風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

昨夜の月

2012-10-31 | 生活の風景
朧満月
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旧東海道

2012-10-30 | 散歩






北品川から品川までぶらぶら歩いた。
八ツ山橋が品川宿の入口。
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「終の信託」

2012-10-29 | 映画・芝居・TV
後半近く
役所さん演じる江木が亡くなるシーンから
落ち着いて見られなかった。
リアルな描写が20年前の親父の死と重なったから。
同じ肺の病気、判断を求められた治療。
苦しい気持ちで見た。

しかし作品全体は
周防監督作品というよりは
草刈さんの作品だ。
とても元バレリーナとは思えない全力投球。
素晴らしい。
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日曜の朝、銀座にて

2012-10-28 | 散歩
前略 
ひとりで銀座に来ています。
まだ10時というのに
まだ歩行者天国も始まっていないのに
歩道にはたくさんの人が出ています。

空には雲が低く垂れ込めて
いかにも寒々しい景色ですが、
これもある意味銀座の秋らしい天気です。

この有名な時計は定時に鐘が鳴るんだねぇ。
初めて聞きました。
何十年もの間、
一体どれだけの人達がこの鐘を聞いたのだろう。
どんな思いで。
そんなこと思いながら信号待ちしていました。

お元気で、風邪など引かないように。
暖かくしてなきゃダメだよ。
                    草々
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「風の盆恋歌」

2012-10-27 | 読書
古臭い小説。
舞台は1980年だし、主人公はすでに40代後半。
何せ旧制高校を出ている年代なのだから。
青春時代の思い出などはまるで「されどわれらが日々」。
価値観や生活様式もアナクロだ。
うちのお袋ぐらいの年代の人たちの物語だから仕方ないが、
現代の若い人たちは見向きもしないか
もしかしたら歴史小説として読むかも知れない。

が、実はその世界にどっぷりハマる自分がいる(笑)
ずーっと上の年代の話とは言いながら
その時代の残滓が残る昭和に育ったのが我々の年代。
感覚的にはよくわかるし、
主人公達と同年代のこの歳になったからこそ
作品全体に流れる風情や旅情、
そして何より雰囲気と想いが身に沁みるのだと思う。
考えてみれば1980年の自分は20歳。
登場人物清原の娘杏里やその友人妙子は同年代だろう。
なるほど主人公都築やえり子のような年代の人たちの中に
ああやって自然に交わっていたのだから
その年代のこともよくわかるわけだ。
我々の年代には20歳そこそこで
心中を試みるヤツなんていなかった気はするけど(^^;

・・・と、ここまで遠回しに書いてきたけれど
正直言って参った。降参。
何にどう参ったのかを文字に書くのは難しく
自分の文才の無さに辟易すらするけれども
とにかくずしりと両手で受け止めきれないほどの重みが
胸に落ちてきた気がする。
切ない。
でも現代のようにどこかへぶつけられる切なさではない。
内に秘めた、でもその分やり場が無く余計に燃えるような切なさ。
秘めれば秘めるほど、婉曲に伝えようとすればするほど
余計に胸をかきむしるような切なさがこみ上げる。

 「蝶の行く末の低さや今朝の秋」
 (中略)
 「枯芦の日に日に折れて流れけり」
 残り少なくなってしまった芦も、
 低くしか飛べなくなってしまった蝶も、
 まるで、私自身のように思えます。
 (中略)
 ですから、草の葉すれすれに飛ぶ蝶であっても、
 私は飛び続けたいと思うのです。
 いえ、祈るというのか。
 そんな思いを、出してはならないもののように
 しまいこんでいるというのか。

現代を舞台にすればこんな結末には絶対にならないと思うが、
この時代だからこそこの物語が成り立つんだろうな。
それにしても、50歳を越えてこんな小説を読んではいけない(笑)

いつか風の盆見に行きたいな・・・。

「風の盆恋歌」靍橋治:著 新潮文庫
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「Good Time's Rollin',bad Time's Rollin'」

2012-10-26 | 音楽
グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
星がこぼれる夜が来て
グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
雨に打たれる朝が来て

ある日 神様が現われて
すさんだおれにこう言った
だれも信じはしないけど
心の痛手はすぐ消える

グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
星がこぼれる夜が来て
グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
雨に打たれる朝が来て

