風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

じゃらん 関東・東北6月号

2022-04-30 | 仕事



この冬、こんな仕事が舞い込んできた。
花巻まち散歩マガジンの編集長をしている関係で
ある日突然「花巻グルメを教えて欲しい」と。
私自身が取材・執筆するわけじゃなく
情報を挙げて、先方による取材なのだが
箱根や軽井沢などと並んで
「有名観光地」として花巻を取り上げてもらい
それはそれでとても嬉しいことだった。
もちろん私にもそれなりのフィーをいただく。

最初に連絡があったのは昨年12月初め。
これだけのボリュームの雑誌を作るには
そんだけ時間かけてるんだね。
そこが旅行誌の大変さ。
ご苦労様でした。
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一昨日の夢

2022-04-29 | 生活の風景
市街戦真っ只中の街。
あちこち壊れたビルの影に迷彩服の兵士たちが散開している。
かくいう私もなぜか迷彩服姿で建物の影に。
ところが、みんなが持っている武器は小銃や機関銃ではなく
ロングのレンズをつけた一眼レフカメラばかり。
向こうの建物の影に敵兵士の姿がちらりと見えると
みんな一斉にシャッターを切る。
見え隠れしている敵兵士たちの手にもカメラが見える。
どうやらそれが唯一の武器らしい。
お互いにたくさんの兵士たちが対峙しているらしく
土砂降りに雨の音のようにシャッター音が周囲に響き渡っている。
とはいえ、のんびりムードなどはなくて
みんな命をかけているように必死の形相でファインダーを覗いている。
私も身を隠しながらファインダーを必死で覗いている。
武器の代わりにカメラを持っていることに疑問は生じない。
とにかく戦っている。

という夢だった。
写真を撮られることに身の危険を感じるみたいな。
もちろん連日報道されるウクライナ情勢が夢の原因だろうが
もしかしたらファインダーを覗く行為は
「同士少女よ、敵を撃て」のスコープのイメージなのかも。
夢の中では目一杯緊張していたから
目が覚めた時にはどっと疲れを覚えた。
でも武器がカメラだけだったら、
今のような悲惨なことにならないよね。
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リンゴの花

2022-04-28 | 生活の風景



今年も咲いた。
蕾の先が赤みを帯びてきたことに気づいたのは
ほんの数日前のことだったけれど、
それから一気だったなー。
来年ならもう少し焦れったい時間があるんだけど。

当地では、桜が終わればリンゴの花の季節。
バラ科ならではの鮮やかさと香りが印象的で
個人的には桜よりも好きな花。
しばらくは居間の窓からも楽しめる。
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Pono books & time

2022-04-27 | 文化

盛岡駅前にあるこんな店で待ち合わせ。
古本販売&コワーキングスペースだ。


狭い階段を上がると洒落たアプローチがある。



こういうスペースは大好物だ。
時間があれば1冊1冊覗き込みたいところ。
本棚の後ろ側、窓際、壁際が
隠れたコワーキングスペースになっている。
でも私なら本に目移りして仕事にならんだろうなぁ😅

店の仕組みやディスプレイの仕方など
大変勉強になりました。
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喫茶ママ

2022-04-26 | 食べ物・お店

盛岡の懐かし老舗シリーズvol.2。
盛岡の内丸から本町通りに向かう大手先の喫茶ママは
昭和7年に開店した、県内で一番古い喫茶店。
現在のママは2代目ながらかなりのベテランだ。
店内にはシャンソンが流れ、時空を超えた感じがする。

たぶん20年ぐらいぶりに2度目の入店。
ちょっと小腹が減っていたので
トーストセットを頼んでみた。


正しい喫茶店のトースト、なんだか嬉しい。

盛岡は岩手銀行赤煉瓦館や盛岡信金本店、
そしてこれまた老舗の写真館など、
古い建物が残り、歴史を感じさせるまちだ。
老舗喫茶店も多く、散歩していて楽しい。
しかし一方でバスセンターや大清水多賀、丸竹など
ランドマーク的な古い建物は壊されていく。
もったいないなぁ。
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盛岡でランチ

2022-04-25 | 食べ物・お店

10年どころじゃないな、
15年ぶりぐらいで昭和な洋食レストラン ユキノヤへ。
「西洋料理専門店」の名が歴史を感じさせる。
こういう店がちゃんと残っている盛岡、いいなぁ。
私はとんかつランチ。
しっかり厚いとんかつは肉汁たっぷりでジューシー。
特製と思われるソースも旨味がある。
どこか懐かしい味。

