風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

さようなら 2004年

2004-12-31 | 風屋日記
スマトラ沖地震とインド洋津波の犠牲者は11万人を超えるとのこと。
日本でいえば、地方の中核都市がひとつ全滅したようなものだ。
水や食料が不足している人達は、なんと500万人。
東京の人口の約半分だ。
まるで新聞の見出しのような紋切り型の表現だが、
まさしく「未曾有の大惨事」。

日本人をはじめ、犠牲者は世界中に広がっている。
地域限定のものではなく、世界的な今世紀最大の災害となった。
NGOや外務省、国際交流・国際関係の諸団体は正月どころではないだろう。
私もほんの微力ながら、私のできることで支援したいと思う。
願わくば、
ブッシュ大統領にも人を殺すためではなく、助けることにお金を使って欲しいし、
小泉さんにも、同じ人道支援として
イラクで使っている以上の人や体制や予算を使って欲しい。

私が目にしただけでもNHKや朝日新聞、国際赤十字など
様々な機関が救援募金を受け付けているので、そこに協力するのもよし。
私が会員になっているNGOのSVA(社団法人シャンティ国際ボランティア会)も
救援募金の窓口となっているので、皆さんからのご支援をお願いしたい。

■募金受付の郵便振替口座
  加入者名: 社団法人シャンティ国際ボランティア会
  口座番号: 00150-9-61724
        ※通信欄に「スマトラ」とご記入ください。
※郵便局からの振り込み手数料は免除されます。
 ■お問い合わせ
  (社)シャンティ国際ボランティア会東京事務所
  URL http://www.sva.or.jp/


ということで、混乱の中ながら2004年が幕を下ろす。
いろんな意味で春が待たれる季節。
来年こそは、世界中の人達が笑顔でいられる
春よ 来い。
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雪明り

2004-12-30 | 風屋日記
きっく きっく とんとん
きっく きっく とんとん

地面はふわふわ白い雪

きっく きっく とんとん
きっく きっく とんとん

真夜中だけどほんのり明るい
オリオン座も静かに瞬く

きっく きっく とんとん
きっく きっく とんとん

足首まで雪に埋まり
きゅっ きゅっ と音を立ててる

きっく きっく とんとん
きっく きっく とんとん

今は夜中の1時半
飲んで帰った午前様
木も動物も眠りについてる

きっく きっく とんとん
きっく きっく とんとん
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静かな日

2004-12-29 | 風屋日記
昨日で仕事納め。
何かと宿題を抱えたままの正月休みだが、
どこかへ出かける用事もなく、特別予定な予定もないので、
ま、時間作ってパソコンとにらめっこするのもいいか(笑)
それにしても、休みの日数の割に宿題多いぞ!!(怒)

私は今、年賀状をすべて書き終わったところ。
家内は私の隣でまだ年賀状書きの真っ最中。
外では、散歩中の近所の犬に、うちの犬が吠えている。
家の中では私のキーを叩く音と家内の年賀状をめくる音しか聞こえない。
年末年始休暇の静かな初日。

長男は野球部の忘年会でファミリーレストランへ。
次男は、盛岡で開かれている高校受験のための講習会が今日まで。
「電車で通うの飽きた!! どうしても地元に入る!!」とのこと。
そういう意味では講習会の効果あり(笑)

私も、私の周囲も、何事もなくゆっくりと今年を終わろうとしている。
それどころではない人達が、日本にも、世界にもたくさん居るというのに。
そう考えると個人的にはささやかな幸せと言えるのかもしれないが、
報道されるたくさんの人達を見ながら、心のどこかに重苦しい澱がある。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは 個人の幸福はあり得ない」
                         (宮沢賢治)
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夢と笑顔

2004-12-28 | 風屋日記
いつもの朝は少し明るくなってから犬の散歩に出かけるが、
今朝はまだ暗いうちに家を出た。
満月が煌々と輝き、田圃は一面の雪原。
明るい 明るい・・・(笑)
山の縁には厚い雲が残っているものの、中空は満天の星。
白く縁取られた黒い林が星空を背景に聳えていて、まるで1枚の幻想画のようだ。
ざくざく凍った雪を踏みしめて歩いていると、宮沢賢治の「雪わたり」の気分。
東の雲が徐々に茜色に染まって行くのを足を止めて眺めてみた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、今年も残すところ3日。
仕事もいろいろ残ってはいるけれど、ともあれ今年が終わる。

