風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

病歴

2021-01-31 | 風屋日記
前の会社に入った頃のこと。
一応ヘッドハンティングのような形だったので
入社早々大きな業務改革を期待されていた。
もちろんそれなりに張り切って
現在の流れを調べ、システマチックに企画設計し、
システム改編を行なってマニュアルを作る。
その上で社内発表と施行・・・したのだったが、
残念ながらそれに没頭するあまり
社内の根回しやコミュニケーションづくりは疎かになっていた。
当然のことながら猛烈なバッシングが始まった。
今考えれば、そりゃそうだよね。
いきなり外から入ってきて社内を引っ掻き回したんだから。
ともあれそれはかなり猛烈なものだった。
しかもその先鋒となっていたのはほぼ全部課長クラス。
ある日、急に握力が無くなりペンが持てなくなった。
懇意にしていた産業医の先生に相談に行ったら、診察の後
「医大の神経科に紹介状書いてあげるけど、行く?」
と聞かれ、「様子見ます」と答えたのだった。

総務課長の頃
ある日、唯一の上司だった部長が会社に来なくなった。
社長との意見に食い違いがあり、突然の退職だった。
それまでは総務系と人事系、システム系の担当だったが
その日から給与計算を含む労務や売上管理も担当となった。
部長は全て手計算だったのだが、誰もやり方を知らない。
仕方なく、毎晩午前様になるまで机に向かった。
花巻から盛岡へ通っていたし、冬の雪道車通勤だったから
朝も6時前には家を出る。
頭痛が慢性化し、バファリンが主食となった。
そんなある日、全身に発疹が・・・。
件の産業医から「薬中毒だね。しばらく寝てなさい」と言われ
入院病棟で半日寝て過ごし、なんとか回復できた。

総務部長の頃、これまた毎朝早く、毎晩遅い日が続いた。
その頃には財務も担当し、資金繰りや経営施策にも当たっていた。
帰る頃には腹が減っている。
帰りはコンビニに立ち寄って菓子パンを食べながら運転する日々。
帰ったら冷えた晩飯が待っていた。
みるみるうちに太り、健康診断で肝臓値がひっかかる。
同級生の医師に超音波で見てもらったら
「おー!見事なフォアグラが育ってる」と。
血圧も尋常な高さではなく、ひどい時は下が120を超えていた。
(さすがにそんな時はめまいがひどかった)
意を決して、昼メシをカロリーメイト2本だけにしてみた。
もちろん菓子パンは止め、晩メシのご飯も軽く1杯だけ。
1ヶ月で5Kg、2ヶ月で12kg落とし、
それ以来血圧も正常値に落ち着くようになった。

それ以上の大病はしたことがないから、おおむね健康。
しかし引っかかったのはすべてストレスが原因だ。
「フォアグラ」時には蕁麻疹もひどかったから
今思えばけっこう綱渡りだったのかも。
それでも「仕事しすぎて血を吐いたことがある」とか
「健康診断では2桁項目が引っかかりまくり」とかいうことが
ある意味自慢話のように語られていた環境だったから
もしかしたら、そのままあの生活を続けていたら
生命の危険に陥ったかもしれない。

幸い、今は好きな仕事してるからノンストレス。
毎晩筋肉トレーニングもしていて、至って健康体だ。
あの頃のストレスは、もしかしたら仕事量や稼働時間よりも
社員の生活を担う責任の重さが一番だったのかもしれないから
今がノンストレスなのは、
本業をほぼひとりでこなしているからなのかもしれない。
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朝焼け

2021-01-30 | 生活の風景

明けない夜はない。
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The Covers

2021-01-29 | 音楽
日曜夜のNHK BSプレミアムで放送されている
この番組が好きなのですよ。
歌は、オリジナルももちろんいいけれど
それとはまた違ったアレンジで聴かせる曲がいい。
小編成のバンドをバックに
「そう来たか!」と思わせる新たなアレンジ。
先週の原田知世さんの回は
残念ながら「A面で恋をして」はあまりに完コピ過ぎだったが、
竹内まりやさんの「セプテンバー」が良かった。