同行者はメンチカツレツランチだったが
そういやメンチカツって最近あまり見ないねぇ。
花巻なら日和佐のメニューにあるけれど
そんなにあちこちにあるメニューじゃない。
かなり迷ったけど、同じメニューじゃ芸がないと思い
今回はとんかつ定食に。
メンチは次回😁
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PTA

2022-04-24 | 社会
春はPTA役員を決める季節でもある。
悲喜交々、憂鬱な気持ちになる人も少なからずいると思うし、
PTAの存在意義を問う声や脱退の例もあると聞く。
それに関して、ちょっと私見を述べてみたい。

そもそもPTAは何のためにあるのか。
子どもの教育は学校だけで行うのではない。
何かあった時に学校の責任ばかり問う声もあるが、それは間違いだ。
あくまで学校と家庭、できれば地域も一緒になって
子どもたちを見守る仕組みを作るというのがPTAの本義。
私は息子たちが小学校に在籍していた頃に2年間広報委員となり
その後5年間学校のPTAの副会長を務めてきた。
息子たちが中学校に入ると、副会長を1年間、会長を1年間、
学校の会長任期時には市PTA連合会副会長も。
その中で学んだことや得られたことがたくさんある。

PTA会長時、ある会員から「PTAって何?」と問われたことがある。
「子どもたちのことをできるだけ伸び伸び育てたいと誰しも思う。
 しかしもちろん危険なことも多い。
 PTAとは先生や親たちが手を繋いで輪を作り
 その中で子どもたちが伸び伸びと走り回る組織だと思う。
 輪が大きければ大きいほど子どもたちが走り回れるエリアが広がり
 より伸び伸びと育ってくれるようになると思う」
私はそう答えた。
手を繋いで輪を作るためにはお互いの信頼関係が必要だ。
保護者と教員との間の信頼関係づくりこそPTAの大きな役割だと思っている。
だから冗談半分の極論でよく
「PTAで一番大事な活動は教員と保護者の飲み会」
と言ったりもしていた。

飲み会はともかく😅 お互いの信頼関係ができている学校やPTAは
子どもたちも安心して学校生活を過ごせる気がするのだが、
残念ながらそういうところは減っている気がする。
地域(学区内)のコミュニティの希薄さがそれを助長している。
いわば「都会化」だ。
岩手県ではせっかく「学校、家庭、地域の三位一体教育」という
全国にも稀な教育制度「教育振興活動」があるのだが
それも有名無実化してはいないだろうか。

PTAの役員を避けたい親たちの気持ちもわからないではない。
ましてシングル家庭が多くなっている今
仕事と家庭のことで手一杯でPTAまで手が回らない人も多いし。
でもたぶんPTAが面倒なのは
行き過ぎた前例主義で「must do」が多いせいではないかと。
前述の通り、一番の目的は信頼関係づくり。
意味ない前例はやめちゃえばいい。
意義が薄れても「やらなきゃいけない」ことばかりってのはナンセンス。
必要なことだけやればいい。

それと「任意団体」であり「やらなくてもいい」こととネガティブに考えず
「身近なボランティア」と考えるといいかも知れない。
これまたPTA会長時代の話だが、ある会合で話したお母さんが
「わたし何かボランティア活動したいんですけど
 なにかいい活動や団体知りませんか?」
と聞いてきたので(そのお母さんは)
「PTAは素晴らしいボランティアだと思いますよ」
と答えたら、いつもPTA役員から逃げ回っていたその人は
きまり悪い顔をして憮然としていた😅
でもそれは方便ではなくホンネですよ。

仕事も持ちながらどうやってPTA役員をしていたか。
それは業種や立場もあろうが
わたしの場合は印刷会社だったので
「役員引き受ける代わりに、封筒でも名刺でも
 なにか印刷物の仕事ください」
とお願いし、会社では「仕事」と称して会合に出ていた。
頭ひねれば、もしかしたらなんとかなるかも知れない。

いずれ、盛岡に勤めていて花巻には寝に帰るだけだった私が
今にもつながる花巻での人脈を築けたのはPTA役員を務めたおかげ。
感謝もするし、実はとても楽しかったのだ。
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「同士少女よ、敵を撃て」

2022-04-23 | 読書

題材が題材だったので、時節柄ということもあり
少し世界情勢が落ち着いたら読もうと思っていた本だった。
しかし家人が買ってきたので、手に取ってみた次第。

圧巻のリアリティとストーリー展開。
これは本当に新人のデビュー作なのだろうか。
戦争とは正義と正義の戦いであること、
常人が平時の価値観や倫理観で語れない戦争のリアル、
国同士の殺し合いに一般人が否応なく巻き込まれる現実。
それは傷つけ、傷つけられ、殺し、殺されるだけではない。
略奪、暴行の狂気。
ウクライナに降伏を勧める人たちはそれを知っているのか?

