風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

スイーツディ

2017-11-30 | 食べ物・お店
昨日は期せずしてスイーツはしご。



まずは岩手県さん米粉を使ったロールケーキ。
米粉だからもっとモチモチしているかと思いきや
フワフワでシフォンケーキみたい。
林風舎にて。



そのあとはランチミーティング。
私以外は女子なので食後はスイーツになるわな(笑)
喫茶共楽さん名物のプリンパフェを初注文。
甘み抑えめでおいしい(^^)
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人事担当者の目

2017-11-30 | 世界・平和
昨今の就職活動がどういう形で行われているか詳しく知らない。
インターンシップ使ったり、ネット使ってエントリーシート出したり、
私が人事を担当している時と違ってかなり様変わりしているから。
しかし採用に関する考え方や採用担当者の見方などは
昔も今も変わらないと思うので、ちょっと書いてみようか。
就活生がここを見ているかどうかわからないけど(^^;

まずは企業の選び方。
1「会社は自分のキャリアアップのためのステージと心得るべし」
 もうかれこれ20年前から終身雇用という考え方は無いと心得るべき。
 勤めて定年まで在籍するという昔の定義はとっくに常識ではなくなった。
 自分でキャリアアップを探したり、会社からリストラを受けたり、
 それどころか入った会社が自分の定年まで存続しているかどうかすら
 今はまったくわからない。
 あの世界的有名メーカーも、重工業も、金融業界も
 青息吐息だったり、どんどん縮小されていたり、M&A繰り返したり
 安定して存続するかどうかわからない時代。
 そんな中、自分に何ができるのか、どんなスキルがあるのか
 常に考え、それを身につけることを入社前に考えておくべきだろう。
 言うことを聞くだけの社員は生き残れないし、会社もたぶん必要ない。
 そういう「キャリアを身につけるだけ」なら
 ブラックかどうかなんてのは二の次。
 ブラックだってその後生きる術が身につけばいいではないか。

2「ブラックかどうかは自分で判断するな」
 給与が高いとか、休みが多いとか、残業が少ないとか
 そんな基準で会社を選ぶと間違いなく失敗すると言っていい。
 判断基準として最も大事なのは人事評価とその反映だろう。
 なぜならそこがおざなりな会社は古式ゆかしい年功序列給与になりがち。
 年功序列は年齢を重ねるごとに給与が上がる。
 つまり年を経るごとに人件費率が上がっていくということだ。
 それを賄うために当然成長は絶対条件になっていくし
 個人目標の締め付けも年々厳しくなっていくだろう。
 おまけに人件費を抑えるために最低人員で乗り切ろうとするあまり
 ひとりひとりの荷が重くなり、結果残業が増えか重労働になる。
 人事評価が優れた会社は結果を出せばそれなりの報酬につながるし
 それが仕事へのモチベーションになる。
 まだ社会経験の無い人間にそれを判断するのは難しい。

3「どんな会社や業界に行きたいかより、何をしたいのか明らかにすべし」
 いくらインターンシップを経験しても、どんなに企業研究を重ねても
 実務になればおそらく当初の印象と違う印象を持つと思う。
 マクロで会社や業界を見ても、自分の仕事はあくまでミクロの世界だ。
 それよりも「何かを作りたい」「人と接したい」「社会と関わりたい」など
 ざっくりとした方向性を見いだすことが大切だ。
 作る仕事でもメーカーやマスコミ、建設など多様な業界があるし
 人と接する仕事はさらにもっとたくさんの選択肢がある。
 会社や業界で選ぶよりもっと広い目で客観的に就活に臨めるだろう。

そして採用試験に臨む心構え。
1「自分は何ができるかより、会社にどう貢献できるか考えよ」
 人をひとり採用することは、額面給与の3倍経費がかかると言われる。
 20万円の給与なら月額60万円。賞与も合わせて年間ざっくり800万円となる。
 自分ひとりの人件費となる分の800万円の営業利益をあげるためなら
 営業利益率10%の会社ならば年間8000万円の売上が必要だ。
 果たして自分は(営業じゃなくても)それだけの売上に
 (しかもひとりで)貢献できるのかどうか・・・
 それを問われるのが採用試験だと思って間違いない。
 学校の入試と違うところはそこだ。
 頭の良さ(成績の良さ)や人間性の良し悪しを判断されているわけじゃない。
 あくまで会社は、その会社で「戦力になるかどうか」だけが判断材料。