イラクやスーダンの悲劇は、結局終わることがなかった。
チェチェン絡みの事件やウクライナでの混乱もあった。
日本と北朝鮮との溝は拡がったように思う。
中国との関係にも不安のネタが多い。
インドネシアの地震による津波被害は世界中に激震を走らせた。
子供達が流されて行く様子を泣きながら話す、日本人の目撃者の話が印象的だった。

国内でも大きな地震が相次いだ。
特に中越地震は阪神大震災と並ぶ、歴史に残る被害だった。
様々な子どもを巡る犯罪にも心は痛んだ。
ドンキホーテ放火のような、偏執的な事件も目につく。
ニートと呼ばれる若者が増え、
日本国中が進むべき方向性を見失って右往左往しているように見える。

でもね。
どんな時代でも子供達の笑顔は変わらない。
特に今日を精一杯生きている子供達が夢を語る時の笑顔。
地道に信じた道を歩む若い人達のキラキラ光る目も忘れられない。
彼らが夢を語る時の強い眼光と白い歯。
その他にも、家族とのささやかな幸せを感じている暖かい笑顔。
精一杯チャレンジして成功した時の満面の笑顔。
東北・北海道勢初の優勝を勝ち取った駒大苫小牧の選手達の
抱き合いながら見せてくれた笑顔も忘れられない。

「夢」と「笑顔」がある限り、「希望」は消えない。
なんだかんだとこ難しい話も必要な時はあるけれど、
すべては「夢」と「笑顔」のためだと信じたい。
来年こそは、もっともっとたくさんの夢を聞きたい。笑顔が見たい。

  「みんなの笑顔が見たい この1年」

一昨日仕上げた我が家の年賀状のキャッチフレーズだ。
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神になる瞬間

2004-12-27 | 風屋日記
幕を通して陽光が揺れる。
面の目の位置が合わないため片目しか見えない視界の中で、
両手中指につけたテンザイをひねり直し、千早の袖がよれていないか確認する。
膝を開いてゆっくりと腰を落とし、袴の中の着物を開きながら、
白扇を開いて右手に持つ。
しばし目を瞑り、舞をイメージ・・・集中。

幕の向こうからの「いいか?」という胴前の声に幕出し担当が舞手の顔を窺う。
舞手がうなづくと同時にマイクのスイッチを入れ、幕出しが始まる。
「とうとうと鳴るは瀧の水~」
舞手は静かに屈み、幕の下をそっと掴む。
「鳴るやぁ、瀧ぃの水ぅ」という幕出しが終わると太鼓が始まる。
テンポに合わせて大きく大きく幕を振った後、舞手は一気に幕をくぐる。
目の前がぱっと明るくなり、見ている人達の視線が集中するのを感じる。
神楽殿の床の冷たさを足袋を通して足の裏に感じながら、
腰を落としたまま、舞手はゆっくり舞いはじめる。

神楽では舞うことを「幕をくぐる」と言う。
神楽幕は神の世界と人の世界を分ける境界線。
面をつけて幕をくぐった瞬間、見ている人達の前で舞手は神になる。
頭の動き、首の動き、手の動き、腰の落とし方、
舞台で幕をくぐると普段の練習とは違う動きになるから不思議だ。
より大きく、舞は意味を持ってくる。

平成17年の元旦も私達は神楽の奉納を行う。
朝6時からの「元旦祭」の式後、
7時過ぎ頃から「三番叟」「八幡舞」「岩戸開き舞」の予定。
大人が胴前を勤め、舞手は普段部活などで参加がままならない中高生達。
正月だけは皆揃うことができる。
今から張り切り、誰が何を舞うのか連絡を取り合っている姿が微笑ましい。
また巡ってくる新しい年も、若い息吹の中で幕が上がる。
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ワークシェアリング

2004-12-26 | 風屋日記
低空飛行が続く、私のpv・・・。

さて、昨日の自分の文章を読んで、ちと思った。
「ワークシェアリング」に関しての事だ。
ルーティンワークや労働集約型の仕事は割と簡単に導入しやすいのだろうが、
頭脳労働や感性が問われる仕事、自分の考えを生かしていく仕事は
どのようにシェアすればいいのか、
「ワークシェアリング」の効用に関する文章は良く読むものの、
方法論は寡聞にして聞かない。