もともとアレンジ変えたカバーが好き。
中森明菜さんや徳永英明さんのカバーアルバムはよく聴いた。
(徳永さんの「雪の華」は秀逸)
ハナレグミさんや小野リサさんのカバーアルバムは今もよく聴く。
オリジナルであまりピンときてなかった曲も
アレンジ変えるだけで好きな曲になることもよくある。
普段聴くことが少ないアイドルの曲とか。

結構前からエルトンジョンの「Your Song」を
ボサノバにアレンジしたらどうだろうと考えていた。
シンプルにウクレレ1本で伴奏もいいね。
BEGINのシングルCD「三線の花」のカップリングが
昔流行ったマイペースの「東京」の4ビートバージョンで、
そのアレンジもすごく良かった。
(たまにカラオケで歌ったりしている)
そんなシンプルでメロウなアレンジいいと思う。
自分でアレンジの譜面でも作れたら楽しいだろうな。
無理だけど(^^;

基本的に、ひとつひとつの楽器の音がちゃんと聞こえる
小編成でシンプルなアレンジが好きだ。
たまにしか聴かないクラシックでも
オーケストラよりショパンのピアノ曲なら聴く。
バンドならデュオ〜せいぜいカルテット。
ジャズもピアノ、ベース、ドラムに歌や何かひとつの楽器。
ピコピコ電子音も打ち込みもあまり好きじゃない。
アコギや生ピアノ、キーボードオルガンの優しい音、
エレキギターならあまりエフェクター噛ませず本体の音を生かした
例えばフルアコギターのメロウな音などなど。
↓こんなギターの音がいいねぇ。


高価すぎて手が出ないけどね(^^;
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人の手

2021-01-28 | 社会

誰かの手によって綿花の種が撒かれ
誰かの手によって育てられ
誰かの手によって綿が摘まれ
誰かの手によって織られ
誰かの手によって染められ
誰かの手によって裁断され
誰かの手によって縫われ
誰かの手によって出荷され
誰かの手によって売られ
そして私が買って穿いている。



誰かの手によって畑が耕され
誰かの手によって種が撒かれ
誰かの手によって育てられ
誰かの手によって収穫され
誰かの手によって出荷され
誰かの手によって売られ
そして私が買って食べている


誰かの手によって書かれ
誰かの手によって編集され
誰かの手によってデザインされ
誰かの手によって組版され
誰かの手によって印刷され
誰かの手によって製本され
誰かの手によって出荷され
誰かの手によって売られ
そして私が買って読んでいる

世界はたくさんの人の手でできている。
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鉄的思い出

2021-01-27 | 文化
「マニア」というほど入れ込んではいない。
何をさておいて・・・というほど熱も入っていない。
でも確かに私の中にかすかな「鉄分」はある。
撮り鉄でもないし、車両の名前も知らない。
新幹線などの新しい鉄道にも興味はない。
しかしローカル線に乗って眺める車窓の風景は好きだし、
何よりも昔ながらの駅舎にはそそられるものがある。
ローカル線にも、古い駅舎にも
たくさんの人々の体温や匂いを感じるからだ。
特に昔の駅舎の木で囲われた改札口に
えもいわれぬ郷愁を感じる。


おそらく原点は、花巻電鉄の西花巻駅だろう。
かつては花巻電鉄鉛線と花巻温泉線、
そして岩花線と言われた軽便鉄道への連絡線のターミナル。
昭和44年に廃止となった鉛線とともにこの駅は廃駅となった。
(昭和47年廃止となった花巻温泉線は花巻駅が終着になった)
廃駅になった年、私は小学校3年生だったが
1度か2度、ここからグランド前までひとりで電車に乗り
松園町の友人宅へ遊びに行った記憶がある。

廃駅となったあとも駅舎やホーム、信号機などが残っていて
われわれ子どもの格好の遊び場だった。
駅員さんしか入れなかった改札口の枠の中、
取り外されていなかった、黒く塗られた時刻表、
ポイントや、信号機や木のベンチなどなど・・・。
あの駅舎すべてがモノクロームとなって記憶に残っている。
ホームは縁だけがコンクリートで、真ん中は土のままだった。
大人の仕事の世界を垣間見つつ、
ごっこ遊びにはあまりに本格的すぎた。
あの光景こそが私の鉄分の要素の大半を占めている気がする。
西花巻駅は今の消防署のあたりだった。

そんなあれこれを記憶している世代も少なくなった。
私の世代が最後なのかもしれない。
今この時代に花巻電鉄が残っていたら
さぞかし貴重な観光資源になっていたんだろうなぁ。

