風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

新兵器

2008-06-30 | 風屋日記

仕事の道具が新しくなった。
右がこれまでのiBOOK、左が新しいiMac。
ディスプレイは13インチから17インチへと・・・デカい(^^;
正面に座ると顔が映ってドレッサー状態(笑)
お化粧もできそう。

何しろこれまでは4~5年前に中古で買ったノートだったので
MacOS9から一気に10.5xとなり、使い方がわからずまだ右往左往。
まいった。
でもまぁiBOOKのwordもexcelも瀕死の状態だったので
ようやく、うちの部門じゃ一番最後のリプレース。
何とか使い方に早く慣れなきゃね。
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雨の日曜日

2008-06-29 | 風屋日記
綾戸

午から雨。
屋根に当たる雨粒の音を聞きながらソファに寝ころぶ。
オーディオからは綾戸智絵の古いアルバム。
雲が厚い空の下、暗い部屋の中で、
ハスキーな綾戸さんのバラードを聴いていると
湿気に煙った空気に溶けていく気がする。

アルバム「Natural」に入ってる
綾戸さんのオリジナル「Get into my life」は
本当にいい曲だなぁ。
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ランチ

2008-06-28 | 風屋日記
今日は仕事。
ランチは会社近くのカフェ「ダニーハ」。
Gセットはお代りありのバゲットとサラダ、
そして日替わりのデッシュがついて700円。
今日のおかずはベーコンと茄子のトマトソース煮。
ランチサービスのアイスコーヒーとともに。

このダニーハは昭和の雰囲気のカフェ。
音楽はレコードだし、書架にはたくさんの本がある。
ひとりでランチを食べながら読んでいたのは
「王様は裸だと言った子どもはその後どうなったか」森達也 集英社新書
様々なおとぎ話の「その後」を創作している。
それぞれみんな社会批評になっててかなりおもしろい。
例えば表題の子どもは町の英雄となり、
長じて王制打倒により独裁者になったとか(笑)
桃太郎の話はもっとブラック。
社会の正義を追求するジャーナリストになった桃太郎は
(かなりスルドいTVのコメンテーターもやってるらしい)
人間に迷惑をかけないよう鬼が島に隠り平穏に暮している鬼達を
その存在から糾弾すべくハンディカメラを持って乗り込むのだ。
みんなありがちな話だけにホントに面白い。

ニヤニヤ笑いながらランチを食べる中年のオヤジは
他の客からどんな目で見られてたんだろう(^^;
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「正義」と「暴力」

2008-06-27 | 風屋日記
「正義」という言葉は好きではない。
一見正しいことのようでいて、実は極めて主観的であり
これほどあやふやなものはないからだ。
例えば明治維新。
幕府方の人間にとって新撰組は正義の味方だったはず。
しかし尊王派にとっては薩摩、長州などが官軍だ。
どちらもかざしていたのはそれぞれにとっての正義の御旗。
どちらが正しかったのかはわからない。
わかっているのは尊皇派が勝ったという歴史的な事実だけだ。

第二次大戦も同様だ。
アメリカは日本の各都市への空襲によって一般人を多数殺傷し
あまつさえ原爆によって幾多の命を奪った。
中国で、南方で、沖縄で、大平洋上で、そして特攻隊として
命を落としていった兵士達も
それら鬼畜アメリカの攻撃から家族や大切な人や故郷を守るべく
自らの命を盾として逝ったに違いない。それも正義。
一方アメリカにしてみれば
勝手に中華民国領土内に満州国を独立させた日本に
世界の警察として経済制裁を加えた結果の真珠湾攻撃。
当然正義の御旗を掲げた戦争だったに違いない。
米軍兵士達も誇りを持ち、胸を張って従軍したと聞く。