甲子園常連校のように4番を打てるバッターが何人もいて、
いつでも交代できるようなところはいいのだろうが、
地方の公立高のように層が薄いところはいかんともし難い。
全国の企業の大多数は中小企業。
マンパワーに頼って仕事をこなしている状態で、
何をどのようにシェアできるのだろう。

業界を明かさずに説明するのは難しいが、
例えば私が所属する会社はほとんどが特殊技能者。
しかもひとり1人の感性がものをいう仕事だ。
この仕事にワークシェアリングを取り入れるのはかなり難しい。
・・・と言っても、業界知らないとわかんないか(^^;

ということで、「ワークシェアリング」という概念は支持するものの、
「じゃ、明日から取り入れるか」というわけにはいかない。
会社内外の制度整備や地道なスキル育成が必要になる。
机上の理想論はいいから、センセ方にもそういうとこ考えてほしいよなー。
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少子化・非婚・雇用問題

2004-12-25 | 風屋日記
昨日はとうとうpv数が12/19の1/3になってしまった・・・。
8月にblog始めてから最低水準かも知れない。
でも「負けるな、オレ」を合い言葉に(誰とだ?)言いたいことを言い続けるっ!!(笑)

さて、今朝の朝刊に「少子化」についての各界の専門家の意見が載っていた。
その中で私的に、特に目を引いたのは以下の2つの意見だった。
「ニートに代表される『非正社員』の若者(特に男)が、自分に自信が持てなくて非婚となっている」(女性の社会学者)
「オランダをモデルに、ワークシェアリングを進めて夫婦とも仕事と家庭の時間を持とう」(女性のジェンダー学者)

前者の意見の結論は「『正社員』になることが人生の目的じゃない。そうじゃない人間が自信を持てる社会にしよう」
というものだったが、私はこの意見を100%支持する。
これまでの「会社に勤めれば定年まで保障」という概念がなくなって来つつあり、
組織に守られたいと考える人から先に、実は組織から排除されてきている。
会社の中でどんなエライ役職についていても、明日もその位置にいられるかどうかわからない時代だ。
これからは自分のスキルなり知識を売る時代だと思う。
会社(あるいはそれに準ずる組織)は、それらを発揮するステージというか、器だけの存在になろう。
各企業でも「正社員」よりもステイタスのある「契約社員」という立場が増えて来つつある。
単年雇用契約ながら、その能力により「正社員」よりはるかに高い報酬を得る形、
いわばプロ野球の契約更改だ。
企業は高い能力を買うことができ、個人は能力を磨くと同時にキャリアも身につけられる。
何年か契約更新後、あるいは何社かを経験後にフリーとして独立する人も多い。
そしてそういう能力はアルバイトやパート、あるいはボランティアの場面でも身につけられる。
例えば語学、例えばシステム系知識、例えば接客・・・。
それぞれ積極的な自己啓発は必要だが、プロの能力まで身につければそれは確実に売り物になる。
組織に属することに汲々とする「正社員」なんかにならなくたって、
自信を持って生きられるかどうかは自分次第だし、それをもっと知って欲しい。
社会はもう既に、そういう人達を認め始めている。
私? はい、スキルも知識もない「正社員」。
会社をほうり出されたら何も売るものを持ってはいない。
ま、そんときゃどんな仕事でもするけどね。
その開き直り方が売り物だったりして・・・(^^;

さて後者の意見だが、確かに理想論ではある。
それができるのなら一番いい方法だし、私もそういう生活をしてみたい。
だが、今の日本のシステムでは現実問題として無理だ。
例えば雇用側から見て、給与15万円の短時間労働者を2名雇用するより30万円の労働者1人に残業してもらう方がいい。
企業の人件費関連科目が「給与」「賞与」だけなら何も問題はないのだが、
その他に「社会保険料(健保、厚生年金、労災、雇用etc)事業主負担分」があるからだ。
これに結構費用がかかり、更に年々保険料率が上がっている。
つまり国は「少子化を何とかしなければ」「高失業率改善のために雇用対策を」といいながら、
実は「保険料値上げ」という逆効果の政策を行っていることになる。
やっていることといえば金のばらまきと企業への「お願い」(笑)。
少子化対策が効果的に機能し、多少なりとも改善されれば、
あるいは短時間労働者市場だけでも活発になり、失業率が下がってくれば、
社会保険料を値上げしなくても、それなりの総額を稼げると思うんだけどね。
たいたい少子化も非婚の問題も、社会保険制度の将来的不安が原因になっている面も否定できないでしょ。
社会保険制度の問題が解決しないうちは後者の意見の実現は不可能。
逆に言うと、社会保険制度を真剣に検討して負担を軽くし、将来の不安を取り除くだけで、
「少子化」「非婚」「雇用問題」「教育」「若年者犯罪」などの問題への対策になるってことだ。
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GIFT

