風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

冷えた朝

2023-01-31 | 生活の風景

「四郎とかん子とは小さな雪沓をはいて
 キックキックキック、野原に出ました」
          (宮沢賢治「雪渡り」より)

朝の最低気温が-13度だった昨日の朝。
氷点下2桁になると、深呼吸したときに鼻の中が凍り、
鼻の中で鼻毛がくっつくような感じがする。
このぐらい冷えた朝、雪の上を歩くと
なるほどキックキック音が鳴る。
それが面白くて、ちょっと遠回りして歩いてみたり。

雪が降ると車が出せなかったり
歩くのが大変で雪かきしなきゃいけなかったり、
道路が凍ると車が滑ったり、いろいろ大変なことがあるけれど
冷えた日はなかなか楽しい。
空気中の水蒸気の状況次第では
凍った空気中の水蒸気に朝日が当たって
キラキラきれいなダイヤモンドダストになる。
足元ではギュウギュウと靴が鳴る。
こどもじゃなくても楽しくなってくるけれど
狐の幻燈会は11歳以下じゃないと行けないんだよね。
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まちの標本 vol.1

2023-01-30 | 社会
社会の中で行動しているとたくさんのものを目にする。
目にも止まらず、なんとなく見過ごしてしまうものが多いけど
そういうものでもちゃんと自分なりにフォーカスしてみると
案外面白く感じることがよくある。
近頃、そうやって目に止まったものをスマホで写真に撮る。
そしてそれらをワタシは「まちの標本」と呼んでいる。
意図してあちこちにフォーカスしていないと
あっという間に見過ごしてしまうから、
きもち的に余裕がある時にしか撮れないんだけどね。
でもそれはある意味「比較文化」的な蒐集になるんだろうな。
時々ここでそれを公開してみようと思う。

今回は、女性の方々には馴染みがないと思うけれど
男性諸氏にはお馴染みの「男子トイレにある注意書」だ。






なかなかにして、お店の方の苦心と工夫が見受けられる。
「標本」にしてはいないけど
中には「クスッ」と笑ってしまう傑作もある。
記憶に残っているのは
「急ぐとも外に漏らすな玉のつゆ、吉野の花も散らば見苦し」
とか
「急ぐとも、西や東に垂れかけな。皆見る(南)る人が汚(北)なかりける」
などという風流な言葉(川柳?)もあれば
「スピードよりコントロール」
とか
「苦しゅうない、近こう寄れ」
とか
「一歩前へ!君のはそんなに長くない!」
とか
「こぼさぬ 先のつゆ(転ばぬ先の杖のもじり)」
とか
まぁよくも考えつくものだと感心してしまう。
今回写真で挙げたのは割に真面目なものばかりだけど
たぶんその店の業態にもよるよね。
面白いものは飲み屋さんに多い印象だ。
今後も見かけたら蒐集の予定。

女性の皆さん、男子トイレはなかなかのミラクルワールドです。
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「決壊」上・下

2023-01-29 | 読書


犯罪の裏側にある生育環境の闇。
兄弟間のコンプレックスと、優秀な人間の孤独。
冤罪の被疑者への世間からの攻撃。
老いによる鬱と認知症。
社会が抱える同調圧力と犯罪の連鎖。
たくさんのテーマを内包する問題作だ。
上・下2巻にするほどのページ数があるけれど
描かれる世界が濃いために長く感じない。
そこまでは書かれていないが
死刑制度の是非までも考えさせられる。
ただし、場面によってはちょっと冗長かな。
そう感じるのは長い台詞回しと
章が変わったときの出だし。

「決壊」上・下 平野啓一郎:著 新潮文庫

ネット購入は下記から

 
 
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嫌いな言葉

2023-01-28 | 社会
先日書いたように
「普通」とか「正義」とかいう言葉は信用しない。
差別や区別、分断、争いは大抵この2つの概念から生まれる。
それらは嫌いな言葉というよりも信じていない言葉。

最近よく使われている言葉で嫌いなのは
「コスパ」と「タイパ」。
コストパフォーマンスとタイムパフォーマンスとのこと。
「無駄を排除」し「効率を追い求める」考え方だ。
確かに事業など、ある分野では必要なことだとは思う。
コストに響いてくるしね。