おれを愛していないなら
好きな男を愛すりゃいい
どんなにおれが苦しんだのか
神様は知っている

グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
星がこぼれる夜が来て
グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
雨に打たれる朝が来て

一生酒を飲まないで
やっていけると思ったよ
おまえの思い出がいっぱいで
飲まずにはいられない

グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
愛がささやく夢を見て
グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
ひとりぼっちで目を覚ます

グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
星がこぼれる夜が来て
グッド・タイムズ・ローリン
バッド・タイムズ・ローリン
雨に打たれる朝が来て
(作詞:康珍化 作詞:康珍化)

憂歌団の名曲のひとつ
Good Time's Rollin',bad Time's Rollin'
木村充輝さんの「天使のダミ声」、
内田勘太郎さんの歌う泣きのピックギター。
この曲がなんと
NHK受信料口座振替案内CMのBGMになっていた。
ちょっとびっくり。
NHKと憂歌団って、イメージ違うよねぇ(笑)
でも改めて名曲だなぁ。
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野球だけの話じゃない

2012-10-25 | 世界・平和
大谷のメジャー行きになぜ驚く?有効な対策を取らないNPBの不思議
     (スポーツグラフィック誌「Number」Web版コラムより)

今日はドラフト。
スポーツ関係メディアはそちらで大騒ぎだろうから
その裏側でひっそりと関連コラムを読んで感じたことをネタにしてみる。

このコラム、タイトルを見ると野球の話であることは一目瞭然だが、
実はその中で引っかかった言葉がある。
キーワードは「内向き発想」。

 だがNPBがとった行動は、日本のドラフトを拒否した選手に対し、
 その後日本に戻っても高校生は3年間、大学、社会人は2年間
 ドラフトで指名できない、という
 MLBやメジャー球団にではなく、
 当の選手に罰を与えるような規則を設けることだった。

 取り巻く環境が変化した今、NPBは大きな転換を求められている。
 だが“紳士協定を破られた”“選手たちに裏切られた”という被害者意識の
 “内向きな”発想を続ける限り、NPBの未来に光明が差すことはない。

これは野球の話に限ったことじゃないだろう。
政治の世界でも、経済の世界でも、いや日本の社会全体が内向き発想。
ひどい表現をすれば「島国根性」「井の中の蛙」。
韓国が気に入らないからと韓流ドラマを放送するTV局を悪し様になじる。
中国が気に入らないからと、関係回復に奔走する政治家を「媚中派」呼ばわり。
競争するのではなく相手の足を引っ張り、出てくる杭は徹底的に叩く。
俯瞰で物事を見ないから短絡的、その先に考えが及ばないから思い込む。
その物事の前後左右上下にどんなものがあるか、どんなことが予想できるか
そんなところまで考えることも無い。

ここで話題になっている花巻東高校の大谷投手についてだって
人跡未踏の未知の世界に足を踏み出そうとしている彼を
「実力あると勘違い」「無理」「止せばいいのに」「金か?」などなど
まぁ少なくとも18歳の「少年」に向ける言葉とは思えない。
例えばこれが「声優になりたい」「歌手になりたい」「芝居をしたい」でも
同じ言葉がぶつけられるのだろうか。
もっと身近に「公務員希望」「パティシエを目指す」「医者になる」なら?

本質から目を背け(あるいは見ようともせず)
本来責められるべきではない人たちを攻撃するこの考えは
(あえて例えるなら)ごく一部(と信じたい)のイスラム原理主義の人たちが
レイプされた女性を「された方が悪い」と石打ちの刑で殺したり銃殺したり、
果ては「姦淫だ」と生きたまま火をつけるようなもの。
話が違うって?違わないよ。
話が違うと感じる人たちはすでに客観的なものの見方ができていない。

この内向き発想が彼の戦争の原因となった。
今、徐々にまた蔓延してきている内向き発想が
(「日本が一番優れている」「日本人がそんなことするわけがない」など)
また新たな忌まわしい歴史を作る事が無いよう願いたいのだが。
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惜別記

