風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

令和4年度終了

2023-03-31 | 仕事
ってことは、
2015年に設立した私の会社第8期が終了。
お疲れ様でした>自分
以前にも書いたけど、この1年は
自分の人生が新しいフェーズに入ったことを感じさせられた。
奇しくも最後の最後に身体も新しいフェーズに入ってしまったけど😅
設立当初は「10年はとにかく走る」つもりだったが
どうやら8年で全力疾走からクールダウンに入るようだ。
新しい仕事と生活のペースを早く掴めるよう
地に足をつけて歩き始めよう。

いろいろ変わることの大きなひとつが
Books & Theater Cafe 風人堂の本日付での閉店。
ひとつのビジネスモデルとしてやっていけないわけじゃないし、
それなりに続けていくための条件やコツも掴めたが
自分がそのビジネスに傾注できるかどうかなど
本業とのやりくりでキャパオーバーになってしまったことや
場所的な制約などもあって閉店を決めた。
クラウドファンディングでご支援いただいた方々、
店を借りていただいた方々、ご利用いただいた方々、
大事なカレーレシピを教えてもらった東京曳舟の猫六マスター、
ロゴや看板からショップカード、コースターなど
ショップグッズデザイン制作してもらったデザイナーの菜摘ちゃん、
そして何より、
立ち上げから手伝ってもらったスタッフの方々や
大家の福田くんなど、関わっていただいた皆さんに感謝、感謝。

今後、マルシェなどで古本販売する時に
風人堂の名前で出店しようと考えているので
またどこかで目にすることがあると思う。
その際にはご贔屓に、よろしくお願いします。

今年中にはもうひとつ、片付けなきゃいけない仕事があるな。
それも徐々にお知らせしていきます。
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少し熱が冷めた後で

2023-03-30 | スポーツ
WBCの熱狂はすごかったねぇ。
ネットもTVもニュースというニュースがみんなWBC。
TVの視聴率が40%とか60%とか、紅白なんざ目じゃない数字。
普段野球を見ない方々もこぞってTVにかじりついたのか
基本的な野球知識がTV画面上に表示されていた。
(これが結構面白かったなー🤣)

これらの熱狂は、
巷間言われるように、ダルビッシュ選手と大谷選手の
かなり意図されたパフォーマンスによるところが大きいけれど
その企画から演出、そして腹の座った采配と
何よりも栗山監督の手腕が今回は本当に素晴らしかった。
直接アメリカへ出向いて大谷選手やダルビッシュ選手とも接触、
もちろんこの2人に期待したのがプレーだけじゃなく
チームの精神的支柱だったところがまずすごい。
(精神的支柱になるための2人によるパフォーマンスが素晴らしかった)
選んだメンバーも若手中心ながら、
プレーでも精神的にもつなぎとして大切な存在となった近藤選手や
守備における絶対的な信頼感がある源田、甲斐、中村各選手など
ポイント、ポイントをきちんと押さえている。
(私が挙げたいと思う影のMVPは近藤、源田、中村)
投手起用の上でも、主軸に無理をかけることなく
若手もどんどん使えたのはそういう捕手起用によって可能になった。
一番唸ったのが、メキシコ戦最後の周東選手の代走起用。
「決めに行くぞ」という意図が選手たちに伝わる起用だった。

ところでさ。
サッカーのW杯の時もそうだったんだけど
「日本すごい」「日本素晴らしい」「プレーもマナーも」
みたいな報道には違和感しかない。
優勝したことは素晴らしいけど、他も全て素晴らしいチームばかりで
大谷選手はじめ、全選手がすべてのチームをリスペクトしていた。
試合後の礼節もそれぞれの国の独自文化。
日本チームの文化も他国ファンにリスペクトしてもらった分だけ
私たちも他国の文化に応じた礼節をリスペクトしたい。
決して日本だけが素晴らしいわけじゃない。
ベンチの中の綺麗さや、果てにはスリッパの揃え方まで
重箱の隅つついて日本的文化を素晴らしいと自画自賛は美しくない。
世界ではタトゥーが反社文化と捉える日本のような国もあれば
当たり前の文化だったりする国もある。
ベンチを綺麗にしたり、スリッパを揃えるのが
全世界的な礼節だとは限らない。