アルカイダもそうだ。
かつてソ連がアフガニスタンに軍を侵攻させた時、
イスラム青年達はソ連軍を追い払うべく自衛のために銃を取った。
それを経済的物質的に支援したのはソ連と対抗していたアメリカ。
そしてソ連軍が引き上げた後、
今度はアメリカがアフガニスタンでの影響力を保持するべく
以前は支援したイスラム青年達を駆逐し始めた。
アメリカ側、イスラム青年達側ともに同じアメリカ製武器を使い
殺しあったという皮肉な状態。
駆逐され、バラバラになったイスラム青年達が
アメリカに対抗するために統一して作ったのがアルカイダだ。
当然彼らは「正義」の名の元にジハード(聖戦)を繰り広げる。
標的とされたアメリカは「テロとの正義の戦い」を始める。
「正義」同士の泥沼の殺し合いがイラクで、スーダンで、アフガンで、
そして最近ではインドネシアなどでも続くことになる。

もしかすると「悪意の暴力」ってのはほんの一握りなのかも知れない。
世の中の暴力のほとんどは「正義の暴力」なのかも。
そしてアキハバラの彼も四面楚歌の中で壁を破るために
彼と彼に賛同するほんの一握りの人間以外には通用しない
「彼なりの正義の暴力」をふるったのかも知れない。

十字軍にせよ、関ヶ原にせよ、第二次大戦にせよ
「正義」という概念が歴史上の暴力を正当化する理由になっているが
ここではっきり言おう。「正義の暴力」なんてのは欺瞞だ。
どんな理由があるにせよ暴力に「正義」は存在しない。
傷つくのは当事者ではなく、関係のない一般市民達なのだから。
そして現代の日本において、世論やマスコミに
中国、朝鮮半島に対する「正義」の論調が増えつつあることに
私は非常な危惧を覚えるのだ。
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「ボク」の幼い戦い

2008-06-26 | 風屋日記
ボクはみんなと仲良く遊びたかったんだ。
運動ができる子達は仲間で集まってサッカーや鬼ごっこしてる。
本が好きな子達も好きな仲間で集まって静かに絵本見てる。
だからその他の子達と一緒に砂場で遊びたかったけど
誰もボクほ誘ってくれず、ボクだけのけ者にして
みんなで楽しそうに砂場で遊んでる。
ボクはそれが面白くなかったし、段々つまんなくなってきたので
みんなが遊んでる砂場に行って暴れてやったんだ。
ボクは悪くない。
誘ってくれなかったみんなや、声をかけてくれなかった先生、
そしてみんなから誘われるように育ててくれなかった
お父さんやお母さんが悪いんだ。
暴れるのは、ボクをのけ者にしたみんなが
楽しそうに遊んでいる砂場じゃなきゃならなかった。
砂場・・・秋葉原。

こんな幼い理由で「ボク」は何人もの人達をキズつけた気がしてならない。
そしてこんな人間は、どうやら彼以外にも社会にはたくさんいる。
小さい頃から「成績のいいボク」「行儀のいいボク」「まじめなボク」
としてしか親や周囲から認められていなかった人間は
「成績のいい」「行儀のいい」「まじめな」という形容詞がはずれ
ただの「ボク」になった時に果たして認められていたのだろうか。
くわしいことはわからないが
「酒鬼薔薇と同じ歳」というだけで「コワイ」と言われ
形容詞がつかないと信用も信頼もされなかったのではないか。
中学時代に優秀だった子も進学校へ進めば普通の人になる。
そうなった時、形容詞のつかない「ボク」を認めた人間は
果たして彼の周囲に何人いたのだろうか。

一方で、社会は「勝ち組」か「負け組」かの選別をしようとしている。
大人から見たらバカみたいだが、
「偏差値の高い大学に入れば一流企業に入れて勝ち組」
「そうでなければ社会の底辺を這いずり回るだけの負け組」
しかしそのボーダーラインすら極めて主観的なものでしかない。
そして他人の揚げ足取りばかりで失敗ややり直しを認めない風潮。
それでも基本的に「まじめ」な人間はそれを真に受け、
「形容詞がつかなくなったボクは負け組」と落ち込むようになる。
必要以上に防衛本能が働き、さもないことを他人からの攻撃と受け止め、
更に社会との接点を失っていく。
---------------------------------------------
 33 :名無しさん:2008/06/19(木) 20:16:34
 ある人の意見です。
 「他人の足をひっぱったり、 騙したり利用したり、
  傷つけたりして楽しむことも 「正しい」ことのひとつです。
  それを当然認めます」
 皆さん、どう思いますか?
---------------------------------------------
 179 :名無しさん:2008/06/13(金) 20:16:34
 サークル入りそこねて友達がひとりもいないんだが、
 秋にサークル勧誘とかってある?
 180 :名無しさん:2008/06/13(金) 20:35:38
 >>179
 もうあきらめた方がいいかと思います。
 もうすでに「友人の輪」みたいなのができてるかと思います。
 あなたの入る場所はないと思います。
 あなたは必要とされないと思います。
 あなたは活動を楽しめずに、おずおずサークルを退くと思います。
---------------------------------------------
これらは、とある2ちゃんねるの掲示板にあった書き込み。
「こんなこと」を思い悩み、他人とのコミュニケーションに苦労している
たくさんの若い人達が、それでも楽しそうに集まるのがアキハバラ。
「ボク」にはそこすら「ボクをのけ者にした」みんなが
楽しそうに集っている場所のように見えていたのだろう。