2012-10-24 | スポーツ
小久保、金本、城島、石井啄郎、田口、今岡、北川、平尾・・・
今年もたくさんの選手たちがプロ野球を去る。
しかし上記はみんなそれなりの活躍をし
自ら引退を決めた選手たちだからまだいい。
野球人生を全うしたと言えるから。

一方で「戦力外通告」という名のクビを言い渡された人たち、
いわば「もういらない」と言われた人たちもたくさんいる。
それらの人たちの名を見ると、様々な感慨を覚える。
阪神石川、蕭、西武藤田、桟原、中日平井、久本、西武星野、
ヤクルト福川、小野寺、ロッテ的場、秋親、オリックス森山、
DeNA清水、新沼、楽天下柳、有銘、佐竹、川岸などは
「ついこの前まで1軍の試合に出てたじゃないか」と思う選手たち。
それなりに活躍もし、チームを助けた選手もいる。
巨人の久米、古川、円谷、ヤクルト加藤、一場、西武阿部
そして日ハム宮本、松家などは六大学で名を馳せた選手たち。
巨人の中谷はかつて阪神の鳴り物入りのドラ1だった。
楽天の近田やオリックスの甲斐などは相当期待され、
新聞記事に取り上げられたりしながら高校から入った若手。
そして「クビ」になった選手はこの倍もいる。
それぞれの夢は途中で断ち切られた。
上記には現役続行希望の選手たちもたくさんいるが、
再度どこかのチームに拾ってもらえる選手は何人もいない。
そして「一度クビになった」記憶はいつまでも消えない。
彼らの元気にプレーする姿を思い浮かべると
なんとなくしんみりした気持ちになってくる。

個人的には
西武の平尾内野手の引退、
そしてロッテ的場捕手、秋親投手、西武藤田投手、阪神蕭投手の
戦力外通告にプロ野球の厳しさを感じた。

平尾選手は大宮東高時代守備もうまいスラッガーとして知られ、
あの薮投手に次ぐドラフト2位で阪神に入団。
内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして
また小技のうまい2番バッターとして頭角を現した。
・・・が、それが良くなかったと思うんだ。
結局便利屋に使われた挙げ句西武へトレード。
そこでも同じように便利屋みたいな使われ方をしてきた。
「チャラ尾」と言われるほど明るい性格らしいが
若手投手登板の時などは「勝たせる」とタイムリーを打ったり
なかなか男気のある選手でもあった。
怪我もあり、自ら引退ということになったようだが、惜しい。
彼のプレーはもっと見たかったな。

的場選手は明治からソフトバンクへ。
城島の控えを経験した後、なかなか出番が無いままクビに。
ロッテに拾われた後はムードメーカーとして活躍し
一時は同じくソフトバンクから来た山田秋親選手とともに
救世主と目されたはずだ。
その秋親選手も立命館大時代はスタープレーヤーだったが。
残念。

藤田太陽選手は阪神でなかなか結果を残せず西武へ。
そちらでも目に見える活躍ができなかった。
彼の場合は先発ローテーション投手として期待されたところに
もしかしたら不幸があったのかも知れない。
力はあるが先発で勝ち星を稼げなかった。
もっと地味に中継ぎなら・・・とも思うのだが。
蕭投手はもっともったいない。
力はあり、今年も1軍でそれなりの結果を出しているのに
外国人枠の関係でなかなかチャンスが回ってこなかった。
外国人投手に苦労している他チームなら充分やれると思う。
まだ若いし、今後に期待しよう。

明日はドラフト。
去る者がいる一方で
また新しく若い選手たちがプロ野球の門をくぐる。
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「Family History」

2012-10-23 | 風屋日記
火曜夜NHKでやってる番組。
昨夜は女優の余貴美子さんの家族の歴史を取り上げていた。
中国広東省から台湾へ、そしておじいさんの代に
子どもを里子に出さなければならないほど困窮し日本へ。
余さんまで18代にわたる流転の一族の記録。
「先祖のうちひとりでも欠けていればお前はこの世にいない」
という余さんのお父さんの言葉が胸に迫る。
人は誰でも、脈々と続いて来た血の系譜があるし
ワタシもそれを大切にしたいと思うのだ。