2「大学でどう過ごしてきたかが数字の成績より優先される」
 よく「体育会出身者は就職に有利」と言われる。その通りだ。
 でもそれは「頑丈で言うことをなんでも聞くから」などということではない。
 「自らの目標を設定し、達成までのプロセスを踏む」経験をしてきているから。
 それは会社に入った後も全く同じだからだ。
 だから、それは体育会だけに限ったことではない。
 学業でも、サークルでも、学生活動でも、個人活動でも
 「自らの目標を設定し、達成までのプロセスを踏む」経験をしていれば
 体育会学生たちと同じく評価されるだろう。
 その目標達成までの道のりが困難であればあるほどその評価は上がるはずだ。

3「会社に媚びを売ることなく、自分のスタイル、自分の言葉を大切に」
 就活に臨んでいる「自分」はひとりだし、自分のことしかわからないだろうから
 会社が求めるであろうスタイルや言葉を
 完璧に覚えれば大丈夫と思っているかもしれないが、
 採用担当者はそれこそたくさんの就活生と会っている。
 何人もが同じ言葉を並べる付け焼き刃など簡単に見破ってしまい、
 その人間は「その他大勢」のひとりと見なされる。
 だってスタイルまで同じなのだから違いがわからないし。
 印象は大切だが、だからといってみんなが同じ髪で同じスーツを着、
 同じ言葉を話すのなら、何を基準に選べるのか。
 そんなことに汲々とするより、自分を堂々とアピールした方が
 間違いなく採用担当者の印象に残るはずだ。
 もし「平均的なおりこうさんが欲しい」という会社ならば
 その会社はその程度の会社であるということ。
 (社員を戦力と考えないそういう会社は社長の器以上にはなれない)
 入ったところで期待もされず、
 その他大勢のひとりとしてしか扱われないだろうと思う。

という、今日はちょっと昔を思い出し、
昔から今に至るまで思っていたことを書いてみた。
読み流してください(笑)
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衝動買い

2017-11-29 | 風屋日記


ここのところ、仕事上カメラが欲しいと思っていた。
今携わっている、あるいはこれから携わる予定の仕事で
そろそろ買わなきゃなと機種選定を始めていた。
欲しい機能を備えた機種は、レンズも合わせ5〜6万円ぐらいと知り、
資金繰りの関係から「来春ぐらいまでには買えるかな」と
胸算用し始めたのが先週半ばごろ。
そんな中、先週土曜日に神楽披露のため
はなまき産業大博覧会へと出かけたのだった。

10時半からの神楽の出番を終え、
道具片付けに神社へ帰るまでの間、
お昼近いこともあり1時間ほど自由時間となった。
出店を見て歩き、お昼ごはんも仕入れた後で
飲食店中心の花巻市総合体育館第2アリーナから
誘致企業などが集まる第1アリーナへとぶらり行ってみる。
入ってすぐ右側に出展されていた富士フィルムブースに
「カメラ特売」の看板をすぐに見つけた。
「へー、どんなカメラがいくらぐらいなのかな?」と立ち寄ってみる。
「えっ???安いじゃん!!!」
コンデジから、ミラーレス、一眼など様々な機種が
数千円から、高くても3万円ぐらい(しかも一眼はレンズ2本付き)。

幾つか手に取り、機能も確認してみる。
3万円で売っていた、レンズ2本セットのミラーレスがいいと思ったけど
聞いてみるとどうやらその場ではカード買いはできないようだ。
「欲しいけどなー、現金あまり持ってないしなー」
と逡巡しながら、他の機種も触ってみた。
その中で見つけたのがこの1万円の札が付いている写真のFINEPIX S09900W。
「ほー、広角もズームも固定レンズだけでOKなのか」
説明を聞いてみたら接写もできるとのこと。
たしかに対象物に2cmほど近づけてもちゃんとピントが合う。

ためつすがめつ見ていたら
説明してくれていた女性社員の後ろから
上役っぽい少し年配の方が「それ、良ければ8千円でいいですよ」と。
急いで財布の中を確認。万札がある!!

