風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

円万寺観音堂

2020-06-30 | 散歩

ぼちぼち紫陽花が見頃
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心を病む

2020-06-29 | 風屋日記
自分にも過去3度ほど自覚がある。
1度目は30歳を超えたばかりのころ。
ある日突然握力がなくなり、ペンが持てなくなった。
当時はまだPCを使っての仕事は一般的ではなく、
手書き仕事がほとんど。
ペンが持てないと仕事にならない。
会社の産業医である外科開業医のもとへ走った。
いろいろ検査した結果を確認したあと、
とても親しかった先生は私の顔をじっと見て
「医大の神経科に紹介状を書いてもいいよ。
  嫌ならとりあえず様子見てもいいけど」と静かに言った。
転職したばかりで大きなミッションを与えられ、
旧態依然とした会社運営にメスを入れ、
大改革をする仕事をほぼひとりで手掛けていたころだった。
当然のことながら社内にはまだ
相談したり、協力を願ったりする親しい同僚もいない。
それどころか多方面から強烈なバッシングを受けていた。
1ヶ月ほどして握力は戻ったけれど
のちに産業医の先生からは
「あの時は危なかったよ。無理しないように」と諭された。

2度目は直属の上司で、担当業務を手分けして担っていた常務が
ちょっとしたさもない事件である日突然いなくなった40代前半のころ。
それまでもコーポレート業務をかなり抱えていた私は
翌日から2人分の業務(その会社のコーポレート業務ほぼすべて)を
完全にひとりでこなさなければならなくなった。
朝4時起きで会社へ行き、夜家に帰るのは日付が変わるころ。
風呂にすら入る元気を失って死んだように布団に倒れる毎日だった。
常にひどい頭痛を抱え、定量の3倍の鎮痛剤を飲んでいた。
ある日、全身にくまなくひどい発疹が出てダウン。
またその産業医の先生のもとへ駆け込んだ。
先生は「とてもよく効く薬があるからちょっと待ってて」と
昼休みまで待って、自分の車に乗れと言うのだった。
連れて行かれたのはとあるホルモン鍋の店。
「これが一番効く。お腹いっぱい好きなだけ食べなさい」と
先生はニコニコ微笑むのだった。
そして病院に帰ったら入院病棟の個室に連れて行かれ
「少し寝なさい」と。
発疹は鎮痛剤過剰摂取による薬疹だった。
「肝臓が悲鳴をあげてるから少し休みなさい」とのこと。
頭痛は過度の疲労と首から背中にかけての緊張のせいだった。

3度目は結局退職につながった。
かなり高いところまで登っていた梯子を外され
足場も無くなったが、意地でも会社を休まなかった。
でも家に帰ると自室から出たくない。
週末は自室にこもって終日悶々としていた。
悶々としながら悪いことばかり想像し、それを信じたりしていた。
家ではそれまで1度も怒鳴ったりしたことがなかったのに
声をかけられると取り乱して暴れた。
とうとう家人からの
「もう無理しなくていいんじゃない?」の言葉で目が覚め
家族会議を経て数日後に退職願を提出した。
立場もあり、「会社=自分」と思い込んでいたのだったが
退職した途端に憑物が落ちた気がした。
それまで背負っていたものは何だったんだろうと呆然としたほど。

だから心を病む人たちの気持ちはわかるつもり。
自分の場合はそれでも恐らく軽く済み、すぐ気づいて改善できたが
そうではない人の方が多いのだと思う。
そうなってしまうと寄り添われるのも辛いものだ。
そっと、少し離れたところから見守るのが一番かもしれない。
「ひとりじゃないよ」というのは言葉で言ってもたぶん伝わらない。
本人がそう気づくまで根気よく待つことが大事なのだと思う。
幸せなことに、それ以来私は無理せず好きなことを仕事にできている。
会社経営的には厳しいし、思い悩むことはある。
ビジネスとしては失格な仕事しかしていないのかもしれないが
私は別にビジネスをやろうとは思っていないから気が楽だ。
仕事そのものはとても楽しい。
先のことは考えない。
今のままノンストレスで過ごした結果、
誰かの役に立っているのならそれでいい。
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「サロメ」