ファンの様々な声はともかく
選手たちは実に楽しそうだったし、普段より生身の姿が見られた。
「たっちゃん」Tシャツのエピソードには
「仲間には国籍なんか関係ない」という気持ちが伝わったし
「宇田川会」のエピソードも微笑ましかった。
佐々木朗希選手による、死球相手へのお菓子差し入れは
野球を通じて国境を超えた友情すら感じられたし
大谷選手がアメリカ入りしたときに被ったチェコの帽子も
勝った負けただけじゃない、互いのリスペクトが感じられた。

ともかく、WBCは終わった。
今回、ダルビッシュ選手や大谷選手、ヌートバー選手ら
MLBの選手たちとの交流の中で大いに学んだこと
他チームの選手たちと一緒にプレーしてみて気づいたことなど
代表選手として参加した若手選手たちは
その気づきや学びを自チームに持って帰って伝えるべき。
もちろん自らも大きな成長につながったと思うし。
この経験が日本の野球にとって大きな財産になることを願う。
それもこれも、名プロデューサー栗山さんのおかげ。
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「エゴイスト」

2023-03-29 | 読書

映画も評判だが、見逃してしまったので本を読んだ。
愛を自分のエゴと考えるほどの優しさと繊細さ。
でもね、そのエゴは相手を思ってのことじゃないかな。
もちろん一緒に居たいという望みのための行為だったとしても
それは相手も同じ気持ちだからこそ甘えられた。
どちらの道を選んでも後悔はきっとある。
ならば身を寄せ合う道を選んで正解だったのだと思う。

震災の時もよく言われたことだけど、
人間、次の瞬間何があるかわからない。
今の正直な気持ちを伝えずに会えなくなる後悔よりは
伝えたいことがある時に、会いたいと思う時に
伝えるべきだし、会うべきだというのが私の考え方。
それが自分のエゴだとしても。

著者の実話に基づいた小説とのこと。
本人は映画化を目にすることなくこの世を去ったという。
奇しくも映画の主人公で著者自身を演じたのは
同じ大学の後輩にあたる鈴木亮平さん。
著者のことを調べ、友人たちにも会って役作りしたとのこと。
映画も見なくちゃ。

「エゴイスト」高山真:著 小学館文庫

amazonから本書購入は下記から。

 
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残された時間

2023-03-28 | 生活の風景
入院中、テレビも本もなく、
コロナ対策で面会もなくてひとりだったし、
退院後に自宅静養していた週末もダルさと頭痛で寝っ転がり
ひたすらボーッとしていたから、いろんなことを考えた。

一番思ったのは、いろんなことがあったこの人生、
残された時間はもしかしたら
そんなにたくさんは無いのかも知れないということ。
少なくとも、無茶はもうもちろんできないし、
どんなに大事なことでも、無理することはないだろう。

これからの過ごし方について、考えたのは以下のこと。
「『must do』より『want to do』を大切に」
「やりたいことはやるし、会いたい人には会う」
「我慢しないで、いい意味でオープンマインドに」
「あくせくせず、無駄な時間をたくさん持つ」
「もう変に自分を飾り立てたり見栄はることもやめ、自然に過ごす」

「禁煙しなきゃ」みたいな義務感はまったく無いし、
「タバコやめなきゃダメだよ」みたいな言葉に従う人間でも無いけど、
(却って天邪鬼のワタシの場合、それは逆効果😁)
タバコは今からまた吸うと気持ち悪くなるのがわかるから
たぶんもう吸うことは無いな。
アルコール類もたぶんもう口にすることはない。
実は数年前から、一定以上飲むと動悸が苦しくなることがあったし。
飲み会や夜のお出かけはするけれど(もちろん花見や直会も)、
アルコール飲まなくても大丈夫でしょ😊
これからはシンプルに生きます。
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コトの顛末

