^^;

10 好きな人はいますか?
家族はもちろん、私の周囲に入る方々全部。

11 あなたが愛する人への一言
いつもそばにいて一緒にニコニコしていたい。

12 バトンを回す人の紹介です
誰か・・・。

最後に・・・
※見た人はコメントを残して自分もすること
※タイトルは「彼氏・彼女ができました」とすること
だそうです。

意外につまんない答えばかりでスンマセン。
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あれから12年

2007-01-17 | 風屋日記
今日は阪神・淡路大震災から12年目。
犠牲者の方々へ追悼を捧げるとともに
被害に会われた方々のこれまでのご苦労に思いを寄せる。

あの日は今日と同じように
出勤のために朝早く家を出るべく朝食をとろうとしていた。
つけていたNHKの朝のニュースで
「近畿地方で大きな地震があったようです」
との第一報。
京都や大阪が震度5という表示が地図上に出ていた。
当地で震度5は十勝沖、宮城県沖、三陸沖の各地震で体験したが、
「あんな大都会で震度5とは、大変なことだなぁ」
と母ちゃんと言葉を交わしたことを覚えている。
でもおかしいと思ったのは神戸に震度表示が出なかったこと。
それは家を出る7時前になっても変わらなかった。
昼休み、昼食を取る時にテレビのニュースでことの重大さを知った。
これが日本かと思うほど信じられない映像が映っていた。

すぐに、当時芦屋に住んでいた高校時代の友人に連絡を取ろうとした。
電話が繋がらない。職場にも繋がらない。
翌日になってようやく職場への電話は繋がったものの、
私の友人をはじめ、多くの社員は安否すらわからないとのこと。
・・・・・
1週間経って、やっと彼と連絡がついた。
彼も彼の家族(息子2人が我が家と同年齢)も無事だった。
彼の家を含む、周囲の家々がみんな全半壊したとのこと。
最初の2日間は、無事だった近所の人達と一緒に、
閉じ込められた人達の救出活動をしていたとのこと。
その後数日間、援助団体の人達と救援活動をしていたとのこと。
1週間の話をひととおり聞いた後で、ポツリと彼が言った
「神様はどうしてこんなことされたんだろうな」
に、私は返す言葉を失った。
高校時代にはいつもヘラヘラ冗談を言い合った彼、
東北大工学部から大学院まで出たあと
一流メーカーの研究所に勤務するエリートエンジニアの彼、
絶対にそんな言葉を発する人間じゃない彼の言葉だからこそ
その言葉を重く受け止めざるを得なかった。

あれから12年。
ニュースでは被害が風化しつつあることに警鐘を鳴らしていたが、
まだたったの12年、風化はしないよ。
実際に見、体験した人達が語り続けているうちは。
今年はなくなった人達の13回忌であるという。
合掌。
コメント (3)
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