風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「生のみ生のままで」

2022-09-30 | 読書


 
 
綿矢りさ氏の作品は初めて読んだ。
「インストール」や「蹴りたい背中」は数々の賞を受け
ミリオンセラーになったりもしているが
内容的に自分の世代と共感できるか疑問だったので
手に取ってみることもあまりしてこなかった。
以前からジェンダーや性的マイノリティに興味を持ち
中山可穂さんの小説などを読んでいたのだが、
現在私が週刊金曜日に
性的マイノリティのルポを連載していることもあって
その資料的意味合いで本書を手に取ったのだった。
読んでみて、表現の繊細さに驚いた。

良い意味で期待は裏切られた。
性的マイノリティを大上段から描いているというよりは
ピュアで熱いラブストーリー。
こんなおっさん(爺さん)が恋愛小説を読むというのも
客観的にみると気味の悪い話なのかもしれないが😅
心の潤いは年齢とは関係ない。
(それこそジェンダーレッテル)
久しぶりで良い恋愛小説を読んだ気がする。

もちろん現実はもっと厳しいものだろう。
人間そんなに一途になれるものだろうかという疑問も湧く。
しかし当事者のその時々は人生の全てになる。
何を失っても怖くはない。
そんな遠い昔を思い出させてくれる作品だった。

ところで、解説に
「『同性愛の恋愛と思えない』という表現は相応しくない。
 『異性愛と思えない恋愛』とは言わないので
 区別して考えている表現でしかない」
とあった。
確かにそうかもしれない。
老いてからの2人の姿を今想像してみたりしている。

「生のみ生のままで」上・下 綿谷りさ:著 集英社文庫
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「戦争の足跡を追って〜北上・和賀の15年戦争」

2022-09-29 | 世界・平和

北上に住む若い映画人兄弟のことは
以前から新聞やテレビで知っていたのだが
今回その兄弟が作った映画が花巻市文化会館で上映させると知り
日曜日の午前中行ってみた。

内容は自分たちの祖父の体験談から始まり
北上、和賀地方の戦争の記憶を追ったドキュメンタリー。
軍事郵便の逸話も、最後の千三忌の話も
新聞などで読んで知っていたが、関係者の生の声は初めて。
戦争体験者がどんどんいなくなってしまう時代だから
今この時点でこういう記録を残すのは大事なことだと思う。
そういう意味では、あちこちに話を広げず
ひとつひとつの話をもっと掘り下げて欲しかった。
特に最北の特攻基地から出撃した人たちのことなどは
彼らの宿舎だった花巻でも哀しい逸話が残っているから。

気になったのは、満席だった来場者がほとんど高齢者だったこと。
もしかしたら私が最年少か?と思われるほど。
実際に戦争を体験した方も多かっただろう。
その人たちにとっては、新たに知る事実というよりも
追体験という意味合いの方が強かったのではなかろうか。
作った本人たちはまだ若い。
「この地にも、実は戦争が影を落としていたんだよ」
と、自分たち目線でこの作品を作っている。
そのテーマは、実際に戦争を知る人たちにはミスマッチだろう。
20代から40代、制作者と同年代で、
特に子を持った親たちに見てもらうべきだろう。
それでこそこの作品の意味が生きてくる。

戦争を招くのは軍人でも、政治家でもない。
一般市民たちの世論が招く。
日中戦争から太平洋戦争に至るまでの長い戦争も
当時の日本人たちによるアジア人蔑視やマッチョな世論が後押しし
例えば軍縮会議における「腰抜け外交」世論や
国際連盟脱退時の喝采などが最終的に戦争への道を拓いた。
だからこそ、
市井のひとりひとりに反戦思想を持ってもらう必要がある。


世界恐慌をきっかけに、
自国優先主義の強権指導者があちこちの国に生まれ、
「防衛」の名の下に、日本やドイツで武力による隣国侵攻が始まり
それが世界規模の戦争につながっていったあの時代。
コロナ禍で大きな不安が世界中に拡がり
アメリカやイギリス、イタリアでポピュリストが台頭。
ロシアがウクライナに侵攻している現代はあの時代にそっくりだ。
今が正念場。
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さまざまなわたし vo.6