でもそれが生き方や行動全般の規範の元になるのは
正直どうなんだろうと思うんだ。
生まれてからこれまで60年以上生きてきて
「無駄なことな何もない」「無駄の中にこそ大事なことがある」
そして「どんなことでも後で必ず生きてくる」を
つくづく実感しているから。
無駄なく一直線に生きるということはありえないし
仮にできたとしても応用が効かずとても弱いものになる。
窮地に陥った時、過去の「無駄な経験」が活きてくる。
無駄な経験がないと、
何かの拍子に1本道から外れるともうやり直しが効かない。
仕事1本で会社人間だった人が定年退職した途端に
生きる意味を見失ったりするのもそれだろう。

私は高校時代、もの書きになりたかった。
文章修行するつもりで大学では文学部を選んだのだが
そこで自分の無能さを思い知らされて断念した。
その後TV局でのAD経験からメディアを作ることに夢を抱いたが
それも叶うことなく、紆余曲折の末に
そういう世界とは全く違う世界の会社に、食べるために入った。
(実はその時点で、もうそれまでの経験が活きていた)
その後、多少はメディアに近い会社に転職し
これまた若い頃に目指した分野とは違う部署を長く経験し、
徐々に書き仕事やメディアに触れる部署に移った。
25年の勤務を経て独立。
気付いたら、いま書き仕事やメディアを作る仕事をしている。
大学を卒業してからの40年は回り道や寄り道だらけだったけど、
気付いたら高校・大学時代に目指した世界にいる不思議。
これは回り道や、より「無駄なこと」をしてきたからの相違ない。

若い頃は「一直線に夢へ」と焦っていたけれど
「人生の時間はたっぷりある。焦ることはないよ」と
当時の自分に言ってあげたい。
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コロナ禍による社会の変化

2023-01-27 | 文化
3年はそこそこ長い。
この間に小学校、中学校、高校、大学に入った人たちは
それまで当たり前だったことを経験することなく
それらのステージを過ごしたことになる。
何かで読んだエピソードだが
保育園で、たまたまマスクを取った保育士に
園児が「先生、歯がたくさんある」と言ったのだとか。
マスクなしの顔が珍しかったんだね。
私たちのように、長いこと生きていると
「以前の生活に戻りたい」と熱望するのだが
「以前の生活」を知らない人たちにとってはそれがわからない。
新たな「コロナ後」の社会を作っていくしかない。
この3年の抑圧生活は様々なことを変えてしまった。
コロナが去っても、それらはもう元には戻らない。
人と人とのつながりもそのひとつだが
同じように危惧されることがある。

先日、同じ地域に住む人との話で気がついた。
私が住む地域は昔からのコミュニティが残る田園地帯。
当たり前のように伝統的文化や慣習が残る。
そのひとつが「ご祝い」だ。


ところがこの3年。
地域住民が集まることも無くなり(飲み会はもちろん)
ご祝いを歌う機会が無くなった。
そうでなくとも歌える人たちが減ってきていたから
3年も歌っていないとますますその文化が希薄になっていく。
先導役として歌っていた高齢者はより歳をとり、
若い人たちは覚える機会もない。
コロナ禍により、ご祝いを歌う文化が消滅することを危惧する。
おそらく江戸時代から続いてきた文化。
それがたったひとつの感染症によって無くなってしまうのは
地域はもちろん、広く考えると日本という国にとっても
大きな損失なのではなかろうか。

ご祝いを例に挙げたが
こういうことは全国規模で潜在化している気がする。
そしてそれは、国や地方自治体が対応することができない。
あくまでその地域の住民たちが
意図して残していく取り組みを考えなければいけない。
とりあえずご祝意を今後も残していく算段を
考えられないかなと思う。
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素人目からの疑問

2023-01-26 | 世界・平和
先に決まったのは敵基地攻撃能力。
次に決まったのは防衛費のGDP2%への大幅増額。
次に話が出たのは防衛費増額のための増税。
そしてアメリカからのトマホーク購入。

なーんか順番おかしくないか?
何のために防衛費を倍増させるのか。
まずは防衛費増額ありきでそのための増税?
そして旧態依然としたトマホーク購入?
今時の防衛ってそれでいいの?

