風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

2017-07-31 | 生活の風景


昨日は曇りで蒸し暑かった。
今日も朝から曇ってて、夕方から雨の予報。
ここまで北東北だけ梅雨明けから取り残されている。

大陸の乾いた、冷たい空気の高気圧と
湿った、熱い空気の大変洋高気圧が、
日本の上空でせめぎ合いする境目が梅雨前線。
いわば春と夏との境目だ。
太平洋高気圧の力が強くなることにより、
梅雨前線が押し上げられていくと梅雨明けとなる。
北東北の場合は、太平洋高気圧が圧倒的勢力になり
前線そのものが途切れると梅雨明けになるパターンが多いのだが
今年は気圧配置図に現れたり、消えたりしながら
いつまでも北東北上空雨に停滞中だから
なかなか梅雨明け宣言に至らない。
判断も難しいよねぇ。

今週は曇りや雨の日が多いという。
来週月曜日の立秋までに梅雨明け宣言は難しいかな。
ま、ギラギラの暑い日も辛いし
かといってかつて例外になった時ほど寒いわけでもないし、
個人的には雨はそんなに嫌いじゃないから良いんだけど、
今週末のイーハトーブ音楽祭など
野外イベントが続く季節だから関係者はやきもきだよね。

向日葵や桔梗は晴れて暑い日が似合うけど
当地でまだまだ盛りの紫陽花や月見草は雨粒が似合うね。
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リノベーションスクール@花巻 事前講演会

2017-07-30 | 世界・平和


いよいよ花巻でリノベーションスクールが開催される。
今回はそれを前に、第一人者とされる島田さんの講演会。

東京ではまちの再開発が盛んに行われるが
再開発とは、言って見れば街を全て作り変える試み。
莫大な資金をかけ、大規模で行われるのが常だ。
その結果、全く新しいまちができる。

しかし地方においては
莫大なお金をかけて莫大な収益を上げられるほどの
経済力も、企業も無い。
地方のまちが元気になるとは
大きなお金を動かして大規模に行うのではなく
ひとりひとりが回す小さい歯車が
たくさん回り始めることを言うのではなかろうか。
だからまちをすっかり作り変えるのではなく
それまでのまちを生かすやり方が良いと思うのだ。

それと、新しいまちは無機質なところから始まる。
新しい建物に入るのは、中央資本のチェーン店が多いだろう。
そうするとどうしても全国一律、
金太郎飴のようなまちになりがちだ。
古い町並みには、それまでの歴史や物語がある。
たくさんの人たちの思い出もある。
それを生かしながらまちづくりするのが
リノベーションまちづくりだと思う。
新しい物語を付与しなくても
すでにある物語をそのまま生かすまちづくり。
人の温もりもそこにはある。

まちの活性化に一番必要なのは
密かに「コミュニティ」だと思っている。
人と人とのつながりがまちに活気を生み出す。
決してハードではない。たぶん。
(ハードが人を呼ぶためにはそれなりの仕掛けが必要)
人のつながり、人の温もり、思い出、歴史・・・
そんなものが今の花巻に最も必要だと思うのだ。
この講演会でも、リノベスクールでも、参加することで
新しい人との出会いがあり、コミュニティが生まれるだろう。
マルカンビル大食堂営業再開劇でもあったように。

そこに暮らす人たちが温もりを感じるまち、
「ここが自分たちのまち」だと胸を張れるまち。
人と人とがつながる、そして人を呼ぶまち。
そんなまちを作っていこう。
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体調不良

2017-07-29 | 生活の風景
イマイチの状態がここ数ヶ月。
はじめは何かのアレルギーかと思っていたけど
段々悪化してきた感じがしている。
(発作みたいなのが起きる頻度が高くなってる)
加えてお馴染みの頭痛やら、ダルさやら。
食欲も(良い時は良いけど)あまりない感じ。

と言いつつ、
気持ちに余裕がないために
プライベートな時間をなかなか取る気になれず
(健康診断もやらなきゃなーと思いつつ)
病院に行く予定も立ててない。
仕方ないからこの体調とユルユル付き合う。

仕事がらみ以外で欲しいものも無いし、
やりたいことも特に無いし、
仕事以外の物事にに対する意欲も減退気味。
とにかく24時間年中無休で頭の中が仕事になってる。
気分転換が出来ていないんだろうね。

暑かったり、寒かったり、天候のせいや
どうせ歳のせいなんだろうしな(^^;
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イーハトーブ音楽祭2017

2017-07-28 | 音楽


今年もやってきましたイー音。
例年通り、8月5日〜6日の2日間にわたり
3ステージみっちり音楽をお届けします。
酷暑でうんざりの首都圏の皆さんも
避暑がてら、マルカンソフト食べに来がてら、
わいわい騒ぎにおいでになりませんか?

