風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

6期目が終わる

2021-03-31 | 風屋日記


2015年4月に事務所を立ち上げて6期目が今日で終わる。
花巻に住みながらも30年近く盛岡へ通い、
最後の4年間は東京にいたから
会社を辞めた時、花巻のことは浦島太郎状態。
人脈もなく、ひたすら東京の出版社や広告関係の仕事をした1期目。
東京にも部屋を借り、時代に先駆けて2拠点生活をしていた。
(もしかしたらこれまでで一番収入が安定していたかも ^^;)
マルカンビル支援に関わるようになり、
それまでのメインの仕事から足を洗ってマルカン写真集に傾注しつつ
翌春に創刊すべくMachicocoの準備をしていた2期目。
Machicocoをはじめ、
マルカンビル支援で知り合ったたくさんの人たちと
花巻のコミュニティ作り関連の仕事をするようになった3期目。
まきまき花巻や移住ガイドなど市からの仕事が増え、
並行して東京の仕事もまた復活してきた4期目。
Bluehairsの方々と知り合い、
映画関係まで守備範囲が広がった5期目。
そして6期目は有限責任事業組合Machi R&E立ち上げで始まり
未曾有のコロナ禍の中、BOOK Cafeのリアル店舗を始めた6期目。
この6年間の間、何冊かの出版物にも関わった。
自分の人生の中でも一番というほど振り幅の大きい、
紆余曲折の6年間だったと思う。

走り回っているうちに、自分の年齢は60歳となった。
目まぐるしくも、次々に新しいプロジェクトが生まれてきて
楽しい6年間ではあったのだが、この先の年齢を考えると、
この先いつまで走り続けることができるか
そろそろ少し落ち着いた方がいいのではないかと思い始めてもいる。
そんな要素はまだどこにもないけど(^^;

自分としては、この先の目標はない。
その時その時に飛び込んでくることに取り組むことは変わりない。
そして時々自分なりの企画を実現に向けて動くだけ。
川の流れに乗りながら、瞬時に進むべき方向を変えつつ、
これからを生きるというやり方は変わらないと思う。
少し落ち着く場所を模索しつつも、多分これからも走るんだろうな。
さて、明日からの7期目には何が待っているだろう。
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Machicoco便り vol.82

2021-03-30 | マチココ

花巻まち散歩マガジンMachicoco(マチココ)は
現在4月10日発行予定の25号を編集中です。
特集は「桜の名所」。
4月に入れば北国もまもなく桜の季節が来ます。
新型コロナウイルス感染予防対策を取りながら、
春を感じる散歩を提案します。
乞うご期待。

写真は光太郎レシピの撮影風景です。
毎号レシピもシチュエーションも工夫を凝らし
山荘の中で光太郎が自炊した食事を再現しています。
こちらもお楽しみに。
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春がきたね

2021-03-29 | 生活の風景

実家の庭にて。
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BOOKS & THEATER Cafe 風人堂便りvol.1

2021-03-28 | 風人堂

風人堂では、24日から新たなランチをご提供しています。
東京都墨田区にある、ぐるなび新人賞やカレーアワード受賞の人気店
スパイスバル猫六さん直伝のポークカレー「猫六カレー」、
台湾料理として知られる魯肉飯(ルーローファン)、
そして週替わりランチ、ともに単品850円(税込)です。
2種選んで合いがけにした場合は1000円となります。
今週の週替わりランチは、タイ料理でおなじみのグリーンカレー。
通常400円のハンドドリップコーヒーですが
ランチコーヒーをご注文いただくと200円になります。

副菜も色鮮やかなランチ、ぜひご賞味ください。
(写真撮ってSNSへのUP大歓迎です 笑)
上の写真は魯肉飯。
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歴史を省みて

