風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

雲の上から

2004-08-31 | 風屋日記
おや、何読んでんだい?
「輪違屋糸里」? 浅田先生の新撰組第2弾かい。
どうも近頃ぁ、新撰組が流行りだねぇ。
浅田先生の「壬生義士伝」は本も売れ、映画も大ヒットってんじゃねぇか。
三谷先生の大河ドラマ「新撰組!!」も何かと話題だしなぁ。
よくもまぁ、いろいろと想像力が働くもんだ。感心すらぁ。
新見さんが切腹する場面なんざ、お2人とも全く違うシチュエーションなんだが、
それがそれぞれ本当にあったことみてぇに思えてくる。
大したもんだね。

それにしても、今なんで新撰組なんだ?
ここんとこ商人ばっかが巷間に溢れ、みんな金儲けの事ばかし考えてやがる。
昔ぁ士農工商というヒエラルキーがあったもんだが、今は全く逆じゃねぇか。
商売が1番で、公務員(昔で言やぁおさむれぇだ)も商人と結託してやがる。
議員の先生方(昔の老中だな)も票と金を集めることに汲々として、
天下国家を論じるなぁ二の次だ。
為替やら株やらってのも商人(あきんど)がやるもんと相場が決まってたんだが、
今じゃ職人も百姓も、公務員さえ「資金運用」とか何とか言って懸命だ。
おいらなんざ、もっと他に真剣にやることあんだろ・・・って思っちまうけどな。
大体「商い」を「経済」なんて七面倒臭せぇ言い方にしたなぁどこのどいつだ?
職人や百姓は一生懸命いいものを作る、それを売るのが「商い」ってもんじゃねぇのかい?
大したことねぇ物を、方便並べて売るなんざ商売じゃねぇや。

みんなそのことに気がついてきてるんじゃねぇのかな?
「金儲け」が一番大事なことじゃねぇって事をな。
なんつうのかな、信念つうか、心持ちっつうか、今の言葉で言うと哲学だな。
新撰組が流行るのも、どうやらその辺に答えがありそうだぜ。
考えてみりゃ、新撰組はバカの集団だったと思うよ。
てめぇで進んで滅びる道を選んだんだからな。
おまけに狭いテリトリーの中でどんどん信念が内に隠っちまった。
その挙げ句が組内抗争やら粛清だ。
例えは悪りぃが、リンチ事件当時の連合赤軍やサリン事件のオウムみてぇなもんだ。
そうか、だからインテリ達もオウムに走ったって訳だ。
なんだかわかるような気もするぜ。
倫理や哲学のねぇ時代、生きてくモノサシが欲しくなるんだろうな。
バカみてぇに信念追っかけた新撰組も憧れの対象って訳だ。

たいへんな時代だねぇ。
俺達ぁ刀振り回しっぱなしで死んだが、
それはそれで、あの時代もよかったような気がするぜ。
なぁ、沖田。
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青春

2004-08-30 | 風屋日記
このBLOGの閲覧カウントが、8/26をピークに減ってきている。
誰かのために始めた訳ではないものの、ちょっと寂しい。
ま、質の問題もあるわけだが・・・。
どーしよーもない昨日の書き込みですら28人もの方のアクセスがあり、
ともあれ反省。

昨日、息子の高校の文化祭を見に行ってきた。
にわか食堂で立ち働く浴衣姿の女生徒あり、
教室に舞台を設え、セーラー服で姉妹が主人公の劇を演ずる男クラ(男子クラス)あり、
応援団の部屋には歴代幹部の写真を飾り、伝統のバンカラを守るヤツラあり、
中庭では出店が軒を並べ、野外ステージではバンドのライブ・・・。
この高校は私の母校でもある訳だが、
最近はとかく勉強ばかりが大変・・・との風評が伝えられ、
受験を敬遠する中学生も多いと聞く。
確かに息子を見ていると、私達の在学中とは勉強量が大違いだ。
でも昨日見ていて「こいつらは大丈夫」だと確信を持った。
ひとりひとりが自分のやりたいことを精一杯やっている。
何にでも一生懸命取り組んだ上で楽しんでいる。
我々の頃と同じだ(勉強以外)。
クサいことばで、めったに使ったことがなかったが、
昨日は本当に「青春」を感じ、うらやましく思った。

