氷点下2桁にもなる、吹雪に閉ざされた凍てつく冬。
その分、春には一斉に花々が咲き乱れ
青々とした山々は夏に向けて淡い色から濃い緑に変わっていく。
道路脇の斜面にはシダが生い茂り、
牧場には爽やかなそよ風が流れていく。
主人公ヨハンが郵便配達人を務めるドイツの田舎の村は
まるで私が住む現代の日本の北国の風景だ。
ヘルマン・ヘッセの作品にも感じたことがあるけれど
ドイツの自然描写はとても親近感が湧く。
ヨハンと村の人々とのやりとりも微笑ましく
とても穏やかで平和に風景だ。
現代の日本の北国との違いは
本作品の舞台となっている時代が、
連合国軍や当時のソ連軍に攻め込まれて劣勢となった
ナチス統治下のドイツであり、
主人公のヨハンも戦場で片腕を失った帰還兵であること。
村の男たちがみな戦場へと招集され
ヨハンは彼らの戦死通知を配達する役割だということ。
そして村の女たちや子どもたちは
前線にいる夫や息子や父親の心配をしていること。
そんな光景は終戦間近の日本も同じような状況だったのだろうが
それでも自然は戦争前と変わらず輝き、
戦場となった地域から逃げてきた人々と一緒に
そしてそんな田舎町にもいるヒトラーユーゲントや突撃隊など
時代と体制に積極的に迎合する者たちも一緒に
人々は静かに日常を過ごしている。
戦禍は刻々とそんな田舎の村にも近づいてくる。
変わらぬ自然の美しさと人々の重苦しさの対比の描写が秀逸だ。
現代に生きる我々が歴史で知る想像に反し
当時のドイツ人全てが
熱狂的にナチスを盲信していたわけではないことがわかる。
村の中には冷静に時代や状況を俯瞰する人間たちも少なからずいた。
「誰だって、もう戦争はしたくない。
だけど戦争は私たちが起こすんじゃない。
上にいる誰かさんよ。
死骸に群がるハゲタカみたいに、
爪を立てて権力をつかみ取ろうとする。
そんな奴らにとっちゃ、子どもたちのことなんかどうでもいいのよ」
「これからはいい時代が来る。
私が取りあげた男の子たちは、もうけっして戦争に行かなくてすむ。
戦争を経験した世代がそうしなくちゃ。
その人たちが生きているかぎりー」
「先の戦争からちょうど20年と数ヶ月しかたっていない。
人間は歴史から何も学んでない。
人類が自滅するまで、そう時間はかからないかもしれない」
「ドイツ・ジャガイモやチェコ・ジャガイモなんていう
種類がないのと同じように、
ドイツ鱒やフランス鱒もない。
ジャガイモはジャガイモ、鱒は鱒だ」
「ドイツが優れている、っていったいどういう意味だ?
俺は第一にまず人間だ。第二、第三・・・
ずーっとあとに、ドイツ人ってのがくるんだ。
お前たちもそう思うだろ?」
この人たちのこの感覚を大事にしたい。
永遠に。
「片手の郵便配達人」グードルン・バウゼヴァング:著
高田ゆみ子:訳 みすず書房