普通なら

こういうことをしなければいけない
    ↓
そのためにはこれが必要
    ↓
それを買うためにはこれぐらいお金が必要
    ↓
そのお金はこうやって調達したい

という流れになるんじゃないのかな?
「何をしたいか」よりも「増額ありき」「増税ありき」みたいに見える。

増税には反対だ。
金を出したくないとかいうこと以前に、意味がわからないから。
防衛費を増額するなら「何に」「どれぐらい」かかるか
それは「何のため」かをはっきりさせるべきだろう。
第一、昔ながらのトマホークで敵基地攻撃できるのか?
そんなアナログなやり方なんざ、簡単に迎撃されるんじゃない?
そんなのはロシア-ウクライナ戦争を見ればわかる。
金を使うなら兵站やロジスティック、そして人件費が先じゃない?
その次にサイバー攻撃対応や衛星対応。
最前線で使う武器なら新型ドローンの開発が必要だろう。
トマホークって😅素人でも役に立たないとわかるけどね。

でもさ、実際に紛争が起きてしまったら
火器のやり合いの前に株価暴落など、経済や
生活(食料やエネルギー、インフラ)が破綻する。
ウクライナのように原発から狙われたら一発で終わってしまう。
本当の防衛は食料の自給化や原発廃止によるエネルギー政策転換、
そして内需拡大などの経済的な防衛じゃないかと思うんだ。
そっちに力を入れて防衛対応するってのなら
多少の増税は仕方ないと思うよ。

でもまぁその前にやることあるでしょ。
アベさんが約束した議員削減も、選挙制度改革も
まったく手付かずのまま棚上げ状態だし
社会保障制度改革も少子化対策も後回しにされてるし。
異次元のトンチンカンにしか見えない。
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東京3日目(最終日)

2023-01-25 | 生活の風景
最後の日は朝から浅草をぐるっと歩いてみた。
仲見世は相変わらず(コロナ前よりは少ないが)外国人多数。
中でも中国語をよく耳にした。
大陸からの渡航はかなりの制限があるようなので
もしかしたら台湾からの観光客かな?
まだ店がポツリポツリとしか開いてない時間だけど、
それでも雷門での記念撮影にたくさんの人。


その後、久しぶりにどうしても通りたくて、
わざわざ新仲見世から日本最古の地下街を通って地下鉄へ。


最近改めてインスタでバズってるみたいだね。
怪しい雰囲気は相変わらずだけど
店がだいぶ変わったかな?

地下鉄で上野へ。
ここに来たら行かなきゃいけない店がある。
上野駅前の昭和喫茶ギャラン。


ここも席での喫煙OKとのこと。
かかっている曲がまぁ昭和な感じで嬉しくなる。
「ファンキーモンキーベイビー」「夢の中へ」「乾杯」・・・
中でも「どうぞこのまま」と「色づく街」は嬉しかった。
次々にかかるBGM聴いてると席立てなくなるんだよね😅
昼過ぎから、また別な昭和な喫茶店で
用事を1件済ませて新幹線乗車。

それにしても、コロナ禍ということもあり、
この3年で随分いろいろと変わってたな。
毎月のように上京しては「お帰りー」と言われてた頃と違い、
もはや自分のいる場所では無くなってしまったのかも知れない。
少し寂しい気持ちと、後ろ髪引かれる気持ちと
ない混ぜになった複雑な気持ちで帰りの新幹線に乗った。
私がいないここはどんどん移り変わっている。


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東京2日目

2023-01-24 | 
昨日は朝から昼間は仕事。
ランチはホントに久しぶりの郷酒さんへ。
奥さんが花巻出身で、店の前からもう花巻だらけだ。



店内には宮沢賢治の絵本がずらりと並んでいる。

その後取材で三軒茶屋へ。
取材が終わった後、
三茶といえば・・・とふと思いついて
10年以上ぶりの世田谷線に気まぐれで乗車してみた。


もちろん行き先は下高井戸だ。
大学時代に過ごした懐かしいまち。
まちの風景も人も変わってしまったけれど
記憶の中にある建物が残っていたりして
すれ違う学生たちに
当時の友人たちの面影を探している自分がいた。