男クラの劇にも、中庭のライブにも、
ちょっと視界を滲ませながら、
手が痛くなる程の拍手を送ったことは言うまでもない。
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あーぁ

2004-08-29 | 風屋日記
日付変わりそうだ・・・。
毎日書き込みを自らに課していたのに。
これまでは多少ドタバタでもなんとか書き込んでいたのに。

ということで、明日はまた改めてマトモなことを書くことにするか。
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読書日記1

2004-08-28 | 風屋日記
「輪違屋糸里」を読んでいる。
浅田次郎には騙されることが非常に多く、
「たかが浅田」と軽い気持ちで読んでいながら
ついつい涙にくれてしまう。
そのテクニックに抗ってみても、つい引き込まれる。
まんまと「浅田ワールド」にハマってしまうのが悔しいので、
できるだけ買わないようにしているのだが、
今回は知人が「読んでみて」と家に置いて行った。
仕方なく頁を開く・・・止められない(笑)
人のハートの柔らかい部分をツンツン刺激してくる。
くそ。

現実の世界があまりにも厳しく、
最近は小説を読み続けることに耐えられなくなっていた。
イラクやアフガン、東南アジアやアフリカについての
ドキュメンタリーやルポを好んで手にとっていた。
小説は、既存の文壇の中でその存在をアピールすべく、
奇を衒っていたり、アンタッチャブルを犯したりしている。
評価できるのは、最近では重松清の「疾走」位かな。

でも浅田次郎はそんなことお構いなし。
マイペースで人の心を揺さぶってくる。
ころっとハメられる自分が悔しい。
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まつろわぬ人々

2004-08-27 | 風屋日記
古代史にハマったことがある。
大学での専攻が国文学で、上代ものを読んでからだ。
かといって「神国ニッポン」や「万世一系」をウノミに信じているわけじゃない。
だって仲哀・応神以前の天皇は200年とか300年へーきで生きたことになってるんだぜ(笑)

「古事記」や「日本書紀」が読み物として面白かったせいでもある。
鳥や蛇が神様の権現だったり、五穀の神が同時に生まれてきたり、
古代日本の文化や生活が垣間見えるからだ。
天津神と国津神との関係や大国主の国引なども、当時の政治体制を暗示しているように思える。
古代史を考えるというのは、解決しない推理小説を読んでいるようなものだ。
色々想像し、推理してみるけれど、正解は誰にもわからない。
だからこそ、ずるずる深みにはまって行く(笑)

決定的だったのは「東日流(つかる)外三郡誌」との出合いだった。
現在では青森県深浦町教育委員会が新装発行しているが、
もともとは江戸時代に津軽藩士が歴史を調べて記録した本ということになっている。
津軽地方の古代史と十三湊を牛耳った安東氏の系譜について書かれている。
津軽の古代史部分には、夷の祖先と思われる荒吐(アラハバキ)族のことが書かれていて、
三内円山との関係も合わせ注目に値するが、
氷河期についてや大型の象の存在に関する記述について眉に唾をつける向きが多い。
(日本史学会では完全に無視されている)
私がハマったのは安東氏の系譜だ。
遡って行くと安倍貞任がいてアテルイがいる。
なんと初代は神武東征時に駆逐され、東へ落ち延びた安日王・長脛彦だという。
はじめっから「まつろわぬ人」の系譜なのだ。
ホントかどうかは関係ない。
巨人に対する阪神を愛し、東大よりも京大に憧れ、
MartinではなくOvationのギターを弾き、MAZDAに乗っている私にとって
「自分もこの系譜に連なってみたい」と自然に思えた(笑)。
もっと深く調べてみたくなるわな・・・。

歴史上の人物というと、教科書で知った事実や肖像画という
極めて2次元的なイメージしかなかったが、
調べれば調べる程私の頭の中でその人達が立体的となり、
体内に血が流れ、生き生きと動き出す。
高校時代に興味を持っていれば、日本史が得意科目になっていたかも知れない。
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方言