ということで、ひょんなことからカメラを衝動買い(^^;
あとから価格ドットコムで値段を調べてみたら
同じ機種の値段はほぼ3万円ほど。
すげー!! それを8千円で買っちゃった(笑)
確かに本当は件の3万円で売られていた機種が欲しかったし
知人に薦められていた5〜6万の機種もそれと同じシリーズだったから
ちょっと無理してでもそちらを選ぶべきだったのかもしれないが、
欲しい機能は全て揃っていたし、
仕事用で欲しかっただけで、趣味として凝るつもりはなかったので
8千円ならこれで充分でしょ(^_-)

衝動買いって大抵後ろめたさや若干の後悔があるんだけど
これはもう大正解。
不思議な縁で、このカメラは私の元にやってきた。
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いわてデザインデイ

2017-11-28 | 文化










一昨日は盛岡駅前アイーナでの同イベントへ。
岩手県内のクリエイターたちが企画する同イベントは
5回目の今回がもしかしたら最後になるとのこと。
デザインを切り口としたコンセプトが面白いし
その上で様々な商品が揃うってことがなかなか無いと思うので
できれば来年以降も続けて欲しいと思うのだが、
継続ってなかなか大変なっbだよね、きっと。

昨年はマルカン応援グッズ販売で私も参加。
今年は繋がっている人たちが「花巻チーム」で出ていたので
(紫波町の人もいたけど 笑)
応援のつもりで様子を見に行ってきた。
もちろん「Machicoco」も置いてもらっていたから
全くの無関係じゃないしね。
(というか、お前も一緒に貼り付けよって話だけど ^^;)

723デザインが携わったデザインベースの商品が揃っていて
農家からの食材、ドレッシングやヴィーガンケーキなど
今回のテーマは「ナチュラル」かな。
クライアントに寄り添うデザインがモットーの723デザインだからこそ
作る人の気持ちや商品そのものの品質がよくわかる。
デザインってのは単にキレイでかっこよくするのではなく
そのデザインで何を表現するのかが大事だということをアピールできる
こういうイベントこそ本当に大事だと思うんだよね。

スタッフとして携わっていたデザイナーを目指す学生の人たちにも
そういう根本の勉強にもなるこういうイベントによって
岩手におけるデザインの価値がより上がっていくのだと思う。
もっとたくさんの、できれば自治体の方々などに訪れて欲しいと思った。
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日本語表現の美しさ

2017-11-27 | 文化
はじめに断っておくが
美しい言語は日本語だけではない。
英語でも、フランス語でも、中国語でも、どんな言葉でも
それぞれの文化に根差した美しさがある。
中国語なんて、今も日本語の古事成語や四字熟語に
美しい表現が残っているもんね。

さて日本語独自の美しさから、日本文化を垣間見てみよう。

●おはよう
「お早う」が元々の言葉。
「お早うお出かけですね」「お早うお働きご苦労様です」など
正確には「お早う」の後ろに言葉がつくのだろう。
それを略して途中で止めることにより
余韻を残す表現になっている。
「こんにちは」「こんばんは」も同様。

●さようなら
「左様なら」が語源。「それならば」という意味。
これも略した言い方で「左様ならまた会いましょう」のように
そのあとに本来なら言葉が続く。
親しい知人などとの別れの挨拶に「それじゃ」というのもほぼ同じ。

●たそがれ時(かはたれ時)
夕方の時間帯を「たそがれ時」というのは一般的だが
朝まだ明けきらない時間帯のことを「かはたれ時」と言う。
実はどちらも同じ意味で、薄暗くて相手がよくわからない状況を指す。
「誰そ彼(たそかれ)」「彼は誰(かはたれ)」と書くとわかる。
これは私が好きな、本当に面白い表現。

●おめもじ
最近聞かなくなった言葉だが、明治の文豪などの作品でよく見る。
「(特定の相手に)会う」ことを言う敬語。
本来の言葉は「お目にかかる」なのだが
敬語であるその言葉をさらに直截的な言い方を避けることにより
より敬語としての格をあげると同時に、親愛の上も表す感じ。
漢字で書くと「お目文字」となり、「お目にかかる」を略している。
女性言葉なのだが、こういう例は他にも
「おしゃもじ」「湯もじ」などがある。
どうも花街で使われ始めた言葉らしいということをどこかで読んだ。

