風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

古碑

2007-06-30 | 風屋日記
こんなのが残ってるのも東京。
さてどこでしょう?
たまびとさんなら分かるかも。
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血染めのバッティンググラブ

2007-06-30 | 風屋日記

これは今年3つ目のグラブ。
こんなに練習しても
1回戦を突破するのは容易ではない。
なぜなら相手もまた同じように
毎日必死の思いで練習してるから。
どんな弱小チームの部員でも、
「バカだ」「冗談だろ」と言われても、
彼らはみんな本気で甲子園を目指している。



新幹線の中からのエントリーです。
東京~山形へ行ってきます。
コメントへのレスはまた後で。
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リベラル

2007-06-29 | 風屋日記
保守本流ながら護憲の立場を崩さず、
集団的自衛権の行使は憲法違反だと公言し、
戦後民主主義を堅持して来た
宮沢喜一氏が亡くなった。

戦前に東大の学生だった氏は
学生時代からアメリカの学生とも交流し、
軍国主義へまっしぐらに転がり落ちていく日本を
大変憂慮していたとのこと。

確かにバブル経済を生み出すなど
晩年の経済手腕に疑問符をつける向きもあるが
実は高度経済成長も池田元首相の所得倍増論に基づき、
実務を担った宮沢氏の功績のひとつだった。
政府主導により民主主義が根付き、
社会が安定していたからこその高度経済成長。
猫も杓子も儲け話に飛びつき、
その結果バブルが弾けて個人が大損したことについて
自己責任も忘れて政府のせいにしたバブル経済は
そもそも宮沢氏個人の責任ではない。

「戦後レジュームからの脱却」を掲げてみせる
戦中はもとより、食糧難の時代すら体感していない
若い首相たちの危うい言動こそ「平和ボケ」の象徴。
知性を持ってそれらの時代を生きて来て
若い彼らに釘を刺すべき存在であった
保守リベラルの中心がまたひとりいなくなってしまったことに
私は大変な危惧を覚える。
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組み合わせ決定

2007-06-28 | 風屋日記
全国高校野球選手権大会岩手県予選の組み合わせ決定!!
さっき抽選を終えた次男からメールがあり、
その後で岩手朝日テレビのサイトの組み合わせ表を見た次第。

日程 & 球場調整が入るために、まだ対戦相手しか載ってないが
今のところ7月15日(日)第一試合、岩手県営球場にて。
どちらが勝ち上がってきて相手になるのかまだわからないが、
福岡高校といえば夏の甲子園出場10回を誇る古豪。
しかも我が花巻北とはいろいろと因縁の試合をかつて重ねてきた。
相手に不足なし。頑張れ。

なお、福岡高のキャッチャーは花巻出身。
うちの次男とは幼稚園から仲の良かったヤツだ。
お父さんの出身が二戸市なので福岡高に入ったが、
花北ナインには中学時代のチームメイトがたくさんいる。
そういう意味でも楽しみな一戦。
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日本語

2007-06-28 | 風屋日記
昨日の日経文化欄におもしろい記事が載ってたよ。
全国の電話帳で変わった名字を調べている方の投稿。

その中で私が特に気に入ったのは小鳥遊さん。
周囲に鷹がいなくて安全だから「小鳥」が「遊」ぶ。
よって読み方は「たかなし」さん。
他にも同じようなトンチで
山がなくて月がよく見えるから「月見里(やまなし)」さん。
冬着の綿を抜いて夏着にする季節だから「四月朔日(わたぬき)」さん。
稲穂を摘むのが旧暦八月初めだから「八月朔日(ほつみ)」さんetc.
おもしろいねぇ(^-^)

以前もここに書いたけど、日本語の表現は洒落ている。
sunriseが「かはたれ時」で、sunsetが「たそがれ時」、
薄暗くて「彼は誰?」「誰?彼は」・・・どちらもWho is he?なのだ。
「スルメ」の「スル」という言葉は縁起が悪いので「アタリメ」。
(「髭をあたる」ってのも同じ表現だよ)
先日書いた記事でも、季節は初夏だけど黄金色の麦の季節だから「麦秋」。
これまた以前書いたけど、
5番まであるご祝いの歌を端折って3番まで歌うことを「さいわい」。
日本語の表現ってのは本当に奥が深い。
こんな表現方法が私は大好きで国文科だったのだ。