2004-12-24 | 風屋日記
今日の朝日は、その色をしっかりと細長い雲に映して
本当の「朝日の色」を見せてくれた。
あれは茜色? 朱色? それとも朱鷺色?
マゼンタ90%、イエロー70%ってところかな!?
とてもいいプレゼントをもらった気分。

さて、クリスマスイヴ。
私の家はかつてカトリックのクリスチャンで私も幼児洗礼を受けていたので、
子どもの頃は毎年イヴには教会へ行き、ミサの後のバーティーが楽しみだった。
小さな教会であり、なおかつ信者も田舎の人達が多かったので
現在想像するクリスマスパーティーとはちょっと違い、
太巻き寿司や煮物など、それぞれが作ったものを持ち寄ったものだったと思う。
飾り付けも色紙のチェーンを張り巡らせたようなチープなものだったが、
それでも楽しく、ときめいたものだ。
私が大学で東京にいっている間に、
自分の体に自信がなくなり、墓を建てようと思った親父が勝手に改宗、
我が家は今では浄土宗だ(笑)

今朝の新聞に、もうひとつ嬉しいプレゼントがあった。
イラクのテロ組織に拘束されていたフランス人2名が無事解放という記事。
フランスが終始一貫してイラク戦争に反対し、軍隊も送っていなかったことで、
テロ組織側も彼らに危害を加えなかったということだ。
彼らがアラビア語を話せたことも功を奏したらしい。
やっぱりさ、相互理解が大事ってことだよね・・・小泉さん。
香田さんも、橋田さんも、奥さんも、
テロ組織側に彼らに対する理解が足りなかったのは事実だけど、
それ以上に日本政府にイラクの人達に対する理解が絶対的に足りないんじゃないかな。
「支援」は力や押し付けで行うべきものじゃない。
すべてのコミュニケーションには相互理解が絶対不可欠だ。
それも机上の理解じゃダメだよ。
直接触れあわなきゃ。

この時間、サンタクロースはせわしなく世界あちこちを飛び回っている頃だろうか。
クリスチャンはもちろんの事、その他の人達も、
世界中の人達に「笑顔」のプレゼントが届きますように。

.。.:*・゜゜・*:.。.メリー クリスマス .。.:*・゜゜・*:.。.
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昨日の続き

2004-12-23 | 風屋日記
pv減っても(昨日は12/19の約半分)、コメントつかなくても
言いたいことは言う!!(笑)

私が通っている英会話スクールのネイティヴ・インストラクターが、
「日本も岩手も大好きだけど、東京や大阪は好きではない
 あっちではみんな私を見ると『ガイジン』と言って遠ざけようとする」
と言っていた(もちろん英語で)。
また、東洋系の顔のネイティヴ・インストラクターに
「ジャパニーズ・アメリカンですか?」と尋ねたら
「そうだけど、そんな風に聞かれることはあまりない。
 日本人なのか、アメリカ人なのかという質問はよく受けるけど」と笑っていた。

世の中には様々な人達がいる。
他国籍を持つ人達を疎外・排除しようとする風潮。
特に南米、東南アジア、中東から来た人達を差別する風潮。
上記とはちょっと違うが、障害を持つ人達や老人などの弱者を無視し、貶める風潮。
自分とは異質のものを受け入れない考え方が社会を硬化させていく。
そういう社会がニートを生み、子供達を犯罪に走らせているような気がしてならない。

