ここ数日、ブログ仲間の方々のエントリーに訃報が相次いだ。
rinrinさん、
imuimuさん、
miredoさん。
それぞれ割に近しい方々のご不幸だったようだ。
そういう季節なのだろうか。
たぶん今回相次いだ訃報は違うと思うが、
青森、秋田、岩手の北東北3県は自死が多いことで知られる。
経済的に厳しい地方であることも影響しているとは思うが、
(統計などはないけれど)実はこの季節に多いのではなかろうか。
というのも、秋が深まり徐々に寒さがやってきて
間もなく雪に閉ざされるこの季節は
こんな私でも何となく気持ちが滅入りがちになるからだ。
雪が降ってしまえば気持ちは切り替わるのだけれど
「間もなくですねー」と挨拶を交わし合う微妙な季節。
畑や田んぼは寂しい姿となり、木々は徐々に衣を脱ぎ捨てる。
数日おきに冷たい雨が降り、
そのたびに山々の白い帽子はだんだん下へ降りてくる。
とにかくストーブなしでは過ごせない真冬と違い、
家の中でもストーブはギリギリまでつけない。
寒さで段々体は縮こまり、意識は内へ内へと籠っていく。
この気持ちは北東北独特のものなのだろうか。
他の地域ではこの季節、どのような意識で過ごすのだろう。
ところで花巻地方で人が亡くなると
まず通夜(というかお逮夜あるいはお念仏というが)があり、
だいたい3日後に近親者だけで火葬に付し、
葬儀は5日目ぐらいを目安に暦を見て決めるという段取りとなる。
お念仏とは檀家となっている寺の念仏講の方々が先導役となり
大きな数珠をみんなで回しながらお経を唱えたりご詠歌を歌う会。
近隣の人達が参列者の中心だったりすることが多いイベントだ。
盛岡でも同じ順番ながら、お念仏はあまりないらしい。
そして参列者は火葬か葬儀かどちらかに出れば良いこととされる。
だから火葬でも受付を出すし、たくさんの人が参列する。
高々40kmぐらいしか離れていない花巻と盛岡ですら
少しずつ慣習や火葬・葬儀の扱いや礼儀が違うのだから
全国的なフューネラルイベントはどれだけ違うのだろうか。
東京辺りでは告別式を行い、
終了後に近親者だけで火葬に向かうやり方が一般的なのかな?
当地で先に火葬を済ませるのは、
葬儀までの間にしなければならないことがたくさんあり、
日数がかかるから遺体がもたないためだろうとは私の勝手な想像だが
それじゃもっと南の地方ではどうなんだろうとの興味もある。
こういう生活習慣の違いを調べるのは立派な比較文化学。
他国、多民族も含め、その違いを知り、理由を調べてみたいものだ。
当地のやり方についていいなと思ったのは
親族や家族が火葬によって気持ちの整理をつけることができ
葬儀は比較的静かに、しめやかに送ることができることだ。
特に喪主となると自分ひとりの悲しみに暮れているわけにはいかない。
少なくとも親父の時は先に火葬でよかったな。