世界の言語の中でも最も難しいと言われる日本語。
確かに文字だけでも漢字、ひらがな、カタカナと3種類あり、
例えば先日の記事でも書いた「死ぬ」という言葉ひとつとっても
「逝く」「亡くなる」「命を落とす」「崩御」「逝去」etc.
たーっくさん言い方がある。
日本人だって間違えやすい表現だっていっぱいあるから
(例えば「図る」「計る」「諮る」「量る」などの使い分け)
外国人が頭を抱える(ってのもおもしろい表現だねぇ)
のも無理はない。

「美しい日本」の概念を躍起となって国民に押し付けるよりも
まずは「おもしろい日本語」の概念の方が定着するような気がするなぁ。
まぁ名字のトンチなどは「日本語」というよりも
洒落でひとひねりできる、柔軟な日本人の頭脳や文化を表している。
これは生真面目で堅苦しく、決まった型にはめようとした
「教育勅語」や「軍人勅諭」などの権力サイドのプロパガンダに
ささやかな遊びで対抗しようとする
庶民の密やかなレジスタンスのように私は感じるんだけど。
厳格な校則の目をくぐって密かなお洒落を楽しむ高校生みたいに(笑)
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今週末

2007-06-27 | 風屋日記
mixiの日記にも書いたけど、今週末はハードスケジュール。
土曜と日曜の1泊2日で次男のチームは山形遠征。
それに合わせて父母会有志が参加する懇親旅行を計画した。
かみのやま温泉に1泊しつつ練習試合を観戦しようというもの。
3年生どこの家でもそうだが、
我が家でも小学校1年の時から12年間の追っ掛け生活ももうこれが最後。
親としてもせいぜい楽しみたいと考えているのだ。
朝6時に出発する子どもたちに合わせて
旅行に参加する親たちも車に乗り合わせて出発することになっている。

ただし私はその車には乗らず、ほぼ同じ時間に東京へ向かう。
今週土曜は長男が所属する大学のアメフト部のOPEN戦&イベントがあるのだ。
OB・OGと保護者などで組織する後援会が集まる日として
今年初めての開催らしい。
昨夏、長男が怪我をして入院した時にお世話になったお礼方々もあり、
また長男が受験時に入学を夢見て果たせず国立前期試験で落ちた大学が
今度のOPEN戦の相手だということもあって参加することにした。
後から聞いた話だが、
長男は第一志望のその大学に合格したらアメフト部に入ることを決めていたらしい。
そこは3部リーグに所属しているのでそこならついて行けそうと思ったのだとか。
後期で合格・入学した今の大学は2部リーグでも1部に上がろうという強豪で
ちょっと躊躇もあったらしいし、硬式野球部も所属リーグの1部にいる強剛なので
そちらへの入部も迷ったようだ。
結果的にはアメフト部に入部し、それなりについていって今があるのだが、
自分が夢見た大学のアメフト部が相手というのは何かしら思うところもあるだろう。
・・・ということで私もその試合を見てみたい(笑)
まぁその大学は近くだし、大学同士が協定を結んでいるので
そっちの大学の図書館にも文献探しによく行くみたいだけどね。

さて私の予定。
午前中のうちに国分寺に到着。
辺りをぶらぶらして多少時間を潰してから
(長男のバイト先にこっそり行ってメシを食うことも考えてる 笑)
試合会場である長男の大学へ。
13:30からのOPEN戦を観戦(母ちゃんからビデオを撮るよう依頼あり)。
その後のOB戦を横目で見つつ大学内をぶらぶらし、
16:30から構内の大学生協を会場にして開催される懇親会に出席。
これにはOB・OG、保護者、スタッフ、現役部員が参加するらしいから
長男と少しは話ができるかな?
懇親会そのものは2時間ほど続くらしいが、
私は17時半の電車に乗り、大宮から山形新幹線でかみのやま温泉へ。
先に到着している母ちゃんたちとは21時前には宿で合流できるだろう。