2022-09-28 | 仕事

 
ちょっと遅れてしまったけれど
先々週発売となった月イチ連載の記事紹介。
今回はポリアモリーの男性を取材した。

ポリアモリーが性的マイノリティーなのかどうか
賛否が分かれるところではあるが、
少なくとも自らの性的指向によって
生きにくさを背負っているという意味では取り上げるべきと考えた。
単なる、いわゆる「浮気性」とはどこが違うのか。
もしかしたら一番理解されにくい存在なのかもしれない。
「複数恋愛」と表されるだけがポリアモリーの本質ではない。
そのあたりは本誌を読んで欲しい。

これまでの本連載記事の中で
実は一番
「果たして書き切れた(表現できた)記事だろうか」
という迷いがある記事となった。
人により理解できる、できないはあるだろうが
まずはその存在を知って欲しいと思う。
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らいおん食堂

2022-09-27 | 食べ物・お店
先日の秋分の日は大忙し。
午前中は小雨の中で撮影仕事があり、花巻温泉へ。
そこから台温泉〜ぎんどろ公園と回って一旦帰宅した。
結婚記念日ということもあって、どこかへランチに行こうと思い
花巻周辺では滅多の食べることができないエスニック料理をチョイス。
(我が家は息子たちも含めてエスニック、特にアジア系が好物)
水沢まで足を伸ばして、以前から行きたいと思っていたらいおん食堂へ。


結構混んでるねぇ。
しばらく待って13時半ごろようやく入店。



この日のきまぐれごはんであるネパール定食と
行く前から楽しみだったナシゴレンとどちらにするか迷った挙句
それぞれ頼んでシェアすることとした。


サラダは沖縄の人参シリシリっぽい感じ。
香りも味も濃くて美味しい。


ナシゴレンがきた。
これこれ😊久しぶりだなぁ。


ネパール定食は盛り沢山。
現地ではこれを手で混ぜて食べるのだとか。
スープに見えるのは豆のスープカレーっぽいもの。
ダールってやつかな?
そのまま飲んでも、ご飯にかけて食べても美味しい。


ジンジャーエールも頼んだんだけど
これはもしかしたら自家製?
市販のもののような変な甘さがない。
しっかり生姜の香りと味。

ところで、コロナ対策で名前と連絡先を書くカードに
ちょっとしたいたずら心が湧いてきて
日付とともに「36回目の結婚記念日」と書いてみたら
なんと、チーズケーキとバナナタルトをベースにした
素晴らしいスイーツセットをサービスしてもらってしまった。


書いてみるもんだなという気持ちと、申し訳ない気持ちと😅
ともかくありがたく、美味しくいただいた。



らいおん食堂の店主さんとは、まだ店を始める前に、
花巻のゲストハウスmeinnでお目にかかったことがあり
昨秋開店した時からいつか行ってみたいと思っていたのだったが
なんとFBで友達になっている人もスタッフにいて、それにもびっくり。
皆さんのご好意に感謝感謝、絶対にまた行く。

水沢からは高速道路でとんぼ返り。
実家の母を乗せて今度は親父の墓参りへと向かい、
お寺も急いで終わらせた後は実家に母を下ろして仕事絡みで人と会う。
大忙しだったけれど、充実した祝日。
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缶バッジ

2022-09-26 | 神楽・芸能

自分の神楽衣装入れにしているバッグに。
小山カフェ アスチルベさんにて入手。
アスチルベさんの代表である小国さんは
早池峰 岳神楽代表の奥様。
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「オレは絶対にワタシじゃない〜トランスジェンダー逆襲の記」

2022-09-25 | 読書

 

どんなことでも、当事者にしかわからないことは多い。
華やかに見える芸能界の、例えばアイドルも
憧れる若い人は多いけれど、アイドルなりの苦労がある。
スターに見えるスポーツ選手も見えないところで戦っている。
都会に住む人たちも、地方に住む人たちも、
住むその場所なりにメリットもデメリットもある。
その人が抱えるコンプレックスや生きにくさも
他人にはわかりにくい。