2020-06-28 | 読書

オスカー・ワイルドの「サロメ」を読んだのは中学時代だったろうか。
それとも高校1年ぐらいの時分だったろうか。
いずれにせよ、そのおどろおどろしい戯曲を手に取ったのは
ウワサに聞く古の異常な愛の物語という内容もさることながら
目を背けたいのに背けられない、目を惹きつけて離さない、
薄幸の画家オーブリー・ビアズリーのこの絵によるところが大きかった。
中世から近世にかけてのイギリスには全く興味なかったのに
今回もまたこの絵に惹きつけられ、
書店でレジに持っていったのは、ほぼ無意識のうちみたいなものだった。

ワイルドとビアズリーの物語というよりは
どちらかというとビアズリーの姉のメイベル・ビアズリーの物語。
はじめはメイベルは単なる語り手かと思っていたのだが
段々怪物と化していったメイベルが恐ろしくもあり、
また、ある意味メイベルによってさらに妖気を高めていった
弟オーブリーの姿も不気味だ。
それに比べると、稀代の変人オスカー・ワイルドですら
ただの平々凡々なおっさんに見えてくる。
これまでの印象では、
ワイルドに見出された名も無き貧しい絵描きオーブリー
という感じだったが、このストーリーを見ると逆ではないのか?

この作品のどこまでが史実で、どこまでがフィクションなのだろう。
調べてみると、登場人物はすべて実在のようだし
(書店のエヴァンズすらも)
事件も実際にあったことのようだから
オーブリーとワイルドの関係や、メイベルとオーブリーの関係が
作家の想像力で生み出されたものなのだろうか。
男色や近親相姦、預言者であった聖人殺し・・・と、
宗教的倫理観にがんじがらめのビクトリア時代イギリスで
これでもかというほどの破戒のストーリーには戦慄を覚えた。

ところでこの時代のイギリスと比較すると
(カフェでメイベルをなじったダグラスに、近くに座っていた紳士が
  「公衆の面前で女性をなじるとは!」と諫めるほど倫理的な社会)
現代の世界は驚くほど自由だ。
強制的にがんじがらめの世界からは必ず破戒が生まれる。
この時代然り、禁酒法時代のアメリカシカゴも然り。
人を縛ることはできない。
どこかで必ず反動生まれ出る。
自由の中にこそ人が息をし、生きていく空間ができる。
特に芸術においては。
だから昨年来問題となっている愛知トリエンナーレにおいて
名古屋市や文化庁が口を挟む行為は間違っている。
芸術とは、その表現範囲において
社会や国が抑制させるべきものじゃない。
本書を読んでそれを一層感じた。

原田マハさんは好きな作家なので
その作品はけっこういろいろ読んできたが、
本書は異色にして、別世界に羽ばたいたものと思う。
キュレーターでもある原田さんの面目躍如。
語り場を現代にしたことや、
章の切れ目を黒いページにしたことも含め、編集・構成も見事。
引き込まれて一気に読んだ。

「サロメ」原田マハ:著 文春文庫
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古民家カフェ「茶居家(サイケ)」

2020-06-27 | 食べ物・お店

盛岡市みたけにある不思議な店に、
古い知人とのランチデートのため、ちょうど1年ぶりに訪問。
店内が実にレトロで、サイケで、ファンキーな感じ。
このカオスな感じ、好きだわぁ(^^)


注文したのは、「大人気 必殺! 角煮丼」。
いろいろ迷った挙句、1年前と同じメニューとなった(笑)
トロトロの角煮がサイコー(^^)
味噌汁もばっちりカツオ出汁が効いていて美味しい。


食後のコーヒーもなかなかの香り。
織部焼の湯飲み茶碗がまたいい雰囲気を醸している。

古い友人とは、軽口を叩きながらもちと重い話。
親の病気の中、自分も病気が判明して来月手術とのこと。
病気が判明した途端に勤務先を解雇になったらしく
(それも強制的に自己都合扱いで)
様々重なった結果、手術後は盛岡を引き払って
地元に帰ることを決めた由。
昨秋からこういう話が身の周りで多く出ている。
今日の彼女はワタシよりはるかに若いけど、
自分も含め、年齢的にもいろいろ変わり目なのかな。
手術が終わったら送別会しなきゃ。
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あと5日