2023-03-27 | 生活の風景
20日の月曜日あたりから
鳩尾あたりが時々苦しくなったりしていた。
数年前にもこんな感じがあって、
音楽仲間でもあるS内科医院の先生から
「もしかしたら心臓かもしれないし、念のため」
とニトロをもらったりしていたので
「胃かもしれないけど、念のため持ってた方がいいかなー」
と考えたりはしていた。
21日〜22日はWBC見たり、お彼岸で墓参りに行ったり、
予約していた散髪したり、仕事したり。

そして23日。
この日は行きつけのGSにタイヤ交換の予約を入れていた。
タイヤを交換し終え、家に帰ってスタッドレスタイヤを物置に戻す時
鳩尾の苦しさが急に増して思わずしゃがみ込む。
うーむ、これは何かしら薬を飲まなきゃいけない感じっぽい。
午後からでもちょいと病院に行こうか。
と考えていた昼食後、急に首筋がピキッと固くなり、
寝違えた時のように一瞬首が回らなくなった。
こういう症状は心筋梗塞に多いという知識があったので
さすがに「ヤバいかな?」という気になった。
午後予定していた仕事は一旦棚上げにして
とりあえずS内科医院へ。

S内科では胸の苦しさの話を聞いて
心電図とったり、レントゲン撮ったり、血圧測ったり。
その結果を前にして先ほどのピキッの話をしたら
急に先生の顔色が変わった。
「中部病院に紹介状書くので行ってください」
この時点でまだ私自身は
「明日にでも行けばいいのかな?」
と考えていた😅
ところが先生は「救急車呼んで行くこともできますが」と。
え?今すぐにってこと?
さすがに救急車は断り自車で向かった。

その時点で「ちょっと大事っぽいな」とは感じたけれど
たぶん中部病院でも検査して薬もらって終わりだと思っていた。
言われた通り救急受付へ行き、紹介状を渡してベンチへ。
するとすぐに看護師さんが2人ほど小走りにやってきて「こちらへ」と。
救急診察室で入院着に着替えさせられてストレッチャーへ。
ここまであれよあれよ、何かなんだかわからない。
ストレッチャーのまま心電図やレントゲン、バイタル測定・・・
主治医になるらしい女性の先生がやってきた。
「ご家族と連絡取れますか?すぐきて欲しいのですが」
切迫感の中で家内に電話するも通じない。
長男に電話してみたら、たまたま休みを取って家にいたとのこと。
「母さんに連絡して、来てもらって」と伝えたが
その話を聞いた先生は
「息子さんの電話番号教えてください」と。
何やら慌てた様子で電話している。
さすがの私もこの段階で身の危険を感じ始めた。
そんな状況の中で血圧測ったものだから
その時の最高が196だったことだけ妙に記憶に残っている。
「トイレに・・・」と伝えると
「尿瓶にどうぞ」と持ってくるし、あとはオムツさせられるし。

あとはひと通り説明受けて(あまり覚えていない)
ストレッチャーで手術室へ。
手首の脈を測る動脈からカテーテルを入れると。
手首でダメなら鼠蹊部からカテーテル入れますということで
下半身もすっぽんぽん状態で、もうまな板の上の鯉。
手術はどのくらいかかったかわからないけれど、
手首は麻酔で感覚無いし、
目を瞑ってバイタルのパルス音聴きながら
「これが速くなったりしちゃいけないのかな?」
と、ひたすら深呼吸を繰り返していたことだけ覚えている。

手術室を出ると家内と長男が来てくれていたけれど
コロナ対応で病室に入ると面会はできないのだという。
その時初めて入院することがわかった😅



なにしろ目まぐるしくあれよあれよの展開となって
しかも病室でも2時間は動くなと言われるし、
オムツされたままだし、
点滴も3本下げられ、時間が時間だったので夕飯も無く、
カテーテル入れた動脈も麻酔が切れて痛いし、
どうにも眠れぬ夜をまんじりともなく過ごしたのだった。

翌日夕方には退院となったが
まぁ体力が落ちているし、熱は下がらないし、
頭痛はひどいし・・・という週末を過ごし、
ようやく今日浮世に復活できそうだ。
退院時の書類で初めて正式な病名判明。
不安定狭心症。
これからは心臓への負担を避けつつ
血圧に気をつけながら無理はしないよう生きることだな。