そして人はそれぞれ違うから
どんな人でもマイノリティ要素を持っている。
国籍だったり、体型だったり、出自や家庭環境だったり。
例えば周囲がみんな右利きだという左利きの人が
どんなに不便を強いられているか右利きの人はわからない。
「自分が何らかのマイノリティだ」と考えると人は不安になるから
できるだけマジョリティに含まれたいと願い「普通」を装う。
マジョリティに含まれるためには、
「『普通』じゃないマイノリティ」を作る必要がある。
そんな「区別」のひとつに性的マイノリティはある。
当事者をできるだけ「自分たちがわかりやすいように」
LGBTQなどとカテゴライズして「区別」したがる。
でも実際にはそんなもので括られるほどことは単純じゃない。

「男(女)に生まれたけど自認は女(男)なんだろ?」とか
「同棲が恋愛対象なんだろ?」とか簡単にわかったような気になるが
性自認も性的指向もそんなに単純じゃない。
人間ひとりひとりの性格や指向、考え方がまったく違うように。
そして当事者たちの苦悩や生きにくさもそれぞれに違う。
その人にしかわからないことの方が多い。
だから、例えば本書などを読むことによって
多少なりともそれを知ると驚くことがとても多い。
でもそれってとても大事なことじゃないかと思うんだ。
100%わかるのは無理だけど、
少なくとも「ひとりひとり違う」ことを理解できれば。

例えば、最近はジェンダーに配慮したつもりで
男女別のトイレが当たり前になりつつあるけれど
それはトランスジェンダーの人たちにとって苦悩の理由になる。
私は若い頃、男性の痴漢に遭って
震えるほどの恐怖を感じたことがあるが、
自分が名も知らぬ誰かの性的対象であることの恐ろしさを
身をもって体感したのがその恐怖の正体じゃないかと今思う。
男性たちのそういう視線に四六時中晒される女性たちのことを
男性たちはたぶん知らない。
トランスジェンダーとして両方の性を生きた人たちは
その両方の立場を経験して驚くことも多いだろう。

誰しも自分とは違う・・・ということを理解するためには
「これが普通」「こうあるべき」という殻を破る必要がある。
生き方も、服装も、恋愛も、考え方も、そして行動も。
性的マイノリティばかりじゃなく
みんなそういうことに縛られて生きにくさを感じているんじゃない?
「べき論」から脱して、共に生きていることを理解しよう。

「若者が求めているのは答えを教えてくれる人ではなく
 解決すべき問題を示してくれる人です」
という、本書に出てくるNPOの方のセリフにも目からウロコ。
性適合手術についても本書から学ぶことがあった。
「心と体の性別がズレていることで傷を負った人間は
 たんに『心と体の性別が一致さえすれば幸せになれる』
 というものではない」
身を削ってアルバイトで金を貯め、すべての手術を終えた著者の友人は
その後自らの命を絶ってしまったという。

本書は、タイトルや帯文を読むと
著者自身の苦悩についてネガティブに書かれていると思われそうだが
読んでみると今の社会の仕組みの不具合点を糾弾したり、
それに対して自分が何をできるかを着々と学んでいく
ポジティブな人の成長物語としても秀逸だ。
たくさんの人に本書を読んでもらい、様々なことを考えて欲しい。
広く考えるとコトは性的マイノリティだけの話じゃないから
常に考え続ける必要がある。ゴールはない。

「オレは絶対にワタシじゃない〜トランスジェンダー逆襲の記」
遠藤まめた:著 はるか書房:発行 星雲社:発売
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シリーズ「研修所の夢」😅

2022-09-24 | 生活の風景

このシリーズが続いている。
そして私はどうやらまだこの研修所にいるようだ。
先日は研修所の中の部屋をはしごしながら、何人かと話している。
ひとりの人と話をし、別の人から話しかけられる。
さっきの人との話の続きがしたくて周囲を見渡すけれど
もうその人はいなくなっている。
仕方なく2番目に話した人との話を続けようとするのだが
その人もまたいなくなっており、
隣の部屋に行くとまた別の人が話しかけてくる。
その繰り返し。
各部屋は狭くて小屋の中みたいな木造。
事務机が置いてある部屋もあり、何もない部屋もあり。

このシリーズはいつまで続くのかな。
そして何を意味しているのかな。
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9月23日

2022-09-23 | 生活の風景
今日は36回目の結婚記念日。
とはいえ、今日も朝から撮影の仕事😅
そんなもんです。

そして今日は私の両親の
63回目の結婚記念日でもある。
親父が亡くなって30年になるから
あと3年で母は夫婦でいた時間と同じだけ
ひとりの年数が経ったことになる。
おめでとう。


