風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

休日アルバム

2009-04-30 | 風屋日記
昨日は朝から天気もよく、日が高くなるにつれて暖かくなったから、
休日好例トレーニングのための総合体育館行きは母ちゃんと自転車で。
片道はだいたい4kmぐらい、田んぼの中の道でペダルを漕いだ。

自転車1

家を出てすぐの県道沿い。まるでチューリップ街道。

自転車2

家が途切れるといきなり視界が開ける。
遠くにまだ真っ白な早池峯(ハヤチネ)山が望める。

自転車3

左に菜の花、右にシバザクラがきれい。

自転車4

リンゴ畑。真っ赤な蕾はまだ小さい。

自転車5

総合体育館に到着。

自転車6

体育館前から桜吹雪を撮ったつもりだったけど・・・
散る花びらがよくわからないね(^^;
体育館の裏手は多目的広場の芝生が広がり、
ひなたぼっこや散歩中の家族連れがたくさん。
少年野球の声も聞こえていたよ。

    ◇      ◇      ◇

さて午後は陽気に誘われ、母ちゃんとお袋と3人で
平泉中尊寺まで片道30分ほどのプチドライブ。
高速料金は千円未満(笑)
でも私自身は30年ぶりの中尊寺だなぁ。

杉木立

深山の奥深くにある本堂までは月見坂を行く。
かなりの樹齢と思われる巨木の杉木立。
本堂までの道すがら、たくさんの小さなお堂が並んでいる。

束稲山

月見坂途中からの風景。けっこう登った。
正面に見えるのは古から平泉と対を為す束稲山。
夏には大文字焼きも。

本堂

これが本堂。
金色堂ばかりが話題になるけど本堂もなかなか立派。
天台宗の東北地区総本山なのだとか。

樅の木

金色堂近くの竹林の中にあった樅の木の巨木。
一体樹齢はどれだけだろう。天然記念物との札が立っていた。
写っている後ろ姿は言うまでもなく母ちゃんとお袋。

能舞台

中尊寺の守護権現である白山神社境内の能楽堂。
なんと江戸期に伊達藩が建てた茅葺きそのままが残っている。
背景の松の絵も、色は薄れていたが彫りはくっきり残っていた。
感動。

若い頃見た時はよく覚えていなかったが
清衡をはじめとする4代が納めた写経原本や平安期の仏像など
平泉文化を形作った「浄土思想」が身に沁みて感じられた。
敵味方なく、平和で人々の幸福を願ったというその思想は
同じ岩手県人である新渡戸稲造の平和思想や
宮沢賢治さんのイーハトーヴ(理想郷)に一貫して通じるものがある。

駐車場

下山したところには駐車場をぐるりと取り囲むお土産物屋さん。
「平泉名物わんこそばって(^^; わんこそばは南部盛岡藩のもの、
 平泉は伊達仙台藩でしょ(笑)」
「遠野名物民話漬・・・名物って聞いたことないなぁ。
 ってかここは平泉であって遠野じゃねーし(^^;」
などとツッコミどころ満載。
「だから伊達衆は商魂が逞しいんだ」と南部衆は言うんだろうな。
いやいや、私の説ではなく単なるウワサっす(^^;
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花壇

2009-04-29 | 風屋日記
我が家の花壇No.2。
家の中から見える庭じゃなく、
道路沿いに適当に花を植えてるだけだけど(笑)

モグとともに花々を観賞。
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ありがどあんしたー

2009-04-28 | 風屋日記
たんぼ

「おはようございまーす」
朝、モグとの散歩時、
向かいから近所のおばあさんが
ゆっくり、ゆっくり自転車を漕いでくるのを見つけた。
「あや、ありがどあんしたー」
定番の挨拶が返ってきた。
「今日がら(天気)良がべがねー」
「予報だといいみたいですね。寒いけど(^^;」
「んだなハー。まんつ毎日しばれるごどやー」
自転車を漕ぐ足は止めていないのに
すれ違い様これだけの会話が交わせるほどゆっくり(笑)
予報では3度だった今朝の息は白い。

