どんなことでも、当事者にしかわからないことは多い。
華やかに見える芸能界の、例えばアイドルも
憧れる若い人は多いけれど、アイドルなりの苦労がある。
スターに見えるスポーツ選手も見えないところで戦っている。
都会に住む人たちも、地方に住む人たちも、
住むその場所なりにメリットもデメリットもある。
その人が抱えるコンプレックスや生きにくさも
他人にはわかりにくい。
そして人はそれぞれ違うから
どんな人でもマイノリティ要素を持っている。
国籍だったり、体型だったり、出自や家庭環境だったり。
例えば周囲がみんな右利きだという左利きの人が
どんなに不便を強いられているか右利きの人はわからない。
「自分が何らかのマイノリティだ」と考えると人は不安になるから
できるだけマジョリティに含まれたいと願い「普通」を装う。
マジョリティに含まれるためには、
「『普通』じゃないマイノリティ」を作る必要がある。
そんな「区別」のひとつに性的マイノリティはある。
当事者をできるだけ「自分たちがわかりやすいように」
LGBTQなどとカテゴライズして「区別」したがる。
でも実際にはそんなもので括られるほどことは単純じゃない。
「男(女)に生まれたけど自認は女(男)なんだろ?」とか
「同棲が恋愛対象なんだろ?」とか簡単にわかったような気になるが
性自認も性的指向もそんなに単純じゃない。
人間ひとりひとりの性格や指向、考え方がまったく違うように。
そして当事者たちの苦悩や生きにくさもそれぞれに違う。
その人にしかわからないことの方が多い。
だから、例えば本書などを読むことによって
多少なりともそれを知ると驚くことがとても多い。
でもそれってとても大事なことじゃないかと思うんだ。
100%わかるのは無理だけど、
少なくとも「ひとりひとり違う」ことを理解できれば。
例えば、最近はジェンダーに配慮したつもりで
男女別のトイレが当たり前になりつつあるけれど
それはトランスジェンダーの人たちにとって苦悩の理由になる。
私は若い頃、男性の痴漢に遭って
震えるほどの恐怖を感じたことがあるが、
自分が名も知らぬ誰かの性的対象であることの恐ろしさを
身をもって体感したのがその恐怖の正体じゃないかと今思う。
男性たちのそういう視線に四六時中晒される女性たちのことを
男性たちはたぶん知らない。
トランスジェンダーとして両方の性を生きた人たちは
その両方の立場を経験して驚くことも多いだろう。
誰しも自分とは違う・・・ということを理解するためには
「これが普通」「こうあるべき」という殻を破る必要がある。
生き方も、服装も、恋愛も、考え方も、そして行動も。
性的マイノリティばかりじゃなく
みんなそういうことに縛られて生きにくさを感じているんじゃない?
「べき論」から脱して、共に生きていることを理解しよう。
「若者が求めているのは答えを教えてくれる人ではなく
解決すべき問題を示してくれる人です」
という、本書に出てくるNPOの方のセリフにも目からウロコ。
性適合手術についても本書から学ぶことがあった。
「心と体の性別がズレていることで傷を負った人間は
たんに『心と体の性別が一致さえすれば幸せになれる』
というものではない」
身を削ってアルバイトで金を貯め、すべての手術を終えた著者の友人は
その後自らの命を絶ってしまったという。
本書は、タイトルや帯文を読むと
著者自身の苦悩についてネガティブに書かれていると思われそうだが
読んでみると今の社会の仕組みの不具合点を糾弾したり、
それに対して自分が何をできるかを着々と学んでいく
ポジティブな人の成長物語としても秀逸だ。
たくさんの人に本書を読んでもらい、様々なことを考えて欲しい。
広く考えるとコトは性的マイノリティだけの話じゃないから
常に考え続ける必要がある。ゴールはない。
「オレは絶対にワタシじゃない〜トランスジェンダー逆襲の記」
遠藤まめた:著 はるか書房:発行 星雲社:発売