ハードスケジュールだけど、
昨年暮に長男たちのチームの1部との入替戦をひとりで見に行って以来
(その節はお世話になりました>たまびとさん)
何だかひとりでぶらっと出かけることが楽しくなった。
出張とは違ってラフな格好で好きな時に好きな場所へ行ってみる。
本当は土曜日は出勤日だけれど、ちょっとお休みをもらって行って来よう。
長男の方は年に一度のイベントだし、次男の方ももう最後だからね。

週末が今から楽しみだけど、
さてその前に、明日はいよいよ高校野球岩手県大会の組合せ抽選だ。
キャプテンであるうちの次男が会場のキャラホールに行ってくる。
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メンバー発表

2007-06-26 | 風屋日記
うちの子どもたちが通った小学校学区は大きく8地区あり、
それぞれに地域の大人たちが指導者を務める野球チーム、ソフトチームがある。
スポーツ振興というよりも地域活動としてPTAでも全面的にバックアップ、
夏と秋にはPTA会長名の優勝旗を争う学区対抗戦が行われる。
次男は熊野チームキャプテンとしてチームを引っ張っていた。
ライバルはパワーが桁外れ、石神チームの吠えるキャプテンIや
これまた中学生と見まがう程体も大きく冷静なキャプテンシーの北万チームTなど。
他にも各チームに同じ6年生のライバルたちがいた。
さてこの若葉小学校、学校外の大会には各地区チームの代表選手が集まり、
オール若葉チームを結成して参加している。
当然強く、息子たちの頃は毎年県大会へ出場、次男の時にはBEST8までいった。
次男はキャプテンだったが2番か7番でサード。
戦力の中心はピッチャーとファーストを兼任し、3番を打つIと
レフトを守り、不動の4番バッターだったT、そしてクレバーなバッテリーだった。

花巻中学校には2つの小学校から生徒が入ってくる。
野球に関しては若葉小の方がダントツだったので、花巻小からの1人の入部を除き
野球部はほとんどオール若葉チームがそのまま残っていた。
クリーンアップには当然、ここでも投手と一塁兼任のIやレフトのTがいる。
うちの次男は相変わらずキャプテンだったものの三塁7番が定位置だった。
小学校時代からのライバルチームがそのまま中学校へ上がった花巻北中とは
大会のたびに延長戦に入る大接戦を演じ、何度か続けてサヨナラ負けがあったあと、
3年の中総体前にあった近隣の招待試合でようやく優勝することができた。
決勝は北中とまた延長、最後に決めたのはTの意地のタイムリーだった。
IもTもたいへん真面目で信頼される人柄だったため、
2人とも学校では応援団リーダー、特にIは団長まで務めた。

花巻北高にはうちの次男とIとTが入学、野球部に入部。
特にIはその体力と馬力、そして吠える迫力で一躍人気者になった。
1年秋の地区予選では代打で登場し、逆転ホームランもかっ飛ばしている。
「くそ」がつくほど生真面目な性格と、何にでも一生懸命な態度は
野球部内だけではなく女子も含めた学年全体のムードメーカーだったようだ。
昨夏の大会でも代打で出ただけで応援席から大歓声が沸き起こっていた。
Tは苦しんでいた。
パワーではIに勝るとも劣らず、打球の早さはチーム1だったものの
生真面目でストイックな性格と優しい人柄が仇となり
試合になると上半身に力が入って結果が出ない。
もとより体は固いので守りや走塁はあまり期待できないだけに
バッティングで結果が出ないのは辛かった。
練習の時は4番候補ながら試合になると結果を出すことができないのだ。

Iが原因不明の病気で入院したのは昨年暮。
その時は検査入院だけだったのですぐに退院したものの
運動はドクターストップで、ひたすら原因を調べる検査の日々が春まで続いた。
ようやく練習に参加できるようになったのは春の県大会終了後。
あれから1ヶ月間、Iは必死でバットを振った。
守備ではみんなにもう追いつけない。自分の生きる道をひと振りに賭けた。