夜は、東京単身赴任時代からの友人の店へ。


ここも3年ぶり。
もちろん経営している友人たちは変わってないけど
来るお客さんの顔ぶれはだいぶ変わったようだ。
たかが3年、されど3年。


以前は終電過ぎまでワイワイやってたものだが、
もうそんな歳でもない。
22時半には店を出て、懐かしいまちを歩いて回った。
昨日の歩数は15000歩😅
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東京1日目

2023-01-23 | 
ちょうど3年ぶりの東京。
JR東日本の大人の休日倶楽部パスを使い
交通費を安く仕上げた出張だ。

まずは上野に着いてすぐに曳舟を目指す。
東京勤務時代からの友人が経営する
スパイスバル猫六にランチがてらの挨拶へ。




なんと長い行列ができている。
何せぐるなび100名店の人気店だからなのだが、
どうやらPayPay30%バックキャンペーンを
墨田区で行っているせいもあって
余計に混雑しているようだ。

30分ほど待って入店。
売り切れラストギリギリだった😅


久しぶりにサワラのカレーをいただき、
合間にボチボチお互いの近況報告。

夕方からは、
やはり東京時代の友人たちに会いに懐かしの押上へ。
かつてお世話になったお店(もう無くなった)の
おゆうさんが料理を作ってくれるとのこと。
友人宅へ行ったのだが、
この3年の間にお母さんが亡くなったとのことで
お線香を上げさせてもらった。


おゆうさんの料理は懐かしの味。
単身赴任の頃は毎晩のようにいただいた味。
とても懐かしいとともに
9年前に亡くなったおゆうさんのご主人
りっきーさんをも思い出す。

3年間のうちに
かつてよく行っていたいくつかの店の変化に驚き、
友人たちの近況変化にも驚き、
結構長い時間語り合うことができた。
今回都合で参加できなかった友人たちとも
次はぜひ会いたいものだ。

一番懐かしかった味は
この天かす入りのおにぎり。


りっきーさんとおゆうさんの店は
天ぷら屋さんだったので
この天かす入りおにぎりも
かつて時々食べさせてもらった。
当時の記憶が舌から蘇る。
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2023-01-22 | 生活の風景

久しぶりの新幹線。
案外今日は寒くないな。
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さまざまなわたし〜性的指向と性自認のリアル〜 vol.10

2023-01-21 | 仕事

昨日発売。
今回はXジェンダーでアセクシャルの方を取材した。
よく「LGBTQ」という言い方をするけれど
性はそんな簡単なカテゴリーには定義できない。
何度も言うようにグラデーションだし、さまざまだ。
そしてそれぞれに生きにくさを抱えている。
しかし、もし当人が誰とも交わることなく生きれば
生きにくさを感じることもないのではないか?
性的マイノリティの方々が抱える生きにくさとは
他の誰かと交わり、社会の中で生きるからこその悩みだと
今回の取材でつくづく感じた。

ってことは、
この問題は当人の問題ではなく社会の問題ではないのか?
「社会」とはたくさんの人間が、それぞれ生きやすくなるように
コミュニケーションを大事にし、ルールを作るもの。
そこに生きにくさを感じるとすれば
その社会の未熟さが招いているのだと思う。
あるいは一部の社会の構成員が、自分たちの都合良いように
社会をコントロールしているかのどちらか。
そんな社会が少しでも良くなれば
誰もが生きにくさを感じずに生活できるようになればと
この連載を続けている。

ネットで本誌をご購入の方は下記から。

 
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差別・区別

2023-01-20 | 社会

自分と違う人間を排除しようとする言動が止まない。
マイノリティを含む性、国籍、宗教、出自、容姿、障がい、能力などなど。
もともと人間はひとりひとり違うものだけど
差別や排除の線引きをその都度変えて、同種が他種を分断する。
でもさ、その際によく言われる「普通」って何だろうね。
そんな概念は「正義」と同様、幻想なんじゃないの?
普通なんてものは初めからどこにも無くて、
単に個別の人間の集合体として社会があるだけじゃないかな。
正義なんてものが初めから無くて、
単にひとりひとりの利害関係や価値観や思想があるだけみたいに。
各人違うのだから、他人のことをなんだかんだ言うのは余計なお世話。