2020-06-26 | マチココ
Machi R&Eで行っている
「花巻みらいチケット」事業も、「マスク回収」事業も
今日を含めあと5日間。
これまで多数のチケット購入があり
それぞれのお店に還元してきましたし、
マスクもかなり集まり、
第1陣をルンビニー苑さんにお届けしましたが、
あと数日もうひとふんばり、
情報拡散も含め、よろしくお願いします。

花巻みらいチケット事業

マスク回収事業
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例大祭

2020-06-25 | 神楽・芸能
上根子熊野神社の例大祭祭式は
本殿にて本日11時より。
式の中で権現舞は奉納するものの
神楽殿での神楽奉納や直会は行わないことに。
次はいつ神楽のご披露ができるだろうか。
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上根子熊野神社例大祭

2020-06-24 | 神楽・芸能

明日は毎年恒例、
上根子神楽本拠地である熊野神社の例大祭。
いつも行っていた神楽殿での神楽奉納は
新型コロナウイルス感染予防の観点から中止となったが
2月の春祈祷以来久しぶりの権現舞だけは
祭式の中で社殿にて行うこととなった。
4ヶ月出番がなかったのは初めてじゃないかな?
疫病退散も願いつつの奉納。
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毎年6月23日の祈り

2020-06-23 | 風屋日記
今日は親父の28回目の命日。
あの日は肌寒い日だった。

そして沖縄戦終結から75年目。

合掌

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「最愛の子ども」

2020-06-22 | 読書

小説を読む楽しみのひとつは
自分以外の人(作家)の視線で社会を見る疑似体験できること。
何度か書いているけど、だからこそ私はよく女性作家の小説を読む。
女性目線で社会がどう見えているのか、どういう視点を持っているのか
物事の対してどういう思考回路になるのか、
もちろん人によって違うとは思うけれど、大枠では大変興味深い。
で、本作は男女別クラスを持つ私立高校の女子高校生たちの群像劇だから
ほとんど女子校の雰囲気の中で、語り手である「わたしたち」に同化する
とても貴重な読書体験となった。

よく「夢見る少女」的な表現を目にすることがあり
妄想と空想と、仲間内での擬似社会の中にハマりがちと感じるけれど
それは恐らく「女性」という自我と生きにくさとのギャップや
リアルな家族、リアルな社会と理想のギャップがなせることなのかと
本書を読んで思った。
彼女たちは自身が築く宇宙の中で、現実と必死に戦っているのだろう。
男子高校生は自分の未来を思い描いたりすることはあっても、
基本的には刹那的なので、恐らくこういうことはない。
女性が男性よりも社会性がある証左なのかも知れない。

松浦さんは「セバスチャン」や「ナチュラル・ウーマン」、
そして話題となった「親指Pの冒険」などをこれまで読んでおり
寡作ながら作家買いする小説家のひとり。
(本書もほぼ作家買い)
前段に書いた「女性目線の疑似体験」という意味では
とても興味深くこれまでも読んできた。
特に今回は『わたしたち』という書き方に驚いた。
「『わたし』って誰?」とと途中からまた最初に戻って読み直したほど。
高校生たちの名前がたくさん出てくるけれど
『わたし』に比定できる登場人物はいない。
群像そのもの(本作内では『目撃者』)が『わたしたち』なのだった。
そして独特な表現や言い回し。
「圧倒的に強い大人の前で
  自分たちが非力なことがわたしたちをみじめにさせる」とか
「港って旅立つ場所っていうより
  帰って来ないといけない場所みたいに見える」とか
「道なき道を踏みにじり行くステップ」とか。
そして女子高生たちの世界を作る原因となる社会とのギャップは
そのままひとりの独白につながっていく。

