正直言って、甘々のファンタジー。
でもね、小説だからこそそういうのは嫌いじゃない。
「人間っていいな」と思わせてくれる場面があってもいい。
現実はもっと厳しいからこそ。
ちょっと胸にチクりと来た言葉があった。
このセリフは主人公の悦子さん。
映画では吉永小百合さんが演じるらしい。
吉永さんの口からこういうセリフが出て来たら
そのまますーっと心にしみ込みそうだ。
「過去を懐かしむことが出来るってことは、
あなたたち二人はきっと、
いまの自分自身をちゃんと大事に思てるってことだと思うわ。」
「過去を懐かしむことって、
自分の生きてきた道のりを受け入れられている証拠でしょ。
辛かったことも含めて、
これまでの人生の積み重ねをまるごと肯定できているから、
あなたたちは『懐かしい』っていう気持ちで当時を思い出せるのよ。
もっといえば、
その積み重ねそのものが、いまのあなたたちなんだから、
自分を肯定して、受け入れて、
大事に出来ているってことになるでしょ。」
「自分の積み重ねてきたモノを大切に思えて、
他人の積み重ねてきたものも大切にしてあげたいって思えたら・・・。
きっとその人は大人になれたってことなんだと思うわ。」
「虹の岬の喫茶店」森沢明夫:著 幻冬舎文庫
でもね、小説だからこそそういうのは嫌いじゃない。
「人間っていいな」と思わせてくれる場面があってもいい。
現実はもっと厳しいからこそ。
ちょっと胸にチクりと来た言葉があった。
このセリフは主人公の悦子さん。
映画では吉永小百合さんが演じるらしい。
吉永さんの口からこういうセリフが出て来たら
そのまますーっと心にしみ込みそうだ。
「過去を懐かしむことが出来るってことは、
あなたたち二人はきっと、
いまの自分自身をちゃんと大事に思てるってことだと思うわ。」
「過去を懐かしむことって、
自分の生きてきた道のりを受け入れられている証拠でしょ。
辛かったことも含めて、
これまでの人生の積み重ねをまるごと肯定できているから、
あなたたちは『懐かしい』っていう気持ちで当時を思い出せるのよ。
もっといえば、
その積み重ねそのものが、いまのあなたたちなんだから、
自分を肯定して、受け入れて、
大事に出来ているってことになるでしょ。」
「自分の積み重ねてきたモノを大切に思えて、
他人の積み重ねてきたものも大切にしてあげたいって思えたら・・・。
きっとその人は大人になれたってことなんだと思うわ。」
「虹の岬の喫茶店」森沢明夫:著 幻冬舎文庫
茶道のルールはお点前だけではない。
季節によって飾るべき花、掛けるべき掛け軸、
そして使うべき道具などがマニュアル化されている。
道具が変わると所作も変わってくる。
覚えなければならないことは山ほどあり、
だからこそ修練には長い時間がかかる。
一生修行だと言ってもいい。
確かに所作はすべて意味がある。
例えば茶碗の仮置きの際、右手で置くか左手で置くか、
着物を着ればよくわかる。
間違うと袂が建水にかかって汚れたりするからだ。
実によく考えられた所作のルールなのだが、
それを「そこは右手で」とかいう教えられ方をすると
なかなか覚えられず、「茶道は面倒」ということになる。
基本の所作はきちんと身につけたい。
でもね、ワタシが茶の湯に面白さを感じるのは
実はその空間のデザインだったりする。
客が「なるほど、そうきたか」と感じるような
茶室のデザインを考えるのは楽しい。
だからワタシはマニュアル通りの茶の湯には興味が無い。
基本を抑え、失礼にならなければ、
自分なりの空間デザインや道具を使うことこそ、
そしてその道具類を決して価値や価格で決めずに
あくまで自分の感性で選ぶことこそ
茶の湯の真髄だと思うのだ。
利休さんがそういう人だった。
今の「マニュアルの茶道」はすべて利休さんの真似だ。
写真は江戸千家家元が雑誌に連載していた記事。
写真にあるような空間デザインが素晴らしい。
こういう茶の湯をワタシは求める。
昭和40年代。
今当時のことについて高度経済成長ばかりが語られるが
実はその影で公害に苦しむ人たちがいた。