2004-08-26 | 風屋日記
知人のblogに「バカができた」という書き込みがあった。
「バカ」とはいわゆる「ものもらい」のこと。
目の周囲の毛穴から菌が入り、大きく腫れるアレだ。
「バカ」という呼び名はもちろん方言。
「ものもらい」→「乞食(ほいど)」→「バカ」という変化だと思う。
実際「ものもらい」のことを「ほいど」と呼ぶ地域もあるし、
もっと変化して「泥棒」と言うところもあると聞いたことがある。
私は小さい頃から「ノメ」と言ってきた。
もちろん「膿目」の音便形である。

方言は大きくわけると2種類に分類できる。
ひとつは「バカ」のように、もとからある言葉が変化したもの。
もうひとつは古語だ。
もしかすると、「ノメ」は後者なのかも知れない。
私の住む北日本では「~だそうだよ」という意味で「~だっけよ」と言う。
実はこの「け」は、古文でお馴染みの「伝聞の助動詞『けり』の音便形」であるらしい。
「~でありけり」と言っている訳だ。

かつて新しい言葉は京都で生まれ、時間をかけて全国に広がって行った。
広がる過程で、また新しい言葉が京都で生まれて広がって行く。
ひとつの意味の言葉が様々な形で、バウムクーヘンの様に全国に分布されて行く。
(それを地図化して証明したのが柳田国男の「蝸牛考」)
青森と鹿児島に似たような言葉があるのはそのせいだ。

言葉は文化だ。
現代ではTVのお陰(?)で「言葉の金太郎飴」になっているが、
本来は地域の歴史や生活がそのままつまっている筈だ。
またタイの話で恐縮だが、タイ国内の公用語はもちろんタイ語。
しかし東部ではクメール語を常用しているし、
東北部のメコン川沿いではラオス語が方言化しているという。
アンコール王朝の領土だった東部と
ラオスからの移民(難民)が多い東北部の歴史が、そこに垣間見える。
日本においても、北日本にアイヌ語の地名が残っていることは、
その地の文化成立の歴史を証明している。

言葉は文化だ。
金太郎飴状態の日本に、今後地域特有文化は残せるのだろうか。
言葉だけではなく、文化や生活そのものも金太郎飴になりつつある今日、
寂しいだけではない、ちょっとした危惧を感じる。
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想像

2004-08-25 | 風屋日記
時々、過去の色んな時代に生きていたら
自分はどう行動したのだろうかと想像してみることがある。

幕末に生きていたらどうだったのだろう。
たぶん新しい時代が読めず、
旧態依然としたシステムの中で、
それでもぬくぬくと暮らしていたに違いない。

戦時中、それも10代だったらどうだったろう。
現代でこそ一応リベラルっぽいことを言っている私だが、
社会のベクトルに棹さすことができず、ってゆーか大した考えもなく、
積極的に時代に乗っていたのではないだろうか。
お調子者の私は「カコイイ!!」というだけで、
(士官学校や兵学校に入る頭も持たないので)海軍あたりに志願し、
入営した途端に心から後悔するという、えらく間の抜けたことをしていそうだ。

1960年頃なら間違いなくデモに加わっている。
だってみんな参加してるし、
第一、反安保を声高に唱えることがカコイイ時代だから。


・・・だんだん書いていて情けなくなってくる。
要は時代に思いっきり流され、周囲に迎合し、
その時々の価値観の中でカコイイものに憧れるお調子者だということだ。
でも一般大衆って基本的にそんなものなんじゃない?
コワイのは社会の価値観を形成するプロパガンダだと思う。
特に現代はマスメディアが大きくその役目を担っている。
ひとつひとつの情報を鵜呑みにすることなく疑ってかかり、
自分の考えを持つということが、現代を生きる我々にはとても重要なことだと思ったりする。

今私は2人の10代の息子を持つ中年オヤジだ。
今この環境のまま戦時中だったらどうか。
想像するのは簡単だ。
イラクに派遣された自衛隊の家族の心情を想像すればいい。
いや、近々実体験するような時代がやってくるのかも知れない。
少しずつ、少しずつ、底なし沼に引きずり込まれるように、
時代の動きがそういう方向に向いていると感じている。
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Blues Music