一昨日は盛岡のすぐ北側まで季節外れの雪。
(盛岡市郊外でもみぞれだったとのこと)
高速道路も松尾八幡平ICから北が
事故が多発して通行止めとなったそうな。
昨日聞いた話では
弘前に城跡の桜を見に行った人が車で帰れなくなり
弘前に車を置いたまま電車で帰ってきたそうだ(^^;
でも、いかな北国と言えど
満開の桜に積雪という風景を見ることはない。
考えようによっちゃその人はラッキーだった?(笑)

今朝は寒かったものの日中の予想は15度。
明日の朝は予報では1度(!)だけど
だんだん暖かくなり、晴れの日も続くらしい。
庭のチューリップも咲いて、春の続きがまた始まる。

チューリップ
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風屋日記っておいくら?

2009-04-27 | 風屋日記
えはらさんがブログで紹介してされてたwebサイト
「Stimator」というそのサイトは
なんとURLを入れるとそのブログなりHPなりのお値段がわかる(笑)
いったい何の値段なのかはよくわかんないけど(^^;
平舘さんもやってみていることでもあるし、
ちと「風屋日記」を調べてみた。

いったい何を基準にどうやってお値段を付けているのか
夕べいろいろ読んでみたけどよくわからないが、
どうやら「風屋日記」はUSドルで$3,762906らしい。
円相場を計算しやすいように約100円/$とすると
なーんと3億7千6百万円強!! (@o@)

涙を飲んでココを止めてもいいから
誰かこのお値段で風屋日記を買ってくれないかしらん(笑)
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大荒れの日曜

2009-04-26 | 風屋日記
特別公開。
神楽の幕裏の様子(笑)
天王舞に備えて準備中の神楽メンバーだ。

今日は大忙しだった。
朝イチで髪を切りに出かけ、その足で体育館へ。
いつものトレーニングメニューをこなした後
一旦家に帰って早い昼メシ。
神社の社務所に12時集合だったからだ。
中根子地蔵尊延命寺祭礼における
毎年恒例の奉納神楽があった。
なぜお寺で祭礼や神楽があるのか。
それはこの延命寺が神仏混淆の
修験宗の寺だからだ。

演目は三番叟・八幡舞・天王舞・岩戸開に権現舞。
小学生、中学生たちの出番も設け、
大人数で延命寺へ着いたものの、
朝からの雨が昼過ぎからだんだん強くなり、
冷たい西風もかなり強まってきた。
雪と雨の違いだけで、ほとんど吹雪状態。
(実際県北の二戸では雪だったらしい)
延命寺名物の見事な桜も散ってしまい、
「こりゃ誰も見に来ねーな」
とみんなで話していたら、
なんと舞台前のテントの中にはたくさんの人が。
みんな一升瓶を回しながらご機嫌だ。
嬉しいねぇ(^-^)
(おまけにうぞんげさんも見に来てくれて
 お忙しいと思ってたのでびっくり)

それにしても寒かった(*_*)
鉦を叩きながらガタガタ震えていたよ。

すっかり体が冷えきってしまったし、
母ちゃんの強力なリクエストもあって
終わったあとは温泉へ。
最近お気に入りは渡り温泉。
たっぷりゆっくり湯に使って
ようやく忙しい1日が暮れたのだった。
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40代

2009-04-25 | 風屋日記
すでにアラフィフ(そんな言葉あるのか?)の私だが、
50歳の誕生日が来るまではバリバリ40代のつもりでいる。
「9歳下でも同年代だよな」的な・・・(笑)
なにせmiredoさんのブログを読むまでもなく、
歳を重ねる毎に女性達は素敵に元気になっていき、
男達は年々しょぼくれるばかり。
なにせ40歳というのは
男が「自分はおじさん」と身をもって認識する歳なのだから、
せめて40になったばかりの「まだ若いおじさん達」に
しばらくしがみつかせてもらいたいじゃん(^^;

