風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

春の月

2013-03-31 | 生活の風景
花巻にて。
家の前で見た、
大きく熟れた赤い月。
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「花」

2013-03-30 | 音楽


 春のうららの 隅田川
 のぼりくだりの船人が
 櫂のしずくも花と散る
 ながめを何にたとうべき

 見ずやあけぼの露浴びて
 われにもの言う桜木を
 見ずや夕ぐれ手をのべて
 われさしまねく青柳を

 錦おりなす長堤に
 くるればのぼるおぼろ月
 げに一刻も千金の
 ながめを何にたとうべき
(作詞:武島羽衣 作曲:滝廉太郎)

まさにこの歌の季節。
今の船は櫂使わないけどね(笑)
現代ならさしずめ
「われさしまねくスカイツリー」
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老いる

2013-03-29 | 風屋日記
老いるということを
最近つくづく実感することが増えてきた。
当たり前だけど、若い頃はそんなことに気づかず、
おっさんや年寄りを自分とは関係ないものと考えていた。
もしかしたら知らないうちに
嘲り、嘲笑し、邪魔扱いしてきたかも知れない。
少なくとも仕事上は
大先輩たちの旧態依然とした考え方に舌打ちし
改革を訴え、意見してきた。
仕事だけじゃない。
高校時代も、大学生のころも、
オトナは糾弾し、歯向かい挑むべき壁だった。
そんな気概を持ったままのつもりで40代も過ぎた。

50を超えてから突然周囲の風景が変わる。
いつの間にか旧態依然の象徴のようになった気がする。
様々なゴールが見えてくる。
これまでの歩みの中で無意識のうちに置いてきてしまった
いろんなものを振り返るようになる。
そしてもうそれが手元に無いことに愕然とするのだ。
「いい歳して」と何事にも慎重になる。
そして迷った挙げ句あきらめる。

別に老いることを嫌がっているわけじゃない。
今この立場に気づき、逆に新鮮さすら感じるのだ。
「老いるとはこういうことだったのか」と。
そして若い人たちに「こういうことなのだよ」と教えたい。
・・・が、
その立場に立ってみないとわからないよね、きっと。
たぶん自分もそうだったと思うから。

これから更にゆっくりと老いていく。
それをそのまま逆らうこと無く受け入れようと、
改めて思っているのだ。
あるがままに。Let it be。

エントリーとは関係ないが、
写真は先日帰省時に見た盛岡駅のお雛様。
吊るし雛が華やかでかわいい。
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演目・出演者決定

2013-03-28 | 神楽・芸能
6月15日の「伝統芸能 夢の架け橋」における
演目とメンバーがとりあえず決定。
まだ現時点のものなので変更の可能性はあるものの
ほぼこの通りで行けると思う。
変更があるとすれば裏三番叟の道化役ぐらいかな。

公式ブログ http://blog.goo.ne.jp/iwate-okinawa
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新歌舞伎座

2013-03-27 | 散歩
新開場も間近い。
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「夜の果てまで」

2013-03-26 | 読書


恥ずかしながら
初めて知った作家の初めて知った作品。
10年ほど前、30万部売れたベストセラーだった由。
なぜ今まで知らなかったんだろう。

辛く、苦しく、リアルで切ない。
途中少し休みたくなるほど。
でも2人の道行きからは目が離せない。
この切なさは何だ?
自分がはるか昔に失った若さへの惜別?
それとも無難な道を選んできた若い頃への悔恨?

最後まで読み終えたあと、
また最初の2ページの再読を奨める。
それにより、余韻はより深いものになるはずだ。
特に最後の日付と最初の2ページに出てくる日付。
この物語は深く静かに続いていく。
深い印象を心に残す作品だ。

少々気になることがある。
読み終えてから、
もっとこの作品について知りたくなり
ネットであちこちのレビューを読んでみた。
若いと思われる人達を中心に
否定的なレビューがいくつかある。
感想は人それぞれだから否定論は構わないのだが
否定する理由が気になるのだ。
曰く
「こんなことで人生を棒に振るのはおかしい」
「社会から堕ちないよう自分の戒めとしたい」
「最低の女だ。引っかかる方もどうかしてる」
「大学も内定もすべて捨てるなんて理解できない」
そりゃ確かにそういう意見が正論。
なにも間違ったことを言っているわけではない。
でもね、人生ってのはそんなきれいごとばかりじゃない。
みんな悩み、頭を抱え、何度も道を踏み外してながら
その時々に決断を迫られてまた新しい道を模索していく。
みっともなくて、恥ずかしくて、泣いて喚いて
それでも生きて行くのが人生だと思うんだ。