「ボク」に悪意がなかったとは言わない。
が、江戸川区で起きた同じマンションに住む女性を殺害・遺棄した犯人ほど
黒々とした主体的な悪意が「ボク」にあったとも思わない。
というより悪意すら自分では全く意識していなかったのではないか。
「ボク」はただ幼い子どものように暴れただけなのだろう。ナイフを持って。

「ボク」を弁護する積りはない。
死刑制度に疑問を持っている私でも、今回は極刑を免れないと思うし
「ボク」がふるった暴力はそうなって当然だと思う。
がしかし、TVで物知り顔に「派遣労働」や「ネットの掲示板」を語る
いかにもエラそうなお歴々の話もウンザリだ。
画一的な価値観、単一のモノサシ、「勝ち組」「負け組」という選別、
そして金儲けの美徳を社会に植え付けてきたのも彼らだからだ。
そんなヤツら(大人達、社会)へのレジスタンスでもあったと言って
「ボク」の暴力を礼讃する若い人達もたくさんいるらしい。
「自分の代わりに闘ってくれた」と言う彼らにとって「ボク」の暴力は
(あくまで彼らにとっての)正義の闘いに見えるのかも知れない。
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ON と OFF

2008-06-25 | 風屋日記
あれは長男が中学3年の秋のこと。
出張から帰ったばかりのところに電話が鳴った。
受話器の向こうには低く深刻な声の長男の担任。
「実はカンニング事件のことですが・・・」
「は?」
「あれ?奥様からお聞きになっていませんか(緊張した声)?
 ご長男がカンニングに関わったひとりになっているのですが」
「あぁそうですか(笑)」
「(拍子抜けの声で)まぁ『見せた方』なんですけど」
「(押さえ切れずに)ぶふ(笑)あ、失礼。
 ご迷惑をお掛けしました。申し訳ありません」
「いえ、本人達もいたく反省しておりまして
 ご家庭ではあまりキツくお叱りにならないように」
「そういうことですか。わかりました。けじめはつけます。
 ただまぁこう言っちゃ何ですが、ある意味いい思い出になるかと(^^;」
「そういうふうに捉えていただけると助かります。
 学校ではキツく注意しましたので、フォローお願いします」
「了解しましたー」
まぁ当時私がPTA副会長などしていて
先生方とは気心が通じていたということもあるけれど
私としてはそんなに問題にする積りはなかった。
関わったのは普段からのいい仲間。
どうせふざけ半分の思い出づくりだろう。
帰ってきた母ちゃんとも大笑いした。
もちろん『見た方』の親も同じようなノリ。
「でもさー、『見た方』ってのはカッコわりぃよな。
 どうせなら『見せる方』になって欲しかったな(笑)」

次男が高校1年の時の夏休み最終日。
自室に隠って必死に課題をこなしている。
「お前さー、初日から毎日少しずつやってれば良かったのに」
と冷やかす私に、次男は
「オレもそう思って少しずつはやってたんだけどサ。
 ちょっと少しずつ過ぎた(笑)」
その言葉にこっちも大爆笑。