ということをとりあえず記録しておこう。
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三陸歌声喫茶

2023-03-26 | 音楽

1週間前の先週日曜日、
花巻の中心、上町商店街にある賢治の広場にて
震災被災者のコミュニティ作りのための
「三陸歌声広場」が、コロナ禍を乗り越えて
約3年ぶりに開催された。
花巻にも復興支援住宅があり
震災被災者の方々が住んでいるのだが、
なかなか地域のコミュニティに溶け込む機会がない。
このイベントを通して、
元々花巻に住んでいる人たちも被災者の皆さんも
一緒に歌を歌って交流しようというイベントだ。



主催のハルさんが東京からやってきて
3年ぶりの再会だった。
イベントはお客様から歌いたい曲のリクエストを受け
その場ですぐにそれを演奏してみんなで歌う形。
すぐにリクエストに答えるハルさん達も素晴らしいが
臆することなく次々にリクエストするお客さんたちもまた
すぐにその場に溶け込める方々。
堂々とマイクを使って気持ちよさそうに歌っている。
なんかいいんだよね、この雰囲気。
コロナ騒動もおさまってきたこれからが楽しみだ。
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3月25日

2023-03-25 | 生活の風景
今日は母の92歳の誕生日。
コロナ禍前までは割によく出歩いていて
ひとりで電車で盛岡へ出かけたり、
美容院の帰りに商店街をあちこち歩いたりしていたけど、
コロナ蔓延に伴ってあまり出歩かなくなった。
加えて、冬は道路が凍るので危険。
そんなこんなで家に閉じこもる期間を経て
すっかり足が弱くなってきたようだ。

ってことで、先日花巻市の地域おこし協力隊員が主催した
市内伝統工芸を巡るバスツアーを勧めてみたら
すぐに「行ってみたい」と。
当然、参加者の中では飛び抜けて最高齢だったと思うが😅
皆さんにお気遣いいただきながら全行程を巡り
染め物体験や作陶体験もできて楽しかったらしい。
実は染め物体験の瀬川京染店も、作陶の台焼も私の同級生。
(そんなこともあって、勧めたのだった)
事前に彼らに連絡してよろしく頼んでいたし
主催の協力隊員もほぼみんな知っている人たちなので
安心して送り出したのだった。

台焼には母の誕生日を知らせておいた。
それなりに気に留めてもらって、
間に合うように焼き上げてもらったようだ。
生真面目な母にしては珍しく面白いデザインのお茶の茶碗。
母の知らない一面を見た気がした。

足は弱ったし、ちょっと耳が遠くなった気もするけれど
この歳にしては驚くほど頭も体も元気。
去年は新聞の投稿欄への投稿もしていて周囲に驚かれた。
(買い物も不自由だし話し相手もいないという投稿で
 まるで私がなにもしてあげていないことを嘆くような内容😅)
私には無理だな💦
というか、母の歳まで生きている自信もない😅
まぁ、もう少し元気でいてもらおう。

おめでとう。
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茶寮かだんにて

2023-03-23 | 食べ物・お店

ちょいと人と会うために茶寮かだんさんへ。
NHKの「ハルさんの古民家カフェ」に取り上げられてから
大人気店となっていつも混んでいたから
ここでのお茶はなにげに久しぶり。
スイ爺(スイーツ爺い)としてはやはりお抹茶。
水仙の練り切りが嬉しい😊

たまたま店内にいたお客さまと立ち話すると
なんと3人がそれぞれ宮崎、京都、滋賀からの観光客。
やはりテレビで知って来てみたとのこと。
全国放送恐るべし。
滋賀からのお客様はどうやら同業者ということで
思わず名刺交換と相なった😅