なお、諸般の事情により
今回は風音★楽団の出演はありません。
悪しからず。
来年に向けて精進します(^^;
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高校2年の頃

2017-07-27 | 風屋日記




高校も2年になると
部活にかけていたヤツは
中堅どころとしてますますエネルギーをつぎ込んでいた。
勉強第一ってヤツは(そんなヤツいた?)
授業が終わるとさっさと下校していたと思われ
あまり姿を見た記憶がない。
応援団幹部選挙に当選した仲の良かったヤツらは
放課後の特訓で声を枯らし、
生徒会執行部選挙で当選したヤツらは
体育祭や文化祭の企画で連日生徒会室にこもっていた。

部活には顔を出さなくなり
生徒会役員も1年務めただけで辞め、
直前まで自他共に有力(?)候補者だったはずの
応援団幹部選挙にも結局出馬しなかった私は
親しい友人たちが各々青春の炎を燃やしているのを横目に
授業が終わるとバンカラ学帽をかぶり
足駄(高下駄)を鳴らしながらひとり街に出た。

行き先はいつもの本屋「誠山房」。
毎日そんなに変化があるわけではなかったレコード棚で
飽きもせず1枚1枚めくって見て
シュガーベイブや坂本龍一、大瀧詠一、細野晴臣など
輝いて見える新しい音楽の潮流を眩しく眺めていた。

そのあとは書籍棚。
単行本など小遣いでは買えるわけも無く、
眺めるのさえほぼ新書や文庫本に限られてはいたけれど
それでもたまに角川で出していた並製本の四六判シリーズで
「三太郎の日記」や「善の研究」など立ち読みしていた。
財布を手に、何か買おうと思うのは文庫。
あのころ何を読んでいたかなぁ。
ドーデやデフォー、サルトルを買ったのは覚えているけど
新潮文庫のカミュを一番気に入って何冊も買ったのは
このころだったんじゃなかったかな。
谷川俊太郎さんや大岡信さん、川崎洋さんを知ったのも
確かこのころだった気がする。

本を買うと向かう先は喫茶店。
気分次第で店を選んでいたけれど
一番回数通ったのは、今の文化タクシーの前にあったぐがーん。
マスターと話がしたい時には鍛冶町のJAZZ喫茶エル・グレコ。
人恋しくて、誰か同級生と会いたい時には
淡い期待を抱きながら誠山房2階にあったサントス。
そんな店でひとりコーヒーを飲みながら
買ってきた文庫本のページをめくる毎日だった。

「友がみな 我より偉く見ゆる日よ・・・」
輝いて見える友人たちを密かに応援しながらも
なんとなく寂しく過ごした1年間。
そんだけ時間があったなら、勉強すれば良かったのにね(笑)
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2017-07-26 | 世界・平和
嘘ってのは、自分にとって都合が悪かったり
あるいはメリットが生じたりする時にしかつかない。
わざわざ都合が悪くなるような嘘や
デメリットを生じさせる嘘は誰もつかない。

例えばの話だが
官僚を辞めたあとに告発発言をした人はどうか。
仮にその人の告発が嘘だった場合
彼には都合が良くなることやメリットはあるか?
今のところ何もない。
それどころか、逆に人格攻撃を受けたりして
都合が悪い立場に追いやられたりする。
陰謀だとか、裏取引があるとか
言われることがあるかもしれないが、
そんなのは単なる想像であって証拠も何もない。

例えばの話だが
現役官僚が自分の立場やトップを守るために
仮に嘘の答弁をした場合はどうか。
いうまでもなく自分やトップの立場を守れるし、
褒賞人事というメリットもある。
証拠も何も、それは事実だ。
「そんなことするわけがない」という声もあろうが
「するわけがない」証拠はどこにもない。

例えばの話だが
性的強要を受けたと公に告発した人はどうか。
仮にそれが嘘だった場合、立場の逆転やメリットは何もない。
それどころか今後は色眼鏡や好奇の目で見られたり
人に避けられたりするだろう。
「売名行為」とか「体で仕事を買おうとした」などと
中傷されることはあっても
その「嘘」によって仕事を得られるわけではない。
デメリットばかり。

例えばの話だが
性的強要を行ったと言われた人はどうだろう。
仮に「そんなことはなかった」との反論が嘘だったとしたら
もちろんその人は罪に問われることとなる。
ましてその人が、その直後に本を出版しようとしていたら
罪に問われることによって
出版そのものがおじゃんになる可能性がある。
罪に問われることもなく、印税を稼げるか
出版が不可能となり収監されるか
この場合はメリット、デメリットどころに話じゃない。

