風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

東白庵 かりべ

2018-01-31 | 食べ物・お店




有名店らしい、神楽坂のそば屋さん。
なかなかいい雰囲気で
昼間の打ち合わせを兼ねたランチじゃなければ
熱燗でもぐいっと行きたいところだった(^^;

1週間かけて仕込んだという
身欠きニシンが載ったニシン蕎麦は
大好物ということを割り引いても大変美味(^^)
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東京散歩

2018-01-30 | 
先週の東京出張時、
最終日は銀座に目的があったものの
時間があったので日本橋室町からぶらり散歩。
12月に行った大阪ほどじゃないにせよ
東京にもまだまだ面白い場所が残っている。





例えば日本橋の三越本店。
かつての越後屋の威風を伝える建物だ。





日本の中心である日本橋も
明治の頃の装飾を今に伝える意匠がすばらしい。
首都高の下に隠れ、暗い雰囲気が残念。





兜町から京橋にかけても、
古き良き日本経済の活況を今に伝える。



銀座の象徴である和光。
この建物は服部時計店として昭和7年に建てられ、
空襲にも耐えて、戦後は進駐軍のPXとして使われたとのこと。
他にも、実は銀座の裏通りには歴史的なビルが残る。
そんな建物を見て歩くのは楽しい。
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お魚 浜ちゃん

2018-01-29 | 食べ物・お店




気仙沼で魚屋さんを営んでいて被災し、
娘さんの嫁ぎ先である花巻にやってきて、
家を建て、店を始めた浜ちゃん。
こじんまりとした店をやっているとの情報に
ぶらりと行ってみた。
狭い店内には加工品中心の海産物が並ぶ。

「まだ気仙沼の商工会議所会員だから」と
向こうから持ってきた海産物を花巻で売るだけじゃなく、
花巻でリンゴなどを仕入れて気仙沼でも売っている由。
昨秋ワタシが偶然行くことができた
唐桑の牡蠣まつりでも出店していたらしい。

人柄の良いご夫妻のお店。
応援します(^_-)
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寒波

2018-01-28 | 


東京出張最終日の朝、
日本橋室町にある小さなお社の手水舎にて。
かわいいつららが並んでいた。
東京にしては珍しい風景。
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焼き鯖寿司

2018-01-27 | 食べ物・お店
24日〜26日の3日間、東京出張だった。
不在中に降ったであろう雪と寒さにビクビクしながら
昨日夕方上野駅から新幹線に乗る前に駅弁GET。
福井名物 焼き鯖寿司。



こういうのに目がないワタシは
はじめに手にしたトンカツ弁当を棚に戻し、
目をハートにしながらこちらを買ったのだった。

新幹線に乗った途端に、3日間の疲れで・・・落ちた(笑)
目覚めたのは仙台到着のアナウンスで。
おー、ヤバいヤバい。新花巻までもう1時間無い(^^;
ということで、仙台で乗り降りする方々の視線を感じながら
さっそく開けてみた。



おー、結構なボリューム。
開けると同時に香ばしい香りが。
確かにこれなら注目浴びちゃうよねぇ(笑)
ひと口食べてみる。
甘辛い味付けが、想像以上の身の厚みによく絡んで美味しい。
食べてみると、シャリより鯖の方が存在感あるほど。
鯖とシャリの間には、
鯖と同じ味付けのタケノコやかんぴょう(?)が挟まり
脂質のクドさを消している感じ。



駅弁って、高い割には量も味もがっかりすること多いけど
これならヘタな店で食べるよりいいなー(^^)
次回の出張時もコレだな。
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光太郎の足跡

2018-01-26 | 散歩
昭和20年、東京のアトリエが空襲に遭って焼失。
彫刻家で詩人の高村光太郎は
かねて親しくしていた宮沢賢治の父親政次郎の誘いで
花巻に疎開してきた。
はじめは宮沢家に居候していたのだが
ここも8月10日に花巻空襲で焼け、
旧制花巻中学(現花巻北高)の元校長だった佐藤昌宅へ
そして9月には、当時花巻共立病院(現総合花巻病院)院長だった
佐藤隆房先生宅に寄宿したのだった。
その後、山奥の太田村山口(現花巻市太田山口)の山荘に移り
独居7年を過ごすことになる(現高村光太郎記念館)。