店内はまだまだお雛様一色。
華やかで、春を感じられる時間だった。




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「クリエイティブツーリズム〜『あの人』に会いに行く旅」

2023-03-22 | 読書

数人の著者による実例集だが
編者の友原嘉彦氏の「まえがき」で早くも首肯。

「本書は観光についてまったく新しい視点で書かれました。
 一言で申し上げれば
 『クリエイティブな人が観光資源』だということです。
 景色が美しいとか、料理が美味しい・インスタ映えするだとか、
 そういうことは二の次です。
 『おもしろい人に会いに行く旅』の研究です。
 (中略)
 地域に『いる人』を挙げ、その人が観光資源となる。
 その人に会いたい個人が来る、通う。
 そうした内外の個人の関係を重視します」

もうこの一節だけで100%アグリーだ。
現在私は花巻市の移住ガイドブックとして
電子ブック形式で「花巻ひと図鑑」を作り、毎年更新している。
「ひと図鑑」にした理由はこの「まえがき」のとおりだ。
(本書は観光で「花巻ひと図鑑」は移住が目的だが
 基本的に「人を惹きつけるのは人」というコンセプトは同じだ)
まったく知らない、それまであまり興味がなかったまちでも
そこに会いたい人、興味ある人がいれば行ってみたくなる。
これは現在進行形のプレーヤーでもいいし、過去の人でもいい。
例えば花巻は宮沢賢治が生まれ育ったまちとして知られるが
賢治さんが歩いた道、賢治さんが感じた風を求めて
毎年たくさんの観光客が訪れる。
それもまた「クリテイィブツーリズム」のひとつだろう。

本書でいくつか紹介されている事例はどれも興味深いが
中でも最も興味深く読んだのは
「第6章 下関市におけるゲストハウスの新展開」だった。
サブタイトルとして
「クリエイティブツーリズムのポテンシャルを探る」
と題され、クリエイティブクラスと称されるプレーヤーたちに
サードエリアを提供しているという事例。
もしかしたら今花巻もその途上にあるのではないか?
高校生、大学生たちや20代、30台を中心に、
ここ数年で顕著となってきた花巻のポテンシャルを活かしつつ
本書の事例から学ぶことにより
現在の方向性をさらに推し進めることができれば
もっとおもしろいまちになって行きそうな気がする。
元々花巻は観光資源をありすぎるほどたくさん持っている。
ただそれらがマネジメントされることなく
ネットワークを作ることなくバラバラにプロモートされている。
この新しい波を使ってうまくマネジメントできれば
観光も、関係人口増も、自然に図っていけるようになると思う。

「クリエイティブツーリズム〜『あの人』に会いに行く旅」
友原嘉彦:編・著 古今書院

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3月

2023-03-21 | 生活の風景
高校受験や大学受験が終わり、
入学までの、何もする必要のない開放感たっぷりの時間が
今も心のどこかに染みついていて、一番好きな季節だ。
あっという間に道路の雪は解け、軒先に少し残っている季節。
まもなく爆発的に咲き始める花々のエネルギーを内包して
むくむくと頭を持ち上げる新芽たち。
雪解け水を含んで、踏むとふわふわの草地。
まだところどころ白い山々は霞んで見え、
冬とは違う、鋭いほどに明度を上げた太陽の光。
なにかワクワクすることが始まりそうな予感。
重いコートやブーツを脱いで、軽快に動ける服装。
スニーカーやパーカー。
ガラス窓越しの陽光を浴びながらの読書。
そしてうたた寝。

年の初めは1月だけど、
仕事をはじめとした物事は4月に始まる。
さぁ、今年度はどんな出会いが待っているだろう。
どんなことができる年になるだろう。
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「花巻×若者」探求・まちづくりプロジェクト発表会」

2023-03-20 | 社会

花巻市内在住や出身の高校生、大学生たちが
それぞれ自らまちの課題を見つけ、
仲間たちと行動している人たちの活動発表会。
各々の発想や活動そのものが素晴らしい。
さすがにまだまだインプットはこれからなので
もっと広い視野が欲しいと思うものもあったけれど
考えてみれば、自分があの歳の頃
あんな発想な行動力が全く無かったことを考えると
心からの感心とリスペクトしかない。
これに経験値が加味されると面白いだろうなぁ。
自分もそうだったが、若いうちは意味など二の次。
まずは自分がやりたいことができるということが大事だろう。
それが段々意味をなしてくる。