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2022-09-22 | 社会
ちょっと前、ネットにこんな記事が載った。
飲みニケーションは大賛成。
オフィシャルな付き合いがプライベートにも変わる。
そして何より、相手の人となりがわかって楽しい。
それは若くないから、おっさんだから・・・かも知れないけど😅
メンバーが良ければ老若男女楽しいと思うんだ。

でもね、
「確かに汗をかいたあとのお酒はおいしいし、
 人と一緒に飲むお酒も楽しい。
 でも、飲みすぎて何もできない状態になるのは、
 時間がもったいないと思ってしまうんです。
 酔っ払って思考力が落ちると、ゲームや読書など、
 したいことができなくなってしまうので、
 飲む量には気をつけています」
この言葉には「そうそう」と頷いてしまった。
特に昼間から飲む機会があると、飲まずに参加。
何もしたくなくなるその後の時間がもったいないと感じるのだ。
本も読みたいし、仕事につながる情報もネットで調べたい。
もしかしたら車で買い物しなきゃいけないかも知れない。
老いた親から急に頼み事の電話が来るかもしれない。
そう思うと、明るいうちから飲む気になれない。

夜の飲み会なら、まぁその日はほかに何もしないつもりで参加。
そんなにガンガン飲むのが好きってわけじゃないから
場合によってはノンアルコールで飲み会に参加も平気だ。
若い頃は酒に飲まれて失態もあったけれど
この歳になれば経験が生きる😁
冷静さを失わない程度に、思考が鈍らない程度に
適度な量で過ごせるようになってきた。
それでも充分に楽しい。

だからね。
若い人たちが酒離れしているわけじゃないと思う。
ある意味老練な飲み方をしてるんじゃないかな。
我々世代は泥酔して失態を演じながら飲み方を学んだけど
彼らはそういう姿を見て、早くから学んできたのかも知れない。
まぁ若い頃の失敗は、歳とともにいい思い出になるんだけど
そこは「失敗を恐れる」今の若者の姿かも知れない。
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人生

2022-09-21 | 風屋日記

かつてモグと名付けた柴犬雑種の犬を飼っていた。
我が家に来たのは長男が10歳の頃の1997年。
まだ生まれて1ヶ月程度だったと思う。
はじめは慣れない家に来てブルブル震えていたので
段ボールにタオルを敷いた寝床を家の中の廊下に置き
夜は添い寝したりしていた。

1ヶ月ほどそうやって過ごし、
家族にも慣れ、体が大きくなってからは外に作った犬小屋へ。
飼い主に似て(?)なかなかのおとぼけ犬で
犬小屋を置いた駐車場の柱に
リードを絡ませて身動きとれなくなったり、
自分が食べ残したご飯をカラスが突っついてもどこ吹く風。
ネズミや虫などの、小さい生き物へは吠えるものの
自分より大きな生き物には知らん顔で
近所のリンゴ農家のおじさんから
「熊来ても知らん顔だもんな。もうぺっこ騒いでくれれば良いのに」
と苦笑いされたりもしていた。

毎朝の散歩は私の仕事。
熊よけラジオを腰からぶら下げ、野原や林を歩いた。
夏は朝からじりじり照りつける中を、
冬はまだ真っ暗な中、雪を踏みしめながら。
お気に入りの場所に早く行きたくて、リードをグイグイ引っ張る。
何度乗っても車に慣れず、検診に行く時は大騒ぎ。
それでも10歳を越える頃からだんだん元気がなくなってきた。


そして15歳となった2012年。
東京に単身赴任中で、久しぶりの帰省の私を迎えに
家内が家を空けている間に、モグはいなくなった。
すっぽり抜けたであろう首輪だけが残っていた。
歩くのもやっとのヨタヨタで行ける範囲は限られている。
近所中探し回ったが、とうとう見つからなかった。
どこか人目につかない死場所を探したのか。
家の前の用水路に流されたものか。