 「いったいどれだけ賢ければ波風立てずに生きて行けるのだろう。
   どれだけ美しければ世間に大事にされるのだろう。
   どれだけまっすぐ育てばすこやかな性欲が宿るのだろう。
   どれだけ性格がよければ
   今のわたしが愛せない人たちを愛せるのだろう」

こんなセンシティブな独白は男子高校生たちからは出てこない。
いかに茨の道があろうとも、男の目には入っていないから。

日夏はひとりでも道を切り開いていくだろう。
私的には大人になった真汐と酒を飲みながらゆっくり話してみたい。

「最愛の子ども」松浦理英子:著 文春文庫
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「塀の中の中学校」

2020-06-21 | 映画・芝居・TV

DVDレンタルで借りてきたものだから、映画かと思っていた。
2010年の秋にTBS系で放送された単発ドラマとのこと。
モンテカルロ・テレビ祭で最優秀作品賞、モナコ赤十字賞と
渡辺謙さんが最優秀男優賞を受賞したのだそうだ。

初っ端、主役の渡辺謙さんが花巻出身という役柄に驚いたが
なぜかというのは後半わかる。
フィクションながら、ドラマ制作に先立って放送された
ドキュメンタリーが下敷きにあるという。
なんか、人間って哀しくも愛すべき存在だなと感じられる作品だ。
人は罪を犯すけれど、その事件には背景がある。
(現代では事件を起こす背景まで思い及ぶ人は少なく、
  罪の表相に対して罵倒の声がオンライン上を飛び交う)
その心の闇を埋めるものが中学校での達成感だったのだなぁ。

渡辺謙さんと、面会に来た息子役の森山未來さんのやりとりが泣けた。
実際にこの時、左半身が不自由だったすまけいさんも
そのままでの迫真の演技が見事。
大滝秀治さんといい、すまけいさんといい、
いい役者さんたちがこの10年で亡くなってしまった。
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岩手山麓

2020-06-20 | 

 くらかけ山の雪  宮澤賢治

 たよりになるのは
 くらかけつづきの雪ばかり
 野はらもはやしも
 ぽしやぽしやしたり黝んだりして
 すこしもあてにならないので
 まことにあんな酵母のふうの
 朧ろなふぶきではありますが
 ほのかなのぞみを送るのは
 くらかけ山の雪ばかりです

この日のくらかけ山は、この詩とは違って初夏。
平地では新緑の色も濃くなってきているけれど
標高が高いここはまだ緑のグラデーションだ。
登山口の下草も生え始め。
きれいな広葉樹の森になっている。

6/7は石井県令邸のある盛岡市内から
小岩井農場を通って岩手山麓へドライブ。
木々のトンネルを抜けた先はくらかけ山の登山口と
相の沢キャンプ場がある。
30度近い好天で、キャンプ中の方々もちらほら。
キャンプ場に隣接の牧場では
牛が気持ち良さげにゆったりと草を食んでいた。


偶然にも、くらかけ山から下山した
高校同級生で医師のWTくんご夫妻とばったり遭遇。
ちょうど良いトレッキングになるからと
時々登っているのだそうだ。
腰が治ったら行ってみようかな。


岩手山登山口からは
盛岡市内から眺める端正な姿とはちょっと違う
険しい岩手山お姿が仰ぎ見える。

目的地だった「ゆこたんの森」はコロナの影響で休業中。
他の温泉もいくつか休業していたため
玄武温泉まで降りて、鉄分の多い湯に浸かってきた。


帰り道はいつもの「小岩井1本桜」の前を通る。
花の季節じゃなくても絵になるなぁ。

自然の恵みや、人が作り出せない美しい風景に癒され、
車のエアコンを切って窓を全開にして走り、
マイナスイオンを体いっぱいに浴びながらのドライブ。
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石井県令邸

2020-06-19 | 文化

ちょっと前になるけれど
6/7の日曜日は明治18年に建築されたという
盛岡市の歴史的建造物石井県令邸の内部公開へ。
普段は公開していない屋根裏なども見せてもらえるとのことで
楽しみに、初めて訪れてみた。