ところで、佐藤隆房先生の旧宅が現存している。
息子で、前総合花巻病院長の佐藤進先生宅は
道路に面したところに後に新築されているのだが、
光太郎が一時住んだ隆房先生の旧宅も
その後ろにそのままの形で残されているのだ。
今回特別にそのお宅の中を見せてもらい、大感激した。



門構えから玄関先の貫禄。



電話は116。救急と間違えそう(^^;



ほぼ当時のまま家そのものが残っているので
どこを見ても昭和初期(昭和3年築とのこと)の邸宅。
素晴らしい。



雪見障子どころか、障子のガラス窓が開く仕組み。
こんなの初めて見た。
飾りガラスも当時のままで、ちょっと感激。

光太郎が住んでいた部屋は次号(2/20発行)のマチココに掲載予定。
乞うご期待。
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花巻まち散歩

2018-01-25 | 散歩
ぽつりと予定の空いた週末。
こんな日は健康のためのウオーキングも兼ねて(笑)
花巻のまちをブラブラ歩いてみよう。
運動不足の普段の歩数は1日1000〜2000歩。
健康のためにはウォーキングが大切だと思いつつ
こんな時じゃないと歩数を稼げない(^^;

まずは以前から気になっていた場所へ。





市役所というより、市民体育館の裏側
屋形山車の収蔵庫前に、いまも残る武家屋敷。
多分現在もちゃんと人が住んでいる。
こんな家だったのかー。
いつもは車で通り過ぎるだけだから
ちゃんと見たのは初めて。



その並び。
この通りの向こうは鳥谷崎神社だ。
この辺りに旧制花巻中学初代校長だった佐藤昌先生のお宅があった。
花巻出身で、北海道帝国大学の総長だった
佐藤昌介博士の甥にあたる、自由主義教育の先駆者だったとのこと。
東京の空襲でアトリエが焼け、宮沢賢治宅に疎開していた
高村光太郎さんが、花巻空襲で宮沢家が焼けた後
佐藤昌先生宅に数ヶ月避難していた由。
玉音放送はすぐそばの鳥谷崎神社で聞き、
詩「一億の号泣」が書かれている。

鳥谷崎神社前にある三の丸公園?
ここもかつては武家屋敷が立ち並んでいたらしいが
ちょっとした公園になっており、花巻に市街地が一望できる。
光太郎が散歩で行った「見晴らし」とはここのことか?







その下には、これまた由緒があるという観音堂。
市の文化財である千本桂が今も元気に枝を伸ばしている。



高校時代、毎日のように通った書店「誠山房」は現在取り壊し中。
数年後にはここに災害公営住宅が建つとのこと。
人が住むまちにまるのは大歓迎だが、思い出深い場所だけにしんみり。



建物がなくなると、隠れていた部分が表出する。
誠山房の陰にこんなお洒落な建物が隠れていたのか。

仲町から今度は末広町方面へ。



ここはかつて映画館「東宝」だった建物。
今もそのまま残っているけど、使えないのかなぁ。
もったいないなぁ。



東宝横の脇道は、東北線にかかる跨線橋の下に通じる。
こんなレトロおしゃれな家が残っていた。

そして、私が子どもの頃バスセンターがあった辺りを散策。



昔は市内経済界のお歴々が通ったというてんぷら屋さん。
今は営業しているのだろうか。
ここにもレトロおしゃれな家が並んでいる。
結構昔の風情がここには残っている感じ。





バスセンター跡の向かい側には
もう営業していない風呂屋の建物が残っている。
「電話・電報」の看板がいい感じ。

坂を下りると鍛冶町だ。



このコンクリートの建物は、今は飲み屋が入っているけど
昔は銀行だったか証券会社だったか、
割と固い会社だったような気がするんだけど。
いい感じの風情あるビルだよねぇ。

鍛冶町は、その名の通り、昔は鍛冶屋さんが多かったのだろう。
考えてみればこの通りには金物屋さんが多かった。
鍛冶屋さんがたくさんいたためだったのだろうかと
今回初めて気がついた。



まだ金物屋さんが多かった名残が残る。
ここの向かいにも清水金物屋さんがあった。

鍛冶町から上町へ抜ける辺りにも老舗が。
味噌&豆腐の高民さんは江戸時代からそこにあったらしいし、



ここもかな?
このお店は記憶にすらないけど、看板がまだ残る。



子どもの頃、おばてーにも行った記憶がある。
オムライス食べたなぁ。
この隣はお焼き屋さんだった。

ということで、このあとマルカンでお昼食べて終了。
今度は双葉町から豊沢町、東町あたりを歩いてみようか。
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日本人の生活