かつて何度かここに書いたが
以前テレビで見た熊本大学教授が話していたこと。
「どんなまちにも『志民』は1割いるが、
 残りが『死民』ならそのまちは衰退するだろう。
 9割のうち3割が『支民』なら
 まちは発展するだろう」
昨日の彼らは間違いなく「志民」だ。
私は彼らを支える「支民」を増やす活動を通して
彼らを後押ししたいと思う。
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さまざまなわたし〜性的指向と性自認のリアル 12

2023-03-19 | 仕事

昨年4月からスタートした連載12回目。
今回は、10代を中心とした
若い性的マイノリティ当事者たちの居場所づくりに取り組む
一般社団法人にじーずを運営している、
自らもトランスジェンダー男性の遠藤まめたさんに
若い当事者たちの現状についてお話を伺った。
取材は東京で、実際にお目にかかって行ったのだが、
その直後、遠藤さんは岩手にやってきて
岩手大学で講演も行っている。

今回もまた、実際に話を聞くまで知らなかったことだらけ。
単に想像している以上に、当事者たちを取り巻く環境は過酷だ。
そして、今回改めて認識したのは
その悩みは当事者だけではなく親や教員たちにとっても
非常に重く、大きなものであるということ。
こういう現状を、
平気でヘイト発言する政治家たちや後ろ向きの政権は
いったいどれだけ認識しているのだろうか。

週刊金曜日3/17発行号のご購入は↓より

 
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菊池捍(まもる)邸が国の登録有形文化財に❗️

2023-03-18 | 文化

大正15年築の和洋折衷古民家菊池捍邸が
このたび国の登録有形文化財に指定答申された。
見た目は洋館ながら間取りは典型的な武家屋敷様式。
ここを建てた菊池捍氏が
出身校である札幌農学校教員当時に
北海道で住んだ洋館を模してデザインしたとされる。
現在に残る貴重な建物だ。

建物だけじゃなく、ここには様々な先人たちの足跡も。
菊池捍氏は当時台湾総督府にいた後藤新平に請われ、
新渡戸稲造とともに台湾へ渡り、製糖業に足跡を残した人物。
奥様の兄は、札幌農学校一期生としてクラーク博士から薫陶を受け
後に北海道帝国大学初代総長を務めた佐藤昌介氏(花巻出身)。
(ちなみに佐藤昌介氏のもうひとりの妹は島崎藤村の初恋の相手、佐藤輔子)
菊池捍氏の息子には戦中報道カメラマンとして
広島原爆直後や東京大空襲後の写真を撮った菊池俊吉氏がいるし、
娘婿には、東京から花巻へ疎開してきた
戦前のプロレタリア美術界第一人者だった寺島貞志がいる。
俊吉氏も寺島氏もみんなこの家で育ったり、過ごしたりした方々だ。

花巻の市街地には昭和レトロで人気のマルカンビル大食堂や
菊池捍邸とほぼ同時期に建てられた、
宮沢賢治縁の家と庭がある茶寮かだんがある。
それらとこの菊池捍邸を結ぶと、ちょうど三角形の道筋で、
歩いて回っても30分もかからない。
ついでに、同じく菊池捍邸とほぼ同時期建築の旧花巻町役場まで
(昭和45年に現市役所が建てられた後に材木町公園に移築)
だいたい1時間もかからない散歩ですべて見て歩ける。
昭和レトロな花巻散歩。
新しいコンセプトの観光コンテンツとして期待したい。
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テクノロジー

2023-03-17 | 社会

DXとか、AIとか、IoTとか、ユビキタスとか
最近のテクノロジーのには目を見張るしついていくのが大変。
60代以上の方々は、インターネット時代になってからの時代の進み方が
とんでもなく速く感じて戸惑う向きも少なくないと思われる。
私などはもう100%ついていく気がない😅
自分の仕事に便利なものは頑張って取り入れたいと思うが
そうでないものはもう「どうぞお先に」状態だ。
それでも多少なりともメディアに関わる仕事をしていると
「わからない」では済まされないことも多くて、
日々新しいことを学ばなければならない毎日になっている。
ワタシと同世代ではかなりその知識に差が出ている。