蔦で覆われた木造洋館の美しさは特筆もの。


明治前期の建物に色々と想像が働く。
なにせ明治18年というと石川啄木すら生まれる前年。
明治維新から20年も経っていないから、
まだまだ江戸期の記憶が鮮明ながら、
文明開化が進んでいた頃だ。



アーチ窓の意匠が素晴らしい。
特にこの季節は窓の外の蔦の新緑がガラスに映えている。


半地下の、当時の厨房も拝見。
これはまるでカタコンベ。


柱が無く、天井から吊るされた踊り場が面白い。
こんな造り方は見たことがない。


各部屋に設置された暖炉。
このタイルも凝っている。



屋根裏部屋の天窓からは岩手山が一望できる。
この屋根裏部屋で驚いたのは
戦後、進駐軍がこの建物を接収していた際の名残。




貼ってあったと思われるポスターの名残りや
片隅には食べた後の缶詰の空き缶がそのまま残されていた。
75年前がついこの間のようだ。

盛岡といえばそこそこの都会。
そのど真ん中に広い敷地があり、この建物が残されている。
最近の盛岡は、仙北町の町家や旧料亭の大清水多賀、旧料亭丸竹、
そしてバスセンターなど、古い建物が次々に姿を消している。
壊すのは簡単だが、古い建物には
たくさんの方々の思い出や想いが込められていて
その存在そのものが文化だと思うのだ。
再開発の名の下に歴史や文化が次々に姿を消し、
無機質な(全国どこにでもあるような金太郎飴のような)街に
情緒あふれる盛岡も徐々に変わって来ているのを感じる。
石井県令邸や県公会堂のような歴史の証人となる建物が
もうこれ以上壊されないよう願ってやまない。
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北田屋

2020-06-18 | 食べ物・お店
6/7の日曜日は、本当に久しぶりに、
盛岡は仙北町駅前の北田屋のそばでランチ。
何年振りだろう。



ここのそばはずしりとしていてコシもあり
味はもちろんボリュームも満点。
写真は冷やしおろしそばと賑わいそば。
どちらも冷たいそばだったけど
できれば蕎麦湯も欲しかったな(^^;
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「銀河鉄道の父」

2020-06-17 | 読書

芥川賞や直木賞受賞作はもれなくベストセラーになるので
それにすぐ飛びつくのがちょいと悔しくもあって、
だいぶ時間が経ってから、おもむろにページを繰ることが多い。
しかも、個人的に馴染み深過ぎることから複雑な思いを抱いている
宮沢賢治さんが主題という作品だから、
全く手に取ることがなく終わる作品になる可能性が正直あった。
ふと読んでみようと思ったのは
それまであまり語られることのなかった政次郎が主人公だったから。

賢治さんの(社会人としての)ダメっぷりはこれまで見聞きしてきたそのまま。
古くから花巻の「まち」に住む者たちにとっては
ここに描かれている賢治さんこそがまさしく賢治さんの実像だ。
私の父(大正12年生まれ)が小さかった頃は
宮沢家のすぐそばに住んでいて、祖母がイチさんと仲が良かったらしく
よくイチさんが父の家に「お茶っこ」飲みにきては
「おらほのケンヅにも困ったもんだ」とこぼしていたと聞いていたから
そういう意味では抵抗なくこの作品にも入り込めた。
聖人に描かれていたら多分途中で読むのを投げ出していただろう。
(人間らしさこそが賢治さんの魅力)
このダメっぷりについては、印象的な表現がった。
現代の若い人たちも共感する部分かもしれないので
ちょっと抜き書きしてみよう。

 大人同士の厳しい関係に耐えられなかった。
 ふつうの会話ができないのだ。
 質屋の帳場に何度すわっても客との談判ができず、
 世間ばなしはなおできず、ろくな仕事にならなかったのは、
 ほかでもない、客が大人だったからなのである。