2021-03-27 | 社会
歴史好きな人たちと話していると
たまにそれぞれ有名な武将の好き嫌いの話になる。
ただ、それらの武将が辿った人生は
現代において結果論として見ているに過ぎない。
彼らがその時々で行った行為や選択、いくさなども
結果を知っている今見るのと、
どうなるかわからないその時とでは当然判断や評価が違うわけだ。
例えば平清盛、例えば義経、例えば明智光秀、例えば石田三成
明治維新の頃だと徳川慶喜も。
後の世の評価はあくまで過去の評価であり
その時々の評価ではない。
ちょっとしたことで歴史は大きく変わったんだろうなと思う。

ところで「その誰になりたかったか」という話になると
ワタシは黙らざるを得ない。
今も名が残る武将は大概城持ちだったり大将だったり、
今でいうところの大臣や知事、少なくとも市長。
誰でもなれる立場ではない。
普通の人間なら一兵卒や農地を持つ郷兵だろう。
足軽の頭だって大した地位だ。
そんな立場で何かの判断を下せるわけがない。
自分の生殺は領袖の胸先三寸で決まってしまう。
そんなのは嫌だ。

じゃあその当時生きていたら、どんな人だったら良かったか。
百姓はいくさで農地を荒らされ、年貢を取り立てられ・・・
庄屋や肝煎だとしても代官の顔色を窺わざるを得ない。
商人も殿様から御用金を掠め取られる。
寺の住職も悪くないけど、いくさに巻き込まれがちだよね。
だったら職人がいいな。
大工や工芸職人、料理人、絵師、庭師。
道具ひとつ持って、全国どこでも生きていける。
いくさの時代や生まれながらのヒエラルキーが絶対だった時代は
世相に振り回されず、穏やかに生きる人生を送りたい。

ざっくり歴史を見ると
源平の合戦は軍事クーデター。
鎌倉時代から江戸時代までの幕府体制は軍事政権だ。
王政復古の明治維新は日本のルネッサンスだったのかもしれない。
そんな抑圧と激動の時代に生まれたかったとは思わない。
そんなことを、大河ドラマや香港、ミャンマーの動静を見ながら
ふと考えたりする。
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旧制高校のスピリッツ

2021-03-26 | 社会
私の母校である岩手県立花巻北高等学校は
何度も、何度も、何度も書いているが
令和のこの時代にもいまだにバンカラの校風を標榜している。
もちろん私の頃もそうだったのだが
今のように応援団幹部だけが「特殊な制服」を着て
バンカラスタイルを継承している
特別な存在だったわけではなかった。
私の頃は一般生徒も足駄(高下駄)を履き、腰手拭いに
ボロボロに敗れた白線1本の学帽をかぶっていた。
応援団幹部だけ特別視される今の風潮に
少々違和感を抱かないわけではないが、それもまた時代。
スマホを持ちながらバンカラは似合わないのだろう。

それよりも、実はもっと違和感を感じることがある。
今のバンカラ後輩たちは「押忍!」と言い
ことさら「漢(おとこ)」の世界を強調している。
どうやら昔の「花の応援団(わかる人にはわかる)」の世界を
普段の生活から意識しているらしいのだ。
この辺の哲学からして違うんだなぁ。
我々の時代、バンカラは旧制高校の世界への憧れからだった。
自主、自由を愛し、理系も文系も思索に興じ
学校の勉強とは別に、自ら哲学を学んだ者たち。
太鼓を打ち鳴らし、ストームに狂乱し、
馬鹿馬鹿しいことにも夢中で取り組むノリの良さ。
多少周囲に迷惑をかけても、泰然自若とした肝の座り方。
(世間の許容も懐が深い時代でもあった)
そんなことに憧れ、弊衣破帽に本を抱えて歩いたものだ。


本書は私の、ある意味バイブル。
旧制高校の生活を回顧したノンフィクションだ。
そこにはのちに真のエリートとして大成した方々の
旧制高校生時代の姿がルポしてある。
この精神が身についているなら、
実は殊更姿形ばかりバンカラにしなくてもいいとすら思う。
要は、受け継いで欲しいのは精神だからだ。
スタイルはそれを体現しているに過ぎないと思う。