これはエンタメ作品なのだろうか、
エンタメ作品として読んでしまっていいのだろうか・・・と
途中までは違和感を持って読み進めていたのだが
エンタメではない、重いテーマが隠されていることに気付いた。
だとすれば、エンタメ的ストーリー展開と表現は
ちょっと違うのではなかろうか。
コミックにもなっているらしいが、
確かに途中まではコミック的な展開が続く。
その部分がちょっと気になった。
とはいえ、戦争のリアルを知らない若い人たちは
この方が手にとりやすいだろう。
若い世代にこそ勧めたい。

で、先にこちらを読もうと思っていたのだが


本作の中にも本書が出てきて驚いた。
私の世代にはドキュメンタリーの方が心に残る。
・・・と考えてる人が多いらしく
現在重版中で手に入るのはまだ先らしい😅

「同士少女よ、敵を撃て」逢坂冬馬:著 早川書房
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「日本之芸能 早池峰流 山伏神楽」

2022-04-22 | 神楽・芸能

いろいろ調べたいことがあり、
教えていただいたこの本を図書館で借りてきた。


初版は昭和44年だから、
今となっては書いてあることを確認しようにも困難だ。
とはいえ、すごい本ではある。

早池峰系の山伏神楽の歴史を事細かに調べ
その源流から口伝まで網羅している。
「真言系が法印神楽(大乗神楽とも)で天台系が山伏神楽」
という一説には驚愕した。
もちろんどちらも純粋な真言宗、天台宗ではなく
本地垂迹による修験の祈祷舞なので
仏教伝来以前からの古神道的な部分も多分に込められているし
修験ということで古来の山岳信仰も混淆しているのだろう。
特に天台密教的な山岳修行は山岳信仰と結びつきやすい。
早池峰山は山岳信仰の山なので
ここにそんな山伏神楽が残っているのは理解できる。
修験道は鎌倉時代に広がったとされるが
本書の早池峰神楽の伝承系譜を見てもそれが裏付けられる。
原型はほぼ鎌倉時代から室町時代にできたようだ。

ところで我々の上根子神楽は、
早池峰系とは一線を画す円万寺系の山伏神楽。
発祥はわからないが、権現様が扇や刀を飲み込む所作が
青森の三戸周辺の神楽や権現舞に近いとの研究報告がある。
秀吉の小田原攻めに参加しなかった
当時の花巻地方を治めていた稗貫氏が駆逐され
その後に花巻地方を治めたのは南部氏重臣の北氏。
もちろん南部氏とともに三戸から移ってきた氏族だ。
円万寺神楽が花巻城や北氏と関係が深かったという逸話は
どうやらこの辺りから出ているようだ。

さて本書には早池峰系を伝承している神楽団体一覧があり、
その中に「熊野神社 熊野神楽」と書かれている。



ここに記された「熊野神楽」の本書発行当時の代表が
ここに書かれていた、故平賀末藏氏。
現代表の前々代表だから
ここに記された「熊野神楽」が今の上根子神楽であることは明白。
上根子神楽の歴史は資料が残っていないので不明だが
明治3年に起こされた言立本が残っているので
その頃には円万寺系として伝承されていたことは確かだ。
しかし本書によれば文化3年には早池峰系岳神楽の弟子とされている。
当初は早池峰系で、のちに円万寺系となったものなのか。
そこが謎だ。

しかも、熊野神社拝殿に、今も謎の権現頭(獅子頭?)が今も残る。


これを「太神楽の獅子頭」だという人がいる。
太神楽といえば、熊野神社から西に数km行ったところに
今も太神楽が残っているようだ。
もしかしたらここに太神楽もあったのかもしれない。

上根子熊野神社の場所は
南西に笹間大乗神楽、西に太神楽、北西に円万寺神楽、
南には早池峰岳系の太田神楽がある。
花巻のまちを越えて東に行けば早池峰系神楽ばかりだ。
古い時代、ここは伝統文化の交差点だったのかもしれない。
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2022-04-21 | 生活の風景
花巻では今。今年の桜が真っ盛り。
家の近所を歩いて撮影してみた。