嘘をつく人は、嘘をつく必要があってつく。
ニュートラルに物事を考えてみると
腑に落ちることがたくさんある。
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ユリの花

2017-07-25 | 生活の風景


巨大(^^;
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川の流れのように

2017-07-24 | 風屋日記


人生いろんなことがある。
流れに身を任せ
岐路のたびにその場で判断して
その判断を後悔しない。
そんな生き方ができたら・・・。

座右の銘
「従流不変志」にはまだ程遠い。
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「写真集 栄光の軌道 花巻電鉄」

2017-07-23 | 読書


こんな本を持っている。
平成元年3月発行熊谷印刷発行のもの。
JISコードも何もないから、多分限定版だろう。
記念誌的なものかもしれないが、2500円の値段がついてる。
たしか打ち合わせか何かで行った
盛岡市内のホテル東日本のカフェのレジ脇で売っていたもの。
ボリュームの割に値段が値段なのでちょっと迷ったが
思い切って買った記憶がある。

今にして思えば、買っておいてよかった。
もう多分どこでも売ってない貴重な記録なんじゃないかな?
「もう少しこんなことも取り上げて欲しかった」とか
「年譜も中途半端だなぁ」とか思うところはあるけれど
だからといってこの本の価値が下がるわけではない。
元社員の方々から集めたと思われる、他では見られない写真や
まだ子どもだった私にはわからなかった廃線事情など
本当によく残してくれたものだと思うよ。

紙の媒体は記録性という意味で貴重な存在。
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フリーランス

2017-07-22 | 世界・平和


フリーの立場になって正式には2年4ヶ月。
(実質的には3年)
初めの頃の手探り&おっかなびっくり生活が無くなり
だいぶ時間の使い方のペースが掴めてきた。
とはいえまだまだ平日昼間にプライベートな時間を持つのは
周囲の目が気になったり、罪悪感を感じたりもする。

会社に所属している頃は
いかな役員として「24時間年中無休」を唱えていても
退社後や週末何事もなければプライベートな時間だった。
夏や冬にはまとまった休みもあった。
何かしら突発的なことが起きて対応せざるを得なくても
それは非日常業務であり、イレギュラー対応。
立場的に「しなければならないこと」でしかなかったと
いまになってつくづく思う。

フリーランスになると、本当の意味で24時間年中無休。
例えば高校野球で母校の応援に行ったりする時間を
平日でも取ることは可能だけれど
やるべき仕事が減るわけではないので
その分をどこかで補わなくてはいけない。
それどころか、夜でも、週末でも、年末年始でも
(イレギュラーではなく)普通に仕事をせざるを得ない。
会社というものは大人数が居ても、ひとりでも
やるべきことは全く同じ。違うのは扱う人数の多寡だけだ。
社保業務も、源泉税計算も、経理も、財務も、決算も
そして営業も全てひとりでこなさなくてはいけない。
いきおい、本来収入に結びつくべき業務はその後になる。
「フリーランスはやりたい仕事ができる」とよく言うけれど
まずそこまで行き着くのにハードルがたくさんある。

もうひとつ。
勤務時間や勤務日が定められていない立場で
(法的にはそういうわけわけじゃないけど)
なおかつやるべきことが目の前に山積みとなっていると
プライベートな時間を持つ余裕が持てない。
物理的な余裕もさることながら、一番は気持ち的な問題だ。
興味あるライブに行ったり、自分のライブを考えたり、
お茶の修行や個人的趣味の読書の時間さえも。
(昨日書いた本は、本当に久しぶりに読んだ小説)
神楽は趣味というより「なすべき役割」みたいなものだし
それに空けなければならない日時が決まっているので
スケジュールに組み込みさえすれば良いのだが
能動的にプライベートな時間を設けることは
どうしても後回しになり、結果棚上げになってしまう。
(実は健康診断すらできていない)

まぁやらされる仕事と違って苦にはならないんだけどね。
かっこいいこと書くようだけど
ご飯食べてても、テレビ見てても、車運転してても
次から次へと企画ややりたいことが頭に浮かんでくる。
それを考え始めるといてもたってもいられなくなり
すぐに考えをまとめ始めることになる。
具体的に可視化するにはそれなりの時間や手間が必要。
そうなるとどうしても時間がもったいない。
そんなことの繰り返しだ。
そんな仕事漬けが苦じゃないってこと自体どうかと思うんだ。

時間が使えないわけじゃないから
周囲からいろいろ誘われるとそれには応じられる。
自ら時間を取るってことが後回しになるだけだから。
すこし気持ちに(意図して)余裕持たなきゃダメだね。
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「君の膵臓をたべたい」

