風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

あの1年間(上)

2007-10-05 | 風屋日記
関係者が見たらバレバレなので
これまでこの思い出話は避けてきたけど、
ま、いいか。もう25年も前の事だし。

大学3年の冬、親戚の紹介で私はTV朝日の契約ADとなった。
まだ講義はたくさん取らなきゃいけなかったし、
局側はできるだけ毎日出勤して欲しいとのことでもあったため、
私は早朝の情報生番組を希望した。
配属になったのは当時の国鉄が全面的に提供していた、
6:45~7:00の15分番組「みどりの窓口」。

この番組は小規模のものだったので、
担当スタッフはP兼任のDと若手社員Dそして契約DとDが3人。
そして私のような契約ADが3~4人とこ小所帯だった。
早朝の生放送はキツい・・・ということで、
月~金の生放送はDが交代で1人、ADは2人ずつ交代で担当していた。
しかし当時から私は早起きに関して全くノープロブレム。
ということで、仕事に慣れたころからは私が毎日早朝出勤し、
もうひとりのADは他の人達が交代で務めることとなった。

「みどり」の場合、担当する番組終了後も
その後すぐに7時から始まる「おはようテレビ朝日」を
サブ調整室で手伝うことになっていた。
CMに入る前にエレクトーン演奏の背景に外の景色を流す。
いわばお天気情報みたいなものだが、そのリモートカメラ操作が
我々「みどり」ADが手伝う仕事だった。

私はどの仕事も楽しくて仕方なかった。
放送に穴を開けてはいけないので、
出勤の日は毎日5時頃ハイヤーが迎えに来て起こしてくれる。
近くに住んでいる女性アナが担当の時は乗り合いで出勤。
デスクで必要な道具を整えてスタジオに入ると
カメラや照明、音声さんたちが軽口をたたきながら動き回る。
そのうち、スッピンで出勤した担当女性アナが顔を作り、
スタジオ入りして原稿を素読し始めると同時に漂う緊張感。
お天気お姉さんの背後の天気ボードづくりと
当日の指定席空き情報のプログラム。
ささやかな番組なのでタイムキーパーなんぞいない。
ADがカメラの横で時間を計り、指示を出し、何でもやった。
15分間といえど生放送の緊張感は他では味わえないものだった。

「おはよう」のリモートカメラも楽しかった。
私は季節の感じを出そうと、築地のアップからズームアウトしたり、
皇居前広場で散策したり体操する人達を追ったりして
「もっと俯瞰で空を撮れ」と言う担当Dとよく言い争いになった。
今考えてみれば外の天気模様がわかればそれでよかったのだろうが
私は私なりの絵を作りたかったのだ。

放送が終わったあとはみんなで局の食堂で朝食。
土曜日は鉄道の旅のV放送なので
そのロケに行ったスタッフのおみやげがいいおかずだった。
そして午前中は翌日の進行表を作ったり、今週のロケの段取りをしたり、
ロケ企画を持って国鉄本社の広報部へ出かけることもあった。
私の生活は自然に仕事中心になっていった。

結局ね、表現したかったんだと思う。
それまでは物書きになり、文章で表現したかった私が
TVの画像でいろんなことを表現できるおもしろさに目覚めたのだ。
企画からロケ、そして編集作業、放送の作り込み、
すべてが楽しく、要はADの範疇を越えていたのかな。
そのこともその後の人生を少々狂わす原因のひとつになったのだけど。

【続く(笑)】

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コメント (6)
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