それ以来、生き物を飼う気にはなれない。
モグへの想いもあるし、亡くなった時の喪失感もあるが
同時に、モグの人生(犬生?)に自分を重ね合わせ、
身につまされてしまったことも大きい。
日本人の平均年齢は80代半ば。
あどけない乳児、幼児期を経て、元気な少年・少女期、青年期、
そして成熟していく成年、壮年、中年と年齢を重ね、
体が徐々に動かなくなってくる老年期へ。
今の私は中年も過ぎて老年に片足を突っ込んでいるところか。
犬の平均寿命は13〜15歳ぐらいとのこと。
つまり人間の80年余りをそのぐらいの年月で駆け抜ける。
モグが雄だったこともあり、振り返ってみると
自分の人生を早回しで見ているような気になったのだ。

「そうか、自分もすぐに老いて、あんな風になるのか」
そう考えると、まだ見ぬ自分のこの先を見せられているようで
どこかしんみり達観してしまう。
そんな気持ちにさせられるのは1度で充分だ。
だから、たぶんもう生き物は飼わない。
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早池峰神社

2022-09-20 | 文化


一昨日は撮影仕事で大迫へ。
花巻市内といえども
自宅から大迫の町まで車で30分。
そこから早池峰山登山口近くの岳集落まで更に30分。
ここは早池峰神楽のひとつとして知られる岳神楽の地。
早池峰神社がその本拠地だ。
拝殿は慶長17年築、なんと大阪冬の陣よりも以前。
それから何度か修復されたらしいが
基本系は創建当時から変わっていないという。
もちろん現拝殿が建築される前から
神仏混淆、修験の霊地としてこの神社はあった。
その修験の法力の技こそが山伏神楽の原点。
早池峰神楽は鎌倉、室町の時代から連綿と続いている。


周辺にはいかにも修行の地とわかる急峻な渓流も。
岳集落には「○○坊」と名のつく登山者のための民宿が並ぶが、
その名の通り、元々は代々修験者の宿泊場所だった。


撮影の合間のランチは「お山カフェ アスチルベ」さんで
「秋のピザ」をいただく。
キノコたっぷりの醤油ベースがとても美味しかった。
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飲み会

2022-09-19 | 仕事
一昨日は宮澤トシイベントのあと
今度はマチココ編集会議と飲み会が計画されていた。
場所は隠れ家的小料理屋「日足」。



ここは某新聞社の花巻支局長イチオシの店。
とにかく美味しいし、小部屋もgood。
仲間内でまったり、和気藹々過ごすことができる。
なんか、昔懐かしい感じの店だ。
新たなメンバーとの顔合わせも嬉しい。


最後は久しぶりのココ。
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宮澤トシ没後100年イベント

2022-09-18 | 文化

昨日はトークイベント。
宮澤賢治さんの妹トシさんが亡くなって100年ということで、
賢治さんの妹、賢治さんの作品に出てくる女性というだけではなく
宮澤トシさんというひとりの女性の人となりについて
岩手大学名誉教授の望月先生の講演に
宮澤兄妹が生きた時代の建物の話を交えながらというイベントだった。
生身のトシさんはとても聡明で魅力的な人。
そして賢治さんに勝るとも劣らないほど真面目な人だったようだ。

これまで花巻南高(トシさんの母校花巻高等女学校の今の形)、
花巻生涯学習都市会館で開催されてきて
菊池捍邸で開催された今回が3回目。
あと2回計画されている。
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「ルポ 誰が国語力を殺すのか」

2022-09-17 | 読書

 

戦慄し、背筋が寒くなった。
コトは国語力、語彙力だけの問題じゃない。
社会を成り立たせるためのコミュニケーション能力の欠如や
言葉を使ったロジック思考ができていないことが
格差や分断、犯罪をも招いているという現状。
しかもそれを本人が自覚できていないことが最大の問題だ。
本書には国語力に乏しく育った子たち、若者たちが
普通に考えると驚くような、いかに社会性に乏しいかという例が
これでもかと挙げられている。
どんな驚きの例があるのかは、本書を読んで欲しい。
真剣にこの国の将来に危機を覚えた。

文科省では今後、小学校レベルから国語科の方針として
物語のような感覚的な文章よりも
実務的文章を重視していくベクトルを目指すとしている。
それはグローバル経済の中で勝ち残る能力を身につけさせることを
産業界が求めているからに他ならない。
またICT教育や英語教育もまた小学校レベルから強化している。
でもさ、それらはすべてあくまで手段。
実務的文章能力やICT知識を使って「何をするか」が抜けている。
その「何をするか」こそが言葉で考えるべきこと。
その訓練ができていない状態で実務を学んでも意味はない。

