春はPTA役員を決める季節でもある。
悲喜交々、憂鬱な気持ちになる人も少なからずいると思うし、
PTAの存在意義を問う声や脱退の例もあると聞く。
それに関して、ちょっと私見を述べてみたい。
そもそもPTAは何のためにあるのか。
子どもの教育は学校だけで行うのではない。
何かあった時に学校の責任ばかり問う声もあるが、それは間違いだ。
あくまで学校と家庭、できれば地域も一緒になって
子どもたちを見守る仕組みを作るというのがPTAの本義。
私は息子たちが小学校に在籍していた頃に2年間広報委員となり
その後5年間学校のPTAの副会長を務めてきた。
息子たちが中学校に入ると、副会長を1年間、会長を1年間、
学校の会長任期時には市PTA連合会副会長も。
その中で学んだことや得られたことがたくさんある。
PTA会長時、ある会員から「PTAって何?」と問われたことがある。
「子どもたちのことをできるだけ伸び伸び育てたいと誰しも思う。
しかしもちろん危険なことも多い。
PTAとは先生や親たちが手を繋いで輪を作り
その中で子どもたちが伸び伸びと走り回る組織だと思う。
輪が大きければ大きいほど子どもたちが走り回れるエリアが広がり
より伸び伸びと育ってくれるようになると思う」
私はそう答えた。
手を繋いで輪を作るためにはお互いの信頼関係が必要だ。
保護者と教員との間の信頼関係づくりこそPTAの大きな役割だと思っている。
だから冗談半分の極論でよく
「PTAで一番大事な活動は教員と保護者の飲み会」
と言ったりもしていた。
飲み会はともかく😅 お互いの信頼関係ができている学校やPTAは
子どもたちも安心して学校生活を過ごせる気がするのだが、
残念ながらそういうところは減っている気がする。
地域(学区内)のコミュニティの希薄さがそれを助長している。
いわば「都会化」だ。
岩手県ではせっかく「学校、家庭、地域の三位一体教育」という
全国にも稀な教育制度「教育振興活動」があるのだが
それも有名無実化してはいないだろうか。
PTAの役員を避けたい親たちの気持ちもわからないではない。
ましてシングル家庭が多くなっている今
仕事と家庭のことで手一杯でPTAまで手が回らない人も多いし。
でもたぶんPTAが面倒なのは
行き過ぎた前例主義で「must do」が多いせいではないかと。
前述の通り、一番の目的は信頼関係づくり。
意味ない前例はやめちゃえばいい。
意義が薄れても「やらなきゃいけない」ことばかりってのはナンセンス。
必要なことだけやればいい。
それと「任意団体」であり「やらなくてもいい」こととネガティブに考えず
「身近なボランティア」と考えるといいかも知れない。
これまたPTA会長時代の話だが、ある会合で話したお母さんが
「わたし何かボランティア活動したいんですけど
なにかいい活動や団体知りませんか?」
と聞いてきたので(そのお母さんは)
「PTAは素晴らしいボランティアだと思いますよ」
と答えたら、いつもPTA役員から逃げ回っていたその人は
きまり悪い顔をして憮然としていた😅
でもそれは方便ではなくホンネですよ。
仕事も持ちながらどうやってPTA役員をしていたか。
それは業種や立場もあろうが
わたしの場合は印刷会社だったので
「役員引き受ける代わりに、封筒でも名刺でも
なにか印刷物の仕事ください」
とお願いし、会社では「仕事」と称して会合に出ていた。
頭ひねれば、もしかしたらなんとかなるかも知れない。
いずれ、盛岡に勤めていて花巻には寝に帰るだけだった私が
今にもつながる花巻での人脈を築けたのはPTA役員を務めたおかげ。
感謝もするし、実はとても楽しかったのだ。