さて、他国に目を転じてみようか。
昨夜NHKで、「アメリカ国民の声」なる番組があった。
名前は失念したが、ゲストの詩人がおもしろい例え話をしていた。
「アメリカの家庭のドアは内開きです。
 訪ねて来た人達を、彼らはにこやかに、そして暖かく迎え入れます。
 でも、内開きのドアは外に出て行きにくい。
 アメリカ人気質として、
 来たものは歓迎するけれど、彼らから出て行くことは苦手なんじゃないか」
なるほど。
移民をどんどん受け入れつつ、他国へは不器用に力の外交を行うかの国を言い得て妙だ。
同じくゲストの元国連高等弁務官緒方貞子さんは、
「アメリカは先進工業国にしては珍しく、人口も若年労働者も減少していません。
 出生率が高いのではなく、それらを移民が支えているのです。
 元々アメリカという国は、懐の深さと寛容の国でした。
 だからこそ同じ国の仲間として移民を受け入れ、大きくなったのです。
 でも9.11事件以来、その寛容がなくなって来つつあるのを感じます。
 国の外に目を向ける余裕がなくなり、移民達を差別し、排除し始めている。
 自分の国に自信がなくなったためだと思いますが、それは自分達の首を絞める風潮です」
と、ここ数年の変化を嘆いていた。

中東地域は、元々親日家が多いといわれている。
同じアジアの国として、戦後の驚異的な復興を賞賛し、手本と感じていたのだ。
戦時の壊滅的な被害をもたらしたのがアメリカであるというのも
親近感を持つ理由のひとつかも知れないが、
いずれ彼らは日本に対し差別も卑下も、あるいは支配も服従もした歴史はない。
同等・同格の友好国として見ていたように思う。
その日本が、現在のようなイラク情勢、イスラエルとパレスチナ情勢に
果たすべき役割は大きかった筈だ。
彼らとアメリカとの間に立つのは、かつて植民地として支配の歴史を持つ西欧諸国ではなく、
日本が最適だったのではないだろうか。
アメリカに尾を振るのではなく・・・。

狭い視野しか持たない者同士が結びついた時はろくなことが起きないと
歴史は教えてくれているのだが、
日本もアメリカも、まずは自分の視野が狭いことを認識しなければ・・・。
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視野の広さと想像力を養おう

2004-12-22 | 風屋日記
昨日はなまるさんからいただいたコメントについて考えてみた。

以前書いたように、東南アジアの人達が日本に来るのは簡単なことではない。
観光ビザはかなりリッチな人しかスムーズに取得することができない。
中国から来日するには大金を国に預けなければならないとも聞いた。
昨年会った息子の友人のタイ人青年に
「飛行機代だけ持って日本においで。雪を見せていあげる」と言った後で
「彼らが日本に行くのは容易なことではない」とNGOのスタッフの方に言われ、
誘ったことを心から後悔したことが思い出される。
こんな日本でも(^^; 彼らにとっては憧れの国だということだ。

タイから日本へは不法、適法合わせてたくさんの人が日本に来ているが、
彼らを取り巻く環境はとても厳しい。
両親を亡くし、日本に住む祖母を頼ってきたのに
「不法滞在」ということで検挙されたメビサさんもそのひとり。
私の知人でも、業者を通して日本人と結婚し、ひとり来日しながら、
田舎の伝統的な生活に馴染めずに子どもを置いて家を出、
都会で夜の仕事を始めた人もいる。
タイに帰るお金もないのだ。
彼女は流暢に日本語を話すが、書いてあるものは読めない。
たったそれだけで社会は彼女を疎外し、友人すらできなかったと私に嘆いた。
「国際交流の集い」とかっこいいイベントを開催しても
その案内を彼女は読めず、周囲の誰もそれに気付かなかったりするのだ。

ミャンマー人の難民親子や脱北難民に対しても日本人は皆壁を作ってしまう。
在日コリアンに対しても同様だろう。
しかもこれは日本が朝鮮半島を不法統治していた時代からなので
歴史的にもかなり根が深い問題だ。
通学途中の民族学校女子学生がチマチョゴリをカミソリで切られたとか、
2ちゃんねるなどの掲示板でそういう人達に言いたい放題だとか、
あるいは政治、経済の世界で、評論の世界で著名な人達が、
思わずなのか、意図的になのか、ポロっと口にする差別とか・・・。
同じ日本人としてこれほど情けなく、悲しいことはない。
そういう人達がいくら「愛国心」を口にしても、それは空ろにしか聞こえない。