●小春日和
よく晴れて暖かい秋の日を表す。
最初の「小」は「少し⚪︎⚪︎みたいな感じ」という比喩の意味。
だからそのあとに続く言葉をやんわり否定する。
春ではないけど春のようなので小春日和。
同じような表現に「小憎らしい」や「小馬鹿にする」などがある。

●麦秋
私が日本語の中で一番好きな表現。
麦が実り、黄金いろになった収穫時期のことを言う。
しかしその季節は6月後半から7月初旬の初夏なのだ。
麦が色づき、こうべを垂れる姿がまるで秋のようだということで
麦にとっての秋・・・麦秋となる。
こうやって書いていても、つくづく良い言葉だなぁと思う。


総じて見ると、日本語は「略してボカす」表現が多い。
悪く言うと「はっきりものを言わない」ということになるのだが、
それは余韻を残したり、奥行きを出したりするためであり
相手が言わんとすることを洞察したり、慮ること、
あるいはその後の言葉を相手に委ねることが
おそらく日本古来の奥ゆかしい文化なのだろう。
だから誰かを「排除する」とか「死ね」とか言うのは
本来の日本文化には無い、無粋で無作法なことであることがわかる。
ネット上の言葉もそうだよね。
(的を得ているかどうかは別として)あまりに直截的。
JK言葉の方がまだ伝統的日本語表現に近い略し方をしていると思うよ。
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組割り

2017-11-26 | 生活の風景


当地は濃いコミュニティを持つ田園地帯。
この他ならではの伝統的生活慣習が残っている。

昨日は花巻産業大博覧会での神楽披露のあと
夕方から地域の班の組割りといわれる会合があった。
簡単に言うと班長交代式なのだが、
年に1度同じ班の人たちが顔を合わせて近況報告する
いわば地域の忘年会のような形になっている。



昨日もみんなが芋の子汁や漬物など持ち寄り
都合つく限り夫婦での参加で盛り上がった。



この地に伝わるご祝いを歌い、
おのおのあちらこちらで話の花が咲く。
私がこの地に住み始めて31年。
若い頃は組割り出席が面倒で仕方なかったのだが、
地域に慣れるに従い楽しい会と思えるようになってきた。
30年前は長老だった方々がだんだんいなくなり、
当時中堅だった方々が長老となりつつある。
若手だと思っていた私もいつのまにか中堅どころ。
手拍子もおぼつかなかったご祝いは
今じゃ拍子の太鼓を担当するようになっている。

時間はゆっくりゆっくり進んでいる。
少しずつ世代も替わり、受け継がれてきたんだな。
それを今実感している。
私もいつか記憶の中の人になるのだろうが、
その頃もまだこういうコミュニティが残っていて欲しいと
しみじみ思っているのだ。
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今日です

2017-11-25 | 神楽・芸能


はなまき産業大博覧会。
神楽もお楽しみに。
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世の中に本は必要か

2017-11-24 | 文化
絶対に必要。
情報でも、調べ物でも、なんでもネットで手に入る時代だが
哲学や、理念や、想像力は手に入らない。
あふれんばかりの膨大な情報を簡単に手にして
それを頭の中にしまいこむことで知識を得た気になるが
その本質や、底辺にある事象、
あるいはそこに出てくる人々の思いにまでは至らず
表面的な「知識」で終わる場合がある。
文章を読むことにより、想像力を働かせ、人の思いを慮り
本質まで考えて自分のものにすることができる。
だから「読書」そのものよりも
もしかしたら「読書後」の方が大切なのかもしれない。
読んだ内容をもう一度反芻し、自分の中の栄養分とする行為。

それならば本ではなく電子BOOKでも良いように思うが
デジタルな字面はやはり表面的にしか心に入ってこない気がする。
新聞や週刊誌のような、瞬間的な情報ならいいかもしれないが、
心に刻み、自らの栄養とするためには
紙のページをめくる作業の介在が必要だと思うのだ。
ページをめくって本を読む。
読みながら前に戻って確認する時
読んだ内容がしっかりと心に残っていさえすれば
必要なページにすぐ戻ることができる。
それができて初めて本の内容が、植物に水を与えるように
心に、体に、頭に染み込んでいくと思うのだ。
そして考える。
それらの行為すべてを総じて「読書」という。