水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく・・・
経済偏重主義社会がもたらした暗い過去であり
現代中国がその後を追っている。
アベノミクスは「あの夢よ、もう一度」なのだろうが、
そのために犠牲になる人々をもう出してはならないと思う。
しかしながら・・・残念ながら・・・
あまり知られていない現実。
「美味しんぼ」は警鐘だ。
2013.3.20 福島県飯舘村「大変なことが起こっているよ」
今当時のことについて高度経済成長ばかりが語られるが
実はその影で公害に苦しむ人たちがいた。
水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく・・・
経済偏重主義社会がもたらした暗い過去であり
現代中国がその後を追っている。
アベノミクスは「あの夢よ、もう一度」なのだろうが、
そのために犠牲になる人々をもう出してはならないと思う。
しかしながら・・・残念ながら・・・
あまり知られていない現実。
「美味しんぼ」は警鐘だ。
2013.3.20 福島県飯舘村「大変なことが起こっているよ」
これまでの2作とはタッチが全く違う。
が、あいかわらず色彩豊かな表現。
色がそれぞれの登場人物を表している気がする。
あからさまに、飾ること無く、計算すること無く
すべてをさらけ出して激しい恋をする女性の物語。
解説に「男の性は放出するが、女の性は内に抱え込む」と
見事にひと言で言い表す言葉があり、納得。
これだけ全身全霊、果ては命までかけて恋をし、
それによって激しい、生きるエネルギーを得る女性。
やっぱり男は敵わない。
絵画について、面白い視点があった。
もちろんそれは絵に限らず
表現活動全般について言っていることなのだろうけど
男性である私にはこれはよくわからない。
女性ならではの視点、観点なのかも知れない。
「とてもいい絵だと、てらいのない、正直な絵だと、
瀬田君が言っていました。
私はそのとき、絶対にあなたの絵を見たくないと思っていた。
私は必ずあなたに嫉妬するだろうし、
あなたの絵を、いいとは思わないだろうって、
そう思っていました。
でも、今あなたに会って、助けてもらって、
こうやって真摯に話を聞いてもらったら、
もう、あなたのことを、いい人だと、信頼に値する人だと思って、
私はきっと、あなたの絵を好きになるだろうと思うんです。
そんなの、おかしいでしょう。」
「私は結局、自分にとって都合のいい人の作品を良く思って、
嫌な人の作品は、価値がないと思う、
その程度の人間なんですよ。
そして、そういう人は、たくさんいると思うんです。」
「赤が嫌いなときに見る赤と、
赤が大好きなときに見る赤は、全然違って見えるけど、
赤そのものは、ずっと赤なんです。
赤であり続けるだけ。
見る人によって、それがまったく違う赤になるというだけで。」
「白いしるし」西加奈子:著 新潮文庫
が、あいかわらず色彩豊かな表現。
色がそれぞれの登場人物を表している気がする。
あからさまに、飾ること無く、計算すること無く
すべてをさらけ出して激しい恋をする女性の物語。
解説に「男の性は放出するが、女の性は内に抱え込む」と
見事にひと言で言い表す言葉があり、納得。
これだけ全身全霊、果ては命までかけて恋をし、
それによって激しい、生きるエネルギーを得る女性。
やっぱり男は敵わない。
絵画について、面白い視点があった。
もちろんそれは絵に限らず
表現活動全般について言っていることなのだろうけど
男性である私にはこれはよくわからない。
女性ならではの視点、観点なのかも知れない。
「とてもいい絵だと、てらいのない、正直な絵だと、
瀬田君が言っていました。
私はそのとき、絶対にあなたの絵を見たくないと思っていた。
私は必ずあなたに嫉妬するだろうし、
あなたの絵を、いいとは思わないだろうって、
そう思っていました。
でも、今あなたに会って、助けてもらって、
こうやって真摯に話を聞いてもらったら、
もう、あなたのことを、いい人だと、信頼に値する人だと思って、