2017-07-21 | 読書


若者向けの典型的な青春ストーリかなぁ。
それにしてもなんだか回りくどい言い回しを使っていて
読み進めるの、何だか面倒くせぇなぁ、と初めは思っていた。

・・・が、その「回りくどい言い回し」が
実は綿密に計算されたものであって
物語が後半に進んでいくにつれて文体そのものも変わってくる。
これは単なる青春ラブストーリーではなく
人間の存在意義を問うテーマとなっていることに気づいた時には
すでに(齢60近くでありながら)高校生たちの物語に
いつか入り込んでしまっていた。

「生きるってのはね」
「・・・・・・・・・・」
「きっと誰かと心を通わせること。
 そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」

「私の心があるのは、皆がいるから、
 私の体があるのは、皆が触ってくれるから。
 そうして形成された私は、今、生きてる」

でも人が生きるということは、結局ひとり。
自分というものを長い時間かけて会得していく。
(この歳だから言うけど、本当に長い時間がかかる)
周囲にどんなに親しい人たちがいるとしても
生まれるのも、死んでいくのもひとりだ。

「周りがいて自分が存在」し、「でも自分は結局ひとり」
個人と社会という、古今東西哲学者たちに考えられてきた概念を
この1冊の青春物語は内包している。

住野さんのこの作品は(自分的には)
よくある「泣ける小説」ではなく「考える小説」だと思った。

「君の膵臓をたべたい」住野よる:著 双葉社文庫
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大津屋

2017-07-20 | 文化


花巻市上町商店街の中
誠山房書店跡地横の、今は駐車場になっているところに
かつて老舗大店の呉服店大津屋さんがあった。
最後のご当主は今は亡き親父の学生時代からの大親友。
子供の頃よく遊びに行っては
「いま勉強中だから、あんたも帰って勉強しなさい」
と言われたものだと生前親父は笑いながら話していた。
親父とご当主の関係で
妹は小さい頃、花巻まつりで上町の山車に出してもらっていた。
(当時数ある山車の中で、上町は特に格式が高かった)
全盛期の大津屋さんの土地は
今の駐車場のところだけでも300坪はあろうか。
どうやら仲小路を挟んでさらに今のレジャマル駐車場跡地を超え
ひゃっこ坂途中まであったらしい。
その一番北側、ひゃっこ坂上り口にあったのが
最後のご当主のおばあさんが隠居していた旧橋本別邸。
宮沢賢治がアドバイスして作ったという庭を持つ
今の茶寮かだんさんだ。
瀟洒で贅を凝らした家に往時の隆盛が偲ばれる。

で、上の写真にある福助の看板だが
なんと(これほど大きなものではないものの)
まだかだんさんにブリキのものが残っていた。



大津屋さんが大店だった頃を知る者にとっては
懐かしく、そして胸を締め付けられるように感じる遺物。
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レトルト マルカンラーメン

2017-07-19 | 食べ物・お店


あのマルカンビル大食堂の代表的メニューのひとつ
マルカンラーメンが近日発売。
味はマルカンビル大食堂の厨房スタッフお墨付き。
お墨付き画像 → ココ
寄付もついた応援グッズでもある。
乞うご期待!!

YAHOO!ライフマガジンにもマルカンビル大食堂の記事が!!
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co-ba HANAMAKI交流会

2017-07-18 | 世界・平和


花巻の「ヘンな人たち」(主催者談)が集まった
コワーキングオフィスのco-ba HANAMAKI交流会に
ゲストとして参加。
確かに「ヘンな人たち」ばかり(笑)
今の花巻は面白いプレーヤーがどんどん出てきた(^^)
この人たちがこれからの花巻を作っていく。



その後の懇親会も大盛り上がり大会。
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小瀬川熊野神社にて

2017-07-17 | 神楽・芸能


昨日は小瀬川神楽の100周年ということで、
初めて小瀬川熊野神社を訪れた。



木立に囲まれ、存在感を感じる歴史ある神社。
市長や教育長も来賓として招き
会場に収まりきらないほどの観客だった。
円万寺流の神楽はたったの3団体。
ひとつでも廃れてしまえばたちまち絶滅危惧種だ。
だからこそ、3団体が一緒になって、
先人から引き継いだ芸能を
これからも後世に伝えていく必要がある。
そういう意味では、3団体揃い踏みの昨日の演舞は
初めてながら本当に貴重な場だったのではないか?
今後もお互い切磋琢磨しながら
引き継いで行こうとの意思を確認できた場となった。



満杯のお客さま。
写真の演目は小瀬川神楽の「鳥舞」。







同じく小瀬川神楽の「蕨折り」。
狂言演目だけあって、
会場は大爆笑に包まれていた。

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