でも今の(若い人たちを取り巻く)社会は
そういうことを許容すらしていないんじゃないか。
高校~大学~有名企業という画一化されたレールから
ちょっとでも道を誤ると「負け組」と決めつけられ
二度と這い上がれなくなっているんじゃないか。
単に若くて人生経験が少ないことから来る
青臭い感想とだけ受け取れないものを
それらのレビューに感じた。
今の若者たちは旅にすら出ないという。
恋愛でも、人間関係でも、人生の模索でも
ドロドロした中でもっと苦しみ、
七転八倒して悩む経験が必要なんじゃなかろうか。
疑似体験は小説の中でもできる。
それを否定したんじゃ疑似体験すら心に残らない。

「夜の果てまで」盛田隆二:著 角川文庫
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桜づくし

2013-03-25 | 散歩










この週末のあちこちの桜。
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素盞雄神社

2013-03-24 | 散歩






南千住の駅から歩いて5分。
鎮座1200年という古社がある。
その名も素盞雄神社。
天照大神に逆らったと伝えられる弟神を
祭神にしていることも面白い。
何しろ神話上は悪役なのだから。
しかし素盞雄は別の顔も持つ。
蘇民将来、巨旦将来の兄弟の物語にも
素盞雄は牛頭天王という名前で登場する。
悪疫災厄から守ってくれる神が素盞雄となった物語。
実は我々の神楽の演目「天王舞」はこの物語なのだ。
悪鬼巨旦から蘇民の娘を守り、後に娶る牛頭天王こそが
素盞雄と言われている。
また蝦夷と呼ばれた東北地方の人々の出自も
素盞雄と言われたりもする。
岩手の神楽にとっては由緒ある神社とも言えるだろう。

素盞雄神社は今「桃まつり」の真っ最中。
他の観光地や商店街が桜まつりを競っている中
この神社の境内は桃の木々が満開の花をつけていて
そのかわいいピンク色が参拝客の目を奪っている。
神楽殿ではたくさんの雛人形。
やはりお雛様には桃の花がよく似合う。
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「ブギウギ」

2013-03-22 | 読書
面白い。
姜尚中氏も絶賛したと帯に書いてあるが
確かに坂東氏は新たな境地を見いだした。

坂東氏といえば「山姥」や「狗神」など
おどろおどろしい因習の世界を描く作家として知られ
意外に好きな世界として著作を色々読んできた。
が、本作はこれまでの作風とは全く違う。
戦中戦後の社会や人の考え方について、
差別や命、個人と社会の関係などの社会派小説としても
女性の生きるエネルギーを描く小説としても、
もちろん本格的なミステリーとしても面白い。
これぞエンターテイメント。

ところで社会について、個人の価値観について
国のあり方と個人との関係について
あるいは現代とは違う、当時のものの考え方について
示唆に富む文章が所々にあった。
国家の考え方や教育問題、人間の尊厳の問題、社会格差の問題など
現代社会のさまざまな病巣ともいうべき問題についても
それぞれの文章を読むと考えさせられる。
より右傾化社会を声高に唱える方々にこそ読んで欲しい。
そして日本人として自らを省みて欲しい。

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 人は、自分が上だとみなしたところから怪物と化していく。
 そして、自分より下であると見なすほど、
 その命は虫けらのように軽くなっていく。
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ナチスから見たユダヤ人や、
旧大日本帝国から見た他のアジア人だけではない。
現代における学校でのイジメも同根。
自由化、競争社会化で
一定のモノサシから外れた人達は
「負け組」と断罪され、下に見られていく。

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 戦争ってのもいつか終わると、妾は知っていた。
 そうじゃないか。
 いつだって、なんだって終わりがある。
 恋だって、月のものだって、人の人生だって。
 その証拠に、妾の人生も、もう終わりは見えている。
 負けようと、勝とうと、知ったことじゃない。
 その場限りの喜怒哀楽。
 終わりは終わり。それだけだ。
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勝ち組だ、負け組だと不毛な争いをしていても
誰にももれなく平等に終わりは来る。
限りある時間しか無い中、争うだけ無駄じゃないか?