  ☆    ★    ☆    ★    ☆

明治10年代、山口県の網元(?)で生まれた吉五郎は
長じて「法律を学びたい」との向学の気に燃え、
祖父寅吉、父菊松(寅吉の婿養子)の反対を押し切って
跡取りであるにもかかわらず家出のようにして上京した。
時に自由民権運動が興りつつある時代。

吉五郎が法律を学んだのかどうか、
今のところ何の記録も無いが
上京後しばらくして陸軍に入隊したことは確か。
職業軍人として出世し皇居宮城の近衛兵も務めたらしい。
吉五郎から𨪙一と改名したのはこの頃か。
そののち転勤で岩手県盛岡駐屯地に赴任となった。
ここで出会ったのが盛岡の大店の娘サキ。
娘といっても大店の後妻に入った母親の連れ子だったため
商売にもタッチせず、すぐに嫁入りすることとなった。

新居を構えたのはサキの母親の実家のすぐそば。
旧足軽町であった盛岡市上田2丁目9番地。
スグリの木があったと記憶している人もかつていた。
𨪙一とサキとの間に5人の男の子が生まれ
(うち2人は早世)その子たちが結婚した際も
確か本籍は「盛岡市上田2丁目9番地」のままだったはず。
(他の2人の本籍をその後どうしたのか知らないが)
少なくとも末子は死ぬまでこの本籍のままだった。
そしてその子であるワタシも、多少思い入れを込めて
入籍時には本籍を変えず今までそのままにしてきた。

勤務が盛岡であった頃は
謄本や抄本が欲しい時もすぐ取りに行けたから良かったが、
東京勤務となってからはそうはいかない。
いちいち盛岡へ取りに行ったり郵送依頼したりして
花巻に残っている家族が不便していた。
「盛岡にある意味無いし、本籍変えたら?」
という家人の言葉に若干の抵抗と一抹の寂しさを覚えながら
「でも仕方ないかな。潮時かな」と
今月初旬の帰省時にとうとう転籍届けを出した。
直接会ったことの無い祖父母から唯一伝えられてきたものが
これで無くなってしまったと、喪失感がある。
将来ワタシの子孫たちがルーツを調べたいと思っても
少なくとも𨪙一夫妻の住んでいたところはわからなくなる。
サキの母親の実家に繋がる根もわからなくなるだろう。

昨夜の番組を見、
転籍をして良かったのかどうかわからなくなった。
余さんの外国人登録証には、お父さんの意志でもあろうが
出自の地として18代前の祖が住んでいた
中国広東省の小さな村の名が入っているという。
それだけ長い間脈々と受け継がれてきた一族の歴史が
単なる地名だけではなく刻まれている気がする。
ワタシは果たして籍を変えてしまった良かったのだろうか。
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ガーデニングフェア

2012-10-22 | 散歩






一昨日
日比谷公園に出掛けた本来の目的は
実はガーデニングフェア。
2坪ほどのスペースに
それぞれ独特の世界を作る造園技術に感嘆。
広い庭もいいけれど
手入れし易く、味わい深い庭が
こうやって作れるんだねぇ。
意外に面白かったなー。
写真の庭に2~3畳な小間茶室なんかあると
・・・いいなぁ(笑)

日比谷公園の花壇もきれいだったし
一般の人達が出品している
ハンギングバスケットも良かった。
サンマの匂いでいっぱいの日比谷公園を
のんびり散策(笑)
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女川支援

2012-10-21 | 散歩






昨日の日比谷公園では
宮城県女川町の支援イベント。
とは言えサンマ5千尾振る舞い以外は
あまり目立つことは行われて無かったような。
あまりにサンマの炭焼きが壮観で
インパクト有りすぎだったためだろうか。

女川町は原発もあるし
津波被害も大きかったのだが
例えば隣接する南三陸や石巻などと一緒に
復興イベントをするなど
単独開催じゃない方が
もっと効果的だったのでは無かろうか。

でも久しぶりのサンマ炭焼きは絶品(^^)
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パリの街角?