でもね、テクノロジーの急速な進展は
実は今に始まったことじゃないんじゃないかと思っている。
自分の体験から言っても、
戦後のテレビの登場はメディアやエンタメの世界を変えた。
冷蔵庫や洗濯機の普及も家事、ひいては生活を変えた。
学生時代は最新のAV機器に興味を持った。
就職したら、世の中はワードプロセッサーやFAXが標準。
1982年ごろは100万円以上したワープロが
10年もしないうちに10万円を割るものが出てきて
個人が持つようになっていった。
FAXに至っては、普及し始めた頃の笑い話がある。
「何度FAXで書類送っても戻ってきちゃうんですよー」
紙そのものが送られると思っていたらしい😅

もっと昔を考えても
印刷技術の進展による新聞の大衆化や書籍の出版活況、
電波技術によるラジオの普及や、自販機など
その時代ごとに画期的なテクノロジーの進展があった。
そのたびに若者はそれについていき
年配者は戸惑いつつ、ついていけないことを嘆く。
そして悔し紛れに
「今時の若いもんは」と悪態をついて見せる😁
決してこれは現代だけに限ったことじゃないと思うんだ。
平安時代に書かれた書物に
「今時の若いもんは」という記述があることがその証拠。

だから年配者は現代のテクノロジーに無理やりついていったり
その進展の速さを嘆く必要はないと思う。
自分にとって便利なものだけ取り入れればいいのだ。
じゃないとついていくことが目的になってしまう。
テクノロジーはついていくためのものではなく
仕事や生活を便利にするための、単なるツールなのだから。
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BSで朝ドラ

2023-03-16 | 映画・芝居・TV
毎朝、NHK-BSPにて朝ドラを観ている。
7:15からは昔の朝ドラ.7:30からは今の朝ドラだ。
毎朝観るようになったのは(観られるようになったのは)
会社を辞めて、朝早く出勤する必要が無くなってからだから、
「おしん」や「あぐり」「芋たこなんきん」などは
アーカイブで初めてシリーズを通して観ることができた。
これがまぁ、現シリーズよりも面白いかったり。
(現シリーズは現代的すぎてイマイチついていけなかったり😅)

特に今放送中の「本日も晴天なり」は
「舞いあがれ!」よりも見逃すことができないほどハマっている。
昭和元年生まれの主人公は、我々世代にとっては親世代。
舞台は戦前から戦中、戦後のテレビ放送開始時代、
そして東京オリンピックを経て、今は1969年が舞台だ。
インターネットも携帯電話もFAXも無い時代の
出版社の雑誌編集部がとても興味深いし、
昔ながらの江戸っ子が代々営む人形町の染め屋という実家も
べらんめぇの人々の言葉に親近感を持つ。
高度経済成長に取り残されつつある古き良き時代の風俗。
なんか良いんだよなぁ。

主人公の大学生の息子はベトナム反戦デモに行ったり同棲したり。
そのアパートも昔懐かしい木造風呂トイレ無し(と思う)だ。
この息子の世代は私よりも10歳ほど上の設定だが
(デモはともかく)成田闘争は我々の世代でもあったし
アパートの描き方に至ってはまさにドンピシャ。
考えてみれば、このドラマが放送されたのは1981年。
私もまさにこんなアパートに住んでいた頃だ。
放送当時から見れば、ほんの12年ほど前の場面だろうから
よりリアルな描き方になっている。

そして役者さんたち。
かつてはお馴染みの方々ながら、もう鬼籍に入っている人も多数。
その人たちがまた味のある演技なんだなぁ。
特に(もうドラマ内でも亡くなってしまったけど)
主人公のお父さん役の津川雅彦さんが、実に昭和な江戸っ子だった。
小心者なのに見栄ばかり張って口も悪い。
でも心根は優しくてどこかシャイ。
懐かしさ溢れるこのドラマもまもなく終わると思うと寂しいな。

そして、この次は「あまちゃん」❗️今から楽しみ😊
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