岩手山と紅葉。
あと2週間もしないうちに初雪だろう。
岩手ではもう晩秋。
◇ ◇ ◇
小学校時代から中学校時代にかけて
正直言うと私は面白くない日々を過ごした。
中学校の頃は面白くないを通り越して
毎日が陰鬱で嫌な日々だった。
みんな横並びで、同じことをしていないとはじき出される社会。
見たくもないTV番組を話題について行くために見たり、
わからない話をわかったふりしてうなずいたり、
バカバカしいと思いつつ、流行りの格好をしたり。
成績もよく人気のあるヤツ、長い学ランを着て粋がっているヤツに
調子よく自分を合わせ、長いものに巻かれる日々。
それでも調子をあわせきることができず、
時に冷笑され、吊るし上げられ、シカトされたこともある。
それでもそういうヤツらの後ろを追い掛けていないと
生きては行けない社会が学校だった。
元来「自分は自分」とマイペースが基本の私。
人に迎合したり、人と同じでいいとは思えない性格だ。
できるだけそういう性格を隠し、表面だけ笑っていても
どこかで醒めてしまうと攻撃対象になった。
そんな時はクラスの中でひとりだけみんなの前で弾劾されたし、
潔癖な女子から完全にバイキン扱いされ、
私の触った後の黒板消しなどを触る時にはハンカチ越しだった。
声の大きいヤツひとりが攻撃を始めると
他のみんなが追随した。
それでも尻尾を振るポーズを見せなければならない日々。
中学校の同級生が誰もいないところへ行きたくて
遠い町の高校に行きたいと親を困らせたこともある。
高校に入って、初めて私は自由を得ることができた。
私の入った花巻北高は、ひとりひとりがマイペースであり
誰にも迎合しなくて済むところだった。
それぞれ自分の世界を持っていたので
私も心置きなく自分の好きな音楽を聴き、本を読むことができた。
それをからかい、攻撃してくるヤツなんていなかった。
今考えるとね、
中学校時代は私ばかりじゃなくみんなが必死だったと思うんだ。
みんな自分を守ることで精一杯。
声の大きいヤツ、人気のあるヤツの言うことをモノサシにして
毎日生きて行く基準にしていたんだと思うよ。
自我が芽生えるか芽生えないかのボーダーラインの年代だしね。
あの女の子だって、本当に可哀想なくらいの潔癖症だったんだと思う。
そんな自分と戦うので精一杯、
相手が傷ついたかどうかなんて推し量ることもできなかったんだろう。
そしてそれは今も同じ。
自分らしさを維持しようという子は周囲から浮き、
ひとり集団から離れると攻撃対象にされる。
周囲の子たちも、仲間じゃない子は心置きなくイジることができる。
だってさ、TVのお笑い番組でだっていい大人がそういうことしてるし。
それをみんなは真似しているだけに過ぎない
そしてそれは、その対象となった子にとっては辛いことだ。
それを今、イジメと呼ぶ。
中学校の狭い世界の中でだけじゃないよ。
相手が自分の仲間じゃなくて、弱い立場だと知れば
情容赦なく攻撃する。それも匿名でだったりするからたちが悪い。
最近では医師や教員、公務員など、
責任が重く反論しにくい立場の人がその対象になりやすい。
「医者が悪い」「学校が悪い」「役所が悪い」と言えば
何か社会正義を叫んでいる気になることは確かだ。
自分達の仲間じゃないし、相手は言い返せないから攻撃し易い。
・・・だが、イジメ問題、必修科目未履修問題について
学校だけ責めてていいのか?
昨日、とうとう未履修の高校の校長が自殺した。
遅かれ早かれ予測できた事態だ。
「イジメ自殺はなぜ起きたのか?」という問題の議論はあるが
大人と子どもの違いこそあれ、
嵩にかかって追い込んだという意味では同じことだと思うのだが。
あと2週間もしないうちに初雪だろう。
岩手ではもう晩秋。
◇ ◇ ◇
小学校時代から中学校時代にかけて
正直言うと私は面白くない日々を過ごした。
中学校の頃は面白くないを通り越して
毎日が陰鬱で嫌な日々だった。
みんな横並びで、同じことをしていないとはじき出される社会。
見たくもないTV番組を話題について行くために見たり、
わからない話をわかったふりしてうなずいたり、
バカバカしいと思いつつ、流行りの格好をしたり。
成績もよく人気のあるヤツ、長い学ランを着て粋がっているヤツに
調子よく自分を合わせ、長いものに巻かれる日々。
それでも調子をあわせきることができず、
時に冷笑され、吊るし上げられ、シカトされたこともある。
それでもそういうヤツらの後ろを追い掛けていないと
生きては行けない社会が学校だった。
元来「自分は自分」とマイペースが基本の私。
人に迎合したり、人と同じでいいとは思えない性格だ。
できるだけそういう性格を隠し、表面だけ笑っていても
どこかで醒めてしまうと攻撃対象になった。
そんな時はクラスの中でひとりだけみんなの前で弾劾されたし、
潔癖な女子から完全にバイキン扱いされ、
私の触った後の黒板消しなどを触る時にはハンカチ越しだった。
声の大きいヤツひとりが攻撃を始めると
他のみんなが追随した。
それでも尻尾を振るポーズを見せなければならない日々。
中学校の同級生が誰もいないところへ行きたくて
遠い町の高校に行きたいと親を困らせたこともある。
高校に入って、初めて私は自由を得ることができた。
私の入った花巻北高は、ひとりひとりがマイペースであり
誰にも迎合しなくて済むところだった。
それぞれ自分の世界を持っていたので
私も心置きなく自分の好きな音楽を聴き、本を読むことができた。
それをからかい、攻撃してくるヤツなんていなかった。
今考えるとね、
中学校時代は私ばかりじゃなくみんなが必死だったと思うんだ。
みんな自分を守ることで精一杯。
声の大きいヤツ、人気のあるヤツの言うことをモノサシにして
毎日生きて行く基準にしていたんだと思うよ。
自我が芽生えるか芽生えないかのボーダーラインの年代だしね。
あの女の子だって、本当に可哀想なくらいの潔癖症だったんだと思う。
そんな自分と戦うので精一杯、
相手が傷ついたかどうかなんて推し量ることもできなかったんだろう。
そしてそれは今も同じ。
自分らしさを維持しようという子は周囲から浮き、
ひとり集団から離れると攻撃対象にされる。
周囲の子たちも、仲間じゃない子は心置きなくイジることができる。
だってさ、TVのお笑い番組でだっていい大人がそういうことしてるし。
それをみんなは真似しているだけに過ぎない
そしてそれは、その対象となった子にとっては辛いことだ。
それを今、イジメと呼ぶ。
中学校の狭い世界の中でだけじゃないよ。
相手が自分の仲間じゃなくて、弱い立場だと知れば
情容赦なく攻撃する。それも匿名でだったりするからたちが悪い。
最近では医師や教員、公務員など、
責任が重く反論しにくい立場の人がその対象になりやすい。
「医者が悪い」「学校が悪い」「役所が悪い」と言えば
何か社会正義を叫んでいる気になることは確かだ。
自分達の仲間じゃないし、相手は言い返せないから攻撃し易い。
・・・だが、イジメ問題、必修科目未履修問題について
学校だけ責めてていいのか?
昨日、とうとう未履修の高校の校長が自殺した。
遅かれ早かれ予測できた事態だ。
「イジメ自殺はなぜ起きたのか?」という問題の議論はあるが
大人と子どもの違いこそあれ、
嵩にかかって追い込んだという意味では同じことだと思うのだが。