2004-08-24 | 風屋日記
Bluesの話をしようか。

Bluesの発祥は、そんなに古い話じゃない。
1900年前後、綿花畑で働く黒人達の楽しみは、
一定のリズムに手製のギターを持って、即興の歌を歌い踊ることだった。
それがBluesのはじまり。
徐々に上手い歌歌いが現れ、3コードに1・2連のリフレインフレーズという
Blues独特のスタイルが確立されて行く。
Charlie PattonやRedberryの登場だ。
やがて酒瓶の上部を使ったボトルネック奏法のSanhouseなどが現れ始め、
悪魔に魂を売った代わりにギターテクを身につけた(笑)という
Blues最初のヒーローRobert Johnsonの登場を見る。

その後Bluesは、Big Bill BroongeeやMuddy Waters達によってシカゴで発展し、
ダブルのスーツに身を包み、エレキギターを抱えたエンターテイナー達の時代を迎えて、
全てのポップスに影響を与えて来た現代へと繋がって行く。

しかし、スポットライトの下で活躍するほど裁量のなかった人達(笑)は
それぞれ細々とギターを弾き続けるもの(Mississipi John Hurtなど)
音楽から離れ、都会に出て底辺の生活をしたり、ホームレスになったり(Sleepy John Estisなど)
人を殺してムショに入るものまで、人生イロイロだった(笑)。
1960年代のフォークブームで、スポットライトの下に引っぱりだされた時には、
みんなすっかり年老いていた。

私はBluesが好きだ。
それも前者より後者が・・・。
あのジイさん達は、スポットの下に引っぱりだしたレコード会社から
GIBSONのピカピカのギターを与えられ、
それでもマイペースでギターを弾き、当たり前のように歌っていた。
たぶん誰も聴いていなくても、好きな歌を歌っていたのだろうと思う。
故郷の古い小屋の前で。
私が今ギターを弾くのは、将来そんなジイさんになりたいから。
ギターのうまいへた、歌のうまいへたを越えた、
人間のSoulがそこにはあるような気がする。
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オリンピック&高校野球

2004-08-23 | 風屋日記
今テレビが熱い。
連日のオリンピックと昨日までは高校野球。
どの選手も素晴らしい活躍で、目が離せない。

日本は過去最高の金メダル数に迫っているらしい。
金メダルばかりではなく、
我々見ているものの想像を越える努力をしてきた選手達が
最高の結果を残して感涙にむせんでいる姿は美しい。
最高の賞賛に値すると思う。
だけど、時々待てよ・・・と思うこともある。
今朝のNHKニュースでは、女子マラソンで金メダルを取った野口選手だけが注目されていた。
後の2人の選手は順位すら報道されていなかった。
メダルを取ったから賞賛に値するのか?
取れなければダメなのか?
オリンピックに出ている選手達が美しいのは、
誰もが皆メダルを目指して精一杯の限界に挑戦しているからではないのか?
例えば女子バレー。
さっそく「チーム内に亀裂」やら「あれでは勝てない」やらの
週刊誌記事を目にする。
韓国に負けたことがセンセーションだったらしい。
でも韓国チームは日本に照準を合わせて練習してきたはず。
過酷な練習と強烈な目的意識を持った結果、
打倒日本を果たした韓国チームを賞賛すべきじゃないのか?