新田から豊沢川を渡って太田へ行く平成橋は
桜の並木がトンネルのようだ。



「熊出没注意」の看板もある😅


ここは一番好きな風景。
新緑の淡い黄緑色も目に鮮やかだ。


桜はあっという間に散ってしまうから
そこが日本人の心情に訴えるのかも知れない。
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哲学

2022-04-20 | 生活の風景
時々、ふと心の奥底に落ちていくことがあった。
「実はこの世界は自分しか存在しておらず
 自分の目で見、耳で聴き、肌で感じている時だけ
 それらは存在しているんじゃないか」
と、そんな時には思ってしまっていた。
さすがに最近はそんなふうに感じることは少ないが
若い頃、それも高校時代や大学時代はよく思ったものだ。
その延長線上に夜空への畏怖がある。

最近よく感じるのは、上記の逆で、自分って何?と。
実は自分というのは実態を持っておらず、
周囲の人たちからの視線や、自分に対する意識や、
感じられる存在感によって照らされ形作られているのではないか。
暗闇の中では何にも見えないが
モノに光を当てて初めてそのモノが形作られるように。
Aさんが見ている私とBさんが見ている私は角度的にもたぶん違う。
Cさんが聞く私の声、Dさんが感じる私の体温。
そういう「光」が形作るものとして自分が存在する。
そう考えたり、感じたり、思うことがある。
そんな時、私は深く自分の内面に入り込んでいく。

若い頃からの変化は
アイデンティティの希薄さからきている気がするのだ。
若い頃は自我をコントロールし難い。
より自意識過剰になりがちだ。
果たして自分に何ができるのだろうと不安になり
余計にアイデンティティを強調してしまう。
今は風に吹かれるまま、川の流れのまま、
殊更自分を前面に押し出すことが少なくなった。
だからこそ周囲からの光があって初めて自分の姿を実感する。
そんな感じ。

「自分って何?」は哲学の基本だ。
考え始めるとドツボにハマってしまうことがあるけれど
でもたぶん自分には必要なことなんだろうね。
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以前から思っていたこと

2022-04-19 | 社会
先日、花巻市の幹線排水管で大規模な漏水事故があった。
事故発生は14日明け方で、道路を通行止めにして急遽復旧工事。
その事態をSNS経由でで知ったのは14日午前中だった。
午後になって「復旧は15日夕方」との知らせが
知人からLINE情報が回ってきた。
夕方になって「復旧が5/15日未明に早まった」という知らせが
これまた知人からのLINEでの連絡。
この間、ネット越し以外には何も情報はなし。
花巻市のHPでは以下の2つのお知らせしかない。



水道事業を担う岩手中部水道企業団のHPでも
お知らせは1回、以下のものだけ。


広報車が走ったというが、
14日街中を車で走った私は1度も見ていないし
91歳の母が住む地域でも見てはいない。

市のHPやSNSをたまたま見た人はわかるが
勤務中や、そもそもインターネット環境がない高齢者は
どうやって知ることができるのだろうか。
それと同時に「断水になる」という情報が流れてきて
どこの地区に影響が出ているのかいくら調べてもわからない。
私の周囲ではみんなペットボトルの水を買いに走ったり
ちょっとしたパニック状態だった。
(結果的に、影響なかった地区の人も水を箱で買ったとのこと)

伝達手段は確かにインターネットが有効だろうが
たった↑だけの情報では事故が起きた事実しかわからないので
対策の立てようがない。
コミュニティFMでは情報を流していたが、
勤務中の人など、聞ける人は何%いるのだろう。
(かくいう私もたまたま車に乗っていて途中から聞いただけ)
一番知りたかった「どこに影響が出るのか」については
結局分からずじまいだった。
(市や水道企業団のお知らせの更新もなし)

花巻市のHPは以前から
「わかりにくい」「調べたいことが調べられない」と
あちこちの人から不評だ。
数年前に改訂されてからますます分からなくなった。
(私も改訂に伴う市民ワークショップに参加したが
 その時出た意見は全く反映されていない感じ)
なにしろ必要なページにたどり着けないのだ。
例えば市の博物館で行われている企画展を調べても
また別のページを見ないと開館時間や入場料がわからない。
市のHP、はなまきナビ、観光協会と
似たような情報ばかりで肝心なことがわからない隔靴掻痒。
帯に短し襷に長しとはこのことか。

