風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

最終回

2005-01-06 | 風屋日記
今朝の朝日は、またいつもとは違う色。
マゼンタ80%にイエローが10%も入っていただろうか。
真っ赤な朝焼けにしばらく目を奪われた。
むかーし昔耳にしたことのある
「モルゲン・ロート(朝の薔薇)」という山男言葉を思い出すような色だった。
近所の家の窓ガラスに映ったその色を見て、
火事かと思っちまった(笑)

さて、突然だが、本blogを今回で最終回としたい。
諸処の事情による。
たった4ヶ月半程度続けたblogだが、
ここに書き込むことによって色んなことを考えたし、
たくさんの方々からコメントももらった。
コメントをいただいた方々のblogにお邪魔したりして、
また知り合いが増え、新しい世界も知った。
たかが低pvのblogだが、私にとっては心の拠り所でもあった。
涙が出そうな程、今は寂しい思いでいっぱいだ
終了は断腸の思いではあるが仕方がない。

皆さん、本当にお世話になりました。
長い間、私の駄文におつき合いいただきありがとうございました。

さようなら
コメント (19)
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文化の違い

2005-01-05 | 風屋日記
昨日英会話の先生との会話の中で、年号の話の話がでた。
「昭和ってのはいつからいつまで?」
「どうして平成に変わったの?」
「大正とか、昭和とか、平成は天皇の名前なの?」
という質問を英語でしてくる。
当然私も英語で応えなくちゃならない・・・(^^;
それでも元号に「おもしろい」と興味を感じてもらえたようだ。

タイでは仏暦を使うし、イスラム暦も有名だ。
エチオピアの暦では1年が13ヶ月あるという。
こういう、生活に根ざした文化の違いもまた面白い。
ただ、英会話の先生のように興味を持ってもらえる人達だけではないだろう。
「西暦があるのになぜわざわざ元号を使うのだ?」という話も聞いたことがあるし、
同じ日本人でも「これからのビジネスは西暦じゃなきゃ」という人も少なくない。
そりゃね、合理的に考えればそうだし、便利な方を使えばいいと思う。
でもその国や民族、地域独自の「暦」という文化も大事にしたい。
それは単なる年号・日付だけの問題ではなくて、
暦とは農耕や漁業や狩りなどの生活に密着したものだからだ。
私の地元にも江戸時代の「絵暦」が残っている。
文字が読めない人達へも苗代づくりや田植え時期を教えるものだ。
この地域ならではの文化がそこにはある。

今日の朝日新聞に永六輔さんがコラムを書いていたが、
「日本全国の町が時代とともに均一化されてきつつあり、その土地の匂いがなくなった」
ということを嘆いていた。
自分達の文化を自ら無くしていきつつある現代の日本。
自分達が認めていないものを、他者に認めろと言うのはムリだわなぁ・・・。
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時間が足りない・・・

2005-01-04 | 風屋日記
 ~ きょうは朝から雨 いやな天気やけど
   もうぼちぼち出かける時間     ~
  (上田正樹と有山じゅんじ「梅田からナンバまで」より)

ということで、北国のこの時期にしては珍しく雨の朝、
「やれやれ」と出かけた犬の散歩から、たった今帰ってきた。
家内は今日から出勤、長男は家内の職場の近くの学童クラブで今日からボランティア。
私の休みは明日までなので、今日~明日は受験モードまっただ中の次男と2人だけ。
残り2日をまったりと・・・ってのが理想ではあるけれど、
残念ながら宿題がまだのっこり残っている(^^;
英会話のレッスンも、普段は時間調整が難しいので、
この機会にガンガンとろうと思っているし、
今晩は家内の職場の新年交賀会なので、晩メシのことも考えにゃならん。
これでなかなか忙しかったりしている(笑)

それでもこの休みの間に慢性寝不足は解消されたし、
医者の言いつけを守って暮から正月のごちそうも腹八分目にしたので、
ここしばらくの間では体調は最もいい。
休み明けの仕事は、6日からいきなりフルスロットルになりそうなので(^^;
少し暖気運転のモードに入っておくか。

暮から年明けにかけて大変なニュースやいやなニュースは多いけれども、
高校サッカーでは地元チームの久々のBEST8があり、
毎年恒例の箱根駅伝の選手達の熱いドラマもあった。
若い人達が頑張っている。おじさんも元気をもらうとしよう。
仕事もますます忙しくなりそうだが(社長からの年賀状にそう書いてあった・・・笑)
数年来の目標である資格試験にもチャレンジしたい。
英会話の上達に加えて、Bluesギターもきっちり練習したい。
もっともっと時間が欲しい(笑)

そういえば、元旦から始まった朝日新聞の社会面の連載ルポ「花を」。
中越地震で助かった3才の男の子を軸に、人間の命について考えさせてくれる。
朝日新聞の新年からの連載ルポは毎年恒例だが、特に今年は興味深い。
私もいつ何時、どうなるかわからない。
今を精一杯生きなければ・・・。
コメント (4)
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華氏911

2005-01-03 | 風屋日記
えーと、遅ればせながらDVD借りてきて「華氏911」をみた。

ブッシュさんを支持する人達や、彼のお陰で利益を得ている人達は、
「あの映画はマイケル・ムーアが自分の都合の良いように適当に映像をつなげている」
と口を尖らせて反論しているが、
客観的に見てもそれはほんの一部に感じるだけだった。
それも、証拠はないが疑惑があることについて、そんな風に表現しただけで、
例えば作家高木彬光が邪馬台国や義経北行説などを推理小説仕立てにしたようなもの。
自分の考えがあり、ある程度確証も持っているものの、
他の人々を説得するだけの証拠がない場合に表現する方法だ。
その方法論は決して間違いではないし、その表現力は評価されるべきものと感じた。