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 恋をすると、女はすべてが変わる。
 考え方も生き方も。
 それまでの男なんか、きれいさっぱり消してしまい、
 まるで生まれてきたばかりの女のように、
 いけしゃあしゃあと純真無垢な顔をして、
 新しい男の前で新たな人生を生きはじめる。
 八百比丘尼は一人で八百年生きたが、
 普通の女は長生きする代わりに、
 恋をして、何回も生まれ変わるのだ。
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確かに(笑)
ワタシもそれで何度か痛い目に遭った(^^;

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 人は、自分の同心円上で命の重みを量るものなのだとか。
 自分に近い人であればあるほど、その命は重くなる。
 肉親、恋人、同じ村の者、同じ地方の者、
 同じ国の者にまで、同心円の輪は広がっていく。
 同じ国の者であるという線を越えると、
 とたんにその先はもう同心円ではなく、
 人も虫けらも同様に混在する世界となる。

 だが、その同心円の輪を
 できるだけ広げようと努力する者と、
 その輪を限定させて、その輪による命の分別に
 疑いすらも抱かない者との間には
 決定的に差がある。
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現代の日本には
後者が激増しているように思うのだが。

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 女たちにとっては、
 国が負けたことなんか、どうでもいいのだ。
 無条件降伏を前にして、
 大日本帝国の男たちは、国体を護持することを求めた。
 男たちは国の永続を求める。
 しかし、女はそんなことはどうでもいい。
 そもそも、帝国という概念からして、
 男たちの創りだしたものだから。
 大切なのは、生き延びること。
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だから作中の女たちは進駐軍に適応しながら
勝者である男を踏み台に生き延びていく。
敗者である日本の男たちは尊厳を失い頭を抱える。
体面や、意地や、尊厳など気にせず、
今を生き、純粋に幸福を追い求めるのは
女たちなのかも知れない。
やはり女はたくましい。

しかしこの作品、映画にすれば面白そうだな。
主人公の法城は山本耕史かな。リツは・・・渡辺直美?(笑)

「ブギウギ」坂東真砂子:著 角川文庫
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伝統芸能 夢の架け橋 ~北の魂、南の魂~

2013-03-21 | 文化
チラシもでき、
口座も開設して、いよいよ正式公開。
公式ブログも全面的にオープンにする。
岩手の神楽と沖縄の琉球舞踊との
手作りコラボ「夢の架け橋」は
6月15日(土)に開催。

最初は昨秋の沖縄旅行での出会いから始まった。
お互いの演目が見たい→集まろう→震災チャリティーに・・・
とどんどん話が進み、
花巻市東京事務所のお手伝いをいただきながら
岩手県や沖縄県の東京事務所、
そして岩手日報、琉球新報の東京支社の後援も得、
皆さんの応援のもと、ようやくここまで来た。
さて、これから。
入場整理券と引き換えの義援金集めと協賛集めが待ってる。

ツテが全く無い東京での初めてのイベント企画。
正直ここまで来るのにいくつもの壁があった。
仕事以外の時間で目一杯動きつつ
悩み、頭を抱えたこともあった。
でもそんな時、応援の声をかけてくれた友人たち、
アクティブに動いてくれた花巻市東京事務所の方々、
後援に入ってもらった岩手日報、琉球新報の方々のお陰で
なんとか形になってきた。

原動力は、
我々の神楽を東京の人たちに見て欲しいということ、
琉球舞踊が見たいということ、
そしてこのイベントにより津波被災地の子どもたちに
新しい夢を抱いてもらえる手伝いができること。
そして何と言っても
我々の神楽の若いメンバーと
沖縄の方々との交流をさせてやりたいという気持ち。
(もちろん若い人たちだけではなくワタシらベテランもね)
押上の仲間たちも一緒になって交流して欲しい。
だから実際には岩手、東京下町、沖縄の交流イベントだと思っている。
イベントでの演舞そのものもすごく楽しみだけど
琉球舞踊を見るのも、友人たちとのイベント全体の運営も、
そして夜の打ち上げもすべてが楽しみ。
こういう体験がまた次の交流を生み出すと思うのだ。

ということで、
岩手の山伏神楽、琉球舞踊を見たことが無い方々はもちろん
よく知っているという方々にも見て欲しい。
たくさんの方々に足を運んで欲しい。
そしてできれば協賛という形でご協力もお願いしたい。
観覧および協賛お申し出ご希望の方は
下記公式ブログにあるアドレスまでメール下さい。
公式ブログもこれからどんどん更新をはじめる予定。

〈「伝統芸能 夢の架け橋」公式ブログ〉
http://blog.goo.ne.jp/iwate-okinawa
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昨夜の

2013-03-20 | 生活の風景
夜桜とスカイツリー。
桜橋たもとにて。
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結果論