ITスキルと、業務スキルは全く別物だ。
以前勤めていた印刷会社でも同様のことがあった。
手動写植から電算写植に切り替わった時、
担当させたのはコンピュータを学んできた若手ばかり。
機械は操作できてもレイアウトや制作は素人だから
結局生産性は上がらず、ミスも続いてしまった。
コーディングスキルがあってwebサイトを作ることができても
情報伝達のノウハウがないと意味をなさない。
まして役所は3〜5年で異動となり、専門スキルが育たない。
いわばプロデューサーやディレクター不在のまま
カメラマンと照明さんだけでテレビ番組を作っているようなものだ。

ことはネットだけに限らない。
情報伝達方法についても専門家が必要。
情報の伝達先や内容に従って
効果的なメディアを取捨選択し、ポイントを抑えて伝える。
広報やパンフレットなどの紙媒体や電波、
インターネットなどはその単なる手段に過ぎない。
重要なのは「誰に」「何を」「どのように」伝えるかだ。
情報だけ羅列された広報は開いてみる気になれない人もいるだろう。
いかに開いて読んでもらうか、いかに耳を傾けてもらうか
メディアの人間はそれに長けているのだから、使わない手はない。
地方自治体でも、企業でも
必要なのはメディアプロデューサーやクリエイティブディレクター。
そういう役割の人たちがいてこそ
必要な情報が、必要なときに、必要な人に届く。

今回の漏水事故は大事にならずに済んだが
これがもっと大きな災害だった場合は人命に関わる。
情報伝達の重要性は、図らずもウクライナ政権が実証して見せた。
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2022-04-18 | 生活の風景



北国にもようやく桜の季節到来。
花巻北高同窓生の中でも
私たちの同期より上の世代にとって
花巻で桜といえば当時の校舎があった桜雲台だ。
(現桜台小学校)
ということで開花を受けてさっそく撮影に行ってきた。
到着時間はたまたまSL銀河が通るまであと5分。
もちろん白橋の上からカメラを向けてアングルばっちりだ。



その後は全国的に有名となった花巻東高へ。
ここはまだ5分咲きにもなってないけど
だからこそ梢の隙間から大谷くんや雄星くんの垂れ幕が見えた。
野球部グラウンドの前には2人のモニュメントが。
最近寄贈により新設されたものと新聞で読んだ。
大谷くんは奥州市で、雄星くんは盛岡のそれぞれ出身だけど
雄星くんの場合はお父さんが花巻出身で私の母校の1年先輩。
自分の息子のように応援するよね。



我が家の庭にも、向かいのりんご畑の地面にも春。
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「女のいない男たち」

2022-04-17 | 読書

以前読んだ本だが、
「ドライブ・マイ・カー」アカデミー賞の話題に影響され
映画はまだ見ていないが、書棚から出してきて再読。

この短編集のタイトルは
本書最後の1篇の短編のタイトルがそのままつけられているが、
全作を通して「女のいない男たち」の姿が描かれる。
村上作品にしてはメタファーがわかりやすく
読みやすい作品ばかりだ。
しかし要所要所に心に残るフレーズがある。
例えば、この短編集の中で私が一番気に入った「イエスタデイ」で
登場人物が話セリフの一節。
「つまりやな、大学を出て、どっかの会社に就職して、
 そのままえりかと結婚して、
 みんなに祝福されてお似合いの夫婦になって、
 子供が二人ほどできて、お馴染みの大田区立田園調布小学校に入れて、
 日曜日にはみんなで多摩川べりに行って遊んで、
 オブラディ・オブラダ・・・
 もちろんそういう人生も全然悪うないと思うよ。
 しかし人生とはそんなつるっとした、ひっかかりのない、
 心地よいものであってええのんか、
 みたいな不安もおれの中になくはない」
確かに、人生はそんなもんじゃないだろう。
そうなって欲しいと思っている人たちは多いけれど。
「独立器官」も同じようなテーマ。

「女のいない男たち」村上春樹:著 文春文庫
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性的指向と性自認のリアル さまざまなわたし vol.1

2022-04-16 | 仕事

週刊金曜日の新連載始まりました。
改めて読み返してみて
ちょいとくどかったかなと反省。
次回からは具体的に書いていますので
たぶん読みやすいかと思います。
たくさんの人に読んで考えて欲しいと思います。
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