戦前の学制は

小学校(6年)→旧制中学校(5年)→旧制高校(3年)→大学(3年)
        (女学校 4年)   →高等師範学校(2年)
                 →高等専門学校(4年)
       →実業学校(3年)
       →高等科(2年)→師範学校(4年)

という形となっている。
小学校は基礎教育、中学校(女学校)は知識教育、
そして高等学校で人間形成を図りつつリベラルアーツに触れ
大学で高等専門教育を受けるという役割がしっかりできていた。
だから、破天荒をやってもそこにはちゃんと理念があり
本質を理解した上でブレイクスルーもできたのだろう。

現代はどうか。
小学校→中学校→高校(実業系もあり)→大学or専門学校と
進路も直線的で、より実務に特化しつつある。
大学の教養課程が昔の高等学校や予科に通じるのだが
今や教養課程そのものの存在意義も曖昧となり
(私の年代だと高校の延長線や復習に過ぎなかった)
人間形成すべき課程がなくなってしまった。

私は戦前回帰や明治回帰には生理的にも反対するものだが
学制だけは当時のシステムを大いに評価している。
そういう道を辿った人は
少なくとも公文書改竄や答弁ごまかしなどという姑息なことは
おそらく恥ずかしくてできないだろうと思うのだ。
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60歳

2021-03-25 | 風屋日記
昨年60歳になった。
私のような自営やフリーランスの者、医師や歯科医師、
政治家やアーティスト、役員など組織の経営に携わる者を除き
教員、公務員、企業人のほとんどは
今年度で定年退職を迎えることになる。
特に同級生に多い教員や公務員はこの3月いっぱいで定年。
もちろん昨今の風潮から再任用や再雇用で仕事は続けるのだろうが
それでも一応の区切りではある。
40年近い年月、その仕事に取り組んできたことをリスペクトするし、
心から「ご苦労様」と言いたい。

私の仕事は定年がない。
ゴールテープのないマラソンを走っているようなものだ。
(先が見えず山あり谷ありだからクロスカントリーかもしれない)
定年より早く会社を退職して6年。
送別会も断り、同業社や取引先に挨拶もせず、
社内でも大騒ぎすることなく「じゃ!」と言って辞めた。
今になって、みんなに見送られるような
定年退職を経験してみたかったなとも思うけど(笑)
まぁ後悔はない。

ただね、定年退職という年齢になったということに関しては
ちょっとした感慨は覚える。
もしかしたら、社会に必要とされる年齢じゃなくなったのかなとか
少し肩の力を抜いてもいいのかなと思ったり。
(現実問題として稼がなきゃいけないけど ^^; )
これまで過去30代、40代、50代に突入した時には
そんなに感慨めいたものは感じなかったけど
60歳はちょっと考えるねぇ。

コロナでなかなか集まれず
昨年から同級生の還暦祝いも無期延期のままだけど
何人かの仲間内でご苦労さん会やろうかな。
みんなそんな気になっているのではなかろうか。
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旅の思い出

2021-03-24 | 

高校受験を終え、合格が決まった1976年3月、
まだ中学3年に在学中の春休みのこと。
同い歳で盛岡の高校に合格したばかりの従兄弟と一緒に
九州へ2人旅をしたことがある。

初日は東京へ。
東京に住む母方叔父の家に泊めてもらい、
翌日東海道新幹線で北九州に向かった。
実はここにも母方の叔母一家が住んでいたからだ。
ここに何泊させてもらったのか忘れたが
山口県の萩までドライブに連れて行ってもらった(上の写真)。
クライマックスは九州北部2人旅。
まずははじめに阿蘇へ向かい(下の写真)、
ゴンドラでカルデラてっぺんへ。
阿蘇から下り、電車に乗り、
確か佐賀か鳥栖の駅で夜を明かした。
(当時の国鉄の駅は一晩中開いていて待合室で寝られた)
朝一番の電車で長崎へ。
山の斜面に沿って広がる長崎のまちが
朝日に輝いてきれいだったことが忘れられない。
市内を回って平和記念公園など行った後
その日のうちに北九州へ帰った。
(連絡しなかったことを叱られた。携帯もない時代)