※写真は「写真集 栄光の軌道 花巻電鉄」(花巻電鉄OB会)より
 かなり昔の西花巻駅だけど、記憶の駅舎も変わらなかったと思う。
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カップ麺考

2021-01-26 | 食べ物・お店

カップ麺を買う時、
ほぼ95%ぐらいの確率で日清カップヌードル1択。
なぜかというと、
まぁ美味しいというのが一番なんだけど
他のカップ麺はニンニクに頼りすぎているから。

歳のせいか、最近ニンニクが苦手だ。
決して嫌いというわけじゃないんだけど
ニンニク食べると後で胸焼けしがち。
それと、食べた後でマスクすると匂いがねー(^^;
あのニンニクの匂いって、どこか罪悪感あるよね。
それがニンンクの魅力なのかもしれないけどさ。

近頃のカップ麺ってニンニクに頼りすぎている気がする。
味噌ラーメンでも、カレーでも、
そして豚骨系でもニンニクが効いている。
店で食べるラーメン系では塩ラーメンが好きだけど
塩ラーメン系もカップ麺は割とニンニクだよね。
それで味の特徴づけているのかもだけど
私の場合は要らない。

ってことで、いろいろ物色した結果
やっぱり日清カップヌードルになっちゃうってわけ。
しかもプレーンなヤツね。
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どうしてかというとね

2021-01-25 | 風屋日記

自分がまだまだ人として未熟だからですよ。
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2021-01-24 | 文化
還暦のおっさんのブログのタイトルじゃないね(^^;

朝日新聞の「語る〜人生の贈りもの」が面白い。
様々な方が来し方を振り返るシリーズで
いわば日経新聞の「私の履歴書」みたいな感じ。
今は国文学者の中西進さんが語っている。

先日のタイトルは「魂を乞う 万葉の恋愛と言葉」。
「魂合わば相寝むものを小山田の 鹿猪田禁る如母し守らすも」
という万葉集の相聞歌を例に挙げて
「万葉人の『恋う』とは『乞う』こと」と語る。
「恋=魂を乞うこと」とし、2人に魂が合えば「共寝」するのだと。
これには目からウロコ。
なるほどなぁ。

そして「性」は「りっしんべんに生」だから
「心ある生命の交換=セックス」だと。
万葉の時代から「情の文化」がすでに完成していたと見ている。
万葉集をここまで読み込むこともすごいが
その定義は確かにストンと腑に落ちる。

「恋う」が「乞う」
齢60にして悟ってももう遅い気もするが(笑)
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大学受験の頃

2021-01-23 | 風屋日記
先週、大学入学共通テストが終わった。
受験生たちは最初の関門が終了してひと息つきつつ
併願私立や二次試験に向けてリスタートを切ったところだろう。
入試のニュースを見ながら、ふと40年以上前を思い出した。

両親ともに教員(父は高校英語、母は中学校英語)で
当然というかなんというか
私にも地元国立大を出て教員になることを期待されていた。
しかし高校2年ごろから「物書き」に憧れていた私は
東京へ出て見聞を広げつつ文章修行をしたかった。
なにしろネット社会が来ようとは想像もつかない時代。
本も、新聞も、電波も、情報はすべて東京発信だったのだ。
「物書き」になるためには東京に行くしかないと思い込んでいた。

私が一番行きたかったのは日大芸術学部の文芸科。
あるいは早稲田の二文(夜間・現在の文化創造学部)の文芸科だった。
日芸は4年間通うだけで様々な人たちと知り合うことができ、
そこで大きな刺激を受けたかったからだ。
早稲田は、なぜ一文(現在の文学部)じゃなくて二文かというと
昼間はアルバイトでどこかの出版社に潜り込もうという考え。
日芸とは違って、音楽や美術や演劇、写真、映画など
さまざまなクリエイターの卵たちが集まっているわけではない。
それならば出版の世界を覗き見てやろうと思っていた。

当然のことながら意見はぶつかる。
特に父親は(別の学校ながら)高校の進路指導担当。
「そんなところに行って一体何になるんだ」と言われると
世間知らずの高校生としては言い返す言葉を持たない。
すったもんだした挙句「教員になるなら」という大前提のもと
教員養成のセンター校東京学芸大学の国語科を受験することにした。
実家から通うことを期待していた親たちも妥協の選択だ。
私立も教免取得を条件に文学部(ただし文芸ではなく国文科)を
併願受験することを不詳不精ながら了解を得た。