本の作りは日本で進化した伝統技術だと思う。
表紙デザインは帯のことまで考えられ、
見返し、扉のデザインに思いを込め、
上製本なら花裂れやスピンの色にまでこだわり
レイアウト上の書体や体裁をつきつめ
余白までもがデザインされている。
ここまで考えられた本は世界で一番の芸術品とすらいえる。
この技術を絶やしてはいけない。
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上根子神楽 ご披露

2017-11-23 | 神楽・芸能




11月25〜26日の週末に行われる
「はなまき産業大博覧会」にて上根子神楽ご披露します。
出番は初日の10時半ごろの予定。
八幡舞と権現舞の予定です。
花巻市内の企業や法人など総出のイベントなので
ゆっくりご覧になっても楽しめると思います。
我々の出番は初っ端なので
ぜひ朝からお出かけください。

今日は今日とて勤労感謝の日。
上根子神楽本拠地である熊野神社では
新穀感謝祭が行われます。
社殿において権現舞を奉納予定です。
外国で言えばThanks Giving Day。
作物をいただく自然への感謝を忘れてはいけません。
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気になる日本語

2017-11-22 | 文化
よく「日本語が乱れてきている」と言われる。
かつては2ちゃんねる語や、
今で言えばLINEから生まれるJK語など
ネットから生まれた新しい言葉が代表だろう。
しかし、嘆くことはない。
日本語は古来どんどん変化してきている言葉。
明治の文明開化のあとだけみても
明治〜大正〜戦前〜戦後と言葉は大きく変わっている。
実際ワタシが中高生だった1070年代と現代とででも
思い返してみるとかなりの変化だ。
「歌は世につれ」じゃないが「言葉は世につれ」。
生き物なんだと思うよ。

ただ、流行り言葉や流行りの表現とはちょっと違う
(個人的には)とても耳に障る言葉があることも確かだ。
それらは大抵「いつの間にか」使われ始める。
流行るのとはちょっと違う出現の仕方だ。
流行り言葉は背景がわかるけれど
いつの間にか使われる表現は背景がわからないぶんだけ
なんとなく耳に障って聞こえるのだ。

そのひとつが「そう」。
単独使用の同意ではなく、「○○だそう」で切れる文章だ。
「だそうだ」「だそうです」「とのことだ」でもない。
強調する時の体言止めのような使い方だが
実際には体言止めではない。
最近はテレビのアナウンサーも使うことがあり
そのたびに気になっている。
「△△さんは◎◎だそう」と言われるとすごく耳に残る。
いつから普通に使われ始めたんだろう。

もうひとつは「嫁」という言い方。
夫が妻のことを「うちの嫁」というやつだ。
どうやら関西圏の言い方らしいのだが
はじめは芸人さんたちが使っているのを聞いて気になっていた。
そのうちあちこちで使われるようになっている。
同じように妻が夫のことを「主人」というのも気になる。
戦前の家長制度のころならまだしも
いまだにそういう言い方が残っているとは・・・
と思っていたら、いつの間にかどんどん広がっている気すらする。

それならどういう言い方にすべきか。
一番現代にマッチするのはパートナーだろうが
男的にはちょっとかっこつけすぎ的な響きがあって使いにくい。
「夫」「妻」というは口にするにはちと固すぎるし。
時々自分の妻のことを第三者に「うちの奥さん」と言う男がいて
その響きに少々照れを感じ、好感が持てたりもするが(笑)
(当地で言う「家の嬶=えのかが」も照れが感じられてかわいい 笑)
それは「うちの母ちゃん」という言い方も同じかな(^^;
難しいけど(笑)でもやっぱり「嫁」は聞いてて抵抗があるなぁ。
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「心で触れるボディワーク」

2017-11-21 | 読書


アメリカはカリフォルニアにあるエサレン研究所は
ベトナム戦争の頃に心身が傷ついた人々の癒しのためもあり
設立された研究所とのこと。
世界中のヒーリングメソッドを集め、駆使して
からだのケアをしてもらいつつ
自分自身を見つめ直す心のメンテナンスも行うところで
精神医学の分野でも注目の場所とのことだ。