例えばソフトボール。
私はオーストラリアチームに拍手を送りたい。
シドニーでは、地元開催にもかかわらず金銀をアメリカと日本に取られた。
金を狙う日本に負けずとも劣らない辛い4年間だったと思う。
でもそれに挫けず銀メダル以上を確保した彼女らも、充分に賞賛に値する。

例えば柔道男子の井上。
物凄いプレッシャーと想像を絶するトレーニングだったと思う。
普通の人間ならたえられない日々を過ごした彼を、
せめることのできる資格を持った人は誰もいない。

メダルは結果。私達は結果を出すところを見ているに過ぎない。
それまでの努力は一部報道されているものの、本当のところは彼らにしかわからない。
競泳の予選1~3組当たりの選手は、メダルに最も遠いところにいる選手だが、
自らの誇りのために、メダリストと変わらない練習をしてきたはずだ。
ほとんど報道はされないものの、その姿にも心が揺さぶられる。

視聴者からの「感動した」という紋切り型の感想も、実は気になっている。
確かジュンイチローさんが貴乃花優勝時に言ったセリフだが、
選手達は別に我々を感動させたくて努力している訳ではない。
感動するかしないかが評価基準ではない。
「感動した」というセリフには他人に有無を言わせない響きがある。
「感動」という単語の羅列は、その言葉の持つ力を薄めて行く。

高校野球。
地区予選1回戦で負けたチーム内にもドラマはある。
ポジション争いや勝つための努力など・・・。
その経験の貴さは駒大苫小牧とも遜色はない。
負けた時には、選手達が一番悔しいはずだ。
負けたことをせめられる人は誰もいないはずだ。
「勝つだけが高校野球じゃない。大人になるための心を育てたいんだ」
と言った、とある監督の言葉が胸に沁みた。
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コメント

2004-08-22 | 風屋日記
コメントをもらった。
なんかくすぐったいようでいて、でもかなりウレシイ。
色んな人達に繋がっているんだなぁ・・・という感じ。
知っている人も、この中にいそうな気が激しくするけど(笑)
ちゃあさん、お色気さん、まつたけさんありがとう。

これだけ広範囲で、沢山の人達と、リアルタイムで
コミュニケーションを図れるメディアは人類史上なかった。
Internetは人間同士のコミュニケーション方法を
革命的に変えたのだと思う。
例えばベトナム戦争やカンボジア内戦当時、
現地の状況は一ノ瀬泰三や沢田教一たちの命をかけた取材によってしか
日本にいる我々は知り得なかった。
今、アフガニスタンやイラクの若者達は、
mailやwebsiteによって自分達の意見を世界に発信している。
特にイラクの高校生、大学生達は
爆撃下で、周囲の状況や生活を伝え続けた。
こういうことはもっと注目されていい。
ある程度編集され、コントロールされたマスメディア情報とは
明らかに違う、生の情報がここにはある。

ただ残念なのは、その極端な匿名性。
それが必要な場合も確かにあるけれど、
個人攻撃の場合は、群集心理が働いてしまう。
ま、取り繕わない生の人間を垣間見ることができるという意味では
勉強になると言えなくも無いが・・・。
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誕生日

2004-08-21 | 風屋日記
今日は私の誕生日。ゾロ目の歳となった。
え? ゾロ目だけじゃわからない?
エート、ランディ・バースの背番号と言えばわかる人はわかるかな!?
もうすっかり正真正銘のオッサン、誰がどう見ても中年オヤヂだ。

一番記憶に残っている誕生日っていつのことかな。
大学の頃、当時の彼女や友人達とすき焼きパーティーやったのも
とても楽しい思い出で、記憶に残っているけれど、
やっぱり1年で1番の特別な日だった子どもの頃かな。
プレゼントを買ってあげると言われ、一張羅着て町へ行くけど、
結局欲しいものが何もなく、最後は本屋というパターン。
当時はゲームも無かったし、流行物にも興味無かった。
ということで、本を2冊ほど買ってもらい、
夕飯はポークソテーみたいな特別料理(wとケーキを食って終わり。
でもやっぱり特別な日だったし、心も踊ったものだ。

当時の一般的なヒーローは王と長島だったけど、
その0Nからさも当然のような顔で三振を取り、
ふてぶてしい態度の阪神・江夏がMy Heroだった。
元来、権威やらNo.1やら権力が嫌いだったので、
ウルトラマンよりジャミラやシーボースに涙し、
玉の島や大鵬のような横綱より、大関大麒麟を応援し、
米軍よりベトコン(知ってるかな?)に共感した。
「巨人・大鵬・たまご焼き」のアンチテーゼである
「阪神・朝日・社会党」を自分のベクトルとした。
(これ考えたのはワタシですが・・・)
今でも、例えば甲子園初出場の公立高を応援するし、
たぶん今後もTOYOTAには乗らない。
3つ子の魂百まで・・・である。