昨日、3年生にとって最後となる夏の大会のベンチ入りメンバー発表があったとのこと。
これまでの大会では必ずメンバー入りしていたIとT、そしてもうひとりの3年生が外れた。
試合での活躍以上にチームの中での存在が大きかったIとTのメンバー漏れは
3年生たちに少なからず衝撃を与えたようだ。
中でもうちの次男にとって、小学校時代からの戦友であった彼らがはずれ
花巻中出身は自分ひとりになってしまったという思いは強い。
外れた3人が悪かったわけではない。
2年生のベンチ入りも必要最小限にして、できるだけ3年生を入れたと思うが
勝つことを前提にメンバーを決めていった結果仕方のないことなのだろう。
「監督も泣きながらのメンバー発表だった」と次男もかなり考え込んでいるようだった。
そりゃそうだろう。監督だって彼らの思いは痛いほどわかるさ。
一昨日の練習試合は最後の思い出という意味のTの3番スタメンフル出場だったのだろう。
皮肉にも絶好調で4打数4安打。
彼がヒットを打つたびに監督は胸を引き裂かれる思いだったんじゃないか?
Iも代打で登場したが残念ながら三振。でも中途半端ではなくフルスイングしていたよ。

でもね。同学年の部員が19人(マネを入れると20人)だった時点で、
3年時に全員ベンチ入りできる可能性が少ないことはわかっていたはずだ。
必ず誰かが入れば誰かが外れる。
ただし試合はベンチ入りメンバーだけがするものじゃない。
1年生も含む54人の部員ひとりひとりに、チームが勝つための役割がある。
IもTも、そしてもうひとり外れたOも、みんなで戦おうよ。
昨夜次男には
来月の大会ではベンチにいない仲間たちの思い、監督の涙の意味を噛み締めながら
結果を恐れることなく悔いのないよう精一杯のプレーをしようと話した。
半端なプレーをしたらIやTにぶん殴られるぞ・・・と。

今回のことは最後とはいえ、たかが1大会でのこと。
3年間一緒に汗を流し、励ましあってきた時間は消えることはない。
この大会が終わり、引退すれば背番号なんて関係ない。
みんな同じ時間を共有してきた仲間だよ。
同じように3人メンバーから外れた長男の時の同級生たちのように
一生つき合っていける仲間を大切にしていって欲しい。

それにしても、次男はキャプテンという立場でいい勉強をさせてもらっているなぁ。
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その日

2007-06-25 | 風屋日記
自分の命が尽きる時のことを時々考える。
さすがに寿命の中間点はもう折り返したと思うからね(^^;
別にね、無理して長生きしようとは思わないし、
死を迎えることも恐くはない。
今までにたくさんの人達を見送ってきたからね。
自分もそのひとりになるだけのこと。
とりあえず今は息子たちに金がかかるから避けたいけど
彼らが自分でメシを食えるようになったらもういつでもOKだ。
さてその日はいつなんだろう・・・。

できることならある日突然は避けたいかな。
以前は死ぬ前にもう一度会いたい人がいるような気がしてたけど
よく考えてみると会ってどうするんだろうね(笑)
そう思ったら会えなくてもいい、会えたらラッキーぐらいに
気軽に考えられるようになった。
家族や親しい人達に囲まれて看取られるのは苦手。
ヘンな話だけど、オイオイ泣かれるまん中にいるのは嫌だよ。
(泣かれず、冷ややかだともっと嫌だけどサ)
誰もいないところでひとりで死んでいくのもいい。
でもやっぱり心の準備はしたいから
突然よりは多少のタイムラグは欲しいなぁ。
それがあまり長いと周囲の人達が大変だからね。
まぁ2~3日、長くてもせいぜい1週間あればいいんじゃない?
そしてひとつだけ贅沢を言わせてもらうと
できたら布団の上で死にたいなぁ。

たくさんの人達を見送って思うことがある。
その人の人生や性格やひととなりが死際に反映する。
みんな素晴らしかったし、深く心に刻まれている。
私もあやかりたいと思うよ。
そうあることができるようにこれからを生きていくつもり。
宣言じゃないけど、もうひとつ。
私は絶対に自ら死を選ぶことはない。
それは周囲の人達を傷つけることになるから。
自分だけで生きているんじゃないんだ。
残された人達がツライ思いをするような死に方はしたくない。

神楽で一緒のダジャレ仲間が考えた究極のギャグがある。
死の真際、周囲の人に「ひとつだけ頼みがある」
「死ぬ前に、先に棺桶へ入れてくれ」と頼み、
入れてもらったら「これでオケー」と笑って死ぬ。
残された人達はたまんないね(^^;
「あの人最後までダジャレ言って死んでったよ」と
たぶん大笑いしてくれるだろう。
こんな死に方、現実には無理だろうけど理想だなぁ(笑)