我が家の子育てが良かったと言うつもりはない。
今思い出してみても反省と後悔ばかり。
でもね、これだけは言えると思うんだ。
子ども達だって我々の「モノ」ではなく
それぞれ1個の人格を持ち、これからは各々生きていく人間。
きっちりかっちり育ててもしょーがない。
ギターの弦と同じで、キメる時にはきっちり締めるし
その他の時はユルユルで丁度いいのだと思うのだ。
(母ちゃんからはワタシも含めて「ユル過ぎ」と言われるけど)
親にしてみれば全ての面できっちりと誰しも願うのだろうが
そこは考え方を転換させることにした。
「これから生きていくのは本人。
 しかもひとりでメシを食っていかなければならない。
 いつまでも何でも細かく指示や助言できるわけじゃない。
 どんなことでも自分で考えて何とかするんだな」
教えるべきはけじめ。ONとOFFの切り替えの仕方だけだ。

型にハマった価値観、単一のモノサシに子どもをはめ込み
「勝ち組」にするべく1から10までスルドく目を光らせていると
たぶん子どもの神経はどこかで金属疲労を起こし
いつかプッツンして全てを投げ出すような気がしてならない。
そうでなくとも親の指示や期待に、
どんな努力をしても結果として沿えなかった場合、
自分で自分の存在意義にギモンを持ってしまうのではなかろうか。
その価値観、モノサシからはみ出てしまった子ども達は
どう生きればいいのか途方に暮れてしまうだろうな。

・・・ということを、ふと考えた。
そしてこの話題は明日の話題に関連することになる。
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旅行写真集

2008-06-24 | 風屋日記
21日(土)は昼頃大学のグランドに着いた。
昼メシ食うところを探しているうちに
結局グランド入口前の蕎麦屋に(笑)

健介

OBvs現役戦はOBの圧勝。
現役チームは朝から練習した後の試合で
蒸し暑さもあり、もうみんなバテバテだったみたい。
長男も見るからにヘロヘロ(^^;

その夜は長男のアルバイト先の居酒屋でメシだったが
疲れ切った長男が寝始めたので
9時前にはアパートへと引き上げた。
長男は帰るなりバタンキュー(笑)

翌日は8時前にはまた練習に出掛けた長男を見送り、
母ちゃんと2人でタクシーに乗り、
近くの小金井公園内にある江戸東京たてもの園へ。

田園調布

これは大正14年に建てられたという田園調布の家。
我が家より小さいながら洒落た家で
まるで古き良き時代のアメリカの家みたい。
私の一番のお気に入り。

是清

高橋是清邸に入る母ちゃん。
ここは2.26事件で是清が殺された家を
そのままここに移築したものとのことで
是清が命を落とした寝室に佇み、思いに耽った。
華美に走らない質素で落ち着いた邸宅だった。
先日の窓越しの庭の写真は
昔の居間に作られた喫茶室から撮ったもの。

バス

まつたけさん垂涎のボンネットバスも展示してあったよ。

都電

こちらは都電。
線路や低いホームもあり、
背景の下町通りも合わせて停車場の風情を醸し出している。
渋谷から西麻布、六本木、虎の門を経て新橋行き。
なるほどこの路線は便利そうだけど、今はバスが走ってるのかな?

下町

ここが下町通り。
花巻辺りではまだこんな建物がいくつか残っている。
和傘屋なんて、花巻市内の小原提灯屋そのもの(笑)
醤油屋や荒物屋などは私たちが小さい頃に
身の回りに普通にあった店構え、店内だったね。
脇に停まる黒いビジネス自転車などの小物もgood。

昼過ぎまでここで過ごした後、
今度は吉祥寺まで出、井の頭公園入口に通じる雑貨屋通りへ。
2年前にmkさんとぶらついて以来だ。
私にとって学生時代から大好きな通りなんだけど
母ちゃんは初めて行ったとのこと。
雨の中で人通りも少なく、ぶらぶら見て歩くにはもってこい。
母ちゃんはアジアンテイストのショールを買っていた。

最後は4時入園予約だった三鷹の森ジブリ美術館へ。
実は今回の旅行、母ちゃんの一番の目的地(^^;

ロボット

屋上に立っている守り神のロボット兵。
たくさんの人に囲まれてはいたけど
人っ子一人いないラピュタに住むロボット兵のように
どこか物悲しい風情で立っていた。

帰りは2人で駅弁をつつきながら最終新幹線。
天気はイマイチだったけど
暑かったり、
人ゴミに揉まれたりすることがなかった分ラッキーだったかな。
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命日