例えばダウン症は染色体の「異常」と言われるけど
ダウン症じゃない人の染色体が「正常」と誰が決めたの?
単にそちらの方が多いというだけじゃないの?
先日取材先の人と話したのだが
友好的で優しいと言われるダウン症の人が「正常」で多数派ならば
この世界に戦争というものは存在しないかもしれない。
今「正常」といわれる染色体を持った人々は
もしかしたら「戦争を起こす」障がいを持っているのかも。
そんなことをふと思ったり。

上に挙げた差別されるファクターは全て本人が選んだものではない。
だからそれをどうこう言っても仕方がない。
恐らくそういうのは誰でも持っていると思うんだよね。
左利きだとか、運動や勉強が苦手だとか、
それぞれが持つコンプレックスがある。
誰かを差別。区別して貶めることで
自分のコンプレックスを見ないふりしているんじゃないのかな。
他人をどうこう言うのではなく
まずは自分と真摯に向き合い、コンプレックスを個性と考え、
自らを高めることこそ大事なことだと思うんだけど。
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歴史は今に続いている

2023-01-19 | 社会

私が大学に入ってのは1979(昭和54)年。
学生運動の火が燃え上がってから10年ほど経っていた。
それでも大学正門前では立看板のアジテーションが目を引いたし、
駅では成田闘争のための募金活動も
ヘルメットをかぶった学生たちによって行われていた。
研究棟の上から、ゲバ棒を持った者たちに追いかけられる学生も見た。
確か2年の途中からだったと思うが
構内に入るには学生証提示が義務付けられていた時期もある。
全国でももっとも激しかった学生運動の残滓がそこここに残っていた。

日大闘争を率いていたのが秋田明大(あけひろ)氏というのは
学生時代から知っていたが、人となりはよく知らなかった。
昨年末に買った文藝春秋で、少し勉強させてもらった(写真)。
自分の中ではちょっとしたヒーローだった。
闘争目的は大学本部の使途不明金追求や学費値上げ反対だったと思う。
方法はともかく、糾弾すべきことは明確だった。
それに対し大学当局は右翼学生や体育会学生によって反撃させた。
(つまり学生を使って学生を止めた)
最後は例に漏れず機動隊だったようだが
結局その時の大学側の対応が一昨年の事件を引き起こしたことになる。
当時大学側に立った学生たちが本丸を占拠した格好だ。

物事は突然起きない。
原因があって、経緯があって起きている。
その場しのぎの対応は遺恨を残す。
あの時、大学側が運動学生たちと真摯に向き合っていたならば
一昨年のようなことは起きなかったのではなかろうか。
日本や、なんなら世界の歴史もそうだ。
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好きなもの

2023-01-18 | 生活の風景
私が好きな風景を挙げてみる。

「まち」なら
無機質な新しいビルが立ち並ぶ大都会の真ん中より
人口的な公園や閑静な高級住宅街より
個人営業の店が立ち並ぶ雑多な繁華街や商店街。
路地に鉢植えなどが雑然と並べられている下町の住宅街。
商店街の中の小さな本屋や昭和な喫茶店。
おばさんたちがサンダルで行き交う八百屋や肉屋、小さなスーパー。
ワイワイ学生が行き交う大学のあるまち。
地方なら
昔ながらの建物が旧態依然として残る田舎の「まち」。
近所がみんな顔見知りでコミュニティーが生きている地域。

自然の中なら
手付かずの大自然も嫌いじゃないが、畏れの方が強い。
だからその真っ只中はちょっと苦手だったりする。
釣り人が糸を垂れ、河原を散歩する人がいる川。
きのこや山菜を採る車が路駐している山。
漁船が並ぶ港を抱える海。

と、並べてみると
たぶん私は「ひと」が好きなんだね。
それも「ひと」の匂いや手垢。
生きている熱が伝わる場所やもの。
人々の会話や笑顔。
暮らしの営みが感じられる場所やこと。
歌や踊り、祈り、願い。

そこには武器も株も法律すらも要らない。
もちろん差別や暴力も要らない。
それはある意味、アナキズムにつながるのかも知れないなと
ふと感じたのだった。
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あの日から28年

2023-01-17 | 音楽
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