その時の思い出は45年たった今も鮮明だ。
知らないところへ足を踏み出す勇気と楽しさも知った。
だから息子たちにも、高校入学前の春休みには
それぞれひとり旅をさせた。
学校の勉強では得られないものを学べるから。
中学から高校へと至る一瞬。
それは大人への扉を開ける瞬間なのではなかろうか。
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ゆんたく

2021-03-23 | 生活の風景
昨日の夕方、風人堂を閉めようと看板を仕舞い
洗い物や金庫の締めを行っていたところに
ふらりとやってきたひとりの青年。
ゲストハウスの宿泊客とのことで
「今からでもコーヒー大丈夫ですか?」
と聞いてきたので、もちろんそれに応えた。
そしてもうひとり、もっと若い青年がやってきて
「地酒あるんですね。飲みたい」と。

私も彼らに付き合いながらコーヒを飲む。
前者は自転車で日本一周中とのこと。
なんと真冬の北海道を自転車で回って下りてきたらしい。
もうひとりは京都の学生さん。
青春18切符で春休みを利用し、東北を回ってる由。
話は様々な方向へ。
どうやら自転車の彼は幼い頃から複雑な人生を送り、
ようやく落ち着いて東京で仕事をしていたのに
また大変なことに巻き込まれて退職。
バックパックで海外に出ようと思った矢先のコロナ禍で
自転車旅に切り替えたとのこと。
まだ30歳前なのに、その経験から思考が深い。

彼らと話をしながら、普段漠然と感じていたことが言語化できた。
「国」とはそもそも共同体であり、互助的組織。
税金という名でみんなから平等にお金を集め、
それを必要に応じて配分していく。
そんなふうに単純に考えると、「国」は何をすべきかよくわかる。
中国やロシア、ミャンマー、シリアのような
「権力者のための国」は共同体の体をなしてはいない。
共同体である以上はその構成員全員のコミュニティであるべきだ。
富者や強者はそうでない者以上に金を供出する。
集まった金は弱者のために使われる。
それが共同体ではなかろうか。
残念ながら今の日本は共同体としての国になってはいない。
少なくとも勝ち組、負け組という概念がある状態は、
互助組織にすらなっていないのではないだろうか。
まして戦前のように「国のために命を差し出せ」的思考は
本末転倒と言わざるを得ない。
(民衆に銃口を向け、手錠をかける国は言わずもがな)
「国民のために働く」と謳う内閣も
その実、利権を求める者たちのための内閣であることが露呈した。
それなら「国」なんて必要ない。

自転車の彼は将来政治を目指したいという。
弱者が切り捨てられる今の社会に対して義憤を感じているのだ。
そんな若者が「勝ち組」レールを外れていること自体
社会が歪んでいる証拠のような気がしている。

「ゆんたく」は23時まで続いた。
最後に一緒の写真を撮り、握手をして別れた。
「今度会ったときは、俺の話を聞いてください」と言われた。
「また必ず会おう」と約束したが、名前は聞いていない。
きっとまた来てくれるだろうと信じている。
自転車の彼は今日から震災被災地の方に行ってみると言っていた。
あの光景に、どんな感慨を抱いたのか
再会した時に聞いてみたい。
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一服

2021-03-22 | 風人堂

BOOKS & THEATER Cafe 風人堂は今日も営業中。
明日は定休日だが、明後日から提供のランチの準備がある。

私の本業は変わらず編集の仕事だ。
風人堂を始めたころ、何人かの知人に
「今度は店かよ。一体何がしたいんだ?」と言われた。
本や原稿を書き、企画、編集し、電子ブックや雑誌を作る。
一方で映画製作に関わったり、音楽ライブしてみたり、
今度はブックカフェの経営だ。
確かに傍目からはあちこち手を広げているように見えるだろう。
しかし、まち散歩を提唱してマチココを発行し
市街地活性化を私なりに考えてきた延長線上に風人堂はある。
まちを歩く人たちの視線の先に本がある風景を作りたかったから。
花巻のまちの中から本屋や映画館が姿を消して久しい。
ささやかでも、もう一度文化の拠点を作れれば。