著者は30年も前にここで3ヶ月間の研修を積み
日本人初のエサレンプラクティショナーとなった人。
帰国後にエサレンメソッドの伝道を広く行いつつ
自分なりの理論的裏づけを確立し
エサレンメソッドを元にした「心で触れるボディーワーク」
そして「ゆったりセラピー」というメソッドを構築してきた。

本書はそんな彼女が書いた
エサレンからゆったりセラピーまでのわかりやすい説明と
ひとりでできる簡単なワークや、施術者のための基本を
具体的に説明した本邦初のエサレン解説書。
いま流行っているマインドフルネスについても詳しく記述してあり、
ストレスにさらされている現代人のためにも
このタイミングでの出版は時季を得たものと言えるだろう。

書店などでは明日発売。
amazonでは先行予約が始まっている
著者主宰のボディワークスクール花巻でも特典付きで予約受付中。

「〜世界で愛される癒しのエサレンメソッド〜心で触れるボディーワーク」
鎌田麻莉:著 BABジャパン
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ゆき

2017-11-20 | 生活の風景


昨日の朝の初雪から
午後には本降りになって夜はもう雪道。
そんな冬到来の日曜日に
またまた新しいつながりが。
兵庫県から花巻に来訪の方から
なぜか花巻人脈につながっていく面白さを感じた。
まぁそれだけ花巻が狭いってことかもしれないけど(^^;

昨日はあーでもない、こーでもないの話に終わったけど、
同じ業界というか、同じ世界で同じ文脈の話ができる人と
もっといろいろ突っ込んだ話もしたかった。
次の花巻来訪は3月とのこと。
同じ世界ながらジャンルが違う話を
その時の楽しみに取っておこう。

ゆきの季節とともにいらしたゆきさん。
またお目にかかるのを楽しみにしています。
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音楽メディア

2017-11-19 | 音楽
20歳過ぎぐらいまではレコードとカセットテープ。
特に(お小遣いではなかなか買えなかったけど)
LPレコードは貴重で大事なものだった。
散々迷って新しいレコードを買って
ビニール袋からジャケットを取り出す時には
ワクワク、ドキドキしたものだった。
まっさらなレコードから立ち上る樹脂の匂い。
ホコリひとつ付いていないレコードをターンテーブルに乗せ
目を近づけながら傷つけないように慎重に針を乗せる時の緊張。
レコードは大事なので、
最初にかける時にはすぐにカセットテープにダビングし
その後基本的にはテープで聴いたものだった。
(本当はオープンリールが欲しかったけど、高価で断念)

初めて買ったレコードはやまがたすみこ。
そしてパーシーフェイスオーケストラのビートルズカバー。
かぐや姫、イーグルス、クラプトン、ビートルズ、
そしてはっぴいえんど・・・
すべてレコードで買ってテープで聴いていたものだ。
カセットテープは、安物とメタルでは音が大違い。
ほとんどのカセットはテープが伸びるまで散々聴いた。
実家近所にあった私立図書館でレコードの貸し出しをやっており
しゅっちゅう借りてきては片端からテープに録っていった。

大学4年の時に、アルバイトで貯めたお金で
初めて自分のステレオコンポを買った。
それまでは大学入学時に親に買ってもらった
レコードプレーヤーがついたモジュラーステレオを使っていた。
新品のコンポにはレコードプレーヤーとCDドライブがついていた。
当時流行っていたカセットテープのウォークマンは
私は持っていなかったので
音楽を聴くのは自分のアパートの部屋でだけ。
初めて聞くCDの音は
レコードのような重厚かつ繊細な音ではなく
シャープでむき出し、レコードにはないピンピンした音で
(今考えるといかにもデジタルな音)
当時人気だったグローバーワシントンJrなどのような
ファンキーなフュージョンがぴったりだった。

そのうちレコードが姿を消して、CDが主流に。
そして登場してきたのがMD。これは本当に便利だった。
レンタルCDが全盛時代で、次々に借りてきてはMDに録る。
テープと違い、CDのように頭出しが簡単にできるし
小さくて車にたくさん載せていても邪魔にならないから
とにかくどんどん増えていった。
便利さは音の劣化に勝り、ポータブルのプレーヤーも使っていた。