「40(フォーティー)~翼ふたたび~」石田衣良 講談社文庫

この主人公である吉松喜一も40歳。
ひょんなことから大手広告代理店を飛び出したがウンの尽き。
フリーとは名ばかりの「プロデューサー」という雑用係が仕事となる。
同じ事務所に同居するフリーの仲間達がまたしょぼい。
酒とタバコとギャンブルだけが生き甲斐で
深刻な病気が判明したやもめコピーライターや
垢まみれで事務所のソファーが定宿のAD。
彼らのボヤキや諦めの気持ちもよくわかる。

でもね、それだけじゃ物語はできない。
銀座の片隅の事務所にいながら季節を感じる心を持つ主人公は
いろんなクライアントに振り回されながらも
(自分の中年特有のしょぼさを嘆きながらも)
「人っていいな・・・」と感じ始めていく。
その心の移り変わりが奥さんとの距離として描かれているよ。
最初は「ただの同居人」的だった吉松ご夫妻も
仕事上のエピソードが重なる毎に心が寄り添い合っていく。
よくある「妻の悪口」「夫の悪口」なんてのは
言ってる人の心持ちひとつで180度変わるんだよなぁと
何となく微笑ましく思ったり。
それから、持ってる人脈がすべてのこの業界。
青臭いストーリーだけどうなづける部分も少なからずあったなぁ。
まぁ少なくとも「40代、オッサンってのも悪くないのかもな」
と思わせてくれる石田衣良氏に感謝(笑)



ところで「銀座で広告の仕事をしている喜一さん」
どこかで聞いたことがあるような・・・(笑)
もちろん私の知ってる「喜一さん」は「吉松」さんとは違って
立派な会社にお勤めされているけどね(^_^)
もちろんお友だちのコピーライターさんも
少なくともタバコとギャンブルには縁がないみたいだし(笑)
お目にかかったことはないけれども
とても素敵な奥様をお持ちだということも知っている。

・・・あれ?
「しょぼいオッサン」って一般論として書いていたけど、
もしかしたらワタシだけ? (^^;
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2009-04-24 | 風屋日記
偶然だろうか。
女性のブログ仲間がそれぞれご自分の親のことを書いている。
ある人は数年前に亡くなった父上の臨終の思い出を
ようやく文章にできるようになったのか、静かな筆致で書き留めている。
もう一人は、やはり父上の深刻な病が明らかになったことを
書くのも辛いだろうに、心の乱れを押さえるようにUPしている。
別の人は自分が若かった頃のご両親の気持ちに想いを寄せつつ
いま2人を誘ってあちらこちらプチ旅行をしている記事。
最後の一人は私よりずっと若いものの、前の2人は私と同い歳。
親についていろいろと考えなければならない年代なのだろう。

私の親父は戦争時代を挟み、なんと8浪して大学に入った。
卒業後は戦前からの病気(今話題の結核 ^^;)により死を覚悟したものの
ちょうど発見・導入されたストレプトマイシンや手術法によって
片肺を失いつつも30代半ば過ぎにようやく社会復帰。
遅ればせながら高校教員となり、38歳の時に私が生まれた。
中学・高校と私の希望には耳を貸すことなく
高飛車に私の進路に口を出して激しい言い合いの毎日だったのは
自分の年齢や体に自信がなかった親父の焦りだったのだと
今になって理解できるような気がするが
最後の10年は私のことに口を出すこともさほどなく
若い頃の病気が元で家族の見守られながら静かに逝った。
「誰しもいつかは死ぬ。覚悟ができていればなんてことないが
 何せその日がいつなのかわからないのが辛いなぁ」
「涙や悲しみは生き残る者のためにある。
 オレは別に悲しくもないし、葬儀もいらないとすら思う。
 子ども達も大人になって自分の役割は果たした気がするからね」