とはいえボランティアでやってるわけでもないし、
私は金持ちどころか、毎日お金のやりくりが大変だ。
本業が私の主な収入源とはいえ、
せめて店は収支トントン以上になってもらわないと困る。
本業で店の赤字を埋めているが、
その本業の方もコロナで計画が半分ぐらい飛んだりして、
なかなか思うようには行っていないから火の車となっている。
そういう意味ではお客様にたくさん来て欲しいし
それなりに売上も必要。
店番しながらお客様が途切れると不安も湧いてくる。
みなさん、ぜひおいでください(笑)

でもね、お客様が途切れた時間、
静かなBGMに身を委ね、自分のためにコーヒーを淹れて、
書棚から適当に抜いた本のページを繰る時間もまた至福の時だ。
もちろんPCを開いて仕事をしている時間の方が多いけど
気分転換を兼ねてたまにそんな時間を作る。
考えてみればコーヒーも、静かなBGMも、本も、
自分が好きなものに囲まれている。
高校時代からこんな時間を大切にしてきたはずだ。
大学時代もふらっと喫茶店に寄って本を読んできたし、
社会人になってからも仕事の合間にそんな時間を必ず作ってきた。
なんなら自分が喫茶店のマスターになって
湯気に囲まれながらカウンターの中で読書する生活に
憧れたりもしてきたと思う。
なんだ、それができてるじゃん(笑)
好きな本は売るほどあるし(笑)コーヒーを淹れるのも好きだから
大上段に振りかざしたコンセプトや、経営とはまた別に
もしかしたらすごく心地いい時間を過ごしているのかもしれない。

カウンター越しにお客様と話をするシチュエーションも
昔から夢見ていたことでもあるから
こんな時間をお客様と共有できたら、それが一番いいんだろうね。
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春だ

2021-03-21 | 生活の風景


かわいいバッケ(ふきのとう)が顔を出した。
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花巻の風 vol.2

2021-03-20 | 社会


週刊金曜日へ毎月1度書いている連載「花巻の風」。
第2回目が掲載された週刊金曜日3/19号が発売となりました。
今回は、大船渡で震災に遭い、九死に一生を得て、
今は花巻で出産を支えている助産師さんの話。
震災時の体験からどう人生が変わったのか、ぜひご覧ください。

もちろん風人堂でも販売中です。
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ハンバーーーーグ❗️

2021-03-19 | 食べ物・お店

300gのど迫力。
これがなんとジャズバーのメニューだ。

盛岡の老舗ジャズバー「すぺいん倶楽部」に初めて行ったのは
確か20代後半、医師をしている高校の同級生の結婚式二次会。
バーボンに初めて触れたのがこの時だった。
高校時代からジャズを聴いていた私は
盛岡に通勤してはいたものの、こんな店があるとは知らず
大人な雰囲気にドギマギしていたと思う。
(大学時代、東京の老舗ジャズ喫茶に通っていたのにね)

花巻から通勤していたから盛岡で飲む機会もあまり無く
しかも飲むときは大概大勢でワイワイだったから
この店にはほんのたまにしか行っていなかったのだが
ようやく店の風格に年齢が追いついたせいか(笑)
ここ10年ぐらいの間には年イチぐらいで行くようになった。
なにせ日野皓正さんはじめ一流の方々がライブをやる
全国的にも知られた店だから、それなりに構えて行くことになる。
だから正直言って、
こんなレストランチックなメニューまであるとは気づかなかった。
まだこのほかにもボリューミーなメニューがたくさん。

コロナ禍により、老舗といえども影響が出る。
とうとう昨年、今までの場所から移転を余儀なくされた同店。
先日初めて新店舗に行った。
場所は前のところのすぐそばで、果たしてあの雰囲気がどうなったか
ビクビクしながら恐る恐るドアの前に立ったのだが
以前の店のドアの取手がそのままでほっとした。
店内は、向きは変わったものの違和感がまったく無い。
いぜんのすぺいん倶楽部のままだ。