2008-06-23 | 風屋日記
昨夜、最終の新幹線で新花巻に着いたら
半袖ポロシャツ1枚では身震いするほどの
涼しさ・・・というより寒さ。
そんな気温と曇り空が今朝も続いていた。
16年前の今日もそんな天気だったな。
明け方の寒さでガタガタ震えていたことを
今でも思い出す。
6月23日に日付けが変わったばかりの午前1時半、
親父の呼吸が止まった日だ。
家に連れて帰ったのは空が白み始めた頃。
車から下ろされる親父を眺めながら
あの日もポロシャツ1枚しか着ていなかった私は
あまりの寒さに震えていた。

着替えのために一旦家に帰ったら、
一度夜中に子ども達を連れて駆け付け、
先に帰っていた母ちゃんが
また寝た子ども達の横で洗濯物を畳んでいた。
その脇に腰を下ろし、
でも何も言葉が出て来ず
しばらくぼんやり坐っていたことを思い出す。
今朝はちょうどあの日と同じ空模様。

この週末は母ちゃんと東京に遊びに行ってて
墓参りにも行かないでしまった。
せめて今日の帰り、
実家に仏壇拝みに行くから許してね。
孫は元気に頑張っていたよ。

ということで、旅行中の写真UPは明日。



ところで、24年前の今日は大宮駅で
東北新幹線の開業に合わせてロケをしていたな。
スタジオと盛岡と大宮を結ぶ完全生中継。
そして63年前の今日は沖縄戦終結の日。
合掌。
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22日

2008-06-22 | 風屋日記
まずは小金井公園の中にある江戸東京たてもの園へ。
写真は高橋是清邸内にある喫茶室から眺めた庭園。
途中から雨が本降りになってきて
ちょいと歩き難かったけど、
でものんびりたっぷり見て歩いたよ。
いいとこだったなぁ。
薦めてくれたたまびとさんとbikkiさんに感謝。
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21日晩メシ

2008-06-22 | 風屋日記
長男のアルバイト先の居酒屋にて。
試合後の疲れ切った長男と(笑)

柚子酒に白身魚のココナッツ揚げ、
そして昨日長男が仕込みに失敗したという
表面がボコボコした自家製冷や奴。
でもクリーミーでとても美味しかった。
あとはお造りと蕎麦チャンプルー。
進路の話などしつつ。
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懇親会

2008-06-21 | 風屋日記
OB戦後、学食で行われた懇親会。
OBも保護者も現役選手やスタッフも
みんなで挨拶し合ってわいわい。
終了間際、長男が付き合い始めたばかりの彼女を連れて
我々夫婦のとこに挨拶に来るというドッキリハプニングもあり(笑)
いやー楽しかった。
彼女に「ヘルスチェックよろしくね」と母ちゃん。
これで普段の食生活も安心(^-^)
まぁ長男の方が張り切って作ってるようだけどね。

今、長男たちが片付け終わるのを待ちながら
国分寺駅前で母ちゃんとお茶中。
これから長男のアルバイト先の居酒屋で晩メシ。
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OB戦

2008-06-21 | 風屋日記
長男の大学に来ている。
まずはスネイルズの日に合わせたOB戦観戦。
OBと言っても昨年の4年生や
社会人Xリーグで活躍中のバリバリばかりで
現役はタジタジ(^_^;大差でOBが勝った。
写真は試合後の記念撮影中のシーン。
「はい、撮りますよー。良いショット!」
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梅雨入り

2008-06-20 | 風屋日記
朝もや

朝もや

カッコウの声

雨の匂い

稲の葉の上の雫

咲きはじめのアジサイ

梅雨入り



明日・明後日は東京も雨の予報
傘を持って、行ってきます。
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よしなし事

2008-06-19 | 風屋日記
実はちょっと重いテーマを何日か前から考えていたのだが、
難しい、ちとビミョーなテーマなのでもう少し練り込もう。
・・・ってことで、今日はよしなし事。

