地下鉄丸の内線東高円寺の駅の並び、
青梅街道沿いの小さなビルの2階にその店はあった。
狭い階段を上ると青梅街道に面したガラス窓。
天井が低く、狭い喫茶店。
店の名前はもう忘れてしまったけれど
そこでよく食べたスタッフドポテトはよく覚えていて
その後何度か自分でも作ったものだ。
子ども達が小さかった頃、お父さんの味だったと思う。
この店には他の誰かと来るのは止そうと
まるでユーミンの歌の歌詞のような約束をした人がいて
それ以来行ったことがない。
今もあるのかどうかすらわからないけれど
少なくとも私の記憶の中には鮮明に残っている。
東高円寺の駅中にはサニーサイドアップというレストラン。
隣の本屋で買った文庫本を手に昼メシを食べによく行った。
そこから私が住んでいたアパートまでの道すがらには
大人しそうな夫婦が経営する洋食屋があった。
デミグラスソースをかけたハンバーグやポークソテーなど
懐かしい洋食をリーズナブルな料金で食べさせてくれたが、
それでも貧乏学生だった私たちは、
仕送りが入った日やバイト代を手に入れた日など
特別な日しか食べに行かなかったような記憶がある。
懐かしい味。
荻窪のひっそりと暗い住宅街の中、
その店の小窓から漏れるランプシェードの暖かな灯りは
訪れた私たちの心の中まで明るく照らしているようだった。
ワインハウス「セロ弾きのゴーシュ」。
宮沢賢治さんの童話のタイトルが店名になっていたその店には
実際には1~2度しか行ってはいないけれど
学生時代に訪れたたくさんの店の中でも
私の思い出の中にくっきりと残っている店ではある。
近くに大学の友人が住んでいた。
そのアパートへ遊びに行く道すがらに寄った思い出。
渋谷のパルコ3の中にロシア料理店があった。
そこのピロシキとボルシチが大好きだったのだが、
何せその当時は諸般の事情から仕送りがなかった頃。
1日3食どころか、1食すら満足に食べられなかった時のことだ。
その店を訪れる時はいつも誰かと一緒。
ご馳走になることが決まっている時だけだ。
高校の同級生だったから存在だけは知っていたうちの母ちゃんと
実際面と向かって初めて話をしたのはここだったと思う。
共通の友人を介してのことだ。
別に何か重要な話をしたわけではない。
当時の彼氏を追って上京してきていた彼女をからかったり
まぁ若く軽い会話だけだったような気がしている。
それでもその半年後には私も結局帰郷することとなり、
数カ月後にはつき合い始め、
初めて話した日から1年数カ月後にはプロポーズすることになる。
不思議な縁ではあった。
まだたくさん思い出はあるけど、とりあえず今日はこれだけ。
青梅街道沿いの小さなビルの2階にその店はあった。
狭い階段を上ると青梅街道に面したガラス窓。
天井が低く、狭い喫茶店。
店の名前はもう忘れてしまったけれど
そこでよく食べたスタッフドポテトはよく覚えていて
その後何度か自分でも作ったものだ。
子ども達が小さかった頃、お父さんの味だったと思う。
この店には他の誰かと来るのは止そうと
まるでユーミンの歌の歌詞のような約束をした人がいて
それ以来行ったことがない。
今もあるのかどうかすらわからないけれど
少なくとも私の記憶の中には鮮明に残っている。
東高円寺の駅中にはサニーサイドアップというレストラン。
隣の本屋で買った文庫本を手に昼メシを食べによく行った。
そこから私が住んでいたアパートまでの道すがらには
大人しそうな夫婦が経営する洋食屋があった。
デミグラスソースをかけたハンバーグやポークソテーなど
懐かしい洋食をリーズナブルな料金で食べさせてくれたが、
それでも貧乏学生だった私たちは、
仕送りが入った日やバイト代を手に入れた日など
特別な日しか食べに行かなかったような記憶がある。
懐かしい味。
荻窪のひっそりと暗い住宅街の中、
その店の小窓から漏れるランプシェードの暖かな灯りは
訪れた私たちの心の中まで明るく照らしているようだった。
ワインハウス「セロ弾きのゴーシュ」。
宮沢賢治さんの童話のタイトルが店名になっていたその店には
実際には1~2度しか行ってはいないけれど
学生時代に訪れたたくさんの店の中でも
私の思い出の中にくっきりと残っている店ではある。
近くに大学の友人が住んでいた。
そのアパートへ遊びに行く道すがらに寄った思い出。
渋谷のパルコ3の中にロシア料理店があった。
そこのピロシキとボルシチが大好きだったのだが、
何せその当時は諸般の事情から仕送りがなかった頃。
1日3食どころか、1食すら満足に食べられなかった時のことだ。
その店を訪れる時はいつも誰かと一緒。
ご馳走になることが決まっている時だけだ。
高校の同級生だったから存在だけは知っていたうちの母ちゃんと
実際面と向かって初めて話をしたのはここだったと思う。
共通の友人を介してのことだ。
別に何か重要な話をしたわけではない。
当時の彼氏を追って上京してきていた彼女をからかったり
まぁ若く軽い会話だけだったような気がしている。
それでもその半年後には私も結局帰郷することとなり、
数カ月後にはつき合い始め、
初めて話した日から1年数カ月後にはプロポーズすることになる。
不思議な縁ではあった。
まだたくさん思い出はあるけど、とりあえず今日はこれだけ。