私はきっと、あなたの絵を好きになるだろうと思うんです。
そんなの、おかしいでしょう。」
「私は結局、自分にとって都合のいい人の作品を良く思って、
嫌な人の作品は、価値がないと思う、
その程度の人間なんですよ。
そして、そういう人は、たくさんいると思うんです。」
「赤が嫌いなときに見る赤と、
赤が大好きなときに見る赤は、全然違って見えるけど、
赤そのものは、ずっと赤なんです。
赤であり続けるだけ。
見る人によって、それがまったく違う赤になるというだけで。」
「白いしるし」西加奈子:著 新潮文庫
左肩が痛くて上がらない。
かれこれ3ヶ月ほどになる。
「ははぁ、これが五十肩というヤツね」
と、はじめは余裕をかましていたが、
引越し前後から生活にも支障を来たすようになった。
何しろ上着を着るのにも一苦労する。
・・・ということで、花巻で鍼に通い始めた。
以前にも一度だけ行ったことのあるいゆ鍼灸院。
のどかな田園風景の中にある。
それからかれこれ1ヶ月以上。
いゆさんの話によると、これは五十肩ではない。
腰から首筋にかけて筋肉がガチガチに硬くなってるとか。
いつも疲れを感じるのは右なのに
なぜ今回は左肩なのかも、この1ヶ月試行錯誤だった。
とりあえず足首周辺から腰にかけて鍼を打ってもらうと
肩の可動域も少しずつ拡がっていく。
毎週通って色々試してい内に、ようやくわかってきた。
数年前、足首の痛みに悩まされたことがある。
捻挫で伸びきった靭帯をかばっての腓骨筋腱鞘炎だった。
今回はやはり右足首をかばい、体が歪んだ結果、
体の左側に負担がかかった結果との由。
「左側の腰から肩まで硬くなっているのに、
左脚の膝裏がやわらかいからなぜ?と思ってたんだよねー」
とはいゆさんの弁。・・・なるほど。
ということで、
今後は右足首と腰~肩の集中治療となる予定。
毎週末の鍼通いはまだまだ続く(^_^;)
かれこれ3ヶ月ほどになる。
「ははぁ、これが五十肩というヤツね」
と、はじめは余裕をかましていたが、
引越し前後から生活にも支障を来たすようになった。
何しろ上着を着るのにも一苦労する。
・・・ということで、花巻で鍼に通い始めた。
以前にも一度だけ行ったことのあるいゆ鍼灸院。
のどかな田園風景の中にある。
それからかれこれ1ヶ月以上。
いゆさんの話によると、これは五十肩ではない。
腰から首筋にかけて筋肉がガチガチに硬くなってるとか。
いつも疲れを感じるのは右なのに
なぜ今回は左肩なのかも、この1ヶ月試行錯誤だった。
とりあえず足首周辺から腰にかけて鍼を打ってもらうと
肩の可動域も少しずつ拡がっていく。
毎週通って色々試してい内に、ようやくわかってきた。
数年前、足首の痛みに悩まされたことがある。
捻挫で伸びきった靭帯をかばっての腓骨筋腱鞘炎だった。
今回はやはり右足首をかばい、体が歪んだ結果、
体の左側に負担がかかった結果との由。
「左側の腰から肩まで硬くなっているのに、
左脚の膝裏がやわらかいからなぜ?と思ってたんだよねー」
とはいゆさんの弁。・・・なるほど。
ということで、
今後は右足首と腰~肩の集中治療となる予定。
毎週末の鍼通いはまだまだ続く(^_^;)
この作家の語彙豊富な文章表現、豊かな想像力による比喩、
そして色鮮やかな情景描写には圧倒される。
これだけ情景を描ける作家が今どれだけいるだろう。
そしてそれはこの作家の特徴にもなっている。
しかし、それだけが魅力ではない。
本質はもっと別なところにある。
「きいろいゾウ」でもそうだったけれど
平易な言葉で複雑な心理を描写する手法にも舌を巻く。
ヘラヘラした表現であればあるほど深刻な状況。
絵に描いたような(というよりあり得ないほどの)幸福が
少しずつ、少しずつ壊れていく過程。
どうしようもなくなった時に救いとなった飼い犬サクラ。
見事というほか無いし、
特に後半は苦しい気持ちで読み、ぐっと胸に迫ってくる。
そして、ストーリーの横糸とも思える、
他者と違う存在への温かい目。
恐らく、外国で生まれたという作者が経験したであろう
日本の社会の中での疎外感を描いたのではないか?