さて話は変わる。
あれは私が中学校1年の時の3学期、私には気になる女の子がいた。
当時からウジウジしているのが苦手な私だったので(笑)
さっそく告白する機会を狙っていた。
人には見られたくないが、中1としてはどこかの店という発想はない。
校内で人目を避けられる場所・・・相談室。
その頃私のクラスの掃除割当場所だったので勝手は知ってる。
ということでさっそくその子を呼び出し、
顔を赤くしながらモジモジ告白。
返事は「友だちのままで」という古今東西定番の失恋(笑)
まぁごく一般的な幼い頃の思い出話だ。

問題はその数日後。
当時私が通う中学校と同じ管内の別の中学校教諭だったお袋が突然
「あなた女の子を相談室に強引に連れ込んで変なことしたんだって?」
は? 強引? 変なこと? 何もしてなかった(そんな勇気すらない)が、
相談室という言葉に後ろめたさを覚えた私は何も言い返せない。
「私の立場があるんだから。カンベンしてちようだいよ」
冷たく言い放つお袋の言葉を今もよく覚えている。
たぶん中学校の先生達の間でウワサが伝言ケームになるうちに
だんだん尾ひれがついていっただろうことは今になればよくわかる。
しかし私は事実を確認すらせず一方的に自分の立場を主張するお袋に
その日以来不信感を持ってしまった。
そしてそれは今でも心のどこかに1枚の壁となっている。

当時のお袋は遠い勤務地までバスを乗り継いで通い、
(うちの両親は車の免許を持ったことがない)
遅く帰って食事の支度をしたり持ち帰り仕事をしたりと
大変だったんだろうな、イライラもしてたんだろうなと今思う。
毎日のように頭痛も訴え、血圧も高かった。
そんな時のひと言だったんだろうな・・・とは思うけどね。

「あなたのところは男の子2人だけでかわいそうだねぇ。
 歳とると息子よりも娘の方が頼りになるもんだよ。
 私の実体験だから間違いない」
とお袋が言うんだからそれは本当なんだろうな(^^;
やはり親を思う気持ちは娘達の方が強いのだろう・・・と
3人のブログ仲間を見ていて改めて思っているのだ。
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葉桜の季節

2009-04-23 | 風屋日記
桜と虹。
昨夜から今朝にかけてはまるで冬の嵐。
風が強く、雨も時雨れて、
これが雪だったら吹雪いてたところだった。
雪の代わりに花びらが降る。

先週末が盛りだった桜の花々も
昨日の雨風もあってそろそろ晩節を迎えつつある。
はらはらと花びらが1つ2つ落ちていく様は寂しさを感じさせるが
その下から初々しくもはつらつとした若葉が顔を覗かせている。
桜は今新たな成長の時。

満開の桜見事さには毎年感嘆させられているが、
その後の葉桜にも、実は昔から心引かれるところがあった。
みんなに愛でられる満開の花を散らし、しなやかな葉を伸ばす季節。
温もりのある揺籃から、冷たい風の吹く社会へ出て行くときの
巣立ちの希望(新緑)と過去(花)への後ろ髪引かれる思い。
18の春、家を出て上京したときの物悲しい興奮に似た感情が
葉桜を見ていると湧いてくる。
あるいは学生から社会人へと巣立っていく
どこか社会の風や波に立ち向かおうという気構え。

自分が大学進学のために家を出た時のほんの少しの寂しさや心細さ、
それにも勝る未来への希望を胸に抱いていたことを思い出す。
また大学を出、心ならずも故郷に帰って就職したときの
どこか悲壮感にも似た感情。
この春大学最終学年を迎えた長男はどんな心持ちでいるのだろう。

葉桜についての↑の2節目はりらさんへのコメントに書いたそのまま。
実はこのことを主題に、親父との小さなエピソードを添えて
今日と同じタイトルで、とあるエッセイ賞に若い頃応募したことがある。
もちろん箸にも棒にもかからなくて、自分の限界を知った思い出(笑)
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緑の町に舞い降りて