でも死の真際、このダジャレ使える人が周囲に誰もいなかったら
たぶんこの世に未練が残り、死んでも死にきれないんだろうなぁ(^^;
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岩戸開き舞

2007-06-24 | 風屋日記
これが奉納神楽の最後の演目。
この後暗くなってから、
氏子各地区による奉納演芸会が行われる。
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2007-06-24 | 風屋日記
今日は我々上根子神楽の本拠地熊野神社の例大祭。
出店も揃ってまずは神楽の奉納。
徐々に人も出始めた。
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梅雨の晴れ間

2007-06-23 | 風屋日記
空も高く。



でも国会は、
日に日にジトジト暑苦しくなりつつあるなぁ。
選挙に向けた党利党略ばかりでウンザリ。


あー、今日は酔っ払って今帰ってきたから
何を言わんとしてるか、訳分かんない(^_^;
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明日は6月23日

2007-06-22 | 風屋日記
うちの親父の15回目の命日。
そして国に切り捨てられた沖縄の
無惨で悲しい戦いが終わった日。

合掌。
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初めて来た

2007-06-21 | 風屋日記
1年前に移転した岩手県立図書館。
盛岡駅西口に建った県民交流施設アイーナの中にある。
このビルには他に県立大学大学院サテライト教室や
国際交流プラザがある。

写真は8階吹き抜けより。
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ざわわ

2007-06-20 | 風屋日記
麦秋。
まもなく麦の収穫が始まる。

    ◇      ◇      ◇

今朝の日経はツッコミどころ満載。
まずは「通信・放送に関する総務省研究会」の中間報告から。
放送やネット情報などについて規制をかける案が
大きな骨子のひとつとして盛り込まれた。
その対象にはブログや掲示板もふくまれるんだってさ。
個人情報や誹謗・中傷などが規制対象という形で
法律になる時、条文が作られることにはなるんだろうけど、
さて、私がココでよく書く
体制への反論や政治のベクトルは規制対象となるのか、否か。
針が極端に触れれば、反体制意見は全て規制対象となる。
ま、形を変えた治安維持法だわな。

どこにボーダーラインを引くことにするのか、
その検討は今の政府には安心して任せられないんだけど。

    ◇      ◇      ◇

そしてもうひとつ。
自民党の有志議員でつくる、
「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の発表。
南京大虐殺における死者数について
中国が主張する「30万人」説は誤りとの検証総括したそうな。
同会が集めた資料によれば、その死者数は
「通常の戦場以上でも以下でもない」んだってさ。

だいたい「通常の戦場」って定義はどういうことなわけ?
「通常の戦場における死者数」って一体何人?
そして何より、南京市は「通常の戦場」だったのかなぁ。
兵士同士の殺しあいなら、戦争している以上は犠牲者が出る。
「通常の戦場」なみに。
でもさ、南京陥落時の犠牲者の半分以上は一般人だったはず。
女性や子ども、老人たちなどの、いわば弱者だ。
その犠牲者数を兵士と一緒にして「通常の戦場」並みと
ゴッチャにして数えるのはいかがなものだろう。

一般人を殺すことはそれが1人だろうと国際法が許していないはず。
もちろん日本だけじゃなく、アメリカや当時のソ連も
責めを負うべきことだ。
私は「自虐的」に「日本だけが悪い」とは言ってないよ。
でも、だからといって「アイツらもやったから」と
自分達の責任を薄めるような考え方はいかがかと思うのだ。
だって、それってカッコワルイし(^^;

    ◇      ◇      ◇

閣僚の失態が続き、詭弁でそれを隠し続け、
とうとうその中から犠牲者まで出し、
それでも自分のやりたいように憲法改正への道筋をつけ、
今度は足元の省庁や公共団体の不始末が表面化すると
それぞれ、まるで他の誰かの失敗をフォローしているかのように
「今後こういうことがおこらないように」と
充分な審議もせず、選挙に響くからと慌てて強行採決。
かといって誰かが責任を負うこともない。