そういう差別を口にしたり、行為として行ったりする人達は
例えば好きになった女性が在日コリアンだと後から知ったらどう思うのだろう。
すごく気の合った新しい友人が、実は脱北難民だったらどう思うのだろう。
危ないところを助けてもらった人が東南アジアから来た貧しい人だったらどう思うのだろう。
これまでも何度も書いてきたが、直接知っている仲の良い友人なら差別はしないだろう。
逆にその人達やその国の持つ固有の文化に興味を持つのではないか?
お互いに直接知り合い、お互いの違いを認めあい、その立場を尊重し合うことが、
人間同士のコミュニケーションの基本だ。
そしてその次は、会ったことのない人についても立場や痛みを想像してみること。
そうすれば無意味な暴力(ことばの暴力も含め)は世界から姿を消す。

もう10年も前になるだろうか。印象的なシーンの思い出がある。
次男の幼稚園卒園式でのこと。
同じ組に在日コリアンの子がいたのだが、
そのお母さんが目の覚めるようなきれいな色のチマチョゴリを着て来たのだ。
初めて間近で見るそれに感激すると同時に、私は他の保護者の反応が気になった。
みんなヒソヒソと話し合い、遠巻きにするのではないだろうか・・・という心配だった。
その時、数人のお母さん方が会場に入って来た途端
「わーきれい!! ちょっと触ってみてもいいですか?」
とても暖かい気持ちになったことが忘れられない。

(本の紹介)
「イラク高校生からのメッセージ 日本の若い世代へ 」 講談社文庫 470円(税込)
著者の赤尾邦和さんは国際キリスト教大学の学生。
実際にイラク戦争開戦前のイラクへ行き、高校生達からメッセージをもらってきている。
これを読んで、彼らのことを想像してみよう。
簡単なことだ。日本の高校生達と何も変わらないから。
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マッハ!!!

2004-12-21 | 風屋日記
夕べ息子が「マッハ」のDVDを借りてきたので、さっそく鑑賞。
いうまでもなく「アクション吹替えなし、特撮なし」がウリのタイ映画。
先にそのウリ文句が頭にあったせいか、初っぱなから「うぉー!!」というシーンが続出。
こりゃホンマもんのアクション映画だ。
大勢の敵の肩を踏み付けながら走るシーンや走る車の下をくぐり抜けるシーンは
思わず息をのみ、目が丸くなる。
何度も書くが「アクション吹替えなし、特撮なし」なのだ。
ストーリーだけみると確かにショボイ(笑)・・・が、
数々のアクションシーンだけでも一級品だと思う。
エンディングのロールテロップの背景に、撮影中のエピソードが流れているが、
撮影中いったい何人のけが人が出たのだろう。
これは絶対日本では作れない。

それにしても命がけのあの大激闘が、単に村の仏像の頭を取り戻すためだったり、
ミエミエのイカサマカード賭博や、「何でコイツは逮捕されないの?」という悪役がいたり、
一見チープに見える造りだが、これがタイ文化だと思う。
命に代えても取り戻そうとする仏像の大切さ、
渾沌としたアジアの大都会の底辺の生活などなど・・・。

実はアクションよりも、
あちらこちらに垣間見えるタイ文化を楽しんだ1時間40分だったかも知れない。
息子も「田舎のオヤジたちの言葉がイサーン(東北地方)方言だ」と言っていたし、
バックに流れる音楽もケーン(日本の笙のようなイサーン・ラオスの民族楽器)だったし。
生活上の価値観や文化の違いがストーリーにもよく現れている。

次はアクション映画ではなく、タイのラブ・ストーリーを見てみよう。
「地球で最後のふたり」もおもしろそうだ。
主演の日本の男優、浅野忠信も賞を受けたようだし。
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中年男の感傷的な話

2004-12-20 | 風屋日記
「神崎みゆき」というミュージシャンをご存知だろうか。
私も中学生時代に2~3度しかTVで見たことないのだが、
「ゆうこのグライダー」という曲がちょっと有名だったかも知れない。
彼の「公演通りの情景」(だったかな!?)という曲がわりと好きで、
今でも2番まで歌える。
詞やメロディーもさることながら、目に浮かぶ情景が好きなのだ。

 ぼくの大好きな喫茶店は 坂道の途中にあります
 窓にもたれて思い出せば 何故か悲しくなるのです
 ぼくらはいつでも笑いながら ここから駈けて行きました
 あなたの長いスカートを 風に膨らませて
             (著作権認証なし・・・スミマセン)