2009-04-22 | 風屋日記
 輝く五月の草原を
 さざ波はるかに渡ってゆく
 飛行機の影と雲の影
 山すそかけおりる
 着陸ま近のイヤホーンが
 お天気知らせるささやき
 MORIOKAというその響きが
 ロシア語みたいだった

 三つ編みの髪をほどいてごらん
 タラップの風が肩にあつまる
 もしも もしもこの季節
 たずね来ればきっとわかるはず
 あなたが気になりだしてから
 世界が息づいてる

 銀河の童話を読みかけて
 まどろみ 心ははばたく
 あてもなく歩くこの町も
 去る日は涙がでるわ

 セロファンのような午後の太陽
 綾とる川面をゆっくり越えて
 いつか いつかこの季節
 たずね来ればきっとわかるはず
 誰かが気になりだしてから
 世界が息づいてる
 新しい笑顔お土産に誰かのもとへ帰る
(作詞作曲:松任谷由実 編曲:松任谷正隆)

いわて花巻空港のイメージソングに選ばれて
今月新しくできターミナルビルの中に歌碑ができたとのこと。
数日前のお披露目にはユーミン自身も来たみたい。
私にとって最も思い出深い「悲しいほどお天気」に入っている
この1曲がより身近になったというのは感慨深い。

昨夜はとある会合で、NHK盛岡放送局の上原アナの講演があった。
アナウンサー人生を変えるほどの大失敗の後で赴任した盛岡放送局。
そこで出会った岩手の大自然に惚れ込み、終の住処を建てたとのこと。
「すべてが凍り付くような想像を絶する厳しい冬の後
 爆発的にやってくる春。秋の紅葉はまるで血の滴りのよう」
「北国特有の乾いた風が吹く夏の夕暮れは空が高い」
「厳しい冬の最中、ふと薄暗い夕方に日の長さを感じて春間近を知る」
さすが「自分にしかできない伝え方」を模索しているという上原アナ。
普段私たち自身が無意識に感じている季節への想いを
的確に言葉で表現してくれる。

この地に生まれ育っていない人たちだからこそ
逆に驚きとともに感じる岩手の自然、風景、空気。
私たちはそれを当たり前のように享受しているのだということを
ユーミンや上原アナは教えてくれる。

爆発的な岩手の春は始まっている。
まもなく、今度は爆発的な黄緑色の季節がやってくる。
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盛岡点描

2009-04-21 | 風屋日記
盛岡市内あちこちを仕事で走った時に撮った写真をUP

館坂橋

ここは北上川にかかる橋のひとつ館坂橋。
南に夕顔瀬橋や開運橋を望める、
最も盛岡らしい風景のひとつではある。
岩手大学から降りてきて信号待ちの間にパチリ。

夕顔瀬橋

夕顔瀬橋のたもとの桜並木をパチリ。
暖かくていい天気。

岩手大

ここは岩手大学旧正門。
ここから入ると農学部の植物園がすぐ。
宮沢賢治さんも学んだ盛岡高等農林学校の流れを汲む
岩手大学農学部は歴史も実績もあるところ。
この季節、
植物園内の散歩も気持ちいい。
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花づくし

2009-04-20 | 風屋日記
天気がよく、桜も満開の週末、
あちこち行って撮った写真を一挙掲載。

桜1

ここは昔の花巻城跡。
花巻小学校の脇の早坂は藩政時代の早坂門からの登城口。

桜2

城跡の公園内にあるシダレザクラ。
愛でているオレンジのパーカは母ちゃん。

桜3

下を見下ろすと花巻市民の花見のメッカ鳥谷崎公園。
木々、花々の間からブルーシートが見え隠れし
楽しそうな歓声が聞こえてくる。

桜4

一方、城跡の児童公園は静か。
ここから小学校の校庭を越えたところにある
母ちゃんの勤務先の幼稚園では
明日この公園に遠足に来る予定(この日は下見も兼ねていた)
でも明日は雨の予報なんだよねー(^^;