2012-10-20 | 散歩
実は日比谷(笑)
お日柄も良かったみたいで
披露宴らしき人達がいっぱい。
The Peninsulaの前の車は
新郎新婦が乗る車?
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親人間派

2012-10-19 | 世界・平和
一昨日夜のNHK番組「探検バクモン」は
池袋周辺のチャイナタウンを紹介。
新大久保周辺のコリアタウンは知ってたけれど
東京にもチャイナタウンがあったんだねぇ。
国籍や出自は違っていても
ささやかに幸せを求める人々の姿は変わらない。
それよりグローバルな人材を育てる教育にはびっくり。

ところで中国国籍の実業家の話が心に残った。
「日本人は中国の人々の声が耳に届いていない。
 同様に中国人の耳に日本人の声が届いていない。
 というより、どちらも耳を傾けようとしていない」
上海の日本大使館前での反日デモの際、
大使館の塀をよじ登ろうとした人が
たまたまその実業家の知っている人だったので
「なぜ?」と聞いてみたんだそうだ。
彼曰く「中を見てみたかったから」
つまり半日イデオロギーや攻撃を加えるためではなく
単なる好奇心だったというのだ。
デモ参加者の7割は好奇心での参加だったとも言っていた。
攻撃的な人間はほんの一部だと。
ほとんどの中国人は半日デモを快く思っていないと。

日本だってそうだよね。
中国での半日デモに対抗して日本の中国人学校などに
放火したり、窓を破壊したりしているヤツらがいる。
それを「日本人みんなが・・・」と思われたく無いよね。
どこの国にも浅はかでエキセントリックなヤツらはいる。
イデオロギーを元にデモを先導したり、
暴力を行使している中国の人たちを「すべての中国人」と
見なしてしまうのはあまりに考えが浅い。

今朝のNHKニュースでも
日中関係悪化の中、神戸の日本人と中国人との間の
親密な友好関係が報道されていた。
人と人との繋がりが不要で不毛な争いを無くす。

ところでこんなことを書くと
「親中派」とか「媚中派」とか決めつけるヤツらがいる。
「親韓派」や「媚韓派」とか言うこともある。
ワタシはどちらでもあり、どちらでもない。
あえて言うなら「親人間派」。
国籍や性別、民族の違いなど関係なく
たくさんの人たちと知り合い、親しくし、
文化や考え方や歴史を知りたい。

間違いなく言えるのは「反暴力派」。
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雨の水曜の夜

2012-10-18 | 生活の風景
さすがに昨夜のような夜はソラマチも閑散。
いつもなら20時過ぎて安くなると
あっという間に無くなる寿司もまだ残っていた。
鍋の材料を買いに行ったのだが、予定変更。
200円引きの握りと、ふと目に留まった酒を購入。

久しぶりの寿司がうまい。
酒は茨城県石岡市の知らない銘柄だが
フルーティーでほんのり甘い。
濾過前生酒だそうだ。
満足。
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ギモン

2012-10-17 | 風屋日記
どうして昔の同級生たちに会うと
今の自分ではなく昔の自分にすぐ戻ってしまうのか。

どうしてBGM付きのロマンティックなドラマシーンと
同じ風景の中に身を置いていても
現実の中、BGMが無いだけで寒々しく寂しい気持ちになるのか。

どうして他人のことならシチュエーションや気持ちがよくわかり
それなりのアドバイスが客観的にできるのに
自分のこととなるとどうすればいいかわからなくなるのか。

どうして自分の気持ちを素直に伝えることができず
つい強がったり、感情を隠してしまいがちになるのか。
そのために何度も痛い目に遭ってきているというのに
52年間まったく学習できていないのはなぜなのか。

どうして役者を目指す若い女性たちは
「女優になりたい」と言うのか。
なぜ「役者」とは言わずに「女優」なのだろうか。
また、本当になれる人は女優に「なりたい」人ではなく
芝居を「したい」人であるような気がするのだが。

これはどんな仕事にも言えることで
エンジニアに「なりたい」のか、モノづくりを「したい」のか、
研究者に「なりたい」のか、研究を「したい」のか、
作家に「なりたい」のか、小説を「書きたい」のか、
教員に「なりたい」のか、人にものを教える仕事を「したい」のか、
それによってなれるなれないや
実際にその仕事に携わった時のモチベーション、
そして守備範囲の広さに繋がると思うのだが・・・。

どうしてひとりの部屋で酒を飲みながら音楽を聴いていると
そのまま動きたく無くなるのか。
どうして煙草の煙はため息と一緒に吐き出されるのか。
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