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風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

差別

2007-10-25 | 風屋日記
今日は色んなところからの検索がかけられそうな単語が
いくつか出てくる話題になるので、
ちょっと緊張しながらの記事のUPになる。

花巻市西部にある私が住む地域のことを
これまで私はあえて「地区(地域・コミュニティー)」と書いてきた。
が、ここに住む人達は自分達が住む地域を通常「」と言う。
ごく普通に、さも当たり前のことのように。
それは「集落」と同義語として扱われているだけであり、
別にこの地域が何かしら特別な地域なのではない。
いやそれどころか、花巻市郊外に拡がる田園地帯に住む人達はみな
同じような感覚で自分の地域を「おらほの」と言う。

正直言って
「」という言葉が地方によっては特別な意味を持つことを
恥ずかしいことに私はほんの10年ほど前まで知らなかった。
少なくとも私が知る限りにおいて
花巻市内、いや岩手県全体を見回しても、
そういう特殊な意味の「」ということばを使うところはない。
被差別や差別される人達がいないのだ。
だからいまだに何で差別されているのか理解することは大変難しい。
まぁ蝦夷の時代や戌辰戦争の頃の南部版の時代から
岩手の人全員が差別されてきた歴史を持っているとも言えるので
ここ全体が被差別なのかも知れないが。

ところで岩手を代表する食べ物のひとつに盛岡冷麺がある。
これは終戦直後に盛岡に住んでいた在日朝鮮の方々が
生活のために飲食店を経営し、そこで名物となったことが始まり。
盛岡の人達、その後岩手県全体の人達が冷麺を好み、
みんなでそういう店に食べに行ったことが今につながっている。
そこには在日の方々への差別の意識は一切ない(と思う)。
今思い返してみると、私が小学校、中学校時代も
学年には何人か、すぐわかる在日の同級生達がいた。
だからといって(これまた少なくとも私が知る限りにおいては)、
彼らをスポイルするような言動も事件もまったくなかったと思う。
そういう意味では無神経だったとも言えるのかも知れないが、
でも私は友人たちの中にそういう同級生達がいても
今思い返さなければ気がつかないほどに
別に気にもしなければ、気を使うことも全くなかった。
今もそうだけど。

「国境のハーモニカ」池永陽 角川文庫 539円 を読んだ。
実はこれは以前単行本で読んだ
「アンクルトムズ・ケビンの幽霊」(角川書店 1,365円)
を改題した文庫版だったことにすぐに気づいてがっかりしたのだが、
それでも以前と同じように最後まで夢中で読んだ。
在日女性に対する痛い思い出を持つ冴えない中年男の話。
私は差別する側も、される側も経験したことがないので
そういうものなのか・・・と前回は読み流しただけだったけれど、
今回は「もしかしたら気づかないうちに差別してたのかもしれない」と
ふと背筋が寒くなるような感覚を抱いた。
それって、もしかしたら一番残酷な仕打ちだよね。
これまでの人生で一度もなかったらいいと願うしかないのだが。

昔読んだ遠藤周作の「白い人」の中に
「フランス人は人種差別はしない。『区別』する。
 差別はまだ相手を人間として認めているが・・・」
という一節があったように思う。
遠藤周作が留学した当時のフランスがどんなだったのか
本当のところはわからないけれども、
同じ人間を差別するというのは自分のコンプレックスの裏返し。
する方もされる方も、とても哀しいと私は思うのだ。
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4 コメント

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長野は・・・ (園長)
2007-10-27 22:58:27
長野は、島崎藤村の小説「破戒」の舞台になりました。
去年、「破戒」が書かれて100周年ということで、
全国でたくさんの催しがあったようです。
私が仕事で知り合った人権問題に取り組んでいるNPOの
Tさんは、自身被差別出身。
その壮絶な体験を具体的には聞いたことはありませんが、
人柄はすばらしく、私はとても尊敬しています。
長野での差別はまだまだ現在進行形のようですが、
学校では同和教育という言葉が姿を消しつつあります。

風屋さんが言うように、
知らず知らずのうちに、誰かを傷つけているかもしれない、
そう思うと心が痛みます。
返信する
>園長さん (風屋)
2007-10-28 18:20:31
そっか、長野は確かに「破戒」の舞台でしたね。
どうしても被差別と聞くと西日本のイメージが
私にはあったのですが、
きっと私が知らないだけで全国あちらこちらにあるのでしょうね。
「」という言葉を悪用する人がいるために
残念ながら、最近は、
あまりいいイメージの言葉ではなくなっている気がします。
だからと言って差別がなくなったわけではないのでしょうね。

在日の方々への差別や心無い言葉を聞く度に心が痛みます。
かといってそれに真っ向からひとりで立ち向かえるかと問われれば
私はそんな勇気もたぶん無い意気地なしなのでしょう。
そういうことを考えると
知らないうちに傷つけてしまっているかもしれないということよりも
はるかに自分を情けなく思ってしまうのです。
返信する
奪われたもの (園長)
2007-10-29 21:14:23
私が初めてTさんに会ったとき、彼は
「奪われたものを奪い返すために自分の今がある」と
言いました。
その言葉の向こう側に、計り知れない苦しみを見たような
気がしました。

取材で行ったのですが、私が書いた記事を
「あなたの感じたままに書いてもらったことが
大切なんです」と言って受け入れてくれました。
胸が熱くなりました。
彼がここまでいろんなことを許容できるようになるには、
ものすごい時間と精神力が必要だったことでしょう。

我が家に本がありますが、
全国のいたるところにこういった差別は根強く残っているようです。
返信する
>園長さん (風屋)
2007-10-30 12:26:07
「奪われたもの」という抽象的な表現の中に
想像を超えた大きく深いものがあるのでしょうね。
それは私なんぞが推し量ることができないほど。
関東大震災の時の朝鮮人虐殺や戦前の迫害、
戦後のそういう差別などは「時代」ではくくれないもの。
現に今プチナショくん達が
やはり中国や南北挑戦の方々への差別発言を繰り返しています。
いや、ネットの上ではもっともっとたくさんの人達が
学歴や職業や年齢や、その他さまざまなことで
匿名者による差別発言を浴びています。
「昔は差別があった」なんて牧歌的なことを言っていた
私が恥ずかしい。
差別は極めて今日的な問題であり、
またそれらは更にひどくなりつつあるのですね。

もしかしたら「根強く残っている」のではなく
「改めてまた強くなりつつある」のかも知れません。
返信する

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