他者と違っていても、それは個性であり、間違いなく自分。
そんなことを気づかせてくれ、胸を張れるシーンだ。
「あたしは長谷川が好きや、
あたしも女やからそれはおかしいかもしれんけど、
それはうちんちの猫が同じ母猫から生まれて来てて、
そう、ぜんぶサバトラやのに一匹だけえらい白い子ぉがおって、
それと一緒のことなんや。
あたしのお母さんが目ぇ見えへんのは、
うちの犬が一匹だけ耳垂れてんのと同じやし、
卵生まへん雌鳥が、元気に走ってるのと同じや。」
もうひとつのテーマは「愛」だろう。
主人公の両親がお互いを思いやる愛から始まり、
様々な形の愛が本作の中に込められている。
愛する人がつぎの瞬間も存在するかどうかわからない。
だからこそ、今「好きだ」と告げなければ。
「好きやって、言う。
迷わんと言う。
あんな、好きやて言う。
だってな、その人、いつまでおれるか分からんやろ?
いつまでおれるか分からん、な。
好きやったら、好きって言う。」
ところで・・・あぁそうだ。
我が家にも老犬がいて、散歩の途中でへたってしまったり
車庫の中をウロウロ歩き回ったりしながらも
私たち家族を癒してくれる存在だった。
いつの間にか、ひとり姿を消したしまったモグを思い出しながら
胸をいっぱいにして読了。
「さくら」西加奈子:著 小学館文庫
そして色鮮やかな情景描写には圧倒される。
これだけ情景を描ける作家が今どれだけいるだろう。
そしてそれはこの作家の特徴にもなっている。
しかし、それだけが魅力ではない。
本質はもっと別なところにある。
「きいろいゾウ」でもそうだったけれど
平易な言葉で複雑な心理を描写する手法にも舌を巻く。
ヘラヘラした表現であればあるほど深刻な状況。
絵に描いたような(というよりあり得ないほどの)幸福が
少しずつ、少しずつ壊れていく過程。
どうしようもなくなった時に救いとなった飼い犬サクラ。
見事というほか無いし、
特に後半は苦しい気持ちで読み、ぐっと胸に迫ってくる。
そして、ストーリーの横糸とも思える、
他者と違う存在への温かい目。
恐らく、外国で生まれたという作者が経験したであろう
日本の社会の中での疎外感を描いたのではないか?
他者と違っていても、それは個性であり、間違いなく自分。
そんなことを気づかせてくれ、胸を張れるシーンだ。
「あたしは長谷川が好きや、
あたしも女やからそれはおかしいかもしれんけど、
それはうちんちの猫が同じ母猫から生まれて来てて、
そう、ぜんぶサバトラやのに一匹だけえらい白い子ぉがおって、
それと一緒のことなんや。
あたしのお母さんが目ぇ見えへんのは、
うちの犬が一匹だけ耳垂れてんのと同じやし、
卵生まへん雌鳥が、元気に走ってるのと同じや。」
もうひとつのテーマは「愛」だろう。
主人公の両親がお互いを思いやる愛から始まり、
様々な形の愛が本作の中に込められている。
愛する人がつぎの瞬間も存在するかどうかわからない。
だからこそ、今「好きだ」と告げなければ。
「好きやって、言う。
迷わんと言う。
あんな、好きやて言う。
だってな、その人、いつまでおれるか分からんやろ?