うまい表現だ。

しかし政次郎の人となりは全く目からウロコ。
でもだからこそ「なるほど」と得心したこともある。
賢治さんの死後、政次郎が浄土真宗から日蓮宗に改宗した事実について
ずーっと「なぜだろう」と心に引っかかっていたのだ。
宮沢家といえば、今も市内におおきな力を持つ「宮善」はもちろん、
かつての「宮右」も「まちの旦那衆」を代表する家。
宮沢家菩提寺の安浄寺にとっては最も大事な檀家だろう。
そこを抜けるということは、単なる「改宗」という概念どころでは済まない
花巻のまち全体にとっての大事件だったはずだ。
そうまでして改宗した動機はなんだろうと長いこと心に引っかかっていた。
なるほどこれならよくわかる。

私の親は「こうすべき」「かくあるべき」「こうなれ」という
まぁ一般的な旧来の「躾」で子に接してきたように感じてきたが
確かに私が好きなことをやっている姿には目を細めていたように思う。
特に読書と文章を書くことに関して親父は
自分も若い頃から文芸同人誌を作っていたこともあり
おなじベクトルに育っている長男の嗜好を否定はしなかった。
さすがに将来の人生設計に関することについては
(例えば大学進学や就職、就職地のことなど)
長男として、家の跡取りとして・・・というガチガチの伝統的価値観で
かなりきつく「指導」していたように思う。
残念ながら、当時の私は本書の賢治さんよろしくいうことを聞かない。
自分で勝手に進路を決め(といっても多少の妥協はあった)
親の脛をかじり、親の心子知らずをひたすら実践した。
(母は自分の希望通りに育たないことを今に至るまで嘆いている)

そんな経験をしながら育ってきた私は
自分が男の子2人の親になった時はそうなるまいと意識してきた。
自分が幼児〜小学生時分に親に言われて嫌だったことは極力廃し、
当時自分にも幼いながらも自我があったことを思い出しては
息子たちにも彼らの意思や人格を尊重してきたつもり。
とはいえ、人は幾つになっても未熟なものだから
後から反省し、更に熟考することも多々。
幸い息子たちは地域の方々にも目をかけてもらいながら
そのまま真っ直ぐに育ち、巣立っていったが
父親としていかにあるべきかは本当に難しいものだと思う。

本書の政次郎は著者本人なのではないか?と感じた。
自らの思いや迷いを政次郎に重ね合わせた作品。
だからこそ「フィクション」を強調している。
がしかし、政次郎の心情もそんなに違わないのではないかと
病気の息子の看病エピソードや改宗などの事実から推測した。
政次郎を主人公としながらも、
実はイチや子ども達の目線を通して描かれる政次郎像。
この表現方法には「やられたなぁ」というのが正直な感想だ。

ところで、ところどころ腑に落ちない記述や表現があった。
例えば賢治さんが入学した小学校が実際の「川口尋常小学校」ではなく
「本城尋常小学校」と記されたのはなぜ?
(入学後に「花城尋常小学校」と名称が変わったのは事実に基づく)
また方言も「・・・してけらいん」は伊達言葉であり
岩手県内だと水沢以南の言葉なのでちと間違っている。

 雪とは例の「あめゆじゅ」だろう。
 トシのもとめに応じて賢治が庭から二椀さらってきた 
 至誠のみぞれ、末期の水。

という表現の中の「至誠のみぞれ」というのももうひとつ理解しがたい。
また、亡くなる少し前に勤めた東北採石工場技師時代を端折ったのは
(そこでの無理が結果的に賢治さんの命を縮めた)
どうしてなのだろうかという疑問も感じた。
そのあたりがちょっと残念。
タイトルも(個人的な感想だが)イマイチだなぁ。

「銀河鉄道の父」門井慶喜:著 講談社文庫
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大丸食堂

2020-06-16 | 食べ物・お店
西和賀では前回に続き
湯本温泉街の中にあるこの食堂へ。


名物のゴマみそぜんまい焼きそばは絶品。
甘めの味噌味にゴマの風味が活き、
ぜんまいの歯ごたえがなんとも言えない。


舞茸ラーメンの舞茸はおそらく天然物。
香りが強い。


隣に座るおばあさん2人が
「座布団つかってや、安ぐしとぐがら 笑」
楽しい・・・が
その2人同士の会話は半分も理解できなかった(笑)


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