2018-01-24 | 世界・平和
私が子どもだった頃、NHKテレビといえば
戦後すぐからの超長寿番組「NHKのど自慢」のほか、
「新日本紀行」「明るい農村」「ふるさとの歌まつり」あたりが
まず真っ先に思い浮かべる番組だった。
「新日本紀行」の冨田勲作曲のテーマ曲や
「ふるさとの歌まつり」の宮田輝司会者の笑顔が印象的だ。
これらはすべてローカル主体の番組。
これはおそらくNHKに限ったことではなく
民放においてもそういう路線の番組が多かったと思う。
なぜなら、当時の日本の生活はローカルが中心だったから。
一般の視聴者がローカルに住んでいることを前提として
その人たち向けに番組は作られていた。
まだそういう人たちが「民衆」「大衆」と呼ばれていた時代だ。

確かに当時から見れば、都会に住む人の割合は増えたろう。
しかし、その割合が逆転するほど違うだろうか。
いま都会に住む若い人たちのテレビ離れが当たり前になっている。
テレビを持たないひとり暮らしの人たちも珍しくないのだとか。
ローカルは高齢化している。
高年齢の人たちにとって一番のメディアはテレビだから
そう考えると、視聴者の割合は、
ヘタすりゃ昔以上にローカル視聴率の割合が高いのではあるまいか。
にも関わらず、今日もテレビに映るのは
あるいはテレビで話題になるのは首都圏を中心とする都市のネタ。
テレビ番組の作り手が本当に視聴率を考えるなら
ターゲットを考え直すべきときに来ているのではないか?

テレビ番組をひとつの例として挙げたが
どうも情報そのものの立ち位置というか視点というかが
「日本全国」あるいは「民衆」「大衆」ベースになっていない気がする。
どこかクールな他人事で、何に対しても批評や揚げ足取りばかり。
お笑いをはじめとするバラエティーもその通りだ。
地に足をつけ、何気ない日常にフォーカスするものが少ない。
ささやかで恙無い日常の小さな幸せをすくい取ることなく
単なる刺激ばかりが大手を振っている。

日本人はどこにいる?
8割以上の日本人たちは首都圏以外のところで
自分たちの生活を大切にしながら日々の暮らしを営んでいる。
いまそこにこそスポットを当てるべきじゃなかろうか。
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欲しかったもの

2018-01-23 | 文化
ここで何度か書いているけど
私が卒業した高校は旧制中学から続くバンカラ校。
今も続くこんな→儀式 が残る、こんな→学校 だ。
今でこそ弊衣破帽は応援団幹部だけだけれど
(入学と同時に全員が応援団入団。それを指揮する幹部は選挙で選ばれる)
私たちが現役の頃は一般生徒も弊衣破帽に下駄履きで登校していた。



かくいう私も先輩から譲られたこんな帽子をかぶり、



こんな足駄(高下駄)を履いて登校していた。

そのころ欲しくて欲しくてたまらなかったものにマントがある。



下駄を鳴らし、マントをなびかせて歩くのに憧れていたから。
今はネット通販で買おうと思えば買えるけれど
当時はどこで売っているのか見当もつかず
どこからかの古いお下がりマントを着ていた先輩たちを
羨ましく眺めていたものだった。
今でも欲しいぐらい(笑)

ところで私は今、地元の神楽に参加し、
また少々お茶をかじっている関係もあって着物を着る。
いやそれだけでなく、着物そのものが好きなのだ。
北国である当地ではいかな裏地つきの袷を着ていても、
11月なかばから3月ぐらいまでは着物の上に羽織るものが欲しい。
雨の日用に完全防水の着物コートを以前買い、
それもそれなりに防寒にはなるけれど
真冬はそれだけではちとつらい。



東京時代に浅草の中古着物屋でインバネス↑ を発見し、
買おうかどうしようか、ためつすがめつ迷ってみたものの、
よく着物散歩していた東京では、冬でも防水コートで間に合うし
花巻に帰ってから着物を着る機会があるかどうか分からなかったので
結局断念したのだった。
今になって「買っておけばよかった」と後悔している。
昭和初期頃の、仕立で作られたとてもしっかりしたものだった。