    ☆      ☆      ☆

先日の大地震に対する政府からの援助が決まったらしい。
災害復興資金という名の補助金だ。
支給範囲は、岩手県内は北上以南の北上川流域自治体。
建築物の被害や土砂崩れなどへの対応、ライフラインの復旧が
その補助金の主な使途だと思う。
そしてそれは逆の、ちと卑近で下世話な表現をするなら
どん底の地方経済の中で青息吐息だった建設・土木業界にとって
災害特需というべき補助金でもある。
災害地域は今後しばらく公共事業が続く。

さて北上の隣町である花巻市は指定地域から外れた。
仕方がないので花巻市は、これまた厳しい財政の中から
自前資金で公共建築のひび割れや照明落下などの被害に対する
復旧事業を行わなければならない。
被害の程度に差はあれど、
補助金で復旧できる地域と自前で復旧せざるを得ない地域。
おまけに花巻温泉では風評によって
宿泊予約の大量キャンセルが続いているという。
もしかして地震における経済的な損失は
花巻市などの地震被害周辺が一番かも知れないと思った。

    ☆      ☆      ☆

遅まきながら先日のライブ「深夜放送のように」における
風屋&四文銭のセットリスト。

 1 春だったね'73
 2 おきざりにした悲しみは
 3 流星
 4 シンシア
 5 どうしてこんなに悲しいんだろう
 6 結婚しようよ
 7 落陽
 8 やせっぽちのブルース

中でも中学時代から好きだった
「どうしてこんなに悲しいんだろう」を
この歳になって演れたことがうれしかったな。
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発想の転換

2008-06-18 | 風屋日記
麦畑

まもなく麦秋

4月に配給卸値を30%上げたばかりの輸入小麦を
今度は更に20%値上げすると政府が発表した。
民間企業は石油製品、穀物、乳製品などの原材料高騰を
適正に価格転嫁できず青息吐息だというのに
お国は単純に「国際取引価格が上がったので」とケロリン。
マレーシアやインド、インドネシアなどでは
ガソリン高騰がインフレに繋がらないよう
国庫負担で価格にクッションを設けているというのに。
タイやベトナムでは国内食料供給の安定のために
輸出制限まで行っているというのに。

コトは小麦だけでは済まない。
食料自給率が30%しかない日本は
これから予想される国際取引への食料品の供給制限や
それに伴うさらなる高騰にどう対処するつもりなのか。
工業製品輸出のスケープゴートとして
輸出入バランスのために食料輸入を緩和してきた日本。
国内農業関連産業は年々お寒い状況となりつつある。
それでもまだ減反を行うつもりなのだろうか。
一度荒れた土地は簡単には田圃に戻すことができないのに。
価格が高くなっても輸入せざるを得ない
そんな日本が食料品の国際取引価格を更に押し上げ、
途上国の飢餓に「貢献」している。

食料品輸入緩和により畜産農家も減ってしまった。
いきおい肉類も輸入に頼らざるを得なくなってきている。
そしてアメリカ産牛肉の安全の問題。
なめられてるよ。
それに気づいた韓国の人達は大規模デモで抗議してるけど
日本人は「牛丼が食べられるから輸入再開大歓迎」だってさ。
アメリカの輸出業者は見えないところで嘲笑ってるよ。

輸入小麦の配給卸値高騰に伴って
うどん、パスタ、パン、ピザなどが値上がりしている。
でもね、以前から国産小麦を使っている店では変わらない。
値段が追いついてきたって感じかな。
これまで安かった店とほとんど変わらない値段で
国内産食品のおいしいものが食べられるようになってきた。
考え方を変えるとこれは我々にとってラッキー(笑)
せっかくだからみんなで安全なおいしいものを食べよう。
できれば地元産の食材でね。

さて農家の皆さん。
ようやく皆さんの時代がやってきた。
米も小麦もトウモロコシも、どんどん作って売ろうよ。
減反政策になんざ耳を貸すこたぁない。大丈夫。
このまま原材料高騰が続き、景気が後退すれば
円だって安くなって輸入食材はますます値上がりする。
価格が同じなら安全でおいしい方がいいに決まってる。
もちろん畜産農家の方々も肉類、乳製品をどんどん売ろう。
食料のピンチこそ、実は皆さんのチャンスなのだから。
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