昔の・・・と言ってしまえばそれまでなのだが、
例えばガロの「学生街の喫茶店」に出てくるような情景みたいな、
青春時代を過ごす街の風景が好きだったりする。
レコード屋があり、本屋があり、小さな食堂があり、古道具屋がある。
そして仲間が集まる喫茶店があり、行くと誰かが必ずいてダベっている。
ニコニコ話を聴いてくれるマスターがいて、熱いコーヒーがある。
こだわりの曲が流れていて、落書き帳が置いてある。
そんな学生同士のコミュニティーのような喫茶店というのは今もあるのだろうか。

私の通った大学にもいわゆる学生街があり、行きつけの喫茶店があった。
時間があれば、仲間と、彼女とその店のドアをくぐり、
ダベったり、本を読んだり、雑記帳に夢を描いたり・・・。
大学1年の頃通っていた喫茶店でよく流れていたのは
ロバータ・フラックの「Killing me softly with his songs」。
今もどこかで突然その曲が流れてくると、私は一瞬にして時間旅行者になる(笑)

BEGINの曲にも「防波堤のある景色」という好きな曲がある。

 おまえと2人でこうしていると あいつらが入ってきそう
 いつでも会えるさって別れたけれど もうあそこには帰れないんだな
 今がすこしずつ遠くなって行く おまえの言葉あの頃となんも変わってないな
 歩道橋、捨て看板、立体駐車場 行く場所なんてどこにもない
 でもこうしてこの街で飲んでる景色は 防波堤で見たあの日の夢の景色だ
                   (同じく著作権認証なし・・・スミマセン)

中年男になってしまった今でも時々かつての情景を求めて、
こんな雨の日はふらっとどこかの喫茶店に入ってコーヒーを飲んでみるけど、
私も周囲の景色ももちろんあの頃に戻れる訳もなく、
こぎれいな店内にはあの恥ずかしい位の若い息吹も今はない。
それでもタバコに火をつけ、ぼんやり外を眺めてみたりするわけだ。

ちょっと感傷的な話になった。
オヤジには似合わねーなー(^^;
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星空

2004-12-19 | 風屋日記
さっきまですごいガスだったのに、
ほんの20分ほどの間にきれいになくなった。

現在午前2時。

家に入ろうとしたら、頭上は満天の星空。
空気もキンと冷たく透き通って、
鋭角の光を星たちは身にまとっていた。

案の定自然に対する畏怖を感じ、
あわてて家に入った次第。
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キナ臭いナイーブな話

2004-12-18 | 風屋日記
土曜日はいつもpvが落ちるので、この日を待っていた。
それではちとナイーブな話を(笑)

ここを読んでくれている人達の中には、
今日書く内容をキナ臭く感じる方々もいると思うが、既に過去の話で時効かと思う。
こんな(貴重な?)体験をしましたという「話」だと思って読んで欲しい。

゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。.゜・*:.。. .。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜.。.:*・゜

3年程前の事。
以前からの知人に「たまには飲もう」と誘われた。
その方は私の住む地域ではちょっと知られた元地方議員。
私自身もこの町や県に対しては言いたいことが山ほどあったので、
ちょうどいい機会だと思って出掛けた。

いっぱしの一家言のように私が語るこの町の行政について、教育についてなど、
日頃抱いている私の考えを色々聞いた後で、彼は唐突にこう切り出した。
「ところで、そういう考えを自分で何とかしようと思わない?
 私は君を政治の世界に誘おうと思ってるんだけど、どうですか?」
要は「選挙に出てみないか」とのお誘いだった。

彼が最初に提案した作戦はとんでもないものだった。
1年以内に解散総選挙がある(実際はなかった)ので、その時に出ろと言うのだ。
私の住む衆議院選挙区からは、全国に知られた有名議員が出ている。
そうではなくともこっちは全く無名のサラリーマン。話にならない。
ところが彼の話は更に続く。
「当然落選するだろうが名前は売れる。本当の狙いは2004年の市長選だ」とのこと。
ふざけるな・・・と憤った。
あんたらが欲しいのは、私の名字だけじゃないか・・・と。
概出の通り、私と同じ名字を持つ伯父は長いこと政治の世界にいた。
伯父の下で仕事をしていた彼の意図は、この名字を絶やさないことだったと思う。