そんな中、つい先日とあるところから
これまたしっかりした作りの古いインバネスを頂戴した。
さすが昔のものは素材も柔らかく暖かく、とても良い。
フードもついているし、探してもなかなか手に入らない代物。
ありがたくいただき、冬のうちにどこかで着たいと思っている。
楽しみ(^^)
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「みやこじん」

2018-01-22 | 読書


岩手県宮古市で有志団体により発行されたミニコミ誌。
クラウドファンディングを使って作られたもののようで、
内容も面白いし、デザインも秀逸。
ラフレイアウトは発行人ご自身が手がけられ、
デザイン仕上げはマチココでもお世話になっている
花巻の田舎laboさんが担当されたらしい。

「みやこじん」とは「宮古人」と
「宮古(の)ZINE(手作り小冊子)」の掛け言葉。
サブタイトルの「まちと人をつなぐ冊子」というコンセプトが
まさにマチココとつながる。
内容的にも大変参考になるところがあるし、
丁寧に、そしてゆっくりおしゃれに作っている感じで
とても好感が持てる冊子だ。

同じようなコンセプトを持つ
同じ県内の市民参加型の小冊子同士。
これから何らかの形でコラボできるといいなぁ。

不定期発行? A5判 4C 20ページ
販売価格 1,000円+消費税
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またまた「ふじくに」

2018-01-21 | 食べ物・お店




あかん。
ハマりつつあるようだ(笑)





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子どもの頃印象深く読んだ本

2018-01-20 | 読書
ふと耳に入った懐かしいメルモの歌から「いしぶみ」を思い出し
そのついでというわけじゃないけど、
子どもの頃好きだった、今も印象深く記憶に残っている本を
何冊か思い出してみた。



「ゆかいなどろぼうたち」(トールビョールン・ エグネール著 学習研究社)
ノルウエーの作家が書いた、カルデモンメという架空の街の物語。
ロバが曳く荷車。お菓子が切符の路面電車。
どろぼうたちにすら気を使う呑気なおまわりさん。
歌や音楽に包まれた街。
カスペル、イェスペル、ヨーナタンという3人のどろぼうの名前ですら
今もはっきり覚えているほど大好きな本だった。
北欧で書かれたにもかかわらず、陽気で明るい物語。
3人のどろぼうたちの家政婦として盗まれてきたおばさんが
結果として3人に指示を出し、いつしか更生させているという面白さ。
何度も何度も読み返したものだ。



「たのしいムーミン一家」(トーベ・ヤンソン著 講談社)

おなじみのムーミンだが、よく知られるアニメのムーミンとは違い
原作のムーミントロールたちの不思議な物語。
どこか静謐でおどろおどろしく、秘密めいたムーミン谷で
ムーミントロールの一家やスナフキン、スニフたちが
子ども向けの本にもかかわらず人生を語る。
知らない世界に引き込まれるようなこの雰囲気にハマり
シリーズはほとんど読んだ気がする。



「誰も知らない小さな国」(佐藤さとる著 講談社)
これまた不思議な世界を描いた本。
大人たちが暮らす日常の生活の片隅、裏側に存在するコロボックルの世界が
妙にリアルに感じられ、それ以来カエルをじっくり観察したものだ。
コロボックルとはアイヌの伝説に出てくる小人の名だが
もしかすると、だからこそのリアリティだったのかもしれない。
このシリーズもほとんど読んだはず。
当時父から
「そういえば、10cmぐらいの小さい人が走っていくのを
 花巻の街で見たって話を聞いたことがあるぞ」
と(笑いながら)言われたこともリアルに感じた理由のひとつ。
この本が初めて世に出たのは1959年とのことだが、
当時はまだ家の中にも社会にも「闇」が存在したと思うので
私が読んだ1970年ごろよりもっとリアリティがあったのだろうと思う。



「ノンちゃん雲に乗る」(石井桃子著 福音館書店)
この本も繰り返し繰り返し読んだ。
「『いい子』ってみんなから言われる」というノンちゃんに対して
「そりゃちょっと危ない」という白いヒゲの雲の上の爺さん。
今考えてみるとなかなかのセリフだが
当時まだ10歳ぐらいだった私にもぼんやりそれが理解できた。
お母さんとお兄さんに置いて行かれたノンちゃんの悲しみもよくわかったし
ノンちゃんの生活の環境も身近に感じられた。
今になって、このお話が戦前に書かれたと知ってびっくり。
昭和40年代までは、戦前からの価値観や生活が残ってたんだねぇ。
考えてみれば、日本人の価値観や生活、まちの形が大きく変化したのは
やっぱりバブル期だった気がするよ。
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「いしぶみ」