ようやく方向性が決まった時にはもう高3の初冬となっていた。
今から偏差値が高い国立の勉強には間に合わない。
しかも前年までの一期校、二期校の入試制度が変わり、
その年度から共通一時試験が導入されて1校しか受けられない。
作戦を立てた。
国立は当たって砕けろ式で考えよう。
親には黙っていたが、私立本命で行こう。
受けるのは早稲田、法政を中心に、かつて師範学校だった日大。
それなら親もある程度仕方ないと思ってくれるかも知れない。
目的はとにかく東京に行くことだったから。

国語は得意科目だったので、まぁある程度点を取れる。
英語も、親の教育もあり、中学校までは得意だったから何とかなる。
私立ならあと社会をどうにかすればいい。
哲学書を読んでいたので倫理社会は得意科目だった。
政治経済(今の現代社会)も勉強しなくて大丈夫。
しかし私立の可能性を広げるなら、社会科選択科目は限られる。
泣く泣く世界史を選んだ(共通一次ではあと倫理社会)。

国立の共通一次試験については・・・
数学は・・・関数系なら何とかなる。
理科については、生物と地学は大変興味があったので点も取れていた。
にも関わらず、その2教科を選ばなかったのが仇となった。
生物・地学の選択は邪道かなと思ったのだ。
ということで、これまた泣く泣く地学の代わりに物理を選ぶ。

国語と英語はそれまでの積み重ねに期待し
時間がないということでひたすら世界史ばかり勉強した。
その結果・・・
共通一次で国語と倫理社会、世界史、生物は予定通り点になった。
英語は、やはりまったく受験勉強しなかったのが響いた。
数学に至っては、関数系は満点だったものの幾何系は0点。
悪いことに幾何系の割合が多く、しかも平均点も高かったので
完全に足を引っ張った格好になった。
物理に至っては完敗。
私立に照準を絞っていたので仕方ない。

私立は英語の配点が高い。
やはりここでもそれでつまづく。
まぁ、早稲田、法政がダメだった時点で
ほぼ浪人を覚悟して予備校の資料も取り寄せていたので
9割方諦めの境地だった。
友人たちもみんな(当時は)浪人決定。
みんなでもう1年頑張ろうという雰囲気だった。

試験がすべて終わった後、同級生たちが我が家に数人泊まりに来て
みんなで浪人1年間の過ごし方について遅くまで話した翌朝。
2階の自室から玄関に降りてみたら大きな封筒が3つ。
そのうち2つは取り寄せていた予備校の申込書。
残りひとつが日大の合格通知と入学手続き書類だった。
「あ、合格しちゃった」
仲間たちから罵詈雑言を浴びたのは言うまでもない。

ちなみに、共通一次が大失敗に終わったあと
二次試験は教師の勧めにより、志望先を変えて弘前大学に。
もちろん、当たり前にそちらも結果サクラが散ったのだったが、
代わりにいまだに記憶に残るエピソードができた。
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Machicoco便り vol.80

2021-01-22 | マチココ

早いもので、もう1月も下旬。
2月10日発行の花巻まち散歩マガジンMachicoco24号の
編集作業が始まっています。
この号をもってMachicocoも創刊から丸4年となります。
これまで続けてこれたのは、ひとえにご協賛店さま、読者の皆さん、
快く取材や寄稿に応じていただいた方々、新旧スタッフ、
そして花巻市や花巻観光協会の方々のおかげと
心から感謝申し上げます。

写真は、数日前に行った24号の「光太郎レシピ」撮影風景。
HANAMAKIモダンチャイニーズ蓮さんにご協力いただきました。
他にも内容は盛り沢山。
ご期待ください。


花巻まち散歩マガジンMachicocoは
下記ご協賛店さまにてバックナンバー含め好評販売中。
次号もこちらでお買い求めください。
(次号からの新規ご協賛店さまも加わる予定です)