「大学にせよ、産業界にせよ、彼らは彼らなりに
 今の子供たちに必要な力を与えたいと考えて提案しているはずだ。
 子供たちが必要最低限の知識をつけて大学でスタートを切れるように
 グローバル化や情報化の波に乗り遅れないようにと善意で行っているのだ。
 しかしながら、子供たちに国語力という基盤がなければ、砂上の楼閣だ。
 日本語でしっかりと物事を考えて表現できない人が
 英語で何を語ろうというのだろう。
 他人の気持ちに寄り添えない人が、
 プログラミングで何をつくろうというのだろう。
 日本の教育において盲点となっているのは
 まさにこの部分なのではないか」

「文科省も、学校も、親も、みんな結局は成果主義なんですよ。
 すぐに形として表れる結果ばかりを追い求めつづけている。
 だから、もっともっとという具合に新しいことをやろうとする。
 国語力を育てることって成果主義とは真逆で、
 目に見えないものなんです。
 一つの詩を丹念に読み込んで感動の涙を流しても、
 テストの点数には結びつかないし、資格を取得できるわけでもない。
 でも、そうやって内面で育ててきたものがあるからこそ、
 何十年か先に誰も想像しなかったような
 素晴らしい人間性を持てるようになるんです」

「少数のエリートが世界の富を牛耳り、
 一部の政治家が私利私欲によって国を動かし、
 独善的な支配者が
 他国に武力侵攻することがまかり通っている今の世の中は
 若い人たちにとって色が失われた
 モノクロ世界のように見えているのかもしれない」

考えてみれば、私が企業の採用担当していた時も
もうすでに自分の言葉を持たない学生たちを見てきた。
自分の頭で考えることも、自分の言葉すら持たない人たちは
これからのこの国をどこへ運ぶのだろうか。

「ルポ 誰が国語力を殺すのか」石井光太:著 文藝春秋
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朝ドラ

2022-09-16 | 映画・芝居・TV
2014年までは長距離通勤していたし
東京への単身赴任時代は、満員電車を避けるために
朝7時にはマンションを出ていたから
じっくり毎日続けてNHKの朝ドラを見る機会がなかった。
勤め人を辞め、フリーになってからは
自宅から事務所がある実家まで車で5分の通勤。
始業時間が厳密に決まっているわけじゃないから
だいたい9時ぐらいに家を出る。
と、自然に毎日ちゃんと朝ドラを見るようになった。

欠かさず見てしまうなかなか面白いものもあるし、
そんなに入れ込めないものもある。
それは別にいい。
半年経てば、また新しいものが始まるから、
つまらなくてもそれなりに流して見ていればいい。
ただ、ちょっと気になっていることがある。

ほぼ全ての作品と言っていいほど共通点がある。
それは、全国あちこちが舞台となっているものの、
ほぼもれなく主人公は都会へと出ていく。
もちろん東京や大阪、神戸など
はじめから都会が舞台となっているドラマもあるが
それ以外は
「地方出身者が都会へ出て行って苦労し努力する物語」
になってはいないかい?
もちろん「あまちゃん」や「おかえりモネ」のように
また故郷へ帰る物語もあるけれど、
それにしても一度は都会に出ていくわけだ。

以前、とあるプロジェクトで
花巻を舞台にした物語動画を作る話があった。
東京の制作会社によるプロットやラフ台本を見たのだが
まさにそのパターン。
花巻の高校生が「田舎は嫌だ」と都会へ出ていき
挫折して帰ってくるストーリーだった。
まるで「チャレンジできるのは都会だけ」みたいな感じ。
そして「故郷は傷ついて帰るところ」みたいな。
なんか、高度経済成長時代やバブル時代の価値観を
そのまま引きずっているようなストーリー展開だった。
都会人から見れば、地方はそんな風にしか見えないのかな。

都会で生まれ育った人が地方へ移住、
あるいは地方に残った若者が都会や世界とつながり
自分の故郷をステージにプレーヤーとして活躍する物語を
新しい流れの朝ドラとして見たいと思うのだが、どうだろう。
なんなら
マルカンビル復活の物語を朝ドラにしてくれないかな😁
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