2018-01-19 | 読書
音楽には、それを聴いた時の記憶まで合わせて
脳内に記録されるものだと思う。
だから年代によって「名曲」と言われる曲が違う。
自分の青春時代の記憶と一緒に頭の中にしない込まれている曲は
その年代の人にとっての「名曲」になるのだから。
その音楽を聴くと様々なシーンが目の前に浮かんでくる。
時にはその時の感情や気持ち、匂いさえも。

例えばそれは「荒井由実」時代のユーミンの歌。
あるいはフォークグループ「風」の歌。
1977年頃流行った渡辺真知子やサーカスの歌を聴けば
今は亡き本屋さんの店内風景が思い出されるし
1978年頃のポプコン入賞曲を聴けば
受験期の重苦しい気持ちが蘇ってくる。

小学校の頃、アニメの「ふしぎメルモ」という番組があった。
手塚治虫さん原作のアニメで、
女の子がキャンディを舐めると大人になったり子どもに戻ったりして
悪と戦う風なストーリーだったのだが、
どことなく物悲しい主題歌がいつも耳に残っていた。
その曲がどういうわけか記憶の中で「いしぶみ」という本に結びつく。
先日ラジオからその曲が流れてきた途端、それが頭に蘇ってきた。



旧制広島二中の1年生たちが勤労動員の最中に
原爆の直撃を受け、ほぼ全員亡くなった記録の本だ。
広島テレビが丹念にひとりひとりの亡くなるまでの様子を追跡し
記録した番組の書籍化で、ちょうど「ふしぎなメルモ」の放送時期に
私が手にし、読んでいた。
とはいえ、アニメを見ながら本を読んでいたわけではないし
いくら何度も読み返したといっても何ヶ月も読み続けたわけじゃない。
それでも「ふしぎなメルモ」の主題歌とこの本が
私の記憶の中でしっかりと結びついている。
だからこそ余計に物悲しいメロディという記憶になっているのだ。

当時は1971年。
彼らが生きていれば40歳近くになっていたであろう中学生たちは
本の中では当時の私の2〜3歳上の少年たちだった。
「この人たちが生きていたら・・・」と何度も思った。
歳が近い分、他人事とは思えなかった。

彼らはほぼウチの母と同じぐらいの歳。
生きていたらもう80代半ばを超えている。
13歳で途切れた人生。
それぞれ、どんな人生を夢見ていたのだろうか。
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「マエストロ!」

2018-01-18 | 映画・芝居・TV


先日書いた「恋妻家 宮本」と一緒に借りていた映画のDVDを
昨夜ようやく観ることができた。
どちらを先に見るか、いつ観るか・・・など、全く他意はなく、
先に「恋妻家・・・」を観たのもさ木に手に取ったことによるし、
この映画を昨夜観たのもたまたま時間があったからだった。

昨日は1月17日。
映画の中の阪神・淡路大震災のシーンに、思わず
「え?今日だよね」と家人と顔を合わせた。
何かに導かれたのかもしれない。
そのシーンに、雷に打たれたような気がした。
その日のことは今も鮮明に覚えている

映画の出来はまぁまぁ。
コンサート本番のシーンの団員が練習の時の倍ぐらいいて笑った(^^;
マンガが原作みたいだけど、映画にするには時間が足りなかった印象だ。
東欧人物たちのもっと細かい心理描写や
周辺のエピソードなどを盛り込みたかったんじゃないかな。
でも演奏シーンや西田敏行さんの演技はさすが。
今までクラシックは聴くけどオーケストラは興味なかったのだが
(ピアノ曲や四重奏などの小編成ものが多かった)
「なるほどこう聴けばいいのか」が理解できた。
今度意識して聴いてみようかな。

ところで松坂桃李くんはいつも同じような役柄だねぇ。
もう少し殻割ってみてもいいんじゃないかな。
内容と関係ないけど、主人公が乗る車miniがかっこいい(^^)
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Machicoco便り vol.20

2018-01-17 | マチココ
FM花巻で月に1度の「Machicoco Style」放送は明日。
1月18日(木)13:20ごろからとなります。
今回の放送では初登場の出演者が。
ラジオでも、アプリでも、要チェック!!
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