Joe's Lounge(ジョーズラウンジ)
花巻市大通り1-4-14 小友ビル1F
tel.0198-29-5655

Lit work place(リットワークプレース)
花巻市大通り1-7-40
tel.0198-41-3049

大原ホンダ 
花巻市下小舟渡540-11 
tel.0198-23-2024

有限会社宮沢新聞店 
花巻市末広町2-17 
tel.0120-343-838

株式会社上町家守舎
花巻市上町6-2 マルカンビル1F 
tel.0198-29-5588

茶寮かだん 
花巻市花城町11-12 
tel.080-2823-1048

中舘内科クリニック
花巻市不動町2-1-4
tel.0198-41-1515

Barbershop switch(スイッチ)
花巻市御田屋町1-60 
tel.080-3328-9777

株式会社三田商会
花巻市御田屋町1-33 
tel.0198-22-3030

株式会社風童社
花巻市桜町4-240-1  
tel.0120-249-166

株式会社星光舎
花巻市桜木町3-27-2
tel.0120-464-641

HAIR & MAKE EARTH 花巻店
花巻市桜台2-23-2 
tel.0198-21-3288

合資会社末廣 パティスリーアンジュ
花巻市星が丘1-1-18 
tel.0198-21-1488

田舎labo
花巻市湯口字蟹沢13-1 
tel.0198-29-5991

株式会社中央コーポレーション
花巻市東宮野目第11-5
tel.0198-26-3033

高木丘クリニック
花巻市高木18-61-2 
tel.0198-22-0103

スターブリッジいわて株式会社
花巻市松園町1-6-1 
tel.0198-23-0771

花巻商工会議所(各支所でも販売中)
花巻市花城町10-27 
tel.0198-23-3381

だいわブルーベリー園
花巻市鍋倉字地森7 
tel.0198-24-4888

どんまいプロジェクト花巻
販売:ファームプラス
花巻市上根子字下田60-2
tel.0198-33-0594

社会福祉法人 大谷会
花巻市湯口字松原53-1 
tel.0198-25-2125

株式会社文化タクシー
花巻市双葉町6-2 
tel.0120-233-181

松葉商店
花巻市東和町土沢5 区380 
tel.0198-42-4325

株式会社とうわ地域資源開発公社
販売:東和温泉
花巻市東和町安俵6区135 
tel.0198-42-4311

たく整骨院
花巻市上町12-12 
tel.0198-22-7763

医療法人廣正会寺内歯科医院
花巻市西大通り2-13-13 
tel.0198-41-1818

須田内科医院
花巻市円万寺字下中野46-4 
tel.0198-38-1121

一般財団法人高村光太郎記念会
花巻市太田3-85-1 
tel.0198-28-3012

白鳥の停車場
花巻市高松26-3[ 童話村内 ]
tel.0198-31-2040

道の駅はなまき西南
花巻市花巻市轟木7-203
tel.0198-29-5522

ワンデイシェフの大食堂
花巻市東和町土沢8 区115
こっぽら土澤内 
tel.0198-29-5700

花巻南温泉郷 湯の杜 ホテル志戸平
花巻市湯口志戸平27-1
tel.0198-25-2011

医療法人百帆会
耳鼻咽喉科・わたなべとしや診療室
盛岡市北飯岡1-2-67 
tel.019-656-4133

医療法人報恩会
とみつか脳神経外科クリニック
花巻市御田屋町1-41
tel.0198-23-2100

鉛温泉 藤三旅館
花巻市鉛字中平75-1 
tel.0198-25-2311

賢治の広場
花巻市上町3-4 岩田ビル 1F
tel. 0198-24-0818

サイクルショップ オーバー
花巻市石鳥谷町八幡7-29-7
tel.0198-45-6168

小山田泰彦司法書士
土地家屋調査士事務所
花巻市花城町12-6
tel.0198-22-4194

株式会社木村設計A・T
花巻市花城町3-3 3階
tel.0198-23-3818

カフェレストランきゃびん
花巻市矢沢4-62-27
tel.0198-31-3023

鏑八幡神社
東和町土沢5 区169 
tel.0198-42-4333

BOOKS&THEATER Café 風人堂
花巻市末広町2-13
ゲストハウスmeinn 1階

モダンチャイニーズ蓮
花巻市末広町2-13 1F 
tel.0198-33-0836

ブックス銀河
tel.0198-22-7760
fax.0198-77-2252
Email. books.ginga7760@clock.ocn.ne.jp

株式会社小瀬川新聞店花巻販売センター
花巻市大通り1-14-28
tel.0198-23-2254
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新聞