いつまでおれるか分からん、な。
好きやったら、好きって言う。」
ところで・・・あぁそうだ。
我が家にも老犬がいて、散歩の途中でへたってしまったり
車庫の中をウロウロ歩き回ったりしながらも
私たち家族を癒してくれる存在だった。
いつの間にか、ひとり姿を消したしまったモグを思い出しながら
胸をいっぱいにして読了。
「さくら」西加奈子:著 小学館文庫
岩手山の別名は巌鷲山(がんじゅうざん)。
この季節になると、雪の融け残った跡が
飛び立つ鷲に見えるからだ。
右側のてっぺん近く、鷲が飛んでいく。
「鷲ぬ鳥」は岩手山とは関係ないけど、
代表的な八重山古典民謡のひとつ。
この看板、見た時は頭の中に「?」が灯り、
次の瞬間思わず吹き出してしまった。
「やはぎ」をローマ字はわかる。
「帳場」や「売店」も駅っぽくしたという意味では
ローマ字にしたのはまぁわかる。
(本当なら英語になんだろうけどね)
でも「御手洗」をトイレとし、
それも英語の「Toilet」ではなく
なぜローマ字の「TOIRE」にしたのかギモン。
どことなくほのぼのとしていて可笑しい(^^)
花巻・大沢温泉にて。
花巻で、古くから知られた中華そばといえば
「権(ごん)さん」と呼ばれる高権(たかごん)。
寒い土曜日、昼メシで久しぶりに行ってみた。
変わらぬ少ないメニューで、
営業時間も11時から夕方5時まで。
それでも待って並ぶほどいつも混んでいる。
定番の高権麺(通称ごんめん)。
醤油ラーメンに白菜、椎茸など入り、
卵でとじた餡がかかっている。
かつては必ず口の中ヤケドしたものだが、
少しずつ食べられるようになり、
自分も大人になったなと実感(笑)
最近、茶の湯とともに凝っているのが
三線を弾きながら歌う八重山古典民謡。
素朴な歌詞とメロディ、
ユニゾンに見えながら(聴こえながら)
微妙にメロディをずらす歌と三線の音、
聴けば聴くほど味わいが増す。
で、とうとう練習のために
東京で写真の本を買ってきた。
三線の楽譜である工工四と歌詞が載っていて、
正当に受け継がれた弾き方がわかる。
ワクワクしながらページをめくってみて驚いた。
茶の湯の世界で自分なりに師匠と思っているのは
民藝運動の中心人物だった柳宗悦さん。
バーナード・リーチさんや河井寛次郎さん、
金城次郎さん、棟方志功さん、
そして白洲正子さんらとともに民藝を愛した人だ。
その柳さんが、生前
「とぅばらーまを聴きながら死にたい」
と言っていたと、この本の巻頭に書いてある。
とぅばらーまは八重山民謡の代表的な歌で
哀愁を帯びたメロディと、切ない歌詞が胸に迫る名曲。
なんだ、柳さんも八重山古典民謡聴いていたんだ。
彼にとって、陶磁器や版画や建築と同様、
音楽もまた八重山民謡に民藝の心を感じていたんだ。
なんだかそれがとても嬉しい。
いよいよ自分が目指すべき方向が定まってきた。
飯田橋の神楽坂口にある
お堀沿いのデッキカフェは
いい季節になってそれなりの混み具合。
子ども連れの母親コンビや家族連れ、
ラブラブな男性同士のカップルなどもいて
みな三々五々夕方のひと時を過ごす。
夜はいつもの向島。
行くたびに新しい楽器が並んでいる(^_^;)
「月ぬ美しゃ」八重山民謡
月ぬ美しゃ 十日三日
女童美しゃ 十七ツ
ほーいちょーが
東から上がりょる 大月ぬ夜
沖縄ん八重山ん 照ぃらしょうり
ほーいちょーが
あんだぎなーぬ 月ぬ夜
我がげら 遊びょうら
ほーいちょーが
寺ぬ大札んが 絹花
黄金花 咲かりょうり
ほーいちょーが
ぴらまぬ家ぬ 東んたんが
むりく花ぬ 咲かりょうり
うり取り 彼り取り なつぃきばし
びらまぬ家ぬ花ぶんなー
ほーいちょーが
女童家ぬ 門なんが
花染手布ば 切り落し
うり取り 彼り取り なつぃきばし
女童家ぬ 見舞いす
ほーいちょーが
釜土ぬふつぃぬ あっぴゃーま
のーどぅのーどぅ んまさーるぃ
煙草ぬ下葉どぅんまさーるぃ
茶飲みばーやんがざぬ
ほーいちょーが