話がそれた。
誕生日とはいえ今日は仕事だし、夜は高校野球部の父母会。
誰からか何か言われる訳でも無い(妻からすらw)。
せめて昼飯ぐらいはちょいといいもの食って、
自分へのプレゼントにするか。

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息子の帰国2

2004-08-20 | 風屋日記
タイで約1ヶ月間の短期留学を終えて来た長男の
タイ(チェンマイ)滞在中の記録を読んだ。

ゴールデントライアングル周辺に案内してもらった時の感想。

゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。.
初めて国境を見た。
そこには文化的にも、物理的にも線などなかった。
「あそこから向こうはミャンマーだよ」と言われても
こちら側と同じような風景が広がっているだけ。
国籍や国境って何だ?と思った。
人間が自分の都合の良いように線引きしているだけじゃないか。
国境のこちら側でも向こう側でも、
同じように幸福を願って生活している人達がいる。
゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。. .。.:*・゜゜・*:.。.

そのままの丸写しじゃないけど、こんなことが書いてあった。
それを実感し、自分の感想として持てただけでも、
色んなことを犠牲にしながらも行かせてよかった。

その通りだよ。
その国境線を、更に自分の都合で動かそうとしている人がいる。
国境線はこっちだ、あっちだと揉めている人達がいる。
物理的に壁を作っちゃおうとしている人もいる。
国境線のこっち側でも向こう側でも
人々の日々の営みには全く変わりないのに・・・。
人々が願うことは同じことなのに・・・。
もっと大事なことは、
こっち側と向こう側がよく理解しあい、認めあうことだと思うよ。


チェンマイに着いて2日後、まだペースを掴めず、
文化の違いに戸惑い、言葉の壁に戸惑い、体調も崩し、
母国語が使えないというストレスでHome sickにかかりかけた時、
記録には「帰りたい」でも「後悔」でもなく、
高校の野球部員である息子は、
ひとこと「野球がしたい!!」と書いていた。

心が揺さぶられた。

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息子の帰国

2004-08-19 | 風屋日記
約1ヶ月間のタイへの短期留学を終え、長男が帰国した。
成田空港へ迎えに出かける。
少し大人びた顔になったか?
割に小さい頃からどんどん出て行くやつで、
小4の頃には姉妹都市の小学生交流事業で
1週間程ホームステイしたこともある。
それにしても1ヶ月家を離れるのは初めて。
違う文化の中(しかも日本語が使えない環境)で
色んなことを感じてきたのではないだろうか。

そして親も子離れの訓練期間の1ヶ月だったかも。
高校2年の長男は、あと1年半もすれば家から離れて行く。
私もかつて経験した巣立ち・・・。
タイ滞在中の記録を読んでちょいと逞しさを感じ、
ほっとしたり、寂しくなったり・・・(^^;
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風屋

2004-08-18 | 風屋日記
「風屋」は名前だ。
情報屋とでもいうつもりでつけた名前だが、
説明の時には「大木も倒すことができるし、小さな花を揺らすこともできる」
と言うことにしている。カコイイ・・・

中学生の頃から「物書き」になりたかったので、
ペンネームのつもりで色んな場で使ってきた。
NETの世界で「ハンドルネーム」なるものができる前からだ。
初めて使ったのは大学出てからかな。
はじめは「雲屋」にしようと思っていた。
雲が動く一大スペクタクルをぼーっと眺めているのが好きだったから。
「でも待てよ・・・『雲助』ってことばもあるぞ」と気がつき、
冷や汗かきながら、雲を動かす「風屋」に決めた。

本を読むのはは小さい頃から好きだった。
中学生でゲーテ読む奴はそんなにいなかった。
スポーツも好きだった。かっこいいから・・・。
知人のグラフィックデザイナーが、
そんな私に「体育会系文学青年」とカテゴリー化した。
これ、割に気に入ってます。
もう青年じゃないけど・・・。
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