データで聴く時代になり、ipodなども使ったけれど
メディアで音楽を聴いていた世代の私は
あくまでCDが主体だった。
CDからデータをPCに取り込み、それをipodに入れていたのだ。
家で聴く時にはCDか、PCからCD-Rに焼いたもので。
音楽をダウンロードするという習慣がなかなか身につかない。

今CDすらあまり売れないとのこと。
ほとんどデータをスマホやPCなどのデバイスに取り込み
それと同時に音楽がBGM化している印象だ。
お手軽なデジタルデバイスではなく、ステレオコンポなどで
じっくりと聴き込むことが少なくなっているのではなかろうか。
音楽までもが消耗品化しているようで、ちょっと残念だ。

まぁ、誰しもが忙しい現代。
高音質なステレオの前で
じっくり音楽を鑑賞する時間を取ること自体
もしかしたらとても贅沢なことなのかもしれないけれど。
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人と人がつながる場所

2017-11-18 | 文化


東京出身で、
花巻市大迫町に地域おこし協力隊で来ているカンタくんが、
大迫町内の民家を借り、リノベーションして
ゲストハウスをやるという活動を始めた。
大迫のウリであるぶどう農家の後継者育成の一環で、
農家体験や試し移住の人のためのゲストハウスだ。

まだ手続きなどあり、営業はできないらしいが、
大迫にはもう2年半住んでいるものの、都会育ちのカンタくん。
山の中にある、7LDKの一軒家にひとり住まいは
「寂しくて死にそう」とのこと(笑)
そこで、大騒ぎして周囲に住む熊たちを驚かせるべく(笑)
花巻から、西和賀から、盛岡から人が集まり
ワイワイガヤガヤ楽しい一夜を過ごしたのだった。
あとで空き瓶を数えてみたら
大迫特産ワインをひとり1本ずつ飲んだ計算(^^;

それぞれの人たちは、繋がっていた人もお初の人たちも
みんな一緒になってすぐに雰囲気に溶け込む。
仕事も、生活の場も、取り組んでいることも違う人たちだが、
だいたいみんなに共通しているのは
何かしらに積極的に行動するプレーヤーであるということ。
こんなことをきっかけに、そんな人たちの輪が広がる。
この「かんたはうす」もそんな場所のひとつになっていく。
これからが楽しみ。







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サバイバル ファミリー

2017-11-17 | 映画・芝居・TV


つい数日前、東京の田園都市線が停電でストップし
16万人もの足に影響が出たというニュースがあったばかり。
「東急電鉄の社長にも(バスやタクシーを待つ)列に並んで欲しい」
という、インタビューを受けていた人々の声が放送されていたのだが、
この映画を見ていて、そういう言葉が
実際にサバイバルが必要な時にはいかに空虚なものであるのかと
つくづく思った。

私は「人間のやることに完璧はない」と思っている人間。
(だからジェットコースターには乗ろうと思わない)
どんなに完璧を目指しても、それに近づけることはできても
たぶん100%は決してない。
だから当然、今回の田園都市線のようなことは当然起きる。
要は大なり小なりそのための備えを心がけているかどうかではないか?
電車が止まったら、善後策をどうするか。
私も含め、あまりに便利な世の中で生活していると、
人間が本来持っていると思う危機管理能力が衰える気がする。

レンタルで借りてきて見たこの映画は
予告編の作り方や、ところどころに散見される
非現実的でご都合主義なストーリー展開を見ていると
たぶん笑えるエンタテイメントというカテゴリーになるのだろう。
しかし見ていて、そんなに笑う気にはなれなかった。
6年前の、ライフラインが止まったあの数日がフラッシュバックしたからだ。
いざという時、公共交通機関や金は何の役にも立たない。
もちろんブランド品も。
それでもそういうものに頼り、執着する人間たちが哀しい。

スーパーやコンビニに食べるものが無くなっても
田舎では米も野菜もあった。井戸や自家水道もある。
電気が通らず、エアコンやファンヒーターが使えなくても
反射式ストーブがあったし、いざという時には火を焚くこともできた。
サバイバルが必要な時、本当に強いのは
土とともに生きる生活なのだろう。
そして地域のコミュニティーによる共同備蓄。
田舎の当地でも、必要なものの物々交換が行われていた。
ふんだんに最新技術が駆使される、普段便利に見える生活は
本当に便利な生活なのだろうか。
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