私の「欲しいのは名字だけですか?」に、彼はむっとしたようだった。
・・・が気を取り直して
「まぁ、この話はちょっと急な話だと思っていた。
 それでは、これは政党人としててはなく同じ地区民として言うが、市議会はどうだ?
 ちょうどこの地区から出ている議員が引退するが、その後釜も探してるんだよ」
これにはまいった。正直迷った。
実際、その話があってから2ヶ月間迷っていた。
地方選挙は約1年後。タイムリミットギリギリまで迷っていた。
やりたいことは山ほどあった。言いたいことも。
事情を知る知り合いの市議は「一緒にやろうよ」と言ってくれた。
母や家内にはなかなか言い出せなかったので、妹や友人数人にも相談してみた。
その時点では自分なりの正義ややりたいことを通すか、生活を守るかの選択だった。
市議会の議員報酬は手取りで約24万円、そのほとんどが交際費で消えると言われた。
休日も行事への出席や冠婚葬祭でほとんど潰れるとも・・・。

最終的には家内の「選挙に出るなら離婚してからにして下さい」が全てを決した。
家内の言葉も私の決断も、自分だけが逃げようというものではない。
家内も親戚が市議会議員をやっていて、周囲の苦労を知り尽くしていたし、
彼女自身の微妙な立場もあったのだ。
私の出した結論は「出ない。そして今回出ないと決めたからには一生出ない」というものだった。
別の場所で、自分ができる限りの事をしようと思った。
1年後に県議選に出た友人を側面から応援したのも、
市PTA連合会の役員を引き受けたのも、そういう思いが根底にあったからだ。
しかし、市政に物言う場から逃げたと言う事実も確かにある。
私がその後、市政・県政に端切れの悪い物言いになっているのは、
言える立場から逃げた・・・という負い目を背負っているせいもある。

そしてblogを始めた目的のひとつである「国の妙な流れに棹を差したい」というのも、
(小さいことだけど)私ができることのひとつであると考えている。
コメント (8)
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インシャラー

2004-12-17 | 風屋日記
今日もちょっとナイーブな話を避けて・・・(笑)

今朝出がけに、コーヒーを買おうとコンビニに寄った時の事。
店内にはたくさんの出勤・出動途上のサラリーマンや作業員達が
朝食やコーヒーを買いに来ていた。
お目当ての缶コーヒーを手にレジへ向かうと、
早朝ということで1人しかいない店員さんが、年輩の女性に付きっきり。
3コほどの段ボールの荷物を宅配で送りたいらしい。
店員さんが「伝票を書いて下さい」と言っても、
その女性は「わかんないから書いて下さい」と、住所や名前を述べる。
隣のレジでどんどん長くなる列を横目で見ながら
「すんません、先にこっちレジ打ちますのでちょっと待っててもらえますか?」
という店員さんへは「私が先に来てるし、行かなきゃならないとこあるんです」
と不満そうなご婦人。
その言葉を聞いて、私を含めた4・5人(並んでいた人の半分)が、
手にしていた商品を棚に戻して店を出た。
他の人達同様。車に戻った私はイライラしていた。

その時ふと頭の中に「インシャラー」という言葉が浮かんだ。
すっと気分が楽になり、笑みすらこぼれた。
「インシャラー、インシャラー」と呪文のように口でぶつぶつ言いながら、
私は会社へと向かった。

アラビア語で「インシャラー」(インス・・・思う・アッラー・・・神)とは
「神の思し召し」とか「神が望むままに」という意味らしい。
アラビア語圏の人達、特にイラクの人達はよくこの言葉を口にするとのこと。
今年イラクで命を落とした報道カメラマン橋田信介氏の著書によく出てくる。
「ビザはいつ発給されるんだ?」「インシャラー」
「ここは危険なのか?」「インシャラー」
「バスが来ないじゃないか」「インシャラー」
便利な言葉だ。

でもこの言葉はイラついた気持ちを、不思議に落ち着かせてくれる。
日本語で言うところの「なんとかなるさ」的使い方をするのだが、
それを神様のせいにしてしまうところが笑える。
ノー天気だとも言える。
そういうノー天気さと楽天的な明るさが、この地域の人々の本来の姿かも知れない。
最近、中東のイスラム教徒というとこわいイメージを持つ人が多いと思うが、
かれらもお人好しの、私達と同じように慎ましく生活している人間なのだ。

「インシャラー」・・・私も使ってみよう。ストレスが溜らないかも(笑)
「マイペンライ」という言葉も好きですよ >rwwaさん
コメント (7)
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