ブッシュさんを支持する方々には申し訳ないが、
かの作品が内包する重要な問題は、ブッシュさんを巡る疑惑ではない。
(にもかかわらず目くじらをたてるところが怪しかったりして・・・笑)
後半部分、イラクの人々もアメリカの兵士も、
簡単に命を奪われていることに対するマイケル・ム-ア監督の悲しい目だ。
「戦争」というと、それでもオブラートに包まれた表現であり、
実体は「人殺し」だ。
殺される側の痛みやその家族の心の傷はもちろんの事、
殺す側の心の震えや殺す瞬間の神経の異常さをよく表現している。
パンク・ロックを聴きながらテンションを上げて戦闘に臨むアメリカ兵の言葉には
私も心が凍りつく思いだった。
親族を殺され、泣叫びながらアメリカへの復讐を神に誓っていた女性は、
普段私達の周りにもいそうな、ごく普通のおばさんだった。
どんな理由があろうとも、どんなに行動を正当化しようとも、
人をひとり殺せば、その周囲に敵をどんどん作っていくことになる。
アメリカばかりではなく、武装勢力にも言えることだが。

以前とあるTV番組で、イラク人のおじさんが言っていた言葉が忘れられない。
アメリカ軍の爆撃で家族を失ったばかりの彼は、
呪いをこめた声で、マイクに言葉を絞り出していた。
「静かで平和だった私達の国で外国人同士が殺しあっている。
 とばっちりを受けるのは私達、何の罪もない一般市民だ。
 ここは私達の国だ。外国人は出ていけ。アメリカもアルカイダも。」
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哲学

2005-01-02 | 風屋日記
年末年始の休暇に、宿題をたくさん持ち帰った話は先日書いた。
読書感想文はあるし、作文はあるし・・・(^^;
さて、作文を書くにあたって、
ちょっと気になる本があったので、暮に本屋で買い求めた。
これを読んでからでないと、作文が書けないような気がして。

「内側から見た富士通~『成果主義』の崩壊~」城 繁幸 著(光文社)
何が哀しくて、新年最初の読書がこの本なのか・・・とも思うが(笑)。
なにしろ普段ビジネス書の類いはほとんど読まない私が、
よりによってこんなネガティヴな本・・・(^^;
仕事に絡むのならしょうがないか。

さて、まだ途中ながら、少々がっかりしながら読んでいる。
文章そのものは、
日本語と英語が意味もなく混じっているところは少々鼻につくものの
それなりにうまく書けているし、分かりやすい。
ただ、新卒から純粋培養で富士通の人事に配属され、
外の世界を知らないのではないかと思わせる程の誤解。
それと仮にも自分で選び入社したにもかかわらず、
ここまで書くか・・・と感じるネガティヴさ。

1993年に「成果主義」を導入したのは富士通が最初・・・とか、
1998年に富士通が新卒一辺倒の採用を改め、中途採用を導入したことにより
「日本ではこれまでほとんどなかった転職市場」が生まれた・・・とか、
その無知に対しては、ツッコミどころが満載だ。
富士通本体に対しても、(著者に反し)その理論はそれ程間違ってはいないと思うが、
残念ながらプロセスの1部を欠いたせいでシステムそのものが崩壊したのだろう。

企業活動は、社員全員の知識や技術を集めて大きなパンを獲得することだ。
それをどのように分配するのかが人事制度の根本といって良い。
全員に均等にわけるというのも1つの手だが、
ヒエラルキーによる格差の問題で共産主義は崩壊したように思う。
仕事内容による不公平感もモチベーションの低下を促す。
かつては職能資格によって分けていた。
「できる」か「できない」かによって分配するパンの大きさをきめる方法だ。
ただこれでは「できるけどやらない」人はどうするのか。
あるいはもっと可哀相な「できるけどそれを活用する場がない」人は?
・・・そういうことから「やった」か「やらない」かで決めようというのが
結果を重んじる「成果主義」だ。

ただ、誰もが感じるようにディジタルな「成果主義」は恐らく長続きしない。
人がシステムに縛られる、いわば新撰組の「局中御法度」のようになり
システムそのものに対する共感が得られないと思われるからだ。
モチベーションを維持するにはプロセスに対する評価ももちろん必要だし、
なによりシステム以前に「哲学」が必要なのではないか。
1993年に富士通が成果主義を導入したきっかけとなった
シリコンバレーにおける「Performance-based pay system」は
あくまでひとり1人の技術者の哲学によるところが多かったのではないかと思う。
それを「高い成果に高い報酬」というシステムだけを取り入れても
人はお金だけでは動かない。

人はみな自分なりの「哲学」に従って生き、
ある組織の「哲学」と共鳴することができて評価されるからこそ
モチベーションが生まれてくるのだと私は思う。
会社の存在意義・・・それは「利益」だけでも「報酬」だけでもない。
その「哲学」があればこそ、企業は生き残っていけると私は信じる。

でも読まないと、作文書けないしなー(笑)
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☆☆☆ 頌 春 ☆☆☆

2005-01-01 | 風屋日記
今日は5時起床。
白衣着物と袴に着替えて5時半に地元の神社へ。
6時より、元旦祭の式が1時間あり、その後餅まき。
7時半奉納神楽。
明け方から少し強くなってきた風に悩まされながら、
9時頃まで「三番叟」「八幡舞」「岩戸開き」「権現舞」を奉納。
10時までかかって片づけと御神酒を1杯戴いて解散。

いつのまにか風も止み、穏やかな陽光の中家族で実家へ。
およそ20cm積もった昨晩の降雪はあったものの、
本当に静かな元旦。
これから始まる新しい年が、こんな風に穏やかであれかしと願う。
コメント (2)
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