2021-01-21 | 社会
事務所がある実家では朝日新聞、
自宅では毎日新聞、
そして会社としては岩手日報を購読している。
それぞれの論点の違いは面白いし
載っている情報の開示範囲も各紙なりで
例えばひとつのニュースを見比べると
事象の全体像をあたかも俯瞰で見ている感じになる。
岩手日報は県内情報を知りたくて取り始めたが
意外に読み応えがあることに気づいた。

昨日の朝日新聞と岩手日報には
切り口は違うもののほぼ同じテーマの論考が載っていた。
岩手日報はコロナ禍での「集団化」の分析。
震災、原発事故にコロナ禍が重なり
人々は「異物」の排除を強めて集団化しつつあり
その顕著な例が「自粛警察」であるとの考察だった。
朝日新聞はネトウヨやトランプ支持者を例に挙げ
「普通の人自認」層が陰謀論に引っかかりやすいとの考察。

「普通」ってなんだ?「正義」ってなんだ?
どちらも人によりその定義はまちまちなのだが、
あたかも自分の「普通」や「正義」が絶対だと思い込むことこそ
悪意に騙されたり、陰謀論に振り回されたり。
特にネット社会となった現在、
自分の考えに近く、都合の良い意見しか見えなくなり、
しかも膨大な情報量の取捨選択ができなくなって
人々は自らの「普通」や「正義」の中に逃げ込んでいると。
それが排除や差別につながっている。
(ナチスの時代のドイツがいい例だが、戦前戦中の日本も)

どうも自分の頭で考えることが希薄になっている気がする。
口角唾を飛ばして熱く語る
(今はそういうこと自体感染防止のために排除されるのだろうが)
ネトウヨの人々の話を聞いて(SNSなどで読んで)いると
どこかで誰かが主張していることの受け売りばかりだ。
コロナ対応も同じ。
ただただ「外出を控える」「密を避ける」ばかりじゃなく
どうすればリスクを軽減させることができるのかということだろう。
外食だって、外出だって、旅だって、
根本的に都会と地方だって対応方法は違うと思うのだ。
(地方だと、外出したって場所によっては誰とも会わない)
必要なのはクリティカルシンキング。
本当にそうか?本質はどこにあるのか・・・など
常に考えることこそ大事なことだと思うのだが。
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狭間の世代

2021-01-20 | 音楽
1970年前後は政治の時代だった。
学生運動、ヒッピー、フラワームーブメント。
ベ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)の署名活動やデモ。
新左翼の者たちよるテロや暴力によってその時代は幕を閉じ、
急速に、それまでは「日和ってる」と非難されるような
個人の幸福や平穏な毎日を願う風潮が普通になった。

ベトナムやラオス、カンボジア内戦の状況は
小学生の頃テレビでよく見ていた。
岡林信康のアジ混じりの歌もどこかで耳にしていた。
中学生になったのは1973年。
流行ったのはかぐや姫の「神田川」だった。
そこにはささやかな恋愛が描かれ、アジる歌ではなかった。

政治の時代からバブル時代までの狭間の時代を我々は生きた。
「しらけ世代」「無気力世代」「新人類」と呼ばれ
旧来の価値観からも、狂乱からも背を向けて
我々は自分が歩むべき道を手探りで模索していた。

まだまだ60年代の残滓はそこここに残っていた。
大学では新左翼の者たちが鉄パイプを持って
追いかけているのも見たし、ロックアウトも経験した。
そんな我々の心に届いたのは
60年代を引きずっていたともいわれる森田童子。


しかしその歌はアジるものではなく深い内面を歌ったもの。
考えてみれば、まさにその時代の我々のためにあったような歌だ。
大人の階段を1段登ってみた時には暑い季節は終わっていた。
我々は一体何を目指せばいいのだろう。
そんな心境を、彼女の歌はすくいとってくれているようだった。


2018年。
彼女はその素顔を全く見せないままこの世を去ったという。
私は今も彼女のアルバムを大切に持っている。
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御礼

2021-01-19 | 風屋日記

突然の訃報だった。
12月7日、お元気な姿にお目にかかったばかり。
お持ちしたマチココを嬉しそうにご覧になっていた。
なんとも絶妙なタイミング。
お目にかかり、ご覧いただけてよかった。