桜5

ふわりとした春風に
静かに枝を揺らすソメイヨシノの古木。

花東

そしてここはセンバツで有名になった花巻東高。
リーグ戦のため、次男を隣接に花巻球場に送った帰り道。
まだ朝が早かったので人影はあまりない。

花中

東高からしばらく走ると
私や息子達の母校である花巻中学校。
校章にも桜の模様があしらってあるほど。

多目的

大学野球の試合を見た帰り道、
いい天気に誘われてぐるりと回って帰った。
花巻球場や普段トレーニングに通う総合体育館のある
日居城野運動公園の多目的広場脇では
シートを敷いてお昼を食べる人たち、カップルなどがちらほら。
中には昼寝をしている人もいた(笑)
気持ち良さそう。

コブシ

桜のついでに、
花巻市の花であるコブシの街路樹も満開。

すみれ

こちらは城跡で見つけたスミレ。
桜を愛でていた母ちゃんから
「あ、かわいい。これも撮んなきゃ」と注文あり(笑)
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静かな日曜

2009-04-19 | 風屋日記
桜は満開。
天気が良くて暖かい。
昨夜は次男の退院祝い(?)を兼ねながら
母ちゃんの親父さん、お義母さんに誘われ
うちのお袋も交え、花巻温泉で会食。
その帰り道、昨年も灯りに誘われた
近所のYん家で焼肉やりながらの夜桜見物に
久し振りの次男も一緒に飛び入り参加。
日付が変わる直前までおしゃべりしてきた。
和やかで静か、平和な夜。

岩手大は今日も危なげない勝利。
ノースアジア大1‐3岩手大。
昨日は2年生エースの三浦くんが
13奪三振、被安打3の完璧な完封劇。
今日は下級生に負けじと、中屋敷くん、若山くんの4年生投手2人が
最終回のエラーによる1点がなければ完封リレー。
昨秋のリベンジにかけるいいスタートが切れた。
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開幕戦

2009-04-18 | 風屋日記
北東北大学野球リーグ
春のリーグ戦が開幕。
岩手大学は幸先良く初戦勝利。

岩手大6‐0ノースアジア大

このまま神宮へ突っ走れ!
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いろいろその後

2009-04-17 | 風屋日記
桜1

桜2

桜3

盛岡地方裁判所敷地内にある名所「石割桜」
昨日時点で満開となっていて観賞客もたくさん。
2局ほどTV局もレポーター付きでカメラを回していたよ。
平舘さんもいらしたらしく、ブログに写真をUPされていた。
先日ここで開花をお知らせしたばかりなのに
満開とはずいぶん早いと思われる方々もおられるだろうけど
実は石割桜は早い。
近くの旧盛岡城お堀端の桜はまだ5分咲きなのだから。
それにしても、これだけ観光客が集まる裁判所ってのは
全国的にもここだけなんだろうなぁ(笑)

さて次男はめでたく今日出所(笑)
7日の手術以来入っていた針金も昨日外れたようで
今日の回診終了後に退院できることとなった。
それでも手術後1ヶ月はプロテクターをつける必要がある。
病院でつけられたのは、
ナイロン製の荷物ベルトのような、ちとしょぼいプロテクター。
それも額にテーピングで止めてあるだけだ。
「これじゃ練習にも復帰できないし、第一テープでかぶれるべ」
と、急遽ネットで調べて↓のようなノーズガードを購入。

ノーズガード

いよいよ明日から北東北大学野球春季リーグが開幕する。
センバツ準優勝の花巻東出身3選手も張り切っているらしいし
春のオープン戦では東北地区強豪大学や社会人チームと対戦し、
勝ったり、負けても接戦を演じたりしたようだし、
いよいよ国立大初優勝という昨秋の忘れ物を取り返すチャンス。
神宮に行って欲しいなぁ。
次男坊はとりあえずベンチ入りはできるらしいけど
ぜんぜん練習しておらず、体重も1kg減ったとのことなので
まぁ前半戦はスコアつけたり、データ取ったりと
チームのために自分ができることをやるしかないね。