まるでダッチロール(死語?)状態の安倍政権。
TVの前で呆れて言葉もなくなる。
それでもこの方々に投票する人がいるのだから不思議だ(笑)

    ◇      ◇      ◇

さわわ、ざわわ・・・
人の世界がどんなにドタバタ迷走しても、
いつものように麦は静かに育ち、稲はすくすく伸びてくる。
リンゴも小さく青い実をつけ始めた。
南国のサトウキビと同様、我関せずとでもいうように。

ざわわ、ざわわ・・・
こんな風に飄々と生きたいなぁ。
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東京6帖物語

2007-06-19 | 風屋日記
昭和55~57年当時、私が住んでいたアパートは
地下鉄丸の内線東高円寺から歩いて5分、
中央線の高円寺からは10分の環七の近くにあった。
築30年はゆうに越え、もしかしたら戦前築だったかも知れない。
窓はサッシではなく、ドアもただの板で鍵も真鍮が鈍く光っていて、
畳をしいた床はビミョーに歪んでいた。
トイレは懐かしい鎖を引くタイプの水洗で、頭の上に木の水槽があった。
それでも団地サイズではなく江戸間の6帖に3帖の台所がついていたし、
押し入れも3帖の方についていて、6帖がフルに使え、
当時の学生が住むにはかなり広い部屋だったから、
(あるいは大抵一緒にいた私の当時の彼女がみんなのマドンナだったから)
4帖半に住む友人たちが毎晩のようにビールを持ってやってきたものだ。
窓をあけるとすぐ前が隣の家の壁で風なんて通らない。
もちろん風呂もエアコンなんてなかったので、
空気がこもる部屋で過ごす夏はタイヘンだった。
毎晩銭湯に通ったが、帰りにはまた汗が出る始末だった。

そのアパートの隣の角部屋には中年の夫婦が2人で住んでいた。
話しかけても応えてくれない、割に陰気な人達で、
なぜか昼間も仕事に出かけず部屋にいたような記憶がある。
1階も小さな子どもを持つ家族が何世帯か住んでいたようだった。
田舎の家に慣れていた私は、あの間取りにどうやって家族が住めるのか
とても不思議に感じていた覚えがある。
そのうちの1軒のお宅がそのアパートの管理人のような立場で
毎月家賃はそこの奥さんに支払っていた。
いつも気さくに「ご飯ちゃんと食べてる?」と
笑顔で尋ねてくれる、本当のおばさんのような人だった。

アパートの隣はパンなどを置いている小さな食料品店で、
おばあさんがひとりで店番をしていた。
ある冬の日、東京には珍しく5cmほどの雪が積もった日、
おばあさんはせっせと水を店の前に播いて雪を解かそうとしていた。
「あ、水播くと明日の朝凍ります。薄めた墨汁か灰を播けばいいですよ」
と私が言うと
「アラ、ありがとう。こんな日はやっぱり北の人に聞かなきゃダメね」
とパンをひとつくれたことがあった。
東京も捨てたもんじゃないよな・・・と思った出来事。

陰気な夫婦とは反対側の隣の部屋には
アルバイトで夜の店に勤めている関西出身のあんちゃんが住んでいた。
誰か友達が尋ねてきた気配を感じたことはなく
いつもひとりでいるようだった。
夏、台所の窓を開けて夕飯を作っているところを通りかかり、
「お、野菜炒め? おいしく作らなアカンね」と
ニコニコ話しかけてきたので関西出身と知った次第。
親密に言葉を交わしたのはその時きりだ。
他にちょっとしたトラブルがあったけど、それは秘密にしておこう。
ある晩、彼は開け放った窓から大きな声で
「東京なんてキライやぁー!! バカヤロー!!」と叫び
それっきり姿を見なくなってしまった。
彼の部屋のドアに水道局の札がかかっていたから
恐らく東京に疲れ、田舎に帰っていったのだろう。
そんな風にはなるまいと、それからの私は肩に力が入った気がする。

私が通う大学からも遠いこの場所を選んだのは
単に吉田拓郎さんの「高円寺」という歌に憧れていたから。
「地下鉄に乗って」も好きな歌だったから東高円寺のそばは好都合だった。
「杉並区」という区名にもセレブリティなものを感じていたが
実際に体験したのは古き良き下町風情の東京だった。
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