最初は私が小学校1〜2年の頃。
寺島貞志先生に絵を習いに通っていた頃。
先生のお手伝いをされていたり、
先生が不在の際は娘先生として絵を教えてもらった。

その後1度どこかでお目にかかったはずだが
はっきり覚えているのは24〜25年前。
芸術に興味のある花巻の経済人何人かからの依頼を受け
その頃はもう亡くなっていた寺島貞志先生の画集を作ろうと
お住まいの菊池捍邸へ相談に伺ったのだった。
詳しくは書かないが、最終的には実現に至らなかった。

昨年暮にお目にかかったのはそれ以来。
当時に比べ、それなりにお歳は召していたものの、
メガネもかけずにマチココの文章を読み上げたのには驚いた。
本当に嬉しそうに
マチココに掲載させてもらった寺島先生の記事をご覧になっていた。

新聞の慶弔欄でお名前を見つけたのは1月13日。
すぐにご遺体が安置されている葬祭場に駆けつけた。
6日に入院、10日夕方息を引き取られたとのこと。
やはり寺島先生にかつて絵を習い
それ以来死ぬまで絵が趣味だった親父の遺稿集をお届けし
祭壇にお供えした。
昨日またお伺いする予定だったので
お目にかかった時に進呈するつもりで用意していたもの。
残念ながら生前ご覧いただくことはできなかったが
娘さんがご自宅に設えた祭壇にお供えしてくださっていた。

寺島先生の功績を顕彰する取り組みはこれから。
最後まで見守っていただきたかったが
私たちにできるのは顕彰プロジェクトを粛々と進めること。
空から後押ししていただけるだけでもいい。

寺島共子先生、安らかに。
合掌。
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My favorite music

2021-01-18 | 音楽
ブリティッシュロックやプログレは通ってこなかった。
確かにEric Claptonは聴いたけれど
それは「Layla」から続く数枚のアルバムと
「Unplugged」やB.B.Kingとのコンビアルバム。
ロックといえばアメリカンだった。
Little FeatやEagles、The Doobie Brothers、
そしてThe Allman Brothers BandにC.S.N.Yなど。
一時は古いブルースにもハマった。
ブラックミュージックもリズムが結構好きだった。
フュージョンもファンキーなものを中心にけっこう聴いた。

でもね、歳とともに聴きたい音楽が変わってきた気がする。
ジャズなら4ビート。
フュージョンなら、よりメロウな懐かしいもの。
そして、ここにきてラテン系の音楽がとても心地いい。
もともと好きだったボサノバでも
Antônio Carlos Jobimのようなオーソドックスなものより
João Gilbertoの「声とギター」みたいなヤツ。


ロックなら、なんと今になってSantana。

エンドレスリピートして聴けるのはこれだ。

ラテンのリズムや哀愁を帯びたメロディーってのは
どうしてこんなに沁みるのだろうか。
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26年前の今日

2021-01-17 | 社会

当時盛岡まで車で通っていた私は
雪道運転のために5時すぎには起床し
TVを見ながらストーブの前で着替えをしていた。
NHKニュースがいきなり途切れ
「関西方面で大きな地震」という速報が。
大阪や京都の震度はすぐに出たのだが
神戸だけはいつまでも速報の震度が出ない。
その9年前に新婚旅行で神戸に行っていた私は
そのことが妙に気になりつつ出社した。
昼休み、近くの食堂へ行った時にTVで見た光景。
言葉が出なかった。

高校の同級生が神戸に住んでいた。
携帯電話などなかったその頃、連絡の取りようがない。
職場へ電話するももちろんつながらない。
何度かチャレンジし、
ようやく職場にいた同級生と話せた時には
阪神大震災からもう10日が経っていた。
高校時代はいつもふざけて話をしていた同級生は開口一番
「神様は何でこんなことをするんだろう」と言った。
自分の家は多少の損害で済んだが、近所の家がたくさん倒壊し、
みんなで救助にあたっていたとのこと。
助け出すことができなかった人たちを何人も見たという。
返す言葉が見つからなかった。

あれから26年。
その間起きた東日本大震災からも今年で10年になる。
風化させてはいけない。忘れてはいけない。
だから今も風音は「満月の夕」を歌う。
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