オーナーの西部さんは80歳を超えたベテランジャズマン。
実は私の前職で以前取締役だった方の高校の同級生ということで
創業100周年のパーティーで演奏してもらったことがある。
(あれからもう30年近く経ってしまった)
元取締役は亡くなってしまったが
西部さんは全く昔と変わらず笑顔で店に立っている。
店も、オーナーも、変わらないって素晴らしい。
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先生の仕事

2021-03-18 | 社会



写真は私の母校 岩手県立花巻北高の80周年記念誌。
平成24年度に同窓会副会長および印刷会社勤務者として
副編集長を任命され製作したものだ。
それから10年。
令和3年度の母校90周年に向けて
今度は私が編集長になって編集を進めている。

先般、OBである現校長とかつて勤務していた先生方を迎え
この10年間、学校が行なった取り組みを振り返るべく
3つのテーマで3回に分け、座談会を行った。
今はそこから起こした内容の原稿整理を行なっている。
OBとして、そして15年ほど前には息子たちを送り込んだ親として
一般には知られざる先生方の仕事の一端を垣間見て
心から敬服しながらの作業になっている。

両親ともに教員の家庭で育ったため(特に親父は高校教員)、
なんとなく先生という職業のことを知っているつもりになっていたが、
知っていたのは表に見えるほんの一部なのだと知った。
例えばカリキュラムと時程により授業をどう組み立てるのか、
その学校の生徒の気質によってどんな教育ができるのか、
あるいはどんなことを行い、どんなことを身につけてもらうのか、
どんな人間を育てようと考えるのか、
常に真剣に討論、議論を重ねて学校は運営されている。
授業時間を50分にするか、55分か、60分か、
たった5分、10分の違いながら授業の進め方は大きく変わる。
法律により取得すべき単位数が決められているから、
時程をどうするかは、1日何コマ入れられるかに関わる。
部活の時間とのせめぎ合い、主要教科以外の時間の考え方・・・
それを先生方は「やってみてダメなら責任とって辞める」まで覚悟して
その内容を吟味して考えていたのだ。
聞いていて、自分が高校時代に授業中寝てしまったのを後悔した(^^;

そして一番嬉しかったのは
OBではない、かつて本校に勤務した先生方の母校生徒への評価。
「この学校の生徒は自分で考える力を持っているから大丈夫」
「自ら考え、自ら動ける生徒にどう方向性を見せるか」
「能動的な生徒たちに、知識詰め込み型授業はそぐわない」
そうか、私が高校時代の校風が
まだこの学校の根底に残っているのか。
下駄履き、腰手拭いだった我々の時代から
サラサラの髪をなびかせ、スマホを持つ現代においても
知的好奇心を追求したり、千万人といえど我行かんの気質が
まだ残っているのか。

最近、現役高校生たちが、花巻のまちおこしの活動をしたいと
私のところに相談に来た。
こんなおっさんのところにも自ら積極的に飛び込んでくる
その気概こそさすが後輩たち。

90周年記念誌を作る仕事はなかなかの力仕事だが
PCと睨めっこしながら嬉しさにほくそ笑んでいる自分がいる。
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思い出に残る春の歌

2021-03-17 | 音楽
かぐや姫「なごり雪」
伊勢正三さんの名曲。


マイペース「東京」
自分の思い出に中にも残る同じようなシーン。


佐々木幸男「君は風」
ラジオでよく聞いていたのが春。
目に浮かぶのも早春の光景。


ふきのとう「春雷」
大学1年の時の、
あの窓のない部屋の場面が目に浮かぶ。


NSP「弥生つめたい風」
この季節にドンピシャ。
平賀さんは実家が我が家の近所だ。


中島みゆき「時代」
この曲が世に出たのは私が高校受験の頃。
早くこの重苦しい空気から解放されたくて
「あんな時代もあったねといつか笑って話せるわ」
とよく口ずさんでいた。
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