さて私の右足首だが、
テーピング&サポーター巻きはじめてから約2週間。
踝の腫れは引き、徐々に様子もわかってきた。
やっぱり根本的な原因は左右に緩い足首の靭帯にあるようだ。
まだ時々足首から脹ら脛にかけて鈍痛が走ることもあるけど
腓骨筋の腱鞘炎の方はほぼ大丈夫だろう。
でも靭帯が直るわけではないし、今後コワいので、
サポーターはもう外すことができないんだろうなー。
そして走ったり、フットワークを使うスポーツは
たぶんもう無理してはできないんだろうね。
今春から始めようと思ってたテニスも、大好きな野球ももう無理。
歳とはいえ、それはちょっと寂しく感じているのだ。
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花粉症?

2009-04-16 | 風屋日記
幸いなことに
生まれてこのかた花粉症とは無縁で生きてきた。
社内や周囲の人たちを見ていると本当に辛そうで、
何ともないのが申し訳ないほど。
根っから鈍感なのが幸いしてるのだろうか。

さて先日の2日酔いとなった先月下旬。
知らず知らずのうちに焼酎を結構飲んでいて
意識はしっかりしているもののほとんど千鳥足状態で
店を出たあと車を預けてあった運転代行まで歩いた。
15分待ちとのことで、外で待ちながら
携帯からその日の風屋日記をUPしていたのだが、
なんだか目がおかしい。
「酔いが目に来たか?」と思いながらパチパチしていたら
だんだん涙が止まらなくなってきて目が開かなくなった。
涙はもうボロボロ状態。何も見えない。
仕事でもここんとこ細かい字が見えなくなってきていて
目が疲れるようになったからその影響かも・・・と
しばらく目を瞑ったままにしていたら
10分ほどかかってようやく目が開くようになった。
家に帰って目を洗うとようやく正常に復帰。
やれやれ歳かよ・・・とその時は思っていた。

13日の月曜日は東京から仕事上の来客があり
夜は社長とともにお客様との会食。
ちなみにウチの社長は九州出身でやたら酒が強い。
日本酒を飲むようにストレートでホイホイ焼酎を飲む。
お客様も、いくら飲んでも全く変わらない。
(社長とお客様の飲み方は文字通り酒の早慶戦 笑)
その日は食前酒に店オリジナルのレモンリキュールを1杯ずつ。
メニューを見たらアルコール度数35度。
その後シードルを挟んで焼酎となった。
メニューには4種類の焼酎が載っていてアルコール度数は44度。
「コレを上から順番にいきますか」との社長の提案により
グラスに入ったままのストレートが次々出てくる。
極力チェイサーを駆使しながら、
それでも他の2人のスピードに合わせて飲んでいく。
まぁ飲めるし美味しかったよ。

帰りはお客様をホテルへ送って私は歩いて駅へ。
先月ほど酔ってもいないし、しゃんと普通に電車に乗った。
ところが電車に乗るや否や、また涙が止まらない。
目も開かず、ボロボロ出てくる涙をハンカチで抑えながら
盛岡から花巻までの約40分間目のチカチカに耐え続けた。
細目のままハンカチを握りしめて花巻で降り、
改札を出る頃になってようやく目が開いてきた。
また帰ってから風呂に入って目を洗う。
すっきり。

これって花粉症?
だとしたら、もしかして花粉症はアルコールに関係してる?
あるいは焼酎に反応してるのかなぁ。
ちなみに社長は30ネ年来筋金入りの花粉症キャリア。
酒を(あるいは焼酎)止めてみたらどうかと言ってみようかな(笑)
コメント (5)
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