2013-03-19 | 世界・平和
釈然としない。
憤りに近い。
結果論でものを語る人間が多すぎるからだ。
昨日のWBCの結果について
解説者から一般人まで上から目線の結果論。
台湾戦での鳥谷は
セーフになったから素晴らしい判断と言われ
昨日の重盗はアウトになって叩かれる。
鳥谷だってアウトになっていれば叩かれたに違いない。
勝負は時の運だ。一か八かの作戦もある。

中継は見ていないが(平日の昼間だしね)
さまざまな情報を総合してみてすごいプレーだと思った。
「行けたら行け」というのは
ランナーがひとりだとしても高校生ぐらいじゃ行けない。
自分の判断でスタートを切る勇気が無いからだ。
ランナーが2人いての「行けたら行け」は
セカンドランナーの動きを見て
ファーストランナーも判断しろという意味だろう。
そんな高度な判断を伴うプレーができる
プロ選手の能力の高さに舌を巻いた。
それでもセカンドランナーが止まったのを見逃すほど
内川ほどの一流プレーヤーも必死だったということ。
だれもそれを責められない。

前田を早めに替えたのも槍玉に挙がっていた。
それだって結果論だろう。
もし続投させて失点したら、それはそれで叩かれたはず。
どんなことしたって失敗すれば叩かれる。
こんな風潮が続くなら誰も監督をしなくなるし、
もし誰かが監督やってもサインなんか出せなくなる。
選手も自分の判断では動けなくなる。
そう考えると、
日本を弱くしてるのはマスコミや世論なんじゃない?

プロ野球ばかりじゃない。
学校でのいじめ問題も、政治も同じこと。
なにかコトが起きれば有無をいわさず叩かれるから
学校も教育委員会もますます動けなくなる。
道徳教育で協調性や社会性を強調すればするほど
そこから外れる人間へのいじめはエスカレートする。
ゆとり教育だって本来の意味を理解しようとせず
悪い結果をすべてゆとり教育になすり付けてしまう。
それも結果論。

自民党政権時代に積もり積もった負の遺産を
(それがあったから政権交替になったと思うんだけど)
背負いきれなかった民主党が叩かれる結果となった。
(沖縄基地問題然り、原発問題然り)
その後を引き継いだ自民党は
「禊は済んだ」とばかりにノビノビしている。
民主党は自民政権時代の尻拭いをしきれず
それを叩く現政権はある意味天に唾しているようなもの。
それも結果論。

もっと本質を良く見、ぞれぞれの人たちがよく考えようよ。
結果論でものを語り続けた結果が今の日本だと思うから。
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「遺体 明日への十日間」

2013-03-18 | 映画・芝居・TV
リアルだ。
まるでドキュメンタリーみたい。
震災前の釜石の姿も、
淡々と進んでいく事態も。
特に停電下、真っ暗な中での大きな余震は
2年前を体で思い出し、戦慄が走った。
だから、震災を実体験した人達は
ホントは見てはいけない映画だと思う。
しかしそれ以外の地域の人達には見て欲しい。
ドラマチックでも感動的でも実際には無い
ただの残酷な現実だけがそこにある。
BGMもストーリーもほとんど無い、
ひたすら絶望的な現実の十日間。
しかもここはほんの一部でしかない。
こんな遺体安置所は他にもたくさんあった。

ただし、やはり作り物めいたシーンはある。
あれでもやはり
「あんなものじゃない」
状況だったはずだ。

昨日、ワーナーマイカルシネマズ北上にて。
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IZAYOI

2013-03-17 | 食べ物・お店
盛岡の繁華街。
ちょいと裏通りのビルの4階に
JAZZ bar「IZAYOI」はある。
毎回1年ぶりぐらいのペースで
ぶらりと訪れる、自分の隠れ家的店。

選曲も、酒の美味さも、店の雰囲気も
自分の好みに合うから行くのだが
ビンポイントで言うと
店内に数枚飾られ雰囲気を作り出している
大場富生さんの版画が好きなのと
ひとりで店を切り盛りしている、
昔なじみのシュウコとの会話が楽しい。
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つぼ半

2013-03-16 | 食べ物・お店

昨夜の晩メシは
盛岡繁華街の裏通りにあるこんな店。
昭和な香りがぷんぷんする。
こういう店の定番である
ラーメン&炒飯をオーダーした。
ラーメンはあっさり味で実に美味い。
これまた昭和な味だ。
炒飯はちと味が濃くてしょっぱかったけど
これもある意味昭和っぽい?
店構えや店内の雰囲気がいいから
多少しょっぱくても許す(笑)
また来よう。
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